No.471532

魔法少女リリカルなのは Broken beast

4話目

2012-08-17 18:25:56 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1395   閲覧ユーザー数:1348

 

 「つまり何か? お前は鳥の形をしてるけど実は機械で、ベルトっつう国で王様の護衛をしてたわけ?」

 

 「ベルトではなくベルカです。 貴方は一体何を縛る気なんですか?」

 

 ところ変わって一葉の自室。

 勉強机の上にチョコンと佇む一羽の鳥と対談する、間の抜ける光景があった。

 

 森で木を割ってこの鳥が飛び出てきた時、一葉は本気で妖怪の類だと思い込み、とりあえず携帯電話で写真を撮ってから知り合いに一斉送信しようとしたところ目の前の鳥に携帯電話を消し炭にされた。

 中に入っていたデータも当然、灰に帰した。

 

 「ふざけたことしないで下さい。 この世界で私の存在が知られたら、立場が悪くなるのは貴方もなのですよ」

 

 そう言われても、ただの黒い塊となった携帯電話を片手に涙を流さずにはいられない一葉が項垂れる姿が森の中でしばらく見られた。

 

 一葉の家は二階建ての一軒家だ。

 父親は大学の准教授で、母親はフリーのカメラマンをしている為生活水準は平均よりもやや高い方だ。一葉が一人っ子ということもあって八畳のフローリングの部屋を貰っている。

 

 折りたためばソファーになるベッドと、あまり服の入っていないタンスとクローゼット。そして本棚と勉強机と必要最低限のものしか置いていない一葉の部屋は片付いているというよりもどこか殺伐としていた。

 ただ、唯一の趣味として勉強机の隅に置かれた二十センチのキューブ水槽が置かれ、中には二十匹の小型の淡水フグが泳ぎ回っている。

 

 一葉は家に帰ると無地の黒いTシャツとダメージジーンズに着替え、連れ帰って鳥の尋問……もとい話し合いの場を設けることにしたのだ。

 

 驚いたことにこの鳥は自分の大きさを自由に調整できるらしく、今は一般的な中型の鳥のサイズになっている。

 机の上に置かれた、暖かな紅茶が並々と注がれたマグカップよりも一回り大きい程度だ。

 

 「かつて私と、私の主は戦闘中に虚数空間と呼ばれる亜空間の奔流に巻き込まれ地球に流れ着きました。 しかし、その時既に主は事切れており、私も魔力が枯渇していた為にまったく動けない状態であの木の根元に長い間放置されていたのです」

 

 「そんで成長した木に巻き込まれたってわけか。 何とも壮大で間抜けな話しだこと」

 

 「返す言葉もありません」

 

 一葉はとりあえず鳥に好きなようにしゃべらせてから、わからない箇所は後に聞くというつもりだったのだが、出てくる単語が初めて聞くものばかりで予想以上に時間がかかってしまった。

 

 ともあれ、話しを要約するとこの鳥は地球ではない別の世界にあるベルカという国で国王を守る為に開発されたデバイスと呼ばれる機械らしく、戦闘中に時空間の奔流に巻き込まれてしまい地球まで流れ着いたとのこと。

 

 持ち主が死に、樹木の成長に巻き込まれながらも大気中に漂う微量の魔力を取り込みながら自分の声に気がつく魔導師が現れるのをずっと待ち続け、今日ようやく見つけることが出来たという話しだった。

 今まで届くことのなかった声が、何故今日になっていきなり届くようになったのかはわからないが、この鳥が言うには最近になって急に空気中の魔力の濃度が上がったらしい。

 契約は一葉が起動パスワードを口にした時に交わされ、破棄するには相互の了承がなければ不可能とのこと。

 当然、この鳥は久しぶりの術者を逃がすはずがない。

 そして、この鳥はデバイス呼ばれる魔導師が魔法を扱う時に使用する補助機械の中で、ユニゾンデバイスというものに属し、術者と融合することによって戦闘能力を爆発的に高める機能を持っているらしい。

 本来ユニゾンデバイスは人型なのだが、護国四聖獣と呼ばれるこの黒い鳥を含めた四機だけが獣型として開発されたという話しだ。

 

 「んで、リンカーコアだっけか? それは魔導師の身体だけにある疑似器官なわけね」

 

 「はい。 マスター(仮)には魔導師たる資質があります。 飛びぬけて魔力が高いという訳ではありませんが、それでも平均よりは上のはずです」

 

 「そんな地球では役に立たない才能があるって言われても全く嬉しくないんだけど。 つーか、なんだよ“カッコ仮”って」

 

 「(仮)とは仮定の仮です。 契約は交わしましたが、私はまだ貴方をマスターとして認めたわけではありません」

 

 「なんじゃそら」

 

 一葉は紅茶を啜りながら言うと、鳥は翠の双眸を一葉の視線と絡ませて嘴を動かす。

 

 「先に言っておきますが、悪い意味でとらえないで下さいね」

 

 「善処はする。 とりあえず言ってみ」

 

 「貴方はまだ子供だからです。 いくら私を起動させる力を持っていたとしても、貴方はまだ幼く、なんの力も持っていない。 私を取るに相応しいとは思えないからです」

 

 さらに言えば一葉はまだ子供である分だけ時間と可能性が満ち溢れている。魔法の世界に足を踏み入れ魔導師としての運命に縛りつけるにはまだ早すぎる。

 

 「それに、私は兵器です。 貴方の扱い方次第では、人だって簡単に殺せる。 子供が軽い気持ちで持っていいような代物ではないのですよ」

 

 「ふぅん……正直だね、お前は。 下手に取り繕うよりも全然好感が持てるよ」

 

 「ありがとうございます」

 

 一葉は口に付けていたマグカップを置いて、言葉を続けた。

 

 「とりあえず、お前の言うとおりオレは子供だ。 だから親に扶養されてる立場であって、被扶養者のオレが何か生き物を飼いたいって言ったら勿論両親の了承を取らなければならない。 ここまでは解る?」

 

 「はぁ……」

 

「そう言うことで、一応明日両親にお前を家においていいかの許可を頂かにゃならない。 その辺は多分問題ないと思うけど、誰かに何か聞かれてもお前はペットってことになるけどそれでもいい?」

 

 「まあ、魔法文化のないこの世界ならば仕方がないのでしょうね。 貴方が平然とし過ぎて、私がこの世界では異質な存在だということを失念していました」

 

 「喋ったり、火を出したりする以前に、もう見た目が異常だけどな」

 

 今でこそ鳩ほどの大きさになっているが、本来は一葉と同じ大きさの巨体を有する鳥の見た目は鷹そのものなのだが、その羽は黒く染まっていて、それで漆黒という訳でもなく光の角度によって碧色や瑠璃色の線が走っている。

 当然こんな鳥は地球上には存在しないし、種類によっては他の生物の声を真似する鳥もいるが、自分の意思でこんなにも流暢にしゃべる鳥が世間に知れたらとんでもないことになるだろう。

 

 一葉は、出会って最初の方に写真に撮って知り合いに送信しようとしたことは失敗してよかったことなのかもしれないと思い始めた。

 それでも、炭になった電話帳の中身はもう一度聞き直さなければいけないめんどくさい作業を考えるとどうしても気持ちが億劫になってしまう。

 

 「まっ、今日はもう遅いし寝るか。 お前は……、あー。 えーと……」

 

 どこで寝る?と聞こうとして、一葉は重要なことに気がついた。

 

 「そういや、お互いの自己紹介まだだったような気がする」

 

 「ああ、言われてみればそうですね」

 

 一葉の言葉に、鳥も初めてそのことに気が付き首を小さく頷かせた。

 

 「とりあえず、オレの名前は緋山一葉。 緋山が名字で一葉が名前」

 

 「私は……、そうですね。 このあたりで心機一転して、貴方に付けてもらうのもいいかもしれません」

 

 「オレに? 最初に言ってた月の踊り子ってのは?」

 

 「あれは、いわゆる二つ名です。 と、いうわけでマスター(仮)。 私に格好いい名前をください」

 

 「いちいちカッコ仮って言うのもメンドイだろ。 一葉でいいよ。 それよか、名前ねぇ……」

 

 一葉は俯きながら手を組んで考え始めた。生き物に名前をつけるなんて初めてのことだったが、意外にもすんなりと頭に思い浮かんだ。

 

 「……ベヌウ」

 

 ポツリと、呟くように声に出してみる。

 

 「ベヌウ……ですか。 どのような意味があるのですか?」

 

 「エジプトの神話に出てくる神様だよ。 鳥の姿をしてて火の化身でもある。 まさにお前のことじゃないか」

 

 立ち上がる者の意味を持つ、死者の守り神であり再生のシンボルでもある。あれは確か太陽の化身だったが、まあ月でも似たようなものだろう。

 

 「なるほど、悪くはありませんね」

 

 鳥は猛禽の双眸を閉じると、身体からカシャカシャと機械が作動する音が聞こえてきた。

 どうやら新たに授けられた名の登録作業を行っているようで、一葉はその音でこいつは本当に機械なのだと改めて実感する。

 

 「登録が完了しました。 これから、しばらくの間厄介になります」

 

 ベヌウと、名を登録された鳥は瞼を上げ緑の双眸を一葉に絡ませる。

 森のように深緑は、見ているだけで吸い込まれてしまいそうになるほどに綺麗だった。

 

 ◆◇◆

 

 

 『僕の声が聞こえますか!? 誰か!!』

 

 「うおぉう! なんだ、なんだ!?」

 

 突然、頭の中にスピーカを埋め込まれてたかのように響く声に、一葉は片づけようとしていたマグカップを床に落としそうになった。

 

 ベヌウとの話も終わり、そろそろ寝ようかということでちょうど片づけをはじめたばかりだ。

 いつもの就寝時間を大幅に超えてしまっている為、風呂は明日の朝でもいいかなということに意識を向けていたので、大音量で響く声に一葉はひどく動揺してしまった。

 

 「ビックリした。 本当になんだ今の?」

 

 「念話ですね。 近くに魔導師がいるのでしょう」

 

 目を丸くしながら視線を彷徨わせる一葉に、ベヌウはティッシュ箱製の寝床に収まりながら言った。

 箱の中には緩衝材として、景品で当たった上等なスポーツタオルが敷いてある為、寝心地は悪くないはずだ。

 それでも近いうちにちゃんとした寝床を作ってやらなければならないだろう。

 

念話とは魔導師同士の思考を声を出さずに伝えあう無線のようなものだ。

 魔法の知識がなくともきっかけさえあれば突然使えるようになるもので、大抵の魔導師が初めに覚える初歩的な魔法だということを教えられた。

 

 ベヌウが一葉を呼んだときに使用していた魔法も、念話の亜種だ。

 無作為に、誰にでも言葉を伝えるのではなく自分を起動できる資質を持つ者だけに届くように魔力の波長を調整していたらしい。

 

 緩衝材に、景品で当たった上等なスポーツタオルを敷いているので急遽あつらえた割には案外気に行ってもらえたようで既にうつらうつらと船を漕いでいる。

 「魔導師ねぇ……。 そういやこの声ってさ、さっき話したフェレットを見つけた時に聞こえてた声なんだけど」

 

 一葉は、ベヌウを見つけた経緯として夕方に聞こえた声に誘われてフェレットを見つけたことを教えていた。

 ただ、状況だけでは何もわからず結局この話題は保留ということになったのだ。

 

 「そのフェレットが変身魔法で姿を変えている魔道師か、もしくはその使い魔なのでしょう。 助けを求めているようですが、どうしますか?」

 

 「んー……」

 

 『僕の声が聞こえる人! お願いです! 僕に力を……、少しでいいですから力を貸して下さい!!』

 

 一葉は首を捻る。

 押し出すような叫び声にはっきりとした緊迫感が帯びていた。

 明らかに厄介事の匂いがするし、そうしたことに自分から首を突っ込むほど馬鹿ではない。

 別に放っておいてもいいのだが、たった一つだけ一葉の頭に引っかかるものがあった。

 

 「あのさぁ、その念話ってのが聞こえた奴がオレの他にももう一人いてさ……。 友達なんだけど、頭にバカがつくぐらいお人好しなんだよね」

 

 「だとしたら、様子だけでも見に行きましょう。 御友人がいなければ帰ればいいですし、結界が張られているので大まかな場所は判ります。 私の背に乗っていただければすぐの距離です」

 

 ベヌウはそう言うと、ティッシュ箱の中からピョンと跳び出ると、翼を広げて窓まで移動した。

 窓枠からガラスにコツコツと嘴を当てる。

 ここを開けろということなのだろう。

 

 ベヌウは早く開けろと視線で一葉に催促する。

 だが、ベヌウと一緒に行くとしても身を守る為の最低限のものは持って行きたかった。

 

 「ちょい、待ち。 持っていきたいものがあんだ」

 

 「早くして下さい。 こうしている間にも御友人が巻き込まれている可能性があるのですよ」

 

 わかってるよ。と言いつつ、一葉は机の一番上の引き出しを開けて紺色の麻包みを取り出した。

 紫の組紐で止められた麻包みは筆箱と同じぐらいの大きさで、ずっしりとした重量感が一葉の手に乗る。

 

 これは一葉にとってこの世界で唯一の、そして最強の武器だ。

 この平和な世の中で使うことは一生ないと思っていた。もしかしたら杞憂で済むかもしれないが、用心をすることにこしたことはない。

 

 だが、一葉は気がついていなかった。

 この日、この時に緋山一葉にとっての終わりが始まったのだということに。

 

 

 ◆◇◆

 

 死の恐怖はただ一つ。それは明日が来ないということだけだ。

 

 フェレットを腕に抱えたまま疾走するなのはの脳裏にそんな一節が思い浮かぶ。

 燻ぶるように胸を焦がす焦燥と恐怖が、意識とは関係なしに足を動かさせた。

 

 圧倒的な存在感がなのはの背後から迫って来る。突き刺さる視線に牙が生えているようだ。

 埃をむりやり一つにくっつけたかのような黒い靄の塊は、アスファルトやコンクリートを砕く轟音を静寂に包まれる夜の街に響かせながら、まるで飢えた獣が獲物を追いかけ回すかのように執拗になのはを狙っている。

 

 あれが、一体なんなのかわからない。

 

 わからないからこそ恐ろしかった。

 ただ、あのあまりに凶悪な存在に捕まってしまったら腹を裂かれ、内臓が舌の上を転がるような様を想像せずにはいられなかった。

 

 

 なぜ、こんなことになってしまっているのだろうか……。

 

 就寝時間になって、電気の明かりを消してベッドにもぐりこんだ。そこまではいつも通りだった。

 しかし、その直後。直接頭に響く助けを呼ぶ声がなのはを呼んだのだ。

 放課後に聞こえてきた時よりも近く、はっきりと聞こえる声は必死に助けを求めていて、その声は確かに自分に聞こえていて、なのはは気がついたら家を飛び出していた。

 

 街灯と月明かりを頼りに声がより大きく聞こえる方へ足を進めていく内に、その道は今日の放課後に歩いたばかりの道だということに気がついた。

 

 頭に響く助けを求める声は動物秒品の方角から聞こえてくる。なのはがそう確信した時、死んだかのように静まり返る夜の街に大気を震わせる音が弾けたのだ。

 

 なのはは、その音に一瞬身体を強張らせる。

 これ以上進むかどうか逡巡するが、足の速度を緩めながらも音のした方向に続く最後の曲がり角を曲がる。そこで視界に入ったのは自分の知っている街ではなかった。

 

 爆弾が落とされたかのように舗装されたアスファルトが剥がされ地面が剥き出しになっている。

 規則的に並べられ、道路を形作っていたブロック塀は粉々に砕かれていて、海鳴市特有の青く塗装された街灯は力ま変えに折り曲げられたかのようにひしゃげ、電気が爆ぜる音を神経質に鳴らしていた。

 

 まるで、戦場だ。

 こんな光景、テレビの中のドラマや映画でした見たことがない。

 

 そして、その中心にいるなにか。

 

 黒い靄にクラゲの触手をくっつけたかのような不格好ななにかが空気を裂く奇声を上げながら、ちょろちょろと逃げ回る小動物に襲いかかっていた。

 小動物にぶつけようと触手を振り回すたびアスファルトが砕かれ、街灯がなぎ倒される。

 

 余りに暴力的で非現実的なその光景になのはは足を竦ませた。

 

 生命の根幹にある生存意識が頭の中で、ここから早く逃げろという警鐘をガンガンと鳴らす。

 アレは危険だ。

 理屈抜きに頭がそう理解した。

 なのはは無意識のうちに一歩後ずさる、と踵にカツンと硬いものが当たった感触がした。

 

 カラン、カランと乾いた音を上げて転がるのは砕けたコンクリートの破片だ。

 今まで耳をふさぎたくなるほど空気を振動させていた音が響いていたのに、なぜか小石の転がる音微かな音が世界中に響いたかと思えるほど大きく聞こえた。

 

 音が鳴りやむ。

 なのはの耳に長い音の余韻が残る。

 

 黒い靄の塊はギョロリとした赤い双眸をなのはに向けた。

 目と目が合う。

 ヘビが身体中に絡まるようなねっとりとした視線に、なのはの背中に気持ちの悪い悪寒が無遠慮に駆け巡り汗が流れる。それがたちまちに凍りつくように冷えて、なのはの身体から温度を容赦なく奪っていく。

 だが、身体の芯から底冷えするような震えは寒さから来るものでは決してなかった。

 

 これが夢であればいいと思う。

 しかし肌を切る冷たい夜風が、鼻につく土埃の匂いが間違いなく今起こっていることが現実だと知らしめる。

 

 ぽふ……、と胸を打つ軽い衝撃になのはは我に返った。

 

「走って!」

 

 同時に耳に届く叫び声。

 いつの間にかなのはは、訳のわからない状況に思考を停止し空気に飲み込まれてしまっていた。

 そんな空気を振り切るように、踵を返して全力で走りだす。

 このまま見逃してくれないだろうかという、藁にもすがりたくなるような淡い期待は、文字通り泡のように脆く消え去った。

 

 靄は咆哮を上げ、路地を破壊しながらなのはを追いかけはじめたのだ。

 

 「ありがとうございます。 来てくれたんですね」

 

 腕の中から声がする。

 そこで、なのはは初めて自分の腕にかかる重力に気がついた。

 中に収まるのは、夕方拾ったフェレットで……、え?

 今、この子喋った?

 

 「すみません……、巻きこんでしまって……」

 

 「ふぇ? えぇ!? フェレットさんが喋った!?」

 

 聞き間違いじゃない。間違いなく話しかけているのは翠の瞳をなのはに向ける腕の中にいるフェレットだ。

その事実に背中を突かれたような驚きが心臓に走るが、今はもはやそれどころではない。

 背後から迫りくる圧倒的な存在感が、街を壊す音と共に徐々に近づいてくる。

 今、どれほどの距離があるのかなんて怖くて振り返ることもできない。

 

 なのはは足が速い方ではなく、それでもまだ逃げ続けられているということはあの靄はなのは以上の鈍足なのかもしれないが体力が尽きれば直ぐに追いつかれてしまうことなんて誰にでもわかる。

 

 「ねえ! アレなに!? 一体なにが起きてるの!?」

 

 絹を裂くような悲鳴を上げながら走り続けるなのはの頭の中は既にいっぱいいっぱいで、混乱だけが頭の中でグルグルと渦巻いていた。

 

 「それは……、後で説明します。 今は力を貸して下さい」

 

 「力!?」

 

 気持ちも頭の中も切羽詰まっているせいで声が大きくなってしまうなのはとは対照的に、フェレットは落ち着いた声で言葉を続ける。

 

 「はい。 魔法の力です。 貴女にはその資質があります」

 

 「魔法の、力!?」

 

 息を切らしながら、なのはは叫ぶようにしてフェレットの言った言葉を繰り返した。

 魔法って何!?

 それってアニメとかおとぎ話の中の話しじゃないの!?

 なのはの息はもう限界まで上がり、口から入り込む冷たい空気が喉と肺を凍えさせ脇腹に鈍い痛みが広がってゆく。

 

 頭に響く声に誘われて訪れた場所には黒い化け物が暴れ回っていて、フェレットが喋り出して、そのフェレットが自分には魔法の力があると言い出した。

 もはや、なにがなんだかわからない。

 考えることを放棄してしまいたいとさえ思った。

 

 それでも夢であれ現実であれ、どの道後ろから迫りくる脅威から逃げ切らなければならないことには変わらない。

 

 背中に空気の振動が伝播する。背中から圧迫感が近づいてくる。そして圧迫感がなのはの足を裂き、バランスを崩し地面の上で身体を回転させた。

 砕けて飛び散ったアスファルトの破片が、なのはの足を掠めたのだ。

 視界を急速に回転させながら、なのはは咄嗟に腕に抱いていたフェレットを庇うように包み込んだ。

 身体がアスファルトに擦りつけられる。

 目の前に火花が散るような激痛の中、なのはは直ぐに起き上がろうとして、できなかった。

 

 黒い靄は、気がつけばもう逃げられない距離にまで迫っていた。

 

 「あ……、あ……、あぁぁぁぁ……」

 

 腰が抜けてへたり込む。立ち上がることさえできない。

 逃げる気力を失ったなのはに、靄は追いかけるのをやめて獲物を追い詰めた獣のように慎重に、そして確実になのはとの距離を詰めてくる。

 

 「立って!!」

 

 腕の中でフェレットが叫ぶ。

 だが、恐怖に麻痺したなのはの耳にその声が届くことはない。

 化け物と視線が絡み合う。

 動かなければいけない……、そう考えているのに膝は微かに震えるだけでなのはの意思に従おうとはしない。

その目を見ただけで視界は恐怖に濁り、足は竦み、心はたやすく屈服する。

 

 自分はここで死ぬ。そう、思った。

 

 なのはは、一点にとどまった視界を見続ける。そこから何かを得ようとはせず、ただ見ているだけだ。

 靄は足のない身体を器用に動かして、黒く長い触角を目標に定める。

 

揺らめく空気が、頬を撫でる。

 

ああ、呆気ない。これで終わりだ。

 

 なのはは自らに襲いかかる運命を受け入れて、目を閉じた。

そして、瞼の裏に今までの自分の思い出が浮かび上がってきた。

これが走馬灯というものなのだろうか。

過保護だけど、大好きな家族。灰汁が強いけど、仲の良い友達。親友を作るきっかけを与えてくれた、一人の少年。

 

強い癖の入った黒髪が特徴的なその少年はクラスでも、それどころか学校全体を見回してもどこか浮いていて、例えるなら新緑の森に一本だけ生える老木のような違和感があった。

だけど、それは嫌なものではなく側にいると心地が良くて雨の後の森のような安心感を与えてくれていた。

気がつけば、いつだってその少年を目で追っていたのだ。

 

「死にたく……ない……」

 

大気の波に身体を声を震わせながら、なのははポツリと呟いた。

 

「たす……けて……」

 

死にたくない。

 まだ、みんなと一緒にいたい。

 まだまだ、生き足りない。

 少年の顔が脳裏に浮かんだ瞬間、煮立った鍋のような激しさでそんな思いが浮び、叫んでいた。

 

 「助けてよ! 一葉くん!!」

 

 刹那、なのはの目の前は漆黒に染まった。

 

 

◆◇◆

 

 なのはを襲ったのは身を突き抜けるような熱風だった。

 大気を灼きながら渦巻く黒い炎は渦巻く暴風となって黒い靄を吹き飛ばす。

 そして瞬間の間になのはと靄との間を遮り、揺らめく炎の壁となり抉られたアスファルトの上で燃え上がる。

 極限まで追いつめられたなのはの目には、見たことのない色の炎。漆黒の炎は恐怖よりも、むしろ美しさを感じさせるものだった。

 

 「バッカ! やり過ぎだ! なのはに当たったらどうするつもりだったんだよ!」

 

 「そんなヘマは犯しませんよ。 大気の温度、湿度、風向、その他諸々を計算し、調整したうえで撃ちましたから。 多分ですけど」

 

 「多分ってなんだ! 多分って!」

 

 「……え?」

 

 ぼんやりとした思考で、なのはは目の前で起こったことを茫然と眺めていたら不意に上空から聞き慣れた少年の声と、聞いたことのないソプラノ調の女の人の声が聞こえてきた。

 それは自分の恐怖と妄想が作り出した幻聴ではないかと一瞬疑ったが、力強い羽ばたきに風を起こしながら舞い降りてきた、大きな鳥の背に乗った少年の姿がそれが現実であるということを教えてくれた。

 

 「でも、なんとか間に合ったのです。 そこら辺は評価してください」

 

 「ったく……。 ギリギリだったじゃんかよ」

 

 こんな異常な状況の中でも、いつも通りの様子で鳥の背中から飛び降りる一葉の姿を見て、なのはは胸が苦しくなって目尻に熱いものが溜まって来るのを感じた。

 

 「大丈夫だった、なのは? つーか、アレなに? どういう状況なわけ?」

 

 一葉が腰に手を当て、揺らめく黒い炎の先を見据えなえながら尋ねてくる。

 炎が壁になり、なのはを追いかけていた黒い靄の塊の姿は見えなかったが、それでも炎を越えようともがく低い咆哮が夜の空に轟いている。

 

 なのはは、今にも一葉に抱きつきたい衝動を抑え込みながら安堵に口の端を上げて小さな笑みを浮かべた。

 

 「えへへ……、ホントに……、来てくれた……」

 

 一葉が来たことで、緊張の糸が切れたなのはの瞳から透明な滴が流れる。

 

 「あの……、貴方は……?」

 

 突然の乱入者に、なのはの腕にいたフェレットが戸惑う声で尋ねる。振り返ると、意思を持った、窺うような仕草に一葉は一瞬だけ目を丸くして、直ぐに納得したように頷く。

 

 「鳥の次はフェレットかい……。 まあ、いいや。 とりあえず、質問は全部後回しにしてアレをどうにかしたいんだけど」

 

 一葉は未だに地面にへたり込むなのはと視線を合わせる為にしゃがみ込み、親指で炎の先を指差した。

 

 「一葉、おそらくアレには実体はありません。 こうして足止めは可能ですが、私の炎で焼き切ることは不可能です」

 

 「だ、そうです。 悪いけど手短に頼むわ」

 

 「はっ、はい!」

 

 ベヌウは、自分が吹き飛ばした靄の手応えから事実だけを伝える。その口調は淡々としているが、視線はナイフのような鋭さで炎の先から外すことはしなかった。

 

 フェレットはなのはの腕からスルリと抜け出すと、一葉を見上げて視線を合わせる。

 

 「あれは、ジュエルシードというロストロギアが作り上げた思念体です。 僕はそれを封印しに来たんですが……、力が足りなくて……。 だから、魔法の資質のある人を探していたんです」

 

 「ロストロギアやら、ジュエルシードとやらは後で詳しく聞くとして……、要するにこの辺で魔法を使える奴を呼んだらオレとなのはが来たってわけだ」

 

 「はい……」

 

 色々と巻きこんでしまったことに責任を感じているのか、フェレットは暗い表情をして俯いてしまった。

 そうしている間にも、靄はベヌウの作り上げた炎の壁を触手で払いながら無理にでも特攻してこようとする。

 すかさずベヌウは翼の先端に炎を走らせ、それを叩きつける。

 強い風を生み出しながら襲いかかる強い衝撃に、靄は一瞬たたらを踏みながらも再び炎の壁に押し込まれた。

 

 「あんな化け物、オレらみたいな小学生に封印しろと? 無理に決まってんだろが」

 

 「ちなみに私のもできませんよ。 封印術式を持っていませんので」

 

 それは何となくわかる。

 ベヌウが製造された理由は国王を守るためであって、その他の機能はつけられていないのだろう。

 そして、なのはも一葉も封印というもののやり方どころか存在すらも知らない。自然と一葉の思考は、あの靄を力づくで叩き伏せる方向へと移っていた。

 

 だが、フェレットは一葉の意見に首を横に振った。

 

 「出来ます。 貴方たちの魔法の力と、このレイジングハートがあれば」

 

 フェレットはそう言うと、首輪に付けていた赤い宝石を小さな前足で器用に取り外し、二人に見えやすいように掲げた。

 

 「綺麗……」

 

 ビー玉ほどの大きさの深紅の宝石を見て、なのはは漏らすようにポツリと呟いた。

 

 「一葉……」

 

 ベヌウの声が挟み込む。

 レイジングハートと呼ばれた宝石に目を奪われていたなのはは、ハッとした表情でベヌウを見た。

 

 「ねっ、ねえ! 一葉くん! この鳥さんなに!?」

 

 「後で説明する。 なに?」

 

 お下げをピコピコさせながら騒ぐなのはを無視して、一葉は腰を上げベヌウを見た。

 猛禽の双眸は真っすぐと揺らめく炎の向こう側を見据えたまま、ベヌウは嘴を動かす。

 

 「このままではキリがありません。 ユニゾンしてさっさと終わらせてしまいましょう」

 

 「ヤダ」

 

 ベヌウの提案を、一葉は一拍も置かずに却下した。

 

 「……一応、理由を聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 ベヌウが硬い声で質問する。

 

 「さっきの説明の中でユニゾン事故ってのがあったろ。 今、ここでそれが起きたらシャレにならんし、ぶっつけで使ったことのない武器を使い程肝も据わってないもんでね」

 

 ユニゾン事故とは、デバイスと術者の適合率が低かったり、その他の要因で起こったりする事故のことだ。

 それが起こった場合、本来ならば術者を強化させるはずのユニゾンが逆効果になってしまったり、意識が乗っ取られ暴走してしまうことがある。

 もし、そんなことがこの場で起きてしまえば取り返しのないことになってしまうだろう。

 

 「しかし……、ではどうするつもりなのですか? 主に、久しぶりのユニゾンができると思い、上がりに上がった私のテンションとか」

 

 「その辺は是非とも別の機会に取っといて。 おい、フェレット。 そのレイジングハートってのはなのはにも使えるんだよな?」

 

 「え? はい、使えるはずです」

 

フェレットにその旨を確認すると、指を組んで背筋を伸ばした。短くはない時間ベヌウ乗せに捕まっていたせいで、強張ってしまっていた筋肉をストレッチでほぐし始めた。

 

 「オレ、ちょっと囮になって来るからその隙にちゃっちゃと封印してくれ」

 

 「囮って……、ええぇぇ!? ダメだよそんなの! 危ないよ!」

 

 「少女の言うとおりです。 危険すぎます」

 

 なのはとベヌウが制止の言葉は正しい。それでも一葉は落ち着いた振舞いで、部屋を出る前にズボンにしまった麻袋を取り出し、組紐を解いた。 中に収められていたのは銀糸の束。鍼治療で使用される、大量の鍼だった。一本、一本が髪の毛ほどの太さしかない極細の針が、僅かな光に反射して鈍く輝いている。

 

 「心配ならさ、ベヌウもついてこいよ。 アイツで少し確かめたいことがあるんだ」

 

 一葉がそう言うと、場の空気が変わった。

 そうとしか言いようがないほどの違和感が、ベヌウだけでなくなのはとフェレットにも襲いかかる。

 まるで奈落の穴を覗く込んだかのように腰が浮く感覚。それを作り出しているのは、間違いなく一葉だった。

 なのはの額には嫌な汗が浮かび、身体が小さく震えていた。

 

 「フェレット。 早めに準備終わらせてくれよ」

 

 一葉はそう言うと、地面を蹴って炎の壁に向かって駆け出した。

 ベヌウも慌てて翼をはためかせて、その背を追う。

 残されたなのはとフェレットは、呆然と少年と鳥の後姿を見送った。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 「想像してください! 貴方が魔法を制御する杖と、身を守る強い服を!!」

 

 「とっ、とりあえずこれで!」

 

 迸る桃色の光の中で、フェレットの言葉になのはが咄嗟に思い浮かべたのは普段着ている聖祥の制服をアレンジしたものだった。

 頭の中で思い描いたイメージが形となり、レイジングハートから織りなされる生地がなのはを包み込み、弾けるような光が天を衝く。

 巻き上がる砂埃。

 

 「成功だ……」

 

 砂によって遮られた視界が、緩やかな風に飛ばされて拓け、そこに佇むなのはの姿を見てフェレットは目を輝かせながら呟いた。

 

 白を基調にした青いラインの入ったジャケットとロングスカート。指抜きのグローブとミリタリーブーツ。そして、手には杖頭にある紅玉を金輪で囲った杖が携えられている。

 

 バリアジャケット。

 魔道師を守る鎧だ。布地が主になっているが、それには魔力が編み込まれており強度は見た目よりも遥かに魔法の服。デバイスを起動させることによって生み出されるバリアジャケットは当然、魔法の資質がある人間にしか扱えず、同時にバリアジャケットを展開させなければ、暴走体も封印することができない。

 

 「へぇ!? ええ!?」

 

 そして、当の本人は困惑の渦中にいた。

 

 「なっ、なんなのこれ!?」

 

 なのはは自分の身体を見回す。今まで着ていたオレンジのトレーナーやデニムのスカートが、頭の中でイメージしていた服に変わっていた。

 その風体は、まさに魔法少女と呼ぶに相応しいものだった。

 それでも、驚きの波は引かないまでもなのはは直ぐに一葉のことに意識を向けた。今、こうしている間にも、あの炎の壁の向こうで自分達の為に時間を稼いでいるのだ。

 あの大きな黒い鳥も一緒にいるが、それでも危険であることには変わりがない。

 

 早く行かなきゃ!

 

 なのはが一葉達のいる先に向かおうと足を踏み込んだ瞬間、ゴウ、と空気を砕く音を上げながら大きなコンクリートの塊がなのはの顔面めがけて飛んできた。

 

 「きゃあ!」

 

 なのはは咄嗟にレイジングハートで腕で顔を保護する体制をとる。すると、レイジングハートのコア、紅玉の部分に文字が光り浮かび上がる。

 

 __ Protection.

 

 機械変性された女性の声がレイジングハートから響く。すると、半透明の膜が障壁となりなのはを中心とした一帯を覆った。

 すると、コンクリートの塊は膜にぶつかった瞬間、衝撃に耐えられなかったコンクリートは乾いた音を立てて、砕け、四散した。

 それでも砕けたコンクリートはその勢いを殺さずに、罅割れたアスファルトやブロック塀に突き刺さり、電信柱を叩き折る。

 倒れる電信柱に引っ張られ、千切れる電線はバチバチと音を立てながら地面に落下した。

 

 その光景を見て、なのははサッと血の気が引いた。

 

 こんなにも簡単に道路や塀を壊す威力で飛んできたコンクリートが、もしあのまま自分に直撃していたら……。

 脳裏に浮かんだのは、潰れたトマトのようにグチャグチャになった光景。だが、それは自分ではなく、一葉の姿だった。

 

 あんな場所に一葉がいる。

 なのはにとってそのことが、自分が傷つくよりもずっと恐ろしく思えた。

 

 「僕らの魔法は“発動体”と呼ばれるプログラムに組み込まれた方式で、その方式を発動させるには術者の精神エネルギーが必要になります」

 

 フェレットはなのはの肩にスルスルと昇ると耳元で魔法の説明を始めた。

 本当は今すぐにでも飛んでいきたいという焦燥の想いが心を焦がすが、それでもここで封印の仕方や魔法に関して少しでも聞いておかなければならないという理性は残っている。

 ゲーム好きななのはは、説明書を読まずにゲームを始めることほど愚かしいことはないと知っていた。

 

 「そして、あれは忌まわしい力を基に生み出されてしまった思念体。 アレを落ち着かせるには、その杖で封印して元の姿に戻さないといけないんです」

 

 「よくわからないけど……、これで一葉くんを助けることができるんだね?」

 

 なのははレイジングハート……、元はただの赤い宝石が姿を変えた杖を掴んだ手にギュッと力を込めた。

 踊るように揺らめく黒い炎の向こう側では、まだ硬いものが砕ける音が大気を揺るがしている。

 

 「今みたいに攻撃や防御といった基本的な魔法は心に願うだけで発動しますが、より大きな魔力を必要とする魔法には呪文が必要になるんです」

 

 「呪文?」

 

 「はい、そうです。 目を閉じて心を澄ませてください。 そうすると貴女の心の中に呪文が浮かんでくるはずです」

 

 言われて、なのはは瞼を下ろす。

 遮ることがなにもない暗闇の中で、一葉を案じる気持ちが急いているというのに、不思議とすんなりと穏やかな精神の境地に入ることができた。

 

 そして、耳を澄ませば聞こえてくる。

 山奥の静かな湖面に、水が打つような静かな響きが、なのはの鼓膜に入り込んでくる。

 

 しかし、その刹那。今までと違う質の咆哮が聞こえたかと思うと、辺りは全ての音が死んでしまったかのように静まりかえってしまった。

 なのははハッとなって瞼を上げる。だが、その視線の先は変わらず炎の壁が遮っていて向こうの様子を知ることはできなかった。

 

 まさか……。

 

 言葉にしたくないような不安が、虫が這いあがって来るかのように首筋にまとわりつく。

 指先が痺れて、唇が小刻みに震える。

 

 フェレットが耳元で何か言っているが、今のなのはには不安に脈打つ自分の心臓の音しか耳に響かなかった。

 

 なのはは息を呑む。

 どうか、この嫌な予感が当たりませんというようにという、神に懇願する祈りはモーゼ野海のように真ん中を中心にして割れる炎の壁の先に見えた光景によって裏切られることとなった。

 風に乗り、飛沫になって散る炎。

 その先にあったのは、原形をとどめていない住宅地の道路。その上に佇む少年と黒い怪鳥。そして無数の剣に串刺しにされている、黒い靄だった。

 

 「……え?」

 

 「……ッ!?」

 

 余りに予想外の出来事に、なのはは頓狂な声をこぼし、フェレットは驚愕に喉を絞らせた。

 

 「準備終わったの?」

 

 「へ……? あ、ううん……。 もう少し……」

 

 口を開けて惚けているなのはに、一葉はいつもの口調で話しかけてきた。

 

 「それなら、早く終わらせてくれ。 こいつ、切っても切っても再生するんだ。 流石に疲れてきた」

 

 「うっ……うん」

 

 鷹揚のない、一葉の平坦な声になのはは呪文を得る為に再び視界を闇に落とし、耳を集中させた。

 それでも、心の中ではあらゆる疑問が生まれては渦巻きなのはを乱していった。

 

 あの剣はなに?

 

 これは、一葉くんがやったの?

 

 どうやったの?

 

 まるで昆虫の標本のように地面に縫いつけられた黒い靄。一葉の台詞からして、あの惨状を作り上げたのは一葉自身に違いない。だが、丸腰だったはずの一葉がいったいどうやったのかまではわからなかった。

 滾々と湧き出る疑念を押し込むように、なのはは自分の心を集中させようと必死に努める。

 今自分がすべきことはあの靄を封印するべきことなのだから、と。すると。耳の奥をくすぐるように一節の言葉がなのはの中に入ってきた。

 

それが、フェレットの言っていた封印の呪文だ。なのははそう確信して、迷わずに小さな唇を動かし声を張り上げた。

 

「リリカルマジカル!」

 

 なのはの声にフェレットが続き、封印するべき器の名前を叫ぶ。

 

 「封印すべきは忌まわしき器! ジュエルシード!!」

 

 __Sealing mode. Set up.

 

 レイジングハートの音声が響く。なのはは杖頭を地面に縛りつけられた靄に向けると、レイジングハートの口金が弾け、桃色の翼が広がる。さらに翼は形状を変え、無数の帯となり靄に襲いかかった。

 桃色の帯は既に動かなくなっている四肢をさらに縛り付けると、黒一色だった靄の額にXXIという押されたばかりの焼印のように赤い文字が浮かび上がる。

 

 __Stand by Leady.

 

 「ジュエルシードシリアルXXI! 封印!!」

 

 __Sealling.

 

 なのはが叫ぶと無数の光が靄を貫く。最後の断末魔が、静かな夜の住宅街に木霊とともに光の粒子となって大気に散っていった。

 靄の姿がなくなると、突き刺さっていた剣はカランという音は立てて地面にぶつかると、靄同様に消えていった。

 最後に残ったのは、銃撃戦の後のような凄惨な光景だけだ。

 

 「おろ?」

 

 砕けたアスファルトの隙間に、一葉は青く光るものを見つけた。しゃがんで拾おうとする一葉に、フェレットが慌てて制止する。

 

 「触らないで!!」

 

 押し出すような叫びに一葉は反射的に出した手を引っ込め、なのはは耳を押さえた。

 

 「急に叫んでしまってすいません。 でも、それは触ると危険なんです」

 

 フェレットはなのはの肩から服を伝って器用に地面に降りると、視線でなのはについてくるようにと促した。

 なのははフェレットの後について、捲れ上がったアスファルトの上を危なっかしく歩く。

 

 「これがジュエルシードです。 レイジングハートで触れて」

 

 そこには淡い青色の光を放つ、小さな菱形の宝石が落ちていた。

 なのはは言われたとおりに、レイジングハートの先で触れようと近づけると、ジュエルシードの方から引きあう磁石のように近づいてきた。

 そのまま、ジュエルシードはレイジングハートのコアに溶けるように消えていく。

 

 __Receipt number XXI.

 

 レイジングハートがジュエルシードの封印を確認すると、なのはの内側から淡い桃色の光が粒となって沸き上がり、白いバリアジャケットは元のトレーナーに、レイジングハートも杖から小さな宝石に戻った。

 

 「あれ? これでお終い?」

 

 あれだけの騒動であって、封印がこんなにあっさり終わってしまったことに、なのはは拍子の抜けた声を漏らした。

 

 「はい、二人のおかげで……。 ありがとう……」

 

フェレットはそう言うと、そのまま力尽きたように倒れてしまった。

 

 「えっ!? ちょっ、ちょっと! 大丈夫!?」

 

 なのはが突然倒れ込んだフェレットを狼狽しながら抱き上げる。呼吸は落ち着いていて、ただ意識を失くしただけのようでなのははホッと胸をなでおろす。

 

 「あの……、お二人ともよろしいでしょうか?」

 

 一葉の隣にいたベヌウが窺うような声色で二人に声をかけた。

 

 「そのフェレットが気を失った為だと思われますが、ここ一帯を覆っていた結界が解かれました。 早くこの場から離れた方がよろしいかと……」

 

 結界?

 

 聞き慣れない言葉になのはは首を傾げたと同時に、遠くの方からサイレンの音が木霊してきた。そして、その音は徐々に近づいてきている。

 

 なのはと一葉は、一度顔を見合わせて今の状況を確認する。

 

 所々がクレーターになり、蜘蛛の巣のように亀裂が走っている。敷地を区分する役割を持つブロック塀は粉々に砕け、倒れた電信柱のから千切れた電線が神経質に電気を迸らせていた。

 

 「……もしかして、私たちここにいると大変アレなのでは」

 

 頬をひきつらせて不格好の笑みを浮かべるなのはの額には冷たい汗が噴き出ていた。

 

 「……その意見に激しく同意する」

 

 そもそも、こんな夜中に子供が二人で出歩いている時点で補導の対象だ。もし見つかったら家にも学校にも連絡がいくだろう。

 

 なのはと一葉は再び顔を見合わせると、しっかりと、力強く頷き合う。

 言葉はなくとも意思の疎通はできるのだ。

 

 逃げよう!と。

 

 「とりあえずごめんなさ~い!!」

 

 二人はサイレンの音で騒がしくなり始めた夜の街から逃げだすために走りだした。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 
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