こんな春の日
「――――あっ、目標が動き始めました!行きますよ、北郷さん!」
「おー」
張り切る連れに急き立てられ、俺は物陰から身を乗り出す。
「――――また靴の店ですか。なんというか、彼も飽きませんね」
「それ以外に話題が出せないからな」
目標の2人が入った店の、通りに面したウィンドウを見ながら、彼女は溜息を吐く。
「さて、どうせまた30分くらいは出てこないだろ。ちょうど向かいにカフェもある事だし、俺達も少し休むか」
「そうですね。窓際の席が空いていますし、通りも1本道です。見失う事はないでしょう」
尾行を始めてから1時間半は経過している。そろそろ腹が減ってきた。
「2人ですが、窓際の席、いいですか?」
「はい、どうぞー」
とりあえず、回想に入ろうか。
※※※
時は、10日ほど遡る。
「――――んでな?なーんか、カップルっぽくならんくて」
呑み屋にて話すは、同じバイト先の友人。
「だから貴方はダメダメなのです。向こうは待ってるはずですよ」
その相談にダメ出しをするのは、同じくバイトの同僚の女性。
「お前は靴の話しか出来ないからなぁ。そりゃ向こうも飽きるだろ」
内心メンドクサイと思いながらもアドバイス的な言葉を送るのは、俺。
「どうしたらえぇんやろ……なんか、こうしたらえぇ、っていうアドバイスとかないん?」
「そうは言いますが、実際に雰囲気を見てみなければ、アドバイスのしようもありませんよ」
「いっその事、俺達で尾行でもするか?」
冗談交じりにの言葉に、彼女が反応する。
「あっ、それいいですね!そうしましょう!」
「え、マジで言うてんの!?」
そりゃ、コイツだって嫌だろう。
「ちなみに、次のデートはいつなんだ?」
「来週の日曜やな。13時から」
「あ、私その日空いてます」
「俺も空いてるな」
「決まりですね。後ろから見ながら、その都度メールでアドバイスを送ります」
「……マジでついてくる気なん?」
そうは言っても、本当はちょっと嬉しいんだろ?
「まぁな」
そういう事となった。
※※※
「――――それにしても、彼はダメダメですね」
運ばれてきた紅茶をストローで飲みながら、向かいの彼女は溜息を吐く。
「恋人っていうより、友達の雰囲気だよな。しかもそこ止まりの」
同意し、俺もコーヒーを口に含む。
「というか、かれこれ2時間は休んでませんよ?彼女さんも疲れているでしょうに」
「まぁ、買い物好きならこのくらいは歩くんじゃないか?疲れたら流石に言うだろ」
「ですが、渋谷から原宿まで歩いてきて、さらに買い物です。しかも買ってませんし」
「見るだけで楽しいんだろうさ」
それにしても、腹が減った。
「何度も手を繋ぐタイミングはあったのに、まったく動きませんし……本当にヘタレですね」
「立ち位置がなー。間に彼女さんの鞄があるし」
「暗に拒否られてるのでしょうか」
「可能性は大だな」
「ほんと、ヘタレですね」
「まったくだ」
そんな休憩時間。
都合3度見失い、4度目の邂逅。今度こそ逃さないようにと後をつける。
「あっ、公園に入りましたよ!」
「まさか、ここで何かするつもりか?」
友人とその彼女は、公園へと入っていく。すでに陽も暮れ、あたりは街灯の灯りしかない。
「ベンチに座ったな」
「私達も、座りましょう。あそこなら、向こうからは見えません」
俺達は、2人に気取られないように彼らの死角のベンチに座る。
「……動きませんね」
「動かないな」
小声で言葉を交わす。ターゲットは動かない。いや、ベンチの後ろに回した腕が、そわそわと落ち着きがない。
「うっわ……ヘタレだな」
「絶対彼女さん気づいてますよ。優しい人ですね」
なかなかに辛辣だ。
「気づいた場合、どういう事考えるんだ?」
「さぁ。私は経験がないのでよくわかりませんが」
「……」
ひでぇ。
「なんですか?」
「いや、経験がないのに色々偉そうな事言ってるなー、と……」
「一般論として話をしているだけです。そういう北郷さんこそ、恋愛経験は?」
「いや、俺もないけどさ……」
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
「そう、ですか……」
視線は標的の2人に注ぎながら、隣に立つ彼女がぼそりと呟く。
「まぁ、な……」
俺も、視線を同じ方向に向けながら返す。
「……」
「……」
2人は動かない。話はしているようだが、その内容など聞こえる筈もない。
「…………あの」
「……なんだ」
まったく進展のないカップルを見つめながら、ふと隣から声が聞こえた。
「……っ」
「……」
隣の彼女が体勢を直そうと動く。わずかに手が触れ合い、彼女はビクリと肩を震わせた。
「……あの」
「…………あぁ」
言葉と共に、空気が流れた。視線を感じる。振り向けば、眼鏡の奥の瞳と視線が交わった。
「経験……して、みます?」
「……何の」
たぶん、彼女の言わんとするところを俺は理解している。だが問わずにいられないのは、俺の経験が故か。
「…………恋愛の、経験です」
瞳を逸らさないまま、彼女は核心に触れる。心無しか、その瞳は熱っぽい。
「………………して、みるか」
その視線から、俺は眼を逸らせない。
「……」
「……」
出る言葉はなかった。互いに引かれるように顔を近づけていく。そして。
「……名前で、呼んでください」
「あぁ……キス、するぞ…………稟」
「えぇ…一刀さんと、したいです……」
当初の目的など、とっくに頭から消え去っていた。ただ、唇に触れる熱と、重ね合わせた震える手だけが、俺の感覚を支配していた。
「――――これ、なに?」
「妄想です」
呆れたような青年の問いに、理知的な雰囲気の女性は毅然と答える。
「そりゃ分かってるけど……なんでまた、こんな展開なんだ?」
「それはほら、アレですよ。上の世界の人が経験した事をもとに、ここまで発展させただけです」
「何やってんだか……」
高次元の発言をかます相方に、彼は顔に手をやる。
「まぁよいではないですか。読者もこういった話を求めている事ですし」
「それは分かるんだけどさぁ」
益体もない会話。春の連休のとある昼下がり。2人が向かい合って座るテーブルの上には、漆黒の液体と氷の揺れるグラス。数か月前と中身は同じだが、温度のみが異なっている。
「で、今日のテーマは?」
青年はグラスを口につけ、問う。
「テーマとは?」
女性もまたコーヒーで喉を潤し、問い返す。
「どうせやるんだろ、妄想ゲーム?」
「おや、ついに一刀さんも妄想ゲームにハマってしまったのですか。喜ばしい限りです」
「うるさい。俺が言い出さなきゃ、稟が言い出すだろうが。上の世界がどうたら言って」
「いきなり電波な事を言わないでください。え?一刀さんって、もしかして数年遅れの厨二病とか?」
「違ぇよ!」
いつもの2人の過ごし方が始まった。
「では、本日のお題を出します」
「どうぞ、教授殿」
雰囲気を教授のそれに変え、稟は眼鏡を指で押し上げて口を開いた。
「そうですね……日本酒の徳利は、何故あのような形をしているのですか?」
「形?」
「はい。何故、あのようなくびれがあるのか、妄想学的に論じてみてください」
「へーい」
教授の問いに、准教授は腕を組み、天井を見上げながら思考する。
そして、いつものように30秒が経過した。
「―――ではお聞きしましょう。何故、徳利にはくびれがあるのですか?」
思考の時間も終わり、稟は再度同じ問いを発した。
「………その質問に答える為には、まず、古代の宗教の話をする必要がある」
「ほぅ?」
「明確な宗教の枠組みが生まれる以前、宗教はもっと生物学的かつ催眠的な要素を孕んでいた」
「『孕んでいた』という表現は、なかなかにやらしいですね」
「黙れ」
水を差された。
「例えば古代ギリシャ。当時の儀式がどのようなものか、稟は知っているか?」
「いえ、詳しくは……」
「彼らは、生殖行為を儀式として用いていた。僧は巫女と交わる事によって己を昂ぶらせ、その絶頂の瞬間に訪れる一瞬の精神の空白に、神の存在を見出していた」
「それは……聞いた事がある気がします」
「他には、音楽なども好例だろう。ひたすらに同じリズムと旋律を刻み続ける事でトランス状態に自ら陥り、その中で、神の存在に近づこうという試みだ」
一旦言葉を切り、一刀はコーヒーを喉に流し込んだ。喉を通る冷たさと舌に残る苦味が、思考を活性化させる。
「では、日本ではどうだったのか。日本にもまた、似たような文化があった。例えば、神道にも巫女という存在がいるだろう。今でこそ神性な場にふさわしい女性職として知られているが、過去においては異なる。日本においても、巫女はその身体で、男たちに神の存在を知らしめていた。
『巫女は実は女の旅人で、路銀を稼ぐ為に男を引っかけ、駆け込み寺は売春宿だった』なんていう一説もあるが、それは曲解にも程がある。前述の巫女の存在意義と、女の旅人の実情を混同した学者が抜かした、ただの俗説だ」
「なかなか深い話ですが、それが徳利とどのように繋がるのでしょうか?」
稟の問いには答えず、一刀は問いで返す。
「行事ごとで飲む酒の事を何と言うか知っているか」
「え…お神酒の事ですか?」
「そう、神の酒だ。それを飲むことにより、人間はどのような状態になる?」
「酔いますね」
「難しい言葉で言ってごらん」
「酩酊、ですか?……って、まさか」
稟の表情に、一刀は頷く。
「想像がついたようだな。その通りだ。神聖なる液体の力により我々は酩酊状態となり、その混濁した意識の中で神を感じるのだ。それは性行為の絶頂と同等の意義を持つ」
「ならば、徳利の形というのは……」
「あぁ。あのくびれは、巫女の腰を表している。くびれの下の部分には当然酒が入っている訳だが、女性の
「……」
「つまり、だ。徳利とは、女性の身体を表しているのだ。神を感じる為の酒を蓄えるには、同じく神を感じられるものでなければならない。あの容器には、そういう意味があるのだよ」
すべて語り終えたと、一刀は残りのコーヒーを飲み干した。
「――――どうだ、合格か?」
「えぇ、文句ありません。十分に納得いたしました」
一刀の問いに、稟は笑顔で頷く。その鼻から赤い筋が流れ落ちている。
「…………どうした?」
「そういった話をするということは、一刀さんも私の身体で神を感じたいという願望の顕れととってよろしいのでしょうか」
「出来るもんならな」
「ぷはっ!?」
ぐだぐだのまま終わる。
あとがき
という訳で、今日2本目でした。
日付は変わってるけど。
前半は、半分くらい事実。
妄想学楽しいです。
ではまた次回。
バイバイ。
Tweet |
|
|
52
|
3
|
追加するフォルダを選択
というわけで、投稿。
妄想学をそろそろ開きたいと思うんだ。
どぞ。