「どこか行きたいところはありますか?」
真田は車椅子のハンドルを握りながら問いかけた。
陽菜子が小首を傾げると肩のあたりでそろえられた髪が揺れ、まぶしいほどの白いうなじがちらりとのぞく。
「んー、そうですね……」
体の弱い陽菜子はそうそう外出ができるわけではない。そのあたりは本人も自覚をしているので、大きな無理を言い出すことはほとんどなかった。小さな無理ならお願い攻撃によって多数繰り出していたのだがそれは別の話。
その気遣いを真田は悲しいものだと思うが、決して表情に出すことはしない。
「星見商店街に行ってみたいです」
「大丈夫ですか?」
「うん。たくさん人がいるところにいってみたいから」
外出が許可されたとはいえ無理をすれば体に障る。そのことを気にする真田だが、不安げな目で見つめられるのに気がつく。
「お嬢が希望されるのでしたら」
「ふふ、真田さんってそればっかり。なんだったら、真田さんのおすすめの場所につれていってくれてもいいんですよ?」
「私は……趣味の少ない人間ですから」
メガネの奥の目をわずかにすがめる。
「そうなの? 真田さんって本をよく読んでるみたいだし、それに音楽だって聞いてるでしょ? 陽菜子よりずっと趣味が多いと思うけど」
「趣味と言えるほどのことではありませんから」
本は知識を仕入れるため、音楽は周囲の煩わしい音を聞かないですむようにするために聞いているだけだ。
「真田さんのお気に入りの場所とかってないんですか?」
「そうですね……いつか見つかったら、お嬢を招待しますよ」
「わあ、絶対ですよ。約束ですからね」
笑顔で右手の小指を差し出す。どうしていいかわからず、真田の眉がわずかに寄った。
「約束だから指切りをしてください」
「そんなことをしなくても……」
「してください」
しばし無言で陽菜子のほっそりとした小指と普段とは違う真剣な表情を交互に見つめる。
「……仕方ありませんね」
真田が小指を絡めると、陽菜子は嬉しそうに笑った。
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます。ゆびきった!」
かすかに残る陽菜子の指の感触。
「約束しましたからね。絶対に連れていってくださいね。陽菜子を置いていっちゃイヤですよ」
「ええ、約束ですから」
かすかに真田の口角があがった。表情の少ない真田にしては珍しいことであった。
「人、いっぱいですねー」
平日だというのに行き来する人の数はかなり多かった。比較的娯楽の少ない島なのだから仕方がない。真田は陽菜子の体調を気遣うように道の端に車椅子を寄せる。
「どのお店に行きたいんですか?」
「えーと……あ、あそこに行きたいです」
陽菜子が指さした先はアイスクリーム店だった。
「わー、いっぱいあるー。どれもおいしそー」
目を輝かせながら陽菜子はショーケースをのぞき込んでいる。そんな様子がおかしいのか、店員も微笑んでいた。
「ご注文は何になさりますか?」
「えーと、チョコもおいしそうだし……あ、こっちのどんな味がするんだろ。ねえ、真田さん、どれにしたらいいのかな?」
「お嬢が好きなものを注文してください」
「でもこんなにあるんだもん、迷っちゃう。あ、そうだ。いっそ――」
「全部は駄目ですよ。二つまでにしてください」
「……もう、真田さんが好きなもの注文していいっていったのに」
「そんなに食べたらおなかを壊しますよ」
「陽菜子、おなかは丈夫だよ?」
「全部を一度に食べたら味もわからなくなりますよ」
「あ、そうだね。うーん、じゃあどれにしようかな……」
真剣な眼差しで選別を始める。普段、こんな顔を見せないので新鮮だった。しかし、なかなか決まらないようだったので、それとなく助け船を出すことにした。
「お嬢の好きな果物はなんですか?」
「好きなくだもの? イチゴとか……」
「でしたらアイスもそれにしてはどうですか」
「うん、そうする。陽菜子、このストロベリーがいいです」
「ベリーベリーストロベリーですね。ダブルですからもうひとつお選びください」
「もうひとつ……真田さんが好きなくだものはなんですか?」
「私ですか? そうですね……メロンでしょうか」
特に好きというわけではなかった。しかし陽菜子がイチゴの次に好きな果物はメロンであることを真田は知っている。
「ホント? じゃあ、もうひとつはメロンにします」
「マスクメロンですね。かしこまりました」
「んー、あまくておいしー」
緑と赤のアイスクリームを幸せそうな顔でなめる陽菜子を見て、道行く人たちも微笑んでいた。
「真田さんのアイスはきれいですね」
真田の左手にはチョコレートミントのアイスが握られている。
「少し食べてみますか?」
「いいの?」
「ええ、どうぞ」
陽菜子の口元に差し出すと小さな舌を伸ばして、ぺろりとなめる。
「わー、なんかスッとします」
「そうですか」
「なんか、陽菜子のとは違って大人の味って感じです」
「……そうですか」
陽菜子にかかれば甘くないものはすべて大人の味になってしまう。そういえば、ピーマンをちゃんと食べられたからもう大人だと言っていたことを思い出す。
「それでお嬢、次はどこに行きましょうか」
「えーと……どんなお店があるか見てみたいので、ぶらぶら歩いてもらってもいいですか?」
「もちろんです」
行き交う人の流れに逆らわないように、真田は車椅子を押し出した。
「どう、真田さん。陽菜子、似合ってる?」
水着を服の上からあてて見せる。腰をひねって精一杯の色気を出そうと必死な様子を真田は努めて無視した。
「ええ、とても」
「もう、真田さん、さっきもそういってたよ。ちゃんと似合ってるかどうかいってくれないとわからないじゃないですか」
陽菜子の唇がとがると、ほっぺたがぷくーと膨れる。それは年相応の表情であり、実に可愛らしい。真田は心の中で微笑んだ。
「お嬢ならどんなものでも似合っていると思いますよ」
「じゃあ、あんな水着でも似合ってるっていってくれる?」
指さした先には股間の食い込みも激しく、背中も大胆にあいた水着がある。
「……」
さすがに今の陽菜子のスタイルでは残念なことになるのは明白だったので、真田も何も言うことができない。
「それ、陽菜子に似合わないっていってるのと同じだよね」
無言のままの真田の心情を察し、陽菜子はジトーとした視線で見つめる。
「……お嬢、勘弁してください」
ぷいっと陽菜子はそっぽを向いた。
「勘弁しません。でも、真田さんが陽菜子に一番似合ってる水着を選んでくれたら許してあげます」
「くっ、まさか最初からそれを……」
見上げる陽菜子の顔は勝利を確信して笑顔で輝いていた。
「選んでくれるよね?」
「……わかりました」
真田の完敗だった。
車椅子を押して、ティーンエイジ向けのコーナーにつける。このあたりはお店に入って真っ先に陽菜子が水着を選んでいた場所だ。
「これが似合っていました」
オレンジも鮮やかな水着を手に取る。
「それ、陽菜子が最初に選んだ……」
「一番、似合っていると思いましたよ」
「…………うん。それにする」
受け取った水着を胸に抱きしめた。
「大事にするね……この夏、絶対にこの水着を着るから、真田さん、楽しみにしててね」
陽菜子の笑顔を正面から見つめながら、本当にそうなってくれるといいと真田は思う。だが、それはかなわぬ願いだろう。
陽菜子の希望でファーストフードで少し早い夕食をとり、病院に戻る頃には日はすっかり傾いていた。
「今日はありがとうございました」
「いえ」
「あと何回、こうやって外出できるのかな……」
小さなささやき声だったが、真田の耳には確実に届いていた。ハンドルを握りしめる両手に力がこもる。
「今度は海に行きましょう。お嬢の水着姿、楽しみにしています」
「そう、ですね……」
見上げる陽菜子の目の端がかすかに濡れていた。
「この夏は、精一杯生きたいです……きっと、たくさんたくさんステキなことがあると思うから……」
その言葉に、真田は黙ってうなずいた。
精一杯生きる――それはつまり、残された時間が短いことを意味している。
その真意を知っているからこそ、真田は何も言うことはなかった。
少女の決意を無にしないため、真田も生きようと改めて心に誓う。
「やあ、陽菜子ちゃん。ちょっとこっちにくる予定があったからお見舞いきたんだ。今日は体調がよくて外出できたんだって?」
バンダナをした少年が手を挙げて陽菜子を病院の前で出迎える。
精一杯生きる――それが真田と陽菜子の望みだった。
だが、そのはかない望みは遠くない未来、黄金色の輝きによって消滅させられることになる。
了
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こんな日があったらいいなー的なお話です。