No.446300

空へ逃げた男

malteさん

一年前にゼミで流布した同人誌向けに執筆。冒頭一文の縛り以外の制約はなし。戦闘機乗りの手記みたいなイメージでかきました。pixivにもあります。続編(?)執筆中。

2012-07-05 08:10:57 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:331   閲覧ユーザー数:328

 
 

彼女は舌打ちをした。水っぽい破裂音と得体の知れないものが鉄板を叩く音。

彼女はまた舌打ちをした。今度はリズミカルに、そして唐突に。

油圧系統のランプが一斉にイルミネイトし、ブザーが合唱する。小刻みな振動、地震の初期微動のように。右だ。右翼から燃料が漏れだしている。冷え切ったキャノピィから右翼のエンジンを確認する。

スカイブルーの航空迷彩の主翼に悪性のコブの様に膨れ上がっている液冷式のエンジン。普段ならテノールの効いた心地好い音色を奏でる化け物。たった二つのエンジンで八トン近いこの重量機を五百キロのスピードで垂直上昇させることが可能だ。

しかし今のエンジンは、何かを裁断するような高速の打撃音と共にオレンジ色の炎を吹き出していた。プロペラシャフトはすでにねじまがり、可変ピッチプロペラがインテークを叩くリズミカルな不快音を響かせていた。肥満気味のエンジンから熔けだした炎は後ろにいくにつれて白くなり、灰色、そして黒になる。

その不自然なグラデーションは俺が撃ち落とした敵機の軌跡に似ていた。

「こちらモンブラン2、エンジントラブルです、先程の戦闘で被弾していたかもしれません」

夢中だったので思いだせないが、確かに危ない場面が一度だけあった。双発の重量機ゆえに旋回の反応が一瞬だけ遅れ、結果的に回避行動にラグが生じた。レシプロエンジンは数が少ない方が堕ちにくい。一つでも停止してしまうと設計上飛ぶことが不可能になってしまう。ウチのメカニックが言ってたっけ。パワフルな分、きっちりとそのリスクが返ってきてしまった。

「こちらモンブラン1、まだ敵領内だ、あと十マイル無理か」

燃料タンクに引火したら一瞬で火だるまだ。速度計を確認。とてもじゃないが速度も落ちてきた。

彼女はもう長くは持たない。飛行中のエンジントラブルは人で言えば心臓発作に等しい。二十二回もの戦闘を共に戦い抜いてきたパートナーとの別れの時間が迫る。戦闘機乗りに限られたことではないが、軍人は自分の機体に女性の名前を名づける風習がある。もちろん非公式ではあるが、戦場では運命共同体だから。愛着が湧くのは至極当然なのだ。

老朽化なのかスロットルを絞る時に生じる独特な息切れはメカニックに診てもらっても結局治らなかった。そんな機体特有の癖にもようやく慣れたのに……。

「モンブラン2、エンジンに炎が回っています、ベイルアウトします」

「こちらモンブラン5、現行速度から未来座標を確認済み、ご無事で」

右エンジンが爆竹のように爆ぜた。破片が爆散、一部がこちらに直撃、キャノピィが白くなる。気密が揺らぎ、急に寒くなる。

「下は暖かいぞ、それから敵と仲良くなるなよ、ほどほどにな」

うちの隊長、モンブラン1。モンブランは空母ナポレオン艦長の好物。

「休暇をとって来ます、それでは」

機体が編隊から脱落していく。

最後の挨拶として、セクシィにくびれた彼女の操縦桿を右手で優しく愛撫した。サヨナラだ。

キャノピィの上部にある脱出フックを力いっぱい引っ張る。旅立ちの時だ。ひび割れたキャノピィが後ろに吹き飛び、シートごと俺は射出される。

着艦の時よりもはるかに強力なGが問答無用とばかりに全身を踏み潰す。離陸前に食べたチョコバーを消化しておいてよかった。

足元に太陽が輝く。何度も目の前を太陽と味方の編隊が横切る。風の音はエンジン音をも掻き消した。

落下傘を展開、腹にめりこむパラコード。視界が安定し、やっと足元に地表を確認できた。

火炎車になっている機体を確認。推力のバランスが崩れスピンに入る。ああなると遠心力で脱出することは非常に困難になる。鼠花火のように高速で回転しながら落ちていく。回転方向は少しずつ縦に。機体が光る。白い閃光とともに粉々に砕け散った。音は相変わらず風の音だけだ。爆発音は聞こえない。

四散した破片で落下傘が燃える情景が頭をよぎったが無事なようだ。パラ無しのスカイダイビングなんて目隠し無しで断頭台に固定されるくらい不幸な死に方だ。人は自分の死期を悟らないほうが幸せだと思う。相変わらず寒い。早く降りたい。

モンブラン隊は雲で見えなくなった。彼らは空母に戻り燃料補給を行う。モンブラン隊は空母ナポレオンの主力航空隊だから、きっと俺を待たずに次の任務に飛び立つだろう。そんな思考をしていたら、早く空に戻りたくなってしまった。

視界がはっきりしてくる。下はどうやら牧草地帯らしい。木々は少なく、着地に失敗することはなさそうだ。最近は空に上がる任務ばかりでパラの訓練なんてほとんどしていない。撃墜されて戦死するならまだしも、脱出に失敗して死ぬなんてまっぴらだ。

風も大分弱くなってきた。遠くで銃声がする。和太鼓を十六ビートでぶったたくような音、対空砲火だ。発射音が聞こえてくるということは自分を狙っているわけではないようだ。しかしパラシュートなんて戦闘機のコックピット程度の防弾性能もないわけで、近接信管を仕込んだ砲弾の発射音なんて聞いていて気持ちの良いものではなかった。

降下準備に入る。ハーネスの着脱ボタンを確認し、サバイバルキットと銃床を切り詰めた自動小銃一式が入ったナップサックを先に落とす。それぞれは十メートル程のパラコードで腰に結ばれており、着地後回収できる。着地時のショックを軽減するためだ。

風が涼しい、次の瞬間俺はぞっとした。

水。

下が湖になっている。

おかしい、さっきまで湖どころか川さえ見あたらなった。考える間もなく着水、同時にパラシュートがものすごい勢いで暴れ出す。大急ぎでハーネスをはずす。パラシュートは派手な水しぶきをあげながら吹っ飛んでいった。水温が低かった。空より冷たいのはなかなか珍しい。これではあまり浸かってはいられない。幸いそばに岸が見えた。

平泳ぎで岸を目指すが腰からぶら下がっている荷物が身体を下へ引っ張る。上手く息継ぎできない。仕方がないから小銃が入った重い方のバックをナイフで切り落とす。

浅くなるにつれて水が少しだけぬるくなった気がする。水はほとんどにごってなく、魚釣りには困らなそうだ。

足が底に着くようになり、なんとか陸地に到達する。あたりはさきほど空から見た景色とはかなり違っていた。木々は生い茂り、眺めの良さそうな草原などありそうもなかった。風で相当な距離を流されたのかもしれない。

右太腿のホルスターを確認する。水没した拳銃が黒光りしていた。淡水なので銃自体が錆びる心配はないが、濡れた弾薬は使いものにならないだろう。しかし威嚇には使える。場合によっては丸腰で交渉するより有利だ。もちろん余計なリスクを負うこともあるが。

銃を人に向けるとはそういうことだ。

足元の草は適度に水分を含んでおり、その上を歩くと草から滲みだした水分と身体から滴り落ちるそれとが不快な音を立てた。

つんとした草の匂いが鼻孔を巡回飛行する。標的を追い詰めるCOIN機のようにしばらく鼻の中にとどまり続けるだろう。

緑豊かな所のマイナスイオンたっぷりの空気を美味いと多くの人は言うが、俺は未だに飛行場の気化したガソリンの匂いと、大柄な空調が取り付けられた分隊詰所のコーヒィとタバコの匂いのほうがよっぽど好みだ。

拳銃から弾倉を抜き、一発ずつ濡れた弾を取りだす。ポケットに入れて少しでも乾燥を促す。緊急用として、弾倉に一発だけ残しておいた。

木々が多くなってきた。視界は悪くなる一方だ。

サバイバルキットからコンパスと地図を取りだす。この地方には大きな湖が存在しないので困った。しかし湖というのは急激な河川の流れの変化によって容易に形成されてしまうものである。この地図が古いものなら文句は言えないだろう。

自分の居場所の見当がつかないのでコンパスだけを頼りにさらに進む。

ヘルメットに装着されている簡易無線は濡れたせいで作動しない。

 

途中見つけた川で飲み水を確保し、キットに入っていたビスケット、ミルキィウェイとハリボゥを平らげる。粉スープとスパムは夜に固形燃料で温めて美味しく頂こう。

景色が一瞬にして変わった。どうやら森を抜けたらしい。

村、否、町だ。

その町は町らしい安心感と堅牢さを失い、滅びていた。足元にはコケと陶器の残骸が散らばるレンガ。町を覆っていた防壁は砕け散っていた。防壁の周りには畑だったような土地が広がっており、名前も分からないような長い雑草が生い茂っていた。首のとれたカカシがその中に見えた。どうしてカカシの頭が吹っ飛ぶのだろう。

当然だが人の気配さえしない。右手は常にホルスターに触れていた。

履いているブーツが砕けたガラスを踏みつぶす音がした。建物のガラスは全て吹き飛んでいた。路地は狭く、底の抜けたバケツや壊れた農具、それに塗料が劣化した菓子のパッケージなどのゴミが隅に溜っていた。

腕時計を確認すると午後六時を過ぎていたが依然として空は昼のように明るい。太陽もまだまだ上から廃墟を照らしていて、ミンミンゼミも鳴く。

ひらけた通りに出る。粉砕された家屋と焼け焦げた装甲車の残骸が佇んでいた。装甲車は家屋に深く突っ込んでおり、尻だけひょっこりと顔をだしている具合だ。戦闘の傷跡が色濃く、この町が滅びた原因が分かった。

タイヤの劣化の具合や建物の老朽化でかなり昔に戦闘があったことが見て取れる。装甲車は燃料の匂いなど一切なく、ただ植物が鬱蒼と生い茂る森林の臭いがした。

まだ空は明るいが日没が近いはずなので頑丈そうな建物を探すことにした。少なくとも今晩中にこの町を抜けだすことは得策ではない。

しばらく歩いていたらあまり崩壊していない民家を見つけたので近づいてみる。正面の扉の近くには軽トラックが横転していて入れそうにない。仕方がないので裏口から回ってみることにした。

家と家の隙間を通る。道は狭く、身体を横にしないと通れない。ガラスの吹き飛んだ窓の近くを通り過ぎた。隣の民家は屋根が全て吹きとび、壁も反対側はほとんどなくなっていたので中が明るい。中には壊れたテレビとソファが無造作に転がっていた。

裏口に回る。茶色い扉と暗闇を映し出す窓枠。隅には紫色の夕顔が植えられていた。半分は焼け焦げてしまっているが、残りの花は綺麗な紫色をしている。何故枯れていないのだろう。まだこの町に生存者がいるのだろうか。

俺はパイロットになる前、陸軍の空挺部隊として紛争地域でゲリラの掃討任務に就いていた。仲間がゲリラの放つ少年兵に撃たれていくなか、俺は一人の少年兵の斥候を発見する。

少年は俺に気付いておらず、自分が入手した情報を本部に持ち込もうとしていた。彼を追跡することでゲリラの本拠地は簡単に割り出せた。標識にその地名が書いてあるほどそこそこ大きな町だった。俺はすぐに本隊に連絡し町に火力を集中させ、ゲリラは瞬く間に壊滅した。

きっと少年兵の住んでいた町だったのだろう。俺は装甲車と攻撃機がしっかりと仕事を済ませたあと、例の町に踏み込んだ。

町はこの廃墟のように徹底的に破壊されていた。民間人が避難していた確証はない。作戦は完全な奇襲であったのだから。案の定、兵士以外の亡骸も転がっていた。鉄の雨で全身を引き裂かれた彼らはどんな思いで死んでいったのだろう。

あの惨劇以来、俺は空軍への転属を強く希望するようになった。

空なんて陸に比べればはるかに清潔だ。死体も残骸も炎さえ残らない。全て一瞬で燃え尽きるだけ。

戦争を職業とすることにやましさは感じなかったが、ああやって自分の所業が地面にべったりとこびりつくのには耐えられなかった。

転属願は半年後に受け入れられた。もともと素質があったのだろう。平均二年はかかる飛行訓練課程を一年で修了し、晴れて空母の艦上戦闘機隊に配属された。モンブラン隊に組み込まれてからまだ三カ月だが、既に二番機を意味するモンブラン2のコールサインを名乗ることが許された。こうして俺は空に逃げたのだ。

「こち……ルク……プ……聞こえ……」

ふいに無線がなる。無線が生き返ったのだ。

「こちらカカオ、応答願う」

味方からの反応はない。カカオとは不時着時の俺のコールサイン。敵にパイロットが不時着したことを悟られてはいけないからだ。基地に帰還することが多い分、パイロットの捕虜は軍の多くの重要情報を握っていることが多い。

「……らミルクレープ……応と……」

どうやらこちらからの発信はミルクレープ隊に届かないようだ。しかし無線の届く位置まで味方の航空機が来ている。ちなみにミルクレープは副艦長の好物。

発煙筒に火をつける。端から青色の煙が勢いよく吹き出す。まだエンジン音は聞こえないものの、目印が見つかればすぐに救出してもらえる。

植木鉢の夕顔が青い煙で見えなくなる。煙たくてしょうがないので民家の中に入ることにした。その時、ドアが内側からものすごい勢いで開いた。右手が勝手に反応しホルスターから拳銃を抜こうとする。

しかしホルスターに拳銃がない。どこで落としたのだろう。さっきまでしっかりと拳銃はホルスターにおさまっていたはずだ。

銃口を突き付けられる。見覚えのある軍服。

目の前に立っているのは「俺」自身。正確には三年前の空挺部隊に所属していた頃の俺。髪形も違う。

そしてその隣にはあの時の斥候の少年兵がいた。二人は俺を見下ろし、拳銃を構える。

「本当にいいのか?」

昔の俺が横目で少年に尋ねる。

「撃って」

少年が答えた。涙を流し、口元を歪ませて。そりゃ恨まれて当然だ。

なるほど、俺はこのまま片膝をついた状態で頭を撃ち抜かれて死ぬらしい。どうも脱出の時から違和感があったが俺はどうやら助からないようだ。脱出に失敗したのか、対空砲で撃たれたのか、湖で溺れたのか、道中で力尽きたのか、いずれにせよこんな非常識な死にかたなどありえない。

「悪く思うなよ」

自分に諭された。

撃鉄の打撃音。

 

俺は救助部隊に発見され空母ナポレオンまで護送された。

なぜあの時、拳銃が火を吹かなかったのか。引き金は完全に引かれていた。弾丸が発射されないということは、明らかに拳銃の動作不良である。弾がシケていたのだ。つまりあれは俺の拳銃であった。

空軍の報告書では、俺は不時着後、敵地に降り立ったことにより情緒不安定に陥り拳銃で自殺を図ろうとしていたということになっていた。つまり俺が幻覚を見ていたことになる。救助部隊から聞いた話では、俺はただ草原の真ん中で荷物をばらまき、発煙筒を焚いていたらしい。周りには廃墟はもちろん、湖もジャングルも存在していなかった。

それでも俺は自分が幻覚を見たという事実を受け止めることができない。幻覚と片付けるにはどうも納得がいかないのだ。なぜなら拳銃弾は確かにシケていたし、湖の感触、町の風景は現実味を帯びていたからだ。特に少年と三年前の自分の姿は生々しかった。

もう二度と陸に降りたくない。こんど撃たれたら空で、愛する彼女の中で死のう。

 

fin

 
 

 
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