日も沈みかけた、ある日の夕暮れ。一人の男がふらふらと街の酒場に入りました。
不思議な酒場で、酒場だというのに大通りから外れた寂しい所にぽつんと立っている古びた酒場でした。
男が中に入ると、古びた酒場の割には中々繁盛しているようで、様々な老若男女が飲み食いをしていました。テーブルの席では、まだ若そうな男が、杯を持ったままコックリとうたた寝をし、その向かいでは、顔色の悪そうな男が、酒そっちのけで黒い手帳を見つめていました。奥のカウンター席では、顔のよく似た女が二人座っていて、一人が酔ってくすくす笑うのを、もう一人が迷惑そうに見ていました。
「いらっしゃい」
カウンターの中から店主が、男に声を掛けました。
男は店主を見て少し顔を顰めました。店主は腰の曲がった、ひどく歳とった、お世辞にも見てくれが良いとは言えない程醜い老人だったからです。
「いらっしゃいませ」
後ろから女給が、男に声を掛けました。
男は女給を見てとても驚きました。女給はぴんと背筋の張ったうら若い、にこにこと眩しい笑顔を振り撒く美しい娘だったからです。
一目見ただけで男は女給に心を奪われました。それに彼女を見ていると何故かは分かりませんが、とても懐かしい気分になります。確かに初めて会ったのですが、昔からの旧知のような、そんな気がしてなりませんでした。
男は女給に声を掛けました。
「今晩は、美しいお嬢さん」
すると声を掛けられ女給は、急に驚いた様に働いていた手を止めて男に尋ねました。
「旦那、あたしが美しく見えるのかい」
「とても美しい娘さんに見えるよ」
男が答えると、女給は益々驚いた様に目をぱちぱち瞬かせました。そして何やら考え込んだ後、もう一度男に尋ねました。
「旦那、店主はどんな風に見えるんだい」
「とても醜い老人に見えるよ」
男が答えると、女給は漸く合点がいった様な顔をしました。そして、また男に尋ねました。
「旦那、あんた随分疲れてるだろ。何もかもうまくいかなくて疲れてるだろ」
今度は男が驚く番でした。何故なら女給が言った通りだったからです。
「どうして分かるのかね」
「あたしを美しいって言う奴は大抵そうなのさ」
女給は笑うと、男に優しく語りかけました。
「旦那、あたしの顔に見覚えは無いかい、誰かに似ているはずだよ」
言われて男は、女給の顔が幼い頃よく遊んだ女の子の顔にそっくりだと気がつきました。
「子供の時分の幼馴染の顔だ。よく花輪を作ってやったっけ」
「そう、旦那は手が器用だったね。その年の一番綺麗な花を摘んで花輪にしてくれたね」
男は遠い昔を思い返しました。野山を掛け回った事、高い木々に登った事、何の苦労も無く遊んでいたあの日々。それが何だか無性に恋しくて仕方ありません。
「さあ、旦那。めそめそすんのはそこまでだよ」
女給は椅子から男を立たせて、ぽんっと肩を叩きました。
「もう旦那は行かないと。あんたなら大丈夫だよ、先だって悪い事ばかりじゃないしさ。あんまり嘆かないでね、あすこの顔色の悪い奴がこっちに来ちまうよ」
男をそう言って励ますと、女給は男を入口まで見送ってやりました。
男は女給に礼を言いって、それから彼女に名前を尋ねました。
女給は少し考えて「思い出」と答えました。
それからしばらく経って、男はもう一度この酒場を訪れました。
「いらっしゃい。おや、あなたか」
カウンターの中から、すらりとした身丈の美しい青年が男に声を掛けました。
何方かと、男が尋ねると青年は笑って「店主ですよ」と答えました。
「名前は未来と申します。もう私は醜く見えない様ですね、なら安心だ。彼女も喜ぶでしょう、呼びましょうか」
男が是非頼む、言うと店主は女給を呼びに行こうとしました。
「でもね旦那、もしかしたら前ほど彼女が美しく見えないかもしれませんよ。彼女の本当の名前はね、過去って言うんです」
呼ばれてやってきた女給が、男に今度はどう見えたのでしょうか。それは多分これを読んでいるあなたの気分次第ですよ。
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創作童話。何気に今までの神様総出演。
書いたのは去年くらい、これ書いた時ちょっと疲れた気分でした。