炎は《シレーナ・フォート》の都を包み込んでいく。女王はあえて自らの都を燃やすことで、ここに棲みつくしている昆虫達全てを排除する目的だった。
都は燃やしてしまってもその土台が残る。しかしながら、昆虫達に支配されているうちは、その中に人さえも立ち入る事はできない。だが、これは女王にとっても苦渋の決断であり、栄華を誇った西域大陸最大の都を全て炎に包むと言う事には、反対意見も多かった。
だからこそあえて女王は、その大役を同盟国である『セルティオン』の人間にやらせるのであった。
しかしながら、『セルティオン』の者達とて、巨大な都を全て燃やしてしまう事には抵抗がある。赤々と燃えていく巨大な炎を見つめながら、都に通じる両側の隠された通路にいる、ルッジェーロ、フレアー達は、黙祷にも似たものをあげていた。
だが、都のすべてを炎が包み込んでいくまでにはかなりの時間がかかった。もともとが、都自体、巨大な要塞なのである。その巨大な要塞全てを呑みこんでいく炎。それは相当な時間がかかる。
昆虫達は早くも都の内側から騒ぎ出していた。外へと脱っそうと慌てて城壁から飛び出してきた昆虫が、あっという間に炎によって包みこまれていく。これはただの炎ではない。もちろん、油によって引火させられた炎ではあったけれども、それだけではなかった。
フレアー・コパフィールド、そしてスペクター・クリストフ。二人の魔法使いによって行われている儀式でもあった。
二人の魔法使い、それも小柄な姿をした、人間でいえば子供であるかのような魔法使い二人は、祈祷をあげていた。隠された洞窟の中で、じっと集中して目を閉じ、自らの杖を宙に浮かべている。
フレアーとスペクターの体はほのかな赤い色に包まれており、それに合わせるかのようにして、目の前から伸びている炎の線は脈動を繰り返していた。
炎は松明から発せられたものとなっていたが、その炎を、《シレーナ・フォート》すべてに覆い尽くしてしまう程巨大なものにする事は、自然界の炎だけ絵はあまりにも不可能だった。
そこで、ピュリアーナ女王が目を向けたのは、魔法の力である。『セルティオン』の王族ともつながりが深い魔法使い、フレアー達の力があれば、炎をより巨大なものとして操る事ができるだろう。そう判断されていた。
しかしながらそれはフレアーにとっても骨の折れる作業だった。何にせよ、四方が5kmもある巨大な城塞全てを燃やさなければならないのだ。
フレアー、そしてスペクター共に優秀な魔法使いではあったけれども、それらすべてを燃やし切り、まして中にいる昆虫達全てをも全滅させる事が果たしてできるのだろうか。それは危ういものであった。
フレアー達の祈祷はかなりの時間に及ぶ。すでに彼女らは2時間以上も魔法の力を行使していた。《シレーナ・フォート》の都の周囲を取り囲む炎は天高くにまで燃え上がっており、中にいる昆虫達を逃さないでいる。
しかしながら、フレアーより先にその集中を切らしてきてしまったのは、スペクターだった。
「フレアー。僕、そろそろもう限界だよ」
フレアーと同じような装束を纏った、少年のような風貌のスペクターが彼女に向かって行った。フレアーの従姉弟である彼は、どうしても頼りの無い所がある。だが、今のフレアーの魔法にとっては欠かすことができない存在だった。
「何を言っているのよ。あなたが、いないとあたしは、こんなに巨大な炎を燃やし続ける事なんてできない!」
フレアーは集中しつつもそのように言うのだった。彼女は自分一人でやり切る自信はあった。だが、それはスペクターの支援がなければ成し遂げる事ができない。
魔法使いにも様々な使い手がおり、フレアーは自然界の現象を引き起こしたり、増幅したりする魔法の力を操る事を得意とする。一方でスペクターはそうしたものは苦手としており、代わりに、そうした魔法の力をより大きなものに増幅する事ができる力を行使する事を得意とする。
巨大な炎を操っているのはフレアーだったが、彼女の出す魔力を膨大なものとしているのはスペクターの方だった。どちらが欠けても、この作戦は失敗してしまう。フレアーの魔力だけでは、《シレーナ・フォート》の巨大な都を燃やし切る事なんてできない。
スペクターの集中が明らかに切れてきているのは確かだった。もともと彼は内向的な性格で、あまり外にも出たがらない。『セルティオン』の王族のために働く仕事もたまに働くだけで、ほとんど姉同然のフレアーに頼り切りなばかりだ。
こんなに巨大な魔法を操り、それを増幅する力も、スペクターにとってはつらい事なのだろう。
「スペクター。あなたにかかっているのよ」
フレアーはそのようにスペクターに向かって呼びかける。
「僕、もう少し頑張ってみるけど」
スペクターが力を振り絞るかのような声でそのように言ってきた。彼も必死なのだろう。しかしその時、
「お気を付け下さい!虫共の群れがこちらに!」
隠密部隊の一人の声が響き渡る。そしてフレアー達めがけて一頭の巨大な昆虫がこちらへと迫って来ていた。
思わずフレアーは身構える。集中した術の最中だったが、目の前に敵が迫ってきており、それを中断せざるを得なかった。巨大な羽を広げた蛾を巨大化させたような紫色の物体が、この洞穴めがけて直行してきていた。
一頭ではなく、何頭かが群れを成して迫っていた。
フレアーはすかさず、自分が操っていた炎を、その蛾の方へと向けて、大筒から放たれる砲弾のように向けて操って撃ち落とそうとする。
蛾は、その巨大な衝撃に打たれて何頭かが墜落して、《シレーナ・フォート》外の海の中へと墜落していった。だがそれだけではない。まだ残りの蛾や群がる昆虫がこちらへと迫って来ていた。
「しまったわね。気が付かれた」
フレアーは術をそのまま昆虫の方向へと向けようとした。
「大丈夫なの、フレアー?」
スペクターはとても頼りなさげな声でフレアーにそう言って来るが、
「あんたは前に出てくるんじゃないわよ!」
フレアーにそのように言われてしまい、彼も引っ込まざるを得なかった。このような巨大な炎を操る事ができるのは、フレアーしかいない。まして、この巨大な蛾達を撃ち落とす事ができるのも自分しかいないだろう。
蛾や、翼を持った昆虫の怪物達が、《シレーナ・フォート》を包む炎から巻き上げられて外側へと出てきていた。
「ここは危険です!」
隠密部隊の一人がフレアーに呼びかけてきていた。彼らは巨大な生物を前にして早くも逃げ腰だった。
「全くね!」
フレアーはそのように言って、宙に浮かせた杖を、そのまま自分の方向へと向かって来る昆虫達の方へと向ける。するとそこからは火の弾が次々と発射された。それはさながら大筒のような迫力を持っており、空中からやって来る昆虫達を駆逐していく。
だがフレアーにも限界があった。すでに数時間にも及ぶ魔力を使っており、更にその上、このように巨大な力を使ってしまうのには、彼女自身にも大きな負担になる。彼女の中に内在する魔力、集中力、体力も全て欠いてきている。
何体かの昆虫を倒す事はできた。しかしながら、昆虫の群れはおぞましくも大量に迫ってきている。夜の闇の中の明かりに群がる蛾。それをそのまま巨大にしたかのような有様で、羽音が周囲に響き渡る。
フレアーの放つ火弾が狙いを外れ出した。
昆虫達の動きは巨大ながらも素早く、そんな彼女の放つ火弾の隙間を縫いつつ、こちらへと迫って来ていた。
「フレアー!危ない!」
そのように言いつつ、彼女の前に出てかばったのはスペクターだった。彼女のすぐ目の前へと昆虫は迫っていたが、突然、何かに阻まれたかのように、昆虫は壁に激突していた。
それは、この洞穴に張られた結界だった。結界は普段は見えないが、そこに触れる事によって姿を見せる。
スペクターが張った防御魔法としての結界だった。
円形や幾何学模様を重ねたかのようにして作り出されたその結界は、魔力の力によって作られた壁であり、簡単に打ち破る事は出来ない。まして昆虫の体当たりなどという力任せのもので打ち破れるようなものではないのだ。
「やったわね、スペクター。あんた。これをどれくらい持たせられそう?」
フレアーはそのように尋ねる。昆虫は見えないガラスを通り抜けようと無様に体当たりを続けるがごとく、この洞穴の入口に群がってくる。この状態では格好の標的とも言える無防備さをさらしていた。
しかしスペクターは、
「もう駄目だよ。魔力を使い果たしてしまっていて、限界。この結界の構築だって、逃げるまでが限界ってくらいで…」
相変わらずスペクターの声は頼りないものだった。今は助けられたというのに、今度は自分が彼を助けてやらなければならないではないか。スペクターは洞穴の地面にへたりこんでおり、どうやら魔力を使い果たして歩くことさえままならないようだった。
「立ち上がりなさい。ここはもう撤収するしかないわ」
フレアーは自分の杖を掴み、スペクターの体を抱きかかえるのだった。
「ごめんなさい。僕の魔力が足りないばっかりに…」
スペクターはそのように言って来るのだが。
「何言ってんのよ。そんな不甲斐ない事言わないでよね」
フレアーは杖を持ったまま背後を振り向く。スペクターが作り上げた結界は、確かに昆虫達を抑える事こそできているが、すでに彼の結界の壁にはヒビが入り始めていた。壁が崩壊するのも時間の問題だろう。
「撤収よ。この場はすぐに撤収するんだよ!」
その場にいる隠密部隊達にフレアーはそのように命じるのだった。
「はっ。今すぐに」
フレアー達は撤退を開始した。これは逃げるのではない。任務である《シレーナ・フォート》への火攻めはすでにかなりの規模で展開している。あとはあの炎が、どれだけの数の敵を倒していく事ができるかにかかっていた。
遠くから聞こえてくるのは昆虫の奇声なのだろうか。そして昆虫がはばたく羽音なのか。はたまた、それは炎が燃える時に出る音なのだろうか。幾つもの音が折り重なって、《シレーナ・フォート》から離れた地にまで聞こえてきていた。
都へと通じる秘密の入口から抜け出してきたフレアー達は、その奇妙な音を耳にしていた。
夜の平原は静かで、ひっそりと静まり返っている。
「どうやら、無事に脱出する事ができたみたいだけれども」
フレアーがそのように呟いていると、突然、上空から、耳障りな羽音が聞こえてきた。すると隠密部隊の者達へと、巨大な蛾が襲来してきていた。
奇声を発していたのは、その蛾に襲われた者なのか誰なのか。突然の襲来に彼らは混乱する。
「フレアー、急いで魔法を!」
そのようにスペクターは言う。フレアーはすかさず杖を構えなおそうとするが、彼女自身、《シレーナ・フォート》全てを燃やすという作戦の後だったので、集中力に欠いてしまっていた。
背後からやって来た巨大な蛾に腕を掴まれて、そのまま連れ去られようとしてしまう。
蛾の怪物は、その巨大さも相まって、力も物凄いものがあった。巨大な羽を羽ばたかせ、人ほどの体があろうものならば、そのまま持ち上げてしまう事ができるようである。
連れ去られようとしているフレアーは、すぐさま杖へと魔力を集中しようとした。だが、すでに限界がやってきたようである。
フレアーは自分の杖に魔力の集中が無い。巨大な蛾を怯ませる程度の炎を出すことができるはずの彼女だったが、今はそれさえもする事ができない。
このまま何も抵抗する事ができないのか。相手の姿はあまりにも大きすぎて、とても人ほどの体のフレアーにとっては抵抗する事さえできない。
その時、跳躍をしてきて、蛾の翼を一つ切り落とす者の姿があった。蛾の翼は薄くできていて、案外脆いものだった。その脆い翼は一閃によって簡単に切り落とされてしまう。
蛾は奇声を上げ、フレアーを掴んだまま平原の地面へと落下した。
フレアーは地面へと打ち付けられ、そのまま倒れる。だが呻くフレアーへと片方の羽を失った蛾は更に襲いかかってこようとしてきていた。
しかしながら、蛾は背中から刃を突き立てられ、再び奇声を上げるのだった。
鱗粉の粉をまき散らしながら蛾はしばらく呻いていたが、ようやくその翼をはためかせるのを止めるのだった。
絶命した蛾の背の上から、地面へと降り立った。その時、金属音が響く。金属の音はとても繊細な音がするものだった。
赤き甲冑が《シレーナ・フォート》からやってくる光によって輝いている。その独特な姿、あまりにも特徴的な姿は、フレアー達も良く知っている存在だった。
「あ、あなたは」
フレアーはその甲冑姿の人物に驚いていった。
「おい、フレアー。無事だったか」
そこへとちょうど、別行動をとっていた、ルッジェーロらの姿が現れるのだった。
だが、フレアーの前に立っている人物を見て、すかさず警戒した。
「お前は…!」
そのように思わず言うルッジェーロ。
赤い甲冑を纏っている人物は、その兜の面頬を上げた。現れたのは、エルフのような白い肌をした美貌の姿。しかし、その繊細な顔が赤い色によって包まれている。
「おい、何故、ここにいるんだ?」
ルッジェーロはそのように言って、その赤い甲冑の女、ナジェーニカに迫るのだった。だが、ナジェーニカはルッジェーロからの手を払いのけて言いのける。
「あの女を追っていたら、お前たちと出会った」
と言うナジェーニカ。
「あの女?あの女って、カテリーナの事か?そうだよな」
ナジェーニカに向かって言い放つルッジェーロ。しかしながら、無い表情を彼の方へと向け、彼女は言って来る。
「だがあの女は死んだ」
ナジェーニカの言葉は、無機質な沈黙を持ったまま響き渡る。それはあたかも残酷な現実であるかのように突きつけられた。
もちろんその事についてはルッジェーロも良くわかっている事だ。彼女との最後に交わした言葉も、この世界の危機に、現れなければおかしいはずの彼女が全く現れないと言う事からも、カテリーナはあの戦いで死んだと言うのは確かなはずだ。
「それで、あなたははここで何をしているのよ?ナジェーニカさん。カテリーナが死んだのだったら、あなたにはもう目標は無いはずよ」
そのように助けられたばかりのフレアーは言うのだが、ナジェーニカは彼女の方は振り向かなかった。
「では、私は何の為に生きたら良い?私がいた組織は崩壊し、私に恥を負わせた女も死んだ。騎士である私が生きる目的は何だ?」
ナジェーニカの言葉は堂々たる口調だった。しかしそこにはどこか、目的を失ってしまい、途方に暮れている人物の姿が見え隠れしている。
「あんたは、『リキテインブルグ王国』の元敵なんだ。ここで見つかったら、あんたをピュリアーナ女王へと突き出す必要がある」
そう言ってルッジェーロは、甲冑で覆われた鉄の板越しに彼女の腕を掴んだ。
「お前たちにつかまるつもりは無い。だが、私がこれ以上生きる道は、どうやら一つしかないようだ」
意外な言葉を聞き、ルッジェーロは戸惑う。
「お前達と共に行けば、私の騎士としての何かを思い出すことがあるかもしれない。目的を見出すこともできるだろう。少なくとも、このような虫共がはびこるような世界は、私が生きるような世界とは違う」
ナジェーニカは、今度はそっとルッジェーロの腕を払った。
「なるほどね。それで、自分から捕まりたいって言うの?」
フレアーはそのように言うのだが、
「お前たちに捕まるのでもない。これは自分の意志だ。この槍をかける事ができる人物を、私は探している、それだけだ」
ナジェーニカはそう言い、自分の持つ槍を確かめるかのように持ち直す。
「フレアー。《シレーナ・フォート》の焼き討ちは成功したが、全ての虫を駆逐する事ができるわけじゃあない。空にでも逃げた者達が襲い掛かってくるかもしれない。急いでこの場を離れよう」
ルッジェーロはそのように促した。そしてフレアー達も動き出す。しかしこれは奇妙な関係だった。
まさかこんなところで、この女と出会い、一緒に行動する事になるとは。
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《シレーナ・フォート》へと向けられる“夜襲”。そこでは魔法使い族、フレアーの力が使われるのでした。