三人の好奇の目が見守る中、パスタを頬張っていた平塚はぐふっとむせた。平塚は口の中のものを飲み込み、それから慌ててしゃべりだした。
「ちょっと、いきなり何言い出すんですか! 僕がのっぺらぼうだなんて」
「俺だって、初めて聞いたときは鼻で笑ったよ」
平塚を囲むように座っていた三人のうちの一人、加賀谷は静かに答えた。
「でも、納得できる証拠がある。お前が実はのっぺらぼうで、普段は目鼻を顔にくっつけて生活していると証明できる証拠が。……それで今日は、お前に直接話を聞こうと思ってな」
「もしかして、先輩方が今日僕をランチに誘ったのって、そのことを聞くためだったんですか?」
「もちろん」
加賀谷、筒浦、内木の三人は一斉にうなずく。平塚はため息をついた。
スーツの黒で塗り潰された社員食堂の中でも、平塚の端正な顔立ちはひときわ目立っていた。
シャープな顔の輪郭、高い鼻、薄くて上品な唇。キツすぎない釣り目は、利発そうだがどこか少年の面影を残している。
今まで何度もアイドルグループにスカウトされているという彼は、女性社員の間で密かに“王子様”と呼ばれており、社内には彼のファンクラブも存在するという。
平塚はフォークにパスタを巻きつけながら言った。
「僕は普通の人間ですよ。一体何ですか、僕がのっぺらぼうである証拠って」
「証拠は二つある。筒浦さん」
「はいはーい」
噂好きで情報屋の女性社員、筒浦は、出番だとばかりに身を乗り出した。
「まず一つ目。数人の女子社員が、顔のない平塚くんを見たって証言してるのよ」
平塚は黙々とパスタを食べる。筒浦は構わず話を続けた。
「ちょうど一週間前。夜遅くに、女子社員数人が忘れ物を取りに会社へ戻った時のこと。みんなが帰った後の暗い社内で、平塚くんだけがパソコンに向かって残業していたって言ってた。残業お疲れさま! って声をかけたら、振り返った平塚くんには顔がなかったって。まるで肌色の平たいお面を被っているみたいで、みんなびっくりして、慌てて逃げ出したって言ってたわ」
「それって、僕によく似た妖怪じゃないですか?」
「あれは確かに平塚くんだったそうよ。髪型も背格好も平塚くんだったし、平塚くんのデスクにいたし。それに一週間前の平塚くんは、毎日のように残業してたでしょ?」
「まあ、その頃は仕事の締め切りが迫って、残業はしていましたが……。きっと見間違えですよ」
平塚は眉間をつまんだ。すると突然、今まで黙っていた内木が「あっ!」と叫んだ。平塚、加賀谷、筒浦の三人が、驚いて内木を見る。内木はぱっと口を押さえ、「ごめんなさい」と顔を赤くした。
「どうしたの、ウッチー」
筒浦が尋ねると、内木は恥ずかしそうに「ちょっとね」と言った。
「私、ちょうど言おうとしてたの。平塚くんって眉間をつまむクセがあるけど、眉間をつまんだ後はいつも、眉毛の位置がちょっとだけズレる気がするって……」
「顔の内側に寄るってこと?」
「そう」
「本当だ。言われてみれば、さっきより眉毛が寄ってる気がするぞ。じゃあ右頬を平手打ちすれば、顔のパーツは全部左に寄るのか?」
「ちょっと、何で立ち上がるんですか加賀谷先輩! まさか僕を本当に平手打ちするつもりじゃ」
「モノは試しってやつだ。それにお前みたいなイケメンを一度でいいから殴ってみたくて」
「この先輩、鬼だ」
「か、加賀谷くん待って! 暴力しなくても、眉間をつまんでみれば分かるよ。ね?」
内木に必死になだめられ、加賀谷は渋々椅子に座り直した。
「そういうわけで……あの、平塚くん」
内木は平塚の方へ向き直った。
「ひ、平塚くんの眉間を……つまませてもらっても、いい?」
「いくらやっても眉毛は動きませんけど。いいですよ、どうぞ」
内木の顔が明るくなり、頬に赤みが差した。内木は自分の椅子を平塚の方に寄せ、平塚の眉間をぐいっとつまんだ。内木の嬉しそうな顔を、筒浦はニヤニヤしながら見ている。
気を取り直すように、加賀谷が咳ばらいをした。
「まあいい。別に俺が殴らなくても、お前は今朝、殴られるのと同じくらいの衝撃を受けたんだ」
「衝撃……。それって、親宿駅でのことですか」
「ああ。話はそれたが、それが二つ目の証拠だ」
今朝の通勤電車で、平塚と加賀谷は偶然同じ車両に乗り、親宿駅に降りるまで雑談をしていたのだ。
「親宿駅のホームに降りてからも、俺の方を向いて話していたお前は、ホームにある看板に思いっきり顔をぶつけた。そしたらお前は、目にも留まらない速さで、両手で顔を覆った」
平塚は内木に眉間をぐりぐりされながら、黙って加賀谷の話を聞いていた。
「尋常じゃない慌てぶりだったから、鼻の骨でも折れたのかと思ったぜ。心配して声を掛けたら、お前は『先に行ってて下さい!』って言うや否や、屈みこんで必死で何かを探し始めた。……俺は見た、人ごみの中で転がる、小さな肌色のものを。お前はその肌色のものをさっと拾って、また顔を覆うと、一目散にトイレの方向へ走っていった。そして俺より遅れて会社に来たお前は、包帯も巻かず、出血の後もない。いつもと変わらない顔だった。……お前はあの時、看板にぶつかった衝撃で顔のパーツを落としたから、あんなに慌ててたんじゃないのか?」
大きさからしてあれは鼻だった、と加賀谷は付け足す。
ようやく内木が平塚の眉間から手を離した。一見すると眉毛の位置は先ほどと変わっていないが、よく観察すれば、右眉がほんの少し内側へズレたように見えなくもない。
「さあ平塚、これだけ証拠はそろっている。そろそろ本当のことを白状したらどうだ」
平塚はうつむき、しばらくの間黙っていたが、やがてため息をついて口を開いた。
「僕の正体がのっぺらぼうだとか、そんな変な噂を広めてほしくないんで、言いますけど」
三人は一斉に身を乗り出した。
平塚はむすっとした顔でフォークに手を伸ばし、再びパスタを食べ始めた。
「笑わないで下さいよ。僕、化粧に興味があるんです」
「化粧……。最近よく聞く、メンズメイクってやつ?」
「そうです。化粧下地、ファンデーション、色の薄い口紅。持ってますよ、色々。……一週間前、女性社員たちが見たのは、顔パックを貼りつけていた僕です。本当、タイミングの悪い時に来てくれたものです」
「それじゃ、今朝俺が見かけた肌色のものは?」
「これでしょう」
平塚はポケットを漁り、小さなベージュの箱を取り出した。
「ファンデーションのケースです。値の張るもので、意地でも落としたくなくて。今朝慌てたのはそのせいです」
ふいに、内木が「あっ」と声をもらした。
「ねえ、見て。私の指にファンデーションがついてる!」
内木は加賀谷と筒浦に自分の指を見せた。先ほど平塚の眉間をつまんでいた内木の指先に、肌色の粉がついていた。
「本当だ。嘘じゃないのね」
「ご、ごめん平塚くん。お化粧が崩れちゃったかな」
「大丈夫ですよ。それに、これで僕の疑いは晴れたでしょう」
「なーんだ! つまんねえな」
加賀谷は身を引き、やれやれと息を吐き出した。
「もしお前がのっぺらぼうだったら、目鼻の位置を変えて遊んでやろうと思ったのに」
「意外と普通でちょっとがっかり」
「お二人とも、好き勝手なこと言わないで下さい。僕は普通の人間ですから」
「でも、これで解決ね」
内木はにっこり笑って、ファンデーションのついた指を優しく握った。
「平塚くんがのっぺらぼうじゃなくて良かった。私、ほっとしたし、ファンクラブの女の子たちも、きっと安心するわ」
昼休み終了十分前のチャイムが鳴った。辺りを見渡せば、食堂には人気がすっかりなくなっている。
「やべ、早く戻らないと!」
「まさかこんなに話が長くなるとはね。ウッチー、食器を下げに行こ」
「うん」
三人はガタガタと席を立つ。
おもむろに、平塚がフォークを置いた。パスタを飲み込み、テーブルから顔を背ける。スーツの袖で鼻を覆い、一拍置いて、体を大きくのけぞらせた。
「えっくし!!」
平塚の勇ましいクシャミに、三人は一斉に彼の方に振り返った。
「……失礼しました」
平塚はスーツの袖からそっと顔を離した。一二度鼻をすすり、それから何事もなかったかのように立ち上がる。
しかし三人の目は、依然として平塚に釘づけになっていた。
「……平塚、お前」
「何ですか、加賀谷先輩」
「片方ないぞ、鼻の穴」
「え?」
平塚は青ざめ、がばっと手で顔を覆った。
一瞬の静寂の後、食堂に三人の叫び声が響き渡った。
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社内では、平塚がのっぺらぼうであるという噂が密かに流れていた。
真相を確かめるべく、加賀谷たちは平塚に直接尋ねることにした。