黒髪の勇者 第二編 第二章 王都の盗賊(パート4)
翌朝、シャトー・リッツ宮殿に一泊した詩音とフランソワは、ビアンカ女王の特別の計らいで朝食を同席することになった。近衛兵団隊長であるアレフは夜勤明けであるために参加せず、三名だけの席である。
「昨日は特段、異変は無かったみたいね。」
食事を始める前に、軽く報告書に目を通したビアンカがそう言った。今日のビアンカは公務前だからだろうか、随分とラフな格好に身を包んでいた。
「バーンズ邸にお邪魔したくらいでしょうか。」
フランソワがそう答えた。詩音とフランソワは王立学校の制服姿である。
「アレフから報告が来ているわ。バーンズ商会とは取引があるけれど、同級生とは知らなかったわ。」
「私も、初めて知りましたわ。平民ということは聞いていましたけれど、なかなか面白い研究をしておりました。」
「面白い研究?」
ビアンカがそう言いながら、さりげなく全員に食事を勧めるように合図した。それに甘えて、詩音は温かい湯気が出ているコンソメスープを口に含んだ。
「連射できる銃の研究だそうですわ。学校に戻り次第、アルフォンスと情報共有したいと考えています。」
「それは面白いわ。そんな武器があれば、貧弱な陸軍ももう少しまともになるのでしょうけれど。」
「貧弱、ですか。」
科学技術の話より、余程面白そうだと考えて詩音は手にしたパンを止めるとそう訊ねた。
「そうね。単純に軍事力と言う視点だけで考えれば、アリア王国は海軍こそ大陸一だけれど、陸軍の能力は相当に落ちるわ。空軍に至っては実質存在していない程度に貧弱であるし。」
「陸軍、空軍として懸念されるのは、やはりビザンツ帝国でしょうか。」
「そうね。仮想敵国としては間違いなくビザンツ帝国になるでしょうね。幸いにしてビザンツ帝国の海軍力は恐れる程ではないけれど、陸軍と空軍は間違いなく大陸一よ。特に限られた場所でしか育成できない火竜と風竜、この二種類ともにビザンツ帝国内で生産できるというのは想像以上の脅威だわ。」
「万が一大陸側を統一されると厄介ですね。」
「その通りよ。なまじ海に囲まれているから危機意識が低い官僚も多いけれど、大陸の統一を達成されればこれ以上に厄介なことはないわ。私たちは海運貿易で国家を運営しているようなものだから、放っておいても干からびてしまうでしょうね。」
ビアンカの言葉に、詩音は真剣な眼差しで頷いた。
「しかし、フィヨルド王国の陸軍力も相当と聞いております。そう易々と統一されることはないのでは。」
「そうね。ビザンツ帝国が成立してからフィヨルド王国は相当に軍部を強化しているけれど・・。」
そこでビアンカは小さな溜息を漏らした。
「何か、ご心配になるようなことが?」
詩音に代わり、フランソワがそう訊ねた。その言葉に、ビアンカは小さく首を振りながら答える。
「杞憂に過ぎればそれに越したことはないわ。それよりも、冷めないうちに食べてしまいましょう。食事は何より温かいうちが一番美味しいから。」
食事を終え、詩音とフランソワは王立学校へと戻る為の準備を始めた。元より講義を重視するように厳命されているからである。
だが、一通りの準備を済ませて後は帰るだけ、という状態になった所で、フランソワが少し遠慮がちにこう言った。
「ねぇシオン、帰る前に寄りたいところがあるのだけど。」
「どうした?」
本屋でも寄るのだろうか、と考えながら詩音はそう訊ねた。だが、フランソワには書物よりも気になる用事があったらしい。
「バーンズ邸にもう一度寄りたいの。例の銃の射撃データ、早く目を通してみたくて。」
時刻はまだ昼前、この時間ならアルフォンスも館にいるだろう。
「分かった、行こう。」
昨晩とは異なり、白昼における盗賊被害が一度も発生していないせいか、午前中のミンスター通りは定評通りの閑静な空間を保っていた。人通りも少なく、詩音とフランソワの他には時折豪奢な馬車や、両手に荷物を抱えた配達業者が通過してゆくだけである。
やがて目的としているバーンズ邸に到達すると、フランソワは下馬して門番に話しかけた。
「突然ごめんなさい、私、王立学校科学科一年生のフランソワと言う者ですけれど。」
突然に公爵家の人間が訪れたとなれば混乱を招くだろうと考えて、フランソワはファーストネームだけを門番に告げた。突然に訪れた少年少女に年老いた門番は僅かに不審そうな表情を見せたが、アルフォンスの同級生だと告げると納得したように頷き、取次の為に下がって行った。
「やあ、昨日はどうも。」
やがて詩音とフランソワが待つ正門にアルフォンスが現れた。
「こちらこそ、美味しい紅茶と素敵なお話をありがとう。」
にこやかに笑いながら、フランソワがそう言った。一方で詩音は昨晩見事に引っかかった、木立ちに巧妙に隠された罠を眺めて小さな溜息を漏らす。
「そのお話の続き、というところかな?」
「ええ、その通りよ。ぜひデータを見せて頂きたくて。」
「そう言うと思って、持ってきた。ただ残念なことに居間は商談で使われているから、別の場所でお茶でも飲みながら話さないか?」
「それはありがたいけれど、一体どこで?」
「邸宅でメイドが淹れる紅茶だけが紅茶じゃないってことさ。」
アルフォンスは悪戯っぽく軽いウインクをしながらそう言った。
案内された場所はカリーナ通りにある喫茶室であった。
「こんな場所があるのね。」
少しの驚きを見せながらフランソワはそう言った。外での飲食と言えば、海男達が集うチョルル港の食堂街か、少し状態が良くて高級宿の食堂程度しか経験のないフランソワにとってみれば、小奇麗に整った、女性一人でも入りやすそうな雰囲気を持った喫茶店自体が初めての経験である。勿論、日本でカフェに親しんできた詩音に取っては、懐かしさこそあれ物珍しさは無かったけれども。
「三年前かな、新しいスタイルで店舗展開を初めて、今ではアリシアに十店舗は抱えている人気のお店だよ。午前中は空いているけれど、午後の紅茶の時間になれば行列ができるくらいさ。」
まるで自らの事を自慢するように、アルフォンスはそう言った。
店内に入ると、メイド服に身を包んだウェイターが数名、落ち着いた動作で接客に当たっている。案内された席は奥まった場所にある、四人掛けのテーブルであった。
「紅茶で良いかな。」
メニュー表を眺めながら、アルフォンスがそう言った。
「構わないわ。」
「コーヒーもあるけれど。」
続けて、アルフォンスがそう言った。
「なら、俺はそれで。」
即座に、詩音がそう言った。ミルドガルドではコーヒーを飲む習慣が珍しいらしく、ミルドガルドを訪れてから一度も口にした事がなかった為である。
「飲んだことがないわ。」
続けて、フランソワがそう言った。
「少し苦いけれど、なかなかの味だよ。値段も手ごろだし、庶民の味というところかな。」
アルフォンスがそう言った。コーヒー豆を焙煎して飲むというスタイルは一部の庶民に評価されつつあるが、低俗なものとして貴族層には敬遠される節がある。
現代でいえばイギリスとアメリカにおける嗜好の差に近いだろうか。
「なら、試しに一度。」
興味を持った様子で、フランソワがそう言った。そのまま、アルフォンスが三人分のコーヒーを注文する。
「それで、これがデータ。」
コーヒーが揃った所で、アルフォンスが一枚の紙を差し出した。射撃データである。
「随分と綿密ね。」
フランソワはそう言うと、それを丁寧に読み始めた。射撃距離、命中率、発砲速度などが仔細に記載されている一覧である。
やがて、フランソワが怪訝そうな口調でこう言った。
「このデータ、本当なの?」
「そう言ってくれると思っていたよ。」
フランソワの隣から眺めていた詩音にしてみれば、何が問題なのかは分からなかったが、アルフォンスは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「にわかには信じられないわ。命中率が八割を超えているなんて。」
「こう見えて、もう三年くらい研究しているからね。」
そう言いながら、アルフォンスは弾丸の一つをフランソワに手渡した。それを摘まみ上げ、フランソワは驚いた様子で口を開いた。
「なあに、この弾。初めて見るわ。」
それは詩音に取っては見慣れている、流線型の弾丸であった。だが、正円型の弾丸に見慣れているフランソワにとっては、余りに突飛な形状をしているように思えたのである。
「野球は・・知らないよね。」
「名前程度なら。」
フランソワがそう言った。
「よく遊んでいたよ。」
続けて、詩音がそう答える。この世界に野球が存在することに多少の驚きを感じながら。
「ああ、シオンは知っているのか。なら話が早い。伸びのあるストレートはどうやって出せばいいのだろう。」
「回転させることだろう。」
「その通り。」
満足するようにアルフォンスがそう言った。一方フランソワは良く理解出来ない様子で首を傾げている。
「野球の投手は、実力が上がれば上がるほど好きな場所にボールを投げ込める。逆に初心者はそうはいかない。その原因は何かと考えて、少年野球に交じってボールをひたすら観察したんだよ。その結果、コントロールがいい投手ほど回転数が多く、球速も早くなる事に気が付いた。それを弾丸に当てはめれば、と考えて製作した銃なんだよ。」
アルフォンスはそう言うと、もう一枚の紙をフランソワに差し出した。今度は二連装銃の設計図であるらしい。
「いかに効率よく回転させるか、と言うことを考えて、色々思索している内に縦回転よりも横回転の方が命中率が上がるという事に気が付いた。銃口にライフリングを施せば回転するのではないかという事に気付いて製作に当たったのが去年だったかな。それでも満足できなくて、回転効率を上げるためにねじと同じことを思いついた。」
「だから弾丸の下部に螺旋が刻んであるのね。」
フランソワが感心しながらそう言った。二連装銃の実物はこの場には無いが、設計図には丁度ねじを締めるような寸法で銃口にも、弾丸にも螺旋が刻まれている。
「ライフル銃か。」
詩音は思わず感心しながらそう言った。世界史に於いてはライフル銃は1849年にフランス人であるミニエーが開発したとされている。発想は今のアルフォンスとほぼ同一、ミニエーが野球を元に考えたのかどうかは分からないが、着地として弾丸を回転させることで命中率を高めようとしたことには変わりがない。蛇足ながら付け加えると、銃口にライフリングを施した銃と言うことでライフル銃という言葉が生まれたとされている。
「ライフル銃。そうだね、良い名前だね。」
今度はアルフォンスが感心したようにそう言った。余計な事を言ったかも知れない。
「これだけでも凄い発明だわ。私よりも凄い人は沢山いるのね。」
大きな溜息を洩らしながら、フランソワがそう言った。
「趣味が高じただけだよ。どうやって魔術師に勝てるかばっかりを考えていたから。」
「何か嫌なことでもあったの?」
「バーンズ商会は商業組織としてはアリアでも相当の地位にあるけれど、それが正当に評価されているのは我が国くらいなものさ。親父に連れられて色々な国に言ったけれど、ヤーヴェ教の国は商人を卑しい人間と見下す傾向がある。特に聖導術を扱う僧侶連中の差別と言ったら。シルバ教国は特に、聖導術を扱えない者は人に非ず、という風潮があるからね。」
「聖導術?」
初めて聞く言葉に、詩音は首を傾げながら訊ねた。
「知らないのかい、シオン。簡単に言うと僧侶が使う魔術のことだよ。厳密に言うと魔術とは系統が違うらしいけれど、僕には分からない。神の力を現世に根源させる術、というのが彼らの言い分だよ。」
そこでアルフォンスは、乾いた喉を潤す様にコーヒーに口を付けた。
「とにかく、そこで何かと罵倒されることがあってね。何とかして奴らを見返してやろうと研究を始めたんだ。誰もが扱えて、それでいて発展の可能性があるもの。銃器以外に存在しないだろう。」
「その発想で、連装銃を思いついたのかしら?」
「そうさ。正確には、一番初めに思いついたのが連装銃だった。だけれどどれだけ射撃をしても命中率が悪い。最初は構えが悪いのかとか、二連装にすると命中率が悪くなるのかとか自問したけれど、猟師に聞いても、顔なじみの兵士に聞いても命中率の悪さはマスケット銃特有の欠点だと言う答えが返ってきた。ライフリングの研究を始めたのはそれからだよ。」
「それでこの命中率が生まれたのね。」
それこそ、執念と言ってもいいだろう。余程の嫌な思いをしたに違いない。
「だけど、本当に魔術師に勝つには二発でも心もとない。何かいいアイディアがあればいいのだけれど。」
そこでアルフォンスは小さな溜息を漏らした。その言葉にフランソワも口元に手を当てて考え込んでしまう。
「リボルバーにすればいいんじゃないか。」
何となく、詩音は二人に向かってそう言った。
「リボルバー?」
不思議そうな視線で、アルフォンスがそう言った。この時代に回転式銃は余りにもオーバーテクノロジーだろうか。
「先込式から後込式に変えて、弾倉を円形にしなければ駄目だけれど。」
「後込式?」
続けて、フランソワが興味を持った様子でそう言った。
「何と言えばいいのかな。弾丸と火薬を一つの包みにする必要があるのだけれど。」
「つまり、何かで弾と火薬を包んで、一つの物体にしてしまうと。成程、それなら弾込めに時間がかからないね。」
納得するように、アルフォンスがそう言った。
「それで、弾倉ってどういうものなの?」
せがむようにフランソワが訊ねた。二人とも優秀な科学者であることは認める。だから少し落ち着いて欲しい。
「絵で描いたほうが。」
詩音が止む無くそう言うと、アルフォンスがデッサン紙と鉛筆を詩音に手渡した。その紙に、思い浮かぶ限りにリボルバー銃の外観図を描きくわえていく。
「シオン、ごめんなさい、その・・。」
描き上がったイラストを見ながら、フランソワが申し訳なさそうに口ごもった。
「・・絵の勉強、した方がよさそうだね。」
フランソワの言葉を代弁するように、アルフォンスがそう言った。
「・・すまん。これが限界だ。」
「とりあえず、このレンコンみたいなものが弾倉ということかしら?」
見づらい絵に顔をしかめながら、フランソワがそう言った。
「これは空洞になっているのか。成程、ここに弾を込めると。」
続けて、アルフォンスがそう言った。
「凄いな、この発想は。シオンは天才じゃないか?」
暫くイラストとにらめっこをした後で、アルフォンスが感激を表す様にそう言った。実際に見てきたとはとても言えずに、詩音はただ誤魔化す様に苦笑した。
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第十四話です。宜しくお願いします。
黒髪の勇者 第一編第一話
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