No.395882

ゆる色びより第1話Scene4

フェリスさん

間が空いちゃいましたが続きです。次がラストです。というか数分以内にアップします。

2012-03-21 21:39:48 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:360   閲覧ユーザー数:323

   Scene4 ある雨の日の午後

 

 

「ほら、起きなさい。ゆいゆい」

 

「……ん?」

 

 頭上から聞こえる誰かの声と体を揺すられる振動に反応して、私は机に突っ伏していた頭をのそりと上げる。視界がはっきりしないので何度か瞬きしていると、徐々に見えて来た。目の前に春流美ちゃんがいる。声をかけてくれたのは彼女かな?

 

「出だしで後れを取ると探すのが大変だから、シャキッとする」

 

「ほへ?」

 

 冬莉ちゃんの声が近くにいるはずなのに遠くから聞こえたような錯覚を受けた。聞こえているのに、思考まで結びつかない。働かない頭で何度も言葉を反芻して――

 

「――あっ、そっか」

 

 気付いて椅子から立ち上がる私。ようやっと頭の中がすっきりしてきたよ。

 

 昨日の雲行きから想像していた通り、今日は朝から、正確にいえば昨夜からなんだけど、雨が降っている。大振りでもなければ小雨でもない、室内にいて耳を澄ますと雨音が薄っすらと聞こえるその程度の雨。そのせいか、優しく地面をたたく雨が奏でるリズムが心地よくて、ついつい居眠りしてしまったみたい。……授業中だったのに。

 

 先生ごめんなさい。授業が終わるまで起こされなかったってことは、ばれてなかったのかな? だといいけどなぁ。

 

 時刻はもう昼休み。私は教室のある一点に目をやる。窓際の席に座る椚木さんは、直前の授業で使った教科書やノートを机に収め終わったところで、今にも立ち上がろうとしていた。

 

 そんな時。

 

 私達も動こうとしていた。昨日の事を考えると、椚木さんを逃がすわけにはいかない。少しでも話す時間を確保するためには行動を共にするのが一番だと、朝から私たちは話し合っていたのである。

 

 ――そんな時に、

 

「わっ!?」

 

「な、何、いったい?」

 

 教室の後ろ側の入り口辺りに固まって喋っていたクラスメイト達が驚いたような声を上げたのである。

 

「どうしたんだろう?」

 

 突然の事態に、私達はついついそっちに注意を向ける。クラスメイト達は自分たちの足元を気にしているようだった。そこに一匹の、それも雨でずぶ濡れになった黒猫がいた。黒猫は素早い動作でみんなの足の間をすり抜けると、どうしてだろう? なぜか当然のように思ってしまったのだけど、椚木さんの元で足を止めた。

 

「かとれあ?」

 

 驚いているのは椚木さんも同じ。知ってる猫のようだけど、いきなりずぶ濡れ姿で現れたことに困惑している。抱き上げようとした椚木さんに対し、かとれあと呼ばれた黒猫は付着した水滴を弾き飛ばすのも忘れ、切羽詰まった様子で鳴いた。聴いていた椚木さんの表情が徐々に曇っていき、

 

「えっ、ほんに!?」

 

 普段では考えられない程の大きな声を上げ、そのまま一人と一匹は急に走り出したと思ったら、クラスメイト全員が茫然と見つめる中、教室を飛び出して行った。……あ、あんなアクティブな椚木さん、初めて見たよ。

 

 ……

 

 …………

 

「って、ぼーっと見ている場合じゃないよ」

 

 唐突の事態に頭が付いて行って無かった。私の声で春流美ちゃんと冬莉ちゃんの二人も気を取り直したみたい。

 

「行こう」

 

「ええ」

 

「うんっ」

 

 私達は連れ立って扉をくぐる。遅れはあるけど、追いつける。そんな風に私達は考えていた。

 

 ――が、考えは甘かったみたい。

 

「うそっ?」

 

 教室を出た頃にはもう、廊下の先の階段を下りようとする椚木さんの後ろ姿がちらりと見えただけだった。ここからそこまで間に八クラス分の教室がある。い、意外と足が速いんだね……。

 

 とにかくこれ以上離されないように、私達は懸命に足を動かした。廊下の窓からは階下にある下駄箱が見えるんだけど、すでに一階にまで下りた椚木さんは物凄く焦っているようだ。靴を履き替える時間すら惜しんで、下駄箱を素通りして、角を右に曲がる。しかも、傘も取らずに。風邪ひくよー、椚木さーん。

 

 この時、並立する下駄箱が邪魔になって、椚木さんの姿を見失う結果になってしまった。大急ぎで下駄箱まで辿り着きはしたものの、椚木さんの姿は辺りにはもうなかった。

 

「あっちゃー。どうしよう」

 

 冬莉ちゃんが頭を抱えて呻く。とりあえず手当たり次第に探す以外に手段がない、私達が靴を履きかえようと考えていたら――

 

 ――雨の中を数匹の猫が疾走していた。もしかして、椚木さんが慌てたことと関係する?

 

 気付けば私達は駆けだしていた。今、この猫たちを見失ったら、この唯一の手がかりとも言えない手がかりを逃したら、椚木さんを見つけることが出来ない気がして。靴を履き替えることも、傘を取ることも忘れて。

 

 途中、昨日と一昨日に椚木さんと出会った裏道を通った。やっぱりこの先に彼女がいるんだ、そんな確信めいたものを感じながら走り、辿り着いたのは体育館の裏だった。

 

「…………いた」

 

 やっと、見つけた。

 

 ただでさえ今日は日が隠れているのに、建物や木々に囲まれているため薄暗かった。椚木さんは中腰姿勢で、じっと壁に目を向けている。壁際には、大きめの段ボール箱が、本来は上を向いているはずの口が壁に向かうように置かれている。椚木さんは雨に濡れることも厭わず、屋根の無い辺り低木のすぐ手前まで、なるべくダンボール箱から距離を取るように下がっていた。路地自体が狭いから二、三メートル程度である。周りにいる数匹の猫たちも同じだ。

 

「椚木さん」

 

「………………えっ?」

 

 心ここにあらず、といった風な椚木さんは呼びかけにかなり遅れて答えた。

 

「ど、どうして?」

 

「んー、特に理由は無いんだけど。強いて言うなら、気になったから?」

 

「そだねー」

 

「ええ」

 

「……そう?」

 

 椚木さんは戸惑いながら答えた。そして視線を戻す。私と春流美ちゃんと冬莉ちゃんは顔を見合わせて、苦笑した。

 

 謎のダンボール箱を真剣な眼差しで見つめる椚木さんは制服がビショビショだった。直接雨には当たっているうえ、コンクリートに跳ね返った雨や、屋根伝いに落ちてくる大粒の雫が冷たそうだった。ブレザーを着てなくて、ブラウスにベストだけだから余計に。

 

 私は椚木さんのすぐ横で同じ様に座って、ブレザーを脱いで一緒に頭の上からかぶせてあげた。椚木さんはちらりと一瞬私に目を向けると、目を細めた。

 

 

「ありがと……」

 

「えへへ~、どもども」

 

「ところで」

 

 隣で同じくブレザーをかぶった冬莉ちゃんが言う。

 

「このダンボールは、いったい何?」

 

「……それは」

 

 椚木さんはポツリポツリと、雨音に負けそうな声量で語りだした。

 

「この中、身重のお母さん猫がいるん、だけど。出産が遅れてて。時期としてはまだ許容範囲だし、たぶん個猫差があるから遅い方なだけ、だと思うんだけど。……やっぱり、心配で。それで、さっきこの子が産気づいて来たって知らせてくれたから」

 

「なるほどね。それで思わず飛び出して来たっていうことなのね。ん、でもなんでダンボールの中に?」

 

 これまたブレザーを雨避け代わりに使う春流美ちゃんが、いくら拭いても曇る眼鏡に辟易しながら訊く。

 

「暗くて、狭い方が落ち着くみたい、だから」

 

 思わず私は笑みを零した。やっぱり、優しい人。

 

 ……えっ、そういえばこの子、って言った? さっきの黒猫の事だと思うけど、輪の中に黒猫なんて。と、ふと私は走って来た側とは反対方向が、やけに暗い事が気になった。いくらなんでもこの時間にしては暗すぎない?

 

「うわあ」

 

 思わず声が引きつってしまった。ちょっ、何これ? 目を凝らしてじーっと見つめるうちに、暗がりになれた目にその暗がりの細かなディテールが映し出される。

 

 ……ね、猫がいた。私達のいる所から少し奥まった所に。それも数匹やそこらでは無い。数十匹、下手をすると百匹は超えているかも。暗闇を作り出していたのは無数の猫だったのだ。こ、怖い。春流美ちゃんと冬莉ちゃんも引きつった笑みを浮かべている。

 

「あっ」

 

 椚木さんの声に私達は我に返る。

 

「ど、どうしたの?」

 

「しっ、静かに」

 

 ゆっくりとした物言い、でも有無を言わせない口調。えっ? えっ?

 

 ――にー、にー。

 

 混乱していた私の耳に、小さな、雨音に掻き消されてしまいそうなほど本当に小さな鳴き声が飛び込んできた。

 

「も、もしかして。生まれたの?」

 

「まだ」

 

 ついつい大きくなりかけた声を、椚木さんの言葉がピシャリと断つ。

 

「猫は一度に平均四匹ぐらい産むん。落ち着くまでは様子をみんと」

 

 真剣な表情をして、胸の前で祈るように両手を合わす椚木さんが喋る。若干いつもと口調が変わっているような気がしたんだけど、熱がこもっているせいかな?

 

 数分置きや、数十分置きに増える猫の産声に耳を澄ませながら、私達はじっと座っていた。がんばれ、がんばれ、って必死に願いながら、ずっと見つめ続けていた。

 

 ――降りそそぐ雨は冷たいはずなのに、暖かく優しさに包まれた奇妙なほどに居心地のいい空間で。


 
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