一 ・ 王器
朝もやの中、突如現れたマルファスにラストは驚いた。
それもレンを抱えた上に、彼の王器を持っているのだ。野営地を訪れていたのは確かだった。
「全く、大切なものを放っておくなんて、随分危なっかしいマネをするんだね、キミたちは」
「アンタ……。何しに来た」
「何しに来ただなんて、心外だなあ。獣人族の幼体には、血月の影響が大きいんだよ。個体差があるけど、暴れ狂うものから、何日も眠り続けるものもいる。経過を看ておいたほうがいい」
レンを木陰にそっと寝かせると、同じく気を失っているセアルへと近づく。
「そいつには近づくな」
ラストはマルファスへの不信感をあらわにした。ただでさえ、血月での暴走があった上に、こちらの手助けをする理由も分からないのだ。
「別に何もしやしないよ。血月での暴走はあったけど、それをセアル本人が抑えるのを確認できた。それが出来なければ僕が手を下すつもりだったけど、指輪さえはずさなければ、大丈夫だろう」
眠り続けるセアルを見やり、マルファスは黒曜石の剣を拾い上げた。
「そういえば、宰相は自分の王器を持参していなかったようだね。あの銀盤さえあれば、あれほどの醜態を晒すことも無かっただろうに。相変わらず保身にだけは長けている」
「……アンタ、何が目的なんだ?」
マルファスの不可解な行動に、ラストは直接疑問をぶつけた。敵か味方かわからない者に、気を許すことは出来ない。
「僕の目的はふたつある。ひとつは王器を全て集める事。もうひとつは教えられない。誰にでも、人に言えない秘密はあるものだよ」
からかうように言われ、ラストは黙った。
「そもそも王器とか……。代行者ってのは何なんだよ。神話とか伝承の話じゃねえか。今時ガキでも、そんなもの信じてないぜ」
「まさに神話の通りさ。人間と精霊人から選ばれた四人が、神に代わって人を監視する代行者となる。そして、それぞれの裁量で王を立てるための王権の証が、四つの王器。皮肉なものだよね。代行者が四人いて、四つも王器が存在するせいで、統一されるまで、争いが絶えなかったんだから」
懐かしい記憶を思い起こすように、マルファスは遠くを見つめる。
「だから僕は一人の王に、王器を全て集める事にした。人々を導き治めることの出来る、聡明な王に。ちょうど千年前、旧アレリア王国と旧レニレウス王国から、代行者によって王器が奪われた。その機に乗じて、僕は最後のダルダン王から王器を接収したんだ。そして最後まで王器の残った旧ネリアの王、フラスニエルが統一を果たした」
「代行者って奴らは、てめえの事しか考えてないんだな。振り回される連中の事なんか、何も考えてないだろ」
「そうだね。その最たる者が宰相と、セアルの肉体に深淵の大帝を召喚した男でもある」
召喚、という言葉にラストは一瞬固まった。
「そういや、セアルが別人のようになった時……。召喚者がどうとか、従属がどうとか言ってたな」
「従属の印か。宰相が、失われた古代禁術に疎いのが幸いした。あれをやられたら、肉体に深淵の精神を固定されて、永遠にセアルは戻ってこれなかっただろう」
つい先程までの狂った夜を思い出し、ラストはぞっとした。一歩間違えば殺されていた事を思えば、今更ながらに震えが止まらなかった。
平静を装おうと、宰相の近くに落ちていたセアルの片手剣を拾う。くるくると手許で弄びながら、ふとその柄を見た瞬間、ラストの表情がさっと変わった。
「この剣……。何故この剣をセアルが持っているんだ。これは帝国の……」
「それはセアルの母親のものだよ。彼女の名前と紋章が刻まれている」
動揺するラストとは対照的に、マルファスは淡々と続けた。
「セアルもまた、帝国と無縁ではない……。人の運命を弄ぶ代行者もまた、それに操られているのかも知れないね」
二 ・ 目覚め
太陽が天頂を過ぎても、セアルは目覚めなかった。神の依り代となった事で、消耗が激しいのだとマルファスは言う。セアルとレンが眠り続けている間、ラストは一度野営地へ戻り、荷物をまとめて引き払った。痕跡を全て消し、自らの傷の手当てをする。
「深淵の力は強力だけど、肉体の生命力と精神力を、ごっそり削り取るんだ。恐らくもう二、三度顕現すれば、セアルの命は尽きてしまうだろう」
「……防ぐ方法は無いのか?」
セアルの右手にはめられた指輪をちらりと見やり、マルファスは言った。
「非常に難しいね。指輪を身につけている分、侵食を遅らせる事は出来ても、完全に排除するには、本人を殺す以外には無い。……でもそれは、したくないんだろう?」
「ガキを殺したがるバカが、どこにいるっていうんだよ」
ラストの憮然とした表情に、マルファスは微笑んだ。
「やはり思った通りだ。キミは王器を継ぐに相応しい。フラスニエルのように、誠実な皇帝になれるだろう」
「……やめてくれ。オレは皇帝になんかなりたくもないし、統一王と比較されたくもない」
珍しく感情的にラストは言い放った。
「やれ天才だ、統一王の再来だと、勝手に祭り上げられるのは嫌なんだよ」
「……期待に応えられないのが怖いのかい」
ラストの心中を覗いたかのように、マルファスは続ける。
「期待になんて応えなければいい。自分の思うままに、大切なもののために生きればいい。自ら選んで進む自由が、今のキミにはある。帝都へ戻る決心をしたのも、自分の過去と未来に、決着をつけるためなんだろう?」
何もかも失って、抜け殻のように彷徨った十年前を思い出し、ラストは目を伏せた。だが今は、仲間がいる。護るべきものがある。そして帰らなければならない場所も。
ふとラストがセアルへ視線をやると、微かに瞼が動いた気がした。うっすらと眼を開けたセアルの虹彩は、血のような赤から、元の深緑色に戻っている。
「……目が覚めたか」
完全に元に戻ったセアルを見て、ラストは安堵のため息をついた。
「あれ……。マルファス?」
故郷を出て以来、久しぶりに見る師匠に、セアルは驚く。
「お前、コイツ知ってるのか?」
「この人は、俺に剣を教えてくれた人だよ」
『数奇な』巡り合わせに、二人は顔を見合わせた。
「そうだ、レンは?」
「大丈夫、僕がここへ連れてきた」
未だ眠り続けるレンに目をやり、マルファスは応える。
「血月の負荷で、しばらくは目が覚めないだろう。命には別状ないから、心配はしなくていい」
「セアルが起きた事だし、とりあえずこの場所から離れようぜ。レンを抱えながらでも移動は出来る」
ラストは荷物をまとめながら言う。
「それと、この骨の山どうしたらいいんだ? やっぱ埋めた方がいいのか」
宰相だった残骸は、かろうじて人の骨としての形を留め、地面に散らばっている。
「放っておいていいよ。どうせ『死なない』んだから。不死人が、再生能力を上回る力で破壊された場合、しばらく『眠りにつく』だけだよ」
「しばらく眠り……って、コイツまだ生きてるのかよ……。しぶとすぎるな」
「目覚めるのが明日なのか、千年後なのかはわからないけど。代行者ってのはそういう連中なんだよ」
自嘲にも取れる言葉を口にして、マルファスは立ち上がる。
太陽が傾き始める前に、彼らは北部ダルダン領へと移動する事にした。
三 ・ 追撃
東部と北部にまたがる領境の森は、大きな峡谷によって、領地を分けられていた。統一前には、鉱山を巡る諍いが絶えなかったレニレウスとダルダンだが、峡谷に阻まれて、大規模な軍事衝突はさほど起きなかった。
両領地の間には、いくつか橋が架けられている。旅人は主に、公路にある大きな石橋を使うのが通例だった。セアルたちが移動している森にも架橋されてはいたが、木板と綱で造られた吊り橋に近かった。ある程度安定はしているものの、四人並んで渡れるほどの幅しか無い。
「暗くなる前に渡らないと、踏み外しそうだな、これ」
レンを背負いながら、ラストは恐る恐る下を覗き込む。遥か下からは轟々と川の流れる音が聞こえるが、その形は杳として知れない。
「さっき、宰相がまた甦るって言ってたけどよ……。あいつらってそもそも殺せるのか?」
ラストはふとした疑問を、マルファスへと投げかけた。いくら倒したところで、何度も甦るのでは、埒が明かない。
「殺せるよ」
意外にあっさりと答えを返すマルファスに、二人は呆気に取られた。
「たったひとつだけ。方法がある」
揺れる吊り橋を気にも留めず、マルファスは続ける。
「不死人を倒すには、彼らの『望み』を叶えることだ。連中は強い望みを、その不死性へと変換している。逆に言えば、叶わない望みを持っている代行者は、永遠に倒せないという事になるけど」
「望み……」
「千年前の最終決戦地となった場所に、アドナの古代神殿遺跡があってね。代行者たちはそこで生まれる。生まれ変わる死の苦痛の中で、生きる力。すなわち強い望みをもって耐えた者だけが、代行者へと変貌するんだ」
誰も知りえない不死人の秘密を、マルファスは事も無げに語った。
「だから、宰相を倒すのであれば、彼の望みを叶えるしかない。それが出来るのは、ラストール。キミだけだろう」
「え? オレ……? というか、宰相の望みって何だ……。アイツが何をしたいのか、オレにはさっぱりなんだが」
「代行者にとって、望みを知られるという事は、弱点をさらけ出しているのと同意義だ。自分で探すしかないね」
他人事のように笑うマルファスに、一同は沈黙した。
「血月を一度でも見てしまった者は、一生あれに関わり続ける事になる。血月の夜が来るたびに、代行者に引き合わされるんだから、そのうち嫌でも知るようになるさ」
重苦しい雰囲気の中、しんがりを歩いていたセアルは、何かの気配を感じ振り向いた。吊り橋の東部側に、蒼い衣装の男が見える。
「……あいつ!」
その場に荷物を置き、剣を抜いて走り出したセアルに、ラストとマルファスも振り返る。
「何だ……? 向こう側に誰かいるな」
「代行者だよ。しかも武器の扱いにかけては、随一の使い手だ」
「代行者!? 揃いも揃って、こんな時に来なくてもいいだろ……」
その瞬間、足元の吊り橋がぐらりと揺れた。見ると蒼い代行者が、吊り橋の綱を刀で切り落としている。
「な、何してるんだあの男! 橋が落ちるだろうが! おいセアル! 戻って来い!」
無造作に置かれた荷物を拾い上げ、ラストは声の限り叫んだ。
「とりあえず僕たちは、北側へ行こう。このままでは全員落ちてしまう」
片側の綱を一本切り落とした事で、吊り橋はぐらぐらと大きく揺れた。レンを背負い、荷物を抱えたラストは、必死にバランスをとって、ダルダン側の渡り口へと到達する。
「冗談じゃないぜ……。何の恨みがあるって言うんだよ」
「恨みはないだろうけど……。彼なりに思うところがあるんじゃないかな」
見るとセアルは黒曜石の剣を構え、男も刀を両手にそれぞれ抜き放っていた。こんな場所でやり合う気なのかと、ラストは頭を抱えた。
四 ・ セアル対ソウ
「駒に王器を持たせるなど、エサ以外の何物でもない」
そう言い放った骸骨の言葉を、セアルは頭から払拭する事が出来なかった。マルファスにも問いただそうかとすら思った。
だが力を求めたのは自分自身であり、深淵の影響があったとは言え、代行者を破壊する事が出来た。それに自らがエサだと言うなら、おのずとイブリスへと辿り着ける確信もあった。
――エサならエサらしく、引き寄せられる代行者を、全て倒せばいい。
その考えに行き当たり、セアルは覚悟を決めた。その時、振り向き様に目に入ったソウの姿は、彼の迷いを消し去る。
「代行者は、全て倒す」
背負った両手剣を抜き放ち、セアルはソウへと向き合った。
「……覚悟は決まったか? シェイローエの末裔よ」
白銀に輝く打刀をすらりと抜いて、ソウは吊り橋の綱を切り落とした。橋がぐらりと大きく傾き、背後ではラストの叫びが木霊する。
「邪魔が入っては面倒だ。お前の力、見せてもらおう」
その言葉が終わらぬうちに、セアルはソウへと斬りかかった。足場の悪い吊り橋の上では、大きく踏み込めず、刀で軽くいなされる。
セアルの両手剣に対し相手は二刀だが、足場が悪い条件は同じだと彼は考えた。
「そうだ。自分の力でかかって来るがいい」
ソウの言葉は、どこか嬉しそうに聞こえる。
「深淵の力は、命そのものを削り取る。お前の精神力がもたなくなるほど顕現すれば、魂は肉体を離れ、戻って来ることも出来なくなるだろう」
「……『あれ』に完全に乗っ取られるという事か」
「恐らくあと二回が限界。それ以上は、自らの意識を保てまい」
大小の打刀を構えつつ、ソウは続けた。
「ヒトとして生きよ。そこにお前の道筋がある」
そう言うと、彼はセアル目掛けて刀を打ち下ろした。小気味良い金属音を、セアルは両手剣で受ける。代行者の力をもってしても、黒曜石の剣は刃こぼれするどころか、斬撃の重さすら伝えない。セアルはそのまま押し戻して間合いを取る。
「さすがは王器。だが私はそんなものには頼らぬ」
「お前も代行者なら、自分の所有する王器があるはずだ。何故使わない」
「あれは私が代行者となる前から、すでに手許に無い。向こうの男が持っている長柄。あれがそうだ」
その言葉にセアルは振り向く。ソウの指し示した長柄は、ラストの持っている、布にくるまれた物だった。
「あれが……。『狂』の王器」
「長らく帝都の地下廟に眠っていたものだ。『狂』の名にふさわしく、使い手の特性によってその姿を変える代物よ。元は杖だったようだが、フラスニエルは弓として使い、あの男は長柄として使っているようだな」
大刀を右手に、小柄を左手に構えるソウに、セアルは吊り橋の形状を見た。足元は板張りされているが、欄干にあたる部分は綱によって補強されており、空間としては狭い。
お互い刃を振り回すには不利であり、二刀のソウはこちらの攻撃を受け止め、小柄で打突を狙って来るだろうと彼は予想した。
どちらかの刀を封じてしまえば、勝機はある。
以前ラストと戦った時にも感じたが、攻撃を受ける側は、その動作に意識が逸れがちだ。
セアルは両手剣の切っ先を相手に向け、自らの目線と同じ位置に構える。刀身の長い両手剣においては、あまりに無防備な構えだ。
次の瞬間、セアルは跳躍した。大刀で斬撃を打ち払おうとしていたソウは、すぐさま小柄で対応する。小柄で突きをいなすつもりが、セアルの狙いに一瞬動揺を見せた。
彼が狙ったのはソウ自身ではなく、刀の柄だった。確実に弾き飛ばすために一点に突進力を集め、突き上げる。隕鉄と鋼鉄を叩き合わせ、極限まで鍛え上げた刀は、その攻撃を正面から受け止めた。 だが衝撃には耐え切れずに、放物線を描いて谷底へと落下していく。
小柄を弾き落とされ、ソウは大刀を両手で構えた。
「お前は本当に興味深い。だがここからが本番だ」
柔和な微笑に狂気を乗せ、ソウの双眸が血の色に染まる。その刹那、セアル自身も分からないうちに、左脇腹を斬り裂かれていた。
床板に血が滴り落ち、熱を発する痛みにセアルは片膝をついた。抑えた右手からは、とめどなく血液が流れ出る。
「真の『狂』の力、とくと見るが良い」
不気味に笑うソウに、セアルは彼を睨み付けた。
五 ・ 二人の代行者
ただならぬ気配に、マルファスは振り向いた。
セアルとソウが戦っているレニレウス側の吊り橋から、異様な雰囲気が漂って来ている。同属特有の危険な空気が。
「まずい……」
懐から掌大の小さな紙片を取り出すと、マルファスは吊り橋へと戻る。
「何だ? 何かあったのか」
レンと荷物を降ろして、座り込んでいたラストが訊ねた。
「ソウの中の『狂』が覚醒している。平時はソウ自身が抑えているが、戦闘状態が長引いたりすると顔を出す厄介な存在だ。他の三人の代行者とは異なり、『狂』は破壊さえすれば倒せる。だが倒した者に『狂』が乗り移って、新たなる代行者『狂』が生まれるんだ」
「……存在自体が罠みたいなヤツだな」
「そうだね。『狂』が発動してしまえば、自らが破壊されるか、相手が死ぬかしないと元には戻らない。あれを止められるのは、この場においては僕だけだ」
修羅の場へ向かおうとするマルファスの背に、ラストは声をかけた。
「……何でアンタがそこまでするんだ? 代行者ってのは理解できねえな」
その言葉には何も返さず、マルファスはぽつりと呟く。
「それが僕の目的であり、『望み』でもあるからだよ」
吊り橋の中ほどまで来ると、マルファスは掌に乗せた紙片に、一言呟いた。それは、人ひとりが乗れそうな大きさのカラスへと変貌し、巨大な翼で彼の頭上へと舞い上がる。
「セアルを向こう側へ」
巨大カラスにそう命じると、彼自身は二人へと歩み寄った。彼らの間へと割って入り、ベルトから短剣を抜いてソウへと向き直る。
すでに分別も無く、本能のまま暴走する獣となったソウは、橋ごと破壊しかねない力で、マルファスへと斬りかかった。それを細い短剣で、事も無げに弾き飛ばす。
「キミの事だから、何か思うところがあるんだろう」
マルファスは今はもう、意識の支配されたソウへと語りかける。
「千年前と『望み』が変わっていないなら、その望みは僕が叶えよう」
なおも斬りかかるソウの攻撃を躱しながら、マルファスは一言何かを発する。その言葉に呼応するように、彼の周囲に青白い狐火が無数に灯る。
炎は吊り橋の綱という綱に襲い掛かり、瞬く間に橋の全てを嘗め尽くした。燃え盛る炎に退路を断たれ、ソウはその場に立ちすくむ。
炎に巻かれ、轟音を立てながら、吊り橋はゆっくりと崩壊を始めた。
「セアル」
呼吸を乱し、苦しそうにうずくまる弟子へと、マルファスは呟く。
「いずれ、また会える」
ふと顔を上げたセアルの目に、炎の中、微笑むマルファスの姿が見えた気がした。
次の瞬間、吊り橋は大きく軋んで崩れ落ち、三人は谷底へと墜落してゆく。
セアルが気を失う瞬間、目の前に黒い、巨大なものが見えた。それはふわりと彼を受け止めると、ゆっくり上昇を始めた。
薪の爆ぜる音に目を覚ますと、すでに辺りは暗闇に包まれていた。身を起こすと、セアルの隣にはレンが昏々と眠り続けている。左脇腹の刀傷には手当てが施され、さほど痛みは無いものの、熱はまだ引いていなかった。
「出血がひどいんで、勝手にやっておいた」
焚き火の向こう側から、ラストが呟く。
「でもオレが看た時には、あらかた出血は収まってたよ。傷の癒着も始まってた。……バケモノなんだな、お前」
ラストのその言葉に、セアルはどきりとした。
本当は、あの血月の夜から一番恐れていた言葉だった。自分自身知らなかった、自分の正体。それを他人が。身近な人が知ったら。
心臓が早鐘を打ち、恐怖に体が凍りつく。
「……俺が怖いか」
うつむき蚊の鳴くような声で、ようやく言葉を搾り出す。本人が一番恐れているのだから、他人が恐れないはずがない。しかもラストは、その『バケモノ』に殺されかかったのだ。
一呼吸置いて、ラストは言葉を返した。
「そりゃあ怖いけどよ……。その指輪があれば、当面は平気だとマルファス先生が言ってたぜ。ただ、それだけ傷の回復が早いって事は、お前の命が削られてるんじゃないかとは思う」
セアルは右手にはめられた指輪を見た。この護符と引き換えに、鎖をはずされた事。それを思えば鎖で繋がれる事が、深淵を抑える手段だった事は、想像に難くない。
「その指輪、女物で小さすぎるから、無理矢理はめこんどいた。ま、取れないかもしれないが、その方がいいだろ」
「……無茶苦茶するなよ……」
「それはこっちのセリフだ。勝手に敵につっこみやがって。吊り橋まで落として、どうすんだあれ」
ラストの意外な反応に、セアルは苦笑した。ともすれば涙が出そうだったが、悟られないよう吊り橋の落ちた谷へと顔を向ける。
「マルファスは……。ソウと谷底へ落ちたのか」
「そのようだな。マルファスが術符で呼び出したカラスが、お前だけ乗せて戻って来たしな」
また会えると、微笑みながら墜落していったマルファスを思い、セアルは目を伏せた。代行者なら、死ぬ事は無いのかも知れない。
だが死なないからといって、自ら他人の死を被る必要は無いのだ。
ふと横を見ると、掌大の紙片が落ちていた。複雑な幾何学図形が描かれた裏には、びっしりと古代文字が書き込まれている。
「兄さんが使っているものと、よく似てるな……」
その言葉に、何かを思い出したラストが口を開く。
「そういや、お前の兄貴ってどんな人なんだ?」
「どんな、と言われても……。自宅に図書室があって、そこにある本は全て網羅している。歴史や符術の研究、医学から薬品調合でも、何でもこなせる人かな」
「……青い目に白金の髪で、女みたいなキレイな顔してるけど、怒ると怖いとか……」
「容姿はその通りだな」
何でそんな事訊くんだ、と言いかけたセアルにラストは、いやもういいと押し留めた。その後も、ああやっぱり、などと独りでぶつぶつ言っているのが聞こえたが、セアルは無視を決め込んだ。
眠っているレンに目をやると、頬に赤みがさしてきていた。明日の朝には目が覚めるだろうと、セアルはほっとする。
夜空を見上げると、白い月が夜半を示している。そのまま横になると、気を失うように、彼は眠りについた。
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創作歴史と創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。武器戦闘をメインにしてあり、魔術はあまり描いていません。男主人公。獣耳少女と男二人で旅をします。今回は両手剣vs打刀の二刀。9121字。
あらすじ・神の箱庭・西アドナ大陸。古の神をその身に内包した少年セアルは、自らが箱庭を破壊するために作られた存在と知り、神の代行者と対立する道を選ぶ。
暴走する神の力に翻弄され、眠り続けるセアルの前に、代行者と名乗る男が現れた……。