黒髪の勇者 第二編第二章 王都の盗賊(パート7)
魔道科の教室は王立学校本館の三階であった。
日本の学校と明らかに異なる事と言えば、王立学校のフロアは学年ではなく、学科ごとに分かれているということであるだろう。第一、一年時は学年がある程度はっきりと分かれてはいるが、きっかり三年で卒業と決まっている訳でもない。目安としてある程度の単位を取得し終える三年時から四年時で卒業する生徒が多いことは確かではあるが、学生と教師との境目も曖昧であるために、ずっと王立学校での研究を重ねている内にいつの間にか学生教師となってそのまま王立学校に勤務する人間も少なくは無い。事実、新人講師のヘレン=マーガレットも学生講師上がりの講師であった。
更に解説を加えておけば、詩音が属する法経済科は一階、フランソワの科学科は二階、そして魔道科は三階という構成であった。
閑話休題。
さて、ともかくも唐突に魔道科の講義室を訪れた詩音を見つけて声をかけたのはウェンディであった。
「シオン、珍しいね、こんな所に来るなんて。」
「ああ、セリスはいるだろうか。」
ウェンディの姿を見つけて少し安堵しながら、詩音はそう訊ねた。速度で詩音以上の能力を持っている人物。それはセリスしか思い浮かばなかった為である。
「セリスというと、あのロックバード家の長女か。いいよ、呼んでくる。」
そう言って講義室へと姿を消したウェンディを見送り、詩音はぼんやりと三階の様子を眺めた。魔道科のエリアに立ち寄ったのはこれが初めてであったが、ほんの少し雰囲気が一階とは異なっていた。魔道は基本的に血筋によって受け継がれる部分が多く、結果として貴族にその力が集中している。現に今年度の魔道科は全員が貴族出身であり、どことない堅苦しさを感じるのもその辺りに理由があるのかも知れない。
「何か御用ですか、シオン殿。」
やがてセリスが現れると、詩音にそう言った。
「忙しいところ申し訳ない。」
「忙しくは無いですけれど、お会いしたら文句を言おうと考えていた所でしたわ。」
「文句?」
詩音が首を傾げながらそう訊ねると、セリスはむ、とした表情を見せた。
「盗賊退治の件ですわ。日曜日くらいお姉さまと楽しいひと時を過ごしたいと考えていたのに、毎週毎週どこかへ出かけてしまうのですもの!聞けばビアンカ様立ってのご依頼で盗賊退治に助力されているとか。いえ、それは構いませんわ、国家の一大事ですもの。されど、」
そこまで言い切って、セリスは一度呼吸を整えた。
「一体全体、この私めにお声を掛けて頂けないとは一体どういうことですの?シオン殿が私の剣技に何か疑いをかけていらっしゃるか、それとも不純な動機でお姉さまとご一緒されているとしか到底思えませんわ!」
大声で、セリスがそう言った。
「いや、そんなことは。」
「そんなことはありますわ。聞けばクラスメイトのウェンディ殿とカティア殿もご参加されているとのこと。いいえ、お二人は貴重な竜騎士であるのですから私が除外されたとしても納得することは可能です、けれど、平民のアルフォンスまで盗賊退治に参加しているということではないですか。一体どういうことですの?」
「それは、色々あって。」
本人の志願があったとは言え、ちょっとしたノリで参加を認めたとは到底言えず、詩音は言葉を詰まらせながらそう答えた。
「色々ではございませんわ。明確な理由を頂戴したいと考えているだけですわ。」
「その、理由というか、セリスにも協力をお願いしたいと思ってきたのだけれど。」
たじたじになりながら、詩音はどうにかそう答えた。
「今更協力とは。予告状の期日は今週土曜日までと、もう学校中の噂となっておりますわ。」
噂話とは何と早いことだろう。
「だから、セリスに手助けをして欲しくてここまで来たんじゃないか。フランソワだって君が力を貸してくれたらきっと喜ぶよ。」
口から出まかせもいいところであったが、その言葉にセリスはむ、と小さく唸った。
「そういう理由でしたらお手伝いせざるを得ませんわ。それで、一体私にどうお役に立てとおっしゃるのでしょうか。」
どうやら話を聞いてくれるらしい、と詩音は安堵して、先程マシューから耳にした話をセリスに伝えた。
「確かに、速度なら学校内でも右に出るものはないと自負しておりますが。」
「だから、一度手合わせをして欲しい。一度その速さに慣れておきたいんだ。」
「構いませんわ。私も最近剣技の訓練が出来ずに悩んでおりましたから。」
そう言うとセリスは練習用の木刀を取りに行くと言って寮棟の自室へと急ぎ足で歩いて行った。訓練場は本館の裏にある多目的広場を指定している。放課後となれば球技にいそしむ生徒も多いが、二人で手合わせをする程度のスペースならすぐに確保できるだろう。
そうして一人で多目的広場に向かおうと階段を下りはじめた所で、詩音はフランソワとアルフォンスに出会った。
「シオン、どうしたの木刀なんか持って。」
「これからセリスと手合わせをしようと思って。」
「他の相手じゃ、物足りないのかしら?」
シャルルにいた頃は毎日のようにウェッジやシアールと手合わせていたことを思い出したのだろう、フランソワは少しからかうようにそう言った。
「そんな所だ。二人はこれからどこに?」
「リボルバーの研究よ。ここのところ毎日研究室に籠っているわ。」
男女二人きりで、研究室に。そう思って詩音はほんの少し眉をひそめた。アルフォンスを疑っている訳ではないが・・。
「何だよシオン、別にお前の彼女を寝取ろうなんて考えてないぜ!」
冗談交じりにそう言いながら、アルフォンスは力強く詩音の肩を叩いた。
「ば、馬鹿、何言っているのよアルフォンス!」
フランソワが焦るようにそう言った。セリスがこの場にいればもっと面倒な事になっていただろう。
「ほら、早く行きましょう!シオンも無理しないでね、怪我しないようにね!」
フランソワはそう言うと、詩音の言葉を待たずに逃げるようにその場から立ち去って行った。
「青春だねぇ。」
ひゅう、と軽く口笛を吹きながらアルフォンスがそう言った。
「・・お手柔らかに頼む。」
詩音はそれだけを答えると、アルフォンスと別れて多目的広場へと急ぐことにした。
「お待たせいたしました、シオン殿。」
詩音が多目的広場に到着してから数分後に、動きやすい訓練着に着替えたセリスが現れた。
「対戦するのは初めてだな。」
詩音はそう言いながら、ぐい、と身体を伸ばした。広場では予想通り野球に勤しむ生徒たちの姿が見える。いや、実態としてはクリケットの方が近いだろうか。
「どのようになさいますか?」
「とにかく、全力で来てほしい。」
ぶん、と木刀を振りながら詩音はそう答えた。
「怪我、なさいますよ?」
相当の自信があるのだろう。セリスはにやりと笑みを浮かべながらそう言った。
「構わない。戦闘訓練だ、本気じゃなければ意味がない。」
そう言いながら、詩音は木刀を構えた。
「では遠慮なく。」
セリスはそう言うと、右手に掴んだ木刀で空中に円を描いた。もしかすると、セリスは剣をワンドの代わりに利用しているのだろうか。そのまま小さく詠唱を唱え、そして最後に力強く呟いた。
「ヴォテス。」
直後に、セリスの周囲を淡いオーラが包み始めた。加速し始めたのだ。
「止めるなら、今の内ですけれど。」
最後に念を押す様に、セリスがそう言った。
「大丈夫だ。」
そう答えて、詩音は正眼に構える。
「では、参ります!」
直後に、セリスの姿が視界から消えた。
否、余りの加速に詩音の視力がついていかなかったのである。気付いた時には、目の前に木刀。
「ぐっ!」
奥歯を噛みしめ、一歩後退しながら、詩音は木刀を眼前に持ち上げた。激しい衝突音が響く。
「驚きましたわ。」
一歩下がりながら、セリスがそう言った。
「私の一撃を抑えたのは、お兄様に続いて二人目です。」
「アレフさんが。」
強いとは感じていたが、あの一撃をこらえたというのなら、アレフは間違いなく相当な実力者であるだろう。
「でも、手加減は致しませんわ。」
そう言うと、セリスは低い位置からの打撃を放った。詩音の両足を狙って、まるで獲物にくらいつく鷹のような勢いで木刀が迫る。殆ど無意識に、詩音はその場所から飛びさすった。あわや痛恨の一撃を喰らう寸前でセリスの木刀が空を舞う。だが、今度はそれだけでは終わらなかった。一度両足で踏ん張りを見せたセリスが、詩音の喉元目掛けて飛びかかってきたのだから。剣で防ぐ間もなく突き出された木刀を、首の動きだけで避ける。
速い。いや、速すぎる。
そう思った直後に、左肩に痛みが走った。突きの姿勢からそのまま袈裟切りにセリスが木刀を薙いだのである。
「だから無理をされませんように、とお伝えしたではありませんか。」
一撃を与えた所でセリスは攻撃を止め、詩音に向かってそう言った。
「参ったね、これは。」
左肩をさすりながら、詩音はそう答えた。幸いにして自分より年若い、しかも小柄な少女であるせいだろう。打撃力自体はたいしたことが無いらしい。
それでも、あの速度に載せた木刀が危険であることには変わりはなかったが。
「降参されても構いませんわ。」
「いいや、まだまだ。」
詩音はそう言うと、もう一度木刀を構えなおした。
ともかく、セリスのスピードについて行けないようでは盗賊退治もままならない。
「行くぞ!」
ならば、こちらからと決意して詩音はそう叫ぶとセリスに向かって駈け出した。だが、木刀を振り下ろした瞬間にセリスの姿が消える。僅かに視界に残ったのは右に避けるセリスの陰だけ。だが、それでも先程よりは。
「よく、防がれましたね。」
振り向きながら無造作に木刀を構えた所にセリスの剣撃が衝突しただけではあったが、それでもセリスは驚いた様子でそう言った。
「ほんの少しなら目で追えるからね。」
セリスとの距離を置きながら、詩音はそう答えた。速度と言えばシアールも確かに驚くほどに速かったが、セリスは魔道の力を借りているとは言え、シアールの攻撃と比べても遥かに速い。
だが、慣れれば追えないこともない。
「成程、お姉さまがシオン殿を信頼されている訳ですわ。」
セリスはそう言うと、再び地面を蹴った。
もう一度、文字通り目にもとまらぬ速度でセリスは一直線に詩音との距離を詰めた。そのまま木刀を大きく振り上げる。だが詩音はそれよりも僅かに早くセリスに向かって、否、真正面の虚空を目掛けて木刀を横に薙いだ。
セリスの姿をはっきりと見えている訳ではない。だが、恐らく。
「きゃあ!」
詩音がそう考えた直後に鈍い衝突音と短い悲鳴が響き、セリスの華奢な身体が芝生の上に投げ出された。
「セリス、大丈夫か!」
慌てて駆け寄る。力は抜いたつもりだったが、当たり所が悪かっただろうか。
「え、ええ、大丈夫、ですわ。」
呆然とした表情で芝生に腰を降ろしたままで、セリスは何が起こったのか理解できないと言う様子であった。
「どこに当たった、痛みはないか?」
「脇腹に、ええ、痛みはありますが、この程度なら。」
そう言いながら、セリスは詩音の肩を借りながら立ちあがった。
「自分で立てるか?」
「大丈夫ですわ、それよりも。」
詩音から手を離しながら、セリスはそう言った。
「どうした。」
「どうして、私に攻撃を当てることができたのですか?」
「勘、だよ。セリス、君は一度速度を上げると身体の制御が効かなくなるだろう。だから無造作に、セリスの予想範囲に狙いを定めただけさ。」
詩音がそう言うと、セリスは驚愕に満ちた瞳で詩音を見つめた。
「どうして、こんな短時間でそれを・・。」
「全部の攻撃が直線だったからさ。手首の返し程度なら問題がなさそうだったけれど、根本的な方向転換は苦手だろう。地面で踏ん張りを利かせるとか、一度行動を止めるとか、そう言う動きしか見せていなかったから。例えばワンステップで移動方向を変えるとか、振り下ろした剣の軌道を途中で変えるような事は出来ないと思ったのだけど。」
詩音がそう言うと、セリスは感嘆と溜息をついた。
「おっしゃる通りですわ、シオン殿。お兄様にも同じことを言われましたけれど、私の魔術は速度を上げるだけで、肉体そのものを強化する訳ではありませんの。物理的な衝撃はそのまま、生身の体と同じだけ、いいえ、加速している分それ以上に跳ね返ってきてしまいますから、無茶な方向転換などをすれば腱の一つ二つ千切れてしまう可能性すらありますの。」
「諸刃の剣だね。」
「そうでもありませんわ。たとえ私の攻撃が直線方向しかないと知っていた所で、並大抵の人間に反応出来るはずがありませんもの。」
「それもそうだね。おかげでいい訓練になった。」
少なくとも、あの速度をぼんやりではあるが、目で追えるようになったのは詩音にとっては十分な成果であった。
「それは恐縮ですわ。私も少し鼻が天狗になっていたようです。」
セリスはそう言って、肩を竦めながら苦笑した。
「ですから、シオン殿。」
「なんだろう。」
「今後も、ぜひ稽古をつけてくださいませ。私もっと強くなって見せますわ。」
「勿論、喜んで。」
詩音がそう答えると、セリスは少なくとも詩音に取っては初めて、心から嬉しそうな笑顔を見せた。
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