―過去に気をつけて下さいー
そんな妙な看板がたった坂が、近くにあります。
その坂はどこに続いている訳でもなく、最後は途切れていて、切り立った崖のようになっているだけの坂です。ガードレールはありません。
街をすべて見下ろせる高さが僕は大好きで、よく坂を登ります。
危ないと思われるかもしれませんが、崖から足を放り出して座ったりもします。
他に誰も訪れない、西向きのその坂に座り、僕はよく夕日を見ます。
森に沈む夕日は、街も木々も、僕でさえも赤く染め上げていき、心を落ち着かせてくれます。
苦しいことがあったときには、家路を急ぐよりも坂に走る僕がいます。
あんなところに座っているのを他人に見られると、自殺でもするのかと思われるかもしれませんが、そんなことを考えたことは今の今まで一度もありません。
でも、今日は違います。
テストの結果が悪くて沈んでいるときに、母親に叱られ、もうどうしようもなくなって、死んでしまおうと思って坂に来たのでした。
いつもより遅めの足取りで、坂を登ろうとすると、あの看板が妙に気になって見えました。
―過去に気をつけて下さいー
何を意味しているのかわからないそれは、夕日に染められ、必死になにかを訴えている気がしました。
それでも僕は、その坂を登りはじめたのです。
何しろ僕は、今日今から死ぬのですから。
神秘的に赤いその坂を、一歩踏み出したとき、僕の中に一つの想い出が沸き上がりました。
いつのときだったでしょう。まだ小さかった僕が、母親といっしょに買い物に行ったときのことが思いだされたのです。
今も以前も、商品の並び方は変わらず、僕は高い棚に囲まれ、お菓子売り場を歩いていました。
母が別のものを見ている間、そっと母の元から離れたのです。
そこに僕は、気になるお菓子を見つけました。
それは珍しくもないヒーローものの、おまけが付いたチョコレートでした。
幼い僕は回りを気にせずにその箱をとり、中に何が入っているのか確認しようと箱を開けました。
中に入っていたものは主人公の敵役で、まだ持っていなかったので嬉しかったのを憶えています。
そして僕は何をしたかも気付かぬまま、事務所のようなところに連れて行かされました。
パイプイスに座り、長机によりかかっていると、そのうちに母がやって来ました。
母は何も言わずに、僕を叩きました。
僕は叩かれた痛みからではなく、母に叩かれたショックに、泣きました。
自分が何をしたかを、知らなかったのです。
そして泣きながらも、小さな人形を手から離しはしませんでした。
そんなこともあったな、と僕は思いながら足を進めました。
でも僕はこう思うのです。商品を盗ったのは悪かったと思うけど、何も叩くことはなかったのではないか、と。
多分僕は、その時から嫌われていたのでしょう。
僕は何だか陥れられたような気持ちで、中腹に差し掛かる坂を登りました。
するとまた、何かが思いだされたのです。
それは多分、僕が小学校のときのことです。
友達と木登りをしていた僕は、冗談のつもりで、友達を押しました。
バランスを崩し、木の下に落ちてしまった友達は、動かなくなってしまいました。
僕は殺してしまったと思い、恐くなって、そから逃げました。
その日の夕方過ぎ、両親は僕を連れて、友達のところに謝りに行きました。
友達は腕に軽い怪我をしたものの元気そうで、また一緒に木登りをしようと言ってくれました。
横では親が必死に謝っていましたが、僕は気にもとめませんでした。
僕は怪我をさせてしまったことも、友達の母親がいいと言っているから、あまり悪いとは思わなかったのです。
そんな僕を、母は叱りました。
父は素知らぬ顔で、テレビなんかを見ていました。そう言えば、友達のところで頭を下げていたのも、母だけだった気がします。
母は僕に、「なんてことをするの」と言いました。僕はそれに対し、「悪いことしてないもん」と言い、自室にこもりました。
ベッドの上で毛布をかぶりながら、少し反省しましたが、結局それっきりでした。
こんな思い出ばかり鮮明に思い出されるのは何故なのでしょうか、不思議なこともあるものです。
こんなことばかり思い出してしまうと、曇りはじめた空が、僕の心を写し出しているように感じてしまいます。
そして僕が予想した通り、間もなく別のことが思いだされました。
これはけっこう最近のことなので、よく憶えているのですが、中学生のときのことです。
まだ一年なのに、成績が悪いからと、熟に通わされることが決まったときのことです。
僕は「大丈夫だから」とか、「これから成績は上がるから」とか弁解しましたが、母はまったく聞き入れてくれはしませんでした。それどころか「いい大学に進むには、いい高校に入らなければならないのよ。だからあなたは勉強しなくてはならないの」と言いました。
そのとき僕は、進学したい学校も、どんなことをしたいかも決まってませんでしたが、押し切られて塾に通うことになりました。
やる気もないのに塾に通わされて、成績が上がるはずがありません。
ついに、僕には家庭教師までつけられました。
お陰で、僕の中学生活は面倒なものになったのです。
連続して思い出されたのは、高校に合格したときのことです。
今通っている学校なのですが、一応このあたりでは一流の進学校として知られる高校です。
母は、僕が合格したことに喜んでいました。
僕も別のことで、その時は嬉しかったのですが、それはすぐに辛さに変わりました。高校に合格したことで、塾も家庭教師も止めることが出来ると思ったのですが、よりレベルの高いものに変えられてしまったのです。
そして母は「春休みの間は遊びなさい」と言いましたが、中学の頃ろくに遊ぶことも許されなかったのに、友達なんかいる訳がありません。毎日家で過ごしました。
そのとき僕は、二重の仕打ちに母を恨みました。
僕は気付くと、手を握り締めていました。
歩き続けていると、嫌なことばかりが思いだされてくるからです。
そしてその怒りは、母に向けられています。
何故なら、僕が今までこんなに辛いのは、母のせいだからです。
僕が死のうとするのも、母のせいなのです。
母が悪いのです。
怒る気持ちを押さえ切れないまま、僕はまた坂を登りはじめました。
坂ももう終わりというところでしたが、やはりまた、別のことが思い出されました。
これは、本当に最近のことですが、僕が高校2年になったばかりのときのことです。
前の日にテスト勉強を遅くまでしていて寝不足だった僕は、その日行われる社会科のテストのために、暗記カードをめくりながら歩いていました。
寝不足な上に手元に集中しすぎて、注意力が散漫になっていた僕は、赤信号に気付かずに道路を渡ろうとしました。
僕の耳に、甲高い嫌な音が届きました。
それは車のブレーキの音でした。
僕に気付いた運転手が、止めようと思い切り急ブレーキしたのでしょう。
でも、それは手後れでした。
目が覚めると、僕の目に真っ白い天井が映りました。
事故にあった僕を、ぶつかった車の運転手が運んでくれたのだと、医者の先生が教えてくれました。
ブレーキのお陰で、怪我はそんなに酷くはなく、すぐわかる外傷は、頭に巻かれた包帯と、左腕のガーゼぐらいでした。
痛む頭で僕は、テストのことと、母に怒られるだろうということを気にしました。
怪我の上に、母に怒鳴られると思うと、一層辛くなりました。
ところが、病室に入ってきた母の反応は、予想とは違っていたのです。
半身を起こしていた僕を抱きしめ、「良かった、良かった」と繰り返し、涙を流していました。
退院した日の食事には、僕の好きなものばかり作ってくれました。
そして、しばらくの間、学校を休ませてくれました。
そのことを思い出して、愛されているのだと、僕はやっと気が付きました。
曇っている空に、一点の晴れ間を見つけることが出来たのです。
そして、母が今までしてきたことは、全て僕を心配するあまりの行動なのだと気付きました。
人間小さな悪いことは、いつまでも憶えていても、小さな良いことは、すぐに忘れてしまうのかもしれません。
僕は優しい母に、感謝すらしていなかったのです。
過去に気をつけたお陰で、今の自分の姿を見つめることが出来ました。
僕は振り返り、夕日を背に、坂を下りはじめました。
心はいつのまにか平静さを取り戻しています。
家に帰りついたら、母に「ありがとう」と言おうと思います。
恥ずかしさもあるけれど、素直になった方が、気持ちがいいはずですから。
そして僕は一人、暗くなろうとしている住宅街に向かい、想い出坂を後にしました。
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人間は、悪いことは覚えてても、良かったことは案外忘れがちです。
でも、幸せなんて、日常のちょっとした「良いこと」に潜んでると思います。
言ってて自分であまりよくわかってません。
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