No.409403

春日家恋談話

普段、二次作品はあまり書かない方なのですが、たまにはということで、『晴れのちシンデレラ』を題材に書いてみました。春日家使用人がメインの短編です。

2012-04-16 02:46:27 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:376   閲覧ユーザー数:376

 紅い薔薇。新緑の木々。どこからともなく聞こえる春鳥の唄が、手入れの行き届いた庭園に溶けるように流れていた。

 

 一見すれば庭師の手入れが行き届いた名園であることは誰の目にも明らかだというのに、その庭園は個人の屋敷に造られたものであった。

 人に見せびらすためでなく、生きる糧を得るわけでもなく、ただただ生活に華を添えるためだけの庭仕事(ガーデニング)。

 それなのに、花壇と生け垣を彩る花々は絵本に出てきそうなほど鮮やかに春の訪れを告げていた。

 

 そこは地元でも有名な富豪の邸宅に造られた中庭だった。

 郊外から更に離れ、山間の程近くに建てられた大豪邸は、ただ他に類を見ないほど広大な洋館であるから有名なのではない。

 そこは、たった一代、いやたった数年で巨富を築いたという成り上がり者の居城なのである。

 人々からは畏敬の念など抱かれず、ただただ羨望の眼差しで遠目に見られる屋敷の庭先に、これほど安閑な空気が流れていると知るものは少ない。

 

 そんな人知れずの園に小さな笑い声が聞こえる。

 女性のしゃべり声とカシャリと鳴る陶器の鳴音が、白く佇む屋敷の壁に反射しては消えていく。

 

 その楽しそうな声は洋館の袂にあるテラスから聞こえてくるもので、屋敷の壁よりもさらに純白のテーブルと椅子が並ぶそのガーデンテラスには、お茶会に興じる女性の陰が二つ。

 さりとて、その女性たちは二人共いわゆるメイド姿で、その仕えるべき主人の姿はどこにもなかった。

 

「市菜さん、聞きましたか?」

 

「ふぁい!?」

 

 お茶請けにと摘んでいた芋ようかんを頬張ったまま、市菜と呼ばれたメイドは首を傾げた。

 

 そのままモグモグと数回。そして大げさな仕草で口の中の甘味物を飲み込むと、先程茶柱が立ったと喜んでいた日本茶を一気に飲み干す。

 

 洋館のお茶会に出されたのが『ようかん』とはトンチが効いていると言えば聞こえがいいが、単なるダジャレでもなく、要は二人のメイドが紅茶よりも日本茶派であるというだけで、その茶請けには、やはり和菓子が一番というわけだ。

 

 そのメイドの名は『市菜』という。メイドとして主人に仕えている者の通例に倣い、屋敷にいる間は姓を用いることがない。

 もし当人が自己紹介をするのなら、仕える家の名を借りて『春日家メイドの市菜』と名乗るだろう。

 鼻筋の通った顔立ちで、ボブヘアーに切りそろえられた髪の色素が薄いのが印象的だった。

 その彼女の髪は、屋敷の屋根をも超える榎の葉から漏れる陽を受けて赤毛にも見えた。

 

 湯飲みを煽り、湯気立つ日本茶を一気に飲み干した市菜は、どうやら喉には熱かったのか、舌をぺろりと出して大きな息を吐いた。

 そして、やっとにして口の中が落ち着いたのか、テーブル向かいに座るメイド仲間に向き直った。

 

「聞いたって何のことー? 何かお仕事あったっけー?」

 

 市菜は妙に間延びした口調で、先程傾げた首を逆側に傾げてみせた。

 そんな市菜の仕草に、質問した側であるメイドの『弥生』は目を細めた。

 メイド仲間ではあるが、どうにも弥生は市菜のそういうわざとらしい振る舞いが気に入らないことがあった。

 

 テーブルを挟み、市菜とお茶をしている弥生もまた、屋敷では単に弥生と呼ばれるだけで、この春日家の使用人であった。

 

「いえ、仕事は一通り終わってるから、こうして休憩してるんですよ」

 

 と、弥生も日本茶をすする。

 

 毎日のように日本茶を飲んでいるのは伊達ではなく、弥生の湯飲みの持ちっぷりは、年寄り臭いといわれても言い訳のしようがないほど落ち着き払っており、貫禄すら漂っていた。

 

 その振る舞いや黒髪をイギリス巻きに整えた容姿、かけている縁の細いメガネが相まって、市菜は年長に見られがちだが、御年二十一のうら若きメイドであった。

 

「だよねー。仕事終わってないと、弥生さんが休憩させてくれないもんねー」

 

「人を小姑みたいに言わないでください。

 予定通りの仕事が終わってないなら、仕事をこなす。極々普通のことと思いますが」

 

 弥生の言葉に、市菜は不服そうに頬をふくらませた。

 

「そんなに片意地張ってるから肩がこるんだよー」

 

「はいはい。どうせ私は市菜さんより胸が小さいのに肩こりですよ」

 

「誰もそんな話してないのにー」

 

 ある人にはこの気持ちはわからないんですと、弥生はじと目で市菜の胸のふくらみを凝視する。

 

 小柄で胸が大きくかわいらしい仕草。ほんとに腹立たしいぐらいに女の子をしている市菜が自分より年上だと知ったとき、弥生はショックで先輩の市菜にチョップを見舞っていたぐらいだ。

 なんだかんだでそれが縁となり、二人はわざわざ休憩を合わせてお茶をするような仲になったのだった。

 

「私は仕事が終わってなくても休みが欲しーなー。

 だって雇われの身だよ? 休憩時間も勤務時間に入ってんだよ?

 休むのも仕事のうちさー」

 

 どこまでも脳天気な口調で市菜が言うものだから、弥生は深い溜息をついた。

 

「働かざるもの食うべからず、という言葉を知りませんか?

 お屋敷の茶菓子をタダで頂いてるんですもの。手を抜いていると思われては立つ瀬がないですよ」

 

「まーねー。タダより怖いものはないもんねー」

 

 そう言っては、市菜は皿に残っていた最後の芋ようかんに手を伸ばした。

 が、先に弥生がようかんをかっ攫い、自らの口に運ぶ。二人のお茶会に「遠慮の塊」というものは存在しないのだ。

 

「市菜さんは自分の分を食べたでしょうが。ほんと食べ物に対する欲求だけはお嬢様級ですよね」

 

「ひどーい。弥生さんがお嬢様の悪口言ってるー。言いつけて来よーかなー」

 

「別にいいですよ。お嬢様は笑って許してくださるもの」

 

「だよねー」

 

 と二人して笑う。

 

 市菜と弥生が仕える春日家の令嬢は、そんな些細なことで使用人を叱りつけるたりする狭量な人間ではない。

 というよりも、あのお嬢様が怒っているところを二人は見たことがない。

 

 ただ単に甘いというのでもないし、優しいというのもあのお嬢様を形容するには不適切に思える。

 たとえるなら、怒りや恨みという感情をそもそも持ち合わせていないような、どこか世間離れした女の子。

 喜怒哀楽のうち、最初と最後だけを寄せ集めたような生き方をしているのが、二人が仕える春日家令嬢、『春日晴』という女性だった。

 

 何か思うところがあるのか、弥生は手の中で飲みかけの湯飲みを回していた。

 

 丁度、シジュウカラが鳴いていた。春日家の家人が据え付けた巣箱に惹かれているのかもしれない。

 しばらく鳥の声に耳を傾けていた二人だったが、弥生がどうにも言いにくそうに切り出した。

 

「それで……、そのお嬢様の話なんですけどね」

 

 弥生が市菜に聞こうとしていたのは、主人一家の長女の話のようであった。

 一度聞こうとして機を逸した分、同じ話題を振るのは気が引けたようだ。

 それでも、弥生は無理矢理に話を戻した。

 

 そもそも女性同士のおしゃべりとは、脱線の連続だ。話があっちからこっちに自由気ままに飛んでいく。

 市菜も弥生も、普段はこの休憩時間のおしゃべりにストーリー性など元から求めていない。

 それなのに、今日はどうしてもその話をしたいのだろう。

 

「んー? 何がー?」

 

 それなのに、市菜がさも興味なさそうな態度をするものだから、弥生は脳天チョップを見舞ってやろうかと思った。

 残念ながらテーブルに向かい合って座しているので手が届かずに断念。

 

「だからさっきの話ですよ。市菜さんはお嬢様の噂を聞いたのかって、さっき聞いたじゃないですか」

 

「んん?、だから何の話かなー? お嬢様がどうかしたのー? また超獣武勇伝? それとも今月三度目、後輩の女の子に告白されたとか?」

 

 超獣武勇伝とのくだりに、表情が顔に出にくい弥生の口元からも笑みが漏れた。春日家のお嬢様はまるでお姫様のように優麗な容姿だが、ときどき人やら獣やらを超えたとんでもないことをやってのける超人だ。

 

 噂では、動物園から逃げ出したベンガルトラを打ち負かしたことがあるだの、イルカと超音波で会話できるだのと、突拍子もない話を耳にする。

 それでも、その噂話のほとんどが春日家使用人が仲間内の冗談で言っていることなので、当のお嬢様もあえて否定したりしないのだった。

 

「いや、なんていうか近いんですけどね」

 

 どうにも弥生が歯切れ悪そうに言うものだから、今度は市菜の方が身を乗り出した。

 

「何が近いって?」

 

 まるで新しいオモチャを前にしたように市菜の目は輝いていた。

 普段何の遠慮もなく話をする間柄の弥生が口に出すのを憚るということ事態が興味深いものなのだろう。

 

「告白、とか」

 

 弥生がぼそりと言った。それを聞いた市菜は、何だそんかことか、と言わんばかりに落胆した顔だった。

 しかし、すぐに表情を戻した。

 

「お嬢様かっこいいもんねー。バレンタインはチョコの山だし、ご学友からもらったプレゼントも数え切れないし。あー、この前、持って帰って来たマフラーはすごかったねー。どこの職人さんが編んだのかってぐらい精密な鳩の絵が入ってたし」

 

 と、市菜は関心しているのか、呆れているのか読めない顔をして笑っていた。

 

 確かにボロを出さないかぎり、我らが晴お嬢様は頼りがいのあるお姉様キャラに見えなくもない。

 使用人としてその本性を知っている身の上でなければ、確かにミスパーフェクトとの異名もうなずけるし、深窓の令嬢を育成栽培しているような女学園にして、全校生徒の憧れの的だと知らされても不思議でもなんでもない。

 

 ただし、普段屋敷でくつろぐ春日晴という娘は、使用人たちの茶の肴に持ってこいの摩訶不思議超人であったり、乙女チックな年頃の女の子だったりする。

 むろん、市菜と弥生も、そんなお嬢様が大好きなのである。

 

 ただ、弥生が今話題にしようとしているのは、そんなお嬢様の微笑ましい一面のことではなかった。

 

「いやぁ、なんというか……。そうじゃないんですよね」

 

「ありゃ、違うのー?」

 

「ええ、性別が」

 

 弥生が何を言い出したのかと、市菜はくりくりと元から大きな両目を見開いた。

 

「えっ! お嬢様って女の子じゃなくて男の子だったの!?

 どうりで私も胸キュンなはずだねー」

 

 と大まじめに市菜が言うものだから、ぶっ、と盛大な音を立てて弥生が吹き出した。

 今はお茶を口に含んでなかったのが幸いしたと口元を拭う。

 

「いやいや、何を言い出すんです! 晴お嬢様は正真正銘女性でしょうが!

 あんなモデルみたいなスタイル抜群のミラクルボディーをした男がいたら気持ち悪いですよ!」

 

「えー。だって性別が違うって、弥生さんが言ったんだよー?」

 

「そうじゃなくて、相手の性別が違うってこと!

 ……あのね、お嬢様が……その、『男の人』に告白したって話よ。

 そういうこと、御薗さんがあちこちで話してたから聞いてるんでしょ?」

 

 御薗さんとは、彼女達の同僚で子供付きメイドである女性だ。

 主に春日家長女の晴と、同じく長男の春日あたるの世話係を仕事としている。

 

「そーいえば、聞いたといえば、聞いたかなー」

 

「だから、聞いてるのか聞いてないのか、どっちなんです?」

 

 はっきりしてくださいと、弥生が声を荒げる。

 彼女は神経質な質で、中途半端は嫌いなのである。

 

「いやー。あのお嬢様が誰かに告白だなんて信じられないしー、話半分で聞いてたって感じかなー」

 

「まぁ、確かに……。

 晴お嬢様は色恋には疎いといいますか、花より団子をリアルに実践してる人ですものね」

 

「あー。春日家の人たちって、お花見で団子なんか出したら泣いて喜びそーだもんねー」

 

 まったくもってその通りだと、弥生も大きく頷いた。

 

 春日家の人間は、白く小さな団子を大切に大切に味わって、咀嚼しすぎて口の中で全部溶けて飲み込む分がなくなったと、涙目になるような人たちなのだ。

 これのどこが大富豪の一家なのかと使用人一同、呆れるばかりだ。

 

「お嬢様の性格はともかくー。御薗さんの噂話は基本的に信じられないしなー」

 

 市菜の言葉が腑に落ちなかったのか、弥生が眉をひそめた。

 

「いや、別にあの方は嘘をつくような人じゃないと思いますけど?

 仕事も真面目だし、色々めんどくさい、もとい、ユニークな姉弟のお世話番をやってくれてますし。

 あの人がいてくれて、こっちとしては大助かりなんですけどね」

 

「あー、弥生さんは若奥様付きだもんねー。

 若奥様は旅行ばかり行って屋敷にほとんどいないし、子供の世話もないとなると、ほんと楽だもんねー」

 

「だから、こうしてほのぼのお茶ができるってものですよ。

 まぁ、普段仕事が少ない分、ハウスメイドとして屋敷中を掃除に回ってるんですから、単なるサボりでもありませんけど」

 

 主に掃除を仕事にしているからだろうか、弥生は屋敷のどんな場所にも現れるし、逆に探してみるとなかなか見つからないと、春日家の面々からはそんな評判が立っていた。

 それでも、彼女が真面目な性格で、今のように休憩をしているとき以外は一切手を抜くことなく働く性分だからこそ、春日家からも信頼して仕事を任されているのだ。

 

「市菜さんも人のこと言えるんですか? 市菜さんは奥様付きなんだから、それなりに仕事があるでしょうに、いっつもここにサボりに来て……」

 

 皮肉っぽく言われた市菜だったが、まったく気にしてないようで、急須を手にとり、先程飲み干した湯飲みを満たしていた。

 

「いやー。奥様って、基本的に何でも自分でするし、弥生さん以上に妖怪みたいに神出鬼没だし。お世話のしよーがないというかー」

 

「はいはい。言い訳は聞き飽きました」

 

 弥生が一刀両断にしたので、市菜はまた頬を膨らませた。『プリプリ、私怒ってるよ』のポーズだった。

 

 その市菜の仕草に、弥生は相変わらずに少しの苛立ちを覚える。

 そんな表情を可愛いという男性陣の感覚が弥生にはさっぱり理解できない。

 単なるブリっ子じゃないのと、弥生はまた溜息をつく。

 

 別に弥生は市菜のことが嫌いじゃないし、そういう苛立たしさを含めて同僚兼友人だと思っている。その感情は、自分には到底できないそんな仕草をもてはやす一部の世間というものが気にくわないだけなのかもしれない。

 

 またも話が逸れ始めたものだから、弥生は率直に話を戻すことにした。

 

「それで結局のところ、市菜さんはどうして御薗さんの話を信じないんです?」

 

 言われて市菜はコロリと表情を戻した。

 

「そんなの簡単だよー。御薗さんの話なら、どうせ『じいや』から聞いたことだからだよー」

 

 市菜が口にした『じいや』とは、春日家の執事であり、使用人頭をしている人物のことだ。彼女達を含めて全ての使用人は、彼を筆頭として働いている。彼女達からしてみれば上司ではあるが、傍目には、涙腺の緩いおじいちゃんという認識でしかない。

 

「ああ、そういうことですか。情報ソースの問題。

 たしかに『じいや』が何か勘違いして話に尾ひれが付いているってパターンはごまんとありましたからね」

 

「そうそう、どうせ今回もお嬢様が学校でやる演劇の練習をしてとかー、そんな単純なオチだよー」

 

 それを聞いて弥生も苦笑い。

 本当にあり得そうな話で、あたふたとしながらも胸をなで下ろす『じいや』の姿が目に浮かぶようであった。

 

 弥生は、自らが手にする湯飲みにお茶を注ぎ足した。二人は黙って本日二杯目の玉露を味わう。

 

 ほんとこの職場は日本茶にしろ紅茶にしろ、最高級がごろごろと余っているものだ。と弥生は一縷の寂しさを覚えた。

 

 本来ならこれらの高級品は自分たち使用人ではなく、その仕えるべき主人達が口にすべきものだった。

 それなのに春日一家は勿体なくて飲む気が起きないという。

 それどころか春日家の者は、茶葉を市菜達が拝借しているのを知りつつも、何一つ文句を言わず叱りもしない。

 

 いつだったか、二人のお茶会に突如現れた奥様が咎めもせずに『味のわかる人に飲んでもらえた方がお茶っ葉を育てた人も喜ぶでしょ』と、許されたことがある。

 

 それまで貧乏人上がりの春日一家をどこか見下す心があった弥生だが、その寛容さに心打たれ、今では真摯に家従として仕えている。

 春日一家に上質のお茶の味をわかって欲しくて無理矢理に出してみたりしたこともあったが、玉露も高級紅茶も『臭い』だとか『お茶がこんな変な味するはずがない』とか、散々な言われようで、弥生もどうしたものかと悩ましい問題だった。

 

 本当に変な一家だった。その変人筆頭の春日晴お嬢様が男の人に告白しただなんて一般人めいた行動を本当にするだろうか?

 そんな疑問が頭をよぎった弥生は、ふと気がついた。

 

『私って、お嬢様が誰かと付き合うことが嫌なのかな?』と

 

 弥生は基本的に若奥様付きのメイドであるし、若奥様が屋敷を不在にするときは、ハウスメイドとして屋敷の清掃整備を担当している。

 そのせいか晴お嬢様との関係性はそれほど深いものではない。

 

 まるで妹の様に思えるときがあっても、そんなお嬢様への独占欲などあるはずがないのに。

 だったらこの感情は、もっと別の、おそらくは……、妬み。

 

 そこまで自己分析を終えて、弥生は今日一番の深い溜息をついた。そして

 

「告白……、ですか……」

 

 と、口から漏れ出ていた。

 

「あれ? 弥生さんしんみり? 娘が色気付いたときの父親の気分なのかなー?」

 

 妙にうれしそうに市菜が身を乗り出した。

 

「いえいえ。私はお嬢様の保護者じゃないんですから。しんみりじゃなくてげんなりですよ。自分が嫌になるというやつ、かな」

 

 先程の自己分析を隠す気もなかった。

 

「生まれてこの方、『告白』とかそういう青春エピソードに縁がないもので。

 まぁ、本音を言いますと、単なる根も葉もない噂でもそういう話題があがる人は羨ましいってことなんだと思います。

 私だって人の子です。学生時代に一回ぐらいはそういうイベントを経験したかったなぁって、そういうところでしょうか」

 

「やよいーっ! すきだーっ!」

 

 演技がかった大声が中庭に響いた。

 

 すかさず、弥生のチョップが市菜の脳天を直撃した。市菜が身を乗り出していた分、弥生の手刀が市菜に届いていた。

 

「いたーい。なによー。せっかく私が告白してあげたのにー」

 

 さすがに騒いでるところを誰かに見つかると立場がないので、弥生は市菜の両の頬をつねりあげた。

 

「う、れ、し、く、ありませ~ん」

 

 と、頬をぐりぐり引っ張ったあと、ぱっと離してやった。市菜のほっぺたが赤く灯る。

 

「うぅ。弥生さんのばかー」

 

「何がバカですか。市菜さんは『旦那』がいるからって、その余裕がむかつくのですよ」

 

「別に『あーくん』は旦那ってわけじゃないし、あれは単なる幼馴染みなご近所さんで」

 

「そんな台詞を素面で吐けるあたりが『余裕』ってことに気づけないのですかね。この人はっ!」

 

「えー。弥生さんの方が、私よりこうピシッとして格好いいし、モテたでしょ?」

 

「さっきの話聞いてなかったのですか? 私は告白とかされたことないって言いましたよね。

 あ、でも……、ラブレターじみたものなら……、無くもなかったかなぁ」

 

 記憶の隅に追いやっていた記憶が、弥生の中で不意に蘇った。

 弥生自身、ほとんど忘れていた学生時代の記憶。本当に忘れていた。

 たった一瞬だったけど、自分自身も味わった青春の一ページが弥生の脳裏に過ぎった。

 

「え? え? 何それ?

 ラブレターもらったの? やっぱり弥生さんモテんだ」

 

「いや、あれはラブレターというか、なんというか……」

 

「なんかはっきりしないねー。

 ラブレターだったら『好き』とか『愛してる』とか『結婚しよう』とか、熱烈に書いてあったんでしょー?

 そこのところ、お姉さんに聞かせなさーい」

 

「こんなときにだけ年上ぶるのはやめてください。

 でも……、昔の話だし、隠すほどでも……ないですか」

 

「うんうん。そうそう、私たちメイド同盟には隠し事はよくないよーっ」

 

 メイド同盟って何です? と、言ってやりたがったが、弥生はぐっと飲み込んで、忘れかけた昔の記憶をたどっていった。

 

「……中学の卒業式の日にね。靴箱に入っていた手紙に『好きでした』って、そんだけです」

 

「わぉー。卒業式ネタっ! 第二ボタン上等! それこそ青春ー」

 

「いやぁ、確かに青春っぽいエピソードかもしれませんが、送り主の名前もないし、そのまま何事もなく卒業だったものですから」

 

 何より、文面が過去形だったのが弥生の胸内をざらつかせた。

 『だから何?』それが、自称現実主義者である弥生の心象だったのだ。

 

 結局あの手紙が何だったのか今でもわからない。

 相手がわからなければ返事もできないし、何より相手が本気だったのかがわからない。

 誰かの悪戯だった可能生もある。靴箱で目を白黒させていたのを、どこかの誰かがほくそ笑んで見ていたって想像もできてしまう。

 もう忘れかけていた何の意味もない出来事こそが、弥生にとってたった一度の青春エピソードだったのだ。

 そう思う弥生の口元は、意外にもうれしそうに緩んでいた。

 

「市菜さんは無いんですか、そういう話? なんとなく学生時代はやんちゃしていたイメージありますけど?」

 

「ぬー。恋バナかなー? 高校のとき、何回か告白されたかなー」

 

「やっぱりラブレターですか?」

 

「いやー、手紙も、呼び出しもあったかなー」

 

「はは。さすがは市菜さんというところですか。

 これが恋愛格差ってやつですね。私、絶望していいですか?」

 

「いやでも、うちの高校、女子校だよー」

 

「……ああ、そういうオチですか。うちのお嬢様共々女子校の魔の手は怖いものですね。

 しかし、意外かもしれません。市菜さんは保護欲がくすぐられるとかで男性から好まれても、女性からは『なにブリッ子してるの、むかつく!』とか言われて、ガチのケンカが始まりそうなものなのに……」

 

「本人の前でよく言うーね、弥生さん」

 

 さすがの市菜も目を細めて抗議していた。

 それでも否定しないあたり、本当にそんな出来事もあったのかもしれない。

 

「事実、むかつくときがあるのです。先輩じゃなかったら脳天チョップをお見舞いしていたかもしれません」

 

「いやー、弥生さんのチョップはいっつも喰らってるよ! あれ、結構痛いんだからねー」

 

「黙ってスルーされるより、他人から指摘された方がいいこともありますよ。たぶん」

 

 弥生が胸を張って言うものだから、市菜は、うー、と唸っていた。

 でも、すぐに市菜は満面の笑みする。市菜は市菜で、そんな弥生の正直なところが大好きなのだ。

 

「そんな開けっぴろげなところが弥生さんがモテないわけかもー」

 

「……自覚は、してます……」

 

 市菜の逆襲に、弥生は完全に白旗だった。

 

 先程まで木漏れ日に当たる風が涼感だったが、日が傾き始めたのか、直射日光が肌を射す。

 まだ春先で日もあまり長くない。気を抜けば、すぐに夕暮れ時が近づいてくる。

 

 そろそろ時間だと弥生は立ち上がった。背筋がピンと張り、メイドとして、何処に出しても恥ずかしくないような立ち居振る舞いだった。

 

「食器、いつものところに片つけておいてください。後で洗っておきます」

 

「う~ぃ」

 

 弥生とは違い、名残惜しそうに中庭のテーブルから腰を上げようとしない市菜の間延びした返事。

 そこで市菜は休憩の終わりがいつもよりも早いことに気がついたようだった。

 

「若奥様の帰りって今日だっけ?」

 

「そうですよ、市菜さんはお付きじゃないにしろ、春日家一同の予定ぐらい頭入れておいてくださいね。

 せ・ん・ぱ・い」

 

「ほっほーい」

 

 気が抜けような先輩メイドのいつも通りの態度を気にも留めずに、弥生は中庭を立ち去った。

 

 なんだかんだで、弥生より市菜の方がメイド歴が長いのだ。

 市菜は休むときは休むが、仕事を投げ出すことはないことを、弥生もよく知っていた。

 

 

 

 

   *

 

 夕食時も終わり、忙しい午後のお勤めもようやくに一段落した弥生は、自身の住み込み部屋がある離れに向かっていた。

 

 自然豊かな山里に立てられた春日家の屋敷は、通いで働くには不便な場所にある。

 中世ならいざ知らず、現代の使用人なら車持ちぐらいいるのだが、春日家の使用人は全員が住み込みで働いていた。

 

(今頃は、みんな賄いを食べてる頃か……)

 

 自らが担当する春日家当主夫人が久々の帰宅をしたものだから、弥生はあれこれと用事を言い付けられ、普段よりも遅い仕事終いだった。

 

(若奥様は、相変わらずよくわからない人なんですよね……)

 

 心中のつぶやきが口から出た気がして、弥生は離れに向かう廊下をきょろきょろと見回したが、人影はなく閑散としていた。

 弥生たち従者がいるとはいえ、こんな巨大な屋敷にたった数名の春日家が住むだけなのだ。人気がなくなれば割合寂しいものだ。

 

 不意に止めていた足を再び進め、弥生は自分が世話付きをしている春日家の若奥様のことを再び思い巡らせていた。

 

 弥生よりも若い、それこそ晴お嬢様と変わらぬ年齢で、春日家の当主と結婚した女性。

 つまりは孫と祖父であってもおかしくない年齢差だった。

 それなのに恋愛結婚で、出会いから何から劇的に燃え上がった恋だと聞いている。

 海外で石油を掘り当てたという初老の男性と、未成年の女の子が恋に落ちるだなんて、弥生の常識からは、さっぱり理解の範疇を超えていた。

 

「そもそも、屋敷に寄りつかない生活をしているあたり謎なんですよね」

 

 今度こそ、弥生の口から考えが漏れていた。

 世話付きメイドとしては楽ではあるが、弥生としても気構え的にどうにも落ち着かないことがある。

 

「そうだよね。じいさん達って普段どこ行ってるんだろうね」

 

 急に声がしたものだから、弥生は飛び上がりそうになった。

 それをなんとか押し殺して振り返る。

 我慢はしていたが、弥生の顔はこわばっていたに違いない。

 

 そこには一人の男性がいた。

 男性と呼ぶにはまだ少し早い、少年そのものの微笑ましいはにかみ顔がそこにはあった。

 

「あたる様、びっくりしました」

 

 包み隠さず、少し非難する韻を込めて弥生は声を上げた。

 

 弥生の背後には、春日家の長男である春日わたるがすらりと立っていた。

 態度やら姿勢やら表情やら、何から何まで爽やかというか清純というか、そういった印象を受けるものだから使用人達からも妙に受けがいいのであった。

 

「あ、ごめんごめん」

 

 返ってきた言葉が予想通りだったものだから、弥生の方も先程の驚きも落ち着きを取り戻し、いつも通りの無表情に戻っていた。

 

「ほんと、春日家の皆さんはどこから出てくるかわかりませんね」

 

 先程廊下を見回しても誰もいなかった。それなのに、足音も扉が開く音もなく急に人が現れたのだ。弥生が驚いたのも無理もない。

 

「そうかな? 僕は姉さんみたいに天井に張り付いたりしないし、母さんみたいに床を這い回ったりしないよ」

 

 もうなんて言い返していいのかわからず、弥生は形だけの愛想笑いをするしかなかった。

 

「でも、姿がよく見えなくなるっていうなら、僕らより弥生さんの方がなかなか会えないよね」

 

「私は仕事で屋敷中を回っているだけですよ。

 ……あたる様、そんな気もないのに女性に対して会いたいかのような台詞を言うのは失礼だとは思いませんか?」

 

「え? 僕は弥生さんに会えたら嬉しいよ?」

 

 一瞬、弥生は何を言われたのかわからなかった。

 よくよく考えてみて、やっとにして弥生の口から漏れ出たのは

 

「あ、うぅ……」

 

 という言葉にすらなっていないもの。

 その弥生の頬は少しの火照りで色を変えていた。

 薄暗い廊下でなければ、目の前の少年に気づかれていただろう。

 

(このボンボンは! そんなこと真顔で言って!

 いや、それよりも満更でもないって私の反応はなんなのよ!

 違うでしょ! あたる様は単に純朴に一般論で!)

 

 弥生の心中は穏やかではなかった。

 それが態度にも出ていたのだろう。あたるが首を傾げていた。その顔はやはり、天然無害の好青年にしか見えない。

 

「ん? どうかした?」

 

「なんでもありません。ありませんともっ!」

 

「でも、なんでもないって感じじゃ」

 

「あたる様!、こんなところで何をなさってるんですか!」

 

 これ以上続けられると身が持たないと思ったのだろうか、弥生は無理矢理に質問を返した。

 

「あ、そうか。僕、姉さんを探してたんだ」

 

「お、お嬢様ですか? あの方はまた何かされているんですか?」

 

「いや、何かっていうか。来週に音楽のテストがあるから手伝って、て言われてたんだけど……」

 

「音楽のテスト……。告白の話じゃないんですね……」

 

「へ? 告白?」

 

「いえ、知らないのでしたら、何でもありません」

 

 自分自身が妙に意識をしてしまっている事態に、当人の弥生の方が、呆れていつもの溜息をつきそうだった。

 

「う~ん、よくわからないけど、弥生さんは姉さん知らない?

 弥生さんなら家政婦が見た的に、どこかで目撃してるかなぁって」

 

「なんですか、その見た的なって。

 お嬢様なら夕食後はお見かけしませんでしたけど?」

 

「だよね。僕も夕食までは……、まてよ。そう言えばさっき……。

 あ、弥生さん、なんとなく心当たりが見つかったから僕行くよ」

 

「はい。では、お休みなさい、あたる様」

 

 そうして、弥生は深々とお辞儀をした。それがメイドたる彼女の当然の振る舞いだった。

 

 軽快な足音が遠ざかっていく。

 今度はしっかりと足音がしたので、やはり春日家の人間はよくわからないと、弥生は思った。

 彼女が頭を上げる頃には、もう廊下を曲がり、あたるの後ろ姿は見えなくなっていた。

 

「はぁー」

 

 大きな大きな溜息を弥生がついた。

 それこそ、誰かに聞かせるためのように長い深い溜息。

 普段、癖のように溜息をつく弥生だったが、そこまで露骨なのは久しぶりだった。

 

「あー。ホントに今のはまずったですね。

 別に私、あたる様が好きってわけじゃあ……」

 

 明るく元気な春日わたるに悪感情を抱いたことはなく、それこそ一般論的には好ましく思ってはいる。

 しかし、そこに恋愛感情はなかったはずだ。

 

「だったら、今のは単に恥ずかしげもない台詞に、ふがいなく照れただけ、……ってことなんですかね」

 

 歩きながらそう漏らしても、なんだか自分自身が一番納得がいかないようだった。

 

 いつの間にか弥生は自分たち使用人が住まう離れへの勝手口に着いていた。

 その扉のノブに手を伸ばしながら、弥生は背後の廊下をもう一度見回した。

 

 今度こそ誰もいない廊下。春日邸は静かな夜を迎えようとしていた。

 

「第一、あたる様とは年下で歳も離れてるし」

 

 弥生がぼそりと言った。

 その独り言が、妙にいいわけ臭かったことに弥生は気づいていなかった。

 

 フィクションの世界では、主人とのロマンスなんてのもあるそうだが、実際のメイドなんて単なる従者で労働者だ。

 

 お昼のような休憩時間をとってもいい自由を与えてもらっている春日家に感謝はしているが、それ以上の感情は抱いていない。

 春日家には若い男子もいるが、やはり色恋の対象には思えない。弥生はそう思っていたはずだった。

 

 弥生は勝手口を開けた。

 

「恋バナ……ね。みんな、まだまだ若いってことかしらね」

 

 メイドの一日が終わる。

 また明日も、弥生は春日家に仕えて、春日家で過ごす。それが彼女達の日常。

 

 弥生は、そんな生活は全然嫌いじゃなかった。むしろ

 

「大好きですよ」

 

 そう弥生の口から漏れていた。

 

 

 

 

 

   *

 

 追伸、春日晴の告白疑惑の真相は、やはり使用人たちの勘違いで、

 そのお嬢様の恋慕の対象は、おやつのチューペットだったそうだ。

 

『だって、あんなに甘くて美味しくて冷たくて、なにより弟と二人で分けられるなんて最高じゃない。

 チューペット様がいれば、私死んでもいいわ。これはもはや愛よっ!』

 

 とかなんとか。そんないつも通りの春日晴だったらしい。

 

 その日、じいやが冷凍菓子をダース単位で注文したのは言うまでもない。

 

 

 

 

(おわり)


 
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