胸にひとつ、星
星が流れる。
海に落ちた流れ星はヒトデになるんだ、だから漢字で海星と書くんだよ、とにーにーが言う。
では、陸に落ちた流れ星はどうなりますの、と私が問う。
にーにーは「むぅ」と困った顔をする。
昔の話だ。
にーにー。あなたは今、私と同じ星を見ていますか。
にーにー。あなたの星はどこにあるのですか。
天を埋めて星々。ひとつふたつと繰り返し流れ落ちる。一際に鮮やかなオリオン座。
地を治めて静謐。雪原。夜空を切り取って山系の稜線。黒々とした夜の際。
雪を食む靴音に人影。吐息は白く凍て、ゆるやかに融けては風に舞う。舞いながら、吐息と共に私は歩みを止めない。
冬の雛見沢。
夜の冬は海の底に似ている。
雪が星のわずかな光を反射して、大地が白く浮かび上がる。
遠くを見渡せば、自分がどこにいるのかすら判らなくなる。
だから私はまっすぐ前だけを見つめ、歩む。
買出しの荷物を持って興宮から歩き詰めだ。冬場は自転車が使えないから歩くしかない。
バスの時刻表など、あてにはならない。
ここまで歩けば、興宮の喧騒も届かない。振り返れば興宮の空が大火のように橙色に染まっている。ネオンサインの輝きを映しているのだろう、どんちゃん騒ぎのクリスマス商戦には似合いだ、と私は思う。たかがクリスマス。
駅前の商店街に飾ってあったツリーから、天辺の星の飾りをひとつ失敬してきた。星はあんなところで光るべきではない。今はコートの胸のポケットにひっそりと忍ばせてある。
右手に学校が見える。もうしばらく歩けば診療所。その手前の道を左手に曲がれば、神社へと続く道だ。
急ぎ帰ろう。梨花の待つ、いや今日は仲間たちの待つ我が家へ。魅音さんの提案で、ささやかな宴が催される。
帰ろう、我が家へ。
「あれ、圭一さんはどうしましたの?」
家に帰り着いた私が言う。
梨花、レナさん、魅音さんの三人しか集まっていない。約束は現地集合、すなわち私と梨花の家である。
「はぅ~。レナも今さっき着いたんだよ。荷物があるからお父さんに送ってもらったんだよ。」
「おじさんも興宮からクルマで直行だったからなぁ。早く着きすぎたのかねぇ」
ちゃぶ台の上にはガスコンロとすき焼き用の鍋。ケンタくんフライドチキンのパーティバーレル。これはレナさんが用意したものだ。
冷蔵庫のそばには巨大なエンジェルモート特製クリスマスケーキ。なんでも魅音さんが無理と無茶を言いまくって特注したシロモノだそうだ。なんてこった。
「まぁ、圭ちゃんのコトだから、そのうち着くでしょ」
「じゃぁ、レナは沙都子ちゃんが買ってきたお野菜を切るね」
春菊、きのこ、おネギにしらたき~、と鼻歌を歌いながら台所に立つレナさんの背中にしらたきは野菜じゃないよ、と魅音さんがツッコミを入れる。
「圭ちゃんも豪勢だねぇ。但馬牛の霜降りを食べきれないほどもらったからおすそ分けする、だなんて。おじさん、惚れちゃうよ」
圭一さん、餌付けか?
「魅ぃの家でも霜降りは豪勢なのですか? ボクは食べたことがないのです」
「霜降りはあるけど、但馬はねぇ。一度食べたけど、思い出すだけでそりゃもう……」
うひひ、と魅音さんはよだれを拭う仕草をする。もう少し女の子らしい表現を期待してはいけないのですか?
魅音さんの家も圭一さんの家も、お金は有る所には有るんですのねぇ、と私は嘆息する。
それがどうした。
熱い味噌汁とご飯は身体を温める。
食卓の笑顔は心を温める。
少なくとも、私と梨花はそうして暮らしてきた。
それにしても。
圭一さんが遅すぎる。
「レナさん。圭一さん、遅いとお思いになりません?」
「うん……圭一くんにしては遅いね。どうしたのかな? かな?」
道に迷ったか、と私は結論する。
「ええっ? 圭ちゃんが迷子になったぁ? まさかぁ……」
「魅音さん。圭一さんは、雛見沢の冬は初めてでしてよ?」
「魅ぃ。古手神社は雛見沢の奥。地元の人間でも冬の夜道では迷うのです。目印になる建物が少ないのです」
夜の冬は海の底に似ている。
雪原では方向感覚が狂いやすい。それも夜道ならばなおさらである。都会育ちの圭一さんには、雪道の怖さは分からない。
「私が捜してきますわ。皆さんはここで待っていてくださいまし」
「沙都子、圭ちゃんの居場所は判るのかい?」
おおよそは、と言いつつ私はチラシの裏に地図を描き始める。
考えろ。
雛見沢の人間なら通らない道は。
考えろ。
自分が圭一さんなら。
考えろ。考えろ。
冬道を侮る人間なら。
考えろ。考えろ。考えろ。思考を、読め。
「ここが私たちの家。ここが魅音さんの家。ここが学校で、ここが診療所。圭一さんの家はここ」
大きくバツ印をつける。
「学校までの道程はいいとして……診療所を過ぎて大きな道に出た後、一旦逆戻りすれば古手神社への小道が判るのですが……『あの』圭一さんが回り道などするとお思いになりまして?」
うんうん、と全員が頷く。
「圭一さんならば学校からの裏道を使うか、最悪、診療所前の雪野原を突っ切ろうとするかもしれませんわね。もしくは境内の裏の細道で立ち往生している、というオチかもしれませんが。いずれにしても、圭一さんはここにいます」
私は小さくマル印をつける。
確信。圭一さんはここにいる。
「沙都子。どーでもいいけど、あんた、やけに地理関係や圭ちゃんの行動パターンに詳しいじゃない?」
「な、ナニをおっしゃいます魅音さん。地理の把握や思考の先読みはトラップ作成に欠かせませんわ。それに、私を仕込んだのは他ならぬ魅音さんではございませんこと?」
「確かにその通り。見事だ、我が弟子」
魅音さんは苦く笑った。
「恭悦の極み。我が師。十五分で見つけます。」
私はコートを引っ掴むと笑みも返さず、夜の中へ飛んだ。
「どうして……」
どうして。
どうしてあんなに似ていないのに。
にーにーとは似ていないのに。
どうしてこんなに似ているのだろう。
人をやきもきと心配させるところだけ。
にーにーと似ているのだろう。
圭一さんという人は!
走れ。今は走れ。
鬱蒼と、なお暗く木々。かすかに白い道。
夜気を穿ち、闇を引き裂いて、走れ。
神社の境内もまた、私の庭だ。目を瞑っていても、判る。
何かいつもと違う気配があれば。
圭一さんの気配があれば。
必ず判る。
光、音、匂い、空気の流れ。
五感を駆使して察知せよ、圭一さんの居場所を。
「!」
音がする。かすかだが、雪を踏む音がする。
こっちじゃない。
家の方からだ。
きびすを返して、私は風になる。
足元で雪が舞った。
私は呆然とする。想像もしなかった。
私と梨花の家のすぐそば。その低い崖の下、境内へと続く細い道。青白い雪明りの中を影が動いている。
我が家の目の前。そんなつまらないところで迷っていたのか。
私の思考の先読みもまだまだ甘い。
まったく……圭一さんの考えは読めない。
まったく……頼りないのか、そうではないのか。
冒険譚のオチにしてはつまらなすぎる。笑い話に丁度いい。
「圭一さん! 圭一さ~ん!」
私は叫ぶ。
影が手を振る。
この崖なら楽に滑り降りられる。
深雪を蹴って宙に躍り出す。
「……で、ここで何をなさっているんですの、圭一さん?」
「露骨に呆れるなよ。ここまで来れたけど迷ったんだ。見てみろ、木の陰が邪魔になって先が見えないんだ」
なるほど。確かに深い木々が我が家の明かりを隠している。私や梨花ならともかく、初めての人間なら戸惑い迷うかもしれない。
「迷った時には動かない。これが鉄則だよな。だからここで待っていた」
「…………」
「可哀そうな人を見る目で呆れるなよ。必ず誰かが迎えに来てくれる、って思っていたんだ。現に沙都子が来てくれたしな」
圭一さんの大きな手に、私の頭がわしわしとかき回される。
「サンキュな、沙都子」
卑怯ですわ、圭一さん。
そんな言い方をされたなら、怒るに怒れないじゃないですか。
残酷ですわ、圭一さん。
そんな笑顔をされれば、嬉しくなってしまうじゃないですか。
にーにー。
圭一さん。
ふたりの背中と笑顔が重なって見えてしまうじゃないですか。
私の気持ちがどっちつかずで戸惑ってしまうじゃないですか。
にーにー。
圭一さん。
私の心の行き場所が分からなくなってしまうじゃないですか。
今度は私が白い夜の底で迷子になってしまうじゃないですか。
星が流れる。
私の瞳に流れる。
迷子になりそうなのは私です。
にーにーの星が見えなくなりそうです。
「あれ? 何か光った」
崖の方を見た圭一さんが頓狂な声を上げた。
「あれは……」
私はコートの胸のポケットに触れる。ない。星の飾りが、ない。
崖を滑り降りたときに落としたんだ。
「わははははは! 星がこんな所に落ちてるぜ!」
圭一さんが金色の星の飾りを拾い上げた。
「すいません……その星の飾り、私のでしてよ……」
そうか、と圭一さんは私に手渡してくれた。私は慌ててコートの胸ポケットに星を押し込む。
「なぁ、沙都子。お願いは済ませたのか?」
その意味が解らず、黙り込む私に圭一さんは言った。
「おまえのにーにー、早く帰って来るといいな」
「!」
そうだ。
今日は願う日だ。
今日は祈りの日だ。
大好きな人たちの幸せを。
会ったこともない人たちの幸せを。
それを願い、祈るのが今日という日なのだ。
胸に手をあて、にーにーと仲間を想え。
圭一さんが手渡してくれた星。その星はベツレヘムの星。
それは標べの星。
そしてこれが、にーにーの星。
にーにーの代わりも。
圭一さんの代わりも。
誰かの代わりになる人なんていないじゃないですか。
なぜ、そんなことに気が付かなかったのでしょう。
心の行き場所が分からなくてもいいじゃないですか。
白い夜の底で迷子になってもいいじゃないですか。
迷い、疲れたときでも。
にーにーも、圭一さんも。
梨花も、レナさんも魅音さんも。
私はみんな、みんな、迷うことなく大好きです。
いつかきっと、迷った私のことを見つけてくれるでしょう。
「圭一さん、手をお繋ぎしませんか? 我が家までお送りして差し上げましてよ?」
「遅刻の罰ゲームかよ。やめろ。恥ずかしい」
「まぁ、シャイでございますわねぇ。レディに恥をかかせるものではございませんわ」
差し伸べる手のひら。
「……分かった、今日だけだ。今日だけだぞ。今日は特別な日だからな」
私を包む、大きな手。
「では、圭一さん。陸に落ちた流れ星はどうなるかご存知でして?」
「……さぁ……?」
「人の胸の内で輝く星になる、というのはいかがでございましょう?」
星が流れる。
私は歩く。圭一さんと並んで歩く。
海の底に似た、夜の冬を歩く。
標べの星をひとつ、胸に抱いて。
にーにーの星。そして、私の星。
いつか会えるにーにーへ。
私は迷いながらまっすぐに生きていきます。
メリークリスマス。
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「ひぐらしのなく頃に」より沙都子と圭一、ある冬の夜の物語です。