「そろそろ、お風呂に入りませんか?」
エリーが、ポン、と手を叩いて言った。叩いた瞬間に、ボリュームの有る髪がフワリと揺れた。
馬鹿でかい庭を車で10分、小規模だが小市民なリコからしてみれば気が遠くなるほどの中庭を抜けて辿り着いたエリーの家。
入ると同時に、メイドさん…………久遠という、門の所でインターホン越しに話しかけてきた…………が、エリーの部屋まで案内してくれた。屋敷の玄関にエリーが居たのだから、彼女自身が案内すればよさそうなものだが、久遠というメイドはエリー専属らしく、特別な用事が無い限りほとんどエリーに付き添っているらしい。なんとも不便そうな話だが、小さい頃から誰かしらお付きの者が居たらしく、今ではそう鬱陶しく無いらしい。
現在居るエリーの部屋。
その部屋は屋敷の大きさに比例して、やはり大きかった。リコの部屋を5倍の面積にして縦に2倍したくらい大きかった。自分の部屋を過大評価している可能性があるのでもっと大きいかもしれない。ていうかこんなに大きかったら逆に住みづらいんじゃないかと思うくらい大きい。
天蓋付きのダブルベッドには中世ヨーロッパ風模様のコットンレースカーテンがかけられており、それに合わせるかのように敷き詰められた部屋の絨毯には毛玉の一つも落ちていない。
さらに、他の家具なども古風な感じで纏められている。全て洋風である事が特徴だ。ヨーロッパの城を見学したとすれば、こんな感じなのかもしれないと感じさせる作りだ。とはいえ、恐らくテレビなのだろう、有りえないほど大きな液晶が壁に埋め込まれていたり、内線の画像送受信方電話が設置されていたりと、そこはかとなくハイテクであった。なんにせよ途轍もなく金がかかっている事が分かる部屋だった。
気が付かなかっただけで、部屋までの道のりもそうだったのかもしれない。
とまれ、そういう部屋に来て初めは呆然としていたリコだったが…………ヤカは2度目の来訪であるため、驚いていなかった。納得いかない…………すぐに慣れた。なんというか、いい加減驚くのも疲れた、というのもある。この家はこういう家で、その存在や成立過程に驚嘆を示したら負けだ。そう思うことにした。
そして、初めから計画していた通り、晩御飯は自分たちで作った。気軽にそう提案したら、エリーが思いのほか食いついてきたのだ。良く考えたら、花刻家の豪勢な料理を食べ損ねた事になるのが残念だったが、エリーの嬉しそうな顔を見るとそれでも良いかと思えた。
昨日のヤカのトラウマがあるリコは、断じて彼女を料理に参加させなかった。なので、美味しく食べれるものが出来た。作った料理は単純にカレー。リコが初めに覚えた料理であり、最も難しいと感じている料理。
各種スパイスを炒って潰す事でカレー粉を作り、それをバターで炒めた小麦粉と混ぜ合わせる事でカレールーを作る。後は時間をかけて、野菜と肉を煮込むだけ。それだけだが、本当に美味しく作ろうとすればとても難しい。単純なだけに小さなミスが大きく響く。
それでもそれが美味しく仕上がったのは、食材の豊富さと新鮮さ、そして質のお陰だろう。リコは料理の腕にある程度の自信を持っていたが、出来上がったカレーは己の腕を越えた代物だったからだ。
と、そんな訳で。
夕食を済ませて、後片付けをして…………ヤカと久遠が2人でなにやら相談していたのが気になったものの…………エリーの部屋に戻ってきたのがつい先程。
無駄に大きなテレビでハイビジョンに映る、何時も見ているバラエティ番組。なんだか落ち着かなかった。
その番組の途中での提案だった。
「うん、いいよ」
「さんせーいぃ」
特に集中してテレビを見ていたという訳ではなく、主体としてテーブルに輪を作ってお喋りに興じていたため、リコとヤカの2人は、入浴に対して否定的では無かった。
ちなみに、お喋りの内容はエリーの小さな頃のお話。アルバムを広げて、小さな頃の写真を視て可愛いねー。そんな感じの会話。
「良かったですわ」
合わせた掌と首を同時に傾げ、笑みを作る。スタイルが良く、身長も女子にしては大きい方で、顔立ちも大人びているのに、こうした可愛らしい動作がとても良く似合うのだった。
何処の部屋も無駄に広いだけに、脱衣所の広さも相当なものだった。だが、その広さに無駄を感じないから不思議だ。吸水性の高そうな布地のマットが敷き詰められている。ふわふわとして足に気持ち良かった。
「こちらにお召し物をお預かりします」
エリー専属のメイド、久遠が竹で丁寧に編まれた籠を持って、そんな事を言って来た。この場所にあるのだからただの籠ではあるまい。きっととても高いのだろう。そう思ったのだが、1980円と書かれたタグが籠の端にくっついていた。意外だ。
そんなリコの視線に気付いたのだろう。
「私の私物です」
久遠が笑顔で言ってきた。
確かに、周囲を見れば、建物の造りや調度品は洋風で統一されている。籠だけ和風なのは違和感を感じた。だが、久遠の持ち物ならばそれも納得できた。
「こういうのが好きなんです。お嬢様に許可は頂いてますよ?」
メイド服がとても似合うこのメイドさんは、どうやら和風なものが好きらしい。ヤカによると私物のメイド服も趣味で何着か持っているらしいが、全くアンバランスな趣味だと思った。他人の趣味に口出しをするものでは無いので言わなかったが。
リコとヤカはそれぞれのペースで服を脱ぎだして…………というかなんとなく互いを牽制していた。
二人は顔を見合わせて微妙な笑みを作った。
正直、リコは温泉などあまり言った事が無いために、妙に気恥ずかしい。ヤカも当然そうだろう。だが、この場にエリーが居なければそういう気恥ずかしさは無かっただろう。幼い頃からの付き合いなのだ。変な意味では無く、色々な場面で互いの身体など見慣れている。当然、エリーはそうでは無い。それ故に、やや羞恥心があるのだった。
だが。
「脱ぎませんの?」
エリーは、服を久遠に手早く脱がせてもらうと、タオルを巻いて風呂の入り口に手をかけた。
その、微塵も恥じらいが感じられない堂々とした態度。リコは羨ましく思った。ていうかなんだよそのスタイル、とかも思った。何食ったらそんな出るトコでて凹むトコ凹むの? とかも思った。
「この歩く淫乱凶器め」
これはヤカの言葉だ。断じて、自分はそんな事を思っては居ない。断じて、だ。
「…………それは褒めて頂いているのかしら」
口元をひくつかせて、エリーは言った。
絶対褒めてないよそれ、と言いたかったが、これは不味い。言い合いになる何時ものパターンだ。
リコは脱ぎかけていたTシャツとパンツ、下着を自分でも驚くほどのスピードで脱いで、
「ほらヤカ、置いてくわよー」
エリーの肩を押して、浴場へと入った。
我ながらファインプレーだと思わざるを得ないのだった。
そうして入った浴場は、先ほどのエリーの部屋とほぼ同じ大きさで、入った瞬間、現実を認識できなかった。
だが、エリーの柔らかい肩を揉みしだきつつ…………エリーは『ちょ……
ひゃっ』と嬌声を上げていた。中々色っぽいでは無いかコイツコイツ…………いい加減この広さに慣れなくては、と考える。
大きいと言っても、所詮何処かの温泉浴場と同じくらいの大きさなのだ。そう考える事がこの現実に慣れるコツだと思った。
大理石…………なのだろうか、床はそれで埋められており、全体的に灯りが少ない浴場に照らされたブルーライトで妙な雰囲気を醸し出している。
浴場の置くには円形の大きな…………数人入っても差し支えない大きさのジャグジーが設置されており、ジェットバスの作り出す気泡より遥かに小さな泡が視えた。
「マイクロ気泡です、リコ様」
よほど不思議な顔をしていたのだろうか。久遠がすかさずフォローに入った。温浴効果、湯冷め防止等の効果があるらしい。
「しかし、ほんと大きいわね…………エリー、これって、一人で入る様な大きさじゃ無いでしょ。何時もここに入ってるの?」
「普通の大きさの物もちゃんと有りますのよ? 皆で入るのならこちらの方が良いと思いましたの…………リコさんは、お一人が良かったですか?」
不安そうな顔をして聞いてくる。
その表情に、リコは若干の違和感を覚えた。何故そんな顔をするというのだ。
「ううん、皆で入った方がお泊りって感じがして良いわ」
「ふふ、良かったですわ」
安堵して首を傾げる。
女のリコでも魅了されてしまいそうな仕草。しかし、やはり違和感を覚える。何故、たかがそんな事で一喜一憂するのだろう。友達思いとか、感情豊かとか、そういう言葉で片付けられる性質のものでは有るが、何時ものエリーには見られないものだった。
まあ良い。
エリーとヤカが言い争い始めない限りは平穏に過ごせる。仮に言い合いを始めたとしても、それは何時もの事なので気にはならないが。それに、二人の言い争いでその怒りがリコに向くことはまず無い。そしてヤカとエリーは何時の間にか仲直りしている。なんだかんだと言って、決して仲が悪いわけでは無いのだった。
そんな事を考えていると。
「とおああああぁぁぁぁぁあー!」
「ひきゃっ!?」
凄まじい勢いでエリーに突進したのは、脱衣し終えて浴場に入ってきたヤカだった。長い黒髪が後方へヒラヒラと舞っている。
お風呂なんだから髪の毛くらい纏めなさいよ。
ジャグジーからあふれ出たお湯で湿った大理石の床を滑って、二人はゴロゴロ
と転がって行った。
うわぁーアホが居る、とリコ。久遠は口元に手を押さえて笑いを堪えている。
「これがこのオジサンに涎を禁じさせない胸かぁ! いや、これは尻か、あれ、胸? どっち? えええぇぇぇぇぇえいでかいから分からなぃ!」
「ちょ、ひゃッ、止めなさい、止め…………止めえぇぇぇ」
本当にオッサンらしいヤカと嬌声を上げるエリーを尻目に、リコと久遠は淡々と身体を洗い始めた。シャワー等が一つだけでは無いのがやはり凄い。
湯船に浸かる段階で、ヤカの身体が宙を舞っていたような気がするが、気のせいでは無いだろう。
そして、マイクロ気泡はとても気持ちよかったのだった。
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風呂場のシーンがありますが、別にエロくもなんとも無い・・・はず。