No.405150

鞘の娘と牙の王子 2-2:迷宮下水道

風炉の丘さん

おとぎ話モチーフのファンタジーノベルです。引き続き第2章。サーヤとゲオルクの脱出なるか。

2012-04-08 22:18:09 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1120   閲覧ユーザー数:1119

 ゲオルクはサーヤを連れ、ミニホールの奧のドアを開ける。奧には厨房、倉庫、そして拘束用の小部屋が二つ。念のため他に拘束者がいないか確かめたが、誰もいない。どうやら今宵のスペシャルゲストはサーヤだけだったようだ。倉庫は予備のテーブルや椅子などがしまわれていたのだろうが、全てミニホールに出されていてほとんど何も置かれていなかった。厨房はかまどに薪がくべられ、野菜や果物が刻まれ、お湯が沸かされている。いつでもサーヤを料理できるよう、仕込みを始めていたのか。

 厨房の奥に進むと、隅の床に落とし戸らしき蓋があった。かんぬきを外して開けると、むっとする腐敗臭と共に、漆黒の闇へと続く大きな穴が現れる。落とし戸は投棄専用のようで足がかりは見あたらなかった。一度降りたら二度と戻れない。

 サーヤはかまどから火の付いた薪を取ってくると、穴に放り込んでみる。三メートルほど落下した薪は、石造りの床にぶつかり、いくつかの廃棄物……人肉料理にされた犠牲者の骨を照らし出した。

「王子さま、あの床の造りには見覚えがあるよ。間違いなく、この街の下水道だ……です」

 思ったより深くない。これなら下手な着地でもしない限り、骨を折ることはないだろう。しかし二度と戻れぬ片道切符だ。降りる前に、それなりの準備をする必要がある。

「だけどおかしい」そう言うと、ゲオルクも火の付いた薪を落とす。薪は別の方へと転がっていき、地下空間は更に照らされる。

「遺体が少なすぎます。『オーガの宴』の頻度を考えるなら、こんなものではないはずだけど…」

「この街の下水道には、人間くらい大きな『化け物ネズミ』がいるから、エサにされたのかも……し、しれません」

「迂闊に降りれば僕たちもネズミのエサか…。君はえっと、サーヤさん…だったね」

「はっ、はいっ!」

「僕は役に立ちそうなものを探しにミニホールに戻る。君は、そうだな…倉庫や厨房を捜してもらえるかな。それとサーヤさん」

「はいっ、なんでしょう、王子さまっ」

 ゲオルクは、くだけた口調でサーヤに話しかける。

「そんな風に堅苦しくならなくてもいいですよ。場末の国の王子なんて、偉くも何ともないのですから。もっと気楽に行きましょう。それに僕は、いわゆる忍び旅をしています。こんな状況ですから、あなたには身分を明かす必要があると思い、話しましたが、本当はあまり身分を知られたくないのです。ですからこのことは、僕とあなたの二人だけの秘密ということにしてもらえますか」

「ふ、二人だけの秘密っ。…わ、わかりました」

「僕のことは、ただゲオルクと呼んでください」

 

 ミニホールは男爵邸の地下一階にあり、生け贄とされる娘の悲鳴が外に漏れないよう、防音仕様になっていた。そのおかげでオーガ達の悲鳴も外には漏れていない。皮肉にも、『オーガの宴』の秘密を守るための仕様がオーガの命取りとなり、サーヤとゲオルクに生き残るための時間を与えていた。

 窓がないため外の様子は確認できないが時間は深夜くらいだろうか。夜の闇にまぎれてしまえば、後はどうとでもなる。問題はいかにして男爵邸から脱出するかだった。地上の階には、男爵家の使用人だけでなく、『オーガの宴』に参加した客達の連れや屈強のボディガードもいる。外からの侵入を警戒して警備もいつもより厳重になっているだろう。ゲオルクだけならまだしも、裸同然のサーヤを連れての強行突破は困難だ。それに使用人達は、何も知らない普通の人間である可能性が高い。無闇に傷つけるわけにはいかない。となると、残された逃走ルートは、深き闇が支配する地下世界しかなかった。すなわち、悪臭漂う下水道だ。

「何を浮かれてるんだ! しっかりしろ! あたし!」

 サーヤは不死者となって半世紀以上生きてきた。その間に様々な経験を積んできた。経験が人を育てるなら、心はずっと大人であるはずだ。しかし、見た目と同じく、サーヤの心も十五歳のままだった。優男には何度も騙され、裏切られ、ひどい目にあってきたというのに、優しくされると、ときめかずにはいられない。

 とはいえ、今はそれどころではない。逃げ出すための準備をしなければ。装備を調えなければ…。サーヤは作業に取りかかる。

 必要なのは、武器に服、食料に照明だ。中でも特に、サーヤが着る服だけは何とかしなければならなかった。シーツをかぶったままでは両手が使えないし、ゲオルクに裸を見られていると考えるだけで思考停止してしまう。これではただの足手まといだ。恋する乙女ならそれでもいいかもしれないが、剣士としてのプライドが、守られるだけの存在でいることを許せなかった。

 ひとまず服の材料となるシーツはある。しかし厨房に針と糸はない。そこでサーヤは、包丁でシーツの真ん中に穴を開け、頭からかぶってポンチョのような貫頭衣にした。それだけでは心細いので、更に縄をベルト代わりにして腰の辺りを縛る。原始的な服だが、丸裸でいるよりずっといい。

 次は武器だ。包丁でもそれなりの殺傷力はあるが、所詮は料理用で心細い。そこで、ほうきの柄に自分を拘束していた縄で包丁を縛りつけ、即席の槍を二つ作った。これも大した攻撃力はないが、リーチがあるのは心強い。

 続いて照明だ。これがなければ、光がほとんど入らない下水道では移動もままならなくなる。幸いかまど用の薪はたくさんあったので、布を巻いてたいまつも作ろうとしたが、あいにく布に染み込ませる松ヤニがなかった。代用品も思いつかず、諦めるしかなかった。こうなると、ミニホールで照明に使われていたロウソクに頼るしかない。

 最後に食料だが、これは厨房だけに山ほどあった。サーヤはパンやチーズや果物など、保存が利き、携帯できる食料を選ぶ。下水道からの脱出にどれだけに時間がかかるか判らないから、なるべく多くの食料を持っていくべきだが、困ったことに、持ち運ぶための袋がなかった。バスケットはあるにはあったが、テーブルに置くタイプで取っ手が付いておらず、持ち運びには不便だった。

「そうか、ミニホールにならテーブルクロスが…」

 閃いたサーヤは厨房を出る。すると、ミニホールのドアの前にゲオルクがいた。ゲオルクは、両手いっぱいに何かを抱えたまま、血の池地獄と化したミニホールをじっと見つめていた。サーヤにとっては憎い敵だが、ゲオルクにとっては身内だ。それを許せなかったとは言え、ゲオルク自身の手で皆殺しにしたのだ。その心境はいかほどの物なのか。サーヤには察しようがなかった。

「ゲオルクさん。大丈夫…ですか?」

「え? あ…、サーヤさん。シーツで作ったのですか。素敵なドレスですね。これなら今からでも舞踏会に行けますよ」

「そんなジョークが言えるなら、大丈夫ですね。よかった」

「ありがとうサーヤさん。僕は大丈夫です」

「ところで何を持っているの? …ですか?」

「ロウソクです。地下迷宮の探索に、照明は必需品ですからね。下水道をどれだけさまようか見当も付きませんし、とにかく持てるだけ持ってきたのですが…。ところで厨房に、袋か何かありませんでしたか?」

「残念ながら……。でも、テーブルクロスで何とかなると思います」

「え? もしかして袋も作ってしまうのですか?」

「袋どころか、バッグだって作れますよ。例えばこんな風に…」

 サーヤは正方形のテーブルクロスを二つ折りにして二等辺三角形にすると、三角の両底辺を結んで短くする。続いて頂角を結んで取っ手にすると、あっという間に手提げバックが出来上がる。サーヤは早速ゲオルクの抱えていたロウソクを入れると、手に提げてみせた。

「これは……。驚きました。すごいアイデアですね」

「色々な物を自由に包めますし、不要になればコンパクトに折りたためるので、荷物にもなりません。あたしのふるさとでは『風呂敷』と呼ばれています」

「フロゥシキ…。変わった響きですね。あなたのふるさととはどこなのですか?」

「東の果てよりも、ずっとずっと東にある島国です。あたしは奴隷商人に買われて、この大陸にやってきたものですから…」

 サーヤはテーブルクロスを使って風呂敷リュックを二つ作り、もしもに備えてロウソクと食料をそれぞれ半分に分けて入れる。ミニホールからは、更にロウソクを三つ灯せる燭台を二つ持ってきた。ロウソク自体は数があるが、火を付ける手段が無いため、何らかの原因で火が消えてしまうとアウトだ。だから対策として、複数のロウソクを灯し続けることにしたのだった。

 荷物を背中に背負い、右手に槍を、左手に燭台を持ち、二人はいよいよ街の地下に広がる巨大迷宮、下水道へと降り立った。

 ゲオルクが先行し、サーヤが続く。幸いにも化け物ネズミとの遭遇は多くはなかった。それにゲオルクは腕が立ち、包丁の槍と短刀の二刀流でネズミを難なく倒すので、ゴージャス・スキャバードの出番は皆無だった。誰かと行動を共にするとき、サーヤは決まって守る側だったので、一方的に守られるのは不思議な気持ちだった。

 しばらく歩くと、腐臭よりも糞尿の臭いがきつくなってきた。それも仕方がない。一応、水害対策にも有効ではあるが、下水道の本来の目的は、街で排泄された糞尿を捨て、大河まで垂れ流すことなのだから。

 

 この街の建物には『トイレ』なる施設は存在しない。大帝国栄えし、いにしえの時代には、水洗トイレだってあったというのに、一神教の時代になって文明は大きく後退してしまった。それでも田舎でなら、そのまま自然に還すことも出来る。大自然の中でダイナミックに用を足せば、心も晴れやかになることだろう。だが、街中ではそうはいかない。だから人々が自室で用を足せるよう、携帯トイレが普及した。

 問題なのは、街の人々の衛生観念だった。人々は携帯トイレに入った糞尿を、そのまま窓から外へと投げ捨てていたのだ。だから街の道路は汚物で溢れ、ぬかるみ、悪臭を漂わせていた。疫病の温床にもなり、人口過密都市では厄介な問題だ。

 サーヤが初めてその事実を知ったとき、唖然としたものだ。何故、作物の肥やしにせず、疫病の肥やしにするのか? 大陸の文明は訳がわからない。だからサーヤには、地下に張り巡らされた下水道というものが理解できなかった。

 たしかに糞尿を肥料に使わない以上、疫病対策のため必要だったのだろう。だけど下水道に流れ込むのは、糞尿や、生活排水や、雨水だけではなかった。人の悪意や、表に出せない秘密など、街にはびこる様々な闇も大量に流れ込み、熟成されていたのだ。

 いや、むしろそれこそが、大下水道が造られた本当の目的ではないかと疑いたくもなる。人を殺しても、下水道に投棄してしまえば、遺体は化け物ネズミが始末してくれるのだから。もっとも、そんな誰も入りたがらない場所だからこそ、逃走ルートとして有効だったのだが。

 悪臭と変わり映えしない下水道の風景。いつ終わるともしれぬ状況は、二人から時間の感覚を奪っていった。もう、どれだけ歩いたのかも判らない。化け物ネズミは時々襲撃してくるが、もはや驚異ではない。今の二人に必要なのはストレス解消。気晴らしだった。そこで、お互い何か話をしようということになり、最初にゲオルクが身の内話を始めた。

「僕のふるさとのロマリヤ王国は、やたら歴史が古いだけで何もない、小さくて貧しい国です。山岳地帯にある陸の孤島で、自然は厳しく、作物も小さな実しか付けてくれず、資源もありません。普段でさえ食料生産はギリギリでしたから、昨年の飢饉では何人もの民が飢餓で死にました。

 生き残るためには口減らしをするより他に無く、その負担は育ち盛り、学び盛りの子どもたちが負う羽目になりました…。それでも、ふもとの隣国に働き口があれば良い方で、泣く泣く子供を売る親もいました。子供にとっては悲劇でしかありません。しかし、親にしてみれば子供を助ける唯一の方法でした。実際、ロマリヤ王国にとどまるよりも、ずっと生き残る可能性が高かった。民を統べる身として、これほど情けないことはありません。だから僕は、民を飢餓から救う方法を求めて、旅に出ました」

 その話は、サーヤにとっては驚くべきものだった。旅の王子の目的といえば、妃にすべき女性を捜すか、お姫様を救ってその国に婿入りするかのどちらかだ。基本的に自分の幸せの追求であり、他者の幸せにするとしても、せいぜい妃となる娘が関の山だ。まあそれでも、王子には『王族の血統を守り、残す』という大義名分があるので、正当な理由と言えなくはない。だからこそ驚きだった。民の幸せのために旅に出た王子など、サーヤはこれまで見たことも聞いたこともなかったのだ。

「ですから、僕はワラをもつかむ思いで、叔父の屋敷へと訪れました。叔父は母の兄にあたります。母からは、決して叔父を頼るなと言われていましたが、叔父は有力者とのコネクションも多く、僕には他に相談できそうな人もいませんでしたから…。

 でも、母の言う通りでした。僕は叔父を頼るべきではなかった。僕の相談に叔父は快く聞いてくれ、支援を約束してくれましたが、一つだけ条件を提示しました。それが『オーガの宴』に参加する事…。有力者の集まる秘密の晩餐会である事以外、何も聞かされなかった僕は、場違いなところへ来てしまったわけです。最初から内容を知っていれば、決して出席などしなかった」

「でも、ゲオルクさんがあの場にいてくださらなければ、あたしは無事ではいられませんでした」

「そうですね。あなたを救えたことは、僕にとっても救いです」

 そういうとゲオルクは微笑んだ。

「本当に、それだけが救いです…。叔父の支援を諦め、封じていた力までも解放したのに、それであなたを救えなければ、僕はただの大量虐殺者でした」

「ゲオルクさん。私を助けて…祖国の民を救うための支援を失って、後悔してませんか?」

「とんでもない。僕が人食いになるなど、オーガの母ですら望んでいません。囚われていたあなたの姿は、売られていった子どもたちと重なります。僕が外道に走るくらいなら、民も貧困を受け入れた方が良いと言うでしょう。叔父の支援を得ることなど、最初からあり得ないことだったのです」

「でしたら尚のこと、あたしを助けたことを、後悔しないようにしてあげます」

「それは、どういうことでしょう…」

「あたしは何でも屋で、仕事のためにあちこち旅をしています。専門は剣を振り回すことですが、それでも、あたしの知識がきっと役立つと思います。だから…だから……、この街を無事に脱出できたら、ゲオルクさんの……、旅のお供をしたいです!」

 思いがけない言葉が口から飛び出し、サーヤは驚いた。王子さまのお供をするだって? 違う! 別に王子さまのお側にいたいとか、そんな恥ずかしい理由なんかじゃない。この『華麗なる鞘』(ゴージャス・スキャバード)は大陸中のお宝よりも価値ある存在。彼はその窮地を救ったのだ。言うなればギャラを先払いされたも同然なのだ。その分、働いて返さねば筋が通らない。そんな言い訳を導き出し、サーヤは自分自身を納得させた。

 しかしゲオルクには「え……」と、困惑の表情を浮かべられ、サーヤは自分が否定されるのではないかと不安になる。だが、ゲオルクはすぐに微笑みを返し、サーヤにを安心させた。

「ありがとう、サーヤさん。……そうですね。たしかにあなたは異国の不思議な知恵を持っている。僕に見えない希望も、あなたになら見いだせるかもしれません。この街から無事に脱出できたら、ぜひお願いします。でもその前に、まずは下水道から脱出しないといけませんが」

「そ、そうですね。あたしもこの、鼻の曲がりそうな臭いにはウンザリです。何としてでも脱出しましょう!」

 

 進むべき道が判らず、迷走を続けてきた二人は、思いがけない出会いをし、一筋の光が道を示した。だけど、その先にあるのが希望なのか、絶望なのか。それはまだ判らない。

 


 
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