No.42520

残像少年(掌編/不思議話)

さん

何か事件が起きるわけじゃないけど、
ほんの少し、前向きになれるお話し。

(2005.春)

2008-11-19 23:47:31 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:733   閲覧ユーザー数:712

 

 

 彼は毎朝遅刻ぎりぎりに抜け道を通って、学校に通っていた。

 今朝も彼が来るのを沢山の人が待っていた。

 仕事盛りの会社員や主婦たちが大半で、中には彼を見ようと来る観光客もいた。

 

 そうして待つこと数分、

 ある家のブロック塀を突き抜ける様にして彼が現れた。

 いや、彼が現れたときから、そこにあった家も塀も消えさり、

 そこは小道に変っていた。

 

 昔、そこは道だったのだ。

 

 懐かしと驚きの歓声が人の口から昇る。

 彼がつれてきた昔の町並みに、涙を浮かべる者さえいた。

 残像を見て人々が口々に語るのにも気付かずに、彼は道を曲がる。

 そして、林の中へと消えていった。

 とうの昔に焼け落ちた学校に通うために。

 

 彼の姿は町のあちらこちらで目撃されていた。

 焼け落ちた並木道、焼け落ちた商店街、焼け落ちた町並みと共に。

 

 

 人は彼を残像少年と呼んだ。

 

 

 

./.

 

 セミの鳴き声が、住宅街を響き渡っていた。

 スーツの上着を脇にかかえ男は照りつける陽射しの中、

 コンクリートで固められた道路を歩いていた。

 ワイシャツの袖をまくり、

 少しでも暑さを逃がそうとするものの今度は肌が日に焼ける。

 汗を拭うハンカチは、ぐっしょりと濡れていた。

 タオルを用意するべきだと悔やんでも、もう遅い。

 何処か木陰を探して一息つこうかと考えたとき、ふいに太陽が陰った。

 あれほど騒がしかったセミの音が止み、

 男の目の前を赤い紅葉の葉が、はらりと落ちてきた。

 そんな馬鹿な、と顔を上げる男の目に映ったのは、

 季節はずれに赤く色づいた立派な紅葉の木だった。

 いつの間に降り積もったのか、足元で落ち葉がガサリと音をたてた。

 

 驚き戸惑う男の脇を、誰かが走り抜けた。

 

 振り返ると、それは古めかしい学生服に身を包む少年の後姿が見えた。

 男は少年の向こうに広がる光景に、我が目を疑った。

 そこには、古い木造建築の家屋が並んでいた。

 空が広く感じるのは、背の高い建物が無いからだ。

 懐かしい、と男は思った。

 男はこの光景が過去のものなのだと、気付いていた。

 この町並みの何処かに、まだ赤子の長男を抱えた妻が居る。

 彼女は、家の門まで毎朝見送ってくれていた。

 そんな入社して間もない頃の思い出が、脳の中に蘇る。

 

 少年は通りの向こうへと駆けていく。

 

 彼の後を追えば、あの頃の妻に会えるだろうか。

 もう一度、やり直せるだろうか。

 いつの間にか、男の汗はひいていた。

 

 

 

 けたたましいセミの鳴き声。

 男はまぶしい太陽の光から、手で作ったひさしで目を庇った。

 あの立派な紅葉の木は無く、代わりにマンションが立っていた。

 コンクリートの道路には陽炎が昇るだけで、何処にも落ち葉は見当たらない。

 そうして男は、少年の消えて行った通りとは反対方向に歩いていった。

 

 

 

 少年と初めて出会った人は言う。

 あの残像の中に飛び込めば、過去に戻れる気がした。

 そうすればやり直せるのじゃないかと。

 

 しかし、誰も残像の後を追えた者はいなかった。

 

 

おわり

 

 
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