「パンドラと申します。今日から私はエピメテウス様のものです。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
エロくて、かわいくて、美しいその娘は、小さな壺を抱えながら、エピメテウスの家に訪れた。まるでラブコメマンガかアニメのような、現実にはあり得ないような展開だった。
いつも行動し失敗した後で「ああしていれば良かった」とクヨクヨ後悔する、愚昧な神エピメテウスでも、さすがにおかしいと気づいてパンドラを警戒する。
「君は何者だ。女神……じゃないのか? 妖精でもなさそうだし…」
エピメテウスが問うと、パンドラは微笑みながら、小倉唯のようなとんでもなくかわいらしい声で答えた。
「はい。私は泥から作られたそうですから、女神様のような特別な力はありません」
「どういうことだ?」
「私はゼウス様からの、あなた様への贈り物です。ゼウス様は『地上は男ばかりで味気ない』とおっしゃいまして、オリュンポス12神の一柱、鍛冶の神ヘパイストス様に私を作らせたのだそうです。」
「女神でも妖精でもないとすると……君は世界初の人間の娘なのか? ……ちょっと、触ってもいい?」
「えっ! ……は、はい。優しく……してください」
パンドラはモジモジしながら顔を赤らめ、目をつぶった。エピメテウスは恐る恐るパンドラの頬に触れてみる。彼女の肌はマシュマロのように柔らかく、そして暖かかった。
エピメテウスは驚愕する。なんという…、なんという造形美だ。美しさと可愛らしさが同居している。そういえば、ヘパイストスの嫁は美の女神アプロディテだった。ビッチな性格はともかく、見た目の美しさは女神一だといわれている。つまり自分のリアル嫁をモデルにしつつ、自分の美意識に叶ったアレンジを施して作り上げたということか…。パねぇ! パねぇよヘパイストス師匠! あんたマジ造型の神だよ! 名の語源は『炉』『燃やす』を意味するギリシア語に由来するらしいけど、本当は『炉里』『萌やす』じゃないのか?
「君は女神のような姿をしているのに、女神のような力はない。ということはもしかして…」
押し倒しても抵抗できない………?
けしからん妄想が脳裏を横切り、エピメテウスは自己嫌悪に陥る。バカバカ! 俺のバカ! こんな事だから女神や妖精の娘の誰からも相手にされないんだろ!
たしかにエピメテウスには、女神や妖精との浮ついた話はない。しかしそれは、けしからん妄想をしてしまうからではなく、愚昧な神…すなわちダメダメな神様だったせいだと思われる。ぶっちゃけるとギリシア神話には、女性が男性神(主にゼウス)に手込めにされるエピソードなんて山のようにあるわけで、けしからん行動に走らない(走れない)のは、結局のところ、エピメテウス自身の意思なのだ。それを根性無しとするか、心優しいお人好しとするかは人それぞれの解釈によるが。
自分を取り戻したエピメテウスは質問を続ける。
「えっと…ということは、君は何も出来ないダメダメな子なのか?」
だとしたら俺と同じだな…とエピメテウスは思った。
「あ、あの、たしかに女神のような力はありませんけど、オリュンポスの神様から色々な才能をいただきました。例えば、アテナ様からは機織りの技をいただきました」
「へぇ。それはすごいね。服が作れるのか。他には?」
「アプロディテ様からは殿方を悩ますお色気を注がれました」
「……ああ、うん、なるほど。そうね。わかるよ。すごくわかる。パンドラはエロかわいいもんな」
「それとヘルメス様からは、犬のように恥知らずで狡猾な心をいただきました」
「………………はい?」
「もう少し具体的に言いますと、邪心や不実さや嘘です。ヘルメス様によりますと茶目っ気とも言うそうです」
「………」
「エピメテウス様? いかがなさいました?」
「出ていけ…」
「え? あの…」
「出て行ってくれ! そしてゼウスの元へ帰れ!」
エピメテウスはパンドラの腕を掴み、強引に家の外へと連れ出すと、扉を閉めて鍵をかけた。なるほど、たしかにパンドラは女神ではなかった。必死に抵抗する彼女はあまりにもか弱く、神の力を使うまでもなく連れ出せたのだから。
追い出されたエルピスは、ドアを叩き、必死に訴える。
「お願いです、入れてください、エピメテウス様。わたしは、あなた様のものです! ゼウス様の元へなんて戻れません!」
エピメテウスは耳をふさぎながら叫ぶ。
「うるさい! うるさい! うるさい! 童貞だからってバカにしやがって! 俺はゼウスの罠なんかに屈しないぞ!」
「ゼウスはお前に美しい娘をよこす。だが気をつけろ。その娘は罠だ。ハニートラップだ。お前は童貞で女に慣れていないからコロッと騙されてしまうかもしれないが、どんなにかわいらしくても人類にもたらす災厄そのものなんだよ。だから絶対に受け入れるんじゃねーぞ」
エピメテウスは先見の明を持つ兄、英邁な神プロメテウスから、前もってそのように警告されていた。しかしゼウスと敵対したことすらないエピメテウスが、何故罠にかけられることとなったのか。
事の発端は、兄プロメテウスがゼウスの意思に逆らい、人類に火をもたらしたことだった。怒ったゼウスは罰として、プロメテウスをカウカソス山の山頂に張り付けにすると、生きながらにして毎日内蔵をハゲタカについばまれるという責め苦を与えた。
一方でゼウスは、人類が火を手にしたことで神々より強くなる事を恐れ、人類に災厄をもたらすことにした。しかし、オリュンポスの神々が自ら手を汚すのは面白くない。そこで目を付けたのがプロメテウスの弟、愚昧な神エピメテウスだった。エピメテウスに決して拒めない贈り物をして、人類に災厄をもたらすか否かの決定権を与えることで、全ての責任をなすりつける算段だった。プロメテウスに更なる精神的ダメージを与えることが出来、一石二鳥でもあった。パンドラはまぎれもなくゼウスの罠だったのだ。
「お願いです。お願いです。何でもいたします。ですから、私をあなた様のお側においてください」
パンドラは泣きながら、か弱い力でドアを叩き、エピメテウスに必死に必死に訴えた。だけど騙されてはいけない。全てはゼウスの仕掛けた罠なのだ。エピメテウスはドアに向かって叫ぶ。
「プロメテウスが言っていたよ。お前は人類に災厄をもたらす者だって。それにヘルメスから邪心や不実さや嘘を与えられた、恥知らずな女なんだろう? そんなお前の言葉の、一体何を信じればいいって言うんだよ!」
不意に叩く音が消えた。すすり泣く声だけがしばらく続き、そして…
「ごめんなさい……。私、エピメテウス様に嘘をついていました……。ごめんなさい……。本当にごめんなさい……」
その言葉を最後に、ドアは静かになった。パンドラは諦めて去ってくれたようだ。よかった。これで人類は救われる。これでいい。これでいいんだ。
程なくして雨音が聞こえてきた。自然の雨なのか、天上の神が天候を操ったのかは判らない。だがこれもゼウスの罠だろう。ずぶ濡れになったパンドラを見れば、哀れんで向かえ入れると踏んでいるのだ。ふん。そんな罠に引っかかるものか。
やがて雨は止んだが、今度は日が暮れてきた。まだ春先で夜は冷える。ずぶ濡れなら尚のことだ。…なに、大丈夫だろう。雨宿りくらいしているさ。だいぶ時間も経ったし、今頃はゼウスかその使者が迎えに来ているだろうよ。
空は真っ暗になり、窓から月が見えてきた頃、ひとりで寂しい夕食を取っていると、オオカミの遠吠えが聞こえてきた。何か獲物を狙っているようだ。すると今度は、あまり遠くではないところから遠吠えがした。嫌な予感がする。狙われているのはパンドラではないのか? そんなまさか…ゼウスがパンドラを見殺しにするなんて……。
そのときエピメテウスは、とんでもない考え違いをしていることに気がついた。パンドラは女神じゃない。オリュンポスの神々からしてみれば、エピメテウスを罠にかけるという任務のためだけに作られた、ただの泥人形だ。しかも任務に失敗した役立たずだ。狼に襲われて『壊された』からといって、良心がかけらほども痛むはずがない。パンドラを救おうと考えるものなど誰もいないのだ。エピメテウス以外には……
後のことなど考えていられなかった。エピメテウスはたいまつに火を付けると、夜の闇に飛び出した。
エピメテウスは感覚を研ぎ澄まし、神としての力をフル回転させてパンドラを捜す。やはり狼の群れが狙っていたのはパンドラだった。彼女は雨が降る間ずっと歩いていたのか、ずぶ濡れで狼の遠吠えに怯えていたが、走る元気もないようだった。エピメテウスはパンドラの目前に瞬間移動すると、たいまつを振り回し、なんとか狼たちを追い払った。
エピメテウスは衰弱していたパンドラを家へと連れ帰ると、自分の寝間着に着替えさせ、ベッドに寝かせてやる。幸い大したケガはしていなかった。泣きすぎて目を腫らしているのと、ドアを叩きすぎて手の皮が向けていたくらいだろうか。
ベッドで無防備に眠るパンドラは……何というか、とても魅力的だったので、エピメテウスは理性を保てているうちに寝室から移動した。居間の暖炉でパンドラの服を乾かしながらエピメテウスは考える。
このままパンドラを自分の側においていけば、プロメテウスの予言通り人類に災厄をもたらしてしまう。ゼウスの罠にはまって思惑通りにしてしまうのは、何とも腹立たしい。
しかし追い出せばパンドラは存在意義を失って死んでしまう。人類のためにパンドラを見殺しにすることが、本当に正しいことなのか? いや、そもそも、それが人類のためになるのか? パンドラは世界で初めての人間の女だ。男だけの人類に女が加われば多様性が生まれる。多様性が生まれれば……その先どうなる?
だめだ。判らない。一体どうすればいい? どうすれば……
先見の明をもつ兄プロメテウスと違い、エピメテウスには先のことを予測するなど、到底不可能だった。ならば…。この先に起こることが判らないなら、すでに起きたことを自問してみてはどうだろう?
「エピメテウスよ、狼に襲われそうなパンドラを助けて、クヨクヨしているか? パンドラの代わりに狼に襲われ、痛い思いをしたことを悔やんでいるか?」
「いいや、俺は彼女を救えて喜んでいる。清々しい気持ちだ。むしろ見殺しにしていた方が後悔していただろう。心が清々しいのは、パンドラを救いたい気持ちが、下心とは関係なく働いたからなのだと思う。正しいことをしたと思っているから、心地よいのだ。………そうだ。心地いいんだよ。なんでなのかな」
エピメテウスはダメダメな愚鈍の神だ。古き神々ティターンのひとりでありながら、大した能力も持っていない。原因は他の兄弟に自分の能力を奪われたためではあるが、それを言い訳にして自堕落に生きてきたのは誰のせいでもない。自分自身の責任だ。これじゃあ、ゼウスどころか、新参者の若い神だってエピメテウスを馬鹿にするだろう。
だけど、パンドラの命がヤバイと気づいたとき、ダメダメな自分の中で何かが目覚めたような気がした。何かに突き動かされた気がした。下心では断じてない。恋愛感情ほど高ぶってはいない。心の中でずっと眠り続けてきた、高貴な魂とでも言うべきものが、エピメテウスを怒鳴りつけたのだ。「パンドラを救え」と。
「そうか……判ったぞ。あれは魂を高めるもの……それこそが……」
朝になり、意識を取り戻したパンドラは、自分がどこにいるのかすぐには判らなかった。自分が作られたヘパイストスの工房でもなければ、神々から才能を与えられたオリュンポス宮殿とも違う。ベッドから立ち上がり、男物の寝間着を着ていることに気づいてから、ようやく昨夜のことを思い出した。
「そうだ。私、出て行かなくちゃ……」
寝室のドアを開け、そっと居間を見てみると、エピメテウスはパンドラの服を乾かしながらうたた寝をしていた。パンドラはエピメテウスを起こさないよう、自分の服を回収して着替える。生乾きでちょっと気持ち悪かったが、そんなことは言ってられない。エピメテウスが望まない以上、エルピスはここにいてはいけないのだ。一刻も早く出て行かなければ…。
パンドラが忍び足で玄関にたどり着き、ドアに手を伸ばしたときだった。
「どこへ行くんだ? トイレなら反対のドアだ」
パンドラは慌てて振り返る。
「お、おはようございますっ、エピメテウス様」
「うん。おはよう」
「昨夜は狼から助けていただき、本当にありがとうございました」
「うん。君が無事で何よりだよ。本当に良かった」
「昨日は気が動転していて、狼に狙われているのにもすぐに気がつかなくて……。もうあのようなご迷惑はおかけしません。本当に申し訳ございませんでした。失礼…いたします」
「どこへ行くんだ? オリュンポスに戻れるのか?」
「は? はい。オリュンポスには私の居場所なんてありませんから、どなたの迷惑もかけずに済む場所を捜して、静かに生きていこうと思います」
「パンドラ、君はゼウスが俺に仕組んだ罠そのものだ。そのことを自覚していたかい?」
「いいえ。エピメテウス様におっしゃられるまで、何も知りませんでした。私が知っていたのは、自分が贈り物で、あなた様に愛されるよう一生懸命尽くさなければいけないということだけです。なのに、私自身がエピメテウス様を騙すための罠だったなんて……。本当に申し訳ございませんでした。今すぐ出て行きます」
「待てよパンドラ。ここにいろ」
「…え。……あ、ありがとうございます。お情けをかけてくださるのですね。ですが、お気持ちだけで十分です。やはり私はここにいるわけには…」
「もう、いいんだ。パンドラここにいろ!」
「だって! …だって私は人類に災厄をもたらす罠なんでしょう? エピメテウス様だけでなく、人類の皆さんにまでご迷惑をかけると判っているのに、お側にいられるわけがないじゃないですか!!」
「それは違う! それは違うよパンドラ。お前が人類にもたらすのは災厄なんかじゃない。逆境だ!」
「え? あ、あの、逆境って、苦労の多い不運な境遇のことですけど…災厄とどう違うのですか?」
「逆境とは、人類が高みを目指すために必要な試練だ。そして、人が人として生きるために必要な生き甲斐を与えてくれるものなんだよ! 昨夜の事件で俺自身はっきり理解できた。パンドラ! 君は俺にとっても、人類にとっても必要な存在なんだ! 俺の説明が判りにくいなら、ぜひ島本和彦先生の『逆境ナイン』を読んでくれ! このノベルの筆者も絶賛する必読の書だ!
……そ、そういうわけだから、君はここにいてもいいんだよ。いや、むしろ俺から君に頼みたい。側にいておくれ」
「おっしゃることがよく判りません。判りませんけど……。もしかして…、あの……。その…。私はエピメテウス様の生き甲斐……なのですか?」
「ああ、そうだよ。正にその通りだ。飛躍した解釈だけど本質を突いてる。ゼウスのヤツにとっては俺をはめるための罠だとしても、俺にとって君は罠でも災厄でもない。やっと見つけた生き甲斐なんだよ。だから、何度でも言う。俺の側にいておくれ」
パンドラは思いを上手く言葉に出来ず、再び泣いた。悲しみではなく、嬉しくて嬉しくて流した涙だった。この調子では、しばらく目の腫れがとれそうにないな。
エピメテウスはパンドラを慰めながら天空をにらみつける。
ゼウスめ! 俺様をバカにしやがって! 罠をかけたことを後悔させてやる。何百年先か何千年先か判らないが、人類は災厄を逆境と捉えて乗り越え、発展していくだろう。その様を、オリュンポスから見ているがいい。
パンドラは俺の嫁! 異論は認めない!
おしまい
「そういえばパンドラ。去り際に嘘をついてたって言ってたけど、どんな嘘をついてたのさ?」
「エピメテウス様に嫌われたくなくて、『何でもいたします』って言いましたけど、
後で出来ない事もあるかなって気づきまして……」
「どんなことさ」
「そ、その……。痛いこととか、怖いことはやっぱり…。いえ、なるべく我慢いたします。
ですけど、できれば…その…、優しく…して…ください」
「う、うん」
「……………」
「……………」
「なんちゃって♪」(・ω<)てへぺろ
「えっ!?」∑( ̄ロ ̄|||)
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ダメダメ神様エピメテウスの元に、とびっきりかわいい女の子がやってきた! 名前はパンドラ。何と彼女はゼウスからの贈り物で、世界初の人間の女の子だったのだ! …とまあ、まるでラブコメ少年マンガみたいなギリシャ神話の『パンドラの壺』エピソードを、自己流に解釈してみました。少しはライトノベルっぽく描けたかな?(約7000文字)