「う、うぅ~……」
低く唸るような声。当の本人は懸命に睨みを利かせている算段だが、傍から見れば瞳を潤せながら萎縮している子犬のようでしかない。
影、影、ひたすらに影。見渡す限りの宵闇は知り尽くした筈の山道さえ気味の悪い獣道に豹変させてしまっていた。成程、どうやら自分達の見込みの方が甘かったようだ。
「しゅ、朱里ちゃぁん……」
「だ、ダイジョブ、ダイジョブ。本物なんているわけない、いるわけないから出るわけない。ダイジョブ、ダイジョブ」
半ば片言になりつつある自分への暗示をひたすら繰り返しながら、互いに握り合う掌を強める。朱里の視界は最早、順路を示す目印たる、木々に結ばれた大縄以外をとらえていない。今なら例え、野良猫がその辺の草むらから飛び出してきただけでも悲鳴を上げそうだ。まだまだ先は長いというのに。
が、それに反して、
「しゅりおね~ちゃん、ひなりおね~ちゃん、どうしたの~?」
「り、璃々ちゃんはどうしてあんなに平気でいられるのかな……」
「多分、よく解ってないんだと思うよ?」
それが『怖いものだ』と理解できなければ怖がりようもない。その出自も手伝ってか、元より歳不相応に肝の据わっているてらいのある璃々である。ある意味で当然の反応と言えた。
さて、先刻まで『肝試し? なにそれ美味しいの?』状態だった彼女達がなぜにこうも恐々としているのか。
それはつい先ほど、彼女達の順番が訪れるまでの間に起こった、我々からすれば当然である『とある事』が原因なのだが……
組み合わせと順番を決める以上、どうしても待ち時間というものは出来てしまう。それをただ待っているというのも企画の意図にそぐわない。では、その時間をどうするか。
「皆に怖い話を披露してもらおう」
そうなるのは当然の帰結であった。そしてその意を皆に話したところ、有志で話を披露してもいいという娘達も何人かいた。そう、そこまではよかった。
其の壱、桔梗の場合
「新兵時代に族退治の遠征に向かったのですが、これが中々頭の回る連中でしてな、拙いながらも退路を断たれ兵站を根こそぎ奪われた時は生きた心地がしませんでしたな」
確かに怖いことだが、今一解りにくい。
其の弐、鈴々の場合
「こないだも愛紗に怒られたのだ。『お前はいつまで~』とか、いっつも同じことばっかりなのだ」
『怖い』の方向性が違う。
其の参、翠の場合
「ガキの頃にとちって馬から落ちちゃってさ、そのまま爪先を岩にぶつけて親指の爪がこう、パカッと」
それは『怖い』でなくて『痛い』話である。説明不足だったなぁ、と一刀が苦笑するのも無理はないと言えた。
とまぁ、皆が皆いまいち企画の趣旨を誤解していた頃はまだ良かった。二人のくじの番号は十三番。即ち、今回の肝試しの順番としては最後の組み合わせであった。長々とこんな話ばかりを聞かされるのかと辟易したり、不快に眉を顰めたり耳を塞いだりはしたが、まぁそれで終わっていた。
問題は、そこからであった。
―――きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!
「ひぅっ!?」
絹を裂くような悲鳴に思わず身を縮こまらせる二人。森の中から残響を帯びて届くのは同刻、先に森の中に入っていた3人のうちの一人のものであった。
「何っ、何っ、何なの今の!? 何か冷たくて気持ち悪いのが首に触ったぁ!!」
「と、桃香様!! どうか落ち着いて下さい!!」
首を後ろを抑えながら涙目で辺りを見回す桃香。そんな彼女を宥めようとはしているものの、自身の混乱を全く持って抑えきれていない愛紗。そして、
「お姉ちゃんたち、ちょっと騒ぎ過ぎなのだ」
「お、お前はどうしてそんなに落ち着いていられるのだ、鈴々!!」
そう、鈴々であった。肝試しの一番手が蜀の最古参メンバーというのも何の因果か。兎に角、元よりその手の話が苦手な愛紗の反応は予想通りであった。桃香も同様。彼女はこの状況下で泰然としてはいられないだろう。そして、鈴々だが、
「あった、これなのだ」
何やら茂みの中から見つけ出した小さな塊。見るからに弾力性に溢れた揺れをする半透明のそれは先日、我らが主人が試しに作った試作品の一つであった。
「それは……確か、『こんにゃく』だったか?」
「なのだ。飛んでくるのが見えたのだ」
彼女の野生児染みた動体視力をもってすれば、咄嗟に見極め躱すのも難しくないようである。
蒟蒻の材料は言わずと知れた蒟蒻芋だが、これは元より大陸にも自生している植物である。ただし、日本と違い大陸に生える種は味は辛く身体を冷やし、その上毒性まで持ち合わせている。が、一部の地方では腫物への塗り薬としての効能は確認されていたようで、自然の治癒薬程度に思われていたそうだ。故に、時折自生地へと摘みには言っても栽培する者は皆無に等しかった。故に、一刀の『これ食えるよ』発言に皆が仰天していたのは今でも記憶に新しい。根の部分を砕き灰汁で煮込んで初めて、我々が知るような状態に凝固する。砕く手間は少々かかる上に栽培が非常にデリケートでこそあるが、毒性を持つために虫害にかからないという大きな利点があり、方々で栽培に興味を示す農家が幾つか現れ始めていた。
ともあれ、桃香の首筋に会心の一撃を喰らわせた蒟蒻には何やら近くの木々の上方へと続く長い紐が結び付けられていた。恐らく振り子の要領ですれ違い様に着弾するように仕掛けられていたのだろう。宵闇のお蔭で足元や周囲の確認も覚束ないが、恐らく何処ぞに引き金となる仕掛けが施されていたに違いない。
「お、やっと最初の仕掛けに着いたか。それじゃそろそろ2番の3人、行ってみようか」
「ちょっ、おい御主人様!! これ、本当に大丈夫なのか!?」
「そ、そうだぞお館!! 桃香様に何かあったらどうするんだ!!」
「ん? 別に大丈夫だよ、まかり間違っても怪我するような仕掛けは一切ないし、順路もなるだけ安全な道を選んでるから」
「そうだよ、焔耶、姉様。ご主人様がそんな危ないこと、皆にさせる訳ないじゃん」
ともあれ、無事に仕掛けが作動したことに軽く胸を撫で下ろしながらの一刀の言葉に2番手である翠と焔耶が食い掛かるが、もう一人である蒲公英も手伝ってかなんとか納得したようで、渋々ながらも森の中へと入っていった。
そして、
「主、次は私が話を披露したいのですが」
「お、それじゃ星、頼むな」
「はい。皆、どうやら今回の趣旨を理解していないようで……くっくっく」
実に愉しそうな笑み。華蝶仮面に勧誘(というか脅迫)された時の笑顔を、朱里は思い出した。嫌な予感しかしない。この先に待ち受けているのは、きっと、
「ひ、雛里ちゃん……」
「あ、あわわ……」
一寸先は闇。それを心底実感した二人は身を寄せ合い、それでも興味というものは厄介な習性のように耳を傾けさせて、
「これは以前、私が用心棒をしていた時に聞いた話なのですが―――」
昔、知り合いが住んでいた村に、とある夫婦と幼い兄弟がいたそうな。夫婦は新築した家に引っ越したのですが、兄弟は『生まれ故郷を離れたく無い』と言ったそうです。するとあろうことか、その夫婦はその兄弟を置いて行ったそうです。冷たい親もいたものですな。
当然、幼い兄弟だけで日々を生きてくのは大変です。食い扶持を稼ぐだけでも手一杯。日に日に食卓は貧しくなっていき、やがて食べ物も満足に調達できなくなって半年ほど。空腹に耐えきれなくなった弟が、息を引き取ってしまいます。
その頃から兄は狂いはじめた。普通に話をしているかと思うと、いきなり飛びかかり腕に噛み付く。腕の肉が削り取られる程に。 そんな事が何度かあると『ありゃあ、人の肉を食ろうておるんじゃなかろうか』と、村中で噂が広まった。
まだ子供だった彼は『なぜお上に言わんのね?』と言うが、『村からキチ○イが出るのは、村の恥になる』と大人は言い、逆に彼の存在を、外部から隠すそぶりさえあったそうな。
風呂にも入らず髪の毛はボサボサ、裸足で徘徊する彼は、常に悪臭を放ち、日に日に人間離れしていったそうだ。
村民は常に鎌等を持ち歩き、彼が近付くと「それ以上近寄と鎌で切るぞ」と追い払っていたそうです。
そんなある日、2、3人で遊んでいた子供達が彼に襲われ、その内の1人は小指を持っていかれた。 襲われた子の父母は激怒。彼の家に行き、棒で何度も殴りつけた。止める者は誰1人いなかったという。何せ、梅婆さんを見て、父母はこう言ったのだ。『あの野郎、家の子の指をうまそうにしゃぶってやがった』
その一件で遂に彼は村はずれの小屋に隔離されてしまいました。小屋の回りは丈夫な縄で縄でグルグルに巻かれ、扉には頑丈に枷が施され、完全に閉ざされました。食事は日に1回小屋の中に投げ込まれ、便所は垂れ流し。『死んだら小屋ごと燃やしてしまえばええ』それが大人達の結論であった。 無論子供達には『あそこに近付いたらいかん』と接触を避けたが、その知り合いはある時、親と一緒に食事を持って行くことになったそうです。で、小屋に近付くと凄まじい悪臭。中からはクチャクチャと音がする。
『ちっ、忌々しい。まーた糞を食うてやがる』
小屋にある小さな窓から食事の入った包みを投げ入れ、『さ、行こう』と小屋に背を向けて歩き出すと、背後から『人でなしがぁ、人でなしがぁ』と声が聞こえたそうな。
それから数日後、知り合いは友人からこう言われた。
『おい、知っとるか。あの男な、自分の体を食うとるらしいぞ』
その友人は、親が大人達が話しているのをコッソリ聞いたらしい。 今では、左腕と右足が無くなっている状態だそうだ。
ある日、その友人とコッソリ例の小屋に行った。しかし、中から聞こえる『ヴ~、ヴ~』との声に怯え、逃げ帰った。
『ありゃあ、人の味に魅入られてしもうとる。あの姿は人間では無い。物の怪だ』
親が近所の人と話しているのを聞いた。詳しい事を親に聞くのだが『子供は知らんでええ』と何も教えてくれない。
ある夜に大人達が彼の家にやってきて、何やら話し込んでいる。親と一緒に来た友人は、『きっとあの兄ちゃんの事を話しておるんじゃ』。2人でコッソリと聞き耳を立てるが、何を言っているのかよくわからない。ただ、何度も『もう十分じゃろ』と話しているのが聞こえた。
次の日の朝。朝食時に『今日は家から出たらいかん』と父が言うので『何かあるんか?』と聞くと『神様をまつる儀式があるで、それは子供に見られてはいかんのじゃ』と説明された。しかたなく窓から外を眺めていると、例の小屋の方から煙りがあがっているではないか。
『お父、大変じゃ!あの兄ちゃんの小屋辺りから、煙りが出ておるぞ』
しかし父親は『あれは畑を燃やしておるんじゃ。下らん事気にせんでええ』と、逆に怒られた。
それから数日は、相変わらず小屋に近付く事は禁止されていた。しかし、ある日友人とコッソリ見に行くと、小屋があった場所には何も無かったそうな。
小屋が無くなってから数日後、知り合いの友人と共通の友人とで集まった時に『なんでも夜中に、男の霊が村の家の戸を叩きよるらしいで』と話した。 家に帰り、その事を父に伝えると、
『人は死んだら戻って来るでな。なーに、暫くすりゃ諦めるで、気にする事ぁねえ』
『でも、なして他人の家に戻るのね?自分の家に戻りゃあええのに』
『帰る家を間違がえてるだけだで』とアッサリ言ったので、知り合いは『なんだ、当たり前の事なのか』と思ったそうな。
ところがそうでは無かった。どうもその家の親が、くじ引きか何かで男がいた小屋を燃やす役目になってしまい、それが恨みを買ってしまったらしいのだ。それは近所の大人達が、『あの家に、またイブシがやって来しゃったらしい』『小屋を燃やしたもんで、怨みを買うたんじゃろ』と話をしていたのを聞いたからだ。
このイブシという言葉は、この村だけのいわゆる『隠語』というやつで、恐らく『幽霊』の意味ではないかとじいさんに言われた。大人達は『男の霊の事は村民以外には話すな。話すと霊がその人の前にやって来る』と言うので、それを恐れた子供達は誰1人として話さなかった。また、大人達は隠語を使う事により、うっかり他の場所で喋っても、村の恥部が他人に漏れずに済む。とにかくそこの村民は、自分の村を守る事に必死だったらしい。
夜な夜なやってくる男の霊にその家の家族は疲れてしまったのか、
『わしらも子も眠れんで困っとる。家を出るしか無かろうか?』と知り合いの家に相談にやって来た。
父は『しばらく家を捨てるしかあるまい。最悪、あの家は一度ばらしなすって、作り直しゃあええ。その間は家に住みなっせい』
こうしてその家の家族は、知り合いの家に同居する事に。さっそく自分の部屋でその家の一人息子にこう聞いた。
『なぁなぁ、あの兄ちゃんのお化けを見たんか?』
『見とらん。ただ、家の戸を叩く音が毎晩するんじゃ』
『風とかじゃ無かろうか?』
『知らん。最近は耳に布切れ押し込んで寝てまうで、音は聞こえんが、一晩中灯りがつけっぱなしなもんで、全然眠れんわ』
『おい。今日のイブシ除けは済みなすったか?』と、父が母に指図をする。イブシ除けとは、いわゆる『魔除けの一種』で、玄関の軒先に餅や果物等をぶら下げておくのだ。この村では、人が死ぬと毎度行う儀式だった。
『朝になると、吊るしておいた食い物が無くなっとるんじゃ』と息子は言うが、『いや、猿にでも持っていかれたんじゃろうて』と彼は否定した。
それでも彼は不安だった。
『あの家の家族が家に来た事で、男の霊も家にやって来るんじゃなかろうか?』と、嫌な予感があった。
そして夜、隣では一人息子がぐっすりと寝ている。耳から詰めた布が、はみ出しているのが可笑しかった。 居間からはガヤガヤと大人達の声がする。しばらく天井をボーッと見ていると、ドンドンドンと太鼓のような音が響いた。同時に大人達の声も、一瞬ピタリと止んだ。 彼の予感は適中した。男の霊が家の玄関を叩いてるのだ。
そう思うと恐くなり、ユサユサと隣の一人息子を揺り起こした。
『ううん……なんねー』と寝ぼける一人息子に事情を説明。共に震えながら、大人達のいる居間に出て行く。
大人達はボソボソと何かを喋っている。
彼が怯えながら『お父……』と言うと『気にする事ぁねえで、さっさと寝なっせ』そう言ってまたガヤガヤと、大人達は別に気にする事なく、普通に酒を飲みはじめた。
次の朝、一人息子と一緒に彼が玄関を出ると、魔除けの食い物が無くなっていた。
その事を親に聞くが、『あれは朝1にしまい込むでな』と答えるだけであった。
そしてソレはしばらくの間続いたが、ドアをノックする音がしなくなると『ああ、諦めていなくなったのだな』と思った。 その村では騒ぎが収まるまで墓を作らなかった。遺体は火葬か土葬をしておき魂は遊ばせておくそうだ。
村のはずれには墓地があり、村人はここに埋められ墓が作られる。しかし、男の墓は別の場所に作られる事になった。 『御先祖様の墓とキ○ガイの墓を一緒にするのは申し訳ない』という理由だそうだ。 死んでもなお村人として扱われない男に、彼は少し同情したが、怒られるのが恐いので、口にする事はしなかったそうだ。
男の墓は川原に作られた。墓といっても1、2本の縦長の板で出来た簡易な物で、さらにその回りには囲いも何も無く、ただポツンと立っていたそうだ。しかも、川のすぐそばに立てられている為、ちょっと強い雨が降ると、増水した川に流されてしまう。実際男の墓は、1ヶ月もしない内に流されてしまった。
流されるという事は、人に忘れられてしまう。まさに『水に流す』のである。流されてしまってはしかたがない。俺達は悪く無い。そんな『自分勝手な不可抗力』という名の殺人や非道が、その村ではあたりまえに行われていたらしい。
身内がそばに居ないというだけで、人1人が村ぐるみで消されてしまう恐怖。そして、それをあたりまえと思う大人達に、彼は恐怖した。『自分も大人達の機嫌を損ねたら、何されるかわからん』と。だから、その村では大人が絶対であり、いわゆる『不良』と呼ばれる子供もいなく、子供は大人達の従順者であった。
『村落という閉鎖的な場所で、独自的な文化を持つというのは恐ろしい事で、そこでの常識は常に非常識だった。あのまま村で大人になったら洗脳されて、あの大人達と同じになっていただろう。だからお前は、たくさん友人を作って、色んな人の意見に耳を傾けて、常に自分の行動に間違いが無いか疑問を持て』と、死んだじいさんが語ってくれたのを思い出したそうだ……
…………
……………………
………………………………
「うぅ……嫌でも思い出しちゃうよ」
生々しい語り口調が鼓膜に焼き付き、脳裏に光景を鮮明に思い浮かばせる。嫌に手馴れている気がしたのは、きっと自分達だけではないだろう。
その後、星の怪談話でようやく趣旨を理解したのか、皆も調子に乗って本当に怖い話をどんどん披露するのものだから恐怖心を煽りに煽られ、今に至るという訳である。
成程、身の毛も総立つ寒気が全身に飽和していた。確かに涼しい。色んな意味で。
視界に入る影がすべて意志を持っているかのような、視界を横切る影がすべて蠢いているかのような錯覚。ただの夜風が幽世への誘いに。木々の嘶きが彼らの囁きに。何もかもが別世界かのような。ただ城から一歩踏み出しただけなのに、ここは一体何処なのだろうか。見知った場所が心持一つでここまで変化するなんて。
「肝試し、かぁ……」
成程、人によっては金を払ってでも味わいたがる恐怖かもしれない。何はともあれ、自分の体感温度が低下していることは間違いないわけで。
と、
―――――ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
「ひぅっ!?」
再び耳を劈かんばかりの悲鳴。今度は誰のものだろうか、判別している余裕も既になく、
「ひぃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「はわっ、ひっ、雛里ちゃん!? どどどど、どうしたの!?」
「い、今、いま、何か、首、冷たっ、柔っ、う、うぇぇぇぇぇん!!」
やっと最初のブービートラップ(先述の蒟蒻)である。が、最早何もかもが恐怖を促進させる増強剤にしかならなかった。
「ひなりおね~ちゃん、だいじょ~ぶ?」
「あぅ、ひっぐ、ご、御免ね、璃々ちゃぁん……」
面目や虚栄もありはしない。ただただ腰の抜け泣き崩れてしまう雛里の頭をゆっくりと撫でる璃々。
既に二人の心中を占めていたのは『早く帰りたい』『叶うなら始まる前に戻りたい』『戻れたなら意地でも参加しない』ただそれだけであった。
「うぅ~、うぅ~」
最早唸っているのか愚図っているのかも分かりやしない。一刻も早く解放されたいと思っていながら体はひたすらに牛歩を続ける矛盾。それが更に恐怖と苛立ちを加速させ、思考をごちゃ混ぜに掻き乱していく。
気付けば二人で挟んで手を引いていた筈の璃々に二人が手を引かれるという本末転倒に陥って尚、二人はただただ沈黙を半径の著しく狭い警戒をひたすら続けるという、ある意味で年相応の当然な反応しか取れなくなっていた。
…………
……………………
………………………………
その後も引き続き、一刀プロデュースのブービートラップは続いた。
近くを通ると何か大きな水音がする川。茂みの中から突如聞こえる異音。映像技術や人手が割けないのも手伝ってか、トラップの大部分が音に関する仕掛けであったが、そもそもこういったイベントが初体験の彼女達にとっては十二分な威力を発揮し、程度の差こそあるものの皆が皆、憔悴した表情で……いや、中にはむしろ爛々とした笑顔で帰ってきた娘が数人はいたが、今回の企画は概ね成功と言えた。
「さて、そろそろ行くかな」
「あれ? 御主人様は今回不参加なんじゃないの?」
自分で仕掛けた罠に自分で飛び込んでも面白くない、との事で今回一刀は完全に皆を驚かす側に回ると前もって皆に言っていた。企画の準備段階では皆、それに対してそれなりに文句を並び立てていたものだが、今となっては『普段絶対に見せられない顔』をしていた数名はその件に関しては安堵の表情を浮かべていた。(それが誰かは皆の想像にお任せしよう。気が向けばオマケって事で書くかもしれんが、ね……)
「いや、参加するんじゃなくて、仕掛けを回収しに行くのさ。後は最後の朱里と雛里と璃々ちゃんだけだろ? いつまでも仕掛けを放置しておくと危ないし、あの3人のことだから今頃参加したこと後悔してるんじゃないかな、と思って」
「……あ~、成程。御主人様ってやっさし~」
「茶化すなよ。それじゃ、さっさと行ってくる。皆はある程度落ち着いたら、この辺の片づけを始めてもらっててもいいかな?」
「うん、いいよ。いってらっしゃ~い」
見送る蒲公英の声を背に、松明を携えて一刀はゆっくりと森の中へ入っていった。
…………
……………………
………………………………
「ひぐっ、ふぅ、ひゅぐっ、はぅ~」
「あぅ、うぅ……やっと、やっと終わるよぅ」
「あ~、おしろのあかり、みえてきたよ~!!」
あれから半刻ほどだろうか、丁度上から見ると『>』(進行方向→)のような形で手を引かれながら、迷子のように顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした朱里と雛里は、璃々のそんな救いの声にゆっくりと顔を上げた。今までに何度も、何十も何百も見てきた灯。しかし経験してきた如何なる戦からの帰還よりも救われたような心地になったのは、言うまでもない。
心なしか、ほんの少し足取りが軽くなる。何度目かも忘れるくらいに顔を拭ったせいで袖口はえらく染みだらけだ。襟周りも濡れてしまっているかもしれない。それくらいに泣き腫らした自覚がある。多分、今の自分の顔を鏡でみようものなら、両の瞳はさながら兎のように真っ赤に充血してしまっているだろう。
「は、はやぐかえろう」
「う、うん……」
ゆっくりとゴール地点である門前まで歩き出す二人。そこでようやく両手を解放された璃々はとたとたと走り出して、
「あ~、たのしかった~!! またやりたいな~!!」
『絶っ対嫌っ!!』
とは心底楽しんだのであろうこの子の前では口に出せず、心の中でだけハモらせる二人。そのままゆっくりと皆の元へ向かおうとして、
「あれ~、ごしゅじんさまがいな~い」
『……え?』
涙で滲んだ先、どうやら同じように精神を磨り減らしたのだろう、何処か少しやつれたようにも見える皆が会場を片づけを始めている中、終始ずっと門前でずっと様子を見ていたはずの一刀の姿が確かに何処にも見当たらない。
「あっ、戻ってきた。お帰り朱里ちゃん、雛里ちゃん、璃々ちゃん」
「あらら、随分はしゃいだみたいね、璃々?」
「おか~さん、ただいま~!!」
出迎えてくれたのは桃香と紫苑であった。母のお腹に飛び込む璃々を受け止め、蒸らした布で顔や腕など、露出している部分を拭っている。同じように桃香も2人の顔を優しく拭ってくれて、
「わぷ、あ、ありがとうごじゃいましゅ」
「あ、あにょ、ご、ごしゅじんしゃまは?」
尋ねると、森の中に仕掛けの回収に向かったとのこと。それを聞くと、
「じゃありり、ごしゅじんさまをおむかえにいく~!!」
「あら、ちょっと、璃々?」
弾かれたように身を離すや否や、全く疲れを見せない速さで順路を逆走する璃々。
「り、璃々ちゃん!?」
「ま、待って―――」
思わずそこで追いかけてしまうのはある意味で当然だろう。あれほど怖がってこそいたが、それよりもあの子を一人であんな場所に行かせるわけにはいかないと思えるくらいには、思考回路も回復していた。
「あ、あらら? 皆~?」
「あらまぁ。璃々ったら、よっぽど楽しかったのね」
「い、いいんですか、紫苑さん?」
「大丈夫ですよ。御主人様もそこまで時間はかからないでしょうし、朱里ちゃんと雛里ちゃんもついて行ってくれてるし、何より璃々だっていつまでも子供じゃないですから」
「ん~……そう、ですね。それじゃ、私達は片づけの続きに戻りましょうか」
「えぇ、そうですわね」
そう言って二人は振り返り、片づけの続きに参加していった。
―――――その上空、半透明な影が一つ、森の中へ消えていく3人を見下ろしていることに気付かずに。
(続)
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投稿94作品目になりました。タイトル通り、第4回恋姫同人祭りに参加さして頂きました。
本来はこれを後編にして終わらせる予定だったんですが、まとめ切れそうにないのでもうちょっとだけお付き合いください。
では、まずは自分の執筆している作品紹介から。
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