No.470113

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 14

ありむらさん

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは悪鬼と相成りました。皆様が思われる一刀さんはもういません。ごめんなさい。
それでもいいじゃねえかとおっしゃる方。
ありむらは頑張って書き続けます。どうぞ、最後までお付き合いの程をよろしくお願い致します。

2012-08-14 20:22:06 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:14281   閲覧ユーザー数:11267

【14】

 

0

 

 天幕の中、妹たちは腕の中で眠っている。

 このふたりと旅を始めて、どれくらいの時が経っただろう。

 歌と踊りで大陸のみんなを楽しく幸せにしよう。大陸で一番の歌い手になってやろう。そう三人で誓い合い、懸命にひた進んできた道は、まだ続いているのだろうか。

 張角――天和はぼんやりとそんなことを考えて、胸の奥がねじれるのを感じた。

 歪みの始まりは、陳留で熱心な支援者に絡まれたあの日。その支援者が落として行った一冊の本――太平要術。

 天和にはよく分からなかったが、それに記されていたのは、どのように人の心をつかむか――その術であったらしい。

 それを聞いた時、素直にすごいと思った。その本からたくさん学んで、もっと魅力的で、もっと輝いた三人になって、そしてもっと多くの人を楽しませられたなら――そんなことを思った。

 でも、太平要術の中身はそんな甘いものではなかったようだ。

 洗脳術――それを聞いた時、正直腰が抜ける思いだった。これまで支援者が向けてくれていた笑顔は偽物だったと云うことなのか。自分たちは嬉々として、その偽物の笑顔を作り続けていたのか。――自分たちの歌に価値はなかったのか。

 地和も人和も同じように思ったに違いない。

 そして今自分たちは、偽物の笑顔を作るどころか、戦争の片棒を担がされている。

 協力せねば、黄巾党のみなが切り捨てられると云う。

 自分たちが巻き込んでしまったみなを、そんな目に遭わせるわけにはいかない。

 それは矛盾した願いだった。なぜなら、そのためにはそのみなを戦場へ送り出さねばならないのだから。

 より多くを守るために、いくらかの犠牲には目をつぶる。

 命の選別。

 ふたりの妹たちは現状に擦り切れそうになっている。いつも強がっているふたりが、迷うことなく天和の胸の中で眠るようになってから、もう数日。

 限界なのだ。

 波才は天和たち姉妹に行軍中とは思えぬほどの厚遇を用意した。食うに困らず、着るに困らず、水浴びもさせる。断ることは、勿論できない。

 それが更にふたりを追い込んでいる。自分たちだけが、と。

 或いは波才の狙いはそこにあるのかもしれない。身体は健康に、けれども心を疲れさせ、余計なことを考えさせぬように――黄巾兵を洗脳する、呪いの歌を歌うことだけに専念させるために。

 自分たちも辛い目に遭えば、ふたりの心も少しは救われたのかもしれない。それで黄巾党のみなが救われるわけではないのは分かっているけれど、それでも同じように涙を流せば、心は救われる。人間は、そうできているのだ。

 けれども波才はそうしない。男の彼は天和たち姉妹を慰み者にしようともしない。それどころか、部下がその間違いを起こさぬよう護衛までつけさせている。

 徹底している。徹底的に、こちらの心を締め上げにきているのだ。厚遇することで。

 自業自得。太平要術に頼ろうとした自分たちの過ち。泣き言は許されない。自分のことをかわいそうだとも思わない。ただ、辛いと思うことだけは、許してほしい。

 陳留までもう数日とないだろう。

 思い出す。

 陳留でからまれた時、自分たちを庇ってくれたあの青年の背中を。白く光る衣を纏ったあの広い背中を。

 彼はまだ陳留にいるのだろうか。確か、彼は彼の妹と一緒だったはずで。

 そう云えば、陳留の州牧に仕えていると云っていなかったか。

 ならばきっと、彼は今も陳留にいるのだろう。

 そしてもうじき、その陳留を黄巾党が攻撃するのだ。

 天和たちの歌で洗脳された七万の黄巾党が押し寄せるのだ。

 きっと酷いことになる。

 彼には――死んでほしくない。

 分かっているのだ、これもまた命を選別する願いなのだと。陳留に住む多くの民の中で、彼の命を選び取りたいと思っている。綺麗な言葉を用いずに表現すればそう云うことなのだ。

 そして何より、今抱いている妹たちの命を救いたい。

 天和たちはもうじき戦場に駆り出されることになるだろう。

 最前線に駆り出されることはきっとない。それでも兵を鼓舞するため本陣にはおらねばならない。

 どこの誰が、戦場での無事を保障できるだろう。

 だから、せめて愛する妹たちだけは。

 そう思ってしまう。

 自分はどうなってもいい。

 だから、と。

 天和はいつまでも、どこまでも、ふたりの姉だった。

 

 

 

「ふん、私は総大将張曼成を討ち取ればよいのだろう」

 夏候惇は昨夜と変わらず不機嫌そうにそう云った。

「ああ、他の将はこちらで押さえるから、手早く片付けてくれ。こちらの犠牲はなるべく少なくしたい」

「……わかっている。それと忘れるなよ、私はこの戦でおまえを見定める」

 そう云って、夏候惇は自分の部隊の先頭へと馬を向けた。

 同様に虚も、己の隊の先頭へと黒王号を向かわせる。

 それにしても、夏候惇はこの戦で自分を見定めると云ったけれども。

 ――別行動なのに、どうやって見定めるつもりだ?

 前々から思ってはいたが、夏候惇はあまりものを考えぬたちらしい。生まれ持っての感覚で戦をする類の将なのかもしれない。

 虚は馬を駆り、自隊の先頭に行く。

 それを出迎えたのは、精悍な顔立ちの万巧賢。

 白と藍の美少女、徐元直。

 そして三羽烏、楽文謙、李曼成、于文則。

「――神里」

「はい」

「作戦に変更はない。五百を預ける。韓忠を討て」

「――必ず」

 虚は神里から目を切る。

「――万徳」

「はっ」

「同じく五百を預ける。趙弘を討て」

「この槍にかけて」

 万徳は濃藍の歪な意匠の槍を掲げてみせる。  

「楽進、李典、于禁」

「はッ」

「おう」

「はいなのー」

「おまえたちにも五百を預ける。夏候惇が張曼成の相手をしている間に城へなだれ込め」

 その言葉に三人が目を丸くする。

「ちょ、隊長。幾らなんでも五百で城に突っ込むんはきついで」

「問題ない」

「いやいやいや。問題ありすぎやって。大問題祭りや」

「敵軍は野戦の構え、城に残っているのは二千と云ったところだ」

「よ、四倍なのー」

 虚は一瞬瞑目する。

「命ずればいい。虚隊の人間は微塵の疑いもなく、一片の躊躇いもなく、おまえたちの命令を実行するために突撃する。虚隊五百騎あれば、黄巾五千は抑えられる。問題はない」

 その言葉に李典、于禁が絶句するも――。

「了解しました。必ず城は落としてみせます」

 楽進だけはまるで疑うこともなく、虚に言葉を返す。

「それでいい楽進。出来ないことは指示しない」

 そう云うと虚は馬首を返し、敵陣に目をやる。

 四万五千の大軍。

 ざわめき。

 嘶(いなな)き。

 鎧がこすれ、武器が音を立てている。

 人間の臭い。

 砂の臭い。

 獣の臭い。

 風の臭い。

 戦の臭い。

 すぐそこにまで迫った、血の臭い。

 虚は深く息を吸い、それらを肺に招き入れる。

「俺は残り三千五百を率い、策を実行する。事後のことは万徳、おまえに任せる。補佐は神里が務めろ」

「はッ! 御武運を」

「はい!」

 虚は味方から目を切る。

 鬨の声はない。

 鼓舞など必要ない。

 虚隊は、ただ忠実に命令を実行する、王の手足。

「いくぞ」

 虚の声に、万徳が槍を掲げる。

 歪な意匠の施された、真黒の大槍。

 虚隊の兵の目が、それを見て変わる。

 そして、一際大きな嘶き。

 黒王号の嘶き。

 それは合図。

 虚隊を率いる漆黒の男が、真黒の魔王が突撃を開始する合図。

 絶望の訪れを知らせる合図。

 万徳の槍が振り下ろされる。

 始まる。

 ここに、虚隊の突撃が、開始された。  

 

 

 突撃する。

 巻き上がる砂塵を切り裂いて、敵から突きだされる槍の穂先。

 飛び交う無数の矢。

 響き渡る剣戟、怒声。

 しかし、構わず突撃する。

 眼前には漆黒の背中。たなびく伸びた黒髪。絶望の化身。またがるは真黒の軍馬。

 神里は何も考えずただひたすらに突き進んでいた。

 敵陣を縫い走る虚隊は漆黒の激流。

 人の手で押しとどめることなど、出来ようはずもない。

 ましてや、獣に身をやつした黄巾党になど。

「――神里ッ」

 張りのある虚の声が響く。

 その声に応じて見れば、視線の先には韓の牙門旗。

「徐元直以下五百騎、離脱します!!」

 一声かけ、背後の隊員に目配せする。

 そのまま神里は虚隊を離れ、韓の牙門旗に向け突撃を開始する。

 手で指示を出せば、背後五百騎は二手に分かれ、牙門旗の周囲を殲滅し始める。

 無言の殺戮。

 圧倒的な制圧。

 神里はそれに一瞬見とれてしまう。

 虚隊には迷いがない。

 主の絶対の命をただ忠実に実行する。

 なんと。

 なんと美しいことか。

 しかし、そのような忘我も一瞬のこと。

 牙門旗のもとには、あの男がいた。

「ほっほ、いやぁ、あなたがいらっしゃいましたか。ははぁ、そうですか。くっく」

 嬉しそうに肩を揺らす韓忠。

 神里は氣銃を抜くと、馬上から容赦なく氣弾を放った。

「おっと、危ないですなぁ。ひっひ。結局虚殿のもとに下りましたか、徐元直殿」

「ええ、黄色い掃き溜めに行くより、万倍よかったですよ、あの方の胸の内は」

「くっく。掃き溜め、ですか。あながち否定できないのが辛いところですが、ほっほ。まあよいでしょう」

 韓忠は芝居じみた動作で両腕を広げる。

「虚隊は素晴らしい。一片の迷いも、微塵の乱れもなく、戦の始まりと共に我々の軍を切り裂き、あなたをここまで運んだ。もう今頃は趙弘さんのところに到着している頃でしょうかねえ」

 喉を鳴らし、韓忠は首をぐるりと回す。

「くっくくく、きき、きっきききき……ぷ、う、ふ、く、あ、は、はは、ははははは!! さあ! さあ! さあ! おいでなさい! そのために来なすったのでしょう、徐元直!! 私を討滅するために! 私を撃滅するために! 私を打ち倒すために! あなたはこの黄色い掃き溜めに降り立ったのでしょう!? あっははは! いつかの月夜の続きをしようじゃありませんか! 燦然と照りつける日輪のもとで!!」 

 刹那、韓忠は跳躍する。

 突きだされた拳。

 そして、降り注ぐ驟雨のような氣弾。

「――ッ」

 馬から舞い降り、神里は地を跳ねる。

 韓忠の氣弾は地面をうがち、周囲の敵味方を巻き込む。

「ひきゃきゃきゃきゃ!! いい動きだァ!!」 

 瞬間、着地した韓忠は大口を開き、そして、その喉の奥から一閃、氣弾を吐き出す。

「化け物ッ!!」

 歯噛みしながら、神里は紙一重でそれを躱す。

「ひきき……いかにも」

 べろりと唇を舐めると韓忠は姿勢を低くし、こちらへ疾走を開始する。

 そのさなかも、韓忠は喉から、両手から氣弾を放ち続ける。

 神里は氣銃でそれらを打ち落としながら後退する。

「さぁさ、どうしますかねえ。以前のように足場になる木はありませんよォ? ぜきああああああ!!」

 咆哮と同時、韓忠の十指から放たれる氣弾を、神里は身をよじって回避する。

 周囲で響く乱戦の音も遠い。

「やりますねえ、でも、これはどうです」

 迫る、煌めき。

「――ッ!?」

 咄嗟に跳んだその後を、氣弾が通過する。

 破れた韓忠の靴。

「足の指から――」

「きっひひひ。二十指氣弾乱舞――ご覧あれ」  

 跳ぶ韓忠。

 空中でぐるぐると回転し、そして辺り一面に氣弾をまき散らす。それはまるで米をばらまいたよう。

 ――躱せないッ!

 神里は瞬時氣銃に氣を充填し、そして二丁同時に巨大な氣弾を放つ。

 氣の大玉はその軌道上の氣弾を消し去りながら空に消える。

 しかし――。

「さっすがァ!!」

 その声が聞こえたのはすぐ右。

 脇に潜り込んだ韓忠の右手からおぞましい氣が溢れている。

「しまっ――」

 轟音。

 脇腹に走る衝撃と激痛。

 神里は弾き飛ばされ、地を跳ねながら転がる。

 韓忠が手を叩きながらこちらに歩いてくる。

「流石の機転ですねえ。それにあれだけの氣弾を瞬時にふたつも打ち出す力量。やはりその氣器を受け継いだだけはある。しかし、経験が足りませんなぁ。ぷっくくく……さぁて――終わりにしようじゃねェか、小娘」

 韓忠の表情が変貌する。

 同時、溢れる氣。

 その総量に神里は驚愕する。

 これが、韓忠の本気。

 しかし、負けられぬ。

「かあ! おいおい、立つのかよォ! きぃはははは!! んじゃま、もうちィっとカワイイ鳴き声きかせてくれよなあ!!」

 肉薄する韓忠の右手に氣が集中する。

 神里はその剛撃を躱し、距離をとる。

「シャラァ!! 甘えんだよ、小鳥ちゃんよォ!!」 

 刹那、放たれる連撃。

 神里はその拳すべてに氣弾をぶつける。

「ヒャハ! やるぅ!」

 しかし、相手の連撃は拳だけに留まらない。

 蹴撃。

 膝。

 肘。

 頭突き。

 その全てに氣が満ち、獰猛な狂気となって襲い掛かる。

 このままでは、押し切られるだけ。

 ならば――。

「仕方が、ないですね」

 神里は氣銃をこめかみにあてがい、そして。

 

 その引鉄を引いた。

 

 刹那、神里の全身から吹き上がる白銀の豪氣。

 空気を振動させるほどの、残虐なまでの氣の奔流。

 暴虐の静寂。

 徐元直の真骨頂。

 硬直する韓忠。

 そして、凶暴に笑う。

「くっひひひ、そんな隠し玉があったんかよ。ぷ、ふ、は、き、はははは!! おもしれえ!! 勝負だ!!」

 振るわれる韓忠の剛腕。

 それには韓忠の全身にみなぎっていた氣が充填されていた。

 神里の鳩尾を容赦なく撃つ。

 しかし。

 それは、神里の腹に触れた瞬間、ぴたりと停止する。

「……勝負? 何を云ってるんですか?」

 神里は氣銃を韓忠の右肩にあてがい、引鉄を引く。

 宙を舞う韓忠の右腕。

「ご、がァああ!!」

 神里の白い頬を吹き出した血液が穢す。

「これから始まるのは、一方的な制圧行為です」

 更に一撃、韓忠の右ひざを吹き飛ばす。

「先ほどまでの威勢はどうしました? 韓忠」

 もう一撃、左の膝を撃ち飛ばす。

「私はここに降り立ちました。私はこの黄色い掃き溜めに降り立ちました。我が主の命を完遂するために。――あなたを討滅するために、あなたを撃滅するために、あなたを打ち倒すために、今こうしてここに立っているのです。さあ、あの月夜の続きをしましょう。燦然と輝く日輪のもとで。歯を食いしばりなさい。拳を握りなさい。立ち向かってきなさい。まだ、左の拳が残っているでしょう?」

 韓忠が震えている。

 それは怒りゆえか。

 喜びゆえか。

 恐怖ゆえでないことだけは確かだった。

 なぜなら彼は、とても楽しそうに笑っているのだから。

「いいですねえ。やはりあの時、あなたをいただいておけばよかった。無理やりにでも、さらってしまっていればよかった。強引にでもこの腕に抱きすくめて、胸を打ち貫かれながらも、走り去ってしまえばよかった」

 もう、叶いませんがね――韓忠は呟くように云うと、唯一残った四肢に氣を集める。

「いいでしょう、これがこの韓忠、この世で放つ最後の一撃。よぉくその目に刻んでおかれよ」

 見れ見るまで薄汚い氣がこれまでにない濃度で凝縮されていく。

 それに応じるように神里も白銀の氣器、その銃口を向ける。巨大な氣を充填させながら。

 

「天すでに死すッ! 黄天まさに立つべしッ! 歳は甲子に在りて、天下大吉ッ!! 人よッ!! 天下の万民よッ!! 原初に戻りて、真の安寧を得よッ!! 我ここに祈るッ!! 黄巾の大願ッ!! 永久に続かんことをッ!!」

 

 放たれる韓忠の剛撃。

 最期の一閃。

 濃密な汚泥のような氣弾。

 しかし――。

 

「我らが真黒の虚旗のもと、我が白銀の氣器を以て貴殿を打倒する。――滅べ」 

 

 放たれる神里の聖撃。

 白銀の氣弾。

 清らなる絶望の一撃は、哀れな黄巾の男の最後の希望を呑み込み、そして、彼の上半身を瞬く間に蒸発させた。

 

「敵将韓忠。……徐元直が討ち取りました」

 

 

 

 

 眼前に立ちふさがるは大男の巨躯。

「ふん、俺の相手は虚ではないのか」

 呆れたようにこちらを見下すその男の名は趙弘。

「貴様は己の幸運に感謝するといい」

 万徳は不敵に笑み、そう云い放った。

「なに?」

「あの方の前に膝を折り、みっともなく泣き叫ばずに済んだのだ。その不遜な態度、貴様はその屈辱に耐えられなかったろう。これを幸運と云わず何と云う?」

「ふん、云うではないか。我が名は趙弘。名を聞こう」

 趙弘はそう云うと、岩のような拳を撃ちつける。手甲が鋭い金属音を立てる。

「ふ、いいだろう。おれの名は万巧賢。息絶えるまでの短い間だが、覚えておけ」

 万徳は名乗ると、槍を担ぐ。

 普段の彼からは想像もつかぬ大胆な態度。

 歪な意匠の施された濃藍の大槍を担いだその姿――無構え。

「よかろう、万巧賢。いざ、参るッ!!」

 刹那、迫る趙弘の剛腕。

 万徳は槍の柄で、それを正面から受け止めた。

「ぬぅ!?」

「温いな。その程度であの方の前に立つなどと吠えていたのか。――笑止」

 口角を釣り上げ一閃。

 万徳は趙弘の拳を跳ね上げる。

「それに軽い。見かけ倒し。所詮は無頼の賊徒か――話にならん」

 五指を立て、万徳は招くように挑発する。

「グオオォォォォォォ!!」

 趙弘は咆哮する。

 その姿を見て万徳は思う。

 どのような思いがこの男をこのようにしてしまってのかはわからない。 

 けれども、『なりきれて』いない。

 この男は『堕ち切れて』いない。

 趙弘は望んでいるのだ。

 己が身を人の域より蹴り出そうとし、更なる強さを求めているのだ。

 しかし、分かっていない。

 それがどう云うものなかのか。

 そうなった人間が、どうなってしまうのか、まるで分っていない。

 見れば分かる。

 この男は、『あの男』とはまるで違う。

 だから、この男があの方を目の前にした時感じるのは、絶望。

 己の矮小さに打ちひしがれ、平伏するのか崩壊するのか。

 幸運だと云い放ったのは、挑発でもなんでもない。

 真実なのだ。

 この男の相手が自分ごときで、『万巧賢ごとき』であったのは、幸運以外の何物でもないのだ。

 再び趙弘が迫ってくる。

 振りかざされる拳。

 重く雄々しく、そして軽く脆い拳が迫る。

 

「我が名は万巧賢。虚ろなる悪鬼の傍らに坐す者」

 

 万徳は、趙弘の右の拳をその分厚い手甲ごと斬り払った。

 趙弘の顔が驚愕に染まる。

 五指が舞飛び、鮮血が吹き出す。

 更に返す刃で、万徳は趙弘の左の肘を断った。

 敵の顔に浮かんでいる感情は、空白。

 唖然。

 呆然。

 想像もしていなかったのだろう、この男は。

 絶対の自信を持っていたのだ、己の拳に。

 

「空虚なる主と共に歩む者。走狗たる王者と共に戦う者。我が主欲さば、主の敵尽く討ち取り、主の道を清めん」

 

 けれども万徳は容赦なく、その拳を叩き斬った。

 男の背を支えていた自負ごと、膝を支えていた自信ごと――斬りさばいた。

 

「我らが真黒の虚旗のもと、我が濃藍の大槍を以て貴様を斬断する。――眠れ」

 

 瞬間、万徳が趙弘の傍らを飛ぶように駆け抜け。

 そして、趙弘の身体は九つの肉塊へ変わった。 

 

「敵将趙弘。――万巧賢が討ち取った」

 

 

 

 

 夏候惇――春蘭は駆けていた。

 敵陣を突っ切り、一直線に目指すは張の牙門旗。

 恐らく敵将は虚たちに討ち取られたのだろう。

 溢れかえっている黄巾の賊徒は尽く指揮者を失い、烏合の衆と化している。

 馬を駆る夏候惇隊が迫れば、恐れをなして逃げていくばかり。

「なんのことはない」

 陳留、長社にも黄巾賊は進行しているらしいが、眼前の有様を見るに、何の心配もない。

 だから春蘭は突き進む。

 振り返ることなく、ただ只管に馬の腹を蹴り。

 通りすがりに、敵兵の首を飛ばし。

 腕を落とし。

 血しぶきの中を笑いながらひた進む。

 迫る敵大将の牙門旗。

 そして、春蘭はそのまま敵本陣に突っ込んだ。

「な、んだ。――これは」  

 目にしたのは、丸々と醜く肥え太ったひとりの男。

 そして、その男のまわりには、殆ど裸に近い衣装を着せられた若い女たちが十人ほど。そのどれもが春蘭に縋るような視線を送っている。一縷の望みを抱いた眼差しを送っている。

 春蘭は直感した。

 これは、彼女らは、宛の娘たちだ。

「にゅぷくくく。なんだ、おまえは。あぎの妾になりにきたのか?」

 肥った男が脂肪をためた腹を揺らして嗤う。

「……貴様が、張曼成だな?」

 まだだと己にいい聞かせながら、春蘭が云う。

「いかにも、あぎが総大将張曼成」 

 目が小さく、耳と鼻と唇ばかり大きい醜い男がそう名乗る。

「――貴様を殺す」

 馬から舞い降りた春蘭は宣言する。

 この男に名乗るななどない。

 殺す。

 殺してやる。

 この男は宛を蹂躙し。

 略奪し。

 そして今目の前にいる娘たちを凌辱した。

 万死に値する。

「あぎを殺す? 面白いことを云うおなごじゃ」

 張曼成は立ち上がり、そして傍らに坐していた女の唇を音を立てて吸い上げた。

「貴様ァ!!」

 春蘭が激昂する。

「若い。若いの。この本陣まで乗り込んできたのは褒めてやるぞ。だが、あぎには勝てぬ」

 袖から腕を出した張曼成。

 その両手には鋭く光る鉤爪が装備されている。

「爪――いや」

 ぬるりと濡れているその爪先をみて春蘭は確信する。

「――毒爪か」

「いかにもいかにも。さて、相手をしてくれるのじゃろう? 若いおなごと舞うのは得意でな。――さぁ、おいで」 

 春蘭は飛び出す。

 瞬間、眼前に会ったのは鈍く光る毒爪の先。

「――ッ!」

 緊急、身体を捻って躱す。

 張曼成は太った身体からは想像出来ぬ軽やかさで、宙を舞い、こちらから距離をとった。

「ふっふっふ、今のはもろうたと思ったのじゃがな。やりおるやりおる、ひひ」

 その場で短く跳びながら、張曼成が云う。

「では、次じゃ。いくぞ」 

 迫る肉弾。

 春蘭は振るわれる毒爪を剣で正面から受け止める。

 かなり、重い。

「はァ!!」

 衝撃を殺しながら、春蘭は張曼成の腹を蹴りつける。

 しかし、脂肪に阻まれ、上手く決まらない。

「きかぬきかぬ!」 

 繰り出される毒爪の連撃――それを愛刀『七星飢狼』で凌ぐ。

 想像以上の強さ。

「ふくく、どうした。このままでは終わりが近いぞ?」

 張曼成が舐めるような視線で春蘭の身体を凝視する。

 それを見れば、この肥った男がどれほど下衆なことを考えているかなど、想像するまでもない。

「下衆がッ!」

「ははは! なじられるのもまた格別じゃわい!!」

 後ろへ跳んで距離をとる。

「そこじゃあ!!」

 張曼成は残虐な笑みを浮かべ己を撃ち出すように跳躍する。

 やはり、予想以上の強さ。

 想像以上の速さ。

 醜く太った体躯以外、張曼成は一流の武人であった。

 しかし。

 それでも。

 

 それでも――夏候元譲の敵ではなかった。

 

 飢狼の一閃。

 恐らく何が起こったのか、分からなかっただろう。

 張曼成の腹に赤い一線が走り。

 そして、そこから腹の中身が溢れ出す。

「死ね、下衆豚が」

 春蘭は鼻で嗤い、剣の血を払う。

 

「敵総大将張曼成――夏候元譲が討ち取ったッ!!」

 

 

 

 

 本陣にて、皇甫嵩は戦の成り行きを見守っていた。

 開戦して半刻ほど――しかし、決着がついた。今入ってきた伝令からの報告、夏候元譲が敵総大将を討ち取ったと云う。

 他の敵将も虚隊によりことごとく討ち取られ――また虚隊から離れた五百騎は瞬く間に宛城を制圧したらしい。現在は劉備率いる義勇軍による掃討が行われているらしい。

 信じられぬ戦果。

 圧倒的勝利。

「老兵の出番はない。そう云うことだのう」

 皇甫嵩は自嘲する。

 あと二十若ければ、自分もあの最前線に立つことが出来ていただろうか。強気若人たちと共に剣を握れていただろうか。 

 或いは、彼らと剣を交えることが出来ていただろうか。

 そんなことを考える。

 老いたとは云え、それでも皇甫嵩は武人だった。

 怒声を聞き、剣戟を聞き、馬蹄の音を聞けば、血がたぎろうと云うもの。

 中でも。

「虚――あれは、極上」

 皇甫嵩の本能が告げる。

 無用の警戒を避けるためなのか、あの男は己の爪を隠していた。しかも中途半端にである。

 恐らくは噂が広まっているからだろう。

 黄巾賊に突撃ばかり仕掛ける真黒一団。賊徒の間で畏怖される絶望の権化。

 その男から全く無害な気配しかせぬようでは、逆に警戒を招くと云うもの。

 だから昨日今日のあの男は、並みの勇将以上関羽以下と云った気配を宿していた。関羽もそう感じたのだろう、大して警戒していた風ではなかった。

 しかし――と皇甫嵩は笑う。

 嗅ぎ取っていたのだ。

 長年戦場を渡ってきた皇甫嵩の老獪な鼻は、虚の背中から微かな臭いを――大湖に一滴垂らした血の臭いを、鋭敏に感じ取っていたのである。 

「ふっふっふ。孟徳嬢も良い狗を飼っておる」

 そんなことを呟いていると、小さな影が本陣に現れた。

「これは諸葛亮。追撃は関羽に任せたのか」

「はい。後一刻もすれば、全て終わるかと」

「うむ」

 応え、皇甫嵩は水を呷った。

 その時である。

 軽装の伝令兵が陣内に駆け込んでくる。

「どうした」

 青い顔をした伝令兵に皇甫嵩は問いかける。

 

「長社への援軍一万寝返りッ! 長社陥落しましたッ!」

 

 

《あとがき》

 

 ありむらです。

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 今回は宛攻略戦ですね。

 敵将との戦いを主に描きましたので戦争の混乱具合が微妙ですが、もう宛はあっさりでいいやと思っていましたからこのくらいで。

 

 さて次回は陳留です。

 こっちは頑張りたいなあ。

 

 

 それでは今回はこの辺で。

 

 

 コメント、感想、支援などなどじゃんじゃんください。

 

 

 

 その全てがありむらの活力に!

 

 

 

 次回もこうご期待! 

 

 

 

 ありむら


 
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