むしむしとしたある夏の午後。あたしは次の街へ向かう古い峠を越えていた。
仰ぎ見た空には、くもの糸みたいに垂れ下がった橋ー正確には橋の残骸ーがだらん。
なんでこんな時に壊れるんだと愚痴のひとつも零したくなるが、そういったって現実は変わりゃしない。
かなかなかな。
ひぐらしが声を枯らして鳴いている。
ゆったりとくもが流れていく。
自作の網笠を日除けに被ってはいるものの、何より大きさがいささか小さく、少し歪んでいるので、日が僅かに入ってくる。
ようするにあたしは不器用なのだ。
「あー、腹ヘったな…」
前の街で物々交換した甘大根も、あと2つだった。
あたしはユズリ。普段は貴重なものや、古いものーいわゆる珍品や貴重な品を売って暮らしている。
いわゆる、旅商人だ。
急にくもが空を覆い隠す。
濡れるのが大嫌いなあたしは、岩陰に逃げこんだ。
川が近くにあるのか、ささやくような水の音色が流れていた。
ふと、うめき声が聞こえたような気がして、目が覚めた。
…あたしはいつの間にか寝ていたようだ。
声の主は誰か。
物盗りか野の獣だったなら、覚悟しなければならない。
実力行使は苦手、というより、力を使うのは、やはり躊躇うのだ。
ただ、あたしの商売上、荷物を奪われたら、死活問題だった。
武器ー普段は腰についた飾りーを握り、川の脇、少しずつ、近寄ってゆく。
しかし、そこにいたのは血にまみれ、傷だらけの少年だった。
まだ、10、11だろうか。綺麗な服ーおそらく高貴な身分、だったのだろう。
えんじがかった黒い長髪が、夕風になびいていた。
手にはしっかりと、朱い硝子柄がついたナイフを握りしめ。
蝉の声はいつの間にか止んでいる。暑さはいつの間にか気にならなくなっていた。
あたしは少年を助けるか、見捨てるか、選択を迫られた。
「この事態」は絵本の作者、柊兄妹の筋書きにはない。
最も、彼ら、夕と心武は自分達の事など忘れているのだろうが。
「…っ…すまない」
あたしは、選んだ。誤った道を。
…彼女は、兄妹との契約を、絵本の筋書きという、掟を破った。
例え、それが間違いだと分かっていたとしても、物語の全てが狂うと分かっていても。
彼女は絶対者、絵本におけるマスターとして、兄妹に選ばれた。
(忘れられてしまったなら、あたしが今度は筋書きを変えるんだ)
押入れの隅に忘れられた絵本の中で、歯車は、ゆっくりと、狂い始めていた。
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ある少女の出会いの物語です。