彼は毎朝遅刻ぎりぎりに抜け道を通って、学校に通っていた。
今朝も彼が来るのを沢山の人が待っていた。
仕事盛りの会社員や主婦たちが大半で、中には彼を見ようと来る観光客もいた。
そうして待つこと数分、
ある家のブロック塀を突き抜ける様にして彼が現れた。
いや、彼が現れたときから、そこにあった家も塀も消えさり、
そこは小道に変っていた。
昔、そこは道だったのだ。
懐かしと驚きの歓声が人の口から昇る。
彼がつれてきた昔の町並みに、涙を浮かべる者さえいた。
残像を見て人々が口々に語るのにも気付かずに、彼は道を曲がる。
そして、林の中へと消えていった。
とうの昔に焼け落ちた学校に通うために。
彼の姿は町のあちらこちらで目撃されていた。
焼け落ちた並木道、焼け落ちた商店街、焼け落ちた町並みと共に。
人は彼を残像少年と呼んだ。
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セミの鳴き声が、住宅街を響き渡っていた。
スーツの上着を脇にかかえ男は照りつける陽射しの中、
コンクリートで固められた道路を歩いていた。
ワイシャツの袖をまくり、
少しでも暑さを逃がそうとするものの今度は肌が日に焼ける。
汗を拭うハンカチは、ぐっしょりと濡れていた。
タオルを用意するべきだと悔やんでも、もう遅い。
何処か木陰を探して一息つこうかと考えたとき、ふいに太陽が陰った。
あれほど騒がしかったセミの音が止み、
男の目の前を赤い紅葉の葉が、はらりと落ちてきた。
そんな馬鹿な、と顔を上げる男の目に映ったのは、
季節はずれに赤く色づいた立派な紅葉の木だった。
いつの間に降り積もったのか、足元で落ち葉がガサリと音をたてた。
驚き戸惑う男の脇を、誰かが走り抜けた。
振り返ると、それは古めかしい学生服に身を包む少年の後姿が見えた。
男は少年の向こうに広がる光景に、我が目を疑った。
そこには、古い木造建築の家屋が並んでいた。
空が広く感じるのは、背の高い建物が無いからだ。
懐かしい、と男は思った。
男はこの光景が過去のものなのだと、気付いていた。
この町並みの何処かに、まだ赤子の長男を抱えた妻が居る。
彼女は、家の門まで毎朝見送ってくれていた。
そんな入社して間もない頃の思い出が、脳の中に蘇る。
少年は通りの向こうへと駆けていく。
彼の後を追えば、あの頃の妻に会えるだろうか。
もう一度、やり直せるだろうか。
いつの間にか、男の汗はひいていた。
けたたましいセミの鳴き声。
男はまぶしい太陽の光から、手で作ったひさしで目を庇った。
あの立派な紅葉の木は無く、代わりにマンションが立っていた。
コンクリートの道路には陽炎が昇るだけで、何処にも落ち葉は見当たらない。
そうして男は、少年の消えて行った通りとは反対方向に歩いていった。
少年と初めて出会った人は言う。
あの残像の中に飛び込めば、過去に戻れる気がした。
そうすればやり直せるのじゃないかと。
しかし、誰も残像の後を追えた者はいなかった。
おわり
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何か事件が起きるわけじゃないけど、
ほんの少し、前向きになれるお話し。
(2005.春)