…………クン…クン……
(……なんだろう、この匂いは)
暗い暗い暗黒の中に埋もれていた俺の意識を浮上させたのはほんのりと甘く、嗅いでいてどこか安心できるような、落ち着けるような、心地良い、そんな匂いだった。
重い瞼をゆっくり開くと、俺の目に飛び込んできたのは見慣れた土臭い大地でも青々と生い茂った草でも天高く伸びる木々などでもなかった。
自然のものなどなく、もっと人工的な狭い空間。
以前の俺なら懐かしいとも思わなかったというのに、見知っている場所でないにもかかわらず、それでもとても懐かしいと思えるそんな空間。
……まぁ、一般的に言う人間の部屋と呼ばれる空間なわけだが。
その空間の中で、俺はさらに小さな籠の中に毛布を掛けられ寝かされていた。
(……確か俺は、トキワの森にいたはずだけど……どうしてこんなところに)
意識が途絶える前の記憶を思い出してみる。
雷に撃たれて体全身に大火傷を負ったこと、スピアーに追われていた少女を助けたこと、そしてその時放出した高出力の電撃のせいで完全に俺の中の力が底を尽きて……それからだろう、意識が途絶えたのは。
あの時の状況を顧みれば、俺をここに連れてきたのが誰なのか考えなくても一人しかいない。
それに、今になって気付いたが今まであったはずの大火傷の跡がほとんどない。
そのことから考えれば
(……あの時の女の子が、俺を助けてくれたって事か)
疲労がたまっていたとはいえ、さらに想定外の出来事が起きたからとはいえ、助けに出たというのに倒れて逆に助けられたのだ。
一人の男としては女の子のために体を張って助けるというのは人生で一度はやってみたいシチュエーションの一つだったといえるだけに、最後の最後で倒れてしまって
(……なんで……なんであそこで倒れちまったんだ俺は!?)
と、自分のかっこ付かなさに気恥ずかしくなり、悶えてそこら辺を転がりまわりたくなった。
だが、あそこで自分が出なくてはそれこそあの子の命にかかわる事態になっていたことには変わらないわけで……
(俺はできる限りのことをやったんだ。
助けられなかったんならまだしも、ここにいるということは助けることはできたんだろうし、俺が気まずくなる必要なんてないし恥じる必要もないんだ!)
……と、自分に言い訳してみる。
(……にしても)
一通り心を落ち着けることができたところでもう一度この部屋の中を見回してみると、壁一面にたくさんのポケモンたちの絵が飾られていた。
その一枚一枚はお世辞にも上手とは言えないような出来ではあったが、それでも描かれているポケモンたちはなんのポケモンかと聞かれれば答えられるくらいには特徴はととらえられていた。
絵の才能はともかくとして、そのポケモン一体一体をよく見て描いているということは確かだろう。
それに何より、絵心はない俺ではあるが、そんな俺でもわかるくらいにその描かれたポケモン達がイキイキと描かれていて、描いた当人が絵を描くことが、いやそれもあるだろうがそれ以上にポケモンが大好きなのだろうということが伝わってくる。
きっとこの部屋に包まれている甘い、落ち着くような匂いというのもおそらくはこの部屋の主であろう、あの女の子の匂いなのだろう。
ポケモンというのはえてして感情というものに敏感な生き物だ。
悪しき心を持つ存在だと本能的に警戒するが、心優しい存在だとこれもまた本能的に安らぎを覚え警戒することはない。
人間だったころにはわからなかっただろうその直感的なものが、ポケモンとなってしまった今の俺にならばわかる。
この部屋にいるだけで漂う甘い匂い、それに安らぎを覚え、心地良さを覚えさせるあの女の子はきっと心優しい女の子なのだろうと。
…………ガチャ
そんなことを考えていたその時、この部屋にあるたった一つの扉が開いた。
その扉からこの部屋に入ってきたのは見覚えのある顔をした、あの時の女の子だった。
「あ、目が覚めたんだね、よかったぁ!」
目を覚ましていた俺を見て、女の子は心底安堵したといった風で笑顔を浮かべて近づいてくる。
「あんなに酷い怪我してたんだもの、疲れてたんだよね。3日も目を覚まさなかったから心配したよぉ」
……3日か。
なるほど、確かにあれほどのダメージを受けたのだ、いくら治療をして傷は癒えたからと言ってもこの体に蓄積した疲労までは回復することはできなかったのだろう。
本当にこの女の子には世話をかけたものだ。
「あ、3日も何も食べてないからお腹すいてるよね? ちょっと待ってて!」
女の子は急いで部屋から飛び出していくと、そう時間もかからずに戻ってきた。
そしてその手には、白い湯気が上がる小さな皿を持っていた。
「お昼の残りなんだけど、お母さんにシチューを温めてもらったんだ。
本当な沢山食べさせてあげたいけど病み上がりだし、たくさん詰め込むのはお腹に悪いからってお母さんが言ってたから、今はこれで我慢してね」
そういうと、女の子はそのシチューが入った皿を俺の目の前に置いた。
中身は以前人間だったころに俺が好きだった、いろいろな野菜が入ったクリームシチュー。
ポケモンになってしまった今では、もう以前まで好きだった料理を食べれることはできないだろうと諦めていたが……。
あまりの嬉しさに、涙腺が緩み涙目になってしまう。
それを見た女の子はどこか優しい笑顔を浮かべて俺の頭を優しくなでる。
……ナデ……ナデ……ナデ
(……こ、これは…なかなか………)
少女の手から伝わるぬくもりゆえか、元々から上手なのか、そうされることでとても安心できて全身の力がふっと抜けていってしまう。
……ナデナデ…ナデ……ナデ
(………………ハッ!?)
あ、危ないところだった。
彼女から伝えられる何とも言えない安心感というか心地良さというかそんなもので、再び寝入ってしまいそうになってしまった。
(……知らなかった、今までオリ主が女の子に“なでポ”するものだと思っていたのに、逆にこんな小さな女の子に俺が“なでポ”されかけることになろうとは。
だけど、こんな女の子にとは言うけど、本当に気持ちいいんだぞ!?
なんだこの気持ちのいいなでなでは!? まるで“ポケ心掌握兵器”じゃねぇか!?)
これは俺がポケモンだからなのだろうか、こんな女の子相手に頭をなでられてこんな気持ちになるなんて。
そもそも、“ナデぽ”自体二次創作物上の産物で、現実では有り得ないものだと思っていたほどなのだ。
それがまさか現実で、しかも俺自身が“なでポ”されそうになる日が来るなんて、人間だったころには絶対信じられなかっただろう。
一体このなでなでで何体のポケモンたちを魅了してきたのだろうか。
危うく陥落するところだった心を精一杯繋ぎ止め、俺は耐えた。
この“ポケ心掌握兵器”相手に耐えることができた俺は、きっと精神的に他のポケモン達よりもかなり高みに立っているに違いない……と、思ったがよくよく考えてみると別にそうでもない気がしたので、きっと違うのだろう。
流石に見た目10歳以下の女の子に“なでポ”される、精神年齢もうすぐ20歳男性というのはシャレにならないと思うんだ。
とりあえず、意識を別のところに持っていこう。
さしあたって目の前にあるシチュー、流石に3日も何も食べてなかっただけに俺の腹も空腹を訴えているのだ。
きっと食べ始めたら周囲など気にせず我武者羅にシチューに夢中になるはずだ。
『……い、いただきます!』
「うん、ゆっくり味わって食べてね」
意を決して、俺は白い湯気上がるシチューに口を……
(……)
「……」
付けようと思ったのだが……
(……)
「……」
何か違和感が……
『……ん?』
「ん?どうかしたの?」
その時、小さな違和感が俺の中を駆け巡る。
その小さな違和感に『……あれ、これって』と、ある予想が頭にうっすらとよぎるもそれを否定する。
『え、い、いや、ない……うん、それはないでしょ』
「え、何が?」
(……)
「……?」
シチューに口を近づけたまま停止していた俺はギギギギギと擬音を発しながら女の子の方を見る。
『あ、あのぉ、もしかして……俺の言葉、わかるの?』
「……え? う、うん、わかるけど?」
俺の言葉(ピカチュウの言葉)に頷きを返す女の子。
……この時、トキワの森の時からこの女の子に抱いていた違和感の正体がわかった。
ポケモンのスケッチが大好きで、ポケモンの言葉を理解する、金髪のポニーテールの女の子。
俺の以前の知識の中に、そんなキーワードに該当する存在が一人いた。
『え、えっと、つかぬ事訪ねたいんだけど……君の、名前は?』
「あ、そういえば言ってなかったよね」
いけないいけない、とでもいうように女の子は苦笑して自分の頭をコツンと叩く。
「じゃぁ、あらためて自己紹介だね! 私の名前はイエロー、イエロー・デ・トキワグローブっていうの」
『……い、イエロー?』
「うん、よろしくね!」
こうして俺は、ポケットモンスターの登場人物の一人である女の子、イエローと出会ったのだ。
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6話です。せめて1週間に1回は投稿したいと思うネメシスです。
……ほんと、できたらいいんだけどなぁ。