「遠野さん」
終業時間一分前、パソコンのタイムカード前でスタンバっている遠野さんに上野が声をかけた。
「今日、ちょっと飲みに行きませんか? 話、聞いてもらいたくて……」
「えー。イヤダ」
画面から目をそらさずに、遠野さんはすげなく断った。カウントダウンが始まっているのだろう。
「おごります」
「しょうがないな、上野君! おねいさんが付き合ってあげるヨ!」
くるりと振りかえってにっこり笑った、その身の変わりやすさが遠野さんクオリティ。
「ああ、5秒ロスした」
猛烈な速さでパソコンのテンキーで社員番号とパスワードを入力すると(遠野さんたちは会計の際、書籍の様なバーコードなんてハイテクなものではなく、値段を子機のテンキーで打つ。だからベテランになればなるほど叩くスピードが速くなる)
「着替えてくるから、B2で待ってな。じゃ」
とうていおごってもらう立場の言動とは思えない、えらっそうな態度で遠野さんはカウンターを出ていった。
「お先に失礼しまーっす」
出勤時はダウナーで退勤時にはアッパーになる、そんなところも遠野さんクオリティ。
別名、低クオリティともいう。
さて、上野のお財布の事情に合わせて、高架下の焼き鳥屋へ繰り出した2人。
「おっちゃーん。生中2つねー!」
「あいよぅ!」
おしぼりを拭きながらねじり鉢巻きのオヤジに注文する遠野さんは、となりのリーマンと比べても遜色ない。「親父」と同化する彼女はたまに女友達(可愛い)と飲むと、なぜかとなりのテーブルの男たちがおごってくれたりすることに、本気でジェラシー感じている。
「で、なに? 相談って」
おしぼりで手を拭いた遠野さん。本当は顔も拭きたかったが、あえて我慢した。
「あのですね……実は、こ」
「あい、生二丁―!!」
ぐいんと延びたオヤジの手に上野はのけぞったが、大人しくジョッキを受け取った。
「あ、注文いいですかー? キモとカワとズリとボンジリとネギマとセセリとナンコツを塩で2本づつ。あとシシャモとアツアゲポン酢で。はい」
好きな分だけ注文すると、メニューを上野に渡す。
一般女子のように「えー、何にするぅー?」とメニューを覗きこむ様な可愛らしさは遠野さんにはない。残念。
「あ、えと、鳥のから揚げを……」
「あいよぅ」
オヤジが笑顔で引っ込むと、遠野さんは上野に中ジョッキをガンとぶつけた。
「うーい」
カンパーイとはしゃぐような年頃の娘さんの様な愛くるしさも遠野さんにはない。哀れ。
「あの、実は相談事というのはですね」
冷たいビールで喉を潤した上野は、決意したかのように、うん、と背筋を伸ばして遠野さんを見つめた。
「恋をしています」
「へー。それどんなギャルゲー?」
「いや、そうじゃなくて……!」
「あ、エロゲー? よく分かんないけど頑張ってアドバイスするよ。なんったっておごりだし。おっちゃん、生追加―!」
「じゃなくて! リアルに好きな人がいるんです!」
「えっ!」
空のジョッキを掲げたまま、遠野さんがフリーズした。一面のお花畑で微笑むプロレスラーを眺めるような顔で上野を見つめている。つまりは信じられないようなものを見た時の眼差し。
「この間、入ったばっかりの、Mさんを好きになっちゃったんです」
「あ、あんたそれマジで言ってるの……?」
遠野さんの顔が驚愕に変わった。浮いたままのジョッキはオヤジがそっと回収した。
Mさんは遠野さんが教育担当している新人ちゃんである。小柄で細身で全体的にちっちゃい、いかにも「女の子」な女の子である。
入った当初、遠野さんと社員の北さんは「素直な子が入って良かった」と胸をなでおろしていたが、実は結構、灰汁の強いおにゃのこだった。
「彼女はテンパリスト」
略してテンちゃん、と遠野さんが命名したほど、よくパニックになる。一度、ツボに嵌ると抜け出せない性質らしく、彼女が発動するうっかりやテンパリに巻き込まれた人間は数知れず。
一番近い所にいる遠野さんも被害は甚大で、テンちゃんがうっかり捨ててしまった領収書(領収書を発行する時は、引き換えにレシートを冊子に貼らなければなりません)控えのレシートを探してゴミ箱を漁ったことがある。しかもその日は自分の誕生日だった。
本人も気にしていて「どうせわたしなんて」と落ち込むのを遠野さんが「新人なんだから間違えるのは当たり前だよ、でも気を付けてね」とフォローしていた。
どこか危うくて、ほっとけない感じ。そんな可憐さが上野の心臓を打ち抜いたらしい。
「なんていうか……ゴリラの群れの中に、チワワが一匹紛れ込んだような……ハウチ!」
「誰がゴリラだ鼻フックくらわすぞ」
上野の腕を捻り上げた(スクエアカットの爪の角っこ使用。めちゃくちゃ痛い)遠野さんは、アツアゲをつまみながらしみじみと言った。
「しっかし、上野はどこまでも二次元ラバーだと思っていたよ。現実に人を好きになるなんてありえるんだね。めでたいね、こりゃ」
そしてやおら顔を上げ、
「おっちゃん、お赤飯ある? あ、やっぱりない。いいよいいよ、小豆でも。ライスシャワーでも新郎新婦に米ぶつけるじゃん、あの要領で……えーダメ?」
「遠野さんお願いぼくに小豆を撒かないで!」
オヤジと上野にNG を出されてぶんむくれた。
「いやさー、テンちゃんもいい子だけど天然入ってるから、大変だよー。あの細さで『まだやせたい』っていうんだもん。嫌味かってムカってしたけど、本気でいってたんだよね。いやー、びっくりしたわー。というわけでがんばってね」
「がんばる方向が分からないんです」
上野は小動物のようにジョッキを両手に持って、こくりとビールを飲んだ。
「ぼくはどうすればいいんですか? まずは給料3ヶ月分の指輪を買ってお付き合いを申し込めばいいのはわかっているんですけど、そこからが……」
「いやいやいやいや、それ全てを通り越してプロポーズだから!」
驚きのあまり立ち上がって遠野さんが突っ込んだ。
「てゆうかいきなり指輪なんて、普通ドン引くから! ダメゼッタイ!」
「えっ……。でもこの間クリアしたエロゲーじゃ、そういう設定で……」
「おバカ! なんでもありのファンタジーゲームが現実に通用すると思うな!」
「じゃあ、どうしたらいいんですか!」
「簡単じゃん、そんなの」
どっかり椅子に座った遠野さんは明言した。
「好きっていえばいいじゃん。ダメだったらふられてジ・エンド、オッケーだったらお付き合い。はいこれですっきり解決」
「ふられるのが嫌だから相談してるんですよーーーー!」
今度は上野が激高してスタンドアップ!
「それにMさんとの間が微妙な空気になったら、ぼくいたたまれない! そんな辛い思いするのやだ!」
「だまれこのヘタレ童貞チキン野郎!」
鶏肉が一個のこったままの串をビシィッと上野に差して、遠野さんも応酬する。
「男ならうじうじ悩んでないで、スパーンと告れ! そして玉砕しろ! 砕け散れ!!」
「なにげに敗北前提じゃないですかーーー!」
お客さん、もちょっと声落としてね、とオヤジに注意され、上野と遠野さんは我に帰った。
店中のリーマンたちが微笑ましそうな顔で見物している。
いいねえ、若いねぇ。
そんな彼らの声が聞こえてきそうである。
「すみませーん」
「ご迷惑おかけしましたー」
方々に頭を下げた2人は、大人しく飲み始めた。
「あたしさ、上野ってテンちゃんのこと、きらいなのかって思ってた。だって2人が会話しているとこみたことないもん」
「意識しすぎて、何話したらいいか分からないんですよ……」
もう、しょうがないな、と遠野さんは溜息をついた。
「今度、3人でのみにいこ。いきなり2人よりはハードル低いでしょ?」
「ありがとうございます! 恩に着ます!」
律義に上野が頭を下げた。
「あと、できればさり気なく指輪のサイズを聞いといてもらえませんか?」
「まずは指輪から離れろ!!」
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大型書店の離れ小島、文具売り場で働く遠野さんと愉快な仲間たち。
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