薔薇とノンフィクション
世の中には「ろくでもないこと」の原因が二つある。
一つは圭一さんの不用意なひとことであり、もう一つは圭一さんのもっと不用意なひとことである、と沙都子は思う。
「興宮の夏祭りぃ?」
圭一が頓狂な声をあげた。
「そうなんですよ。監督からですね、雛見沢ファイターズと興宮タイタンズの親善試合の終了後、雛見沢と興宮の交流を兼ねて興宮の夏祭りに飛び入り参加しよう、とのお話がありまして」
「面白そうな話じゃないの、詩音」
お祭り好きの魅音が口をはさむ。
「交流はとてもいいことなのですよ。ボクは賛成なのです」
「さすがは梨花ちゃま、わかってらっしゃいますね。夜店やのど自慢大会もあるとかで、面白そうですよー。圭ちゃんはどうされますー? 」
「よっしゃぁぁぁぁぁ!」
意味もなく圭一が気張る。
「もちろん参加だぜ! ここらで一発、雛見沢の気合いを見せ付けて、興宮の連中の度肝を抜いてやろうじゃないか! 我が精鋭諸君、盛装だ! ドレスアップだ! フル装備で興宮に乗り込むぞ! 連中に雛見沢魂を教育してやろうではないか!」
「圭一くん、そんな教育は間違っているんじゃないかな? かな?」
レナがやれやれまたか、といった風で苦笑する。
沙都子は別の意味で、やれやれまたか、といった風で呆れる。
今度は「盛装」、と来たもんだ。沙都子は悩む。
清貧を旨とする聖フランチェスコ修道会士のごとき生活を送る沙都子には、「盛装」と言うに相応しい服なぞ所有しているハズもない。同居している梨花はいい。梨花には巫女装束がある。一部の層を完膚なきまでにノックアウトする巫女装束がある。では、梨花の服を借りればいいか、というとそうはいかない。服の似合う似合わないはまた別の問題だからである。
圭一に悪気がないのは納得している。もし悪気があるのならば、トラップで絡め取って前言を撤回させれば良い。しかし今回は、単にその場のノリで「盛装」と言っただけのこと。だからこそ余計に始末が悪い。
沙都子は考えうる最善の手と最悪の手を両天秤にかける。
夕刻、入江診療所。
「おや、こんな時間にどうされました、沙都子ちゃんに詩音さん」
医師として勤勉で誠実な入江は、書類から目を放して来訪者に向き合った。
何か急病でも、と言いかけた入江を制するように、沙都子が口を開く。
「監督、実は折り入ってご相談、いやお願いがございますの。監督でなければお願いでききない事態なんですの」
医師として勤勉で誠実な入江は、患者の訴えに聞き入るかのように背をかがめ、視線を沙都子の位置にまで下げた。
「何ですか、沙都子ちゃん。できる限り力になりますから、私に話してみてください」
沙都子はうつむき、もじもじと両指を重ね、意を決するように、上目遣いでようやく重い口を開いた。
「お、お願いいたします。か、監督の、お、お洋服のコレクションを、この、わ、わたくしに、お、お貸しくださいませ!」
一瞬の後。
にぃぃぃぃぃぃ~~~~~~ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~★
入江に悪徳の笑みが浮かび、診療所はさながらソドムとゴモラの市の様相を呈する。
「そうですかそうですかそりゃもうこの入江京介が万難を排し一命を賭して築き上げた私のコレクション、すべて沙都子ちゃんのために捧げ奉りますとも! どれでもお好きな服を持っていってください! いや~良かった良かった沙都子ちゃんが私の高尚な耽美とデカダン渦巻くメイド帝国にようやく理解を示してくださるとは! ああ、男子の本懐、ここに成就す!! 栄光まさに極まれり!! わが生涯一片の悔いなし!! さぁさぁ、あちらのお部屋に参りましょうこの不肖入江京介めが沙都子ちゃんに最高のコーディネートを……」
「監督は服を貸してくださるだけで結構です。コーディネートは私がしますから。さぁ、沙都子、私についてきなさい。圭ちゃん達が腰抜かすような素敵なレディにしてあげますよ」
冷酷に神が裁くが如く、冷たく詩音が言う。
医師として勤勉で誠実な入江は、しかし、人としてはかなりどうよ? な部類であるのはすでに周知の事実である。
振り向きもせずに詩音は歩き出す。
真っ白な塩の柱と化した入江を残して、沙都子は詩音の後を追う。
最善の手を打ったと思ったが逆だったか、と沙都子は、ふと後悔する。
もう、遅い。
それが真実。それがノンフィクション。
興宮の夏祭り、当日。
詩音の部屋で、沙都子は着せ替え遊びの人形になっていた。
「ほんっとーに監督のシュミは偏っていますねぇ。沙都子、苦しくないですか?」
「あ、足が……かかとが高くて……た、倒れそうですわ~」
着慣れない服に履きなれない靴。沙都子はよろよろと歩き回る。
「沙都子のバランス感覚ならすぐに慣れますよ。……まぁ、服の方はこんなモンでしょうかねぇ。次はメイク、メイク、っと……」
「あの……詩音さん……」
それは訊ねるべき質問ではないことを沙都子は承知していた。だが、その答えを聞かずに、このまま詩音と一緒にいることはできない、と思う。
「詩音さん、どうしてわたくしに優しくしてくださいますの……にーにーのことで怒ってらっしゃるんじゃございませんの……?」
詩音はなにも答えず、バニティケースを漁っている。
「わたくしがにーにーの妹だから? にーにーに頼まれたからですの? それとも……」
「沙都子、口を閉じなさい」と詩音は言った。
びくっ。
思わず、沙都子は口だけではなく、眼をも閉じる。
その唇に何かが触れる。口紅だ。
「沙都子、女の子には綺麗になる権利があるんですよ。私はそれを教えているだけです。――綺麗になる、という意味はもちろん外見だけではないんですけどね」
沙都子はゆっくりと眼を開いた。詩音が微笑んでいる。
「子供にはね、いっぱいいっぱい親に甘えなければならない時期があるんですよ。沙都子にはそれがなかった」
でも、と詩音は続ける。
「悟史くんにもそれはなかった。それだけは覚えておいてくださいね」
ふいに沙都子の心が痛い。
「やっぱり……やっぱりわたくしがにーにーに甘えすぎていたから……」
「そうですよ」
詩音は言い切る。
「でも、それを自覚し、向き合えるようになった、というのは沙都子が成長した証拠です。私にはそれが嬉しいですね」
「詩音さん……」
「最初の問いに戻りましょうか、沙都子」
紅筆で沙都子の口元を整えながら詩音は言った。
「私はあなたが気に入ったからですよ、北条沙都子」
それが真実。それがノンフィクション。
クルマに揺られて夏祭り会場へ向かう。沙都子の座る後部座席は革でできたふかふかのソファのようだ。暖かくて、眠くなる。
詩音は助手席からあれこれと話しかけてくる。聖ルチーア学園の生活はひどかった、と笑っていた。金輪際帰るものか、と笑っていた。
クルマを運転する葛西さんという人は、随分と詩音さんのことを気に掛けているように沙都子には思えた。
――子供にはね、いっぱいいっぱい親に甘えなければならない時期があるんですよ――
不意に沙都子は理解する。
……詩音さんも親にいっぱいいっぱい甘えることができなかったのかもしれない。
こうやって、少しずつ少しずつ詩音さんのことを理解して、少しずつ少しずつ詩音さんのことを好きになっていけるのならいい、と沙都子は思う。
それが真実。それがノンフィクション。
「葛西、会場が近いです。着いたら駐車場に止めてもらえますか」
詩音の指示に、はい、と短く葛西は答える。
「沙都子、準備はいいですか」
助手席から振り向きざま詩音が言う。
クルマに乗り込む前、何度も何度も鏡の前でチェックしたのだが、着慣れない服に少々沙都子は戸惑っている。
「詩音さん、わたくし、本当に似合っていますでしょうか……」
「おやぁ? 沙都子、まだ私のコーディネートに疑問を持っているんですかぁ? ねぇ、似合ってますよねぇ、葛西」
詩音が悪笑をたたえる。お似合いですよ、と不器用に葛西が沙都子を褒める。
何だか詩音さんが威張っているようだが、それは葛西さんとの厚い信頼があってこその台詞なのだろう。詩音さんにとっては葛西さんが「甘えられるひと」なのだ。
そして詩音さんは「にーにーの妹」としてではなく、「北条沙都子」として自分に接してくれる。遠くの「誰か」の代わりではなく。
こんな雰囲気っていいな、と素直に沙都子は感じる。
クルマが止まる。
「さぁ、行きますよ」と詩音が言う。
沙都子は口元を引き締め、真剣な眼差しでうなずく。
「はろろ~ん、お姉。うわー、皆さんキメてますねー」
圭一はスーツ。魅音は和服。レナはツーピース。梨花は……やはり巫女装束!
「おっそーい、詩音! ……ってお連れの方はどなた?」
淡雪のようなフリルの付いたマリンブルーのドレスと、それに合わせたヘッドドレス。胸元にはコーラルピンクのリボン。白い手袋。
ドレスの裾をつい、と持ち上げ片足をわずかに交差させながら見事なお辞儀をして見せる。陽に輝く藁色の髪。足もとは9センチのヒール。まさにフル装備。
「遅くなってごめんあそばせ。北条沙都子でございますわ」
いつもより9センチ高い視点から見る景色は何もかもが目新しい。見知らぬ景色。
見知らぬ自分。本当にこれがわたくしなんでしょうか、と沙都子は思う。
ロリィタファッションにハイヒールにメイク。
薄く引かれたピンクのルージュが、自分でもオトナっぽく感じる。綺麗に思う。
だが、まぎれもなくそれが真実。それがノンフィクション。
「どーですか、お姉。沙都子の新しい魅力は? 私の見立てなんですよー?」
ぽかんと開きっぱなしになったギャラリーの口が可笑しい。
帰りのクルマの中で詩音さんが大笑いしていた。圭ちゃんのポカン口が一番面白かった、と大笑いしていた。してやったり、のご機嫌だ。
「私も沙都子も、きっと窮屈な環境には耐えられないタチなんですよねぇ。根が野育ち、っていうか。多分似たもの同士、同じ土に咲く花なんですよ」
それが、詩音さんがわたくしを気に入ったという理由ですか、と沙都子は嬉しい。
「だからこそ、もっともっと綺麗を目指さなくてはならないんですよ。バラみたいなデリケートな綺麗ではなく、ずっとしたたかな綺麗をね。分かりますか、沙都子」
はい、と沙都子は答える。
「このお召し物は、わたくしには少々早すぎるようでございましたわね。でも……」
この服が似合うくらい、――そう、あと身長が9センチくらい伸びて、もっともっと綺麗になった日には――
「また喜んで、袖を通させていただきますわ」
それまでは、今にしかできない綺麗を精一杯やろう、と沙都子は迷わない。
温室に俯く薔薇よりも、荒地に笑う野薔薇であれ。
沙都子にとって、それが真実。それがノンフィクション。
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「ひぐらしのなく頃に」より、沙都子と詩音の交流の物語です。