しろくてしかくいお部屋があり、
隅の棚には、赤い花が一厘何気なく飾られておりました。
ベッドの上では一人の女性がうっすらと目を開きました。
「これはなあに?」
その日、お見舞いに来た男の子は尋ねました。
手渡されたそれは、まあるいガラスに、鉄と、金色の三日月を模った飾りの付いたものでした。
釣るすための糸もついてありました。
女性はかさかさした唇を、重たげに何とか動かしました。
「その前にひとつ、お話を聞かせてあげましょうね」
女性がまだうんと小さかった頃、
まだ生きていた女性のひいおばあさんによく昔話を聞かせてもらったこと。
数え切れないほどの、忘れてしまうほど沢山のお話があったけれど、中でも特に、
海と月と、ちょうど男の子と同い年くらいの少女が出てくるお話がとても好きだったこと。
そして今し方手渡したそれは、そのお話をしてくれたひいおばあさんに、
最後にもらったものだということ。
大好きだったそのお話の結びには、いつも必ず、
嘘かもしれないしひょっとしたら嘘じゃないかもしれないと言って、女性をひどく困らせたこと。
女性は、辿ってきた険しい記憶のわだちを引き返すように、
穏やかな、しかし疲れ果てたような面持ちでゆっくりと語りました。
「それはどんなお話だったの?」
男の子は尋ねました。
目にはいっぱい、きらきら光るしずくを浮かべて、
けれどそのしずくを頬に零さないように、笑っておりました。
女性がかさかさの唇から再び言葉を紡ごうと、口の端を引き結んだ瞬間、
男の子のりんごみたいな頬に触れていた手がふっつりと下へ落ちてしまいました。
男の子のお父さんは泣いておりました。
男の子のおばあさんも喉を詰まらせながらしゃくりあげておりました。
男の子のおじいさんは、堪えきれずに男の子の肩を引き寄せました。
果てない眠りについたその女性を、愛しみながら見送りました。
やわらかな日差しがカーテンをすり抜けます。
手渡されたそれは、まあるいガラスの中にもうひとつ、
三日月型のガラスが入った、澄んだ綺麗な音の鳴る、可愛らしい風鈴でした。
男の子は言いました。
「信じてるから、いつか聞かせてね」
男の子は女性の手を握りました。
穏やかに横たわるその女性が、もう二度と握り返してくれないということを知りながら、
男の子は凛とした、女性に良く似た口ぶりでそう言いました。
しろくてしかくい部屋は、しろくてしかくい箱になりました。
棚に飾られていたかわいらしいお花は、いつのまにか枯れておりました。
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小さな女の子はやがて母となり、懐かしい思い出を託します。 夏の日三部作に繋がるお話です。