No.465395

為政者

己鏡さん

2012年8月5日作。原題は「図書館」。偽らざる物語。執筆段階で変更。

2012-08-05 13:29:14 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:519   閲覧ユーザー数:519

 王立図書館は古い洋館を改装した立派な建物であった。

 そもそも印刷技術が向上したとはいえ、多くの地域ではまだまだ本の値段は高く、庶民には手が出しづらい代物であった。払い下げられた本を売る古本屋ですら、「傷む」「汚れる」などと理由をつけて、買うかどうかもわからない一般市民が商品を手にとることをあまり快く思わないことが多い。ましてや私のような旅人など、はなから白い目で見られるのが通り相場であった。事実、本が好きで古本屋にもよく立ち寄るのだが、歓迎されたためしはほとんどなかった。

 そのような通例があるからこそ、この図書館にはじめて訪れたとき私は大いに感心した。

 もともと貴族が居をかまえていた屋敷を図書館としたため、ひょっとしたらそれなりの身分の者しか利用できないかもしれないと思っていたのだが、そんな心配をよそに広い館内は市井の民であふれていた。誰も彼も特別に着飾ったりあらたまった格好をしたりということもなく、何か用事のついでにぶらりと立ち寄るような感覚で活用している。

 王制を敷き、身分や階級といったものが機能しながらも、利権を絡めずに民衆の文化度を向上させようとしているのは珍しい。どこに行っても大概このような施設は特権階級しか利用できないか、あるいは特別な許可を得た一部の人にしか開放しない。そうでなければ料金を徴収するというのがほとんどなのだ。

 聞けば運営費は税の一部からまかなっているという。民から徴収した金を民に還元する。民主国家なら当然の考えも、権力者が自ら発案して実行することはまだまだ少ない。そのような意味でも、この国の試みは大きな意義があるように思える。

 私は書架からこの国の歴史書を取り出した。どこかに腰を落ち着けることのできる場所はないかと見回すと、少し離れたところにあいている椅子があった。

 隣席では帽子を目深にかぶった白いあごヒゲの老人が新聞を読んでいた。一言小声で「失礼」と声を掛けてから座り、分厚い本をパラパラとめくる。

 各地を旅する身である以上、実際に見聞きしたものだけではなくその土地土地の歴史なども学んだほうが、より理解を深めることが出来る。そうすれば、いい写真を撮ろうとしたときにも必ず役に立つはずだ。

 しかし、これだけページ数があると全部読むのは難しい。目の前の難物をどう料理してやろうかと思案した結果、ざっくりと主要な歴史の転換点を抜粋して調べることにした。

 

 昼から読み始めてそろそろ夕景になろうという頃、ようやく読み終えることが出来た。

 読んでいて気になったことがふたつある。

 ひとつは本に書いてあった内容。

 どうやらこの国が今のような国家体制を整えたのは四百年ほど前らしい。その歴史の中で他国からの侵攻に脅かされることも少しはあったみたいだが、長らく平穏な時代を築いてきたようだ。基本的には単一民族国家で、王権打倒のための内乱なども少なく現代に至ったこともわかった。その理由としてもっぱら注目されるのが、随所に見られる歴代の王たちが布いてきた善政だった。

 歴史書という物の多くはその国に都合よく書かれるものである。たとえば戦勝国は敗戦国の見解まで等しく扱うようなことはしないし、権力者が自分たちを貶める記述を認めることもない。つまり内容を鵜呑みにするのは、誤った知識を吸収する可能性があることにほかならないのだ。

 しかし、この歴史書には自分たちの犯してきた過ちもしっかりと書かれていた。人である以上、間違いもありうる。そう理解した上で、どう国民を苦しめてしまったか、そして、どのように挽回するべく行動したかということが細かく記されていた。

 本を閉じて席を立つ。

 元の棚に返しに行こうと一歩踏み出したところで、もうひとつの「気になった点」にあらためて直面した。

 隣に座っていた老人と目が合った。途端に老人がさっと視線をそらす。

 彼はそしらぬ顔で新聞の続きを読み始めるが、おそらくそういうフリをしているだけだろう。その証拠に、私が本を読んでいるときもチラチラとこちらの様子を伺っては、新聞に目を落とすということを繰り返していた。さらに、こちらが気づいていないと思っていたようで、横目で見ていると、彼は私以外の利用客のことも観察しているようだった。

 明らかに挙動不審である。

 おまけにあごヒゲがいつの間にか半分抜けかけている……というか、よく見たら付けヒゲで、それが取れかけているのだった。なぜ変装を……。しかも本人はまったく気づいていない様子だ。誰か教えてあげたほうがよいのではないだろうか。

 どう対処したものかと考えたのだが、特に実害があるわけでもない。それに周囲に目を向けると、もっとおかしなことになっていた。

 周りをひそかに探るこの老人のことを、監視している者たちがいたのだ。少し離れたところから屈強な男たちが、悟られないように、しかし間違いなく老人に注意を向けていた。

 一体なんなのだろうか、この人たちは……。

 厄介ごとに巻き込まれたらと思うと、訊ねるのも躊躇してしまう。

 ここは無視して立ち去るべきか。

 思案に暮れていると、不意に後ろから肩をたたかれた。

 驚きのあまり声が出そうになるのを、すんでのことで飲み込む。

 振り返ると背の高い細身の男性が立っていた。メガネの奥に覗く眼は涼やかで、いかにも理知的という言葉が似合いそうな人だった。

 彼は「こちらへ」と小声で私を促し、歴史書があった書架のあたりまで誘導すると、事情の飲み込めない私に軽く頭を下げた。

「突然すみません。私はここの職員の者です。あの方のことは……先ほどの老人ですが、気になさらずそっとしといてあげてください」

「あの人のことをご存知なんですか?」

 私の問いに男性は苦笑しながら頷いた。

「あの方は現国王のお父上、つまり先代の国王です」

「へぇ……ええっ?」

「しっ! お静かに」

 私が素っ頓狂な声を上げると、途端に男性は口元に人差し指を立てて制止した。

「すみません……」

 怒られてしまった。

 けれども驚かずにはいられないだろう。なぜこんなところに先代の国王がいるのだ。しかも、どこからどう見ても奇妙な行動を繰り返しているただの不審者ではないか。

 冷静になって考える。合点がいくのは周りの男たちのことだ。べつにあの老人の命を狙っていたとかそういうことではなく、彼らは前国王の護衛だったのだろう。

「しかし、なぜお忍びで図書館に?」

「視察です。この王立図書館がどれだけ活用されているか、どういった人たちに利用されているか。国民の教育にどれだけ役立っているか。そういったことをこちらから提出する報告書だけではなく、実地で自ら見て、聞いて、感じて、今後の国政の方針を現国王に助言するのが目的だそうです。今日はこちらにおいでになられていますが、わりと市街にも出て、市民から情報を集めているようですよ」

 たしかにこの国の教育水準は高く、他の地域にくらべ識字率も格段にいい。また福祉の面もそれなりに充実している。国政にかかわる人物が民と同じ立ち居地で物事を考え、王なり元老院なりに助言をしていることが大きく影響しているのは明らかだ。

 王宮から飛び出して自分の足で調べる前国王も、その調査結果を活かす現国王も、どちらも歴代国王の教えを忠実に守っているということだろう。

「それにしても、要人があちこち動き回るのは、いくら護衛が見守っているとはいえ危険なのでは? それにあの……変装が……」

 私が言いにくそうに口ごもると、彼は察したのか微笑を浮かべて言った。

「国民みんなで前国王をお護りしているから大丈夫ですよ」

 どういうことかと問い返しても、彼はけっきょく教えてくれなかった。

 職員に礼を言い、本を返すと外に出た。

 中世から残る町並みと昔の外観そのままの洋館は趣があり、シャッターを切って回る際の足取りも軽かった。

 

 後日、現国王の即位十周年を祝う式典があった。ちょうど旅立つ前だったので私も撮影がてら見物に行くと、王宮のバルコニーに国王と王妃、その子どもらの姿があった。

 と、遅れてもう一人姿を現した人物がいた。現国王の父君だ。図書館で見かけたときと違って妙な変装はしていない。

 すると、いままでより歓声がひときわ大きくなった。地鳴りのような拍手と前国王に対する賛辞がそこかしこから発せられる。父王はそんな民衆の声に手を振って答えていた。

 なるほど、この国の民はみんな前国王をとても慕っているのだ。おそらくあのおかしな変装もとっくの昔に見破られているのだろう。

 気づいていないのは当人だけか。

 けれども、彼のことを裸の王様だとは誰も思ってはいるまい。

 民衆にそっぽを向かれるような愚かな為政者ならば、「国民みんなで護って」などくれないはずだから。

 


 
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