いつからか誰かが噂した。
暗い暗い森の奥、黒いお城に魔王が住んでいると。
森の奥にはアルバトロール(アルバトール)とよばれるトカゲと人間の「あいのこ」のようなリザードマン共がうようよしていて魔王の居城を守っているのだと。
確かに、森の奥に進むと確かに城は存在するしリザードマンも大量にいるのだが…
「またゴシップ記事か。あいつらも暇なものだのう」
城の主はため息と共に新聞を宙に放る。
キキッと鳴きながらその紙束をコウモリが掴んで飛び去る。満月をバックに何とも詩的な光景だ。
「あるじサマはサイキンまタニンゲンにゴシュウシンですな」
アルバトールのハルバニアが主に茶を出しながら変わらぬ表情の代わりに声に笑みを混ぜる。
「何、近所の時事位は確認せねばと思ったまでよ」
ぎしりと主の座る長椅子が軋む。
「とリがモウすトおリなら、アルジさマはマオウなのではないカとうわさされているのでしょう?」
「冗談ではない」
主は長椅子から立ち上がる。影は細く壁に伸びた。月明かりに照らされる長く切られた様子のない長い髪と髭で表情は伺えない。
「我輩は偉大なる魔術の祖ガンドルフの弟子。魔術師メルクトである。魔王などとは片腹痛いわ」
「そうですね。魔王様は魔術師アピールも盛んになされているのに」
「おい、リールテール。お前はただのトカゲに戻りたいのか」
「滅相もございませんわ。旦那様」
クスクスと笑いながらリールテールと呼ばれた侍女服を着たアルバトールは主をからかう。
やはり表情は変わらないが声は楽しそうである。
「旦那様がもっと人間たちと交流を持たれれば根も葉もない噂なぞすぐ消えるでしょうに」
リールテールは頭が回るし弁も立つ。
主はフンと鼻を鳴らして再び長椅子にもたれた。
「りーるてーる。あるじサマをコまラセルノでハナイ」
「ハイハイ」
暗い森の奥に居を構える大きな黒い城。その城の主は魔術師であった。
そして大天才であった彼は不老の妙薬の開発に成功し一躍脚光を浴びた。
ともあれ、越してきてから遙か数百年の時が過ぎており越してきた当初の魔術師を今の街に住む人間が知るはずもない。
魔術師メルクトは伝説の魔術師ガンドルフに師事した才能有る、立派な魔術師であった。
しかし、彼の人生は彼の趣味によって歴史の表舞台から姿を消した。
それは彼の趣向がとても
「ハルバニア。それで、新しい子についてなのだが」
「あスにはトドくとのこトです。ヨカッタでスね」
魔術師は我が身を抱きしめ身もだえする。
「くふふふふふふv」
「旦那様気持ち悪いです」
リールテールが突っ込みを入れる。明日届くのはカエル。それも特別ぬめぬめする変異種。
魔術師の趣味はは虫類。それもぬめりや湿り気を帯びたモノを鑑賞。飼育することだったのだ。
当初住んでいた地域では逃げ出した魔法生物(トカゲ)が問題を起こし追い立てられ、次に越した街ではカエルが巨大化し街を半壊させた。国王にお抱え魔術師として雇われたこともあったがこっそり連れていたペットのヤモリ(変異種)のにおぞましい姿に姫が卒倒し解雇となった。
そんなことが有ろうとも、気持ち悪いと師に破門されようともメルクトの趣味は変わらなかった。
メルクトはその絶大な才能と研究で稼いだ金で森の奥の居城と領地を買い、日々魔術生物(ぬめぬめする)やは虫類コレクションを眺めたり弄ったりしながらヒキコモリ生活をエンジョイしている。
そう、メルクトはこの城にただ一人いる人間である。
魔法で強化された身体はもう人間とは言い難いモノではあるが。
メルクトは人間との(主に趣向についての)相互理解を諦めつつも敵対することなく生活してきたつもりではある。
時折人間の姿に変身させたアルバトールをボランティアに参加させているし自身も寄付や意見書で街の発展に貢献している。
ただし彼自身が人間の前に姿をさらすことはなく、居城の主とも知られず足長おじさん的扱いを受け続けている。
もっとも足長おじさんではなく足長魔術師様だと自身は主張するが…
「アメーバとカエルを掛け合わせるのだ。楽しみであろうハルバニ…」
メルクトは恍惚とした表情で語りかけるがハルバニアもリールテールも既に部屋を出た後だった。
「チッ」
長生きをし、愛しいは虫類共と心穏やかな日々を暮らしながらメルクトは当のは虫類にすら趣向を理解して貰えないのだった。
そんな城にある日事件が起きたのであった。
「旦那様。変なモノが届きましたわ」
リールテールが俵担ぎにして持ってきたのは人間の少女だった。齢は10に届くかどうかだろうか。
少なくともメルクトには少女に見えた。
「なんだそれは」
「とうとう引きこもりすぎて御同種の見分けすらつかなくなってしまわれたのですね。可哀相な旦那様」
少女をドサリと落とし、リールテールはよよと泣き真似をした。年々コイツの芸は細かくなるなとメルクトは感心する。
「そうではない。届いたとはどういうことだ?」
「郵便受けに入っていたのですもの」
城の郵便受けには細工がしてある。
人間が居城に近づくとぬめぬめ生物たちを発見される可能性が高いため、新聞をはじめ届け物は全て人間の街中にあるメルクト所有の一軒家に発注し、その家の郵便受から転送魔法によって全自動で城に届くのだ。ハイテクである。
「何のつもりだ?まさか…イケニエのつもりか」
流石にそこまで魔王扱いをされるとメルクトも傷つく。要求したこともないのに。
「それはないでしょう。身なりもみすぼらしいですし」
少女はリールテールが無駄なく綺麗に縛り上げて帯で口をふさがれている。
なにやらふがふが言っているが言葉にならないようだ。
「ほどいてやれ。リールテール」
リールテールは肩をすくめ少女の縄と帯を切ってやる。
「ぷはっ!!何すんだ!!!!」
「不審物がポストに入っていたので捕縛させて頂いただけですわ。貴方こそどういうおつもりで?」
リールテールはどうしてこんなに性格が歪んでしまったのだろうとメルクトは眉根に皺をよせる。
こんなに可愛いのに。(超トカゲ)
「…僕は、えと」
「ああ…空きs「違いますええとそう!!魔王!!アンタを倒しにきたんだ!!!!」
完全に街にある家は偽装使い魔を住まわせてある本当にただの一軒家なので、用があるとすれば空き巣ぐらいしか浮かばない。まっとうに勇者気取りが城に来るなら森を抜けてくるだろう。
少女は腰から細い短剣を取り出すとメルクトに襲いかかる。
「えい」
が、リールテールが少女に足払いをかけた。びたーんと音を立てて顔面を床にぶつけた様子にクスリと笑う侍女にメルクトは生暖かい眼差しを送る。
「弱いですわね。自称、勇者様かしら。んふふ」
「これこれ、あまり弱い者イジメをするものではないぞ」
正直討伐される謂われも何もこれっぽっちもないが、この歳で盗みに手を染めようとした子供には一定の哀れみを感じる程度には人間なメルクトであった。
「娘。挽回の余地くらいはくれてやろう。空き巣に及んだ事情を話すが良い」
「空き巣じゃないっていってるだろっ!!」
少女はへたり込んだままメルクトを見上げる。鼻血が出ている。
「あら、娘さんでしたの。申し訳ないことを」
「リール…」
欠片も申し訳なさを感じさせない優雅な笑みをリールテールは浮かべた。気がした。
ばたばたと騒いでいたためか警備のアルバトールが集まって来る。
「アルジ、ドウシタ」
「コドモカ、ドウシタ。食べるノか?」
「主、キオクケス。街にコロガス。か?」
「アルケ、ビニ、ルーフ。100年ぶりの客人だ(空き巣だが)まぁそう急かすで無い」
メルクトは思いの外この侵入者というか珍入者に心躍らせていた。
昔は魔術師としてより格を上げようという謎な魔術師が戦いを挑んできたりしたものだが、最近はそうした血気盛んな輩も現れない。
メルクトは暇なのだ。
少女はアルバトールに囲まれてカチコチに固まっている。月並みな反応であろう。なんということだ。こんなに可愛いトカゲなのに。
「ご…」
「ご?」
「ご、めん、なさい」
「ふむ…では空き巣でないならなんだと申すのだ。娘」
「………空き巣でいいです」
少女は正座をしてうなだれた。
「うむ。娘、家族はどうしたのだ」
メルクトはテンプレな疑問を投げながら少女の扱いについて思案を巡らせる。
「死んだ。はやり病で。生きてるのはもう僕だけだ」
「ほう」
「親戚や頼れる人間もいないから…身の回りを整理して街に出たんだけど…」
「欺されて文無しになったと」
ありがちな展開だ。
少女は更に肩を落としたように見えた。
「ふむふむ。事情は分かったぞ。リールテール。ハルバニアを呼べ」
「どうするのです?旦那様」
「私はこの生き物を飼ってみることにするぞ!」
「……………………はぁ?」
「何とち狂ったことを仰られるのかしら当家の変態マスターは。どなたかお医者様を手配して下さらない?」
「「「………」」」
まさかここまでドン引きされるとも思わず、手を上げた間抜けなポーズのままメルクトは硬直した。
「ほ、保護だ!!保護なら良いだろう!?」
配下からの眼差しが痛い。突き刺さる。
「いや、あの。孤児院とかに預ければ良いじゃないですか。なんでまた自分で育てるとか」
「いや、なんだ。その。」
暇つぶしに。なんて言える空気ではない。
「ヨロシいのデは」
口ごもったメルクトを助けたのはハルバニアだった。
執事服に身を包んだアルバトールは少女の横にしゃがみ込むと恭しく手を取った。
「アルじサマはそろソロゾクセいにふっきされるベキです」
そして、とハルバニアは続ける。
「コミュショウなアルジさマにはニンゲンとこみゅニけーしょんをトルレンシュウがひつようカとゾンジます」
最も付き合いの長いアルバトールはメルクトの繊細とは言えないまでも脆いハートにとどめを刺したのだった。
白い壁にランプの光がゆらゆらと反射して二人の影を作る。
「まず、少女。貴女はここで飼育されることが決まったわけだけど」
リールテールはメルクトに許可を取ると少女と別室に移動した。
「勝手に決めるな!!僕は帰るぞ!!!」
まぁもっともな反応である。
「何処に?」
「今まで一人でやってきた。これからだって」
「それではまた街で犯罪に手を染めるのでしょう?旦那様は変態ですが街の治安には心を裂いてきたお方。貴女がそれを乱すならば」
殺します。とは口にせずにリールテールは少女が持っていた剣の切っ先で少女自身の顎をつ、と持ち上げた。
「…」
少女の背中に汗が滲む。
時計の音だけが室内に満ちた。
「あら泣かないのですね。」
トカゲの顔をきっちり45°傾けてリールテールは声音だけで笑った。
「結構ですわ。貴女は合格よ」
「…なにが…」
「飼育は撤回するわ。貴女を雇います」
「は…」
「雇用してあげると言っているのよ。給料は…あとでハルバニアにでも決めさせましょう」
「どうして」
「ハルバニア…さっきのトカゲ男が言っていたでしょう?旦那様はコミュ障なのよ。わたくし達以外の話し相手が必要だわ」
それは人間を雇う理由にはなっても少女を雇う理由にはならないのではないだろうか。しかし少女はその言葉を飲み込む。確かに街に戻ったところで仕事の当てなど無いのだ。
「…何を…すればいいの…?」
「そうね…貴女、旦那様を落としなさい」
「は………?」
「旦那様に恋をさせなさい。給料は成功報酬で全額支払うので、逃げよう何て思わない事ですよ」
少女の目が点になる。落とす?恋?
「そういうのは…もっと…その…大人の女の人に頼んだ方がいいだろう?」
それとも彼は、メルクトは児童性愛者なのか。
「彼はロリコンではないわ」
少女の考えなどお見通しと言わんがばかりにリールテールは舌をちらりと出した。
「貴女にとってはそれが一番いいハードルだと思っただけよ。一般市民。良い事?励みなさい。貴女の自由のために」
さて、とリールテールは優雅に剣をしまうと腕をまくった。
「それでは本題よ。まずは消毒しないとね。」
少女の顔が凍り付く。本能が、逃げなければとレッドアラートをならす。
「なに…を…」
「ダイジョオブヨイタクナイカラ」
「いひにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ハルバニアとメルクトの部屋まで悲鳴は轟いた。
「ハルバニア。リールはなにをしておるのだ」
「おフロでコギタナイがきをショウどくスルともうしてオリました」
ただの風呂で何故こんな悲鳴がでるのだろうとメルクトは額に玉の汗を浮かべる。
余談ではあるがこの時の悲鳴は近隣を通りかかった商隊に聞かれ、魔王城で人体実験が行われている。という噂を生むことになるが、それは別の話である。
「キレイニナッタノニケガサレタキガスル」
風呂から出てきた少女は心持ち虚ろな目をしているようではあったがそれに触れる物は誰も居なかった。
「まぁ、なんだ。娘。ドンマイ」
「タシかにミぎれいにはナリマシたね」
「普通に洗っただけですのにぎゃーぎゃーうるさいこと」
ふんとリールテールは鼻を鳴らした。
「さて、次は旦那様ですね」
「え?我輩?」
魔術師は椅子から立ち上がった。伸ばしに伸ばして地に着くほどになった髪がもしゃっと音を立てた。
知覚強化を施した魔術師には視覚がなくても本が読める程度のものぐさスキルが身についていた。
それに加えてちょっぴり師のガンドルフへのリスペクトも混じっているのだが、なまじ尊敬の念をあらわにした試しも無いためかちっとも信じられてはいない。
「切りましょう」
「ソウダナ」
「ですネ」
「ウットオしい」
「ウヌ」
「お、お前達っ!!」
配下に総動員で冷たい眼差しを向けられ魔術師は狼狽した。
「と、トカゲに戻りたいのかっ」
「旦那様の取り寄せたカエル。突然変異のレアなカエル。わたくしの部屋で保管させて頂いております」
リールテールがどこからか鋏を取り出した。
「鼠に一声掛ければ始末できますが、いかがなされますか?」
魔術師は、乾いた笑いをもらしてうなだれた。
じょきじょきじょき
リールテールが長すぎる髪を束にして少しづつ切っていく。
一気に切ると引っ張られて痛いだろうとの彼女なりの配慮だったが大量の髪の毛が床に散乱する。
少女は侍女服を着て掃除用具を持って、必死に下に敷いた敷物からはみ出た髪を掃き集めている。
「まだかー…りーる…」
しょんぼりした声を漏らしてメルクトは顔を上げようとしたがハルバニアの刺すような視線に気付いて止めた。
「旦那様は男前なのですからご尊顔を隠されることは無いではないですか」
「蜥蜴基準の男前ってなんなのだ?そもそも我輩は何故外に出ねばならないのだ。道義的責任は果たしているのだ。必要はないであろう」
しょぼくれ魔術師様の愚痴を一切スルーしてアルバトールは髪を切る。
暫くじょきじょきと鋏を走らせると細もてな青年の顔があらわになる。
「ホントに顔は良かったんだな。」
はぁと少女が驚きに軽く目を見はる。二重の驚きで。
「世辞など要らぬ」
青年魔術師の瞳は林檎よりも赤い深紅だった。
「黙って下さい禿が出来ますよ。はい、次はひげを剃りますから」
蜥蜴とは思えない器用さでリールテールはメルクトを整えていく。
それを見てハルバニアや他のアルバトールがうんうんと頷く。
少女はこのメルクトという男が配下に愛されていることを知った。
結局、1時間でメルクトは元の姿を忘れる程さっぱりとした。
「顔が…すーすーするのであるぞ。ハルバニア」
「コトバづかいガおカしいデス。アルジさま。」
それにそれは普通のことですとハルバニアは続けた。
「あんなに髪を伸ばして、目は悪くならないの?」
「もとより我輩は弱視である上、既に魔力回路による疑似視覚を展開している。必要はない」
メルクトは横柄に答えると頬杖をついた。
「貴様を飼うと決めてこんな目に会うなど、我輩人生最大の誤算である」
「大した人生送っていないように聞こえるので止めた方がいいですよ。旦那様」
「ドウセひまだったカラなにかシげきがホシかったのデしょう」
ぐ。とメルクトが息を飲む。
それを返事と受け取ったのかやれやれと下っ端アルバトール達は持ち場へ戻っていく。
「お前、アホなんだな」
少女が半眼でメルクトに哀れみの視線を送る。
「アホと!!この偉大なる魔術師メルクトをアホとぬかすか小娘!!!」
メルクトははたと固まる。
「そういえば娘。名を何と申すのだ?」
ここに至るまで一度も尋ねられなかったことに軽く衝撃を受けていた少女は ため息をついて不承不承といった具合に答えた。
「…リディ」
「犬のようだな」
「キャサリン様と話されたときもそんなことおっしゃってましたが、旦那様はだから女性に嫌われるのですよ」
キャサリンは別に犬っぽくも無いだろうにと思いながらリディはメルクトに尋ねた。
「それで…僕は何をすればいいのかな」
リールテールと交わした約定はメルクトには言えない。
「ふむ。そうだな。我輩は小娘を飼育せねば」
「結局飼育になったのかよ」
「まずそれだ、その言葉遣いをなんとかせねばなるまい」
「ぐ」
「良家の子女ほどになれとは言わぬが些か優雅さに欠けるのがやはり良くない。」
「と、スルト。キョウイクをカッテでられるのデスね。アルジさま」
「否。しない」
ハルバニアが目をぱちくりする。リディはちょっと可愛いと思ってしまった。
「かわ…じゃなくって!!え!?え!??」
「ナゲっぱナしですか」
「そうではない。我輩には心血注いで育て上げた貴様らという配下が居る故。任せようと思う」
面倒臭いのですね。
「では、旦那様は何をなさるのですか?」
「む………」
「飼育を申し出られたのは他ならぬ旦那様ご自身でございます。ご自分でも何か世話をされるのでしょう?」
「いや、僕は別に世話をされるほどの歳でも…」
「だまらっしゃい」
リールテールはスカートの裾から覗く尻尾を振ってターンする。
「そうですね。では衣食の面倒は旦那様に見て頂くことに致しましょう。ヨロシイですね。ハルバニア」
「カマわぬヨ」
「我輩の自由意思は何処に行ったのだ。配下ども」
とはいえ、メルクトは基本的にものぐさでありつつも真面目な人間だった。
リディのサイズの子供服の手配もしたし(通販は慣れていた)食事も適当にあつらえた。
言葉遣いに関してはリールテールが泣き叫ぶリディを引きずって別室でなにか教えているようではあったが、怖いのでハルバニアもメルクトも内容について尋ねることはなかった。
ハルバニアは簡単な護身術と勉強を教えることとなった。
思いの外リディの順応は早く、一月後にはアルバトールもメルクトの飼育しているぬめぬめも幾分か平気になっていた。
アルバトール達は初日は面白がってか代わる代わる姿の整った主や新しい小さな住人を覗きにきたものだが、すぐに飽きたのか各々の仕事に戻っていった。
「ハルバニアさん。おはようございます」
「オハよう。りディ」
今の所リディはハルバニアに一番懐いているようで、暇があると雑用や手伝いを率先して受けに行っていた。
「むー…」
それを不満げに見つめるメルクトと、更にその主を冷ややかに見つめるリールテール。
「どうされたのですか。旦那様」
「我輩のペットなのに飼い主よりハルバニアに懐くというのはどうなのだ?リールテール」
「色々多岐にわたって問題発言ですね、わたくしは聞かなかったことにしても宜しいでしょうか」
表情はぴくりとも動かさず侍女は答える。
元々トカゲに表情筋は無いのだから多彩な感情表現とも無縁ではあるのだが。
「宜しいのではないでしょうか、ハルバニアもあのように上機嫌でございますれば旦那様への小言も減るという物でしょう」
「しかしなぁ…我輩の暇つぶしだったのに…」
「カエルの合成は終わったのですか?」
メルクトの表情がぱぁと明るくなる。聞いてくれるのを待っていたようだ。
「ふふふ、すごいぞぉ今回のカエルは。名前も付けてやらねばなるまい。ジョゼフィーヌ?アンリエットでもいいな」
「ぬめるのですね」
「それはもう!!アメーバ遺伝子の合成にはひやひやしたものだがスライムを触媒にすることで上手くいった。半透明ゲルカエルたんσと言ったところか、無論今回もカエルの生育に不都合になるような突起などは付けて居らぬぞ!あくまであのままの姿形でのより高い粘度とテカリをだなぁ……む…」
回廊に立ち尽くすのはメルクト一人になっていた。
「メルクト……さん」
声が掛けられる。リディだ。
「なんだ。小娘」
メルクトの機嫌が悪いのに気付いてリディは眉根を寄せる。ああ、またかと。
リールテールがは虫類トークの最中にどこかに行ってしまったのだろう。とリディは容易に想像する。
「ハルバニアさんがメルクトさんと午後のお茶をするように、と」
「ふん」
メルクトは黒い足下まである長いローブを翻しつかつかと先を歩く。
「小娘、お前は我輩と茶をして楽しいか?」
「いえ、さほど」
「…………」
「お前は良い子だな。娘」
メルクトが足を止めリディの頭をごしっと撫ぜる。
別にメルクトは罵られたり罵倒されるのが好きなわけではない。
リディは知っていた。メルクトは嘘をつかれるのが嫌いだ。些か過剰なほどに。だから絶対にリディは嘘やおべっかを言わないし使わない。
リールテールの約束は…そのうち考えるとしてもリディはこの城の住人達が好きになっていた。
城主メルクトもその例にはもれない。彼の悲しむ顔を見ることも、今はリディの本意ではない。
「ふふん。いつかは小娘の本意からお茶をご一緒してくださいませメルクト様と言わせてやるからな」
「キモイです。メルクトさん」
お茶は三本ある尖塔の内、一番低いものの最上階でとることにしていた。
なにぶんこの城の周りは魔法で巨大化させた巨木で採光がすこぶる悪いのだ。
アルバトールやカエルには湿度も適当で結構なのだが、少しは日の光を浴びなさいと毎日のお茶が義務づけられた。
電磁気系魔法で動く篭がつくとリールテールと幾人(匹?)かの侍従が焼きたてのスコーンを運び入れるところであった。
「わぁ、良い匂い…」
「イツモありガトウごザイます。おジョウさマ」
「ご苦労」
メルクトはリールテールを軽くにらんで乱暴に椅子に腰掛ける。
「旦那様。本日のお友達でございます」
メルクトは椅子から飛び上がるように立ち上がると物凄い勢いで窓際に移動し、ガラスに顔を押し当てた。
「ちょっと、まて」
たっぷり5分はそのまま固まり深呼吸、ゆっくりと席に戻る。
そんな様子を半目で見守る侍従一同とリディの存在などメルクトの視界には入らない。
「で、今日の子は」
「ヘンリエットV2ちゃんです。」
リールテールの横には小さな机と小さな水槽。
そしてメルクトは満面の笑み。
逆にリディは少しだけ嫌そうな苦笑い。
「ちちち、でておいで」
メルクトはお茶の時はいつも「こう」なのだ。
必ず改造は虫類を一緒に連れてくる。
メルクトは菓子や茶に手も付けず水槽の中の可愛いペットと戯れてまた部屋に戻っていく。
メルクトの集中力は5分と持たないがは虫類の事となると人が変わる。
事実メルクトの一日は半分以上実験室で費やされているのだから本当に好きなのだろう。
ただしそれ故にリディはいてもいなくても変わらないのだと思う。
これでリディがお茶を楽しみにしろと言う方が無理という物だ。
リディは美味しいお茶を飲みながら、性格の歪んだ魔術師を横目にそっとため息を飲み込んだ。
「メルクトさんは。ぼ、私とお茶をして楽しいですか?」
陽光を背に渡り鳥が飛んでいく。
「ふむ、お前は面白いぞ。」
「いや、そうじゃなくて。」
メルクトの眼差しがリディを捕らえる。
「我輩は………楽しいぞ」
「何ですか?その間」
「ん?いや、楽しい。うむ。楽しい。」
メルクトは、しかめっ面をほぐしてにっこりと笑った。
「楽しいぞ」
「………普通に笑えるんですね」
「人間だからな」
「なんですか…それ」
リディはなんだか少し恥ずかしくなってしまって、下を向いて黙ってしまう。
魔術師様の笑顔はとても可愛らしい少年のような笑顔だった。
重い音が森の木々をゆらした。
「ドウシタ」
「ワカラン。アルジどノがm」
森を巡回していたアルバトール2匹は、自分の首と胴が離れたことを最後まで気付くことはなかった。
勉強部屋にて。
「リディ。もう三ヶ月になりますが、あなたのお仕事の方はどうですか」
リールテールはリディの書き取りの解答に目を通しながら呟くように尋ねた。
「………」
「まぁ、いいでしょう。旦那様も楽しそうですしわたくしに今の所不満はありません」
「やっぱり…もっと、魅力的な女性にお願いした方が良いんじゃないか?」
「勉強中は特に言葉遣いはエレガントに」
「…すみません」
「わたくしは貴女でいいと思ったからこの条件を出したのですよ」
リディはアルバトールの目を見つめる。透き通ったトカゲの目に感情は伺えない。
「こことこことこことここ、四箇所直したら今日は終わりで結構です」
リールテールが立ち上がり、真っ直ぐ部屋を出て行く。
遠くで重い音がした気がした。
足を止めてリールテールがリディに振り返った。
「少し、事情が変わったようです。」
「事情?」
「敵です?」
「敵?」
「旦那様の敵です。旦那様の敵は我々全ての敵です。迎え撃ちます。が、貴女は…」
リールテールはしげしげとリディを爪先から頭でねめまわすように見ると舌打ちをした。
「使えそうにないので隠れていて下さい」
「ナチュラルに酷い」
「使えない物は使えません。地下図書室で恋愛小説でも読んで旦那様の攻略法でも探して下さい」
「リールさんは戦うの?」
「さっさと移動しないと口の中に○○○をつめますよ」
「ごめんなさいすぐいきますやめてください」
「よろしい」
リールテールはリディを地下道に押し込み部屋の鍵を閉めると主の部屋に駆けだした。
じめじめとした部屋。一人椅子に腰掛ける部屋の主の眉間には深い皺が刻まれていた。
ハルバニアはアルジの前に片膝を付き報告する。既にある程度は察しているのだろう。
「アルジどノ」
「ハルバニア」
「ナナヒキが、すでにヤラれてオリマス。ゴジュンビを」
「骨のある雑魚のようだな。そうか。やられたのは警邏のものか」
「ソウです」
「ふむ」
ごおおおおおおおおおおおおおん
ごおおおおおおおおおおおおおん
ごおおおおおおおおおおおおおん
「めえええええええええええええええるうううううううううううううううううううくううううううううううううううううとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
黒い城、黒い深い森、深い森に隣接した街にまで声は鳴り響いた。
メルクトは壁を叩くと出現する出口を城の上空に設定してあるワープホールに飛び込んだ。
深い森は街の反対側、荒野の方から深く深く抉られていた。
城の尖塔のてっぺんからメルクトはそれを眺める。
森を抉った巨大建造物。ゴーレム。召喚術で呼び出された異界の兵器だ。
おそらく召喚者と思われる男はゴーレムの上で何かを叫んでいる。
メルクトは風の魔法で男の耳に届くよう呟く。
「うるさいやかましい黙れタヒね」
「くははははははははははははは!!!!!!!漸く出てきたか!!!老害!!!お前こそ死ね!!!」
元気な侵略者は人差し指でメルクトを指さすと高らかに名乗りを上げた。
「我が名は勇者メイザーズ!!!!いざ尋常に勝負であるぞ!!!魔王メルクト!!!!!!!!!!!」
「え…」
「魔王!!観念して我に討たれよ!!!!我がゴーレムは天下無双!!貴様のトカゲもどきでは」
「あの、人違いです」
「へ?」
「我輩。魔術師ではあるが魔王ではない。」
メルクトの眉間の皺が一層濃くなる。
「うそこけ!!!何処の世に300年も生きる人間がいるというのだああああああああああ!!!!」
勇者の叫びは黒い城、黒い深い森、深い森に隣接した街。勿論城の地下まで響き渡った。
「声がでかい。うるさい。静かに喋れ。」
メルクトは腕を振って防音壁を作る。この距離で肉声で轟音を轟かせる存在にメルクトは少しだけ感心して、呆れた。
「いるのだ。致し方あるまい。」
あとそんなに叫ばずとも聞こえる。と
「それにその両の赤眼!!ヘルメスの魔眼と聞き及ぶぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!観念して討たれるが良い!!!!!!!!!!!!!!!国王からの討伐許可は出ているのだああああああああああああああああ!!!!!!!!」
「そんなものではない。産まれた時から目に色素がないのだ。光の屈折率で赤く見えるだけなのを魔眼などと」
「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおれむううううううううううううううううううううびーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーむ装填!!!!!!!!!!!!!!!!」
「聞けよ」
ゴーレムの周囲に光が集まる。最初の轟音はごおお(略)ビームとやらによるものだったのか。とメルクトは冷めた目で見つめた。
勇者。魔法剣士。国王の許可をとって魔王狩り。
殺すと後が面倒そうな敵であった。
しかして彼の敵であった。
敵は
「勇者よ。我輩が一体お前に何をした」
ゴーレムの頭上の光球は既に人間数人分の大きさになっていた。
「…無駄か。矢。圧縮。重力。24詠唱破棄。屈折。消去。23節詠唱破棄。圧縮。硬度。圧縮。」
メルクトはぼそぼそと妙な呪文を唱え始める。
「放てーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
光は爆音を伴って城を抉り尖塔の頂点に立つメルクトに襲いかかる。
しかし、メルクトの周囲で光はガラスの砕けるような音を立て霧散する。
「破壊力はなかなかのようだが力づくというのは。よくない。」
メルクトの手にはいつの間にか弓が握られていた。更に虚空から赤く輝く矢が取り出される。
「魔術戦は美しくあるべきだよ。若造。」
矢をつがえ。勇者ではなく足下のゴーレムへ向けて、放つ。
「攻撃かっ!!!土塊よ石となりて阻め!!」
勇者はゴーレムの前に防御魔法を展開する。地面がせり上がり厚い壁が一瞬で構築される様はメルクトよりも魔術師然としていた。
「薄い」
赤い矢は土壁を紙のように吹き飛ばしゴーレムへと突き刺さる。
次の瞬間ゴーレムは爆散した。
振り落とされた勇者はボコボコになった地面に尻をしたたかに打ち付ける。
「おのぉっ」
「勇者。今ならまだお前が殺した7人の罪滅ぼしをするなら許してやる。帰れ」
メルクトは風に言葉を載せる。
「断る」
ひゅぱ
メルクトの首に赤い線が走った。
「…こひゅ」
メルクトが振り向くと後ろに女が居た。女は目を見開いてメルクトの首を凝視している。
赤い髪。赤い眼。露出の多い服と、手に構えた剣。
メルクトはその剣についた血が自分のものだと気付くまで若干の時間を要した。
「首を落とし損なったか!!化け物め!!!」
女は後ろに飛び退る。
なるほど、下でゴーレムが派手に暴れている隙に本命がメルクトを狙う作戦か。
あれほどの火力が陽動とは気付かなかった。悪くない。
首を切り裂いた剣は聖剣の類か、教会お得意の神聖加護が何十にもかけてある。メルクトの肌を貫通したのも納得の業物だ。
首を落とされたくらいで死ぬほどドーピングされたこの身体が滅ぶとも思えないが。
「こちらが勇者か」
なるほど、勘違いではあるが魔王に単身手傷を負わせる心意気。勇ある者の呼称は間違いないのだろう。
「効かぬのは分かったであろう。諦めろ。」
二度目はない。
しかし、女勇者は剣を握り直すと再びメルクトへと斬りかかった。
「そこまでこの素首が欲しいのか」
しかしメルクトの周囲には既に見えない壁が築かれており、固い音を立てて剣が弾かれる。
「くそっ」
女勇者は一瞬で体制を立て直すと胸の前で手を合わせ何か短い詠唱をする。
「お前も魔法を扱うのか。めんどくさい」
「ハルバニアさん。大丈夫なんですか?このお城」
「さいきんはヘイワだったのに。リディはサイなんでしタね。しかし、イゼンはこのヨウなシュウゲキはニチジョウさはんジだったのデスよ」
「だって、勇者とか討つって言ってましたよね。さっき」
勇者様と言えば帝都コーデリアルの皇帝様に任命された特級の聖人様の筈である。
街まで名前が届かない程度の魔術師でどうにかなるとも思えなかった。
「カンちがイいでしょウね。アルジさまはユガンではイマスがにんげんデすよ」
地下書庫でリディはハルバニアと言いつけ通り隠れていた。
「サイアクうえのシロじたいはケしトンデモつくりナオせます。モンダイありマせん」
「メルクトさんは」
「アルじさまはツヨイおかたですしガンジョウです」
「…300歳って本当なの?」
「いいえ。ジッサイはもうスコシオトシをめさレテいます」
「!?」
「オドロかれるノモムリありまセン。あるじドノはスウヒャくねんいまのオスガタでいきてオラレます」
「メルクトさんは…それでも人…なの…?」
おとぎ話に出てくる魔神などなら話は分かるが数百年など人間の分を軽く越えているのではないか。
ハルバニアは少し首を傾けて目を瞑った。
「『それでも』ヒトなのです」
「…」
「ン?」
ハルバニアが振り返った。壁に波紋が走る。
「!!!!???」
「シンニュウしゃでスか」
壁から現れたのは赤い髪の女だった。
「な!?どうしてリザードマンが!?それに…人間!?」
赤い髪の女は腰のホルスターから短剣を引き抜き、じりじりと後退する。
「ひっ」
「りでぃ。ダイジョウブです。ミシらぬカタ。アナタはドコのぎるどのマジュツしドノなのでしょう?コチラはマジュツシがスガタヲサらしていルノですからそちらとタタカウのがヤクジョウのハズですガ」
ハルバニアがリディを背後に庇う姿を見ると赤い髪の女は剣を下ろした。
「人語を解するのか!?おかしなリザードマンもいたものだ…」
「?…マジュつしではナイのデスか?」
「我が名はシュケル。勇者シュケルよ。私は国王様の依頼でこの城にすまう魔王を倒しに来たの」
「ひ、人違いです。ここのお城に住んでいるのは魔術師で、魔王ではありません。」
「さっきのヤツも同じことを言っていたわ…」
「アルジさまにオアイになられたのデスか?」
「リザードマンはやはり魔王の手下かっ」
シュケルは再び剣を構える。
「だから魔王じゃありません」
「少女。キミはヤツに洗脳されているのだ!正気を取り戻せ!よく見ろこのおどろおどろしい城を。キミの前にいる化け物を!!」
「ハルバニアさんは化け物じゃありません!!」
「いいのですよリディ」
「でもっ」
「ユウシャでもナンでもイイデスがこんなトころにテンイシテキたとイウことはウエでアルジさまにマケテ、テッタいしようとシタのデしょう。サリナサイ」
メルクトの過去を知るということは、ハルバニアも相当の年齢なのだろう。皺も出来ないは虫類の顔で年齢は測れないが確かに手はすこしだけくたびれて見える。
「ああ、言われなくとも長居はしない!ただしその少女は救わせて貰う。」
勇者は手を伸ばす。
「リディ。アナタのスきにシテカまいマセン」
「やめて下さいハルバニアさん。行くわけ無いです。」
リディはハルバニアの執事服の端を握りしめる。
「ソウですか」
ハルバニアが少し笑った気がした。
「おい、貴様我輩のペットに何をしている」
いつの間にかシュケルの背後にメルクトが居た。
首の赤い線にハルバニアが目を見開く。
「コトばはエラんでクださいアルジど…の」
「気にするでないハルバニア。」
「おけがをされるとはモウロクされマしたな」
「ほざけ」
シュケルの額には大粒の汗が浮かぶ。
もっと素早く行動するべきだった。迅速に離脱すればよかった。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
シュケルは剣を眼前のリザードマンの胸に突き刺し、少女を抱きすくめるとありったけの魔力で空間転移をした。
血が噴き出し、床の石を赤黒く染める。
床にどさりとハルバニアが倒れ伏した。
メルクトは。
ある国に怒りに狂った魔術師がいた。
魔術師は持てる限りの戦力を持って憎き敵を、
教会とそれに関わる全てを壊し・殺し・焼き払った。
結果としてあまたの村・街・周辺国までが滅び去り、無人の荒野となった。
魔術師は魔王と呼ばれた。
魔王は大量の屍を築き、どこかへ消えた。
少女は窓際に立ち尽くす。
部屋は外側から鍵がかけられていた。
こんなことなら、リールテールに鍵開けや格闘術を習っておくべきだったとリディは考えていた。
教会に幽閉されて五日間、考える時間だけは沢山あった。しかしアルバトールの執事を思うとリディの頭はそれ以上の思考を停止する。
「ハルバニアさん…リールテールさん…メルクトさん」
短い期間ではあったが身元もはっきりしない自分を家族にしてくれた黒い城の優しいひとたち。
最後に、ゆっくり倒れるハルバニアの姿が、立ち尽くすメルクトの姿が忘れられない。
「僕の…せいだ」
リールテールの申し出を断るべきだったのだ。
そうすれば、ハルバニアがリディを守る必要は無かった。
彼があの時刺される必要は無かった。
「はるばにあさん…」
泣いてもどうにもならない。彼の安否を知りようもない。だから泣かない。まだ、泣けない。
ドアがノックされ数人の女性が入ってくる。
リディは目を伏せた。洗礼の時間だ。
勇者と共に教会に幽閉されてから毎日、リディは『洗礼』を受けていた。
聖なるお祈りの言葉を貰い。聖水を浴び。洗礼が終わると聖女様とお茶をする。
そんなものより、リディはハルバニアの授業が、リールテールのレッスンが、メルクトとのお茶会が恋しかった。
何故リディが聖女様の話相手になるのか、勇者に聞いても修道女に聞いても分からなかった。
教会の敷地内にある、小さな建物にリディは入れられる。
「ねぇ、聞かせてくれない?貴女のお話。」
振り向いた影響で黄金の髪が一房肩からしゅるりと胸に垂れる。美しい女性。
スタイルもかなり良いだろう、修道服の上からでも凹凸がよく分かる。
この場所で頭のおかしいと言われた中でリディを庇ってくれたのがこの人だった。
奇跡の顕現。
強大な白魔女。
豊穣の女神の生まれ変わり。
そして、教会のマスコット。
聖女アストリエ。
臣民に絶大な人気を誇る彼女は教会本部でも教皇に次ぐ実力者とされている。
彼女の一存でリディは浄化と称した火あぶりにされず幽閉されていた。
「………」
「今日もお話、出来ないかしら」
リディは窓を見る。防音ガラスの嵌った窓には飾りの様な美しい装飾の網がかかっている。
「………」
「貴女がここにいれば。彼が来てくれるのかしら」
「………」
彼
リディは聖女を見る。聖女は柔らかなほほえみを浮かべた。
ある国に少年がいた。
少年は魔術の才能に溢れていた。
目こそ見えないまでも、少年はその類い希なる才能を買われ魔術師の弟子となった。
メルクトという名は師匠に貰った。
ガンドルフは生きる知恵と魔法と言葉を教えてくれた。
しかし、師匠もメルクトを理解するに至らなかった。
師匠は言った。
「魔術師とは知恵ある者そして揺るぎなきものでなくてはならない」
メルクトは言った。
「僕は揺るぎなく人ではない彼等を愛しているのです」
師匠はメルクトに去れと言った。
「魔術師は人の味方でなくてはならない」
そうでなければ魔王になってしまうのだ。
メルクトは人間が嫌いだ。
盲目の自分を棒で叩いた人間が嫌いだ。
母と自分を村から追い出した人間が嫌いだ。
変わった目の色を見世物にしようとした人間が嫌いだ。
彼等は歩み寄ってくれない。
彼等はメルクトから逃げていく。
否。彼等はメルクトから逃げるのではない。
メルクトの愛し子達から逃げていく。
メルクトの言など聞きはしない。
メルクトの思いなど考えはしない。
しかし彼等はメルクトを利用した。
メルクトの知恵は彼等に光を与えた。
荒廃した大地に新たな芽を息吹かせた。
不治と言われた病をぬぐい去った。
人々はメルクトを大天才と褒めそやした。
偉大なるメルクト。
嗚呼、きもちがわるい。
人間は、きもちがわるい。
しかし、人間として魔術師として生きるには彼もまた人間でなくてはならなかった。
ある国に少年がいた。
少年は魔術の才能に溢れていた。
目こそ見えないまでも、少年はその類い希なる才能を買われ魔術師の弟子となった。
しかし、少年は孤独だった。
少年は瞬く間に師の知識を取り込み、旅に出た。
そして少年は出会った。魔王に。
魔王は少年に不死を与え、そして、どこかへ消えた。
そして、ある国に一匹のトカゲがいた。
トカゲはトカゲだった。
トカゲは少年に出会った。トカゲは自分を捕まえた少年に恐怖した。
トカゲは恐怖した。恐怖しかなかった。
少年はナイフを取り出した。
少年はトカゲの尻尾を切り落とすと嬉しそうにそれを持って去っていった。
尻尾を切られたトカゲは死を覚悟した。
根本から切られたため出血が酷かった。
ただ生きたいとあがいていた。
トカゲは魔術師に出会った。
トカゲは不思議と魔術師を恐ろしいものとは思えなかった。
魔術師はトカゲを慈しむように抱きしめ、どこかへ消えた。
尖塔は折れ、外観は既に廃墟と化した城にて。
黒い城のホールの照明は落ち、暗闇が城を支配していた。
メルクトは魔術師のローブを脱ぎ、新しいマントの留め具を留める。
「リールテール。我輩は本日より『魔王』となる。構わぬか」
「はい。旦那様」
リールテールは片膝をついて主を見つめる。
「どこまでも、お供いたします」
「いつもすまない。我輩はお前達を振り回してばかりだ」
「いいえ、わたくしども一同旦那様に救われた命。旦那様とご一緒出来て楽しゅうございます。」
暗闇の中に数万の目が浮かぶ。
「ふふ。楽しいからと言って小娘はいじめすぎだったがな」
「返す言葉もございません」
リールテールの少しだけ丸まった尻尾が揺れる。
「小娘を助けに行こう、愛するリールテール。ついてきてくれるか。」
「かしこまりました。いつまでも。どこまでも。全ては、御心のままに」
「この家も今日で仕舞いだ。心惜しくもあるが別れを告げよう」
高く掲げられたメルクトの片手に光が集まる。
次の瞬間。黒い森が真っ白に染まった。
こうして偉大なるメルクトは黒い城が大破した七日の後、城の残骸と黒い森をすべて砕き、己が名を『魔王』と名乗り周辺国へと宣戦布告をした。
「我が輩は偉大なる『魔王』。家の面白い娘を攫った馬鹿共には痛い目を見て頂くぞ!!!!!!!!!!」
「魔術師はとても優れた魔術師だったのよ」
「………」
「ふふ、純粋な子ね。目が興味深々っていってるわ」
リディは目を背ける。
「おとぎ話よ。とても昔の」
「………」
「彼は魔王と呼ばれたわ」
「………」
「だって彼はたった一人でこの国の人間全てをころして、亡ぼしてしまったのですもの」
「…あなたは…」
「ん?」
聖女が肩肘をついてリディを見つめている。宝石の様に輝く青い眼差し。
「なんで…そんなこと私に話すんですか…」
「だって貴女は魔王様の所から来たんでしょう?」
「魔王……さま……?」
「そう。」
「ちが…ます。メルクトさんは…魔王なんかじゃ」
「違うのかしら?でもいいわ」
聖女は楽しそうに話す。
「この国はね。ずっと昔に滅んだ国の上に有るのよ」
「どんな国だって戦争で大きくな」
「そうじゃないのよ。この国は焦土の上に無から作られた国なのよ」
「………」
「亡ぼしたのは魔王。魔術師だったわ」
「メルクトさんは…そんなことしません」
「そうかしら」
確か、聖女様は王家の血を引いているのだそうだ。
あの、黒い森の隣の小さな街にいた時。噂に聞いた。
この聖女は、王家の言い伝えか何かで昔のメルクトを知っているのかも知れない。
リディの胸に、一抹の不安がよぎって、消えた。
「絶対に。メルクトさんはそんなことしません」
あんなに臆病な人が、そんなことするはずがない
「じゃあ明日は私の知っているお話の続きを教えてあげる。」
軍団が、街を蹂躙する。
ざっざっ
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ざっざっ
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ざっざっ
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
街に絶叫が轟いた。
「くはははははははははははははははははははははぁ~!!!!!!!おびえろ!!恐怖におののくが良い!!!!」
高笑いするは黒衣に黒髪、赤眼の男。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
べちゃ
「けろ?」
「かえ…るるる…」
街行く人々にそれは襲いかかった。おびただしい数のぬるぬるのカエルが、ヤモリが、トカゲが、あまたのは虫類が街を蹂躙していた。更に彼等の通った後にはぬめぬめした液が残されつるつる滑る二次被害を生んだ。
「さぁ我が娘を攫った愚かな勇者に与する教会よ!!!!!後悔に打ち震えさせてやるわぁ!!!!!!!!!!!!!!!」
「旦那様。旦那様のみみっちぃ人間性がよく分かる素晴らしい演説でございますね」
「うるさいのだリールテール!!我輩悪役などやったことがないのだ!!文句があるならお前がやれ!!」
「よろしいのですか?」
小首をかしげる侍女服姿のアルバトール。
「やっぱり我輩がやるぞ!!」
メルクトは高笑いを再開する。
メルクト達『魔王』様ご一行は真っ直ぐ王都を目指す。ただ真っ直ぐに。
街、村では彼等が通り過ぎる度に悲鳴が轟き、連日清掃に追われることになった。
数日の後、『魔王』ご一行は教会本部のある王都へとたどり着いた。襲い来る教会兵を蹴散らし滑らせ。悲鳴を上げさせながら。
道中道案内の勇者メイザース君が気絶し、迷走したこともあったが概ね予定通りの誠に順調な行軍であった。
「くはああああはっはあ!!!!!!!!!!!!!!」
メルクトも道中高笑いを続けすぎて些か疲弊していた。
興奮した時以外は物静かな男なのだ。メルクトという魔術師は。
「ぜぇ…ぜぇ」
「旦那様。リディが待っております。もうひとがんばりでございます」
リールテールが励ます。
「うむ。そうであるな。」
嬉しそうな姿を見てリールテールは眼前に迫る王都の城壁をにらみつける。
「必ず。ご意志を届けて見せましょう」
リールテールはあの時、メルクトの部屋に走っていた。
魔術師はしばしば「格」を上げるためより高位の魔術師に命がけの勝負を挑んだ。
これによって命を落とす者も多かった。
メルクトの師、賢者と歌われたガンドルフも勝負に負け消えた。
メルクトの身体はとても頑丈だ。それは不死に限りなく近い。
しかし、その不死は仮初めの物だ。リールテールは知っている。
リールテールは戦闘の度、主の敵を数多葬った。
全て主を守る為。
彼女に命を分け与えた。王を守る為。
部屋にたどり着いた頃にはもう主は戦闘に出た後だった。
リールテールは外に急いだ。魔術の使えぬ身体が口惜しかった。
城を出るとゴーレムが爆破されたところであった。
ゴーレムの破片に主の波動を感じたリールテールは主の絶対的勝利を信じて疑わなかった。
だが破片の中から勇者は立ち上がった。
メルクトを魔王などと呼ぶ。不遜なる勇者。愚かなる勇者。
リールテールは細身の短刀一本で勇者メイザースを打ち倒し、再召喚、防御の再展開をさせぬままに捕縛し拘束した。
しかし、リールテールは更に勇者の仲間を捕獲したために後れをとってしまった。
地下室にたどり着いたとき、主はハルバニアをかき抱き泣いていた。
もうあんな顔はさせてはならない。
彼女達乱獲されボロボロになっていたトカゲに命を分け与えてくれた彼を、守らねばならない。
あるところに魔術師であった人間嫌いの魔王がいた。
魔王は人間に迫害され、全てを奪われた。人間であることすら奪われた。
魔王は全ての人間に罪の購いを求めた。
魔王は出会う人間全てから代償を、命を奪った。
魔王は少年と出会った。
少年はまた、魔術師であった。
魔王は少年に問うた。
人間が憎いかと。
少年は「是」と答えた。
魔王はまた、少年に問うた。
共に人間のいない世界を作らないかと。
少年は「否」と答えた。
魔王は最後に少年に尋ねた。
何故か。と。
少年は答えた。
「僕と一緒に亡ぼしても。世界に僕とキミという人間が残ってしまうじゃないか。そうしたら、僕らは殺し合わねばならないのだろう?」
そんなの。お断りさ。
少年は言った。
「キミは不思議だね。僕はキミと殺し合うより友達になってみたいよ。」
魔王は泣いた。そして憂いた。
「ああ、君はまだ私を人というのか。君は絶望を知らぬのか。そうか、ならば与えよう」
魔王は少年に全てを与えた。
魔王は己の「命」と奪った全ての「命」を少年に与えた。
少年は不死になった。
少年は「命」を操る術を得た。
形無き「命」はあらゆる物を作り出す材料となった。
数多の命を作り出し、数多の命を消費した。
そして少年は最強の魔術師となった。
だが少年は気付いてしまった。
自分の操る物の正体に。
少年は国を潤し人々を救った偉大なる魔術師となり、世界から消えた。
しかし、全ての者が彼を忘れることはなかった。
彼が救った王達は彼を忘れることはなかった。
聖女様は水の入ったグラスを傾けてリディに語った。
「確かそんな感じ。」
「…なんですか。それ魔王は消えちゃったじゃないですか」
「だからおとぎ話よ。この国の王様達が信じる」
「…なんだかへんです」
「そう?」
聖女はにこにことほほえむ。
「きっと王様達はまた『奇跡』が見たいのよ」
「奇跡…?」
「そう。奇跡。魔王がたった数日でこの国を亡ぼし、そして当時少年だった彼がそれをたった数日で『作り直した』。これこそ奇跡の御技じゃなくって?そんな奇跡を、彼等は独占したいのよ。理由はともかくも」
「……勇者さんを王様がけしかけたのは…」
「私は知らないわ。でも貴女がここにいてくれた方が少なくても安全は保障できる」
「どうして…そこまでしてくれるんですか…」
「さぁ」
青い眼が嬉しそうに細められる。
「私もきっと彼に会いたいのよ。完全ではないけど、トカゲだから」
「…とか…げ…?」
どおん
何かが爆破される音がし、強烈な衝撃が床をゆらした。
椅子が転げ聖女とリディは床に転がる。
「メルクトさん!?」
「来たかしら」
聖女はとても嬉しそうだ。
廊下から聖女の無事を案じる近衛騎士達の声が聞こえた。
「行きましょう」
「…いいの?」
「あら、行きたくないの?」
「…いく」
聖女は廊下に出ると手を掲げただけで駆け寄ってきた騎士二人を一瞬で昏倒させた。
コレが奇跡の御技とやらなのか。とリディは目を軽く見張る。
「ふふふ」
「聖女様。少し私の尊敬する人に似てます」
「そう?ありがとう」
聖女は少女の手を取り走り出す。
整然と、教会本部前には騎士達が並んでいた。
「何をしにいらっしゃいましたか、魔術師メルクト」
修道女が先頭でメルクトに話し掛けた。
「こちらで監禁されている少女を引き取りに来た」
「そのような事実はございませんわ。」
「…あ…?」
「それよりも町々で貴方が起こした騒ぎの責任。どうとられるおつもりですか?」
「それより?」
「広域にわたって被害が出ておりますし、貴方がお住まいになられていた土地についても」
「どんなことは聞いておらぬわ!!!!!!!!」
騎士達が槍を構える。
「うちの子をどこにやったのだ!!貴様らああああああああああ!!!!」
メルクトは教会本部に真っ正面から殴り込んだ。
大量のお友達と一緒に
騎士達の槍はは虫類たちに届くかどうかというところで軌道が逸れ地面に突き刺さっていく。
「『平和主義』の魔法ですか」
修道女はメルクト達の進行方向からそっとよける。
「愚かな」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいなんだこりゃああああああああ」
「うわっひっつくなっうわあ!!!うわあああああああああああああ!!!!!!!!」
「いぎひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!やめっうっ」
教会内部は阿鼻叫喚に満たされた。
そのままは虫類の山車に乗ったメルクトは壁を破り、建物の中を探る。
「リディ!!!!リディ!!!!!!!!!どこだ!!!!!!!」
「うわあああああああああああああ」
「ひいいいいいいいいい」
悲鳴が、泣き声が反響する。邪魔だ。全部邪魔だ。
メルクトは乗っていたは虫類から降りて走り出す。
「魔王様が迎えに来てやったのださっさと出てこんかあああ馬鹿者めえええええええええ!!!!!!!!!!」
階段を駆け上がる。こういう所に住んでる奴は大事な物を上に隠したがる。
「メルクトさん!!!!!!」
少女の声が聞こえる。
「メルクトさん!!メルクトさん!!!」
リディは叫ぶ。悲鳴に飲み込まれそうに成りながら。
大小様々なは虫類やアルバトールが手当たり次第人間に抱きついたりすりすりしたりしている。
リディは城に迎え入れられたばかりのことを思い出す。
アルバトールが近づく度にわーきゃー叫ぶ物だから。彼等をすっかり意気消沈させてしまって。
怖いかとメルクトさんが聞いてきて。とっさにいいえと作り笑いしたらメルクトが泣きそうな顔になって、
嗚呼この人は人の嘘に敏感なんだなって。とても悲しくなってごめんなさいをしたらメルクトさんは不思議そうな顔をして、それで、それで
思考の固まるリディをメルクトが抱きしめて。と思ったら直ぐ俵担ぎに持ち替えて、不平を言う間もなく
「者どもー!!!!!!!!!退却だー!!!!!!!!!!!」
とか叫び出しちゃって
再会を喜ぶまもなくリディはメルクトとは虫類の波に流されていく。
「久方ぶりだな小娘!!」
「えへへ、もう名前呼んでくれないんですか?」
「犬のようだからな」
この人は本当に意味が分からない。リディの顔に笑みが浮かぶ。
けろ、と鳴きながら小さなカエルがリディの肩に飛び乗った。
「あの!はr」
「少しお待ち下さいな」
入り口のは虫類が途切れており、そこにアストリエがたたずんでいた。先にメルクトが口を開いた。
「久しぶりだな。」
聖女は答える。
「ええ、とても」
「キャサリン?だったな」
「偽名です」
何故か爽やかにトゲのある応酬。は虫類の波が先に引き。三人だけが残される。
「メルクトさん。彼女はアストリエさんです。脱出を手伝ってくれた方です」
知り合いらしい二人だが、リディはメルクトに言う。
「そうか、ましな人間もいたのだな」
「光栄ですよ。魔王様」
「うむ、盛大に恐れるが良い」
リディが眉根を寄せるのを見てメルクトはくす。と笑った。
聖女が魔王に尋ねる。
「この国に復讐されようとは思われないのですか?」
「何故?」
「…そうですか。まだ貴方は」
「お前は随分と肝が太い物だな。姫だったか?」
リディが固まる。本物の王族?
「ふふ、おかげさまで今は聖女をやっておりますわ」
リディは黙って二人のやりとりを見つめる。
「父達は貴方のお力に恐怖を抱いていらっしゃるみたい」
「だろうな」
「もうここから去られてしまうのですね」
「そうだな」
「その子も連れて行かれるのですか?」
「う~む。どうする?小娘」
「行きますっ!置いていかないで下さい」
「ということだ。我輩の娘だからな。もとより連れて行くつもりだったが」
嘘つき。行きたくないって言ったら絶対置いていく癖に。
リディが不満げな眼差しを送る。メルクトはそっと目を逸らした。
「そうですか、お話相手がいなくなってしまって寂しいです」
聖女は出口の横に身をずらした。
「それでは、ごきげんよう。お二人とも」
「…止めないんですか?」
「止めてどうするのですか?ああ、あと最後に」
アストリエはしゃがみ込み、片膝をついた。
「『トカゲ』は貴方に感謝しておりますよ」
「知っているとも」
「お気を付けて、魔王様」
教会の外には大量の戦士がひしめいていた。数万の人間。
教会の中でもめていた間に修道女が手を回し包囲したのだろう。もっともこれほどの数、元々待機させていたとしか思えないが。
「有象無象の雑魚共が!!!!去ね!!!!!!!!!!!!」
メルクトは風の魔法で声を拡大する。
戦士達に動揺はない。
メルクトはリディをリールテールに手渡した。
「リールテールさん…メルクトさん、ここに来るまでになにかしたんですか?」
「ちょっと悪戯をしたら反感を買ってしまわれたそうです。大丈夫。旦那様はお強いですもの」
戦士達の中から一人の男が現れた。
「メルクト君」
痩身の男はメルクトに向けてゆっくり剣を向けた。
「降伏したまえ。戦力差は歴然だよ」
剣の先端から光の奔流が迸りメルクト達と男だけが光の繭に包まれたようだった。
メルクトは口元に笑みを作る。
「我輩相手に吠えるようになったではないか」
「今なら君の宣言など無かった事にしてやろう。メルクト君。先達の非礼は詫びよう。再び王宮で働いて貰えるね」
「断る」
「君は自分のしたことの重大さを分かっていないのかね」
「そちらこそ、どうやって落とし前を付ける気なのだ。王よ」
王
「おうさま?」
「ソウですよ。リディ」
リールテールとリディの後ろにいつの間にかハルバニアがいた。
「!!!!!!!!!!!!!????????????????」
「あらハルバニア。まだ生きてたの?」
「オマエがチリョウしたのにソのいいグサはドウナノダ…」
リディは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。
「ヨシヨし。ゲンキだったかいリディ」
なでなでとリディの頭を撫でるハルバニアの手はいつも通りだった。
「おいお前ら…そういうのは後にしてまず我輩の格好いい姿を目に焼き付けろよ」
「ハルバニアさーん…だって…心臓…ささ…だって…うわーんよかったあああああああ」
「おーよしよし…ワタシたちはサイセイりょクがトテモたかいカラくびをトバされてモしにマセンよ」
「旦那様こちらはいい感じなのでそちらはそちらでどうぞ」
「クソ、なんだこの疎外感は。我輩だって泣くぞ。」
「どうぞ、ご自由に」
王はため息をついた。
「メルクト君。君は僕を馬鹿にしているのかな」
「ぐぐ。我輩は真面目に己が境遇を嘆いているにすぎぬよ。王」
「君が魔王として人間に反旗を翻すつもりなら、僕は君をころさなければならないんだ。分かるよね」
「まぁそうだろうな」
メルクトは王に向き直る。
「我輩がひっそり暮らしていたのを無理矢理引きずり出しおって」
「勝手に出てきたのは君だ。責任転嫁はやめて貰いたいな」
王は剣を鞘に戻した。
「交渉は決裂か。仕方ない。人間に仇成す魔王よ。消えろ」
光の繭も消滅し、同時に数万の戦士がヲヲヲと声を上げ一斉に魔王とは虫類達に襲いかかる。
「だあああああああああああああああああああまらああああああああああっしゃああああああああああああああい!!!」
戦士達の動きが止まった。
は虫類たちも微動だにしなかった。
誰も動くことは出来なかった。
草木も風も、時間の流れを忘れたようだった。
いや、2人だけ例外は居た。
『魔王』メルクト
「………」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
そして
「ああああもう。やかましいうるさいなんで眠らせてくれないのよばかぁ」
癇癪を起こす。聖女、アストリエ
「起こしてしまったか。すまないな。魔王」
メルクトは聖女に頭を下げた。
「ばか、あほ、とんま」
聖女がメルクトに近づく。
「我輩は悪くないのだぞ。一応釈明するが」
「しってる。オマエはまだ絶望していないのだろうからね。今のは八つ当たり」
聖女はメルクトの前まで来るとくるりときびすを返す。おしとやかな雰囲気は霧散し利発な少女のようだ。
「うむ。そこのいるのが家の新しい家族だ。面白いだろ?」
「あたしは寝ていたのだ。そんなこと知るわけ無いだろう」
伸びをしながら、人の間を歩く。
「そうか、残念だ」
「ここで、こんな状況って事はあなた”も”消えるの?」
「ああ、『魔王』になると決めてしまったからな」
「そう、あたしはもう少し寝ていようと思うけど、オマエがいなくなるなら寂しいな」
「魔王が起きる頃にはまた戻って来てやるよ。我輩と魔王は友達だからな」
「まったくオマエはよく分からないよ。あたしが折角新しい世界を作れる力をあげたのに、まっさきにあたしを助けようとするし」
「ふふふ」
「王家の血族にあたしを封印するっていうのは本当に思いつかなかったし、すっとしたよ。」
「我輩は語る言葉をもつ生き物なのでな、無用な争いは好まぬ」
「結構暴れたみたいに見えるけど?」
彼女はべたべたな教会や割れたタイルを指さす。
「不可抗力だ」
「ねぇ。力を持つ物が弱い者を助けなきゃ行けないってことはないじゃない」
「そうだな。我輩も余所の諍いに口を出す気はないぞ」
「ねぇ。弱い者に手加減する義理もないじゃない」
「そうだな。愚か者にはそれなりの対応をしているぞ」
「なぁ。魔王。誰かを愛したっていいじゃないか」
「そうだね。あたしもいつか誰かを愛せたらいいね」
「なぁ。魔王。自分を許したっていいじゃないか」
「駄目だよ。まだあたしは償いの途中だ」
「ありがとう。あたしに償いの機会をくれて」
「ありがとう。我輩に命をくれて」
「オマエは優しいね」
「魔王には負けるよ」
「オマエにはあたしみたいになってほしくないんだよ」
聖女の指先がメルクトのあごを撫でた。
「ならぬ。我が輩は愛しいペット達がおるうちはお前のようにはなれぬし『(かっこ)魔王』ではあるがその前に”偉大なる魔術師メルクト”であるからな。ちゃんとした魔王は、やはり魔王だけだ」
「そうかい。オマエには期待しているよ」
「せいぜい今後も期待するといい。魔王。ああそうだ、寝る前に一つ手伝ってはくれまいか」
「いいよ。あたしは今とてもご機嫌だし、世界に一人だけの友人の頼みは聞いてやるよ」
魔王は数日で国中の数百万の人間の命を奪いました。
そして国中をまっさらにしてしまいました。
少年は数日で数万人をよみがえらせました。
そして新たな国を築いていきました。
王様は少年を恐れました。
そして少年を遠い場所に追いやりました。
王様は国を失いました。
少年は王様の国を作り直しました。
魔王は命を失いました。
少年は魔王のいのちを作り直しました。
少年はトカゲを、トカゲは少年を愛しました。
少年とトカゲは救われました。
「どうなっているのだ。これは」
王は立ち尽くした。
周囲には森が広がっていた。
王に続いて沢山の戦士がゆっくりと頭をもたげているのが見えた。
一瞬。一瞬で王都の教会前からこんなドコとも分からぬ森に飛ばされたというのか。
王はめまいを感じてよろけた。
カツッ
王は何か固い物を踏んだ。
そして目を見開く。
足を使い草と被った土をどけると、それは教会前の道に使われている意匠の凝ったタイルであった。
鳥の声や獣の息づかいの聞こえる深い深い森。
木々の合間合間に柱や街灯、建物が見えた。
ここは国の中心、王都であった。
「気付いたときはみんなで街道に立っているとかどんな手品を使ったんですか?」
「ナイショなのだ。『魔王』様はミステリアスキャラで行こうと思うのだぞ」
「その、自分で様付けるの…やめた方が良いと思います」
「引かれた!?」
人のいない旧街道を魔王と、アルバトールと呼ばれるリザードマン達と、幼さの残る少女と、沢山のカエルやトカゲが行進している。
「これからメルクトさんはどうするんです?」
「国を作るのだ!!ハチュウルイパラダイス国的な!!」
「ネーミングセンスの段階で終わってますね」
「ハルバニアー」
メルクトは涙目で少し先を歩いていたハルバニアに駆け寄った。
横から伸ばされた、リールテールの手を取ってリディは歩き出す。
先を歩くメルクトは回復したようでハルバニアと何やら図面を付き合わせている。
新しい城の図案だろうか。
「リディ、これからもよろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いいたします。リールテールさん」
「所で、お仕事のことはどうなさいますか?旦那様の事、色々聞いたのでしょう」
「それでしたら大丈夫です」
「?」
リディはリールテールに少ししゃがむように言うと耳元で囁いた。
「無理に人間を好きになるよう仕向けなくたって。私が来る前から、リールテールさんがメルクトさんの事が大好きなのと同じ位メルクトさんはリールテールさんの事が大好きですよ。知ってました?メルクトさんリールテールさん以外「可愛い」って言わないんですよ?」
「………」
トカゲの顔でも赤くなるのか、とリディは思ったとか思わなかったとか。
おしまい
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オリジナル魔王小説。ピクシブで書いた物です。