間桐雁夜の肉体は体内の刻印虫が精製する魔力を持って延命していた。よって、その虫が死滅した今、間桐雁夜は速やかに、誰に見取られることもなく朽ち果てる。その結末はどうあっても変えることはできない。しかしそれでも、雁夜にとっては十分すぎるほどの時間であった。
「は、はは……はははは――」
薄暗い間桐邸の地下の工房。彼は笑い声を零しながら壁に背を預け崩れ落ちるように座り込む。これから自分は死ぬだろう。しかし、それがどうしたというのだ? あのアーチャーを仕留めることが出来たのだ。ならばそのマスターたる時臣も時期にライが潰すだろう。残ったのはセイバーだけだがスペックではライが圧倒している。令呪こそ尽きたが勝機はあるだろう。ならば、この聖杯戦争は自分達の勝利となる。
いや、厳密にはアーチャーを倒した時点で雁夜にとっては聖杯戦争に勝利したも同然なのである。
元々彼が参加した理由は臓硯・時臣らへの復讐であり、桜の救済である。そのために地獄の日々を送ってきたのであった。こんな姿になってしまったが、それでもこの願いのために耐え抜いた。この祈りを成就させるために戦った。だからこそ――もはや未練などはない。
骨と皮しか残っていない腕に力を込めて、手に持ったライターに火を灯す。それだけで雁夜の身体は完全に限界を迎え、手からライターが零れ落ちる。火が灯されたままのそれはカツンと音を立てて床に落ち――。
一気に地下全体に燃え広がった。
炎は地上への階段にも燃え広がり、そのまま間桐邸全体を包み込む。
雁夜がバーサーカーと分かれてすぐに行ったのは屋敷の中全体にガソリンを撒き散らすことであった。その目的は間桐の魔術を完全に潰すこと。間桐は聖杯戦争を始めた御三家の一角でもあり、時臣が桜を間桐の養子に送ったのには間桐の魔術を絶やさないという目的もあった。しかし、そんなことは雁夜には関係ない。雁夜にとって魔術とは嫌悪の対象でしかない。ましてや肉体を改造し、蟲の苗床にする間桐の魔術など……。
だからこそ、間桐を完全に終わらせる。
屋敷にばら撒いたガソリンはただのガソリンではなく、バーサーカーの血を含ませたものである。ほんの僅かとはいえ神秘の塊である英霊の血を混ぜた燃料だ。その燃え広がりは並ではない。魔性の炎は間桐邸のみならず、屋敷の各所に隠された魔術絡みの品々すら焼き尽くすだろう。
生き残る間桐の人間はたった二人。しかし兄の鶴野は魔術の知識はほとんどないし、甥の慎二は魔術回路そのものが存在しない。捨て置いても問題はないだろう。
「はぁ、は、ハハハ――」
炎が雁夜の身体を焼き始める。だが雁夜の痛覚は止まっている。
肉が焼ける焦げ臭い匂いがするも、雁夜の嗅覚はすでにない。
柱が焼かれ、屋敷の倒壊が始まる。されど雁夜の聴覚は機能していない。
赤い炎が暗い地下を照らす。雁夜の視覚は闇しか映さない。
「ハハハハハハハハハ――!!」
雁夜の生命活動が停止する。顔には狂笑が張り付いたままに。
そしてその肉体も、間桐邸も、長くに渡り紡がれた魔術すべてが炎に飲まれ、消えうせた。
意識が終わる瞬間、彼が思うは唯一つ。遠く離れた場所にいる桜への祈り。
――どうか……幸あれ、と。
間桐雁夜。
遠坂より養子に出された少女、桜を間桐より救い出すために聖杯戦争に参戦。並行世界の英霊であるライゼル・S・ブリタニアをバーサーカーのクラスに召喚し、マスターとなる。戦争終結前に桜を安全な場所に預け、体内の刻印虫が死滅したのち間桐邸に火を放ち、間桐の魔術を完全を終わらせた後、死亡。ある意味において第四次聖杯戦争の勝者である。
聖杯戦争終結より、半年後。
冷たい雨が降り注ぐなか、一人の男の葬儀が進められていた。柩に入れられた男の名は遠坂時臣。その葬儀の喪主を務めるのは未亡人となった遠坂葵……ではなく、娘である遠坂凛。進めるのは聖杯戦争の数少ない生き残りである言峰綺礼。年端もいかぬ少女が喪主を勤める傍から見れば異様な葬儀であるが、参列者は皆それを肯定しており、若くして父を亡くした少女を哀れむ者もまたいない。
参列者がいなくなり、残された神父は少女に声をかける。
「凛、お母上を」
「……ええ」
裏門に止められていた車へ向かい、母を連れてまた墓前に戻る。
以前は儚げで、されど美しかった女性の姿はもはやない。顔色は青白く、身体は痩せこけたまさしく病人と呼ぶ姿に遠坂葵はなっていた。
「時臣――さん」
ふらつきながらも墓前の前に立ち、耐えかねたように涙を流し、慟哭しながら崩れ落ちる。
「どうして!? どうして貴方が……!」
時臣の葬儀に半年という時間がかかったのは彼の遺体をロンドンの時計搭に移し、肉体から魔術刻印を摘出する手術、他様々な手続きを通った結果、ここまで遺体が故郷に戻るのが遅れてしまったのである。
愛する夫を失ったが為に葵は精神を病み、病に侵された。しかし、最大の理由は変わり果てた夫を見てしまったためだろう。
左手が無くなり、左脇腹がごっそりとなくなり、心臓に剣を突きたてられた夫の亡骸。自宅に戻った彼女は、それを直視してしまったのである。
無論、犯人は分かっている。あの銀髪の青年であり……引いては自分の幼馴染だ。
しかし、憎もうにも間桐の屋敷は炎に飲まれ、雁夜は行方知れずとなっている。養子になった桜と一緒に。
夫を失い、憎むべき相手は娘とともに行方知れず。彼女の精神は追い詰められ、身体もまた病に侵されたのである。
泣き喚く母の姿を視界に捉え、凛は拳を強く握る。
少女には分かる。父は聖杯戦争に敗れて命を落とした。しかし、涙は流さない。なぜなら父は覚悟をしていたはずなのだから。
『撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ』
凛の思考に青年が放った言葉が蘇る。自分は遠坂の家督を継いだ。将来は魔術師として日々を送るだろう。そしていつか必ず聖杯戦争がまた始まるだろう。その時は――。
「見ていてください、お父様――」
遠坂葵。
冬木の管理者である遠坂時臣の妻。聖杯戦争が終結したと、言峰綺礼より連絡を受けた後に自宅に戻ると、骸となっていた時臣の姿を見てしまい、精神が弱くなり体調を崩しがちとなる。遠坂時臣の葬儀から半年後、病死。
遠坂凛。
時臣の娘。聖杯戦争中にキャスターの使い魔に襲われかけるも偶々近くにいたバーサーカーによって救われる。その後彼に食ってかかった結果、聖杯戦争の参加者は皆、覚悟を決めていると知らしめされた。その後、彼が言い放った言葉は彼女の芯に刻み込まれることとなる。
聖杯戦争終結より、一年後。
「のわぁぁ! ち、遅刻するぅぅ!! なんで起こしてくれなかったの桜ちゃん!?」
「お爺さんが『いい薬だ』って言うから起こしませんでした。ダメでした?」
コテン、と首を傾げる少女。
「ダメよ! ダメダメよぅ! お姉ちゃんが寝過ごしそうな時は起こす! お姉ちゃんがお弁当を忘れたら……なんて言ってる暇はねぇ!?」
泣き言を喚きながら、ポニーテールの少女――藤村大河は準備を済ませると桜が簡単に用意していたおにぎりを頬張り、慌しく学校へと駆けて行った。その様子を桜は見届け、クスクスと笑い始めた。
――あ、私……また笑った。
間桐臓硯による虐待により桜の精神はほとんど閉ざされていた。しかし雁夜とライの両者によるふれあい、そして預けられたここ藤村組での日々は彼女の精神が少しずつ回復に向かわせるほどに刺激的だった。無論、多大なる役割を果たしたのは、
『い、妹キタァァァァァ!!!』
と、初日に咆哮をあげ、時間があれば彼女を散々振り回しまくった藤村大河だったのは言うまでもない。
机の引き出しを開けて、桜は自身の一番の宝物を手に取り眺める。間桐邸から藤村組に預けられる日に、雁夜おじさんとライさんからもらった大切な宝物を。
雁夜おじさんからもらった美しく編まれたビーズのアクセサリー。ライさんから手渡された黒い鍵のようなもの。もう二度と会えないであろう人達からもらった掛け替えのない思い出の品である。
最後の別れの時、あの雁夜おじさんとライさんは自身に請うように、祈るように自分に言った。
『シアワセに生きてくれ』と。
シアワセとはなんなのか? まだ幼い桜にはまだわからない。ただ、大切な人達からの願いである。何時か叶えようとは思う。
「桜嬢? 士郎の坊ちゃんか来ましたぜ」
「あ、はい。今行きます」
部屋の外から声を掛けられ、桜は鍵とアクセサリーを仕舞い、鍵を掛けると部屋の外へと向かっていった。
間桐桜。
遠坂時臣の娘。間桐に養子に出され、一年を魔術の鍛錬と言う名の地獄を味わう日々を過ごす。しかしバーサーカーが臓硯を抹殺したことにより地獄から開放され、それから数日雁夜・ライを過ごし、彼に対して淡い恋心を抱く。しかし、聖杯戦争終結前に危機勘を抱いた雁夜は昔の伝手を辿り、桜を藤村組に預けることとなる。それから数年後、藤村雷画より正式に養女にならないかと話があったがそれを拒否。雁夜と同じ間桐の姓を名乗り続けることを選ぶ。なお、藤村大河とは姉妹のように過ごし、隣家に住む衛宮家とは良好な関係を築くことができた。そこの赤髪の少年とは幼馴染の関係となる。
十年後。
「何時になったらサーヴァントを召喚するつもりだ凛? つい先ほどライダーの召喚が確認された。残りの席は二つしかないぞ。呼ぶつもりがないのなら令呪など破棄してしまえ」
言峰教会の一室。ここの神父となった言峰綺礼は遠坂凛の留守番電話に伝言を残すと溜息一つついて受話器を置いた。
本来ならば六十年周期で起こるはずの聖杯戦争は前回よりわずか十年という短い期間で開始されることとなった。無理もないと言峰綺礼は思う。前回はあんな結末だったのだ。聖杯にどこか異常があって当然と言えるだろう。
先の第四次聖杯戦争の折、言峰綺礼は答えを得た。だがしかし、完璧な答えとはとてもいえない。自身にとっての悦楽とは他者の苦しみである。生まれてからずっと抱いていた疑問の回答を得た。それはいい。しかし、そこに到る過程がわからない。それはダメだ。あの時の極上の地獄は聖杯から漏れたわずか一滴が起こしたものだ。ならば、聖杯が真の意味で具現するその時こそ――方程式が見つかるはずなのだ。そしてあれ以上の光景が見れる。仮に答えが見つからなくともそれだけで千金の価値がある。
聖堂教会からも正式に今回の聖杯戦争の監督役となるよう辞令が下った。あと五十年は待たねばと思っていたが――よほど聖杯は綺礼に会いたいと見える。それだけではなく、ランサーを召喚したバゼットから令呪ごとサーヴァントを奪い取ることができた。これだけの流れは運命としか言えないだろう。そう思考すると柄もなく笑いがこみ上げてくる。
――コンコン。
ノックの音がする。ふと時計をみるとそれなりの時間が経っていたようだ。
「戻ったのか。今現在五騎のサーヴァントの現界が確認されている。この調子ならば数日で第五次聖杯戦争の幕が上がるだろう」
言峰綺礼。
第四次聖杯戦争の生き残り。師である遠坂時臣を殺しアーチャーのマスターとなる。しかし最終決戦時、アーチャーはバーサーカーに破れ、自身もまた衛宮切嗣に敗北。聖杯が破壊された際に生じた地獄の光景を目にし、己の魂の在り方を悟る。現在は言峰教会の神父として、並びに第五次聖杯戦争の監督役である。バゼット・フラガ・マクレミッツから左腕ごと令呪を奪いランサーのマスターとなる。
そして、
「ん? ああ、このワインか? 先日届いたばかりの品なのだが、聖杯戦争の開幕の祝いに相応しいだろうと思ったのだよ。よければお前も飲むか――バーサーカー?」
――バーサーカーのサーヴァント、ライゼル・S・ブリタニアの現在の契約者である。
To the next stage!!
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運命が変った人たちの話。