第17話 もう1度やり直す方法
相も変わらず、夏休みは続いていた。
「暑い」
炎天下の中、俺は公園のベンチに座って、スライムのように溶けていた。やかましく鳴く蝉の鳴き声を聞きながら、今にも溶けて崩れ落ちそうなアイスを口に含む。あからさまに身体によろしくない毒々しい味が口に広がる。このアイスこんな味だったっけか。
「……ぼーくーは、透明ニンゲンさー」
お気に入りの東京事変の透明人間が、耳にさしているイヤホンから流れてくる。
アイスの棒を咥えてヒョコヒョコさせながら、公園で元気に遊んでいる子供たちを眺める。砂場で落とし穴を作って、キャッキャ言いながら楽しそうに笑っている。
俺にもあんな時分があったのか、と感慨に耽っていた瞬間、何者かによって咥えていたアイスの棒が引き抜かれた。
「やったね、フーちゃん。アタリだってっ」
「そりゃ……嬉しいね」
唯先輩が、やって来た。
「いきなり呼び出したりして、スイマセン、唯先輩」
「んーん、全然いーよ」
俺たちは、ベンチに並んで座っている。互いの顔を見ないように前方だけを見つめて、俺も唯先輩も子供みたいに脚を投げ出すようにだらけて座っていた。
「…………」
「…………」
手前で呼び出した癖に、俺は話し出すコトができなかった。話す内容はちゃんと決めてきたのに、俺の口は縫い付けられたかのように開かない。
聞こえてくるのは、蝉と子供たちのやかましい賑やかな声だけ。
そんな沈黙を破ったのは、やっぱり唯先輩だった。
「……合宿終ってからさ、もう1週間が経つね」
「そうっすね」
「合宿が終わってからさ、フーちゃん部活に1回も来ないね」
「そう、すね」
「けっこう寂しい、とか私思っちゃったりするんだけど」
「部長にちゃんと休む理由は連絡したんですけどね。律先輩から聞いてないですか?」
「聞いたよ。地元に帰ってたんでしょ?」
うん、と俺は肯く。
「りっちゃんからそう聞いたけど、なんか不安になっちゃって」
「不安?ナニが?」
「フーちゃんが軽音部辞めちゃうんじゃないかって不安」
「…………」
あの日の夜のコトがフラッシュバックする。
感情をただひたすらに爆発させてしまった、あの日。
今まで溜めこんできたモノを爆発させたかのように、怒るだけ怒り。
恥も外聞も無く、ただひたすらに泣くだけ泣いた。
唯先輩を傷つけて、そして唯先輩に押し付けた。
「辞めない……よね?あのときフーちゃんが言ったのって、嘘だよね?」
か細い声が隣から聞こえてくる。こんな声、唯先輩じゃねえって思う。そんな泣きそうな顔、あんたみたいな人がすんなよ。
「唯先輩、覚えてる?この公園のまさにこのベンチ。……いつだったかなぁ、多分2、3ヶ月くらい前?そんくらい前にさ、こうやって並んでベンチ座って一緒にいちご牛乳飲みましたね」
俺は先輩の問いには答えず、逃げるように全く関係ない話を始める。
「………?」
「あーあーあー、覚えてないのね、ショックだぜ……」
唯先輩はどうやら覚えていないらしく、不思議そうに首をかしげていた。
まぁこういうのって言った本人は覚えてないらしいしな。
「そのとき、唯先輩はすげぇ良いコト言ってくれてさ。俺、メチャクチャ感動したんだ」
唯先輩の言葉には、重みがある。誠実さがある。温かさがある。
俺には、無い。
「唯先輩が言うコトってさ、ズバっていうか、ズシンとくるっつか、グサって感じに心に響く。だから合宿んときのあの日の夜、唯先輩が言ってくれたコトっていろんな意味で効いたよ。逃げてるだけってのもグサリときた、うはは」
「ゴメン、私そんなそんなつもりで言ったんじゃ―――」
「うん、わかってる。ちゃんとわかってるから。……でも、本当のコトなんだ。俺は逃げてるばっかだった」
ナニから逃げていたんだろう。心当たりが多すぎる。
「あの日からたくさん考えたよ。どうしたらいいのかって。どうしたら逃げずにできるんだろうって。いっぱい考えた」
「……それで、フーちゃんはどうしたの?」
「俺バカだからさ、やっぱり難しいコトはわからなかった。だから、わかりやすいコトからしていこうって思ったんだ。今まで逃げてきて、先送りにしてきた問題を目に見える形で、ちゃんと向き合おうって考えたんだ。解決はともかくとしてね」
わざと明るい声で、俺は話す。そうでもしてないと、声が出せない。
「すっげーくだらねぇし、長いし、面白くもない話だけど、我慢して聞いてくれるかな?唯先輩に聞いて欲しくて、俺は今日唯先輩を呼んだんだ」
唯先輩は、迷わず肯いてくれた。優しくて、頼りになる、俺の先輩だ。
俺は、話し始めた。
俺、クルマにちゃんと乗れたよ。あの事故以来、怖くてクルマに乗れなかったんだけど、ちゃんと乗れた。途中のサービスエリアで1回吐いちゃったけど、父さんの運転は上手だったし、隣に妹がいてくれたから平気だった。
地元に帰って、友達と会ったよ。みんな背が伸びていたり、髪型が変わっていたり、雰囲気が変わっていたりしたけれど、結局は変わりない大好きな友達のままだったよ。話もたくさんした。昔みたいに、笑いながらふざけ合ったよ。楽しかった。
バスケ部の友達とも再会したよ。先輩も後輩もたくさん会いに来てくれて、もみくちゃにされて頭とかバシバシ叩かれた。みんな俺の脚のコト心配してくれたけど、ヘンに気を遣ったりしなかったんだ、みんな俺の気持ちをわかってくれてた、嬉しかった。
最初は行くつもりはなかったんだけど、ちゃんと試合の応援にも行った。高校生の運動量ってハンパじゃない。凄いイイ試合で、大きな声で応援した。
半年ぶりにボールにも触ったよ、みんなと本当に久しぶりにバスケした。楽しかったけど、同じくらい辛かった。俺、ちゃんと笑えてたかな?
母さんにも会いに行ったんだ。離婚して家出て行った後にさ、実は数年前くらいに母さん、俺と姉ちゃんに会いに来てくれたんだ。でもそのとき、俺と姉ちゃんはひどいコト言っちゃって、それっきり会ってなかった。だから、勇気出してひとりで会いに行ったよ。
母さんはやっぱり老けてて、昔とは全然違った。お互い敬語だし、俺のコト冬助さんとか呼ぶし。俺も母さんって呼べなかった。でも、たくさん喋ったよ。家族のコトとか、学校の友達のコトとか、部活のコトとか、いっぱい。そしたら母さん泣いちゃってさ、ごめんねごめんねって言いながら泣いてさ。なんかわかんないけど、俺も一緒になって泣いた。
母さんはまた会おうって言ってくれた。次会うときは今の家族を紹介したいって、笑ってくれた。笑った顔は昔のままだったよ。
ひたすらに、話した。
クルマに乗れないコトやバスケットへの葛藤、出て行った母さんのコト。家族以外の誰にも言ったコトがない、そんなコトまで話した。唯先輩に、ゼンブ聞いて貰いたかった。
唯先輩に、隠し事をしたくなかった。だから、余計なコトまで話したと思う。道中クルマの中で食べたおにぎりの具がおかかだったコトとか、中学のときの真面目な友達が髪をブリーチしていて驚いたコトとか、応援した試合の展開が速くて凄いトランジションゲームになったけど全員走り切っていたコトとか、母さんが2人も子供産んでいて良い名前をつけていたコトとか、全部話した。
えらく長い時間喋っていたと思う。気付いたら、もう夕日が沈みかけて、ひぐらしが鳴いている。
唯先輩は真剣に俺のクソ長い話を聞いてくれた。時折、相槌を打ちながら、懸命に耳を傾けてくれる。
「と、まあこんな感じの1週間でして。どれもしょーもないコトですけど、いろいろやってきました。くだらないけど」
「くだるよ!」
「……くだりますか」
「それに、しょーもある!」
大真面目な顔でそんなコト言ってくる唯先輩が可笑しくて、俺は思わず笑ってしまう。
笑いながら、この流れで言っちまおう。
「俺さ、いろいろ考えてさ。そんで、決めたコトあるんだ」
公園からどんどん子供たちがいなくなっていく。母親たちに手を引かれながら、騒がしそうに笑っていた。
そんな様子を眺めながら、俺は今日イチバン言いたかったコトを言った。
「もう1度、やり直すよ」
唯先輩の反応を見ずに、そのまま続ける。
「こんなコトばっか言ってっから、リセット世代だとか大人たちに馬鹿にされるんだろうけど」
ボタンひとつで元通り。そんな甘い嘘みたいな。
「……やり直すよ。何度だって、やり直してやる」
俺は唸るように低い声ではっきりと、でも独り言のように言う。
決意表明だなんて大層なモノじゃないけど、確かにこの気持ちは本気だ。だからこそ、唯先輩に聞いて欲しかった。
「やり直すって……ナニを?」
「いろいろ!まずは、コレから」
俺は勢いよく立ち上がって、唯先輩の方へ向き直す。
そして思い切り頭を下げて、バンジージャンプかますくらいの勢いでこう言った。
「あのとき、唯先輩にひどいコト言ってごめんっ!俺のコト、嫌いになって欲しくない」
唯先輩は、ナニも言ってこない。
俺は頭を下げたまま、足元のスニーカーを睨めつけながら続ける。
「軽音部だって辞めたくねぇ。唯先輩たちと話してないコトとかやってないコトが山ほどあるんだ」
唯先輩は、ナニも言ってこない。
「俺、軽音部に居て、いいの、かな?」
唯先輩はナニも言ってこない。
「唯……先輩?」
そろり、と恐る恐る頭を上げて、目の前に座っている唯先輩を見る。
唯先輩は、笑っていた。
笑っているけど、いつもと違う笑顔だ。
楽しそうな子供っぽい笑顔じゃない。
優しい慈愛に満ちた、素敵な笑顔だった。
そして、おかえり、って言ってくれたんだぜ。
めでたしめでたし、ってな感じで1日が平和に終わろうとしていたんだけれど。
奇妙なコトが起こった。
ソレに気付いたのは、唯先輩と2人で日が落ちてすっかり暗くなってしまった帰り道を並んで歩いていたときだった。
「……あれ?唯先輩、髪型変えました?」
「え、どーしたの突然。別に変えてないよ、美容院にも行ってないし」
ん?なんかおかしいぞ。
「服装も……別にいつも通りっすよね」
「いつも通りって失礼しちゃうなぁ、まあ確かにそーだけど。……フーちゃんどうしたの?」
「いや、……あれ、おかしいな。じゃあなんで―――」
なんでこんなに、唯先輩があり得ないほど可愛く見えるんだろう?
「フーちゃん、ホントにどうしたの?具合悪いの?……ってフーちゃん顔真っ赤だよ!?」
「え、嘘」
本当だった。俺は自分の顔面が激しく熱を帯びているコトに気付く。
それと同時に、別のコトにも気付いた。さっきからドンドコとうるせぇ音が聞こえてくると思ったら、その音の正体は俺の心臓の鼓動だった。あり得ないほど短いインターバルで、それでいてあり得ないほど力強く心臓が動いている。
「だ、大丈夫っ?フーちゃんっ」
唯先輩が心配そうに近づいてきた。すると、もっと心臓がドキドキし始める。胸が締めつけられているかのような妙な感覚を覚えた。
顔を覗き込んでくる唯先輩を、俺は何故か直視できない。直視できないのに、唯先輩の存在を強烈なまでに意識してしまう。
「な、んだコレ……?」
「フーちゃん、ひょっとして夏風邪でもひいちゃったんじゃない!?」
「かも、……ですね」
「タイヘンだよっ、早くお家に帰らなきゃ!」
絵に描いたように慌てる唯先輩。今度は逆に、そんな唯先輩から視線が外せなくなってしまう。胸のドキドキが止まらない。
……本当に俺どうしたんだろう?頭おかしくなっちゃったのか?
マジで風邪ひいたのかもしれない。
こういう日は、パブロン飲んで、さっさと風呂入って、さっさと寝よう。
だけど、俺は一睡もできなかった。
何故だかわからないけれど、唯先輩の笑顔が頭から離れなかったからだ。
なんでだろう?
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勢いとノリだけで書いた、けいおん!の二次小説です。
Arcadia、pixivにも投稿させてもらってます。
よかったらお付き合いください。
首を長くしてご感想等お待ちしております。