No.441459

北郷一刀の奮闘記 第七話

y-skさん

そろそろ忘れられてるのではないかとの不安を抱きながらの第七話です。
書こうと思った話が長くなったのでキリの良い所まで。
今回はちょっとしたお遊びが混ざってますがどうかお気になさらず。

2012-06-24 21:26:13 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:3306   閲覧ユーザー数:2902

こちらの世界での一大決心をした夜は過ぎ、記念すべき朝が来た。

空はどこまでも青く澄み、新たな門出を祝福しているかのようである。小鳥たちの囀りも、心なしか弾んで感じられた。

戸棚からごそごそと着物を引っ張り出す。見慣れ、着慣れた白い着物に手を伸ばすが、向かうならば早いほうが良いだろうと、昨日、袖を通したものへと視線を移した。

取り出した着物に恐る恐る鼻を近づけると微かに汗の臭いがする。

 

……そんなには臭わない。まだ、大丈夫。

 

そう、自分に言い聞かせる。

フランチェスカの制服、という手もあるが、この時代では目立ち過ぎてしまう。

近いうちに男物の服も増やさなければなァ。

そんなことを思いながら着替えるのだが、どうにも上手くいかない。

女物を纏うよりも時間が掛るとは、何ともおかしな話であった。

 

 

いつものように先生の部屋へと向かえば既に食欲を誘う匂いが漂っていた。

それが程良く空腹である俺の胃を苛烈に攻め立てる。直ぐにでも匙を握りたいという衝動を何とか抑えこんで、部屋の隅に置かれた桶を取り中庭にある井戸へと向かった。

空腹は最高のスパイスであると唱えながら、井戸と、部屋に置かれた水瓶とを往復する。

室内の瓶へと水を移す度に、意識が台所の方へと持っていかれそうになるが、ここはぐっと我慢の子。

一心不乱に桶を運び続ける。

 

「お疲れ様でした。」

 

そう、微笑んだ彼女に言われて漸くの作業終了である。

 

「頑張ってきて下さいね。」

 

些か疲弊した腕を揉みながら席に着くと先生はそんな言葉を投げかけた。俺の服装から今日の予定を察したのであろう。

素直に、ええ、と答えて、待ちくたびれた腹の虫に餌をやることにした。

その後は和やかな一時である。胸の高なりと、ちょっとの不安を覚えながら。

 

 

椀の水を口に運ぶ。地下から汲み上げた水は、ひんやりと心地が良くどこか懐かしさのようなものが感じられた。

そのまま、ゆったりと椅子に身を預けて食事の余韻に浸る。布団に入っている時もいいが、美味しい物を食べた後にのんびりと腹ごなしをする、というのも好きな時間であった。

食べた料理の味を思い返しながら僅かに重くなったお腹をさする。それだけで幸せを感じることが出来るのだ。

 

北郷一刀という人間は、決して無欲ではない。しかし、人よりも強欲であるかと問われれば、そういう訳でもない。良くも悪くもごくごく普通の一般人である。

それも同じ意味の言葉を二つ重ねて表現しても良いくらいにありふれた人間なのだ。他の人物が自分を見てどう感じるかは分からないが、少なくとも自分自身はそう思っている。

 

だからこそ、食後の一時という些細なことでも、こうも幸福に過ごせるのだ。とは言え、前述したように自分は決して無欲ではない。食べるのならばより美味しい物の方が良いに決まっている。

こうして至福の時を過ごせるのも、彼女の腕があってこそなのである。それも飛び切りの腕だ。

今日の食卓に並んだ物も毎度お馴染みの根菜を煮込んだ粥である。それ以前に、そもそも粥以外が出されたことは一度もない。

それでも、その味に飽きることはなく、何度食してもあっという間に器が空になってしまうのだ。

一体どうやればここまで上達出来るのだろうか。

 

まだ匙を口に運んでいる先生を見やる。

その所作にはやはり隅々にまで品の良さが感じられ、同じ食事という行為なのに何故こうまでも差が出るのだろうかと考えさせられる。

そのままぼんやりと眺めていると、視線に感づいたのか彼女は動きを止めた。

口を小さく開け、匙を中空に掲げたまま。今、正に口に運ぼうとした所のままに。

しばし、目が合う。

少々間の抜けたような、呆けたような表情の彼女は、何というか、非常に可愛らしかった。

凛とした女性がふと見せる無防備な姿。

これをギャップ萌えと言うのだろうか……。

微かに紅潮していく頬を見ていると胸に温かなものが込み上げてくる。

 

「北郷さん?」

 

僅かに咎めるような口調。

 

「ええ、済みません。」

 

それでも、緩んだ口元を抑えることは出来なかった。

 

 

コホン、と一つ咳払い。そちらへと顔を向ければ、彼女が食事を終えた所であった。

水の入った杯をゆっくりと流しこむと、ふぅ、と小さく息をつく。

濡れて、仄かに光る彼女の唇が何とも艶かしい。

その唇が動く。

 

「さて、いよいよですけど北郷さん、気分はいかがですか?」

 

「そうですね……、正直な所、全く不安が無いと云えば嘘になりますが……。」

 

出来る限りはやってみようと、ですか。

続く言葉は彼女が紡ぐ。

 

「ええ。幸い、読み書きに関しては何とか様になってきたと思いますし。」

 

とは言っても、簡単な文字ならば、やっとどうにかなるといったレベルであり、まだまだ要勉強である。

更に地域によっては同じ文字でも微妙な違いがあったり、同じ意味合いでも違う漢字を当てるのだと聞かされれば、生涯を通して学んでも身につくかどうか怪しいところだ。

 

「読み書きも仕事の上では必要なことですが、商売とはあくまでも人と人との遣り取りのことです。物と物、或いは物と金銭ではありません。」

 

そのことさえ忘れなければ問題はありませんし、北郷さんは忘れるような人ではないと、私は知っていますよ。

歌うように彼女は言う。

 

真っ直ぐな賛辞とはやっぱりどうにもこそばゆいようで、

「買いかぶり過ぎですよ、それは。」

はにかみながら答える。

 

そうでしょうか、と彼女は笑った。

 

「新しい着物の衣装も楽しみにしています。」

 

「それも買いかぶり過ぎですよ。」

 

今度は苦笑を浮かべて答えた。

 

 

先生に見送られ門を出る。

今は、ここが帰る所ではあるが、いつかは本当の意味でこの門をくぐる日が来るのかも知れない。

そんな感傷に浸りながら、一歩前へ。

道はどこまでも長く、真っ直ぐに続いている。見上げた空は、高く、清々しいほどに青い。

不意に吹いた風が砂塵を巻き上げ、そして消えていく。

 

始まるのだ。

 

何が、かは分からないがそんな予感がした。

じりじりと照らす日差しに、軽い目眩を覚えながらも、二歩目を踏み出す。

 

夏は、もう間近であった。

 

 

賑わいの中を歩く。

昨日通ったばかりと言え、一度しか行ったことのない所へと向かうのだ。道順に若干の不安を覚えずにいられなかったのだが、どうやら杞憂に終わりそうである。

角を曲がり大通りへと出ると、途端に喧騒が増したように感じられた。

後はただ真っ直ぐに進むだけである。

居並ぶ屋台に、時折視線を奪われながらも目的地に向かって歩く。

ありふれた飯屋を過ぎると、目指した場所は直ぐそこである。

 

 

通りから、

「御免下さい。」

と、声を掛ける。

暫くすると、昨日と同じく大男が姿を見せた。

 

「おお、来てくれたか。」

 

どたどたと慌ただしく出てきた店主は、そのままの勢いでこちらに小走りで近づく。

そして俺の両の手を握ると顔を店の方へと向けた。

 

「おい、母ちゃん、客だ!茶の一杯でも出してやれ!」

 

大声で叫ぶ。

 

「なァに言ってんだい。そんなご大層なモンがウチにあるわけないだろ。」

 

「馬ッ鹿、分かってらァ。こういう時は黙って水をだしゃあいいんだよ。」

 

「はいはい。アンタもいい加減見栄をはんのはやめなさいな。」

 

ぐぅぅ、と口籠ると、店主は捨て台詞のように、ほっとけ、と声を上げた。

 

いきなりの応酬に、俺は為す術もなく立ち尽くしたままであった。

突然の大声に、通りを行く人々は立ち止まりこちらへと視線を注ぐのだが。

皆一様に次の瞬間には笑みを浮かべながら去ってゆく。

 

もしかして、いつもの事なのだろうか……。

 

心を決めた矢先ではあるが、自分の頭を抱えたくなった。

 

 

店主に引きずられて店の奥へと進む。

がはは、と今にも笑い声が聞こえてきそうなくらいに口の端をつり上げた彼は、見るからに上機嫌であった。

加減を忘れているのか、むんずと掴まれた右腕が非常に痛い。

漸く開放された時には大きな手形が残っていた。擦りながら、思わず恨めしげな目を向けてしまう。

そんな視線も意に介さず、悪かったな、と一言。そして今度こそ声を上げて彼は笑った。

 

「全く、アンタって人は……。」

 

ぶつぶつとぼやきながら細身の女性が現れる。手には盆が握られており、その上には茶碗が三つ乗せられていた。

ほぼ間違いなく店主の奥さんなのであろう。

店主と同じく、歳は三十半ば程に見える。

眉は綺麗に整い、つり上がった目は大きく、強い光を放っている。

足取りもしっかりとしたもので、きびきびとした動きからは自信の表れを見て取ることができた。

気の強そうな人物である。

彼女に抱いた第一印象はそんなものであった。

 

小さな卓袱台に車座になって腰を下ろす。

配られた茶碗には透き通った水が注がれており、飲み口が僅かに欠けていた。

 

「さて、ええェと、なっつったっけな?」

 

後頭部を掻き回しながら、こちらに視線を向けた店主は少しだけ罰の悪そうに問いかけた。

昨日、少し顔を合わせただけである。忘れていても無理もない。特に気にせずに言葉を返す。

 

「徐庶です。字は元直と。」

 

「そうか、俺は鄭六ってんだ。こっちは奥の仁氏だ。」

 

名を呼ばれた彼女はしずしずと頭を下げる。

 

「昨日は意匠をって話だったが、まぁ、どうせなら店番も任すつもりだ。」

 

計算と、読み書きは出来るか?

水を流し込みながら彼は口にする。

 

「計算なら問題なく。読み書きはそれなりに、といった所です。」

 

そうか、なら問題はねぇやな。

満足そうに頷き、言葉を続ける。

 

「店番っていってもやることは殆どねぇ。商品の引渡しと会計。後は着物の注文を受けたり古い物の仕立て直しくらいだ。」

 

「注文ですか?」

 

「ああ。昨日みたいなやつだ。」

 

昨日とは恐らく制服の持ち込みのことだ。

となると現代風に言えばオーダーメイドのことか。

 

「昨日みたいに絵にでも書いてくれりゃあ楽なんだがな。

 大抵の客は、やれ派手なのがいいだとか、今の時分に合った色合いの物にしてくれだとか好き勝手に言いやがる。

 言えば希望通りの物が出来ると思ってるから困るんだ。」

 

「それをやるのがアンタの仕事だろうに。」

 

呆れたように奥さんは溢す。

 

「分かっちゃいるよ。それが上手くいくかってたらまだ別の話さ。」

 

「なら、折角来てくれた子の前で弱音なんて吐きなさんな。」

 

むぐ、と、たじろぐ気配。

この夫婦の力関係を垣間見た気がした。

 

「まぁ、ともかく、ここで色々言ってても仕様がねぇ。習うよりも慣れよだ。取り敢えず番台に立っててくれ。

 直ぐに客が来るような商売でもないし、意匠の方もそっちで頼む。それと注文と仕立ての依頼が来たら俺を呼べ。」

 

分かりました、と答え席を立つ。

 

「そうそう、言い忘れたが採寸を頼まれたら母ちゃんに言えよ。」

 

まぁ、お前がやりたいっていうのなら止めはしないがな。

そう言って店主は肩を揺らす。

 

先生にも同じことを言われたな、と思い返して番台の方へと向かう。

大男が、奥さんに窘められる声を背中で聞きながら。

 

 

   北郷一刀の奮闘記 第七話 いざ、服屋 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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