No.446734

真説・恋姫†演義 異史・北朝伝 第二話「義姉妹」

狭乃 狼さん

というわけで。

移植の三つ目を公開です。

なお、向こうではこのお話、三部に分けておりましたが、

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2012-07-05 21:25:49 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:5013   閲覧ユーザー数:3606

 

 冀州北部に連なる山々の一つ、黒山のその麓に、鬱蒼とした森が広く拡がる箇所がある。そこは古くから山賊や夜盗などがその住処として、良く利用している事が多かった事から、近隣の人々はその森の事を『盗賊の森』と呼び、普段からあまりすすんで近づくような事も無かった所である。

 ところが、である。

 ある日を境にして、その盗賊の森近辺で山賊や夜盗はおろか、危険な獣の類までもがその姿を余り見せなくなった。そして、まるでそれと入れ替わるかのように、訓練されて統一されているとしか思えない武装集団が、森の中に頑強な砦を築いて住み着き始めた。

 

 【黒山義勇軍】

 

 その集団は自分達の事をそう名乗り、自分達は冀州における賊討伐のために集まった有志の集まりであり、この森に元から巣食っていた賊達も全て降したので、これからは少なくともこの近辺では、盗賊や山賊などに良い顔をさせ無いと、近隣の邑々へと使節を送って各邑の長達に確約。

 そしてそれを見事に有言実行することで、今では下手な官軍よりも、周辺の人々の期待をその背に背負っているのである。

 

 「……遅いな、二人とも。そんなに遠出でもないんだから、日の落ちるまでには戻ってくるとは思うけど」

 

 黒山義勇軍が森の中に建てた、簡素ながらも、地形を十二分に活かしているその砦の物見やぐらから、遥か南の方をじっと、腕組みをしたまま見つめる一人の女性がいた。  

 白い紐で簡素に縛った、その燃え盛る炎の如き真紅の髪が、その女性の細い腰の辺りにまで垂れ、風に揺れている。全体的に細身ではありながらも、主張すべき所はしっかりと主張しているその身体に纏うのは、レオタードに酷似した黒一色の衣装と、腰に穿く丈の短いスカート。

 そしてそこに銀色の肩当てや腰当て、脚甲を身につけたその全体像はまさに“騎士”という表現こそが最も適切で、背に背負う戦闘斧、いわゆるハルバードと呼ばれるそれが、夕日を浴びて鈍い銀色の輝きを放っていた。

 

 「夕日、か。……そう言えば、ちょうどこんな、夕日の綺麗な日だったね……。あたしと輝里、そして結の三人とで、義姉妹となって義勇軍を結成する事にしたのは……」

 

 遠く、西の空に沈みかけている日輪が、あたり一面を朱に染めていくのを、その黒曜石の如き漆黒の瞳で眺めつつ、彼女はほんの何年か前の出来事を、その脳裏に思い返していた。

 

 

 徐庶、字を元直は、豫州頴川郡の生まれである。

 

 彼女は当初、持って生まれたとある才能を世に出て活かすその為に、剣客として大陸各地を渡り歩きつつ、己が身のその全てを捧げるに足る主君を捜し求めていた。

 だがその旅の道中、ふとした切欠から知った、自分自身の剣客としては最大の欠点によって、彼女は一時、絶望の淵へと叩き落される事となった。そしてその結果、徐庶は剣客としての道を完全に捨て、世捨て人同然の身形(みなり)のまま、実家に帰る事すら無く、()()無い放浪の旅を続けた。

 

 そんな徐庶が着の身着のままある日辿りついたのが、大陸は中部、荊州の州府である襄陽だった。 

 

 彼女はその地で、とある切欠から知り合った一人の女性の、その深謀遠慮を絵に描いたような人柄に深く感銘を受け、その門下生となる事を決意。その女性、司馬徽、字を徳操の営む私塾、『水鏡塾』にその籍を置き、政略や軍略の勉学を修める事になった。

 

 そして数年後。

 

 司馬徽から無事卒業の許しを貰った徐庶は、久しぶりに郷里へと帰る事にした。

 ただ、塾の同門であり妹の様に可愛がっていた二人の後輩達には、その旅立ちの際にはかなり泣かれてしまったが、それでも、泣きじゃくるその二人を何とか宥め、司馬徽と後輩二人に見送られて、徐庶は懐かしい我が家を目指して荊州を後にした。

 

 だが、嬉々として故郷の地に辿りついた徐庶を迎えてくれたのは、優しかった父母や邑の人々の暖かい歓迎ではなかった。

 

 「……嘘……なによ、これ……父さん……?母さん……?うそ、うそ、いや、いやあああああああっっ!」

 

 彼女のその、悲痛という言葉では遥かに足りない、その慟哭。

 それは、暖かく穏やかだった筈の己の故郷が、見るも無残なまでの廃墟と化していた事による、その、尋常ならざる絶望から生み出されたものだった。

 建物らしい建物は一切残っておらず、全ては元建物だった残骸の山へと化し。邑中いたる所で上がったのであろう火の手によって、地面は灰と炭によって黒と白がまだらに入り混じった色へと変化。そしてその上には、かつて人だったモノたちが、もはや何も物言わぬタダの塊となって、あたり一面に転がっていた。

 

 「うぶっ、げっげほっ、う、げえっ……!……これが、死臭……人間の焼ける匂い……こんな、こんな事で、こんな所で、体験……なんか、したくなかっ……ぐ、ううっ……」

 

 人間の体の、焼けた匂いと腐敗した匂い。

 知識としては知ってはいても、実際にそれを体験するのはこれが始めての彼女は、それを堪え切る事など到底出来ず、胃の中のもの全てを、嗚咽とともにその場で吐き出した。

 

 そして、それからどれほどの時が経ったのか。

 

 胃の中の物全てを吐ききった徐庶は、さながら幽鬼の様な虚ろな目をして邑の中を一人彷徨い、そして、見つけた。

 

 「……父……さん……母、さ……っ」

 

 かつて、自分の実家のあったその場所で、互いを庇い合うようにして倒れ臥し、絶命しているその二つの遺体を見つけ、それが両親のものだとすぐに確信出来た彼女は、ほんの数分の間、呆然とそれを眺めた後、今度こそ、全身の水分が無くなるのではないかと言うほど、もはや物言わぬ両親の身体にしがみつき、夜の帳が降り尽くすその時まで、独り、泣き続けたのであった。

 

 翌朝。

 

 徐庶は日の出と共に、両親や邑の人々を出来る限り葬った後、すぐさま故郷の地を後にした。そのままそこに居続け、死んだ人々を己が生のある限り弔い続けて行くと言う選択肢も、その時の彼女にはあったかも知れない。

 だが、彼女はそれを選ばなかった。

 死者の魂に縛られ、一つ所に留まっていても、死んだ者達が帰ってくる訳でもない。それよりも、故郷をこんな風にした者達を探し出し、皆の仇を取ること。それが何より、自分に出来る最大の手向けだと、彼女は心にそう誓って、故郷からの二度目の旅立ちをした。

 まず、彼女が目指したのは、故郷から最も近い所にある大きな街である許昌だった。

 両親や邑の人間の遺体には、刃物で付けられたとしか思えない、無数の斬り傷があった。そしてそれは、故郷の邑は賊に襲われたのだと、そう彼女に結論付けさせるのは至極当然の帰結と言えた。

 

 「……許昌ぐらいの大きな街でなら、そいつらの手がかりがなにかしら掴める筈……」

 

 そして二日後、徐庶は許昌の街へと辿りつくのであるが、そこで彼女は、生涯の友となる二人の人物と、運命の出会いを果たすことになるのである。 

 

 

 

 姜維、字は伯約。

 涼州漢陽郡、後の天水郡は()県の出身である。

 幼い頃から好奇心旺盛だった彼女は、日頃から目にするもの耳にするもの、そのほとんどに興味を持ち、貪欲なまでに、その全てを知識をとしてその身に吸収していった。

 中でも、彼女がもっとも固執し、躍起になって身につけたのは、武術でも軍略でもなく、草、つまりは間諜としての技だった。

 

 姜維がそれに興味を抱いた切欠は、ほんの些細な出来事だった。

 当時、幼い彼女が住んでいた邑は、西方の異民族である羌族の領地との境付近であった為、漢土側からも羌側からも、しょっちゅうと言って良いほど間諜が出入りを繰り返していた。

 ある日の事、夜中に厠に立った姜維は、漢側と羌側の草同士が、闇の中で激しく火花を散らしている所を目撃。恐怖よりも好奇心の方が勝った彼女は、それを端から見物し、そして、完全に魅入られてしまったと言うわけである。

 

 「闇に生き闇に死す!く~っ!めっちゃくちゃ格好良いやんか!うち、絶対間諜の道を極めたるで!」

 

 当時十歳だった彼女には、五年来の付き合いで、その口調までうつってしまうほどに仲の良い親友の少女が居り、その少女と武芸や勉学に勤しむ間に、良く興奮交じりでそう話していた。

 その後、親友の少女とは諸事情により疎遠となってしまったが、次の再会までには必ず、有限実行を果たして見せると、その時親友の少女に誓った彼女だった。

 

 そして数年が経ち、姜維が十八歳になったその年。

  

 「許昌?許昌っちゅうと、豫州の州府がある街か?」

 

 間諜としての技能を身につけるため、故郷の冀県を離れて一人、洛陽のとある組織に属していた彼女に、一つの命が下された。 

 その組織に属して早や五年。もはや間諜としての技量は、組織内でも群を抜いて居た彼女にとって、それは卒業試験ともいうべき仕事であり、正式に請け負う初の仕事でもあった。

 その仕事の内容は、許昌を治めるとある官僚のその屋敷を内密に調べる、という物だった。そしてその際、発覚した事実は全てもみ消し、闇から闇に葬り去るようにとも、彼女はそう指示された。

 たかだか一官吏のことを調べるにしては、随分容赦の無い指示が出されるものだと、命令を受けた彼女は相当に(いぶか)しんだのだが、組織に属する者にとって、上からの命令は絶対のもの。否はおろか、疑問を投げる事すらしてはならないのが、彼女の属する組織の絶対の掟である以上、彼女にはそれ以上、事の裏を詮索する事など出来よう筈が無かった。

 

 「ま、ウチは言われた事を、確実にやるだけや。……けど、やっぱ納得いかんのやよなあ~……。ウチが目指しとったんは、こんなしみったれた道やったかな……」

 

 夢と現実の差ぐらい、姜維とてこの五年で嫌と言うほど思い知ってはいた。しかしそれでも、どこかでまだ、本当の意味で夢を追いたいと思っている自分も、自身の心のどこかにいる事も確かではある。

 だが、まずは目の前の事を確実に、しっかりとこなす事の方を、この時の彼女は優先させた。何を始めるにせよ、まず、組織内で自分の存在と力を周りに示す必要があるし、それにもう一つ、彼女には組織を離れられない、絶対の理由があった。

 

 「……家族の身の安全を守る、その為の保護処置、か。はっ、そんなもん、体のええ人質やんか。……見とれよ、ウチは絶対、オカンをこの手で助け出すさかい。家族の身ぐらい、自分のこの手で守って見せたるわ……!」

 

 組織に入ったとき、その組織の手によって、彼女のただ一人の身内である母親は、四六時中その監視下に置かれることになった。それは、彼女の短慮が招いた失策。気付いた時には時既に遅く、彼女は組織から抜けることが出来無くなってしまっていた。

 母親を助けるためには、組織の中でのし上がるか、組織そのものを敵に回しても問題の無い程の、大きな後ろ盾を得るしかない。どちらにしても、今の彼女に出来ることは、組織の命令に大人しく従う事のみ。

 そして、彼女は先の命令に従って、許昌の街へと単独で潜入する為、かの地へと向かった。 

  

 そこに、自分の人生のあり方を大きく変える事となる、一つの出会いが待っていることなど、勿論、その時は知る(よし)も無しに。

 

 

 

 許昌。

 

 豫州にあっては然程に大きな街ではないが、交通の要所にあり東西南北、何処へ向かうにしても便が良いため、街の規模自体こそ中程度のものでありながらも、州の政治の中心都市としては多分に重要な街である。

 事実、史実において曹操が皇帝を保護した後にこの地へと都を遷都したのも、風水学的な見地以上に、そう言った事実がその根っこにあった事は勿論言うまでも無い。

 「……ほんと、いつ来ても賑やかね、この街は。大通りは引っ切り無しに人や馬車が行き交ってるし、道沿いに並ぶ店も結構な繁盛振りだわ。……まあその分、治安もそんなに良くは無いけど」

 荷物の詰まった少々大きめの皮袋を肩に下げながら、徐庶は漸く到着した許昌の街の大通りを観察しつつ、まずはこの日の宿を確保するため、周囲を観察しながら路上を歩く。

 「さて、と。どっか表通りの宿が空いてると良いんだけど。……裏通りの安宿は、女一人で泊まるところじゃあないしね。えーと、確か通り沿いには三軒ぐらい、大きな宿があったはずなんだけど」

 以前の放浪中にも訪れた事のある許昌の街である。その時は流石に宿に泊まったり等はしなかったし、出来るような路銀も持ってはいなかったが、それでも、一度訪れた場所の大まかな地図ぐらいは、彼女の頭の中にはしっかりと残っていた。

 その自分の記憶を頼りに、徐庶は大路を歩く。自分の記憶が間違っていなければ、今いる場所から然程離れていない所に、飯店と宿を兼ねた所が一軒あったはずだと、そう一人ごちながら。

 だが。

 「……満員、か……しょうがない、次当たってみるかな」

 相も変わらずの賑わいぶりに嘆息しながらも、一軒目の宿が満室状態になっていた事を知ると、彼女は仕方なく次の宿へと向かう。しかし、そこも先の宿同様に満室で、最後の頼みの綱とばかりに、西通りにある最後の表側の宿へと向かったのだが。

 「……参った。表の宿は全滅、かあ……どうしよう……」

 結局、彼女が当て込んでいた宿は全て満室で、空きのある所はこれで裏通りにある少々危険な、治安のけして良くない所しかなくなってしまった。

 どこかの家の軒下を借りての野宿、という手段も無いわけではないが、それはそれで危険であることには変わりが無く、同じ危険ならきちんとした建物の中に居たほうが、野宿よりは遥かにマシではある。

 「……しょうがない、か。確か、一番大通りに近い所に、素泊まりの安宿があったっけ。……そこに行って見よう」

 もしもの場合、相手がそれほど多くさえなければ、自分でも撃退すること位は、彼女にとっては造作も無い事ではある。ただし、彼女の得物は狭い空間内で振るうのには向いていないので、とっさの時に対処できるかどうかが、彼女の唯一の不安材料だった。

 

 そして、彼女はある意味、幸運に恵まれていた。

 「相部屋だけ?」

 「へい。うちも今は満員状態なんですがね?一部屋だけ、女性のお客さんが一人で泊まってらっしゃる部屋がありまして。その人からも、もし女性客で他に泊まる所が無い、という客が来たら、遠慮なく相部屋にしてくれて構わないと、そう申しつかってまして。どうしやす?それで宜しければすぐ、その方にお話を通しますが」

 「それこそ大助かりよ。こっちに異論は無いわ。お願いできる?」

 「じゃ、ちっとばかしお待ちを」

 まさに渡りに船、と言う奴だった。自分と同じ女性が相部屋となれば、これほど安心出来る事は無い。徐庶が自分のこの幸運に機嫌を良くし、宿の亭主がその部屋へと交渉に行って居る間も、彼女の顔から喜色が消える事は無かった。

 

 それから三十分ほど後、亭主の先導で件の部屋へと向かった徐庶を出迎えたのは、見事なまでのその真紅の長い髪をポニーテールに纏めた、180cmはあろうかという身長に、黒いレオタードに丈の短い白スカートを穿く、かなり勝気そうな感じのする女性だった。

 「……大きい……」

 部屋に入り、荷物を置いた後にその女性と改めて対峙していた時、思わず口から漏れたそれが彼女に対する自分の第一印象だった、と。徐庶は後に、一刀に対して、その人物の事をそう語っている。

 (背丈もそうだけど、あの胸……中に何が詰まってるんだろう……それに比べて……)

 「ん?なんだい、嬢ちゃん。あたしの事をそんなにじっと見てさ」

 「あ、いえ、その。き、綺麗な髪ですねー、と。思わず見惚れていたんですよ。あははは……」

 目の前に座っているその女性から、本人の事をじっと見つめていた事を訝しがられ、貴女の胸と自分の胸を比べて落ち込んでいました、とは言えるはずも無く、思わずそんな嘘を吐いた徐庶だったが、女性の方はそれを素直に信じたようで、軽快に笑って見せながら後ろ手に編んだ自分の髪を手に掴み、笑顔のまま徐庶に返事をし始めた。

 「そう言って貰えると、あたしとしては嬉しいね。何しろ、全く女らしくないあたしにとっちゃあ、唯一、女として自慢できるものだからね。あ、そうそう。自己紹介がまだだったね。あたしは姓を徐、名を晃、字を公明だ。こうして知り合ったのも何かの縁だ。以後、よろしく頼むよ、嬢ちゃん」

 「あ、いえ、こちらこそ。えと、私は姓を徐、名を庶、字は元直です」

 「ほ。あんたも徐姓か。ははっ、こりゃあ奇遇だ。よし、この出会いを記念して、いっちょ今夜は飲み明かすか!」 

 「へ?」

 

 酒そのものは、別にこの時初体験ではなかった徐庶だったが、飲み過ぎて酔いつぶれてしまったのは、流石にこれが初体験だったと。そしてそれと同時に、徐晃を相手の酒だけは、唯一気をつけなければ行けない相手だと。

 それをしっかり身体で覚えた、この時の彼女であった。

 

 

 その頃。徐庶達が泊まる宿から少し離れた所にある、一軒の古ぼけた屋敷から、一つの影がその姿を路地裏に現していた。

 「……さて、と。集められる情報は全部集めたけど、これ、ほんまに全部、もみ消してもうてええんやろか?許昌の街の官吏連中の一部が、近隣の賊共と結託して、民の財を根こそぎ奪わせているとはな……世も末、ってことなんやろな……胸糞悪い」

 組織からの指令を受け、許昌の街のとある一角にあるこの屋敷に潜入した姜維は、その卓越した技術で持って如何ほども時をかける事無く、全ての調べを済ませ終えていた。

 「全てをもみ消す為には、官吏どもも賊どもも、全てを始末しきらな、完全にもみ消したとは言えへん……よなあ。つっても、ウチ一人じゃあ、官吏どもは消せても州内全部の賊を潰すんは無理やし……さて、どうしたもんやろ」

 証拠(もの)は物理的に握りつぶせる。役人の方にしても、人知れず消してしまえる自信はある。しかし、数がそれなりに居る賊の集団に関しては、自分一人ではどうにもしようが無い。

 そうして暫し熟考の上で、姜維が出した結論は。

 「……やっぱ、上に連絡とって、賊潰しは他の手を使て貰うしか無いな。うし、そうと決まれば、今日の所は宿に戻って一休みと行くか」

 役人を消す方についても、部屋に戻ってそれなりの準備を整えなければ行けないし、何より、腹が減っては戦も出来ないと。姜維は前もってとっておいた宿へと、路地裏で普段着に着替えてから、飄々と何事も無かったように歩き出した。

 

 そして、その彼女が向かった先の宿は、先ほど徐庶と徐晃が同室となって意気投合をしていたあの宿と、奇しくも同じ宿であった。

 「おっちゃん、ただいまー。なんか飯食わせてくれんへんかー」 

 「お、徐遠(じょえん)の嬢ちゃんかい。ああ、大したものぁ出来ないが、それでも良いかい?」

 「全然構へんよー。っと、卓が全部うまっとるなあ……あ、一個空いてるところめっけ」

 店の亭主から徐遠、と呼ばれた姜維が、店内の片隅で酒盛りをしている赤毛と黒毛の二人の女性、徐庶と徐晃の座る卓が一席空いているのをその目に止めると、全く何も臆する事無く彼女らの方へと歩いていく。

 

 ちなみに、だが。先ほどの徐遠というのは、姜維のこの街での偽名であり、母の旧姓である徐と、長らく会って居ない親友の字の一字を組み合わせたものである。

 

 「なあなあ、お二人さん。ここ、空いてるか?」

 「ん?相席か?あたしは構わんぞ。徐庶、お前さんは?」

 「あ、私も全然。どうぞ、遠慮なく」

 「わはっ!話が早くて助かるで!おっちゃーん!ウチここに座るでなー!」

 

 そうして、偶然と言う名の運命が、その小さな卓にてついに邂逅を果たし、徐庶と徐晃、そして徐遠こと姜維の三人は、まるで昔からの知り合いであるかのように、すぐに意気投合。

 「あっはっは!こんな偶然なんかあるものなんだなあ!徐の姓の人間が、同じ日に三人も、同じ宿に泊まって顔見知りになるって言うんだからな!」

 「あはは。でも、ほんとそうですね。もうここまで来ちゃうと、偶然じゃあなくて、何かしらの運命を感じますね」

 「へへ。せや……ね(ホントはウチ、徐姓やないんやけど、ここでそれを言うわけにも行かんしな。……堪忍な、二人とも)」

 任務上、姓名を偽っている姜維は、同じ卓を囲んで同じ姓の人間が三人も居る事を、心底から嬉しがっている様子のその二人に、申し訳ないと頭の中だけで謝りつつ、今だけは任務のことを忘れて、この気の良い二人の人間とここで出会えたその事を、彼女らと共に目一杯楽しむことにした。

 

 そしてその日の夜遅く、店の灯りが消されるその寸前まで、彼女ら三人は大いに語らい、この一時を楽しんだ。

 これから少し後、自分達に降りかかる事となる、その悲劇と転換期のことなど、露とも想像だにすら出来る事無く。

 

 

 

 徐庶と徐晃、そして姜維の三人が、豫州は許昌の街で同じ宿にたまたま居合わせ、夕餉の席を同じにしたその翌日。仕事があるからと、一人先に宿を発った姜維と別れた徐庶と徐晃は、許昌の街の大通りを二人して歩いていた。

 「それじゃあ公明さんは、この街には仕官先を求めて?」

 「まあね。……と言っても、ここの太守に会ったその瞬間に、その気を無くしたよ。ありゃあ駄目だね。この先乱の一つでも起きようものなら、すぐさま消えていく類の人間だったよ」 

 「はあ」

 「それでもまあ、一応念の為にと思って、試しにその場でちょいと戦気を放ってみたんだけど。あの男、たったそれだけで小便垂らして、その場に腰を抜かしちまいやがったよ。はっはっは」

 「そ、そうですか……ははは」

 隣でそう豪快に笑いながら歩く徐晃に応えて返す徐庶の顔は、少々呆気にとられた感じの苦笑を浮かべていた。まあ、徐庶のその反応というか気持ちも分からなくは無い。一つの街を治める太守に対し、如何にその器を量る為とは言え、士官に来たその場で戦気、簡単に言えば殺気に近いそれをぶつけて見せるなど、本来ならば礼を欠いた、武人にあるまじき行為と言われても仕方の無い手段ではある。

 だが、と。彼女はそれと同時にこうも思う。

 (……けど、これだけ気風の良い人って言うのも、今の世の中じゃあ珍しいわね。公明さんのように真っ直ぐで純粋な武人、ううん、人間が、果たして今のご時勢にどれほど居るものやら)

 剣客時代、徐庶はあちこちの街で、収賄だの贈賄だの、讒言だの甘言だのが横行する、人の汚い部分を具現化したような連中を、嫌と言うほどに見てきた。そしてそれと同時に、それらを糺そうとする心ある者達が、心無き者達によって理不尽な仕打ちを受けているという、そんな今の世の現状も。

 「……公明さん」

 「ん?なんだい、元直」

 「……一応聞いておきたいんですけど、ここの太守に仕官しようと思ったのは何故です?」

 「許昌(ここ)は見ての通り、賑わった所だろ?これだけの街を治める人間だし、人伝の噂でも、この町の太守は良い人間だと、そう聞いていたのさ。ま、見ると聞くとじゃあ、大違いだったけどね」

 「……それでは公明さんは、貴女の探す、真に主君と仰ぐに相応しい、そんな人物がこの大陸に、今どれほど、居ると思われますか?」

 「んー、そうさねえ。……江東は揚州にて、最近名を上げてる孫文台。西涼で異民族相手に奮闘してる馬寿成。後は巷でちらと噂を聞いた、陳留の刺史に就任したばかりの曹孟徳。……そんな所じゃあないかねえ」

 「……私も、全く同意見です……!」

 徐晃の上げたそれらの名を聞き、自分の考えと全く同じだと、徐庶は満足げに笑みを浮かべて、徐晃のその正面に回り込み、彼女のその顔をじっと見据える。

 「公明さん、いえ、徐公明殿!この徐元直、貴女に折り入って頼みが」

 『追えー!けして逃がすなーっ!』

 『な、何?!』

 少々興奮気味に、徐庶が徐晃に対してある提案をしようとしたその時、突然、徐庶のその後方から怒声が聞こえ、数十人からなるこの街の兵士らしき一団が、一目で分かるほどに殺気だった状態で、城の方から人ごみを無理矢理に掻き分けて走って来た。 

 手に手に剣や槍を持ち、まさしく血相を変えて走るその彼らは、徐庶と徐晃の横をそのまま通り過ぎ、街の門から更に外へと、『狼藉者を逃がすな!』と、怒号を上げながら駆けて行く。

 「狼藉者とは穏やかじゃあないね。城に不審者でも侵入したのかね?」

 「ですね……っ!誰?誰かそこに居るの!?」

 兵士達の一団が立ち去って行くのを、その場で呆気にとられつつ見ていた徐庶と徐晃だったが、その兵士達の姿が完全に視界から消えたそれと同時に、自分の背後の路地裏からした一つの気配に徐庶が気付いて、背に背負っていた自身の得物である両刃双剣、【双偉天】を構えて即座に警戒の態勢をとる。

 その徐庶の動きに合わせる形で、徐晃もまたその背のハルバード、【阿祁斗(あぎと)】にその手をかけて、徐庶同様に気を張る。

 そして、そんな二人の前に物陰から現れたのは、漆黒の装束に全身を包み、その身体のあちこちに小さな傷を負っている姜維、だった。

 「徐遠……さん?」

 「徐遠、お前、どうしたんだ、そんなところで?それに、装束のその傷は切り傷じゃあ」

 「……あんさんら、か。……はは、ちっとばかし、仕事にしくじって、な……はは……すまんけど、今見たこと、忘れてくれると嬉しいかな……っ……」

 「徐遠!」

 徐庶と徐晃の姿を確認し、見知った顔をみて緊張の糸がほつれたのか、姜維は一言二言だけ口にした後、徐庶の身体にその身を預けて、そのまま気を失ってしまった。

 「……何があったか知らんが、ここじゃあちょいと人目に付くね。……夕べの宿に戻るか、元直」

 「ですね。表通りは流石にまずいから、このまま裏通りを通って行きましょう。彼女は私が担ぎますから、公明さんは周囲の警戒を」

 「おいおい。気を失った人間てのはかなり重いんだぞ?それならあたしの方が……って……あ」

 姜維の事を担ぐと言った徐庶に対し、徐晃は即座に自分の方がそれに適していると言って変わろうとしたのであるが、次の瞬間、徐庶が姜維のその身体を軽々と肩に担いだのを見て、思わず呆気にとられた彼女。

 「さ、早く行きましょう公明さん。あんまりのんびりしていたら、さっきの兵士達が戻って来てしまいますから」

 「あ、ああ」

 (……こいつ、この細っこい身体で、なんて膂力をしてるんだい……)

 徐庶にこの場を早く離れようと急かされつつ、姜維を軽々と担いだまま駆け出した彼女の後を、少々呆気にとられつつも追う徐晃だった。

 

 

 時間は少し遡る。

 宿で徐庶と徐晃の二人と別れた姜維は、その足ですぐさま、許昌の城へと“仕事用の”黒装束に着替えて、潜入した。目的は勿論、例の賊と繋がっている官吏を抹消するためである。

 (さて。今の時間やったら連中、確か内務官用の執務室に雁首揃えとるはずやけど)

 潜入中はけして声を出さず、呼吸にしても訓練で身につけた特別な呼吸法によって、その回数を極端に減らし、己の気配のそのほとんどを姜維は消すことができていた。

 事実、今の彼女の気殺術は組織中でも群を抜いており、上の方に居る何十年も先輩の熟練者ですら、彼女の気殺術を見抜くことは相当に難しいという評価が、組織内ではされている位である。

 そう。

 普段であれば、彼女は間違いなく、誰にも気取られる事ないまま、確実に仕事をこなしていただろう。しかし、この時ばかりは、彼女の運が悪かったとしか言い様が無かった。

 (……ん?誰や、あれ?あんな人間、この街に居ったかいな?)

 姜維が物陰に隠れてひっそりと移動している時、彼女のその視界が捉えたのは、金色の髪をサイドでカールにした、背の低い一人の少女と、その脇を固めている二人の女性の姿だった。

 

 「……それで?貴方はこの私に、どうしろと言うのかしら?」

 「そこは分かっておられますでしょう?今回の州を越えてのわざわざの御視察、大変ご苦労様な事に御座いますので、十分に労いの品をご用意させて頂きますと、そう申しておりますだけで御座いますよ。曹刺史殿」

 (曹刺史……ちゅうと、ちっと前に陳留の刺史に抜擢されたっちゅう、曹孟徳かいな。なんでそんなんがここにおんねん?)

 曹孟徳。名は操と言い、元洛陽北部尉―都における警察官のようなもの―で、その上下を一切問わぬ清廉な勤務態度から、数ヶ月ほど前に兗州は陳留の太守兼刺史として着任した、若き俊英との呼び声高い人物である。

 (孟徳はんは兗州の刺史やろ?隣とは言え他州の事にまで口出しなんぞ、出来へん筈やろし……)

 そこまで姜維が思考を巡らせた時だった。

 「ッ!そこに居るのは何者だ!!」

 (?!嘘や!ウチがめっかった?!)

 曹操の隣に立っていた黒髪の女性が、物陰に隠れて完全に気配を殺していたはずの姜維の事を、いともあっさりと見つけてしまったのである。

 「どうしたの春蘭!」

 「曲者です、華琳さま!姉者!」

 「分かっている!逃がすか曲者!この七星餓狼の錆にしてくれるわ!」 

 (ちッ!まさかウチの気殺術に気付くような奴が居るなんて!しゃあない、ここは一旦退却や!)

 その時の女性が曹操の腹心である夏侯姉妹の片割れ、夏侯惇であったことを後に知った姜維は、その時既に主君となっていた一刀に対して、『夏侯惇ならウチの気配に気付いたんも、今なら分からんでもないわ。アレは獣とかと同じ感覚の動物的な勘の持ち主やもんな』と、そう語ったとそうである。

 それはともかく、見つかってしまった以上はもう、官吏たちの消去などしていられる状況では無くなった姜維は、すぐさまその場を離れて城外への脱出を試みたのであるが、途中、顔こそ見られることは無かったものの、彼女の事を探していた夏侯惇とばったりと出くわしてしまい、数合ほど打ち合わざるを得ない状況になってしまった。

 「おのれちょこまかしよって!避けるな!剣があたらんでは無いか!!」

 (無茶言うなっちゅうねん!避けるに決まっとるやろが!)

 大振りなれど鋭い剣筋をした夏侯惇の剣を、姜維は全て皮一枚程度の傷を受けながらも、なんとかかわし続ける。

 (こいつ、動きは大雑把な割りに、ウチの動きを的確に読んで剣を振って来よる。このままじゃあ埒があかへん。なんとか突破口を……)

 夏侯惇からどうにかして逃れる手段を、その暴風のような剣を避けながら姜維が模索していたその時。

 「春蘭!」

 「姉者!」

 「華琳さま!秋蘭!」

 (曹孟徳!まずい、これ以上相手が増えたら……そや)

 一瞬、夏侯惇の意識が曹操たちの方へと向いたその隙に、姜維は懐に入れておいたある物を、曹操目掛けて思い切り投げつけた。

 「ッ!これは……紙片?」

 「華琳様!おのれ貴様!華琳さまを狙うとはなんたる」

 (今や!)

 まさに瞬間、と言う奴だった。夏侯惇の意識が曹操らの方から姜維の方へと戻るその間隙を突き、彼女は再び気配を殺して闇に溶け込み、その場から立ち去った。

 「くッ!逃げ足の速い!華琳様、私もすぐに賊を」

 「待ちなさい、春蘭!その必要は無い!」

 「な」

 「……先ほどの者、この私に良いものを残してくれた。そのお礼に、この場は見逃してあげるわ。分かったわね、春蘭」 

 「……は」

 姜維が先ほど曹操に対して投げつけたその紙片を、彼女はにやりとその口元を歪めながらその手に握り締め、満足げに微笑んでいたのだった。

 

 

 そして再び、場面は街の裏通りにある安宿へと戻る。

 

 「う……あれ?ウチ……あ、つっ……!」

 「ああ、ほら。まだ動いちゃ駄目よ。怪我、まだ手当てしてばっかりなんだから」

 宿の二階にある一室にて、意識を取り戻したものの、急に動いた事による痛みに顔をしかめた姜維を、徐庶がそっとその身体を支える。

 「あれ?徐元直はん?それに、徐公明はんも……あ、そか。ウチ、仕事しくじって、ほんで……ごめんな、迷惑……かけてもうた」

 「気にするな。まあ、お前の仕事と言うのが何かは知らんが、そこまで深く聞いたりもせん。それよりもまずは、身体を治す事を考えていろ」

 「……ん。おおきに」

 「?おおきに……って、ああ、ありがとうって意味?」

 「せや。ウチの育った方の言葉でな。関中から西…つまり、西涼の方のごく一部で、使われてる言葉や。つっても、ウチのこのしゃべり方は、親友のそれがうつっただけなんやけどな」

 あはは、と。姜維は二人に自分の過去を少しだけ話、にこやかに笑って見せた。

 「……ところで、お前さんはこれからどうするんだ?身体が治ったら、また仕事やらに戻るのか?」

 「んー。正直、今の段階やと任務失敗やし。どっちにしても、一度は洛陽に戻らんと」

 「洛陽か。ならちょうど良いかもね」

 「つーと?」

 「私と公明さんも、数日後には洛陽に行くつもりなの。……私の故郷を襲った連中らしい賊の集団が、洛陽方面で目撃されているそうだから、公明さんにも手助けしてもらって、そいつらを叩きのめしに行くの」

 「へ?……ちょい待ち。まさか、あんさんら二人だけで……か?」

 徐庶と徐晃の発言に、目を見開いて驚く姜維のその問いに、二人は無言のまま頷く。

 徐庶のその事情については、最初に会ったその夕餉の席で、ほろ酔い加減になった彼女本人の口から二人とも既に聞いてはいた。その上徐晃はその時、徐庶のその話を聞きながら本気で彼女に同情して号泣していたので、そういう話の流れになっていてもおかしくは無いと、姜維はすぐさま、そうなった展開と言うか事情を納得することが出来た。

 しかしそれと同時に、少々不安な気持ちも生まれた姜維は、二人にこう問いかけていた。

 「……そいつらの数とか、何処を根城にしてるかとか、その辺は掴めとるんか?」

 「それは……まだ、これからだけど」 

 「何。たかが賊の集団、どれだけ居ようがあたし一人でも、何の問題も無い位さ」

 「……公明ねえさんの腕がどれほどかは知らんけど、あんまり思い上がっとると、今のウチみたいになるで?……せやな。その賊退治、ウチも協力させてもらおかな」

 『……は?』

 姜維の口から出たその思いも寄らなかった台詞に、徐庶と徐晃は思わず、その口を大きく開けて、にこにこといたずらっ子のような顔をした彼女の、その少年のような笑顔をただ呆然と見つめるのであった。 

 

  後漢代の大陸の都といえば、言わずと知れた洛陽である。

 この洛陽、北は黄河の流れをその背に背負い、南には険しい山脈がまるで巨大な龍の様にその姿を連ねる。東西には自然の地形を利用して建造された、『虎牢関』、『函谷関』という名の二つの城塞が、堅固な盾として都を守っている。

 「つまり、豫州から洛陽方面へ抜けるためには、や。黄河を船で遡るか、虎牢関を抜けるかの、どっちかしか手段は無いわけや」

 「それはお前さんに改めて言われなくても、童だって知っていることだ。……で?それがどうかしたのか?」

 許昌から北へと伸びる街道を、馬の背に揺られて進む三人の人物が、真昼の太陽の下を闊歩している。中央の黒毛の馬に乗るのは、その背にハルバードを背負う徐晃。その徐晃の右手側に並んで神妙な面持ちで居るのが、ツインテールの黒髪を馬の動きと共に揺らす徐庶。そしてその反対側に、赤い胸当てをその平坦に近い胸に着け、幼い風貌をしたその顔に少々得意げな笑顔を見せる姜維、である。

 「せやからな。元直はんの仇の連中が洛陽方面へ向かったとなると、虎牢関を抜けたことは考えにくい、ちゅうことや」

 「……そうね。盗賊や山賊なんて連中が、わざわざ官軍のひしめく虎牢関を通るとは思えないわね」

 「となると、どこか近場の森か山にでも潜伏しているか、もしくは黄河の河川沿い辺りでも居るか、そのどちらかになるか」

 「そういうことや。でもってさらに言えば、や。洛陽に行くのを諦めて、東の兗州へ逃げ込む可能性も、この際頭から外してええと、ウチは思う」

 「何故だ?」

 「……今の兗州は、曹孟徳という英傑の手腕によって、賊などが入り込みにくくなっているから……ね?」

 兗州は陳留の太守、及び刺史兼任として数ヶ月前に着任したばかりの、曹孟徳という人物の話は、徐庶も徐晃も良く、巷で噂になっているのを聞いている。

 曰く、清廉潔白たるを何よりの身上とし、民の安全を第一に物事を考え、その統治手腕たるやまさに、古の名宰相蕭何(ショウカ)の如き辣腕ぶりであると。

 また軍事においても、従姉妹である夏侯の姉妹をよく使い、今では陳留一帯のみならず、同じ兗州の北部地域にある濮陽方面においても、刺史であることの権限を最大限に活かしてその治安を守ってもいるため、いまや彼女の威は兗州全域に浸透しつつあり、それもあってか盗賊や山賊などの大多数は、かの地へとその足を踏み入れる事をためらうようになっていたのである。

 「なら、一番連中が潜伏してそうな所は何処になる?」

 「やっぱ河川沿い、それも港のすぐ近くやろな。元直はんの故郷や、その他の所で奪った金品やら食料なんかを大量に運ぶには、やっぱり船を使うんが一番やろし」

 「そうね。けど、港で堂々とそれらの荷を積んで居るのも考えにくい……わよね」

 「いや、多分その考えにくい事を、今頃は堂々とやっとる頃やないかな?」

 「なんだと?」

 盗品を、しかもその活動範囲等から考えた場合、相当な量の荷となっているであろう筈のそれを、彼らが白昼堂々と船に積み込んでいる事など、本来であれば限りなく考えにくい筈である。

 しかし姜維はあまりにもあっさりと、それが現在進行形で行なわれている可能性が高い事を、先の発言で思わず口を開けて呆気にとられている徐庶と徐晃の二人に示唆した。

 「……まあ、詳しい事はウチの仕事の事に関るんで、大きな声では言えへんけどな。連中、役人共とは金で繋がっとるはずやで」

 「なっ!そ、それは本当か?!あ、だがちょっと待て。もしそれが本当だとすれば、船を使わずに虎牢関を抜けることも、しようと思えば出来るんじゃあないか?」

 「あー、それは無い無い。今の虎牢関の責任者は、櫨植っていう将軍はんでな?これがまた、潔癖を絵に書いたような、賄賂とは無縁のお人や。賊共なんかとは絶対、いくら積まれてもつるんだりなんかせえへんよ」

 劉備や公孫賛の師としてその名を知る方も居るであろう櫨植と言う人物は、正史や演義においても清廉潔白な人物として描かれているが、どうやらこの外史においても、櫨植と言う人物のその本質は同じらしく。

 一時期は宮仕えに嫌気がさして隠居し、市井にて私塾を開いていたかの人物だったが、周囲の声や都の状況などもあって再び現役に復帰し、その後、漢の大将軍である何進の信任を得て虎牢関の責任者として赴任したのが、ほんの半年程前のこと。

 そして姜維曰く、その櫨植が虎牢関の大将を務めている今の内は、例え日が西から昇るような事があったとしても、賊を無傷で通すような事はありえ無い事だろう、との事だった。

 「せやからまずウチらがすべき事は、港の付近まで行って連中の状況と数を確認することや。で、それが出来たら、後は夜になるのを近くで待つ」

 「なるほど。夜陰に乗じて奇襲をかける、と言うことだな?」

 「ひひ。そういうこっちゃ」

 「……なら、その時同時に荷やら船やらに火をかけた方が、賊達を更に混乱させられるわ。ついでに、敵襲ー!って、大きな声で叫んでやるのも良いかもね」

 「はは、そらええな。なら、それはウチに任せてもらおかな。隠密行動は得意中の得意やからな、ウチは」

 そうして、今後の行動方針を決定した三人は、彼女らが今居る地点から一番近い港、官渡へと馬を駆けさせた。

 だが、目的の港に到着した彼女らがそこで見たのは、三人を心底から愕然とさせるものだった。

 

 

 

 「……なんだ、これは……」

 「う……酷い……」

 「皆殺しかいな……えげつない事するで……」

 黄河流域において都である洛陽は言うに及ばず、東西諸都市へと繋がる物流の中心として賑わっていた官渡の港は、もはや昔日の面影をどこにも残していないほどの壊滅状況へと、見るも無残な姿に変わっていた。

 破壊され燃やし尽くされた瓦礫の山の中に混じり、明らかに刀傷と見て取れるそれを全身に刻んだ死体が、かつての港の敷地内のそこらじゅうに散乱している。

 あまりにも予想外なこの事態に少々頭を混乱させつつも、徐庶たちはすぐさま馬を下りて、港がこうなった原因をわずかでも掴めないものかと、辺りを見回しながら瓦礫の中を歩いていく。

 「……一体、ここで何があったと言うんだ……?」

 「……この手に武器を持ったまま死んでる人たち……こいつら……まさか……」

 「……どうやら、元直はんの探しとった賊連中っぽいな。けど、なんでこいつらが死んどるねん?こいつらが口封じのために、港の連中を皆殺しにしたいうんなら、まだ分からんでもないけど」

 「……こいつらも、完全に被害者っぽいな……商人や荷役の連中と一緒になって、ここに死んでいる以上はな」

 「……よっぽど、思いもかけなかった事が起きたみたいね……怒りやら憎しみやらの表情のまま、みんな絶命しているわ……」

 何者かに襲われて死んだものというのは、多かれ少なかれその最期に苦悶の表情というものを浮かべ、死後硬直によってその表情に固まったまま死んでいる。

 そして港全体に散乱している死体たちのその表情は、まさにその典型とも言うべき苦しみの表情に加え、怒りや憎しみ、そして絶望の色へと一様にして染まっていた。

 「……?ちょっと待て二人とも。今、何か聞こえなかったか?」

 「え?」 

 「まさか、生き残りが居るんか?」

 『……っ……れ……』

 「!こっちだ!」

 おそらく相当に周囲に気を張っていなければ、徐晃がそれを聞き取ることは出来なかったであろう。かすかな、まさに息も絶え絶えといった感じの、その小さなうめき声のする方へ、三人は一斉に駆け寄った。

 そして、居た。

 おそらくは、この場におけるただ一人の生存者であろう、見るからに賊の一員だったと思しき風体をした、全身血まみれとなった状態で地に臥している一人の男を。

 「おい!お前!しっかりしろ!」

 「……ち……くしょ……裏ぎ…もの……」

 「ちょっと、喋っちゃ駄目よ!今すぐ止血するから少し……!」

 「……韓……馥の……くそ……やろう……俺、たちを……端から……こうする気…だった……な……!せ、せっかく……南の邑で……いいもん……見つ、け……」

 「っ!南の……邑……あんた!しっかりしなさいよ!ヤッパリあんたらなの?!南の、私の故郷を襲ったのは!」

 「……俺は……ぎょう……かえ……ごはっ……」

 「……あかん。死んでもうた……」

 二言三言、ただそれだけを最後に口にし、賊兵らしきその男はそのまま息絶えた。

 「ち。結局、これで生存者は本当に居なくなったか。真相は闇の中になっちまったかねえ……ん?なんだこりゃ?首飾り……かい?」

 「っ!公明さん!それ!み、見せて!」

 「っと」

  賊兵の最期を看取った後、その衣装の一部からはみ出ていたそれに徐晃が気づいて、その首飾りの様な細工物をその手に持って二人にも見せた。

 そしてそれを見たその瞬間、徐庶が慌ててその首飾りを徐晃の手からひったくり、まじまじと凝視し始めた。

 「……元直はん?」

 「元直、その首飾りがどうかしたのか?あたしが見る限りじゃ、そんなたいそうな代物には見えないけど」

 「……うん。安物も良い所の、細工も不恰好な、一文にもならない物よ……でも、これ、間違いなく、父さんが、私にくれたやつだ……」

 「ほ、ほんまか?!」

 「うん!だってほら、ここに、私の真名が彫ってあるもの!『輝里(かがり)』って!」

 首飾りの、本来ならば何かしらの(ぎょく)を嵌めるべき所に、今はそれに見合ったものは何も嵌っては居ない。だがその代わり、そこには明らかに手彫りによるものと分かる傷が、二文字の漢字を形作っていた。

 

 『輝里』

 

 それは、間違う事なき、親兄弟以外知るはずも無い、徐庶の真名であった。

 「ほうか……それがあんさんの真名なんや」

 「うん。かがり、って読むの。……例え彫り物によるものだとしても、真名はそう簡単には他人には使えないこと、二人だって分かってるでしょう?」

 「そう……だな。確かに、元直の言うとおりだな。となると、これでこいつらが、元直の邑を襲った連中だとはっきり確定できたわけだ」

 「せやね。……けど、生き残りが誰も居らんのやったら、後は何もかもが振り出しというか、ウチらに出来ることは無くなってもうたな。さて、これからどうしたもんだか」

 

 証人である賊や、それに加担していたかもしれない港の役人、そして荷役夫たちもすべてが物言わぬむくろと化してしまった今、徐晃と姜維は肩を落として途方にくれかけたのだが。

 「……そうでもないわ」

 「?元直はん?」

 「この人、最後に韓馥って名前を挙げたわ。……多分、ソイツがこの件の首謀者よ」

 『あ』

 そう。その今わの際、彼は確かに、憎憎しげに、その名前を呟いていた。

 「だが、韓性の人間なんて吐いて捨てるほど居るぞ?同名の奴だって、もしかしたら何人かは」

 「それは分かってるわ。で、後もう一つ、鍵になりそうな言葉があったわ。……“ぎょう”……“かえ”……」

 「“ぎょう”?“かえ”?なんのこっちゃ?」

 「“ぎょう”は、多分地名の鄴だと思う。その後に続いた“かえ”ってのは、おそらく言葉の流れからして、帰るとか帰ってとか、そう言いたかったんじゃあないかな?」

 「なるほど。つまりは黄河を渡った先にある冀州の鄴、そこに居る韓馥って名前の奴が、こいつらの裏に居た人物って事になるわけだ」

 「しかも、や。賊に対して秘密裏に援助出来るとなると、その立場も限られてくる。……どうやら、まだ諦めんで良さそうやな」

 見失いかけた道筋。それを再び見つけ出すことが出来た三人は、互いにその顔を見合わせて頷きあう。そして、とりあえずはここで一夜を明かしてから、黄河を渡って冀州に入ることとし、荒れ果てた港の中では比較的に建物としての体裁を保っていた小屋を片付けて、そこに宿を取ることにしたのだった。

 

 ――――――その深夜。

 

 

 徐庶と徐晃が深い眠りについている中、姜維は一人そっと小屋から外へと出て、港の桟橋へと向かった。

 「……お月さんが綺麗やなあ……あんたもそう思わへんか?」

 夜の闇の中に煌々と光る月を見上げながら、姜維は誰も居ないはずの自身の背後に拡がる闇の中へと、その声をかける。

 すると、その彼女の声に応えて、闇の中からそれは無機質な、一切の感情も感じられない声が返ってきた。

 「……無駄口は良い。仕事の報告を」

 「ちっ、相も変わらず無愛想なこって。まあええわ。……とりあえず、初仕事の方は五割方は失敗や。証拠のもみ消しも出来へんかったしな」

 「……かの地の官吏たちは、陳留の刺史の手で告発され、既に処罰された。……お前が渡した証拠によってだ。それに至った経緯については、不慮の事態だったということで、咎めは無しとの沙汰が出ている」

 「……そりゃどうも」

 ほんの少しだけ、姜維は眉をひそめて、その声へと言葉を返す。状況が状況だっただけに、あの時はああするしか無かったとは言え、これで組織にまた借りを作ってしまった事の方が、今の彼女は不満と言えば不満であった。

 「関った賊どもも全員この場で死んだ。それ故、仕事はこれにて完了とみなし、そなたには直ちに洛陽へと帰還するよう命令が出ている」

 「……今、すぐにかいな」

 「……」

 「ち。わあーったわあーった。ま、元直はんと公明はんには悪いけど、二人とはここでおさらばやな。あ、せや。その前にあんさんに一つ聞きたいんやけどな?鄴の韓馥っちゅう人間、知らへんか?」

 「……かの地の今の太守で、州牧がその名だが」

 「あらま……またえらいもんが裏に居ったなあ。……ソイツは消さんでええん?その韓馥言う奴が、どうやら賊共の本当の雇い主らしいけど?」

 調べつくした不正な官吏の証拠と、それに関った全ての末梢。それが、本来姜維に与えられた任務であった以上、大本に居る人間まで消してしまってこそ、その任を全うしたと言えるのではないかと彼女はふと思い、声に対してそう問いかけたのだが。

 「……依頼主を消す必要など、どこにある」

 「……なんやと……?」

 依頼主、と。今、声ははっきりとそう返してきた。それはつまり、徐庶の故郷を襲った賊と、それに与していた役人達を、その証拠もろとも消すよう組織に依頼したのは、事もあろうか全ての元凶である韓馥本人だったと、そういう事になる。

 だが、その返事を聞くと同時に、姜維の脳裏には嫌な予感もよぎっていた。

 「……なんで、その事ウチに教えるねん?依頼主に関しては、仲間内にも絶対明かさないんが、組織の掟と違たんか?」

 「っ……!」

 それは、失策に思わず、といった反応だった。 

 常人であればまず聞き逃していたであろう、その小さな呻きを、姜維はけして聞き逃す事はなかった。そして、聡い彼女はそれで悟った。

 先ほどまでの声から通達は、そのほとんどが自分を大人しく帰還させる為の方便だと言うことを。そして、それの意味するところはただ一つだと言うことも。

 「……任務の失敗、それによってウチは用済みちゅうわけか。はっ、どうりで、さっきから周りに、嫌な気配が漂っとるわけや。……一応聞いとくで。オカンはどないした?」

 「……安心しろ。すぐに会える」

 「っ!」

 一瞬の後、闇の中に火花が走り、金属同士の激突する音が、辺りにこだまする。そしてそれを切欠にして次々と、小さな光があちらこちらへと瞬時に移動しながら煌き始める。

 

 そして、それから半刻もした頃。

 

 「……はあ、はあ、はあ……。これで、全部、か……?は、はは、ははは……そか、ウチ、これで独りになってもうたんやな……オカン……堪忍な……堪忍してな……ウチが、ウチが馬鹿やったから、オカンまで、う、ううっ……うああああああああああっっっっっ!」

 宵闇の中、辺り一帯に響き渡る、姜維のその悲痛な叫び声。

 そして、それに気付いた徐庶と徐晃が、慌てて何事かとその声の方へと駆け寄ってみれば、桟橋を中心にして転がる出来たばかりの死体五~六体のその真ん中で、一人地に這い蹲って号泣している姜維の姿を見つけたのである。

 そこで一体何が行なわれたのか、姜維の身に何が起こったのかは、もちろん今の時点では彼女らには分かるべくもない。

 だが、姜維の傍にそっと歩み寄った徐庶のその身に、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたまましがみつき、更に泣きじゃくり続けるその彼女の事を、徐庶は優しくその頭をなでながら抱きしめ。徐晃は泣き崩れる姜維のその震える肩に手を乗せて、彼女へと優しい表情を向けながら、月の明かりの射す中、少女が存分に涙を流し尽くすその時まで、暖かく見守ったのであった。

 

 そして翌朝。

 

 

 

 「……夕べはほんま、見苦しい所見せてもうたな、二人とも」

 「構わんさ。……母親を殺されて、正気で居られない奴の方が、どうかしているさ」

 「そう言う事よ。……ありきたりな事しか言えないけど、気をしっかり持って、ね?“姜伯約”」

 「ん。……あんがとな」

 昨晩の一件の後、ひとしきり泣き続けた姜維はそのまま眠りに落ちてしまい、気がついてみれば、既に日は高く昇りきっている時刻になっていた。

 そして、目が覚めた彼女はまず、徐庶と徐晃に対して自分の素性のその全てを、昨晩の出来事共に打ち明けて見せた。

 徐遠と言う名は仕事中の偽名であり、本来の姓名は姜維、字を伯約と言うこと。自分は洛陽にその本拠を置く裏社会の間諜組織に属していて、その組織からの任務で許昌の街に滞在していた事。

 そして、結果はどうあれ任務そのものは形的には失敗に終わってしまったため、一度の失敗が即座に死に繋がる組織のその掟によって、昨晩処刑されかけたこと。

 そしてさらに、人質同然の監視下に置かれていた、唯一の肉親である母親も、もう既に組織によって処理されているであろう事も。

 その話を姜維から聞いた徐庶と徐晃は、始めの内こそその内容に驚愕の表情を浮かべて居たものの、最後の母親のくだりに話が来た時には、その瞳に涙を浮かべ、姜維の事を知らぬ間に抱きしめて居た二人だった。

 「……それで、伯約はこれからどうする?……その組織とやらを相手に、母親の仇討ちをするのか?」

 「……んにゃ。ウチは、二人さえ迷惑でないなら、このまま一緒に行動させてもらおうと思っとる」

 「……良いの?」

 「ん。もう決めたことや。それにな、二人とも、これから鄴に行って、韓馥の首、取る気ぃなんやろ?」

 『……』

 姜維のその問いかけに、徐庶と徐晃は無言のままに、力強く頷いてみせる。

 「せやったら、間諜の腕に長けた人間が一人、居るか居らんかじゃあ全然違ってくるで?どや、お二人さん?ええ買い物やと思うで?」

 「はははっ。それは確かに、良い買い物だな。……元直、お前さんは?」

 「私は全然構いませんよ。でも、公明さんこそ良いんですか?州の牧の命を狙う人間に加担なんかしたら、この先仕官の道は厳しくなりますよ?」

 「別に良いさ。例え士官なんざ出来なくても、世のため人のためになれるんなら、あたしもコイツの振るい概があるってもんさね」

 背に背負ったハルバードにチラリと視線をやりつつ、徐晃は徐庶のその問いに明るく答えて見せる。

 「姐さんてば粋やねえ。いよっ!気風良しの器量良し!三国一の伊達女!」

 「はっはっは!そんなにあたしをおだてたって、何もでやしないよ?あはははは」

 「くすくすくす」

 いまだに少々腫れぼったい目をしつつも、それでも気丈に、笑ってふざけて見せている姜維のその行動に、徐庶も徐晃も一緒になって明るく笑って見せるのだった。

 

 それからまた少しして、三人は近くの河岸に打ち捨てられていた、一艘の小型の船を発見し、それを使って官渡の対岸、冀州側の白馬へと黄河を渡った。

 

 「さて、と。冀州に入ったんはええけど、これからどないする?」

 「どう……って、そんなもの決まっているだろ。すぐにでも鄴に乗り込んで、韓馥とかいう馬鹿たれをとっちめて」

 「却下。あのですね、公明さん?相手は曲りなりも、一郡の太守であり州の牧なんですよ?数千から兵がひしめく所に、たった三人で乗り込んで勝てる見込み……あると思います?」

 「う。それは……その~」

 「そうそう。急がば回れていうし、ここは一つ、南皮に向かうというのはどうやろ?あそこの太守の袁本初はんに、韓馥の悪行を全部伝えて、討伐の為の軍を動かしてもらうってのは?」

 「……そうね。まずはその手で行きましょうか。あ、でもその前に、平原県に立ち寄りましょう。そしてその地で、まず、義勇軍を立ち上げるべきね。袁家との交渉にしても、ある程度は戦力を持っていたほうが、うまく立ち回れるでしょうしね」 

 「よし。なら、元直のその方針で行こうか。今からなら、夕方には平原に着けるだろ」

 意見のまとまった所で、三人は馬を東に向かって走らせる。糞州ではさほど大きくない町とは言え、それでも、一郡の中心となっている平原であれば、それなりに人を集めることも出来るだろうと、そう考えての結論だった。

 そして、件の平原に辿りついた彼女らは、早速人が多く集まっているであろう酒場へと、その足を運んだ。

 「……ふむ。結構人がいるもんだね」

 「そうやね。若い連中も結構いてるし、これなら問題なさそうやな」

 「そうね。それじゃあ早速」

 「あ、ちょっと待ってくれ、元直。……その前に、あたしから二人に、相談というか、提案があるんだが」

 『?提案?』

 酒場に足を踏み入れ、義勇軍の兵として集められそうな若者が、酒を飲みながら色々くだを巻き、今の世の中に対する不平不満を口にしているの耳にして、満足げに笑いながらいざ、義勇兵の募りを開始しようとした徐庶であったが、ふと、徐晃から突然に待ったをかけられ、姜維とともにその首をかしげる。

 「……いやな?許昌の街で意気投合して以来、ずっと考えていたことだったんだけどな?……元直、それと伯約。……あたしら三人、良かったら義姉妹にならないか?」

 「義姉妹……?」

 「ああ。……元直も伯約も、そしてあたしも、揃って天涯孤独の身という、同じ境遇になっちまった。まあ、あたしの場合は、生まれたときから親はもう居なかったけどね」

 「え?姐さんも?」

 「ああ。あたしは元々孤児でな。出身こそ河東郡と言っちゃあ居るが、本当の生まれがどこかまでは知らないのさ。……まあ、あたしの過去話は一旦横に置いといて、だ。どうだい、二人とも?あたしと……姉妹になってはくれないかい?」

 肉親を失っているもの同士、これから供に、力を合わせて生きて行きたいと。徐晃は徐庶と姜維に対し、その手をそっと差し伸べて、笑顔と供にそう問いかけた。

 「……私で、良ければ」

 「……ウチ一人だけ、姓が違うけど、それでもええんなら」

 「良し!そうと決まりゃあ、早速誓いを立てるとするか!親父!酒と肉!ここで一番の上物を持って来てくれ!」

 それから少しして、酒場の中のほぼ中央にある卓に、三人分の肉と酒が並べられ、そこに徐晃と徐庶、そして姜維の三人が、互いに顔を突き合わせて腰を下ろし、酒の注がれた杯を互いに向かって掲げ、彼女らは義姉妹の誓いを、その場で声高に行なった。

 

 「我ら三名!生まれし時と場こそ異なれど!」

 「これより先は供に、その人生を歩み続ける事をここに誓う!」

 「そして願わくば、同年同月同日に、一つ所にて死すことを願う!」

 『天よ!我らが赤心!どうぞ御照覧あれ!!』

 

 この、彼女らの威風堂々たる義姉妹の誓い。

 それが、この店で彼女らと席を同じくしていた若者達の、その心を大きく動かし、三人の義勇軍参加への呼びかけに対し、大きな一役を買ったことは、もちろん言うまでもないであろう。

 

 そしてその後、意気揚々と義勇軍を率いて南皮を目指した彼女らだったが、袁紹のその助力を得られることは残念ながら適わず、その代りに、冀州北部の黒山に根城を持っていた賊を叩き潰し、そこを、自分達の行動拠点とすることに成功。

 

 そして、彼女らはついに、その運命の時を迎える。

 

 天の御遣い、北郷一刀との邂逅。

 

 外史の運命は、漸く動き出そうとしていたのである……。

 

   


 
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