【秋祭りの日に】
ピーヒュロロ~~ピーヒャラヒャラ ララ~~ピーヒャラララ~~~、
ドンドンドコドコドンドンドドドン ドンドンドコドコドンドンドン、
秋の豊穣を感謝する祭りの日である。
笛の音や太鼓・鉦の音が、気分をさらに高揚させている。
宮から丑寅(北東)へ一里行った所にある
大道芸が演じられ、地方の物産が並び、若い娘たちは飾りを探すのに余念がない。
淡い柿色の上衣に、膝までの長さの縦縞の裳を纏った村の長の娘小糸は、市で遊んだ
後、
市から子(北)の方向二里以上ある。
ふっと気付くと、すぐ後ろを赤茶色の犬が付いて来ている。
婢女は、シッシッ、と追い払うのだが、犬はハッハッ、とお構いなしである。
時々後ろを振り向いて、襲われる心配はないと分かると、
「かわいらしい犬や、かまへん」
付いて来るがままに、家に帰りついた。
屋があり、土地の周りには柵を巡らせている。
犬は、いつのまにかいなくなっていた。
その夜、小糸の部屋の板壁が、トントンと叩かれた。
今宵はだれとも約束はしていないはずやが、だれやろう、と思いつつ、扉を少しずら
して外を見た。
昼間の犬が坐っている。そして横には、ひとりの若者がひざまずいて頭を下げていた。
「だれ?」
「突然のことで申し訳ありませぬ。お尋ねしたきことがございまする。出羽から参りま
した
「出羽! 蝦夷か」
「主は香脂を付けてられるな、それは主が作られたか? あるいは、主のかか様が・・・」
「かか者が下された物やけど、かか者が作ったものやないやろ。誰ぞから買いなすったんや」
「どなたから買われた物か、分かりませぬか」
「うーん、しばし待ちや、かかを呼んで来るよって」
若者は、地にひざまずいた姿勢のままで待った。
「そちが知りたいのは、この香脂を売ったお人のことやな。なんや、曽爾村の倶留尊山
の麓にいてる、ゆうてはりましたなぁ」
きて、若者に手渡した。
若者は恭しく受け取り、指に少し取り匂いを嗅ぎ、犬にも嗅がせた。犬は尾を振って
いる。
合わせ貝を返した。
「ありがとうございます。そのお方の名は、分かりませぬか」
「さあなぁ、名は分からんなぁ」
【犬使いの青年】
若者は、2匹の犬を連れていた。
赤茶色の中型犬『アカ』と白色の超大型犬『シロ』。
倶留尊山は伊勢との国境である。集落はいくつもなかった。
中村という集落の最奥部、山あいの道を行くと行き止まりとなっている所に陽の住ま
いはあった。近くにはせせらぎがある。
柱は樹を利用し、屋根は木の枝を張り巡らした上に藁を葺き、板壁の地床式である。
家の周囲には盛り土をして、浸水しないようにしている。
細い道を分け入った所に大きな樫の木があり、そこで陽は、ドングリを集めていた。
ガサッ、という音に振り向くと、赤茶色の犬が坐って尾を左右に振っている。一瞬オ
オカミだろうか、と思ったが人懐っこい仕草である。
「おなかすいてんのか。うちがすぐそこやから、ついといで」
6歳の陽は小さい体でドングリの入ったざるを支えて、家に入った。
家には誰もいない。
カメを埋め込んだかまどの横に捨てられた山鳩の骨を、犬に投げた。
犬はそれをくわえると、集落のほうへ下りて行った。
半刻後、先ほどの犬が、ひとりの若者を連れてやってきた。
「なんや、さっきのいぬやないか、あんちゃんのいぬか?」
「骨をくれてありがたい。他に、人はいないのか」
「か・・・ばばが、もうじきかえってくる。なんかようか」
「ああ、教えてほしいことがあってな、待たせてもらってよいか」
「なら、みずくみをてつだえ」
若者は陽に言われるままに、近くの湧水をカメに入れて運び、大きな水瓶に移していた。
「かか、やない、ばば、おかえり」
「珍しい・・客人であろうか」
継ぎの当たった白い貫頭衣に筒様の袴、顔の色は真っ黒で白い髪、下膨れに垂れた頬
と細い目の出っ歯の女を見て、若者は少したじろいだ。
このような
があったからだ。
「吾はある
と言いながら、自分の持つ香脂を取り出して渡した。
「これと同じ物を作っておられる方が、曽爾村におられると聞きました」
女性はその香脂を指に取り、匂いを嗅いだ。そして、奥に置いてある壺をとり、開い
て見せた。
アカが尾を激しく振って、喜びを表している。
「吾の名は夢兎。出羽から参りました。主様の御名はヨウ、ヨシ、ヨシカのいずれかで
ありましょうか」
「ほう、では言い伝えは、ほんまやったんかいなぁ。いつかは東方からお迎えが来る、
とばば様のばば様から伝え聞いとりました。ワレは嘉香、この子は陽と申す」
「吾が部族でも、言い伝わっています。この香脂の匂いを犬に覚えさせ、それを持つ女
性を捜せ、と。元は同じ一族であり、吾が部族は、その女性の祖を頭に行動していた。
ところが侵略者により、女と男は別々の生き方をとった、とか。ほとんどの者は信じて
はいませなんだが、先年、蘇我連合軍との戦に敗れた物部連那加世様が河内から落ちの
びてこられ、物部祖の地である出羽は、鳥海山の麓に『日の宮』を造営され、神官とな
られています。その那加世様が、これと同じ香脂を所持されていた」
「おお、物部連守屋様の一子じゃ。お元気であられたか。ワレは物部一族、矢田連の者
でござった。戦が始まる前にふたりはここへ逃げのび、奴婢にならずにすんだ。じゃが、
蘇我の者は、ワレの行方を捜しているはず」
「ずっと、ここに?」
「かか者、そのまたかか者らと共に年に一度、ここへ来て様々な伝承を継いできた。女
から女へ一子相伝でな。巫術も、じゃ」
夢兎は、ふたりを出羽へ迎え入れたい旨を話した。
「おぬし、歳はいくつじゃ」
「15に」
「信じても良いものかのう。いや、話の内容じゃのうて、ワレらの命のことじゃが」
「ばば、われはいきたい、もうかくれとるのはいやじゃ」
「ふむ、ならばいつ」
「明朝、夜明けとともに出立ちを、と」
夜半、夢兎は陽だけを連れて行くつもりで、小屋の前に立った。
陽だけならば、シロに乗せて走ることができる。嘉香は、歳を取り過ぎているように
思われたからだ。
まもなく、冬が訪れる。急がねば、行く手を雪で塞がれるかもしれないのだ。
おそらく、ふたりには経験したことのない雪のはずである。
夢兎が小屋に近づこうとしたところで、アカが鼻で遮ってきた。
何かを知らせている。足元をみると、鳴子が張られている。
何を用心しているのか、と思いつつまたいで越えて、小屋に入った。
ふたりはよく寝ている。
陽を抱え上げ出口に向かった時、待ち、と嘉香に止められた。
陽の足は紐で、嘉香の足と繋がっていたのである。
「フン、お主の考えてることぐらい分かる。ワレは、巫女ぞ」
用意していた籠を背負い、嘉香は表に出た。
「さあ、行こう」
夢兎は嘉香を見て、たじろいだ。昼間の人物とは、別人だったからである。
月明かりに照らし出されたその姿は、妖艶でさえあった。
「ムフォフォフォ、なんという顔をしておる。顔に泥炭を付け、髪に灰をまぶし、口に
は綿を詰め、ばば者の歯を口に挟んでいただけじゃ。世間を欺かねば生きてはいけん。
さ、急ごう」
【自然崇拝と仏教】
倭国は、各地豪族の連合王国であり、それぞれの王が大和に集まり、統一国家を目指
していた。それら王をまとめる最高位に、百済系の蘇我氏があり、豊御食炊屋姫は蘇我
馬子の姪で、祭祀を司っていた。
天皇、という言葉ができたのは、大化の改新以降である。
軍事・財政は、各地の豪族がになっていた。
百済・新羅・高句麗からの渡来人が、多くの技術や文化を各地にもたらし、同時に権
力も持つようになっていたのである。
飛鳥周辺は渡来人が多く、文明開化が最も進んだ地域だった。
表向きの政は、豊御食炊屋姫の甥、厩戸皇子が摂政となって行っていた。
官位を12階に分類し、17条からなる憲法を制定した。
それらには、仏教思想がそのまま取り入れられている。
新しい先進文化である仏教はきらびやかで、若い支配者たちを魅了していた。
仏教は、人心をひとつにすることができた。
それにより、生きることに前向きになり、つまりは生活が向上し、活気づくこととも
なった。
ただし新しい法律は平民までのことで、奴婢は人間とみなされていなかったので、対
象外である。
崇仏派の蘇我馬子は、遠出の際に出会った嘉香に懸相していた。
排仏派の物部氏を滅した時、物部派で矢作り集団である矢田村を捜しまわったが嘉香
は見つからず、嘉香の顔を描かせて、村々や関に配していた。
馬子は密かに、嘉香の元に通っていたが、いつも何らかの理由で断られていた。
馬子は、自分は他の男性よりも優れており、狙いを付けた女性は必ず自分になびく、
と信じ込んでいる自惚れの強い男であり、それは、聡明で勝気な女性が一番嫌がるタイ
プである。
厚顔無恥な男は婉曲に拒否されても、嫌がられていることが分からない。嫌がってい
る振りをしているのだ、と都合よく解釈し、女に迫る。
嘉香はすでに身ごもっていた頃のことである。
嘉香は、自分の顔絵が出回っているのを知っていた。
古くから付き合いのある中村の集落の住まいで、村人たちの団結に守られ陽を生み、
育ててきた。
もし通報されたら、馬子の女になるか奴婢となるか。
東国に行くことにためらいはない。新しい生き方を自分に課してみたかった。
また、はやりの仏教は、権力者を守るためのものだということに気付いていた。
命を絶たれる者の怒りを鎮め、崇りを防ぐためにある。
そこにある祈りの深層は『恐怖』である。
嘉香は、夢兎と出会って知った。
獣肉を食す蝦夷を野蛮人と大和の民は蔑むが、自分には蝦夷の血が流れていた。いや、
いつの頃のことかは分からない。はるか昔のことであろう。
しかし、かか者から密かに受け継いできた祈りの深層は『感謝』。
草木を含め命に手をかける前に許しを乞い、命を譲り受けたことに感謝を捧げ、神の
国へ厳かに送ることを忘れない。
それは、蝦夷の神髄なのではないか。
【東国へ】
倶留尊山は西側にはススキの高原が広がっているが、東側は断崖絶壁が続いている。
稜線沿いにいくつもの山を越えると、鈴鹿峠に出る。
ここには柵が設けられ、北陸と東海道と伊勢との通行が監視されているが、通行する
人は少ない。
常時ふたりの下級役人が詰めており、暇を持て余していた。
赤い犬が柵門の前で咥えていた雉を離し、後ろ脚で耳の後ろを懸命にかきだした。
それを見た役人のひとりが、相方をつつく。
うなずき合ったかと思うと、ふたりで犬を追い払い、雉を拾い上げて竈の火をおこし
にかかった。
雉肉は非常においしくて、下級役人にとっては高級品である。
羽毛をむしって、遠火であぶった。
ふたりはワクワクして、焼き上がるのをじっと見やっていた。
香ばしい匂いが唾液を集めてくる。そして・・・急に眠気が襲い、そのまま寝入って
しまったのである。
夢兎が捕らえた雉の腹に、嘉香が調合した眠り薬を仕込んでいた。それをアカに運ば
せたのだ。
「アカは、やくしゃやなあ」
陽は感心することしきり。
3人と2匹の犬は、柵を難なく越えることができた。
陸路は山が多いが、大きな川も多い。
木を組んで蔦で繋げたいかだは、探せば見つかるものだ。
一般人の往来は少ないが、商人にとっては、遠国と大和を行き来することは大きな富
をもたらす。
初めての貨幣である富本銭が流通し始めた頃ではあるが、物々交換が主流であった。
東国は貴重な鉄の生産地であり、金属や金、翡翠の価値は高かった。
信濃の高原には、野生馬が多い。
蝦夷は馬術にも熟達しており、夢兎は、野生馬を捕らえる作戦に出た。
シロが吠えながら群れの中に入って行くと、草を食んでいた馬たちは逃げ惑う。その
中から、足の強さと性格を見極めて目星を付ける。
子連れの馬を棒で指し示すと、アカが追いかけ、シロも加わって母馬を挟み撃ちする
ようにして山裾に追いやる。
その間に夢兎は、まごついている若い馬に静かに近づくと、餌を見せ、ドウドウと声
をかけながら、たてがみに触れることで落ち着かせた。
そして若い馬を伴って母馬のそばへ行くと、双方安心して共に落ち着き、鼻面をこす
り合わせるのだ。その間に、母馬の首に縄を取り付ける。
夢兎は母馬に跨り、しばらく高原を走りまわって調教した。母馬に教え込めば、子ど
も馬は追随してくる。
裸馬に乗るのは難しいが、夢兎は前に陽を乗せ、馬のたてがみを持って走った。
小柄な嘉香は馬に乗ったことはなかったが、若い馬に跨って走った。
脇をシロとアカが固め、まっすぐ母馬の行く道を取らせた。
馬を手に入れたことで行程は楽になり、雪が降り始めた頃に、出羽の羽前に入った。
羽前酒田の港には、朝鮮からの船がしばしば訪れる。目印となる鳥海山は、海上遠く
からでもよく見え、良い港が多くあった。
嘉香は船を始めて見、大和にも劣らぬほどの繁栄ぶりに、目を瞠った。
この地の豪族は、蝦夷たちの地の支配権を得ることよりも、お互いを尊重し、お互い
の文化を侵すことなく共に繁栄することを選択していた。
嘉香は鳥海山の麓にある日の宮で、神官となっている物部那加世と再会を果たし、さ
らに北方の羽後は『阿仁』にたどり着いた。
阿仁の蝦夷はクマ猟を生活の中心とし、熊の毛皮や肝胆を酒田で他の物資と交換して
いた。
また近くには、鉄・金銀などの鉱物資源が豊富にあった。
【大和】
蘇我馬子にとって、大和王権になびこうとしない、東国の蝦夷の存在は目障りである。
また、東国には良質な鉄を産出する鉱山が多くあり、朝鮮・中国に対する富国強兵のた
めに、それらを手中に収める必要があった。
およそ百年前、ヤマトタケルが蝦夷征伐の名のもとに東征したのは、鉄資源とその技
術集団の確保が目的であった。相武(相模)、走水海(浦賀水道)、足柄、多賀、最北
端は日高見となる。
しかし今再び、それらは蝦夷の手中に戻りつつある。
武蔵、上総は対蝦夷の最北端基地となっていたが、その北方の上毛野は、榛名山と赤
城山の間を利根川がゆるやかに流れ土地が豊かで、早くから伊勢地方から多くの移民が
入り、二毛作が行われていた。先進的な灌漑と農業技術を持っていたのだ。
今では上毛野が、対蝦夷の最前線基地である。
上毛野君田道は陸路から、阿部比羅夫が水軍180隻を率いて水路から、蝦夷討伐を
命じられた。
春まだ浅い頃、摂政厩戸皇子は、摂津国四天王寺で戦勝祈願を行った。
その時暗雲が、寺の上部を覆い、東に向かって移動していったのは誰も知らない。
【● 犬神】
ゥオオオオオオオオォゥ、
シロの子イチは、落ち着かない気分にあった。山の方が騒がしい。
イチは、犬の群れのリーダー犬である。も一度、遠吠えを放った。
群れを離れ、山中にある犬塚に向かった。
その前で、まだ解けやらぬ雪の上にうずくまった。
その数刻前、犬塚の重しの石となっていた猿神が、その塚の犬神を呼び出していた。
犬神も猿神も、禍々しいものが近づきつつあるのを感じていた。
森の精霊たちも、ざわついている。
とぐろを巻いていた蛇神が立ち上がり、空へ伸び上がった。
《西方から、何やら良からぬものがやってくる》
《何が来るのか、分からぬか》
地にいる犬神たちは、はるか上方を見やって尋ねた。空は、白い雲に覆われている。
蛇神は雲を突き抜け、さらに伸び上がった。
《分からぬ。今まで感じたことがない、禍々しいものだ》
《よし、ならばワシが、確かめてこよう。必要があれば、そこで追い払ってしまう。シ
ロとアカはワシの体から離れ、阿仁の民を、守れ!》
シロとアカの霊魂が犬神から分離するのを確かめると、犬神は地を蹴って走り出した。
【阿仁】
「かか、兄ぃと酒田の港まで行って、熊皮を売ってくる」
「待ち! なんやらおぞましいもんが、近づいてるようや。おしら様にお尋ねしてるん
やけど、よう分からん。大ばばに聞いてみる」
嘉香と陽が阿仁に来て、7年になる。
そして、蝦夷の神、おしら様を、長老の大ばばから引き継いだ。
おしら様のご神体は、桑の木で作った1尺程度の棒の先に馬の顔を彫ったもので、両
手に持って廻し、その馬面が向いた方向へ狩りに出る。地震や火事の予知も行う。
大ばばが巫術を取り行っている間、嘉香、夢兎、それと長老たちは固唾をのんで見守
っていた。
「確かに、得体のしれない、おぞましいものが近づいている・・・それがなにか・・・
分からぬのぉ。それと、戦がまもなく始まる。敵は、南方と西方からやって来るようだ」
「戦! またもや、大和連合軍がやって来るのであろう」
「こんな山国に戦を仕掛けて、そんな価値があるのでしょうか」
21歳となった夢兎にとって、戦は初めての経験である。
「大和王権にとって、彼らにまつろわぬワレらの存在が目障りであり、何よりも豊富な
資源を欲しているのだ」
「戦となれば敵はおそらく、大仙から横手あたりに布陣するであろう」
「直ちに部族間で連絡を取り合い、協力態勢を取らねばのぅ。相手が勢いづけば、ここ
も侵略されてしまう」
「分かりました。吾が行きましょう」
陽は、毎日馬を駆って近くの山に上がり、夢兎の帰りを待ちわびていた。
「かか、夢兎が帰ってきた!」
遠くに夢兎の姿を認めると馬で山を駆け下り、勢いよく嘉香に知らせるや、竹かごを
編み始めた。
ようやく部落に帰ってきた夢兎を見ても、知らんぷりを通している。まるで仕事が忙
しくて、夢兎には興味がないかのように。
嘉香はすぐに部落民を集め、夢兎の報告を聞いた。陽も最後尾から、こっそり夢兎に
視線を送っていた。
「敵は大和連合。といっても、ほとんどは上毛野国の国人らしい。多賀柵を強化している。
それと、海上から100隻ほどの戦船が、居並んで来ているらしい。まずはそ奴らを上
陸させないで、せん滅する作戦が取られた。我らは胆沢に集結し、多賀を攻める。狩猟
に慣れている我らは部族ごとに拡散して、奴らをかく乱する!」
「どの位の人員が必要か」
「奇襲作戦により、精鋭10人! それと、犬たちを連れていく」
腕に自信のある若者たちが、名乗りをあげていく。陽も颯爽と名乗りを上げた。
「陽、いくつになる」
「13じゃ」
「なら今回はだめだ、16になるまで、待て」
【● 四天王】
厚く垂れ込めた雲間から、2つの眼が姿を現した。
しばらくすると、重厚な響きの声が後方から発せられた。
《広目天、なにか見えたか》
《まだ見えはしない。持国天、そうあせるな》
《そうは言うが、腕がウズウズ鳴ってるわい》
《増長天は、そんなに戦闘が好きなのか? 私は、ただ付き合ってるだけだからね。皆
と同じ恰好はしているけど、戦は嫌いだよ》
《ああ、多聞天、そなたが民の声を聞きつけて、行ってみよう、と言い出したのだろ》
《戦勝祈願のことだね。ちょっと興味が湧いてね。この倭国に来て、まだ分からないこ
とだらけ。我々四天王の為の建屋まで用意してもらい、仏法を広めていかねばならない
しね》
《そうだ。せっかくだから、彼らのいう東国を見ておきたいのさ》
《仏敵がおれば、殺ってしまおう!》
《ぉおう、実体のないもののけが、集まっておるわい》
千里眼を持つ広目天は、持ち物である巻物に、筆でなにやら描きだした。
実体のないもののけ。それは犬であり、蛇であり、木のようなものであり、その他小
さな鬼のようなものが数多く・・・。
《邪鬼は、払わねばならぬ》
広目天が描き出した姿を見て、持国天は右手に持つ刀を、増長天は左手に持つ戟(ほ
このようなもの)を振り上げて、腰に手を当てた。
多聞天の持ち物は、宝塔である。仏敵を打ちすえる護身の棍棒を持つが、戦意はない。
ただ、四天王は同じ革製の甲冑を付けている。
広目天も戦意はない。記録するだけである。
《戦いは、持国天と増長天に任せたからね》
【● 土地神と四天王の闘い】
犬神は、禍々しい4つの雲を睨み据えていた。それらは、今までに感じたことのない
気配を有していた。
グルルウウウフウウウゥ、
と威嚇すると、雲は4つの姿をなした。
《何者だ!》
《仏に仕え、天を守る者! 仏敵を征伐する!》
《仏? 聞いたこともないわ。我らは古より人に崇拝され、彼らを守ってきた。災厄を
もたらすものは、排除せねばならぬ。いくぞ!》
《おっと、待っておくれ、私と広目天は闘うつもりはないよ。ただ、このあたりを見て
おきたくて、来ただけだから》
《お前たちは、大和国の神なのか!?》
《グプタ朝(インド)、隋(中国)の神だ。この倭国をも治める為に来た。倭国には様々
な神が存在していて、ややこしいのぅ。大和王権は、神祇を行う一方で仏法をも求めて
おる。それで大和の神は、おとなしく我らを受け入れた。この地には別種の神がいるよ
うだが、我らに手向かうのであれば、成敗する》
《それぞれの土地にはそれぞれの神がおり、それらの神は人々と共にある。それは、厳
しい自然の中で生きるための知恵、拠り所でもある。それを侵すものとは、闘わねばな
らぬ。さあ! 今度こそいくぞ!》
持国天は、刀を振り下ろした。
犬神はそれを避け、持国天に向かって跳び上がり、喉笛に食らいつこうとしたが甲冑
が邪魔をして、顔を引っ掻いただけである。
弱点部を覆った甲冑。
そのつなぎ目を狙って甲冑を引きはがそうとしたが、増長天が戟で突いてきた。
蛇神が、増長天の足から胴、左手そして戟に巻き付き、ギューッと締めつける。
増長天の怒りを含んだまなじりがつり上がり、息を吐き出して体躯を縮めるとするり
と上に跳び出し、蛇神の眼を狙って、突いた。
犬神が増長天の手首に食らいつき、しっかりと咥える。
ヌゥオオオーゥ
持国天が刀を横になぎ払うと、蛇神と犬神はすかさず跳ねのき、間合いを取って睨み
あった。
双方の形相は、すさまじい。
小鬼たちは、地にあってうろうろするばかりである。
広目天はそれらの様子を、巻き物に描き付けていた。
その時、土地神と四天王との間に雷光が走り、地を揺るがすほどの大音響がした。
《何をしておるか!》
そこに現れたのは・・・ふくよかな顔をにこにことさせた大国主命。
大国主命の本体は、雷神である。
《持国天、増長天、それと広目天! そなたらはワシの配下であろうが。蛇神は、ワシ
の分身である。仲間内で何を争っておるか!》
にこにこ顔なので迫力には欠けるが、四天王も土地神たちも驚いた。
《姿かたちが、異なっております》
《それは、人間が想像して作ったのよ。この地の民は、厳しい自然と共に生きるために、
心の拠り所を身近な形で求めているのだ。それが蛇であり、犬であり、馬であり、猿で
ある。四天王、人間のくだらん欲望に手を貸すな。権勢欲や物欲の為に殺し合いをして、
何とする。ほっとけ、ほっとけ 仏じゃ、ワハハハハ》
【蝦夷連合軍と大和連合軍との戦い】
阿仁部族は、敵の背後をかく乱する役割を得た。
夏草が生い茂る胆沢の丘陵地に、多賀柵から撃ち出でてきた上毛野君田道を将軍とす
る3千の兵士は、鋒矢の陣を敷いた。
太陽は東の空にある。
将軍他数人の指揮官は、馬上にあった。
太陽が中天に来た時、采配が降ろされた。
先駆けの兵士たちは声を張り上げながら、前方の部落を目指して、刀を振り上げ駆け
ていった。
蝦夷たちは、山の麓の木々の間から、矢を射かける。狩猟民である蝦夷たちにとって、
ウサギやキツネを射るのと同じだった。
馬上の指揮官は、後方から鼓舞した。己目がけて飛んでくる矢を、刀でなぎ払いつつ
前進する。
上毛野君田道の周囲は、数人の歩兵と数騎の騎馬により、守られていた。
届く知らせは悪い。鶴翼の陣で、左右から包み込むように、と伝令を走らせた。
敵陣の後背に達した阿仁部族は、イチをリーダーとする5匹の犬を馬めがけて突進さ
せた。
突然の犬の吠え声に驚いた馬は後ろ脚立ちとなり、犬から逃れようとした。歩兵たち
は、馬を鎮めるために手綱を取って抑えようとするが、犬は執拗に、彼らにも跳びかか
る。馬上の武将たちは必死になって首にしがみつくが、ますます馬は興奮して、次々と
武将たちは振り落とされた。
飾り立てられた将軍の馬は目に付く。将軍の馬さばきは見事である。やがて馬を落ち
着かせると周囲に目をやり、犬に向かって、駆けさせた。
夢兎は、矢を射た。
矢は馬の臀部に当たり、馬は勢い余ってつんのめるように横倒しとなり、田道は、勢
いよく投げ出された。
馬はすぐに立ち上がり、そのまま駆け去った。
夢兎が刀を下げて駆け寄ると、すぐさま田道は膝立ちとなり、刀を抜いた。
夢兎は、振りかぶって撃ちおろす。
カキーン、
右肩を下げて、刀を押し下げていく。
夢兎が優勢にあったその時、将軍親衛隊のひとりが駆けつけ、夢兎の背後から刀を突
き刺そうとした。
イチがその腕に跳び付き、牙を立てた。
兵士の手首から血が滴り落ちるが、犬の腹を思いきり蹴とばし、離れた瞬間犬を突い
た。
キャィ~ン、
イチは兵士に跳びかかって喉を咬んだ、と同時に兵士と共に倒れた。
夢兎は、思い切り刀を押し下げたかと思うと後ろに跳びすさり、膝をついて刀を左か
ら右へヒュッと鳴らし、田道の胴を切った。
ウッ、田道は腰を折る。
夢兎はためらいなく、首をはねた。
指揮官を失った将兵たちは、我先にと多賀柵を目指して逃げ惑った。
その数は、当初の十分の一にも満たない。
太陽は、まだ高い位置でぎらついていた。
【● 犬塚】
横に倒れたイチから、モヤッとしたものが立ち昇っていく。剣に突かれたそれは、天
空から見やっていた犬神の口に吸われていった。
イチには傷はなく、よろけながら立ちあがると、天に向かって吠えた。
ゥオオオオオォゥ~~。
シロとアカの霊魂をふたたび吸収した犬神は犬塚に戻り、猿神が、その上に鎮座し石
となる。蛇神がその周りを取り囲んで、太い根となった。
森の精霊は、サワサワと、安堵のささやきをかわした。
【祝言】
陽は、毎日馬で山に登って遠くに目をやり、夢兎の帰りを待ちわびていた。
やがて、彼らの姿を認めると山を駆け下り、
「帰ってきた!」
と叫ぶや、狩りで獲ったキツネの皮をなめし始めた。
男たちが帰ってきて村中が色めきたっても、全身を耳にしながら、知らぬふりをして
いる。
背後に気配を感じ、背中をこわばらせた。
「陽、帰ってきた。これから祝言を挙げるぞ、支度せい!」
意味が分からない陽は体ごと振り向き、ポカーンと口を開けたまま。
「なにか言わんか」
「おかえり・・・無事で嬉しい」
手を合わせて喜ぶ陽を夢兎は抱きしめて、もう一度ささやくように言った。
「お主と吾との、祝言じゃ」
陽は、頭から湯気を出していた。
【日出づる国】
645年の乙巳のクーデターにより、中大兄皇子と藤原不比等が蘇我入鹿を倒し、蘇
我氏を最高権力者とした大和王朝は、天皇中心の政治へと変わった。
7世紀末、国号を『日本(日ノ本)』とし、701年に日の丸の原型である、赤地に
金の日輪、の旗を掲げた。
東国のまつろわぬ民、屈強の蝦夷を直接征伐するよりも、稲作を広めることに力を注
ぎ、徐々に蝦夷を懐柔していった。
安定して大量に収穫できる稲作は、多くの民を養うことができ、開墾地を広げるため、
朝廷は技師を送りこみ、農業技術を伝えた。
同時に仏教をも広め、その思想は、土地神信仰の中に、自然に根付いていった。
それらを受け入れることができず、山の民として生きようとする者らは、彼らの領地
がおびやかされるにつれて、反乱を起こした。
開墾地には柵が設けられ、兵士が配されていた。
阿仁部落は周囲が山である。朝廷軍の侵攻はなかったが、仲間を見捨てることはでき
ない。
陽と夢兎の血をひいた大巫女モレは、自ら日高見国胆沢に赴き、蝦夷連合軍のリーダー
となった、アテルイに加担した。
780年、アザマロを中心とした蝦夷集団が反乱を起こすと、各地で小さな戦乱が再
び生じ、朝廷は、坂上田村麻呂を将軍とした大兵団を組んだ。
アテルイ・モレの率いる軍は、胆沢に侵攻した朝廷軍を神出鬼没に撃退し、かく乱し
たが、多くの部族はすでに朝廷の庇護を受けており、彼らが調停に当たった。
アテルイとモレは現状を踏まえ、
「仲間を降伏させるならば、ふたりの命、そしてみなの命は保証する」
という坂上田村麻呂の言葉を受け入れ、共に平安京に入った。
しかし貴族は、彼らを蛮族として恐れ、処刑を命じた。
802年、ふたりは処刑された。
ふたりの首塚は、大阪府枚方市にある。
【七福神(余談)】
大国主命は、平安時代、神仏習合により大黒天と呼ばれる五穀豊穣の神となる。子宝・
子作り信仰の対象ともなっており、恵比寿天と共に、日本古来の神が元となっている。
恵比寿天は、漁業の神であり、後に商売繁盛も司る。
後の五柱は中国系であり、
毘沙門天は、四天王のひとり、宝塔を持つ多聞天のこと。
弁財天は、財宝神。
福禄寿と寿老人は同一人物で、子宝・財産・長寿の神。
布袋は、堪忍袋をかついだ仏教の中国僧で、広い度量と円満な人格から神の一柱とさ
れ、富貴繁栄のしるしである。
(ウィキペディアより抜粋)
こうしてみると、日本人は古来より、
【子宝に恵まれ、生活に困らない程度の富と長寿】を切に願い、それが現在にも通じる
【幸せの源泉】であるのではと思われる。
他文化を日本独自の形に融合し作り上げていく能力も、古来よりの伝統であると感じる。
対立よりも融和を重んじる、所以だろうか。
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
3部作の第3部です。