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七月五日。
午前七時、智美家を出る。僕の家に行き、僕の部屋の戸を三度叩く。僕は全部無視をする。
午前七時十五分。智美、近くのバス停からバスに乗る。智美の通う高校は、このバスでほぼ直行できる。バスを降りてからの徒歩時間はおよそ十分。
午前八時五分。智美、学校に到着。上岡野女子高等学校、O県では名門校だ。毎朝同じ時間に僕の部屋に来ていたことを考えると、毎日同じ時間に到着していた模様。HR開始まででも二十五分の余裕。智美は真面目な生徒だ。
午後一時丁度。智美、学校から出てくる。今日から期末テストらしい。初めて知った。智美、近くのバス停からO市繁華街に行くバスに乗る。家とは反対方向。友達と一緒だから、おそらく昼食を兼ねてテストの憂さ晴らしをするのだろうと思う。
午後一時三十分。智美、街のコーヒーショップへ。食事をここで済ませる模様。僕もお腹が空いたが、同じ店に入るわけにはいかない。近くに他に店はない。我慢することにする。
(…何やってるんだ僕は。これじゃ、まるでたちの悪いストーカーだ)
朝から野添智美を追って回っていた結城重幸は、繁華街の電信柱の陰で、一人ため息をついた。
これから智美が事故に遭う時間まで、およそ五時間。彼はずっと付け回るつもりだった。
彼にとっての、それが最良だったのである。
しかし……。
(これで本当にいいんだろうか?)
彼女への想いと自分の行動を比べ見て、どうにも食違いがあるような気がするのも確かだった。
彼の彼女への想いは、もっと純真で、無垢なものなのだが……。
だからといって結城には、智美を付回す以外に方法が見つからないのも確かだった。
「普通人が異時間に長いこと居ると、体に毒よ」
唐突に声がかけられたのは、結城が何度目かのため息をついたときだった。
驚いて結城は振り返る。
そこにはハンチングにサングラスの、背の高いモデル風の女が立っていた。井原葵だ。
「なんですか、あなたは」
一歩後ずさりながら、結城は言った。
異時間。彼はこの言葉に聞き覚えがある。自分が本来存在すべき時間のことを通常時間といい、時間跳躍して訪れた別時間のことを異時間というのだ。
そして自分に「長く異時間に居るな」と忠告したところをみると、目の前の女は結城がトラベルしてここいることを知っている。
つまりは、女は、井原葵は結城重幸への追っ手だということだ。
結城は意を決し、身を翻して駆け出した。
今つかまり、「現在」に帰るわけにはいかない。
彼はまだ、目的を達してはいないのだ。
が、駆け出した結城のその手を、葵はがっしとつかんでいた。
「離して!離してください!!」
結城はうめくが、葵は離さない。また振りほどこうとしても、背が高く、鍛え上げている葵につかまれては、小柄な結城にはどうすることも出来なかった。
「ちょっとお話しましょうか、ね?」
時刻は午後二時になった。
場所は智美の入ったコーヒーショップから徒歩五分ほど離れた、寂れた喫茶店だ。ただし智美はもう店を出ている頃だろうが。
壁際の席に追いやられて、結城重幸はうなだれていた。
「もう観念することね。あたしが来たからには、君なんかに過去を改ざんなんてさせないから。怖いおじさんも聞いてることだしね」
葵はコンコンと、指でインカムを叩いてみせる。
「過去の改ざん……?何のことですか?」
「ネタは上がってんの。ま、ゆっくり話しましょ。コーヒーでも飲みながらね」
言って、葵はさっさとホットコーヒーを二つオーダーしてしまう。「今」が夏だということは全く考えていない。
程なく、無愛想なマスター兼ウェイターが、シュガーとミルクを皿に載せたコーヒーを二つ運んできた。
「僕は…」
「結城重幸二十六歳。O県O市武田町三丁目在住。ひきこもり暦十三年。局長言いたいことは?」
『特にない』
「ん、まぁそんな感じ」
葵はミルクとシュガーをいれ、コーヒーをかき混ぜた。本音を言えばシュガーはもう一本入れたいが、テーブルにはシュガーポットなどなく、ウェイターに頼むのも面倒くさいので好みの味じゃないまま飲むことにする。
「僕のこと、調べたんですね」
「ええ、まあ当然。君が野添智美さんを助けに来るだろうってことも、ね」
「……それは違います」
「え?」
「あなたは…」
「井原葵。時間管理局から来た、時間調停者よ」
「井原さんは、僕が彼女を、智美を助けるつもりだと、そう思ってるんですね」
ぐるぐるとかき混ぜられたコーヒーは、ミルクと混ざり、マーブル模様を描いてやがて一つの色に落ち着いていく。そして一度混ざったコーヒーとミルクは、二度と分かれることはない。時間もまた同じで、原因と行為から生じた結果は、二度と変わることはない。
結城はゆっくりと、口を開く。
「僕は……智美を助けるつもりはありません」
「……過去に戻ってまで、智美さんを追いかけてきたのに…?」
「はい。僕はただ、彼女に手紙を渡したいだけなんです」
結城はそっと、テーブルの上に小さな封書を置いた。
『何を言ってるんだ?彼は』
「しっ、局長は黙ってください。結城君、どういうことなの?手紙を渡しに来ただけって、そんなこと信じられない。君は十年もかけて、トラベルマシンを作ったんでしょう?それが、目的が手紙を渡すだけ?」
「……そうですね、信じられないと思います。でも、本当なんです」
結城は下を向いて、とつとつと話した。
カップの中のコーヒーが、微細に揺れて波を作る。
「最初は、僕だって智美を助けるつもりでした。でも、たくさん本を読んで、知ったんです」
言葉を区切り、結城は葵を見据えた。
真摯な視線が、葵を射抜く。
「過去の改変を行うと、現在が消滅する恐れがあるんですよね。現在が作り変わった過去とのギャップに耐え切れず、世界は消滅する。そんな説があって、しかもかなり有力だと、本で読みました」
「局長、それホントですか?」
『本当だ。だからこそ我々が居るのだろう。君は知らなかったのか?』
「大変なことになるとは知ってましたけど、そんな大げさだとは…」
「変わってますね、井原さんは」
くすくすと、結城は笑った。その笑いに、卑しいところはなかった。そして、悟った風な笑いでも、またなかった。
それはただ、「わかった」笑い方だ。
現実は辛く、思い通りにはならない。だけどそれは仕方ないのだから、なるだけがんばって理想を作っていこう。そういう割りきりが出来ている笑い方だ。
葵は確信する。この男は、時間犯罪者なんかではないと。
「手紙を渡したいだけなのね?」
「ええ。僕は智美のことが大好きです。だけど、だからこそ、智美一人の命と世界とを、天秤にかけたりはしません。そんなことすれば、智美に怒られますから。それに…智美はどうも、好きらしいんですよね、この世界が」
小さく沈黙が落ちた。
時間犯罪者は、時間犯罪者などではなく、ただ想い人に会いに来ただけの旅人だった。
時刻は現在二時半。
野添智美の事故死まで、残された時間は四時間を切った。
「でも、もう諦めてます。過去に来たのはいいものの、どうやって手紙を渡そうか、困ってたんです。思いを詰め込んだ手紙を書くことと、トラベルマシンを作ることで精一杯で、手紙を渡す方法まで考えてなくて……。だって、僕が渡すわけにはいかないでしょう?未来から来たって智美にバレちゃいますから……」
「あたしがやってあげる」
気付けば葵は言っていた。
「…え?」
「いいですよね?局長」
『全く君は…。まぁ、言うと思っていたがね。そうだな、時間ぎりぎりならば、構わんだろう。野添智美の事故死は午後六時二十四分。一時間前……五時二十四分を過ぎたら渡してもいい』
「結城君、いける、やったげる。五時二十四分だから、そうね、三時間後に智美さんに手紙渡してあげる。三時間後っていったら……」
葵は資料を取り出し、智美の足取りを確認した。智美はその時間、百貨店内の書店で参考書を選んでいる最中のはずだ。
「三時間後に本屋さんで、作戦決行。いいよね?」
葵は目を瞬かせる結城にまくし立て、結城のイエスを待たずに決めてしまった。
結城は苦笑して、
「大変ですね、局長さんも」
と言った。
『全くだ。たまらんよ』
「あ、たまらんですって。ムカついた。局長帰ったら絶対叩く。結城君も叩く」
頬を膨らませて、葵はコーヒーを一口すすり、顔をしかめさせると結城の皿からシュガーを奪い取り、自分のコーヒーに入れると一気にあおった。
やっぱり、コーヒーにはシュガーを二本入れるのが最高だ。
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