No.467460

【魔まマ】~ただひとつ確かなものを~【杏さや】

88TE_5is3 さん

どうも皆さまはじめまして、こんにちは。88TEです。 この作品はアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の二次創作小説になります。 さやかと杏子の二人にスポットライトを当てた作品になりまして、主人公は杏子で進めています。  拙作ですが、楽しんで頂ければ幸いです。

2012-08-09 01:00:27 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:949   閲覧ユーザー数:945

 
 

「ただひとつ確かなものを」   88TE

 

 そいつは望みの為に自分を捨てた。見返りも何も必要とせず、他人を幸せにする為に自分の未来をまるっと全部投げ出しやがったんだ。

 無論、彼女は聖人君子だったわけじゃあない。どこにでもいるごく平凡な女の子だった。当たり前のように友人達と学校に通い、自宅に帰れば温かい家庭があった。勿論、人並みに好きな男だっていた。

 平凡であるが故に彼女の未来には無限に可能性が存在する。それがどんなものになるかは世の中の誰にも分からない。当然、彼女にだって分からない。それが彼女の未来。

 そう、彼女は普通の女の子だった。明るい未来に思いを馳せる少女だった。世間の厳しさなんてまだ知らないし、自分の後先がどれだけ長いのかも理解なんてしてなかった。努力には正しく、そして等しく報酬があるものだと信じていた。

 ただ、そんなだったから、彼女は簡単に未来を全部放り投げた。代償にして受け取ったのは人の身に余る奇跡、なんて大それたものでは決してなくて。ただ、何人かの他人の幸福にしか過ぎないというのに。

 それでも、彼女にとってそれは何よりも幸せなことになる筈だった。

 当然だ、彼女はそれだけのことをした。それだけのものを守った。金だとか、資産だとか、そういう木端ものではない。救ったのは掛け替えなく、そして尊いもの。命と、そこから生まれる未来を守ったのだ。それだけのことをした見返りとして受け取るものが彼女を幸福にしない道理がない。必然、彼女は幸せになって然るべきだった。

「うん、そうなる予定だったんだ、ホントはさ」

 そりゃあそうだ、不治の病を治した奇跡の主に好意を抱かない人間なんていないし、自分の命を救ってくれた恩人を慕わない人間もまたいない。

「ま、それも全部、相手に見せつけていれば、の話だけどさ」

 だが結局、不治の病はひとりでに治り、九死に一生を得た件は夢遊病による事故の一言で片付けられた。あいつが奇跡に等しいことをしたなんて事実はどこにも存在しないことになっている。

 それでも純然たる事実として奇跡は起こった。本当に一握りの人間しかその事実を知らないとしても奇跡はそこに成った。ならば、それに見合う対価、彼女の行為に報いる為の何かが必要だった。ほんの少しで良いから彼女を満たすことが出来たなら、それがどんな些細な品でも、或いは言葉でも、行為でも何でも良かった。

 ――だけど、要求されたのはもたらした希望に見合うだけの絶望だった。

 世の中というのは薄情なもので、投資したからと言って成果を確約はしないくせに、確定した利益には絶対に対価を求める。

「だから言ったんだ、恩を着せとけって、独り占めしとけって。そうすりゃ少なくとも男取られるなんてことはなかっただろうに」

 そう、この場合、奇跡を受給した二人が対価を支払うべきだった。あいつに対して、何か恩返しをするべきだった。

 当然の行為だ。医者にかかれば金を払う。人に命を救ってもらったのなら当人が礼の品を送るか、それが無かっとしても感謝状だかなんだかを御偉方が手渡す。例えそれが行為に不釣り合いなちゃちな品だったとしても、人はそこにある感謝の気持ちを受けるだけで幾分満たされる。

「だけど、あいつにはそれすらなかった」

 まあ、仕方がないと言えば仕方がない。籠に閉じ込められていた小鳥は勝手に開いた入口から大空に飛び立っただけだ。そこにどれほどの想いが、奇跡が介在したかなんて知る由もない。だから忘れた。だから考えることすらしなかった。誰か、この幸運の裏には誰かがいたんじゃないか、なんてことはただの一欠片も意識には上らなかった。

 結果、正義のヒーローは誰にも正体を知られることなく街の平和を守りましたとさ。

「全く、笑い話にもなりゃしないよ。ヒーローだって人間なんだ。どんな奴にだって寄る辺は必要なんだ」

 信頼出来て、優しくって、自分の活躍を知ってくれているって誰かが。何かを頑張れば、ちゃんとその行いを褒めてくれる誰かが必要なんだよ。例えば、あたしで言うところの親父みたいな人が……、

「って、それはあいつにもいたんだっけ」

 ――鹿目まどか。口を開けば、甘いことしか言わない女だ。

「それでも、支えにはなってたんだよな」

 その人が必要としている時に傍にいてあげられる。簡単なようで凄く難しくて、小さなことのようでとても大きなこと。

 でも、その優しさも今回は少しばかり遅すぎた。本当にさやかを助けたかったなら、止めてやるべきだったんだ。魔法少女なんかになるなって。なるんならなるで、自分の為になる願いを言えって。それがどんなに純粋で美しい願いでも、他人の都合を知りもせずに自分勝手な願い事をしたんじゃロクなことにならねーぞって。

「何回言ってもあいつは聞きやしなかっただろうけどさ。頑固者で、我を張る。そのくせ、自分本位に動かない」

 自分勝手に周りの心配ばかりを続けた彼女。

 ――ホンットに困った奴だ。

 ずっと見守ってきた幼馴染のことだからって一緒に背負って、友達を護る為にって自分を犠牲にして。

「要するにお人好しな上に馬鹿なんだよ」

 ま、人のこと言えないけどさ。

 詰る所、魔法少女なんてものは、自分の損得だけを考えて動けば良い存在だ。見合うだけの対価を支払っているのだから、見合うだけの好き勝手をすれば良い。そうすれば行為の結果は全て自分に返ってくる。背負うならば、その勝手のツケだけで十分だ。自業自得、因果応報。全てが自分の中だけで完結していれば大抵の事は背負っていける。

 なのに、彼女はまた他人から荷物を受け取った。尊敬してた人に命を助けてもらったからってそれすらも背負った。

 ――巴マミ

 そう、人間として一度死に、魔法少女としても生を全うした巴マミの代わりになろうとした。

 彼女のようになってこの街の平和を守るんだ、なんて大言壮語を口にした。彼女と同じように見返りなんて求めずに何人、何十人、何百人の命を助けるんだって。

「だけど、だけどな、さやか」

 ――それは違うんだよ。

「マミには見返りはあったんだよ」

 そう、巴マミは一度死んでいる。その命が魔法少女の祈りのおかげで助かったのだから、と二度目のソウルジェム(イノチ)は出来るだけ多くの人のために使おうと決心したんだ。

 だから、既に報われていた。一度全てを失いかけたからこそのスタンス。それしか選択肢がなかったからこその尊い理念。通常の人間、普通の暮らしを送ってきた一般人には到底届かぬ理想だった。

 故に美しかった。故に憧れた。だから目指そうと思った。本当は誰よりも見返りが欲しかった筈なのに、それは卑怯だから、と見返りを求めない方法を選んだ。

 巴マミはいつも笑顔で自分達を導いてくれていた。だから自分だってきっと大丈夫。

「お前は違っただろ、さやか」

 お前にはそんな過去はない。恩なんてお前で止めれば良かったんだ。助けてもらったからって同じだけ誰かを助けなきゃならないなんて道理はない。お前がお前の一生を精一杯生きたならそれだけで良かった筈だ。同じだけの恩義を他人に振りまく必要なんて全くない。

 助けた本人である巴マミに恩を返すってんなら理屈は通る。だけど、その返す相手がいないんだ。なら感謝の心は胸に秘めてれば良い。忘れることなく抱き続けていればそれだけで良かった筈だ。

 ――なのに、

「それなのにお前は……」

 マミの理念を受け継いで、マミの背負っていたものも受け継いで、その上にマミの死をも背負い込んだ。

 重い荷物を背負えているという事実。背負っているものの美しさ、素晴らしさ。こんなに尊いものを背負っているんだから、私が払った代償なんて安いものだ。そう自分を騙す様に呟いて、傷ついて傷ついて、すり減ってすり減って、それでも彼女はまだ立ち止まらなかった。誰よりも、誰よりも世界の正しさを、美しさを信じた少女。自分が住まうこの世界は守るに値する価値を持っていると信じ続けた少女は、

 

 

 呆れるくらい簡単に世界に裏切られた。

 

 

 堕ちるのは驚くほどに簡単だった。心にあった奇麗なものが崩れれば人は世界を綺麗だと思う心をなくす。美しいも、素晴らしいも、未来も、願望も、幸福も、恋慕、友情、日常、身体、生命。全部、全部。全部全部全部全部全部……っ!!

 

 そしたら身体が軽くなった。驚くぐらいに軽くなった。何もかもから解き放たれて、まるで澄んだ水の中に居るように。

 

 捨てたものは全部見えなくなって、今までそこにあったのがウソのように奇麗さっぱりなくなった。

 

 キラキラ光るものは全部消え失せて、眼には泥の世界が映っていた。脆い泥の世界を這い回る泥人形。

 

 グズグズと崩れる地面の上を、汚物を撒き散らしながら徘徊するヒトのカタチをしたナニカ。

 

 私は、あんなモノの為に闘っていたのか? あんな薄汚いモノを美しいと信じていたのか? あんなモノを守れば、皆が笑える素晴らしい世界を作れるなんて本気で考えていたっていうのかっ!?

 

 反吐が出る。虫唾が走る。何を守るって? 何を救うって? 逆だ。アレは害だ、汚物だ、ゴミだ、悪だ。汚い、臭い、おぞましい、汚らわしい、見るのも嗅ぐのもゴメンだ。発する音ですら形を持って害を与えているのではないか? 触るなんて以ての外だ。あんなモノがこの世にあるだなんて、一体今まで私は何を見てきたと言うのか。過去の日常を考えるだに汚らしい。

 

 ――無くさなきゃ

 

 そうだ、無くさなきゃ。私は奇麗な世界を祈ったんだ。最初はそう、綺麗なものを守り続けていればそれで良いと思っていた。

 

 ――失くさなきゃ

 

 でも違った。守るべきものなんてただの一つも無かった。ここはこんなにもゴミだらけ。ゴミだけじゃない、音も臭いも肌に触れる空気も何もかも全てが汚れてる。

 

 ――亡くさなきゃ

 

 だから、全部始末しなくてはならない。綺麗なもので地上を覆えないのなら、いっそゴミを全て無くしてしまえば良い。そうすれば少なくとも穢れた世界ではなくなる。

 

 ――ナクサナキャ

 

 そうだなぁ、うん、そうしよう。手始めに無造作にワタシの目の前に転がっている無性に鬱陶(なつか)しいあの赤と桃色の2つから片付けよう。

 

 

 

 

「さやかちゃん、さやかちゃんっ! 聞こえる? 私だよ、まどかだよっ!」

 オーケストラのコンサートホールを模したかの様な魔女の領域に鹿目まどかの叫びが木霊する。

 そう、ここは魔女オクタヴィアの支配する領域。かつて美樹さやかだったモノが生み出した憎悪が具現化した世界。

 ――魔女オクタヴィア。それが今の彼女の名だ。

 たった数日間、その短い期間とは言え彼女が目にし、触れた多くの絶望そのもの。彼女は幾つかの絶望を希望に変えたが、その度に生まれた小さな絶望は行き場を失くし、その全てが主へと返っていった。

 その結果が彼女のこの姿。人魚のような姿は生前彼女が求めた清らかさを表現したものか。地上に生きる者から隔離された海中という澄んだ世界に住まう者としての姿。はたまた船を沈める災害や、地上を歩くことへの嫉妬と言った醜悪な面の成れの果てか。どちらにせよ確かなのは、彼女の絶望が形になったものだということ。それだけは紛れもない事実だ。

「反応が無くても呼び掛け続けろっ! 邪魔者は私が全部払ってやるから!」 

 そのドス黒い空間の中にあって希望を叫び続ける少女が二人。鹿目まどかと佐倉杏子。

 絶対に不可能と言われた魔女の呪いからの魂の開放を実行に移そうとしているのがこの二人だ。

 おおん、と一際高い音が鳴る。もはや声とも音とも区別の付かない美樹さやかの叫び声。同時に杏子の身に巨大な刃物が迫る。

「ったく、聞き分けがねぇにも程があるぜっ! さやかぁっ!」

 彼女は手にした深紅の槍で魔女の剣をいなす。更に一撃、腕を伸ばし切った状態の魔女へ向けて、頭上からの攻撃を放つ。

 しかし簡単には通らない。魔女は苦も無くその攻撃を受け止め、残った片腕で杏子を殴り飛ばした。

 吹き飛ばされた杏子の身体は自らの手を離れ、物理法則にのみ支配される。速度を失うまで延々と、杏子の身体は空を舞い続ける。

 ――ドオオォォン

 辺りに轟音が鳴り響く。杏子が落下した地点からは大量の粉塵が舞い上がり、魔女の世界を灰色に染める。

「杏子ちゃんっ!」 

「私に構うな、呼び続けろっ!」

 まどかはあまりの激突の衝撃に杏子の身を案じたが、幸い杏子は無事だった。

 相手の打撃を受ける直前に障壁を展開し、また同様の方法で激突の衝撃を和らげていたのは流石と言う他無い。長年、魔法少女として数多の魔女を狩ってきた彼女の戦闘経験の積み重ねがここに生きた。

「う、うん。さやかちゃん気付いてっ! 覚えてるでしょ、私のこと、杏子ちゃんのことっ! お願いだよ、さやかちゃん、思い出して。私たちのこと思い出してよぉっ!」

 必死に、ただひたすらに呼び掛ける。彼女の魂の開放、彼女を救うこと、それだけを願ってただただ声を張り上げる。

「♪♪♪――・・・、??」

 歌う様に奇声を発していたオクタヴィアの動きが止まる。

 ――届いたかっ!?

 一瞬、杏子の脳裏を勝利の二文字が過ぎる。だが、

「さやかちゃんっ!? きゃあっ!」

 何のことは無い、全くの見当違いだ。実際は魔女の狙いが杏子からまどかに移っただけのこと。

「あんにゃろっ!」

 杏子は即座に自身の槍を鎖に変え、まどかを襲う呪いの全てを叩き落す。

「へっ、どしたどしたぁっ! さやか、お前世の中の何もかもが許せないんだろっ! 自分の怒りを世界にぶつけようとしてんだろっ! だったら付き合ってやるから本気で来いよっ!」

 ――それで、それで満足するまで暴れたんなら、ちゃんと・・・、ちゃんと戻ってこいよ。

 杏子の鎖が加速する。自身とまどかの四方八方を、いや、もはや向きで表現出来る範囲ではない。空間そのものを守るように彼女の鎖が乱れ舞う。

 全てを防ぎ、叫び続ける。届くのだと、この声は、この想いは、あらゆる物を凌駕し尽くして彼女の心に必ず響くのだと信じる。その一縷の望みが叶うまで、奇跡が彼女を救うその時を見据えて先の見えない攻防をひたすらに続ける。

「――  頼むから、頼むから返事しろ、さやかぁっ!

     お願い、答えて、さやかちゃんっ!  ――」

 美樹さやかが信じたように努力には必ず等しく報酬が訪れるのだとそれだけを二人は一途に信じ続ける。彼女との間に確かにあった絆の糸を必死に手繰り続ける。

 ならば、杏子が振るうその手の鎖はその具現か。一人の魔法少女がその家族との間に必ず存在すると信じて疑わなかった絆と言う名の鎖、彼女の祈りの証。魔法少女となる以前の普通の女の子であった杏子そのものと言っても過言ではない祈りの結晶。それがあの鈍く輝く鎖の正体だ。

 それ程の武具、それ程の意志があの深紅の鎖と共に振るわれているのだ。ならば、杏子の手にあの鎖が存在する限り彼女が負ける道理など一片たりとも在りはしない。

 故にこの戦は持久戦。自ら勝ちを掴みに行く方法では勝利足り得ない。相手が折れるまで、勝利が向こうからその姿を現すまでただ耐え続ける。勝つまでは負けないと自身に言い聞かせ、敗北を遠ざけ続ける、ただそれだけの戦。

 防ぎ、時に牽制し、また防ぐ。杏子自身に向く攻撃は元より、まどかへの攻撃も防ぎ続ける。相手の攻めの手の悉くを叩き潰し、喉を酷使して叫び続ける。

 攻防は二十合を超えた辺りから数えるのを諦めた。時間など最初から計る気は無かった。当然だ、彼女が正気を取り戻すまでこの闘いは終わらないのだから。それでも、これだけ続けていれば少しは気になる。一体どれだけの時間が経っているのか。まだ始まったばかりと言われればそんな気もする。現にあの魔女には何の変化も無い。逆に既に何時間も経っていると言われてもこの疲労度なら納得出来そうだ。もしそんなに時間が経っているのならそろそろ一言くらい返事が返ってきても良いんじゃないか、とも思う。

 先の見えない攻防、停滞している攻防の中に一瞬生まれた杏子の思考の隙。

 それを見落とすほど敵は甘くなかった。魔女の腕が杏子達二人に迫る。

 我が身一つならなんのことはない「少々鋭い不意打ち」くらいにしか考えられない一撃も此度ばかりは訳が違った。

 そう、今回彼女の後ろには戦うことの出来ない少女がいたのだ。

「さや……、か、ちゃ……」

「しまったっ!!」

 巨大な魔女の手がまどかを掴み、その身を捩じり上げていく。紙屑を握り潰すかのように容易くまどかの身体が縮んでいき、ベキベキと嫌な音が聞こえる。 

「さやかぁっ! お前言ってただろ、その手で、その力で人を幸せにすることが出来るってっ!」

 まどかを文字通りその魔の手から救おうと杏子が魔女へと肉迫する。その手の鎖は再び槍へと姿を戻していた。

「なのに、親友に何やってんだ、テメェ・・・、ッッ!」

 杏子が魔女の左腕を付け根から断ち斬ったのと同時、

 ――ズクッ

 肉を抉る刃の音が辺りに低く響いた。

「は……、はっ、うっ……」

 耳にしたくない音、普段ならば滅多に嗅ぐ事のない多量の血液から漂う鉄の匂い。

 魔女の一撃によって空中に静止した杏子の腹部には先刻の剣が深々と刺さっていた。

 舞い散る鮮やかな赤い花弁が彼女の衣装の深い紅に上塗りされていく。

 常識的な感覚では到底考えられない量の血液が杏子の身体から止め処なく流れていく。

 血とともに流れていく意識の中で杏子は彼女に似合わない愚痴を零した。 

 

 ――ちきしょう、

 

 普段なら彼女は救いを求めたりしない。自分の行動の責任は全て自分に返る。自業自得、因果応報。それが彼女のポリシーだから。

 

 ――ちきしょう、

 

 故にさやかのことだって最初は傍観に徹する気でいた。自分と同じ境遇だからって自分があの子の為に動いたんじゃまた二の舞になる。

 そうだ、最初はそう思っていた。父親の為に祈りを捧げた自分と彼女は同じだと。だから同じだけ絶望を見れば彼女の無茶も納まるだろう、と。

 杏子の場合、それは父親の無理心中という形だった。家族の為に祈った彼女の重いが結局は彼女の家族を引き裂いた。

 他人の都合を知りもせず勝手な願い事をすれば、結局誰もが不幸になる。それが彼女の出した結論だった。 

 だから彼女は誓った。他人の為に魔法を使うことはもう二度としない、と。

 同じ境遇の自分がその考えに至ったのだ。時間が経てば彼女だってきっと同じ思考に辿り着く、と。

 だけど、それは間違いだった。

 彼女は絶望を知ってなお突き進もうとした。報われることなんてなくても、誰に知られることもなくとも最初に抱いた想いを、希望を絶対に捨てない。それが美樹さやかだった。

 

 ――思えばお互いバカだったねぇ、さやか。我が身を犠牲にするってのに他人のこと願ってさ。

 

 ああ、それでもあんたとあたしは少し違ったか。あんたは他人の為に祈ったことをこれっぽっちも悔いちゃいなかった。あたしは流石に悔やんだよ、親父に殴られた時、親父に魔女だって罵られた時、親父が、いや、あたしの祈りが家族をみんな殺しちまった時、いつもいつも悔やんでた。

 そうだ、そこだよ。あたしがあんたを助けようって思ったのは。バカ正直なあんたの為にちょっとばかし動こうかって気になったのは。

 あんたの心の根っこにある信念があたしを動かしたんだ。

 

 ――だからさ、なぁ、もしこの世にホントに神様なんているならさ。コイツのこと助けてやってくれよっ!

 

 ――ずっと、ずっと、こんな人生だったんだ。

 

 ――救われたかと思ってもそれは代償付きの幸福に過ぎなくてさ、本当に良かったことなんて無かったんだ。

 

 ――だからさ、神様、頼むよ。一度くらい、夢見させてくれよ。一度くらい、ちゃんと夢は叶うんだって証明して見せてくれよっ!

 

 槍を杖代わりに何とかその身を保つ。悔しいがあの薄汚い畜生が言っていた通りソウルジェムさえ無事なら例え腹に穴が開いていようとも活動に支障はないらしい。 

 まどかの方も無事な様だ。余りの痛みに気を失ったかもしれないが、すぐに命がどうこうって風には見えない。それに、

「よぉ、その子のこと、頼むわ」

「……」

 闘い過ぎて血だらけの身体で、叫び過ぎて掠れた声で、突然の来訪者である暁美ほむらに声を掛ける。

「あたしのバカに付き合わせちまった。安全なとこまで連れてってやってくれ」

「あなた……」

「足手まといとは戦わない主義なんだろ? それに」

 杏子はほむらの腕の中のまどかに目をやりながら続ける。

「あたしはあたしの、あんたはあんたの守りたいものだけを最後まで守り通せば良いさ。そういう我が侭が魔法少女にとっては正解さ」

「杏子……、まさか彼女の為に死ぬ気なの?」

「バカ言うな、誰が他人の為なんかに」

 カンッと音を立てて彼女の槍の石突が地面を叩く。

「言ったろ、あたしのバカに付き合わせたって。要するに全部あたし自身の為さ」

 ほむらは無言で杏子の背中を見ていた。最早何も声を掛けられないその背。

 おそらくこれから死地へ赴くというのに、彼女の背中に迷いは一切ない。

 そこに雑念などなく、ただただ彼女が成し遂げたいと願う祈りでのみ充たされていた。

 

 

 

 

 

「さて、さやか。出会った時とおんなじ二人っきりだ。目的もあの時と同じ。お互いに相手を殺すことを考えてる」

 まあ、あたしはそれ以外のこともちょっと思ってるわけだが。

 向かってくるさやかの腕をその身に受ける。回避する必要なんてもうない。あとはさやかにあたしの想いの丈をぶちまけ、ちょっとばかし親父の真似事をするだけなのだから。

 身体がミシミシと軋む。どうやらまどかにやったのと同じようにあたしを握り潰そうとしているようだ。

 さやかの腕の中、あたしの最後の気持ちだけは伝えよう、とさやかに話し掛ける。もう届くなんて思っちゃいない。それでもあたしの気持ちはコイツには話しておかなければならない気がしたんだ。

「結局さ、さやか。あたしは眩しいやつ、凄く簡単に言えば頑張ってるやつを応援するのが好きだったんだ。その人の傍で背中を押すのがあたしの生き甲斐だったんだと思う。自分には到底出来ないことでもその人が叶えてくれれば、きっと我が事のように嬉しいんだろうなって思って生きてきた」

 あたしの親父もその一人。ま、あんた入れて二人しかいないんだけどさ。

「けどね、難しいんだ、デカいことやるってのは。親父もそう、あんたもそう。なんにも間違ってないのに周囲との温度差でどんどん自分が独りぼっちなんじゃないかって錯覚してく。んで、真面目なやつほど自分の内に内に色々溜め込んでっちまうんだ」

 丁度、今のあんたみたいにね。

「それでも本当は時間をかけて考えて、少しずつ憤りを解消して、そうやってまた前に進めれば、それで良いんだ。だけど・・・」

 あたしも、あんたもおかしな奇跡に頼ってしまった。

「それが良くなかった。原因が全部そこにあるような気がして思考が麻痺しちまった。しかもその原因は時限爆弾付きと来たもんだ。放っといたらあたしらは魔女になっちまう。だから余計に頭ん中無茶苦茶になっちまったんだよな」

 だけど、そこからがあたしとあんたの違い。

「それであんたは自分を呪い始めた。あんたにとっちゃあ楽だったんだよな、周りを傷つけるよりも自分を傷付けることの方が。周りに責任を押し付けるより抱え込む方が正しいし、それが当然だと思ってたんだ。だからあんたは周りを恨まなかった。その代わりに自分を恨んで、結果として自分を呪って、あまつさえ今こんなことになってる。あたしはそこまではやれなかった。そこまで正しさを貫き通そうとは思えなかった」

 だから捨てた。周囲への何もかもを。その結果として辿り着いたのは祈りとは正反対の一人ぼっちの自由だった。

「自由気ままではあったけど、やっぱ寂しいもんさね、一人ってのは」

 絆を願ったあたしの元に孤独がやってくるなんて、楽しようとした罰が当たったのかね。

「けどあんたはそうはならない。あたしがそうはさせない」

 誰よりも周りのことを、自分の周りの皆の幸せを考え続けていたあんたの最後が一人ぼっちだなんてあたしが絶対に許さない!

「あたしが傍にいてやる。あたしが一緒に死んでやる。お前を独りぼっちになんてあたしが絶対させないっ!」

 あたしもあんたも知ってるだろ、孤独がどんなに辛い事かって。

「なあ、さやか、あたしも最後が一人だなんて嫌なんだよ。だって“一人ぼっちはさみしいもんな”」

 両手で胸のロザリオを握る。祈りのポーズなんて一体いつぶりだろうか。きっと親父の協会が無くなって以来だ。

 ――さて、これで最後だ。さやか――

 それにこれから先もあたしは祈ることなんてしないだろう。

 そうだ、これからやるのは自爆魔法。

 あいつの呪いも、苦痛も、葛藤も、不安も、自己嫌悪も、ついでにあたしの呪いもっ!

 全部纏めて消し去ってやるっ!

 

 ――うおおおおおぉぉぉぉっっ――

 

 目を開いていることすら出来ない程の閃光が迸り、爆音が鳴り響く。

 閃光は紅蓮に、そして紺碧に。爆音は彼女達二人の慟哭の合唱。

 色の着いた竜巻の中のような凄まじい光景の後には何一つ残っているものはなく、ここに彼女達の葛藤は終わりを告げた。

 

 

 

「ん、ん~~、あれ?」

 目を覚ました杏子の前に広がっていたのは虹色の空間だった。

 いや、虹色では少し語弊がある。七色というよりももっと鮮やかに見える。何色もの波打つ色に囲まれた空間だった。

 例えるならまるでシャボン玉の中に浮かんでいるようだ。上も下も、右も左もないその多色の空間はそう表現するのがきっと正しい。

「もし宇宙とか行ったらこんな感じなのかね?」

 行ったことなんて一度もないけどさ。

「しっかし、ここは一体どこなんだか」

 予定通り行ってればあたしもさやかのやつも木っ端微塵に吹き飛んでる筈なんだが。

「まあ、在り得るとすれば走馬灯とか、死ぬ一歩手前の世界とかそんな感じか」

 思考回路がファンタジーに毒され過ぎてる様な気もするが、そこは仕方がない。何せ自分自身の存在そのものがファンタジーの塊なのだから。

 さて、ファンタジーの世界だとこういう時は大体「生前の話」だの「恋人の話」だのを一人言ちるわけだが……。

「まあ、ずっと独りで生きてきたおかげか独白ってのは慣れてるけどさ」

 お生憎さま、甘酸っぱい思い出話なんてものには終ぞ縁がない。ふむ、どうしたものか……。

「ああ、謝っとかないとダメな奴ならいたな。ごめんなー、まどかー。最後にさやか取っちゃってさー」

 どこか遠くへ呼び掛けるように少し声を張る。

「でも許してくれよ。あんたが死んだらさやかはもっと悲しんだ。だけどその点、あたしなら大丈夫。これでもかって程に嫌われてるからさ」

 胸張って言うようなことでもないけどね。けどきっとあたしが適任だ。見ず知らずってわけじゃない、だけど近しくもない。だからきっと「何で付いて来たんだよ、あんた」って疎まれてそれでお終い。

「全くもってその通り。何で来たのよ、アンタ?」

 頭上、って言ってもどっちが上かなんて未だに分からないんだが。とにかく頭の方から声を掛けられた。

「って、さやか? お前、魔女じゃなくなって!?」

 見ると、そこには美樹さやかの姿。魔女は勿論、魔法少女の姿でもない。あたしと同じく普段着だった。

「そうだよ、あんたのおかげで何とかかんとか戻って来たよ」

「は~、良かった。ちゃんと死んでたんだな」

 言い終わってもう少し言葉を選べば良かったか、と一応思案してはみる。けどそこは仕方ない。何せ、何一つ間違ったことは言ってないからだ。

「あのねぇ、いくらなんでももうちょっとどうにかならなかったの、その言い方?」

 眉間に手を当て、呆れ顔で溜め息をつきながらさやかがそう口にした。

「仕方ないだろ、あたしだって死んでるんだから。あんたが死んでなかったら無駄死にじゃないのさ」

「ま、そだね。そこは素直に感謝してるよ」

「そ、そりゃどうも。分かれば良いんだよ、分かれば」

 我ながら困ったものだ、「どういたしまして」の一言が言えないんだから。む、けど「ありがとう」も聞いてない気がするのでやはり似た者同士なのか?

 二人の間に沈黙が訪れる。一応、やったげたこと、やってもらったことに対する言葉は尽くした。事務的な内容ではこれ以上話すことはない。ない筈なのだが・・・、

「「あ、あのさ」」

 どうにも沈黙に耐え切れなくなって声を出してみたらこの様だ。

「「あ、あんたから先に」」

 切り出すタイミングが一緒なら譲るタイミングまで一緒。その上、むむむ、などと小さく呻いてそっぽを向いてしまうところまで一緒とは。

 また沈黙。目の前を横切る多色の波がだんだん空を行く雲みたいに見えてきた。

「どうして、」

 あんな色の雲が空にあったんじゃ、青空の方も真っ青だ。などとくだらないことを考えているとさやかが話し掛けてきた。

「どうして、私の為に死んだの?」

 ああ、その質問か。してほしかったような、してほしくなかったような。

「けど、あんたにとっちゃ死活問題だよね、文字通り。そりゃあ気にもなるだろうさ」

 一応、さやかにとっちゃあたしは恩人って扱いなわけで。無償の恩は勘繰られるのが常だ。そこには何か理由があるはずだ、見返りを要求されるはずだ、と。

「ま、一言で言えばあたしの我が侭。幼馴染の為に魔法少女になったは良いが、別の女に霞め取られそうになってちょっと後悔して、それでも自分が信じる正義の為に~って愚直に突っ走ってた誰かさんを放っておけなくなってね」

 頭の後ろで組んだ両手にもたれながら口にする。寝っ転がろうとした身体がその場でゆっくり回転し始めた。だが、不思議と気持ち悪くなったりはしない。

「ふん、分かったようなこと言ってくれちゃって。あんたに私の何が分かるって言うのよっ!?」

 立ち上がろうと動いたさやかの身体があたしとは逆に回転し始める。上も下も、地面すらないのにどこから力が働いているのかは相変わらず謎だったが。

「分かるさ。分かるよ、あたしには分かる」

 さやかの目を真っ直ぐに見据えて、はっきりと、そう口にした。

「誰かの為に魔法少女になって、最後の最後で自分に返るものが驚くほど少ないって気付いたあたしにはあんたのことが分かるん・・・」

「違うっ!」

 さやかの怒声が木霊する。

「違う。違う。やっぱり私とあんたは違う。私は見返りなんていらない。恭介の腕がもう一度動けばそれで良かった。もう一度ヴァイオリンを弾いてくれればそれで良かった。もう一度、もう一度恭介のヴァイオリンが聞ければ、それだけで・・・」

 それだけで、私は・・・。

 そこまで言って、さやかは泣いた。私の前で初めて涙を見せた。ぽろぽろと瞳から涙を流した。

「私は本当にそれだけで良かった。恭介に好きになってもらいたいとか、恋人になりたいとかそんな風に望んじゃいない。私はただ・・・、私は、ただっ!」

 ああ、うん。やっぱりそうだ。

 やっぱり、この子は、あたしに良く似ている。

 ひっく、えっく、違う、一緒にするな、お前なんか。さやかはぶつ切りの言葉でそんなことを繰り返した。

 ずっとずっと繰り返して、暫くしてあたしの方を見なくなった。そうして最後には自分に言葉をぶつける様に膝を抱えて、俯いて。それでも罵る言葉を止めなかった。結局、どこからどこまでがあたしに向けた言葉だったのか、自分自身に向けた言葉もあったのか、もう判別は付かなかった。

「あのさ、あたしの望みって覚えてる?」

 そんなさやかの背中に声をかける。

「――っく、何よ、急に」

「一度話したと思う。覚えてないかい?」

「忘れたわよ、あんたのことなんて」

「そっか。じゃあもう一回・・・」

「けど・・・」

 だけど、とさやかが口にする。

「確か、お父さんの言うことを皆が信じてくれますように、とかって」

 下を向いたままだったが、さやかはそう答えた。語尾に「忘れたけど」と付いてなければ純粋に嬉しかったんだけど。

「うん、合ってそうに聞こえるけどちょっと違う。“信じて”じゃない“聞いて”なんだ。皆が親父の話を聞いてくれますように。これがあたしが願ったこと」

 いつの間にか顔を上げていたさやかは、すんすんと鼻を鳴らしながら赤い目であたしの話を聞いてくれていた。

「信じるかどうかは個人が決めること。あたしは親父の話を聞いてもらえるだけで幸せだったんだ。聞いて、そこから先どうするかはその人が生み出した感情次第。無理矢理信じさせるなんて、それじゃ性質の悪いただの洗脳だ。親父もあたしもそんなことを求めていたんじゃない」

 そう、これがあたしが命を代償に叶えた願い。幼いあたしが後先考えずに命を差し出した結果。

「で、それはきっとあんたも一緒」

 へ?なんて間抜けな声をさやかがあげる。

「あんたもそう。願ったのはあの男の子の幸運だけだ。あの子の気持ちをどうこうしようとか、そこに魔法は絡んじゃいないし、絶対に絡んでちゃいけないって思ってた。何より・・・」

 さやかの顔を見て、ちょっと意地悪な顔をしてみた。

「な、何さ?」

「彼氏の心は自分の力でゲットしないとね~」

「な、な、何、あんた何言ってんのよ!」

「ははは、顔真っ赤にして照れちゃって。可愛いねー」

 

 

 

 結局、彼女が、さやかが壊れていった原因はこれだったのかもしれない。「人の心」なんていう実に曖昧なものを自分自身どこかで望んでいたこと。もし彼女の望みの全てが物質的なものであったならばこのような悲劇は起こっていなかった。

 過程はどうあれそういったものは手に入りさえすればそれで充たされる。幼馴染の病気が治る、幼馴染が再びヴァイオリンを弾く。そこに止まらずとも賞を取る、賞金を得る。何でも良い。明確に結果、確たる証拠の存在する事象であれば何でも構わない。分かりやすく言うならば、通貨に置き換えることが可能なものならば大抵は手に入っただけで充たされるものなのだ。

 ただ、彼女の望みの幾つかはその範囲に収まらなかった。

 それが〝人の感情〟だ。

 こればかりは、過程を度外視しては考えられない。魔法で叶えてはいけないものだ。それではさっきのあたしの話で言うところの洗脳になってしまう。

 それではダメなんだ。感情の根底にあるのはいつもその人自身でなくてはならない。

 感情の出所にそれ以外のものが混ざることがあってはいけないもの、それが人の心だ。

 試しに金を絡ませてみれば良い。「人の心は金で買える」って考えているヤツがいたとする。その人は大金を叩いてある人に「私を愛してくれ」と頼み、相手はそれを快諾した。結果、表向きには仲睦まじい夫婦が誕生するわけだ。

 だが、そんなものはすぐにぼろがでる。独りでに瓦解する。

 もしも金で買った場合、相手が信用しているのは金なのだ。愛など微塵も欲してはいない。愛する代わりに愛を欲するのではなく、金を要求する。故に相手の目には金しか映っていない。

 愛を売った方がそうなら買った本人もそうだ。金で愛を買うことは可能だ、と考えている時点でその人の中には金>愛の不等式が成り立っている。彼らは相手ではなく金のことしか信用していない。

 そして、やはり「金で愛は買えない」という結論に至る。感情の出所に別のものが混じったものを信じられる程、人間は馬鹿に出来ちゃいない。

 そこに溢れた矛盾と嘘に押し潰されるのが関の山だ。

 それは魔法でも同じ。そんなもので出来た感情には欠片も意味はない。

 だから美樹さやかは「腕の治癒」のみを願った。そこから先は叶えて貰うことではない。自分自身で掴むべきものだと理解していたから。

 それは、その手段以外では偽物の心しか得ることが出来ないと知っていたからに他ならない。

 

 

 

「あ、あんたねぇ、あんまり適当なこと言うもんじゃないわよ。死んでからもまた一戦やらかそうって言うの?」

 さやかが腕捲りをして如何にもなポーズを取って見せる。

 まさか、そんなつもりは毛頭ない。

「ん? そんなつもりあるわけないじゃん。だってあたしはあんたと仲直りしに来たんだもん」

 本物の心だけを求め続け、本物の思いだけを貫こうとした女の子。そんな彼女にあたしは本物の気持ちを伝えに来ただけなのだから。

「はぁ? 仲直りぃ?」

 さやかが明らかに訝しがっている。ふん、失礼な奴だ。

「そ、仲直り。あんたいつか言ったよね? 盗んだ食べ物じゃあ貰えないって。だから・・・」

 前もって用意しておいた包みを取り出す。

「だから、今度はちゃんとしたものを渡そうと思ってね」

「な、何よ、コレ?」

 渋々と言った感じではあったがさやかは受け取ってくれた。

「何って、まどかに手伝ってもらって作ったクッキーだけど」

 さやかが包みからそのウチの一つを摘まみ上げてしげしげと眺めている。うーん、選りにも選ってハート型とは。勘弁してほしい。

「ふっ、ふふっ。型から取ったにしては随分不格好ね、槍の穂先みたい」

「な、なんてこと! あんたこそ喧嘩売ってるわけ?」

「嘘だって、冗談冗談」

 さやかがあたしの前で笑う。良く考えてみれば笑顔を見るのも初めてだ。

「まあ、喧嘩売られてもあたし買わないけど」

 ぼそっと、勇気を出して歩み寄りの言葉を口にしてみる。流石に顔を見て言うのは照れ臭く、俯きがちになってしまった。

「ん? 何か言った?」

 ――ボリボリ

 あたしが頑張ってやっと言えた一言に対して、さやかがクッキーを咀嚼しながら聞き返してきた。

「あ、あんた聞いてなかったの? っていうかいただきますとか何かねぇのかよ」

「うーん、サクサクっていうよりなんかザクザクしてる。所により甘かったりちょっとコゲっぽかったり・・・」

 聞いちゃいねぇよ、こいつ。全く、折角人が初めて作ったクッキーだっていうのに頭に来るなぁ。

「けどきっと、盗んだリンゴの何百倍も美味しいよ」

 頭に来ていたはずなのに、真っ直ぐに人の目を見て笑顔で平然とそんなことを言うもんだから反応に困る。

「あり、がと、ね、杏子。凄く、美味しい」

 そして本日二度目の涙。バカ、そんなぐしゃぐしゃの顔で嬉しそうにそんなこと言われたらこっちだって堪えていたものが溢れて来ちまうじゃねぇか。

「な、なんだよ、泣くなよ、クッキーくらいでさ」

 彼女が求めた尊いものとは程遠く、金で買える、いやむしろお金を出してもらえるかどうか紙一重な出来の不格好なお菓子だったが、喜んでもらえてるみたいだから良しとしよう。

「これからはずっと一緒なんだから、いつでも作ってやるさ。今度はもっと上手に作る。その次はもっと上手に作る。さやかが文句なしって言うまで何度だって作ってやるさ」

「……うん、うん。今度は焦げてないの期待してるから」

「ああ、任しとけ」

 まあ、お互い泣き顔で締まらないけど不器用な生き方しか出来なかったあたし達にはお似合いの最後なのかな。それでも、自分と似たようなものを信じて闘った奴が他にもいて、こうして一緒にいられるってだけで少し安心する。

 結局、あたしにもさやかにも最後まで救いなんてありはしなかったけれど。

 それでもきっとこれだけは言える。

 

 

 

“あたし達の祈りは絶対に間違ってなんていない”ってね。

 

 

 

Fin

 

 
 

 
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