No.425411

グッドラック (ミクロマン 二次創作小説)

AEさん

ミクロマン。
私の幼少時代の総て、と称しても過言ではない「玩具」の、そのまた大部分を占めるミクロマンワールドは、今まだ途切れることなく続いています(脳内で)。

これは平成ミクロマンの悲恋物語である「ファルコン&マノン」のその後を綴ったものです。昭和ミクロとの関連もでっち上げていますが、そこは妄想ということで。

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2012-05-20 04:06:55 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:4486   閲覧ユーザー数:4482

ミクロマン 二次創作小説   

 

 

「グッドラック」                        by AE   

 

 

密林の中、閃光が走る。

一つ、二つ目が輝き、三つ目は樹木の幹に火花を散らした。

ファルコンは焦っていた。

敵はどうやら二体らしい。たった二体、しかしその装備が問題だった。強力な火線と連射能力はファルコンがかつて経験したことのないものだった。そして的確で正確な射撃とチームワーク。既に幾つかの癖を嗅ぎ取って、反撃の隙を狙っているのだが、全くミスがない。おそらくミリタリーフォースなのだろう。アクロイヤー側か?こんな南米の密林になぜ存在するのかはわからないが。

…もしかするとMICRの追手かもしれない。

敵前逃亡、そして任務無視。敵に寝返ったと考えられてもおかしくはなかったが、それにしては早い対応だった。そんな精神的な圧力と疲労が、少しずつ情勢を悪化させていく。そして何より彼にはハンデがあった。

片腕で抱き締めたカプセルの中の白い輝きを、ファルコンは見つめる。

それは掌を広げた程度の、結晶の塊だった。白い雪でできた華のようだった。

それに衝撃を与えずに戦闘を行うのは、無謀な試みだった。

「マノン…」

それを遺した娘の名をつぶやいてみる。

名前しか知らなかった。そして最後に浮かべた優しい微笑み。それがファルコンの知る彼女の全てだった。どのようにして生まれたのか。何故アクロイヤーだったのか。何故、敵だった自分を癒してくれたのか。

語り合いたかった。

恋愛感情とか、そんな複雑なものではなく。ただただ、彼女と語り合いたかった。

それすら許されず、彼女は逝った。微笑みとこの結晶だけを残して。

初めは小さな結晶のかけらだったが、この数日で掌の大きさまで成長していた。

それがアクロウィルスの菌主か何かであることを、ファルコンは本能で知っていた。

所持していると疲労が激しい。きっと体内の抗体機能が過剰反応しているのだろう。

気付いてすぐにサバイバルパックの簡易密封容器にしまったが、カプセル越しですらファルコンの疲労は増していった。ただの菌ではないのかもしれない。

…このまま死ぬのかもしれない。

この戦闘を生き延びても、衰弱して死ぬのかもしれない。

それでもいい、とファルコンは思った。どうしてもこの結晶を手放すことはできなかった。任務もMICRも関係なかった。今のファルコンには何もなかった。彼女のこの形見以外は。

何度目かの全力疾走の後、体力の限界を悟ったファルコンは勝負に出た。

ミクロ生命体にとっては背の丈ほどもある芝の根元に、カプセルをそっと置く。

背にしていた樹を回り込み、敵の射線の真ん前と思われる位置に出る。

全神経を集中して、トリガーが引かれる感覚を察知。

上方に一つ、感じた。

その瞬間ファルコンは跳躍し、眼前に現れた銀色の頭部に拳を叩きつけた。

一瞬遅れて、ファルコンのいた場所に火線が届く。一発だけ。

その時には既に彼は目前の獲物を羽交い締め、自由を奪っていた。

敵はミリタリーフォースだった。それもMICR側の。やはり脱走者に対する追手だったのか…。

呼吸が荒い。全力を投じた機動に心臓が耐えられない。

それでもなんとか抑えた相手にとどめを刺そうとした時である。

こめかみに何かが押しつけられた。銃口に間違いなかった。先を読まれていたのはファルコンの方だった。動きを止めても銃口は離れなかった。

「テヲアゲロ」

言われるとおりに両手を上げると、抑えていた一体も銃口を突きつけてきた。

即殺せ、と言う指令は受けていないらしい。ならば何が目的か、と考えるファルコンに思い当たる節は一つしかない。

先に銃を突きつけた一体を見る。その片手には白い結晶を収めたカプセルがあった。

「返せ!」

銃口も恐れずにファルコンはそのカプセルに向かってタックル。

その直後、後頭部に衝撃が走り、全てが闇に包まれた。

 

 

 

 

まず、明るいことに気付いた。

ぼんやりと歪んでいた視界が、ゆっくりと鮮明さを取り戻してくる。

天井があった。遠く、ひとめで人間用の住居であることが理解できた。

全身のダメージを確認する。痛みは後頭部の鈍痛のみ。その他はここ数日の変わらぬ疲労が残っている。

背中には平たく柔らかい感覚があり、寝かされているのはどうやらベッドのようだった。それもミクロ生命体用の。上半身を起こして周囲を確認する。ベッドは人間用の机か何かに乗せられており、すぐ近くに地平線、その向こうは遥か彼方に人間の住居の壁があった。

そして、人影があった。

白衣を纏った背中が、もそもそと動いている。男のようだった。

ファルコンは足元を探った。取り上げられていると思ったが、それはまだあった。

先輩から譲り受けた銃、その先端の銃身を握り締め固定用セイフティを解除、手首だけで回転させる。

まるで長年の相棒であるかのように、それは発砲モードでファルコンの掌に収まった。

その銃口を男に突きつけると、男はファルコンの方を振り向いて来る途中だった。

ゆっくりと顔が見えてくる。短く刈った頭髪に、油か何かで薄汚れた白衣。片手には小さなミクロ生命体用のコップを乗せた盆、もう片方の手には人間用のカップがある。男はファルコンの銃を見、さして驚いた様子もなくつぶやいた。

「手、上げられないんだが」

「動くな」

「これ、降ろしていいか。ただのココアだ。君用の」

「いいから動くな」

男は、ふう、と息をついてファルコンを見た。

「いろいろ尋ねたいのは私の方なんだが」

「俺はなぜここにいる。おまえが連れてきたのか」

「正確にはミリタリーフォースの諸君が連行した」

「あいつらは何者だ」

「MICRの人間護衛用の…」

「嘘をつくな。あんな装備は見たことがない」

「パルサーショットだ。最近物騒なんでな。私が昔廃棄されたのを再生して与えた。この研究所の周囲を護るようにお願いしている。特にアクロウィルス反応には十分注意していたんで、君の持ち物に反応して攻撃モードになったんだ」

「なんだと…」

そこで初めてファルコンは気付いた。

マノンの亡骸が、ない。あの冷たくも暖かい結晶の塊をファルコンは手にしていなかった。

「マノン!」

銃口を下げ、それを振り払うように投げ捨ててからファルコンはベッドから起き上がった。足が床に着く。だが、力が入らない。そのまま床に膝を着き、それでも首だけは彼女の遺品を捜し続けた。同時に二体のミクロフォースが、先程ほど重装備ではないものの十分に威嚇的な銃を持った二体が、ファルコンの側に着地してその銃口を突きつけた。

「こらこら、病人にそんなことをしてはいけない。全く、そういうところだけは変わらんな。加減ってものを理解してくれよ」

二体は銃を腿に戻し、協力し合ってファルコンをベッドに戻して毛布を掛けた。ファルコンは抵抗できなかった。

「俺に何をした」

「何も。分析はした。何も食べてないんだろう。そんな体調でアクロウィルスの塊みたいな物の側にいたから、抗体機能が過負荷になったんだ」

「返せ」

「やめておけ。死ぬぞ」

「今の俺に生きている意味はない。あいつと一緒に死なせてくれ」

「あいつ?」

男は背後を振り向いた。視線の先に直径二十センチほどの透明な球体がある。

その周囲は仰々しい灰色の機械が取り巻くように密集している。

球体の中心に、白く淡い光を放つ結晶の花が咲いていた。さらに成長しているように見える。

「返せ!」

叫びながらファルコンは跳ね起き…ようとして二体のミクロフォースに止められた。

今度は威圧感はなく、病人をいたわる優しい動作だった。

「やはり、ただの菌株ではなかったか」

そうつぶやいた男がファルコンの方を振り向いた。

「安心しろ、何もしていない。壊してはいない」

言いながら男はファルコンと視線を合わせた。

「空気中の水分を元素固定して勝手に成長している。教えてくれ、これは一体何なんだ」

アクロイヤーの、と答えかけてファルコンは思い直す。

マノンは一体、自分にとって何だったのだろう。

自分は戦士だった。アクロイヤーは倒すべき敵だった。けれど彼女は殺せなかった。

二度、戦場で出会った。言葉を交わした。そして死んだ。けれど幸せそうな笑顔だった。

「マノン…」

どうして守れなかったのだろう。なぜ彼女は死なねばならなかったのだろう。

「マノン、という名だったのか、このアクロイヤーXは」

「あんた、わかるのか」

「正確にはXとは違う、安定性を持った個体だったようだな。改良が加えられている」

「彼女は死んだ。俺は彼女を守れなかった」

「おまえの彼女だったのか。アクロイヤーが?」

「ちがう。戦場で二度会っただけだ。俺は彼女を殺せなかった。彼女は傷ついた俺を治療してくれた。なぜかはわからない」

「そしておまえも彼女を守ろうと思ったわけだ。こんな姿になってしまっても」

「わからない。俺は…何もかも失ってしまった。先輩も彼女も、そして」

譲り受けた銃を見る。歴戦の傷を刻まれた戦士の銃。「生きたいように生きろ」と彼は言った。そしてこれを手渡してくれた。もう一丁は持っていくぜ、暴れ足りないからな、と言い遺して。

俺はこの銃にふさわしい人物じゃない、とファルコンは思った。

仲間達はみな闘う意味を持っていた。人間との共存、ミクロ生命体のプライド、友の復讐、様々な理由があり、様々な色がある。闘う意味に戸惑っていたのは自分だけだったように思う。

生きたいように生きる。彼女と。

それがあの闘いをくぐり抜けた彼が得た、唯一の願い、そして理由だった。

しかし、彼女は消えてしまった。

まるで氷のように、あの結晶だけを遺して。あなたに逢えて良かった、と。

「俺には何もない」

「まだ生きてるじゃないか」

「…屍だ」

そのとき、ファルコンは熱い液体を浴びた。

一瞬のことだった。男が自分の分のカップの中身を浴びせたのだ。

それほど熱くはなかったが、ベッドもファルコンもこげ茶色に染まった。チョコレートの香りがする。反応もできずに、ファルコンは男を見上げた。視線が合った。

「まだ生きているヤツが、そんなことを言うな」

男が怒気をはらんだ声で静かに言った。つい先程までとは全く別人だった。ファルコンは初めて男の顔を見つめた。額に深く古い傷が走っている。ファルコンにはわかった。これは闘いで受けた傷に違いなかった。

「生き残ったヤツには必ず、やるべきことがあるものだ」

強烈な刺すような眼差しだった。殺気というのではない。怒り…なのだろうがそれだけではない。男の視線は、その焦点が自分に合っていないような錯覚をファルコンは感じた。

「生きろ。そのために、まずは飲め」

男は小さなカップを差し出した。ココアらしき飲み物が煎れられていた。両手で受け取る。カップの表面はとても暖かかった。一口、すする。とても旨かった。香ばしく、砂糖は入っていない。むしろ、少々塩辛かった。男がつぶやいた。

「…あと、泣くな。弱虫は嫌いだ」

ぐい、と飲み干してから、ファルコンはココアと涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を毛布で拭った。人前で泣くのは初めてだった。

「シャワーはあっちだ。ミクロマン用のがある」

ファルコンは大泣きに泣いた。

 

 

 

シャワールームはミクロ生命体のサイズに合ったものだった。

プライベートも確保されている。脱衣所もその天井は低く、ミクロ生命体の事を考慮して作られたものだった。ファルコンはミクロテックスキンを数日ぶりに脱ぎ、身体と共に洗った。脱衣所でこれまたサイズの合ったドライヤーを使い、髪とミクロテックスキンを乾かす。全て終えて外に出ると、先程の二体がテーブルとイスを用意したところだった。

「落ち着いたか」

「…ああ」

「それなら、飯にしよう。君達もチャージしておくと良い」

二体は頷いて少し離れた位置にあるメンテナンス用らしき縦型ベッドへ向かった。

「好き嫌い、あるか?今日は久しぶりに肉なんだ。鳥のイイやつが手に入ったんでな」

ファルコンは人間の食べ物を食べたことがなかった。見るとテーブルの上にはミクロサイズの皿が二つ。

「食べられるなら何でもいい」

そう答えると、男は自分の皿の上の料理をひとすくいファルコンの皿に盛った。

続いてスープ。スプーンにすくって、こちらもミクロサイズの皿に分ける。

「食いながら話すとしよう。君はMICRの者か?」

隠す必要もないと考えたファルコンは、正直に答えた。

「MICR所属だった、というのが正しい。俺は敵前逃亡したんだ。敵と一緒に」

ふむ、と男は頷いてフォークに刺した肉を一切れ頬張った。

「その敵がマノンと言う名のアクロイヤーだったのか。いや、アクロレディだったのか」

「俺は彼女を倒すはずだった。…でも、できなかった。なぜかはわからない。俺の先輩もできなかった。そして彼女は傷ついた俺を癒してくれた。…それもなぜだかわからない。次に出会ったとき、彼女はアクロイヤーに襲われていた。俺は彼女を助けるために闘った。けれど助けられなかった」

「そうか」

それだけ言うと、男は食事を続けた。ファルコンも無言で食べた。

スープに手をつけ始めたとき、唐突に男が言った。

「率直かつ手短に言おう。彼女はまだ生きている」

ファルコンが驚いて見上げると、男はナプキンで口を拭っているところだった。

「ふざけたことを言うな!」

ファルコンは叫んだ。問いよりも速く、叫んでしまった。

「ふざけてなんかいない。あの結晶はアクロウィルスの菌株だが、少々細工がしてあるようだ。周辺のエネルギーを吸収して、アクロウィルス単体だけでなく正常な細胞や組織や…つまりそれ自体が擬似的なクローン工場として機能するようになっている」

ファルコンにも理解はできた。口を挟もうとしたとき、男が続けた。

「人間細胞もミクロセルも本来、組織として成長するにはDNA情報だけでは駄目で、周辺の環境からの働きかけが必要なんだが、アレはそれを全て自分でやってしまうように創られたらしい。結晶のような外見の部分はその養育のためのカプセルになるようだ。あの中心では個体が成長し始めている」

「彼女が…再生されるというのか」

「正確には君の知る彼女ではないだろう。生前の脳内の記憶まで保管されているとは考えられない。そして悲劇は繰り返される」

「悲劇?」

「あの個体は元々、寿命を短く設定されていた節がある。それに肉体の構成も変だ。ミクロセルをナノマシンとして機能させ、大気中の水を取り入れて結晶化、氷の肉体を形成する。彼女は常に全精神力を投じて自らの低温を保たねばならない。そのせいで思考能力すら制限を受けていたに違いない。そして、死ぬ。生き返る。そういうプロセスを何度も繰り返すわけだ。実験体としては非常に好都合な設定だな」

「実験体だと!」

ファルコンは机を叩き、立ち上がった。

「熱くなるな」

「誰がそんな…」

「Dr.シルバーが生死不明となって数年経つ。それなのに彼の調整が必要なはずのアクロイヤーXシリーズがまだ生存していると言う報告がある」

ファルコンはあの洞窟での出来事を思い出していた。

「おそらく、何者かがこういった実験体を造り上げ、研究開発を行ったんだ。設計者の正気を疑うよ。そいつはわざと生存困難な設定を彼女に与えたんだ。それでも生存できるような自己調整機能を開発するために、な。そして完成したその技術を使って、アクロイヤーXは生まれ変わったのだろう」

「…炎に包まれた個体もいた」

「極限状態を試したかったんだろうな。とにかく、このままエネルギーを与えて放っておけば、元の彼女が蘇るだろう。記憶をリセットされた、生まれたままの彼女が。そしてまた苦しみを味わうことになるわけだ。短い生と、思うように想えない心を抱いてな」

「そんな…」

ファルコンはマノンを産み出した存在に対する憎しみよりも、マノンに対する、そしてマノンの感じていた哀しみに絶句した。死ぬために生まれてきた生命。弄ばれるためだけに創り出された存在。震える声でファルコンは言った。

「だったら、そのまま死なせてやってくれ。再生なんか、させないでくれ。マノンは笑ってた。あの最後の想いのまま眠らせてやってくれ」

ファルコンが見上げると、男は真剣な眼差しでファルコンを見つめていた。まるでファルコンのその言葉を繰り返し吟味するように。

部屋は沈黙した。

古ぼけた柱時計の音が木霊する。

少しして男は表情を和らげ、微笑んで言った。

「君は真っ直ぐな人間だな」

からかうわけでも誉めるわけでもなく、淡々とした口調で男は言った。

「そして、生命の何たるかを理解できる人物のようだ」

「そんな高尚なもんじゃない。悩んで迷って何もできなかったことを後悔している情けないヤツだ」

「それに気付かないヤツの方が多いのさ、この世界は」

男は立ち上がり、結晶を収めたカプセルの方へ歩いていった。そしてその華のような存在を見つめ、語りかけるようにつぶやいた。

「このままにはしない」

「なんだって?」

「私は、こういう生命を弄ぶような科学には虫酸が走るんだ。なぜ哀しみを与える?なぜ苦しみを与える?科学とは、それを取り除く力であるべきだ。その力があるのに、その努力を怠る者は、悪だ」

「何をするつもりなんだ?」

「アクロウィルス発生機能を消去。氷の身体なんて狂った設定も解除する。だが…」

「だが?」

「君と出会った記憶は、おそらく残ってはいるまい。だから再生できない。君の知る彼女の魂は安らかに逝ったんだ。その彼女を再生することはできない。たとえ神であろうと、だ」

ファルコンにはその意味が理解できた。そして、この男がマノンを創り出した者とは全く異なる、さっき男自身が言っていた、生命の何たるかを知っている人間なのだと悟った。

「けれど、彼女と同じ境遇の存在に、第二の人生を歩むチャンスを与えることは出来る。しかし、いま彼女にその選択をさせることはできない」

「そうだ…な」

ファルコンは跳躍し、カプセルの脇に立ってその中で眠っている結晶を見つめた。

今の彼女には問う事ができない。そして彼女にも答える術がない。

男が言った。

「生まれてくる子供に選択権が無いのと同じだな。だからこそ親は、その子の未来に対してある程度の責任を負わねばならない。その覚悟が君にはあるか?」

男の問いかけに、ファルコンは自分の両の掌を見た。

アクロイヤーを倒すために鍛えてきた身体。その目的さえ見い出せないまま、惰性で生きてきたような人生。そんな自分が、他人の生や未来に関わる選択をしてよいのだろうか。

ファルコンは悩んだ。

男は黙ったまま、ファルコンの答えを待っているようだった。

永い沈黙の後、ファルコンが答えた。

「俺は彼女の生を望む」

声は震えていたが、その瞳は真っ直ぐに男を見つめていた。

「それはもう一度あの微笑みを与えたい、語り合いたい、という俺のエゴなのかもしれない」

「そうだな」

「でも、チャンスという言葉は正しいと思う。そして俺は、それを彼女に与えられるなら、どんなことだってしてやるつもりだ」

「真っ直ぐだな、君は」

ふっ、と笑ってから、男は言った。

「いいだろう。君にも手伝ってもらおう」

 

 

 

すぐに準備が始まった。

男は既に結晶への非破壊診断を試みていたようで、数カ所からのサンプル切除をファルコンに指示した。

「私が愛用している手術用マニピュレータもあるんだが、やはり君の目の方が信頼できるだろう」

確かに言うとおりで、サンプルの切り出しはファルコンが行っても微細で複雑な作業だった。特に再生が継続中の中枢部に関しては、組織が細かすぎてファルコンでも困難だった。男がマニピュレータを用意して、ファルコンをサポート。

「あんたの方が器用じゃないか」

「まあな。MICRの依頼でもっと困難な手術を行ったこともある。君達の仲間が半死半生で担ぎ込まれてきて。サイボーグ手術をしてくれ、なんて頼まれたんだ。しかも4人同時だぜ。随分前に開発していたパンチ…いや、強化ボディがあったんで助かったが」

そんな世間話をしながらも、男が操るマニピュレータはファルコンの操作するマニピュレータをフォローし、マノンの複製を創り出す部位のミクロセルを数個切り出した。

そしてそれをカプセルから厳重密封されたシャーレに写し、ロードロック内で洗浄、取り出した。

男はそれを机に運び、手製らしい奇妙なチェンバーに収納した。スイッチを押して幾つかのツマミを調整し、待つこと数分。

男は姿勢を正し、作業を再開した。モニタに映し出される虹色のバーコードを眺め、ブラインドタッチでキーボードを操作し、少しして変化した画像をまた眺める。それを何回か続けてから、深くため息をつき、ファルコンを見た。

「元になったのはアクロイヤーX2のコードのようだ。それをわざと不安定にしているんで、解析し易い」

「そうなのか」

「完成されたプログラムを、赤の他人がわざと不完全に書き直しているようなものだからな。どこがDr.シルバーの手によるものか、どこが大馬鹿者の落書きなのか…すぐにわかるよ。まあ、馬鹿ではないだろうな。この研究結果を元に、アクロイヤーXを完全体に改修したんだから」

ファルコンは内容を理解することは出来なかったが、それが如何に困難な作業なのかは理解できた。そして、それをこの短時間に解明してしまうこの男の能力に驚愕した。だから尋ねた。これまで抑えていたその質問を。

「…あんた、いったい何者なんだ」

「いまはntec社へ出向して主任研究員をしている」

「俺達を軍需産業に組み込んだ企業だよな」

「否定はしない。しかし、闘いは人間のせいだけではないだろう」

「あんたら人間のせいだろう。人間が俺達を弄んでいるんだ。」

「否定はしない」

「その主任研究員が、こんなところで何をしているんだ。ここはntec社の施設なのか」

「別荘で趣味を楽しむ、と言ったところだ」

「なに?」

「人は趣味のために生きるべきだ。仕事なんてのはそのための糧を得る手段に過ぎない。まあ、仕事と趣味が一致しているならベストだが。私の場合、似て非ならず、という感じで重宝している」

「ここの設備はntec社の物なのか…」

ファルコンは周囲を見回す。MICRにもあった機械もあるが、目の前のDNA分析器など、明らかにそうでない異質の設備もあった。

「まあ、半分は裏から手を回して入手した物なんだが。残りは自作だ」

「…あんた、何者なんだ?」

「ファンだよ、ミクロマンの」

ミクロ生命体とは言わず、男はミクロマンと呼んだ。

と、そのとき、モニタ画面がフラッシュ。今までとは異なるパターンを表示した。男は片拳を上げて強く頷き、叫んだ。

「よし! 運がいいぞ。各機能のアドレスはだいたい特定できた。あとはサンプルに対して実験と試行錯誤の繰り返しだな。DNAコードの、アクロウィルス発現を司る部分を削除する。水分を相転移してミクロセルに取り込むナノマシン機能を、ミクロセルそのものを取り込む機能に置換する。パーソナルな部分とブラックボックス部分は元のままにしておこう。あとはミクロセル源を補給して育つのを祈るだけだ」

「ミクロセル源? あれは確か」

「在庫は廃棄されて一切使用禁止になった、一般社会では。けれどコミューンではまだ扱われているんだ。新しい個体の生産ではなく、移植などの医療用として。あそこではもう普通に出産が行われているくらいだからな」

「コミューンだって?!」

「私も正確な場所は知らないが、この近くに一つ、あるらしい。君もそこへ行くつもりだったんだろう?」

「あんた、本当に何者なんだ?」

「だからファンだって。君達の」

にぃっ、と男はおどけたような笑いをファルコンに返した。

それが妙に子供めいた表情だったので、ますますファルコンは分からなくなった。

男はまるで少年のまま大人になったような…。

いや、それは大人になりきれないという意ではなく。

この男は、少年の想いを守り抜くだけの強さを持った人物なのではないか、などとファルコンは思った。

 

 

 

それから数日。

ファルコンは男の実験を手伝い、時間のあるときはミリタリーフォースを相手にテコンドーの教授を行った。自己の鍛錬というだけでなく、男に対する御礼の意もあった。

ミリタリーフォースと共に屋敷の周囲の警備にも携わった。南米の深い森の中にある一戸建ての屋敷を訪れる者は、野生動物くらいのものだった。

ある夜。

寝付けなかったファルコンは、ベッドを出て結晶を収めたカプセルを見に行った。

男は既に実験を終え、必要な処置を結晶の全てのミクロセルに浸透させていた。

この華の中で育っているのはアクロマノンではない。

…そしてファルコンの知るマノンでもない。

淡く輝く結晶は随分と大きく成長していた。膝を抱いたミクロ生命体の成体が、ちょうど収まる程度の大きさだった。実際、そんな胎児のような格好でマノンは育っているのだろう。

ファルコンはマノンを赤子の状態で再生することを希望した。全てをやり直せるように。しかし男の解析によると、再生時の年齢設定を改修することはパーソナルデータを修正することになり、できなくはないがやりたくない、ということだった。

ときどき脈動するその淡い輝きを見つめながら、ファルコンは考えた。

自分は正しかったのか、と。

あのまま永眠させた方が良かったのかもしれない、と。

生きると言うことが闘いであることを、ファルコンは先達から叩き込まれていた。

だからこそ、意味のない闘いと生に不信を抱いていたのだった。自分を含めた、ミクロ生命体の存在意義に。

そんな迷いを抱いている自分が、他人の人生に干渉して良いのだろうか…。

 

と、そのとき、床下で物音がした。

 

瞬時にファルコンは全身を緊張させ、その聴覚を能力限界まで研ぎ澄ませた。

床下で何かが動いている。

台所から下る床下は、倉庫になっていると聞いていた。特に旋錠もされず、自由に出入りできたが、ファルコンは入ったことがない。

また物音がした。

小型四足獣の足音と判断したファルコンは、気配を消して台所に向かった。入り口となっている床板がずれて、5センチ程度の隙間が空いている。床下へ侵入すると、人間用の階段がある。五メートルほど飛び下ると、そこは既に倉庫の床だった。

飛び降りた姿勢から、体勢を整えようとした時のことである。

右方向、倉庫の中心の方から急接近する物体があった。

身構えたファルコンより速く、それは首筋めがけて飛び込んできた。

咄嗟に放った手刀、それを見透かしたかのように身を捻り、それはファルコンの蹴りの届かぬ床に着地する。

初めてファルコンはその正体を見た。

イヌだった。

いや、犬というよりも精悍な、それはまるで狼のような姿の黒いメカ二ズムだった。

それよりも何よりも、その狼のサイズはミクロ生命体のそれであった。

低く唸ったそれはファルコンの戦闘力を警戒しているらしく、屈んだ姿勢のまま動こうとしない。しかし隙を見せた瞬間にはその牙が飛んでくるであろう…ファルコンはそう判断した。

「やめろ、ドーベル。彼は敵じゃない」

男の声が倉庫に響いた。なぜか、とても小さな声だった。

耳を立てた黒いメカ犬は、ファルコンを一瞥してから声のした方、荷物の隙間へ向かって走り去った。

ファルコンが追うと、ドーベルと呼ばれたメカ犬は既に姿を消していた。

周囲を見回す。気配がない。この倉庫から完全に消えてしまったようだった。

「君も来るかね?」

男の声が聞こえた。今度はスピーカーを通した声だった。

「あの犬はいったい何なんだ?あんたは一体何者なんだ?」

ファルコンは叫んだ。あんなメカニックは見たことがなかった。そしてそれに命令する男の正体も、見当がつかなかった。スピーカーの向こう側で男も迷っているらしく、少し間をおいてから声がした。

「別に隠すつもりはなかったんだが、敢えて伝える必要もない、と思ってな。

 興味があるなら、そこのドアをくぐってくれ」

荷物の渓谷の向こうで床板の隙間が発光した。メカ犬はそこへ入っていったらしい。

近づくと床板がスライドし、エアロックのような厳重な扉が現れ、開いていく。

覗き込むと階段はなく、遠くに床が見える。身構えて飛び降り、着地。

倉庫よりも明るい空間に目が慣れると、そこは巨大な工場の一角だった。

「まあ、悪く思わないでくれ。知らずに済むならその方がよいと思ってな」

背後から聞こえた男の声には違和感があった。

男の声はファルコンの背と同じ高さから聞こえてきている。

振り向いたファルコンは我が目を疑った。

両脇に黒いメカ犬とメカ鷲を従えて、白衣を着た男が立っていた。

ミクロ生命体サイズの男が、だ。

「あ、あんたは一体…」

「そう驚くな。実際に縮小したわけじゃない、ちょっとした手品みたいなもんだ。

 超空間投影法と言ってな、実体を持った縮小立体映像を使用している。

 昔、親友がいた頃は本当にミクロ化できたんだが、今はゴマカシに過ぎない。

 それでも彼を修理するには、この姿の方が役に立つんでな」

男は親指で背後の像を指した。

「…なんだ、これは」

完全に明るさに慣れたファルコンの視野に映ったのは、確かに像だった。

虚空を見つめ、巨大な槍を持ってたたずむ鎧武者の姿。

それは一体のロボットだった。

身の丈30センチ程度で、胸部にミクロ生命体が立って乗り込めるほどの空間が空いている。空間は半透明の角張ったドームで覆われ、その上部がひび割れている。片腕がなく、装甲もほとんど剥がれ落ちている。全体的にかなり破損している様子が見て取れた。

しかしファルコンは直感する。それは決して壊れた残骸などではなかった。誰かが乗り込めば今にでも起動し、吼え、闘うことのできるオーラを放っていた。

「紹介しよう。ロボットマン・ゴッドファイター。

 歴戦の勇者であり、私の相棒だ」

いつしかファルコンはそのロボットと男の醸し出す空気に、一歩退いていた。

そこに立っているのはただの技術者ではなく、激戦を戦い抜いた一人の戦士と、その相棒の姿…そう、ファルコンは直感した。

「ここで何をしているんだ?」

「趣味だよ、これが」

にやり、と男が笑った。

「自分の力だけで修理しているんだ。激しい闘いの中で、こいつは私を何度も救ってくれたから」

「あんたがこれに乗っていたのか。闘うって、一体誰と闘っていたんだ?」

高い叫び声を放ち、メカ鷲がファルコンのすぐ側に着地する。メカ犬もゆっくりと近づいてくる。両者の値踏みするような視線を受け、それでもファルコンは男から視線を離さなかった。笑みを隠さずに男が尋ねた。

「知りたいか?」

真剣な表情でファルコンが頷くと、男は少し考えてから言った。

「…そうだな、今日の作業は終わったし、たまには昔話もいいだろう。

 何から話したものかな…君が気に入るかどうかはわからないが」

男はロボットの見える位置に胡座をかいた。その脇を守るようにメカ犬が座り込む。メカ鷲も男の脇で金属製の羽根を毛繕いし始めた。

ファルコンは立ったままで男の口が開くのを待った。

 

そして男は語った。傷だらけのロボットを見上げ、遠い視線のままで。

ファルコンは知らなかった、ミクロ生命体の過去の歴史を。

地球人と共に闘った小さな勇者達の物語を。

 

 

 

 

 

かつて闘いがあった。

敵はデスマルク軍団という地球文明の機械化、奴隷化を目論だ連中だった。その科学力、軍事力は地球文明を凌駕していた。

だが地球人は独りではなかった。地球には遥か昔からミクロマンと名乗る異星人が来訪し、影から地球を守っていたんだ。

数々の侵略を防いできたミクロマン達でも、デスマルクの強大な力には対抗しきれなかった。そして彼らは遂に、地球人の一部に自らの存在を伝え、共闘を薦めた。

ミクロマン科学が地球人の一部に伝えられ、地球人とミクロマンは協力し合ってデスマルクの侵略に対抗した。

デスマルクの指導者、デスキングを撃退した後、地球人とミクロマンは互いを讃え合い、共に平和な世界を築き上げることになった。

…築き上げるはずだったんだ。

一部の地球人がミクロマン科学を悪用して兵器開発を始めた。それは秘密裏にテロリストや悪意を持つ人間の手にも渡り、世界全体を危機に陥れたんだ。

地球人類に不信感を持つミクロマン達が増えていった。地球を離れるべきだ、と主張する者も多くなった。

秘密裏に結成されていたネオノーチラスという研究機関がミクロマン技術の全てを管理し、その表の姿であるカタガイ研究所が軍需産業へ流出した全ての技術や物品を消去したが、ミクロマン達の警戒感は拭えなかった。

 

そんなとき、フードマンというミクロマン種族の調査によって、次の危機が地球に迫っていることが明らかになった。

αH7という未知の星間物質が太陽系に接近していた。

この元素は地球上のあらゆる知的生命を物理的に縮小してしまうのだと言う。

地球上の全ての人間が縮小化されてしまう…そんな事が公になれば、地球人文明はパニックに陥るだろう。

そんなとき、αH7の影響をキャンセルする方法が見出されたんだ。

それは、αH7通過時にバンアレン帯を周回しているミクロマンの大水晶体を最大出力で活性化する、というものだった。大水晶体はある周波数の物質波によって活性化し、フリーゾンと呼ばれる未知のエネルギーを放出することがネオノーチラスの研究によって明らかになっていた。このエネルギーがαH7と対消滅することがわかったんだ。

地球で活動するミクロマン…つまり一度死んで地球で再生されたミクロアース星人はこのエネルギーを受けて活動している。

しかし完全に活性化してしまえば大水晶体は崩壊してしまう。そうすれば地球上の全てのミクロマンは地球を去らねばならない。

 

そのことを伝えられた地球人は、ほんの一部だった。

私は反対した。

何億年も宇宙をさまよって、やっとこの地球に辿り着いた彼らが、また故郷を失うなんて。今の、この地球人を救うために彼らがそこまですることはないじゃないか。

私がそう伝えると、ジャックは…私の親友は、こう答えたんだ。

『地球は、君たち地球人の星だ』と。

地球を去るべきだ、という地球人反対派のミクロマン達の同意もあり、フードマンの住む小惑星帯基地にミクロマン用のエネルギー供給装置を建設した後、大水晶体を犠牲にしたαH7防御計画は実行に移された。

結果、地球人類は救われ、ミクロアース星人は地球から去っていった。

今はフードマン達と共に小惑星帯のコロニーで地球を見守って…いや、監視している。我々が馬鹿なことをしないように。二度と地球文明に干渉しないことを誓って。

 

一方、それ以前に地球人とミクロアース星人の共存を考えた者もいた。

αH7の影響を受け入れ、αH7の浸透後の地球上で、人類と協力し合えるミクロ生命体を創造し、両者の架け橋にしようとする試みだった。

その雛形として創られたのが、君たちなんだよ。

バーンズという生命工学博士と、元アクロイヤーのシルバースターというウィルス学者が、ブレインコンバートという技術を使って人間型生体アンドロイドに意識転送した。彼らは人間社会に潜入し、ミクロ生命体の開発に協力することになった。しかし、発掘された古代アクロイヤーのサンプルに触れたとき、シルバーの洗脳が解けてしまった。なぜかはわからない。おそらく、我々の闘っていたアクロイヤーも、古代アクロイヤーと起源を同じくする存在で、その影響だったのではないかと思う。両者は、我々に敵意を抱くある軍団の生物兵器だったかもしれない…そう考える者もいる。この銀河の中で、地球は特別な星らしい。彼らが求める、何かが埋もれているらしいんだ。…とにかく、その後シルバーはアクロウィルスを開発して人類に宣戦布告した。その後は君が知るとおりの歴史だ。

 

ミクロマンの闘いはこれだけじゃない。

つい数年前も、異なるミクロアースからやってきたマグネパワーズと名乗る5人のミクロマンが、地球を守る闘いで人知れず命を落とした。

最後の闘いで、私は何もできなかった。その闘いを彼らに任せるしかなかった。

しかし私は信じている。彼らと再び巡り会える日を。

彼らだけでなく、小惑星帯に移り住んだミクロマン達とも、再び手を取り合える日を。

私はその時を信じて、自分にできることをやり遂げることにしたんだ。

カタガイ研究所からntec社に出向して君達用の装備を開発するのは『表』の顔に過ぎない。

私の本業は、ネオノーチラスの命を受け、ミクロマン科学の悪用を企む奴等を摘発することと…君達ミクロマンを助けることなんだ。そのための極秘チームも結成した。

 

いま注力しているのは、この地球上でミクロアース星人が生存するための技術だ。

フリーゾンエネルギーを発生する結晶、ミクロジウムをほぼ恒久的に安定化させる技術を開発している。これはネオノーチラスが管理している、太古地球の日本海溝に落下したフリーゾン源を抽出して製作している。これが安定して供給できるようになれば、かつて地球を救ってくれたミクロマン達が、再び地球上で暮らせるようになるんだ。

 

あとはアルバイトで、人工知能の教育も行っている。来るべき未来、地球統合組織のための電子頭脳だな。このロボットマンのヘルブレインを元に、ランドマスターという次世代思考システムがネオノーチラスで開発された。既に秘密裏にその芽となるサブルーチンがネットワーク内にばらまかれている。時が来れば、これは世界統一機構の意志決定機関の有力なパートナーになってくれるだろう。

 

 

 

 

 

そこまで語って、男は深く深呼吸をした。それからファルコンを見上げて、こう尋ねた。

「という昔話なんだが。どうだい、信じるかい?」

「…わからない」

ファルコンは正直に答えた。途方もない物語を聞いて、ファルコンの頭は飽和していた。

「…が、信じないわけに行かない…というか信じたいと思う。俺達の生まれた意味を。あなたみたいな地球人が存在することを」

「君は本当に真っ直ぐなミクロマンだな」

男は笑った。

そのとき、メカ犬とメカ鷲が顔を上げ、ファルコンを見た。興味深そうに。

「うん、彼女はそこに惚れたんだろう。君のその笑顔に」

男に言われてファルコンは気付いた。

数日ぶりに自分が微笑んでいることに。

男も微笑んで、言った。

「信じればいいじゃないか、信じたいなら。

 生きたいように生きればいい。

 それが正しいなら誰も君の邪魔はしない。

 けれどそれが誤っているなら、きっとそれを正そうとする存在が現れるだろう。

 その時はその忠告を、素直に受け入れればいいんだ」

 

    ”生きたいように生きろ”

 

その言葉を聞くのは二度目だった。

はい、とファルコンは強く頷いた。

 

 

 

それからファルコンは可能な限り男の傍らに付き添い、その作業を手伝った。その合間合間で可能な限り話し合う時間をつくった。

男は親友と呼ぶミクロマンから、秘密裏に様々な技術を受け取っていた。おそらく当時、大半のミクロマン達は地球人類に愛想を尽かしていただろうから、その技術は個人的な贈り物だったに違いない。

「スカイランブラーの模造品とかな、あれのゾーンコンバート機能をミクロサイズに制限したのは私なんだ。人間サイズにすると、絶対に悪用する奴等が現れるし。あとゴッドファイターに搭載されていた一時的な疑似巨大化機能を、バイオスーツに搭載したりとか。あれは、マグネパワーズと相打ちになったジャイアントアクロイヤーにも対抗しうる力となるだろう」

男が継承した技術は膨大で、とてもファルコンが吸収しきれるものではなかったが、男との対話は決して無駄にはならないと感じていた。

「彼らから授かった中で最も素晴らしい知識がこれだ」

ある日のこと。休憩時に男は一冊の分厚い本を…ミクロサイズのそれをファルコンに手渡した。

「そこにはミクロアースの子供達が受けていた教育の全てが記されている。私は昼は学校に行き、夜はその本で学習した。虫眼鏡で覗きながら」

開くと、まず初めの頁に宇宙の始まりについての推測と、原子の存在が描かれていた。

「いきなりそこから始まる。そこから少し行った所で分岐があるんだ。何に興味を持ったかを定め、学ぶ順番が変わってくる。私の場合は初めに数学だったな。因数分解を折り紙で説明する所には絶句したが。数式を弄ぶのではなく、結果を如何に美しく解法するかが見物で、とても面白かった」

それは読み物としても面白く、完成された教本だったが…

良く見ると背や表紙は内容に比較すると雑な装丁だった。

「手製なんですね、これ」

ファルコンが尋ねると男は答えた。

「ああ。内容はミクロマン達の記憶を元に再構成して出力したんだが、製本は彼ら自ら手を使ってやってくれた。その他にも光子エネルギーを触媒にした重力理論などなど様々な知識をこっそりと残してくれたが…その本が何よりの宝物だよ、私にとっては」

「子供達のための科学…」

「そのとおりだ。そこに書かれている知識は、子供達が万物に対する好奇心をどのように昇華したら良いかを指し示している。ただ困ったことに善悪の判断については全く述べられていない。きっとミクロアースには、そんなことを敢えて教える必要のない、理想的な社会が完成していたんだろうな」

「いや、俺はそうは思いません」

「なに?」

「きっとあなたの親友は、あなたにはそんなことを教える必要はない、とわかっていたんでしょう。だからこそ、あなたにこれだけの知識を残したんだと思います」

「買い被りすぎだよ、それは」

はっはっは、と笑って男は頭を掻いた。

 

 

 

日々は瞬く間に過ぎ、その日がやってきた。

2人はモニタに映し出される波形に見入っていた。

マノンの培養カプセル内から、脳波と思われる信号が頻繁に検知されるようになったのである。

「思考活動が開始している。基礎知識は刷り込んだ状態で発生するようだな」

「DNAには脳内記憶は保管されないんじゃ…?」

「記憶じゃなくて、知識だ。この結晶カプセルが逆MRIとして働いて、書き込んでいるのだろう」

「余計な知識まで書き込まれるんじゃないだろうな…」

「それはないだろう。君の話からすると、彼女は自分がアクロイヤーの一味であったことすら認識していなかった。そういう思想的なことを書き込むことは『洗脳』だが、それはなさそうだ。単純に成体として生きていくための術を伝えているだけらしい」

「応用すれば、彼女に幸せな過去を与えてやることもできるんじゃないですか?」

「…それは絶対やりたくない。彼女の生命の根源に干渉することになる」

男の言葉をファルコンは噛み締め、理解した。

「この脳波は…おそらく基礎知識の書き込みが終わって、頭脳が自律活動を開始したんだろう。基礎知識を元に思考し、そこから記憶が産み出されているようだ。おそらく、夢を見ているんだ。夢が終わったとき、彼女は目覚める。そのときにカプセルを切開しよう」

そうして交替でモニタを見張り続け、朝焼けが窓を染めた頃。

ファルコンの目の前でモニタの波形が一瞬静かになり、平坦に近い単調な波形を示すようになった。

ファルコンは男を起こし、状況を説明。

男はすぐにマニピュレータを準備し、結晶の密林と化したカプセルの上に配置した。

「産婆なんて初めてだ。…よし、開けてみよう」

二人は頷いて、作業を開始した。

男が切開に最適と考えた位置にレーザーメス付のマニピュレータを伸ばし、ファルコンが位置を微調しながら通電した。注意深く観察しながら表層の結晶を融解させ、素手で剥離する。

複雑な作業を経て、細かい六角柱状の結晶で形成された外装に、5センチほどの亀裂を作ることができた。

内部をファイバースコープで確認。事前のX線撮影と同じ姿勢でマノンが眠っていることを再度確認し、生体反応を直接監視するプローブをマノンの背中の素肌に密着させる。

「よし、開いてみよう。生体反応の波形に注意して」

5センチの亀裂の両端にやや高出力のレーザーを照射。先程より速い速度で亀裂が広がっていく。亀裂が15センチ程度になってから、ファルコンが両手で亀裂を押し開いた。

一瞬、波形が乱れたが、すぐに平穏に戻る。それを再三確認し、男のマニピュレータが一気にカプセルを切り開いた。

現れたのは、長い銀色の髪に包まれた、膝を抱えた全裸のミクロ生命体だった。

「結晶カプセルの疑似胎盤と切り離す。もう一度、波形に要注意」

ファルコンが頷くと、男はスコープを再度覗いて臍の緒のカプセル側の根元位置を確認。カプセル側に近い部分を、その両端をクリップした状態で切断した。

一瞬、先程より大きく波形が乱れたが、また平穏に戻った。

意識は未だ、無い。背中が小さく収縮し、呼吸が始まりかけていることがわかった。

次は気道に溜まった羊水の吸引だった。男もファルコンも冷や汗をかきながら無言で作業を続けた。

そして、数十分の緊張した作業の後。

二人の目の前には、花びらのように開かれた結晶のカプセルがあり。

その中心には、アクロイヤー製テックスキンを身に着けない、全裸のマノンが膝を抱えて眠っていた。浅く静かな呼吸を続けながら。

その美しさにファルコンは絶句した。

「見とれてないで。早くそっちのベッドに移してやれ」

「しかし、どうやって」

「抱き上げればいいだろう」

「俺が、か?」

「当然だ」

震える腕で、ファルコンはマノンを抱き上げた。

暖かい体温と、心臓の鼓動と呼吸を感じた。

透き通った身体ではなく、ミクロ生命体と同じ肌色の、色白の肌だった。

腰まである銀色の髪は前髪も伸びたままであり、そこから覗く表情はとても安らいでいた。

「良く寝てる」

「もう夢は見ていないはずだ。さあ、早く」

ベッドの上に仰向けに横たえる。視線を必死に制しながら、ファルコンは白いシーツをかけてやった。

「よし、アクロウィルス反応はない。脈拍その他は安定。ここまでは順調だな」

「どうして目覚めないんだろう?」

「このままなんてことは…ないと思うが」

「そんな恐ろしいことを言わないでくれ」

「とりあえず呼びかけてみたまえ」

「俺が?」

「キスするか?」

「はあ?」

「こういう場合、お姫さまの眠りを覚ますのは王子様のキスと相場が決まっている」

「俺はただの兵士だよ」

「マジメに受け取るなよ」

そんな会話を続けていた時だった。

小さなうめき声がして、二人はマノンを見た。

分けた前髪から覗く瞼が、薄く開きかけていた。

マノン、とファルコンは叫び、ベッドの脇に跪いた。

それが死別した彼女とは異なる存在であることは理解していた。

それでも叫ばずにはいられなかった。

もう一度その名を叫ぶと、マノンはゆっくりと瞼を開き、視点の定まらない瞳で天井を見つめ、それからファルコンを見た。

その瞳に輝きが戻っていく。その焦点がしっかりとファルコンの瞳に合った。

「あなたは…」

「俺は…」

戸惑うファルコンを差し置いて、男が絶妙なタイミングで宣言した。

「君の大切な人だ」

唖然としてファルコンは男を見た。男はニヤリと笑ってウィンク。そういうことにしておけ、ということらしい。その時、ファルコンを見つめていたマノンが、小さな声でつぶやいた。

「…ファルコン」

その名を聞いて、男性陣二人はお互いを見つめ、それから同時に叫んだ。

「「なに?!」」

「あなたの名前、知ってる。でも他のことが何も…思い出せない」

「どういうことなんだ」

「わからん…」

「俺の名前だけ、って一体…」

「最後の瞬間の記憶のみが強く刻まれていたのかもしれない」

話し合うファルコンと男を見、シーツで胸元を隠し、上半身を起こして部屋の中を見回しながらマノンは震えた声でつぶやいた。

「こわい…私は…私は自分が誰なのか…」

それだけ言ったマノンは、俯き黙り込んでしまった。小さな白い手がシーツを握り締めている。その震える肩を見て、ファルコンは言った。

「何も心配しなくていい」

ファルコンは生まれたばかりの娘の片手をそっと握り締めた。小刻みに震えている。それは自分自身を理解できない恐怖のためなのだろうか。

まるで俺のようだ、とファルコンは思った。

自分の生まれた意味が分からず、ただただ闘い続けた日々。悩みながら闇雲に生きていた日々。

しかし、そこから一歩踏み出すことが出来たのは、他ならぬ彼女のおかげだった。

ファルコンは少し力を込めて、両手で小さな手を包み直した。

マノンがファルコンを見つめた。恐れと驚きが入り交じった表情。構わずにファルコンは言葉を続けた。

「君の名前はマノン。俺はファルコン、君の…あー、なんでもいい」

跪いたまま、視線を合わせたまま、ファルコンはマノンに言った。

「何も心配することはない。俺が」

それは以前言えなかった、必ず言おうと決めていた約束の言葉だった。

「きみを守ってやるから。きみが未来をつくるのを手伝うから」

 

 

 

それからファルコンはマノンに全てを伝えた。ミクロ生命体の存在、アクロイヤーとの闘い…ファルコンの知る全てを。男は止めたが、ファルコンは全てを隠さずに伝えるつもりだった。このマノンはあのマノンではない。だからこそ、とファルコンは男に言った。全てを知った上で自分自身の人生を決めるべきだ、それを全力で俺は手伝いたい、と。

ファルコンの語りを一心に聞いていたマノンは、瞼を閉じた。

じっと何かを考え込んでいるようだった。

彫像のように動かない彼女を見て、もう一度ファルコンは綺麗だ、と感じた。

数分の沈黙を破って、マノンの瞼が開き、その瞳がファルコンと男を見つめた。

「私は…」

言葉を選んでいるのだろうか。少し逡巡した後にマノンは短い言葉を紡いだ。

「感謝しています、この誕生を」

それからファルコンを見つめ、

「あなたは…あなた達はどうして、私のためにここまでしてくれたのですか?」

手を握りっ放しだったことに気づいたファルコンは、その手を離して頭を掻いた。

「俺にもわからない。ただ…君を失ってはいけない、その想いだけは正しいと思った。

 だから、したいようにした。それだけだ」

マノンの表情が和らぎ、微笑みに変わった。

「ありがとう、ファルコン。

 私は、あなたのような人に望まれて生まれたことがとても嬉しい。

 そして…」

男を見上げながら、マノンは続けた。

「あなた達のような優しい方と知り合えて、幸せです」

「マノン…」

「良かったな。長い人生、なかなか聞ける言葉じゃない。それにしても」

男は後ろを向いて、退室の準備。

「君達はお似合いだよ」

「だからそれはだな」

赤くなってファルコンは男を見上げた。

「二人とも羨ましいくらい真っ直ぐなんだよ。

 似た者同志、仲良くやってくれ。私は姫君のドレスを作ってくるとしよう」

何か言おうとしたファルコンを無視して、男はドアの向こうに消えてしまった。

追いかけようとしたが、マノンはファルコンの手を離さなかった。

振り向くとマノンが見つめていた。ぎゅっ、とファルコンの手を握ったまま。

とても弱々しい力。ファルコンはその手を振り解けなかった。

「わかった、そばにいるよ」

自由奔放に生きてきた彼にとって、縛られたくない、という思いは本能のようなものだった。

けれど、絆は失いたくない、とも思った。

それは快いというより、くすぐったいような初めての感覚だった。

「少し眠るといい。大丈夫。俺がそばにいるから」

マノンが眠りに落ちても、ファルコンはその手を離さなかった。

 

 

 

 

 

数日の後、男はそろそろ忙しくなる、と言い、屋敷を留守にすることを二人に告げた。

ファルコンも旅立つつもりだった。本来の目的地である、隠されたコミューンに向けて。

そのことを男に伝えると、男はちょっと待っていろと言って地下室へ向かった。

戻ってきた男は何かを大事そうに抱え、それをテーブルの上に置いた。

赤いサイドカーのようなマシンだった。

「ツインレーサーだ。二人乗りはコレしかなかったんでな」

「見たことがない操縦系だ」

「本来はESPで操るんだが、現在のミクロマン用に改造してある。動力源も光子エンジンだったが、大水晶体が無くなったんで小型核融合炉に乗せ換えた。大事なコレクションなんでな、落ち着き先が決まったら返しに来てくれ」

「約束します。えーと…」

そこでファルコンは重要なことを思い出した。

「…まだ、あなたの名前を聞いていなかった」

はっはっは、と男は笑った。

「そういえばそうだったな。名乗り合っていなかった」

「俺はファルコン。元MICRの一員だった。ブレストコードで分かったとは思うが…」

「いや、読んでない。私はブレストコード反対派でね。私的なことは自分から伝えるべきじゃないか」

「そうですね」

「ああ、ついでと言っては何だが、君と彼女のコードは消去しておいた。コミューンに行くミクロマンには不要だし、コミューンの位置がばれてしまうからな」

それから男は自分の名を名乗った。

当然、ファルコンの知らない名前だった。

しかしファルコンはその名を一生、決して忘れるまいと誓った。

そして直立し、姿勢を正して、

「博士、お世話になりました。ありがとうございました!」

深く一礼した。マノンも並んで頭を下げた。

「たまには遊びに来てくれよ。ミクロマンの話を聞くのは好きなんだ。ファンだからな」

「いや、違う」

「ん?」

「あなたは仲間だ。俺達の。共に闘った戦友だ。

 宇宙にいる他のミクロマン達が認めなくても…

 あなたの親友が認めたように、俺も認めます」

「…ありがとう」

「あなたのような方がいることを、俺は決して忘れません。

 地球人を、人間を信じたくなりました。

 本当にありがとう、博士」

「達者でな」

「「はい!」」

ファルコンはマノンがサイドカー部に乗るのを助け、自分はバイク部に飛び乗った。

ハンドルを握り、キーらしきものを捻ると、強靭なパワーを発生し続ける炉から、駆動系に向けてエネルギーの奔流が流れ込むのを感じた。

左親指でモードを「飛行」にセット。

自らの体重を含め、機体の全てが軽くなるのを感じる。

そのままハンドルを引いて離陸、片手で最後の挨拶を済ませてから、開け放してあった窓から外に飛び出た。

 

 

 

二人が去るのを見届けてから、男はモニターに向かった。

手慣れた手つきでダイヤルをコール。すぐに先方に繋がる。

青いミクロテックスキンを身に着けた青年がモニターに現れ、驚きと喜びの表情で迎えた。

「お久しぶりです、博士。ここのところ連絡が着かなかったんで心配していたんですよ」

「シナ君も来なかったしな。忙しいのかい?」

青年の表情が少し険しくなった。

「身辺整理、というところです。彼女はその件で裏を取っています」

「ヤツが出てきたのか」

「封印を解こうとしている者がMICR内部にいます。いや、もう解かれた可能性が高い」

「今この地球にはジャイアントアクロイヤークラスに対抗できる力はない。

 きっと小惑星基地のミクロマンも、非干渉の掟を破ることはないだろう」

「もしヤツが現れたなら、全力で阻止します。私自身を生け贄にしてでも…」

「それはいかん。君はこれからの世界に必要な存在だ。従兄弟にお願いするよ」

「申し訳ありません…」

「構わないさ。次の闘いでは君達ミクロマンが地球を救った、という幕引が一番望ましい。

 2番装備のサイボーグライダーなら地中から密かに援護することも可能だろう。

 重力異常で身動きを止める、とか。

 とにかく、我々ネオノーチラスは全力で君達をバックアップする。影からね」

「わかりました」

「…そうそう、若いのが一人、家に来ていたんだ」

「脱走者ですか」

「ファルコンと言っていた。とても真っ直ぐでいい青年だな。彼にはしたいようにさせるのが良いだろう。きっとコミューンの力になってくれる。私が保証する」

「何から何まで本当にありがとうございます」

「気にすることはないさ。父や叔父上…いや、所長が言ってたよ」

男は机の上の写真立てを見た。

透き通った身体の人造人間の指が、透き通った身体のミクロ生命体と握手をしている。

その向こう側遠方に白衣を着た二人の男と、少年が立っていた。微笑みながら。

ほんの少し目を細め、遠い昔の幼い自分の姿に思いを馳せながら。

男は少年の頃と同じ口調、同じ心で断言した。

 

「ビクトリー計画はこれからなんだ、と」

 

 

 

屋敷を出た二人は数十分の飛行で奇妙なシグナルを受信した。

「やっぱり博士はコミューンと繋がりがあったらしいな」

それは雑音のような暗号化された識別信号だった。おそらく、それを受信可能なトランスミッタがこのマシンに仕掛けられていたのだろう。通信を開くと「氏名と現在位置を述べよ」という意味のコードが受信できた。

ためらわずに、ファルコン、マノンとキーを叩き、現在位置を送信した。

すぐに返信があった。「その場で待機せよ、入国管理管を向かわせる」というものだった。

「ここで待つとしよう」

ファルコンはマシンを旋回させて、一番高い大樹の一番高い枝に近づけた。

動力を切らずにホバリング。万が一の場合を想定して、マノンに自分の側に来るように伝えた。

サイドカーからコクピットまでは少し距離があり、マノンは高空に少し怯えているようだった。

「大丈夫だ、ほら、手を」

差し伸ばした手と手が触れ合う。そのまま握り締めて引き寄せ、ファルコンは細い身体をしっかりと抱き留めた。

それから二人で葉の隙間から覗く青空を見上げた。マノンがつぶやいた。

「綺麗…」

ファルコンは思う。こんな風に空を見上げるのは何年ぶりだろうか、と。

「そうだな」

としか言えなくて、語彙のない自分を恥じた。

代わりにためらいながら、マノンの肩を抱いた。強く抱いた。

「世界は広い。ここよりきれいな場所だってたくさんあると思う」

何を言っているんだ俺は、と思いのままに言ってから、さらに恥じた。

真っ直ぐな青年だった。そしてマノンも真っ直ぐだった。

「行ってみたい、あなたと」

そうはっきり告げてから、傍らのファルコンを見上げた。

「そうだな、一緒に行ってみよう」

マノンは自分の肩を抱く大きな手に、自分の手を重ねた。

その手の平の温もりを感じて、ファルコンは思った。

 

この世界は決して無意味ではない。

そう信じる自分の存在もまた無意味ではないのだ、と。

 

 

 

以上。

 

 


 
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