No.392984

そらもよう 第1話

ほのぼの片思い日常です。

2012-03-17 11:59:43 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:253   閲覧ユーザー数:253

月がきれいだ。

そう思いながら、私はひさびさに地上の空を仰ぎ見た。

快晴、といっていい位の、美しい夜空。

 

雨やら曇りやらは嫌いだ。

ろくな思い出がない。

そんな気がした。

 

深夜。人はまばらで、誰にもあわずに住処まで辿り着けそうだった。

 

私は溜め息をついた。

ほっとしたのか、違うのか。

今の私にはわからなかった。

 

 

ところが。

運河門のかどを回った辺りで。荷物を片手脇に抱えた、10代後半位の性別不詳の麗人、街の人々は彼を隊長と呼ぶ。

 

彼はひとりで歩いていた。

若干足元が危ない。

飲み過ぎたのか、飲まれたか。

 

どうやら普段、彼を様々な意味で慕うと噂の部下は不在だったらしい。

でなければ、こんなにはならない。

彼には名前があるはずだが、彼は親しい人にしか名前を教えなかった。

私は彼の名前を知らない。

それどころか、話した事すらない。

 

私は溜め息をついた。

お節介かとは思えたが。

私は彼に声をかけた。

 

 

「途中まで乗ってくかい、隊長さん」

 

 

彼は、ふらりとこちらを向く。同時に表情がわずかに変わったのには気がつかないふりをした。

 

 

「お気遣い、有難う。でもあと少しなので」

 

そういい、上にある建物を指さした。

彼の前には急階段。おそらく今の彼にはきつい。

 

まあ、階段や迷路運河はこの街では珍しくはなかった。

なにしろ街全体が迷宮みたいな造りだ。初めて来たら、必ず迷う。

 

(旅人は必ず、テンガイの民と関わる)

 

この言葉の意味は、それに由来していた。

 

彼はゆっくり階段をのぼりだす。私は舟を漕ぎだそうと立ち上がる。

 

と。

 

よろけた彼は荷物ごと倒れた。

 

とっさに私は舟を飛び下り、彼を抱きかかえた。そしてある事実に気づかざるおえなかった。

それは彼の秘密。恐らく、誰も知らない。

彼はさっと青ざめた。

 

 

私は彼を舟に乗せ、散らばった荷物を集めるために。陸へあがった。

久々の地表。青ゴケの感触が木靴ごしに伝わってきた。

普通なら懐かしいだろう感覚。だが、私には、違う。

 

私の生まれた場所は、空が見えなかったから。

違和感をいつも、覚える。

 

 

なんとか、荷物を集め終わって、舟に静かに移る。

その間彼はこちらを見なかった。

だが、話しかけきたのは、彼の方だった。小さな、ささやき。

 

私は頷き、そして、こう言った。

 

 

「私は、地上の民ではないのですよ。これで、秘密はお互い様です」

彼はわずかに目を瞬き、わずかに表情を緩めた。

 

彼は少し、微笑んだ。

彼なりの、心遣いか。

真意はわからないけれども。

 

私も、わずかに微笑う。

最後に笑ってからだいぶ経っていた事に気がついたのは。

彼を送り届け、しばらく経ってからだった。

 

いつの間にか霧雨がささやかに服を濡らしていた。

私はいまさらながらに、気づく。

 

ふと、先程の事を思い出した。運河を登る途中。

私が舟先で櫂を操る間、彼の表情はわからなかった事を。

でもそれでいい。

そう、思えた。

 

月は雲隠れしていた。

私は空を仰ぎ見た。ほの暗い。初めて地上に出たあの日は。

空気が闇を切り裂くように冷たい。

記憶は微か。確か、霧雨が…

 

 

忘れたふりをしていたのは、他ならぬ私自身だ。

 

私が生まれた場所は地下深く。舟と共にこの街に流れ着いた。

 

彼は、本当は誰にも知られてはいけないものを持ち続ける。

お互いに。秘密を抱え。

そして、

 

僅かに月光が、薄雲の狭間から差しこむ。

 

私は溜め息をついた。

ほっとしたのか、違うのか。

今の私はわからないふりをした。

 

 

その気持ちは、私だけの秘密。

 

…私が彼の名前を知る事になりのは、もう少し先の事。

 

 

彼女の本当の名前は、月によく似た、この街に多く眠る石と同じ名前だった。

 


 
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