第一話
俺は異常な状況にもかかわらず、仮想世界の美しさに言葉が失った。
直後。
世界はその有りようを、永久に変えた。――byキリト
茅場『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
俺は咄嗟の状況にもかかわらず冷静でいられた。
〈私の世界〉と言ったが今更それを宣言してどうしようというのだ。
つまり、アイツは・・・
茅場『私の名前は茅場 晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。』
キリト「やっぱり・・・」
彼の名を知らない者はこのゲーム内にいないだろう。
数年前まで数多ある弱小ゲーム開発会社のひとつだったアーガスが、最大手と呼ばれるまでに成長した原因は、若き天才ゲームデザイナーにして量子物理学者の茅場 晶彦がこのSAOの開発ディレクターであると同時に、ナーヴギアそのものの基礎設計者でもあるからだ。
キリトの場合は彼に強い憧れを抱いていたから余計にショックが大きいのだろう。
そして、茅場 晶彦は言葉を続けた。
茅場『プレイヤー諸君は、既にメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、〈ソードアート・オンライン〉本来の仕様である。』
クライン「し……、仕様、だと」
クラインが割れた声でささやいた。
その語尾に被さるように、滑らかな低音のアナウンスは続いていく。
茅場『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない。』
茅場『・・・また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もしそれが試みられた場合――――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊かし、生命活動を停止させる。』
クラインは、隣でたっぷり数秒間、呆けた顔をこちらに向けてきた。
俺はまだ冷静でいられたが流石に脳を破壊する。つまり、殺すということだ。
彼は、ナーヴギアの電源を切ったり、ロックを解除して頭から外そうとしたら、着装しているユーザーを殺すと、そう宣言したのだ。
ざわ、ざわ、と集団のあちこちがさざめく。
しかし、まだ叫んだり、暴れたりする者は居ないようだ。
まだ、理解ができていないのか。
はたまた、理解することを拒んでいるのか。
クライン「はは・・・なに言ってんだアイツ、おかしいんじゃねぇのか。んなことできるわけねぇ、ナーヴギアは・・・ただのゲーム機じゃねぇか。脳を破壊するなんて・・・んな真似ができるわけねぇだろ。そうだろキリト!」
後半はかすれた叫び声だった。
食い入るように凝視されたものの、俺は首を横に振った。
キリト「確かに、可能だ。
電子レンジと同じ容量で俺たちの脳細胞中の水分を振動させれば、摩擦熱によって蒸し焼きにできる。」
クライン「でもよ・・・無茶苦茶だろそんなの!瞬間停電でもあったらどうすんだよ!!」
俺たちの会話を聞いていたかのように、上空から茅場のアナウンスが再開された。
茅場『その通り。より具体的には、10分以内の外部電源の切断、2時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解や、破壊の試みーー以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局及びマスコミを通して告知されている。
因みに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果』
いんいんと響く金属質の声は、そこで一呼吸入れ。
茅場『――――――残念ながら、すでに213名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している。』
何処かで、ひとつだけ細い悲鳴が上がった。
しかし、他のプレイヤーの大多数は信じたくない、又は信じられないようで、ぽかんと放心したり、薄い笑みを浮かべたまま微動だにしなかった。
俺もまた、脳では茅場の言葉を受け入れたが、やはり何処かではまだ受けきれてなく震えている人も大勢いる。
茅場の言葉が本当なら―――二百人以上も、この時点でもうしんでいることになる。
その中には、きっと俺と同じベータテスターもいただろう。キャラネームやアバターの顔を知ってる奴だっていたかもしれない。
そいつが、ナーヴギアに脳を焼かれて――――死んだと、茅場はそう言いたいのか?
すると、隣からどすんと音がした。
大方、クラウンが座り込んだろう。
無理もない。この現実を理解して平常心を保てるのは並大抵のものではないだろう。
クライン「信じねぇ……信じねぇぞオレは。」
石畳に座り込んだクラインが、嗄れた声を放った。
クライン「ただの脅しだろ。できるわけねぇそんなこと。くだらねぇことぐだぐだ言ってねぇで、とっとと出しやがれってんだ。
いつまでもこんなイベントに付き合ってられるほどヒマじゃねぇんだ。
そうだよ……イベントだろ全部。オープニングの演出なんだろ。そうだろ。」
プレイヤー達の望みを薙ぎ払うように、あくまでも事務的な茅場のアナウンスが再開された。
茅場『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。
現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。
諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。
今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま2時間の回線切断猶予時間の内に病院その他施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。
―――諸君には、安心して・・・ゲーム攻略に励んでほしい。』
キリト「な・・・・・・」
そこでとうとう、俺の口から鋭い叫びが迸った。
キリト「何を言ってるんだ!ゲームを攻略しろだと!?ログアウト不能の状況で、呑気に遊べってのか!?」
俺はそこで一度区切り大きな声で
キリト「こんなの、もうゲームでも何でもないだろうが!!」
と、またしてもその声が聞こえたかのように。
茅場昌彦の、抑揚の薄い声が、穏やかに告げた。
茅場『しかし、充分に留意してもらいたい。
諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もうひとつの現実と言うべき存在だ。・・・今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。
ヒットポイントが0になった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に』
続く言葉を俺は鮮やかに予想した。
茅場『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される。』
ヒットポイント。命の残量。
これがゼロになった瞬間、俺は本当に死ぬ――――マイクロウェーブに脳を焼かれて即死すると、茅場はそう言った。
キリト「……馬鹿馬鹿しい。」
俺は低く呻いた。
そんな条件で、危険なフィールドに出る奴がどこにいる。プレイヤー全員、安全な街区園内に引きこもり続けるに決まっている。
だが、あの男がこれを予想しているはずだ。
そして、あの男は俺の、あるいは全プレイヤーの思考を読み続けているかのように、次の託宣が降り注いだ。
茅場『諸君がこのゲームから開放される条件は、たったひとつ。
先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第100層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。
その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう。』
しん、と1万人のプレイヤーが沈黙した。
この城、とはつまり―――俺たちを最下層に呑み込み、その頭上に九十九もの層を重ねて空に浮かび続ける巨大浮遊城、アインクラッドを攻略しろと言うことなのだ。
つまりは第100層を意味しているのだ。
クライン「クリア……第100層だとぉ!?」
突然クラインが喚いた。がばっと立ち上がり、右拳を空に向かって振り上げている。
クライン「で、できるわきゃねぇだろうが!!βじゃろくに上がれなかったって聞いたぞ!!」
その通り。
千人ものプレイヤーが参加したβテストでは、2ヶ月で僅か6層までしかクリアできなかった。
今、約1万人がダイブしている中でクリアするまでにどれくらいかかるのか。
だが、俺は内心では茅場の挑戦を(やってやろうじゃん)と思っていた。
その時、赤いローブが右手袋をひらりと動かし、一切の感情を削ぎ落とした声で告げた。
茅場『それでは、最後に、諸君らにとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。
諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え。』
それを聞くや、ほとんど自動的に、俺は右手の指二本を揃えて真下に向けて振っていた。
メインメニューからアイテムストレージを見て、茅場からのプレゼントを手にとった。
アイテム名は―――〈手鏡〉
なぜこんな物を、と思いながら、俺はその名前をタップし、浮かび上がった小ウインドウからオブジェクト化のボタンを選択。
そして、小さな四角い鏡が出現した。
俺は鏡を手に取り覗き込んだ鏡に映るのは、俺が造り上げた勇者顔のアバターだけだ。
首をかしげ、俺は隣のクラインを見やった。剛毅な容貌の侍も、同じく鏡を右手に呆然とした表情をしている。
―――と。
突然クラインや周りのアバターを白い光が包んだ。と思った瞬間、俺も同じ光に呑み込まれ、視界がホワイトアウトした。
ほんの2、3秒で光は消え、元のままの風景が現れ・・・。
いや。
目の前にあったのは、見慣れたクラインの顔ではなかった。
クラインは若侍から野武士に姿を変え、そして頬と顎には無精髭というオプションつきで、切れ長だった目元はぎょろりとした金壺眼に。細く通った鼻梁は長い鷲鼻に。
俺はあらゆる状況を忘れ、呆然と呟いた。
キリト「お前・・・誰?」
そして全く同じ言葉が、目の前の男の口から流れた。
クライン「おい・・・誰だよオメェ」
俺はその瞬間、ある種の予感に打たれ、同時に茅場のプレゼント、〈手鏡〉の意味を悟った。
その時、鏡に映ったのは現実世界の俺だった。
クライン「うおっ…………オレじゃん………。」
隣で同じ様に鏡を覗いたのだろう、クラインが呟いた。
俺達はもう一度互いの顔を見合わせ、同時に叫んだ。
キリト「お前がクラインか!?」
クライン「おめぇがキリトか!?」
どちらの声もボイスエフェクトが停止したらしくトーンが変化していた。
なぜこんなことが起きたのか、俺ははずっと考えていたのだろう。思い至ったように顔を上げた。
キリト「……そうか!ナーヴギアは、高密度の信号素子で頭から顔全体をすっぽり覆っている。
つまり、脳だけじゃなくて、顔の表面の形も精細に把握できるんだ……。」
クライン「で、でもよ。身長とか……体格はどうなんだよ。」
確かにそれは・・・・・・
クライン「あ・・・待てよ。おりゃ、ナーヴギア本体も昨日買ったばっかだから覚えてるけどよ。初回に装着した時のセットアップステージで、なんだっけ・・・キャリブレーション?とかで、自分の体をあちらこちら自分で触れされたじゃねぇか。もしかしてアレか・・・?」
キリト「あ、ああ……そうか、そういうことか……。」
そして、現実の姿をそのまま詳細に再現した理由も意図も理解したのだろう。
キリト「……現実。」
俺はぽつりと呟いた。
キリト「あいつはさっきそう言った。これは現実だと。
このポリゴンのアバターと……数値化されたヒットポイントは、両方本物の体であり、命なんだと。
それを強制的に認識させるために、茅場は俺たちの現実そのままの顔と体を再現したんだ……。」
クライン「でも……でもよぉ、キリト。」
がりがりと頭を掻き、バンダナの下にあるぎょろりとした両眼を光らせ、クラインは叫んだ。
クライン「なんでだ!?そもそも、なんでこんなことを………!?」
俺は、それんいは答えれず、指先で真上を示した。
キリト「もう少し待てよ。どうせ、すぐそれも答えてくれる」
茅場は数秒後、血の色に染まった空から、厳かと言えるその声を大地に降り注いだ。
茅場『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。
なぜ私は――SAO及びナーヴギア開発者の茅場 晶彦はこんなことをしたのか?これは大規模なテロなのか?あるいは身代金目的の誘拐事件なのか?と。』
茅場の声がそこで始めてある一種の色合いを見せた。
茅場『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も理由も持たない。なぜなら・・・この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。
この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、すべては達成せしめられた。』
短い間に続いて、無機質さを取り戻した茅場の声が響いた。
茅場『・・・以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。
プレイヤー諸君の――――健闘を祈る。』
これが、終わりを告げ、この世界の始まりを告げた日
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第一話は茅場の言葉から始まるます
長いですが読んでください!