No.42536

道化師(掌編/切ない恋)

さん

 人を笑わせることしか知らない道化師は、ある日小さな恋をした。
 毎日、彼女に最高の「笑い」をプレゼントし続けた。
 彼女が笑ってくれたら、それだけで幸せになれたから。

(2005年.春)

2008-11-20 00:48:51 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1028   閲覧ユーザー数:992

 

 ひとりの道化師が居た。

 彼はとても上手におどけて見せたので、いつも沢山の拍手を貰っていた。

 彼の演技に道行く人は誰もが足を止め、腹を抱えて笑った。

 街で彼のことはちょっとした評判になっていた。

 

 ある日、彼は病院に来て欲しいと頼まれた。

 みんなを元気づけて欲しいと。

 無償の仕事だったが、彼は喜んで引き受けた。

 陰気な病院は、たちまち陽気に包まれた。

 子供たちは彼を囲み、老人達は顔を破顔させた。

 窓辺で車椅子の少女が、口元を手で隠してクスクスと笑った。

 目があって、彼がスマイルを見せると彼女はそっと微笑んだ。

 

 彼は車椅子の少女に恋をした。

 

 その日から、彼は少女の病室に通うようになった。

 彼はいつも自分が渡せる最高のプレゼント――

 〝笑い〟を用意していた。

 赤い木の葉が落ち、木枯らしが吹きだした。

 少女は何度も手術を行ったが、

 次第にベットから起きあがることもできなくなっていた。

 長い入院生活で少女の頬はこけ、腕は骨のように細くなっていた。

 それでも彼は、少しでも少女を笑わせようと、道化を演じ続けた。

 

 そして街をイルミネーションが彩る頃、少女はいなくなった。

 

 

 最後にあった日、最後に交わした言葉を彼は思い出せなかった。

 ただあまりの悲しみに、茫然としていた。

 少女の身体に花を手向けて、やっと彼はある事に気づいた。

 

 自分は、彼女に一度も〝好きだ〟と伝えていなかったことに。

 

 

 この街には昔、評判の道化師がいた。

 

 

****

 

 

 涙の化粧をした道化師は、泣いた顔のままで舞台を過ごす。

 演目が流れ、華やかな舞台をみんなと一緒にみても、彼のメイクは涙のまま。

 そうしてみんなが道化師の事を忘れたかけた頃、

 彼はにっと笑って、涙のメイクをハートに変えた。

 

 道化師は笑っていた。

 彼女のくれたハートと共に。

 

 笑うことしか知らなかった道化師は、悲しみを覚えて、涙におぼれた。

 彼女の最後を笑って見送ったとき、彼女は彼の笑顔を持ち去った。

 笑えなくなった道化師は、メイクを落として町を彷徨った。

 

 誰かが噂していた。

「街で一番の道化師が消えた」

「長い冬もあいつが居ると、暖かかったのに」

「あの、おにーちゃんは?」

 せがまれて、彼は一度だけのつもりで、昔の道具を引っ張りだした。

 昔と同じ、赤い大きな鼻に口を大きく見せるメイク。

 ただひとつだけ、彼の化粧には涙のマークが増えていた。

 こうして街に道化師は帰ってきた。

 どんなに人に笑って貰うときも、滑稽な演技をしてみせるときも、

 彼の顔にはいつも涙があった。

 彼が悲しみの虜であることを示すように。

 街の人たちは、そんな彼の気持ちには気づかず、ただ彼の再来を喜んだ。

 笑いころげた子供は言った。

 

「笑いすぎて、涙がでちゃった」

 

 道化師は手を止めた。

 黄色や緑のカラーボールが床に弾んだ。

 彼女と共に笑えなくなったと思っていたのに。

 子供には笑っているように見えているじゃないか。

 

 彼は、失った自分の笑顔が、ずっと側にあった事に気がついた。

 彼女は、彼の笑顔を奪っておらず。

 彼はもう悲しみを乗り越えていたのだと。

 床に弾んだボールを、彼はしっかりと捕まえた。

 

 子供たちは、道化師の顔を指さした。

 

「ほら、みてよっ。涙がハートになった」

 

 こうしてこの街一番の道化師は、この国一番の道化師になった。

 彼女のくれたハートと共に。

 

****

 

 次の春までもたないだろうと言うことは、わかっていた。

 それでも、彼は最後まで彼女を笑わせようと一生懸命だった。

 どんなに寒くても、辛くても、彼の笑顔は暖かかった。

 ベットから身体を起こすのが精一杯の少女は言った。

「私、いつか貴方の舞台を見てみたいわ。みんなで声をあげて笑うの」

 

――その時は、貴方の一番よく見える席に私を招待してね。

 

 

おわり

 


 
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