No.417807

お題:ペン回し

くいくさん

某所にて晒した習作の加筆修正版その6
普段と違うことをやろうとした

2012-05-03 22:16:12 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:486   閲覧ユーザー数:486

 

 少女の指から、ぽろりとペンが零れ落ちた。

 ころころ、と小気味のいい音を響かせて、ペンは机の上を転がる。筆入れの脇を通り過ぎ、『感想文の書き方』と銘打たれた有難いプリントを横目に通り過ぎ、一マスも埋まっていない原稿用紙の上を通り過ぎ、真新しい単行本の背中に当たって動きを止めた。

 その本の表紙には、『かもめのジョナサン』とある。

 間違いなく名作だと少女は思う。思うが、原稿用紙を五枚も使って感想を書けと言われても困るし、感じたことを無理矢理文章にすること自体、何か違う気がした。どうせただの課題なのだから適当にやってしまえ、と言われればそれまでなのだが、間違いなく名作であるのだから、適当なことをするのもやっぱり違う気がする。なんてことを考えていたら、放課後になっていた。

 ――どこか遠くから、童謡のメロディが聞こえた。続いて、録音された女の子の声が言う。『暗くなる前に帰れ。車には気をつけろ。不審者にはもっと気をつけろ。帰ったら風呂に入ってさっさと寝ろ』

 余計なお世話である。少女はため息をひとつ。

 最後まで付き合ってくる筈の友達は、陽が傾いても帰れないと悟ったのか、あっと言う間に前言撤回して、全員さっさと帰ってしまった。薄情な奴らだと思う。

 ペンを拾って、くるりと回す。窓際の席で風に当たれば、ちょっとはマシなことも思いつくかもしれない。少女は息をついて、椅子から尻を上げた。

 適当な席に『かもめのジョナサン』とペラペラな原稿用紙を放り投げて、カーテンを大きく開け放つ。夏の湿った空気と一緒に、古い校舎の錆びた匂いが教室に入ってきた。

 夕焼けの朱色に照らされる校庭では、野球部員が大声を張り上げながら紅白戦でしのぎを削っている。マウンドに立っていたのは、我がクラスが排出した期待の新人エースこと高橋博則君だ。彼は、その巨漢から放たれる殺人的な爽やかさによって男子女子、先輩後輩、生徒教師に関わらず一定の距離を置かれている筋金入りの野球少年である。

 高橋君が大きく振りかぶり、オーバースローから剛速球を投げようとしたであろう――その瞬間。

 突然、マウンドに大きな影が落ちた。ボールがあらぬ方向に飛んで行くのが見える。キャッチャーが慌ててボールを追うと、三塁から走って来た上級生がホームベースを悠々と踏んだ。

 高橋君は膝から崩れ落ち、呆然と空を見上げる。

 彼の視線を追うと、そこにあったのは銀色のボディを斜陽に照らす円盤型のUFOだった。

 今日はやけに多い気がする。もう未確認でも何でもないのだから『Unidentified』の単語は使うべきじゃないのだろうけれども、一九四七年から半世紀以上続いた刷り込みは、三ヶ月やそこらで簡単に消えるものでもないだろう。

『宇宙人の ふわふわ浮かぶ お家』の略称にするのはどうだろう、と高橋君が冗談交じりに言ったことがあった。これはちょっと凄い案だと少女は思う。何が凄いって、苦笑いをする以外に返事の仕方がまったく思いつかない。

 円盤に目をやりながら、少女は指の間に挟んだペンを、手持ち無沙汰にくるりと回す。

 すると突然、宇宙人のふわふわ浮かぶお家がピクリと揺れた。

 はて、と思ったその瞬間、UFOは急激に高度を下げ、そして次の瞬間に猛烈な速度でこちらに突進し、そのまた次の瞬間には重力だとか慣性だとか、その手の面白みの欠片もないものを完全に無視して、校舎の数センチ前でピタリと止まった。

 UFOの継ぎ目ひとつないボディに線が走ると、次の瞬間には、魔法のように『出口』が出現する。そして、奥の見えないその通路から身を乗り出したのは当然のごとく、宇宙人から来た宇宙人である。

 宇宙人は窓の縁をつかむと、ひょい、と身を乗り出して、机の上に着地する。土足なのかどうかは良く分からないので何とも言えない。

 彼はフランクに片手を上げて「やぁ」と言った。

 しばしの間、沈黙が流れる。

「あんまり驚いてないねぇ」

「はぁ」

 宇宙人は流暢な日本語を使いつつ、肩をすくめる。その動作はあまりにも自然だ。

 ただし、彼らの皮膚には一本の毛もなくて、目はアーモンドの形をしていて、後頭部は無駄にでかい癖に背はやたら低いものだから、自然な方が不自然であるからして、当然奇妙な違和感は拭えなかった。

 それを顔には微塵も出さない――つもりで、彼女は笑顔を作った。

「流石に、慣れましたよ」

 

 

 全人類は、ヒル夫妻のお墓に向かって土下座しなければならない。

 つい三ヶ月前に、アメリカの大統領とツーショットで現れた宇宙人は、中継カメラで繋がった全世界の大混乱をよそに、地球への移住と技術交換、異星間友好条約の締結を英語で宣言した。一九四七年の六月二十四日から、彼らは本当に地球に来ていて、エリア51は本当に宇宙人の秘密基地で、一部のステルス機は本当にマンメイドのUFOだったのだ。

 “これからは一国家の影に潜むことを良しとはしない。地球人類と対等な友人として認めて欲しい”

 宇宙人の代表がそう言った二時間後には、世界中のあらゆる都市に宇宙人が降り立っていた。

 彼らはそれぞれ現地の公用語で、親和と隣人愛と住み分けの大切さを説き、種族単位の危機でもない限り、自分たちは一切の敵意を地球人類に向けないことを約束した。どの国でも遺憾なく言外に示されたのは、グレイ・タイプの高い知能だ。

 そして当然、それは日本だって例外ではなかったのである。

 もちろん、放課後の教室に単身で乗り込んだ奴の話なんて聞いたことはないけれども。

 

 机から脚を下ろした宇宙人は、いかにも申し訳なさそうに、つるつるした頭を撫でながら口を開いた。

「先生方には話をつけてあるから心配しなくてもいい。で、さっそく本題なんだけれどもさ。……突然、こんなことを言われても困るだろうし、本当に申し訳ないのだがね、君の、その、『ペン回し』って奴をだ。出来る限り止めて貰えないだろうか」

「はぁ」

 ペン回し。彼女は自分の指に目を落とす。 

 状況がいまいち飲み込めないものだから、無意識にペンをくるりと回してしまった。

 すると、宇宙人は頭を抱えて呻いた。

「やめてくれっ。頭が重くなる!」

「すいません。癖で」

 言いながら、少女は宇宙人の顔を、まじまじと見つめる。当然ながら、まったく表情は読み取れない。

 ひょっとするとこれは、宇宙式のジョークなんだろうか。

「それは、今この場に限って、ということですか?」

 後頭部を触りながら、宇宙人は言葉を探すようにゆっくりと答える。

「いいや、これからずっと、だ。妙なことを言ってるのは私だって理解しているんだが……。君のペン回しからは特殊な――振動、と言うか、波動、と言うか、微粒子と言うか。とにかく、そのようなものが発生するんだ。それは――」

「あなた達にとって有害?」

「より具体的に言うと、『僕にとって有害』なんだ」

 宇宙人は、芝居がかったオーバーアクションで頭を振った。

「例えば、君にだって聞いただけで拒否反応が出るほど嫌いな音楽くらいはあるだろう。それがより酷くなったものだと思ってくれ。感覚のアレルギーと言うか……。僕は昨日からこの国に入ったんだが……もう辛くて……」 

 宇宙は広いのだ。グレイ・タイプも銀河を旅する一種族に過ぎず、だから異星の片隅で思わぬ有害物質に遭遇しようとも、それが星の原住民から見て冗談としか思えなくとも何の不思議もない。少女は深く頷く。

「わたしも金持ちの道楽バンドは嫌いです。そのようなものですね」

「それはまた別の話なんじゃないか……いや別にいいけど」

 戸惑ったような仕草もしつつも、「分かってくれればいいんだ」と宇宙人は呟いた。

 それにしても、自分はちょっとばかり珍しい経験をしているんじゃないだろうか、と少女は思う。

 今どきUFOを見たって何の自慢もできないけれど、グレイ・タイプをごくごく平和的な手段で困らせた人間となると、世界中でも数えるほどしかいないだろう。

 ふと、窓の外に目をやる。ホバリングするUFOからは、反重力装置とやらの駆動音や、排風の類は肌にも感じない。宇宙人の技術力の高さは多くの地球人がとっっくに知っていることだけど、やっぱり、驚くべきことだとも思う。少女の心の中で、知的好奇心が首をもたげた。

「それで、粒子って言うのは、具体的には」

「それは言えないんだ。ルールなんだよ」

 即答である。少女が顔を顰めると、またまたオーバークションで宇宙人は腕を振る。

 彼らの感情表現は大仰で、どこか映画のようだった。自分も異星の文化に無理矢理適応しようとすると、相手にはそう見えてしまうのかもしれない。

「だって考えてもみたまえよ。我々がのん気な顔して表舞台に出ちまった所為で、文化のジャンルが一個死んだんだ。それは本意じゃない。我々はこれ以上、地球の精神的な土壌を踏み荒らしたりしないよ。物理的な土地をちょっと貸して貰うだけさ」

「はぁ」

 ペンをくるりと回す。 

「……だからそれ止めろって」

「すいません。癖で」

 ふわりとした風がカーテンを揺らした。気づけば野球部員は校庭から引き上げていて、東の空が暗くなり始めている。少女は指の中のペンを見た。

 別に、やめるのは構わないけれども。

「しかし、なるほど。種族全体の害と言うわけでもなく、あなた個人の問題なわけで、そしてわたしたちは対等な友人になれるのですね」

 宇宙人はピタリと動きを止める。

「もしかして君は、僕を脅すつもりなのか」

「いやぁまさかそんな、恐れ多い」

 地球にはその昔、『Win―Win』という、インテリぶった奴が使うビジネス用語のようなものがあったらしい。意味は『損をしたくなければ俺に合わせろ』だ。あっと言う間に死んだ言葉であるけれども、宇宙ではどうだろう。

 少女は笑って言った。

「ところで、『かもめのジョナサン』と言う名著はご存知でしょうか」

 

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                 ***************************

 

 駐輪場は昇降口の真裏にある。

 だから登下校のたびに、校舎一往復分の距離を進む必要がある訳で、無駄手間というのはこういう事を指して言うのだと少女は思う。

 コンクリートに少女の靴音が響く。暗い空を見上げると、はやくも星々が輝き始めていた。あの中のどれかがグレイ・タイプの生まれ育った惑星なのかもしれないが、人類にそれを確かめる術はない。

 彼らは自分たちの母星の座標を頑なに語ろうとしないのだ。そこにあるのは、いずれ人類が宇宙へと飛び立つことを踏まえた打算か。それとも、もっと単純に、一種の宗教めいた拒否反応か。

 あるいは、地球人には到底理解できないような深い思慮を、宇宙人は持っているのかもしれない。

 いずれにせよ、ゼータ・レティクルですら光年の彼方にある。地球人の腕がグレイ・タイプの惑星に届くことがあるとしても、それは遥か未来の話だろう。

 それよりも、手の届く幸せの話である。少女は頬を緩めた。

 文化がどうのと語るだけあって、宇宙人の読書暦はそれなりのものであったようだ。あっと言う間に文字で埋まった原稿用紙を現国担当の独身教師三十八歳に渡すと、彼は何か言いたげにアゴ鬚を撫でながらも、黙ってそれを受け取った。

 まぁ気にすることではない。過程よりも結果が大事な場合だってあるのだ。正義とはいつだって多面的なものなのである。

 それを窓の外から見届けたUFOは感謝を表しているつもりなのか、何度も宙返りをしながら空の彼方へ消えて行った。職員室に何とも表現しがたい沈黙が流れたことを追記しておく。

 ともかく。そんなこんなで少女はめでたく『かもめのジョナサン』から解放されたのだ。

 ポケットから自転車の鍵を取り出して、沖縄土産のシーサーキーホルダーをくるくると振り回す。愛車をチェーンから解き放ち、ラックから引きずり出してサドルに跨る。

 すると、星の光を遮って、宇宙人のふわふわと浮くお家が彼女の頭上に現れた。

 継ぎ目のないボディに線が走る。開いた出入り口、その奥の見えない暗闇から、一本の毛もない皮膚と、アーモンドの眼と、でかい頭がひょい、と身を乗り出した。

「……やぁ」

 地上約二メートルの頭上から、バツが悪そうな声音が降って来る。

「また会ったね。……あぁ、実はだ。こんなことは今までに例がないんだが……。君のキーホルダーを回す行為からは、その、何というか、特殊な――」

「はぁ」

 見上げる少女には、例のごとくグレイ・タイプの表情を読み取れない。キーホルダーをくるくると回す。

 すると、夜の駐輪場にヒステリックな声が響いた。

「だから止めてくれと言っているんだ!」

「すいません。癖で」

 少女はキーホルダーを握り締めて、心からの笑顔を作る。

 宇宙人は親和と隣人愛の心を持った話のわかる奴で、個人の問題で敵意を示すことはない、平和を重んじる奴なのだ。だからこれは、異星間交友なのである。何も遠慮することはない。

「感想文は素敵でした。……できるなら、あなたとじっくり小説のお話をしてみたいです」

「あ、ああ。そうか。僕もそういう会話は嫌いじゃない」

「できればUFOの中で」

「ああ……そうか……」

 はは、とグレイ・タイプの宇宙人は乾いた笑い声を上げる。

 きっと、彼とは良い友人になれるだろう。

 

 
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