今年もまた、光と影の季節がやってきた。
太陽が傾きだしてからしばらく経ったころ、私は外に出た。
この暑さにもかかわらず宿で借りた真っ黒なローブを身に纏い、あまつさえ頭にすっぽりとフードまでかぶっている。薄く透かして織った生地なので思ったよりもずっと風通しはいい。それでもやはり強い日差しには抗えず、日陰を選んで歩いてしまう。
すれ違う人たちはみんな似た格好をしているため、私だけが好奇の目で見られるということはない。いや、むしろ彼らの出で立ちを私が真似しているのだが。
汗をぬぐいつつ石畳の道を行く。
家々の屋根が濃い影を落としている。かんかんと照りつける日光に辟易しながらも、時折吹く風になんとか涼を得て耐えた。宿屋の主が持たせてくれた水筒から水分を補給することも忘れない。
海辺の町にはほのかに潮の香りが漂い、真っ黒な影と対をなすような白い石壁の家が立ち並んでいて、温暖な風土にふさわしく住人もみな陽気だった。
そんな町の人たちがいまはみんな黒尽くめで口までつぐんでしまっている。
何も知らない者が見れば何事かと訝ることだろう。私もはじめてその様を目にしたときにはぎょっとしたものだ。
しかし、その姿も沈黙もすべては町を挙げて行われる祭りの一環に過ぎず、いずれまた日常の生活へと戻っていく。町を訪れた者は希望すれば誰でも祭りに加わることができるので、なかには私と同じく旅の途中、ここに立ち寄ったのを機に参加する人もいた。
陽光を避けつつ町の光景をカメラに収めていく。
流れ落ちる汗を拭いながら高台に上ると、海と空の青が溶けて交わる彼方に、白くもこもことした積乱雲が浮かんでいた。適当な木陰を見つけて一息つく。暗がりに身を置けば、自らもその一部となったような心地がして、不思議と火照った体が冷めていく気がした。
眼下に望む教会と広場には徐々に人が集まり始めていた。
日が傾くほど影は伸び、いよいよ祭りの時刻が近づく。
私もそろそろ約束の場所へと向かうことにしよう。
坂を下り細い路地を抜ける。広場に近づくにつれて同じような装いの人々が増えてきた。
親子連れや恋人同士、友人とつるんでいる者もいる。
誰も彼も無言のまま歩を進めているが、見る限りこれから始まる祭りを期待してか表情は総じてうきうきしていた。
教会前の円形広場に到着する頃には、かなりの数の民が集まった。
広場から海のほうに向かって大通りが続き、そのあたりにも数多の黒いローブ姿の人たちが群れを成す。静寂のなか時折声がする。わりと観光客も多くて、この場の雰囲気に遠慮してだろうが、何やら小さく囁きあっていた。
夕刻に至ってついに祭りが始まった。
祭祀を司る神官がローブを翻して特別に設えた壇に登り、大音声で祭りの主旨を宣う。
曰く――影はもうひとつの身体、魂であり、切り離すことは出来ずまたそこに偽りはない。影に扮したすべての者はその理に反さず真実を告げよ。そうして互いを理解しあい、影をひとつに重ね合わせよ――と。
朗々と響き渡る神官の声に誘われるように、民衆の気の昂りが場を満たしていく。
最後に、それまで厳めしい顔つきをフードの中に覗かせていた神官が、咳払いをひとつしてニカッと笑うと、今までの態度が嘘のように陽気な声で告げた。
「さあ、みんな! 今日は影となって大いに楽しもう!」
ノリのいい台詞とともに教会の鐘が打ち鳴らされた。途端に集まっていた者たちがいっせいに喝采した。まるでいままで溜め込んだパワーをすべて発散するかのように、あちらこちらで声を上げて歌ったり踊ったり、広場の片隅では楽器の演奏まで始まった。近くに軒を連ねる飲食店からは酒や料理が振舞われ、老若男女を問わず盛り上がっている。
事情を知らない観光客たちはその様子の極端な変わりように、ただただ唖然としていた。
私だって昨年はじめてこの祭りの実体を知ったときには、あんぐりと口をあけて呆けてしまったくらいだ。
さらにそこかしこで本音の告白が始まる。告白する者は胸に右手を当て、いまから言うことに嘘はないというアピールをする。その内容は多岐に渡り、恋愛に関するものから普段なかなか言えない感謝の気持ち、場合によっては相手の嫌いなところや直してほしいところなんかも口に出す。それを聞いて反論するのはかまわないが、けっして怒ってはいけない。真摯に受け止めるのが暗黙のルールだ。
そうして互いに本音をぶつけあったあと、必ず握手をすることになっていた。
あの神官の言ったとおりこの祭りで根幹を成すのは、自ら影となっていつもは胸のうちにしまいこむ本音をさらけ出し、互いの理解を深めるところにある。仮の姿を借りて伝えることに対する抵抗を減らし、あるいは鬱積を晴らすというわけだ。そして、境界の曖昧な影同士が重なってひとつとなるように、握手をしてひとつながりの影となり「あなたの考えはわかった」ということを表すのである。
私はあたりを見回してある人物を捜した。たしかこの広場に面するカフェの前にいるはずなのだが。みんな同じような格好をしているので判別しづらい。と、不意にローブの袖をちょい、ちょいと引っ張る者がいた。
振り返ると当の人物が立っていた。
「久しぶり」
「一年ぶりね」
気さくに答える女性に自然と笑みがこぼれた。彼女はこの町でも有数の富豪である貿易商の娘だ。ちょうど一年前、この町を訪れたときに知り合った。
「よく待ち合わせの場所を覚えてたわね」
「約束したからね」
彼女は少し強気に口角を上げて納得したようにうなずくと、「場所を変えましょう」と背を向けて歩き出した。
広場の喧騒から徐々に離れつつあるが、そこかしこの道端や路地でも思いを伝え、飲めや歌えの宴が開かれていた。
路地をいくつか抜け、坂を上る。この道はさっき私が下ってきた道だ。
ほどなくしてまたあの高台に到着した。
ここまでくるとさすがに祭りの賑わいも遠のいたように感じる。
日はすでに水平線のすぐ上のあたりまで落ち、海面には太陽まで続く光の道のような一条の煌きがあった。
昼に比べて日差しは弱まり、ややぼんやりとした影が足元に長く伸びていた。今宵ばかりは夜が明けるまで町中に煌々と明かりが灯り、地面に、壁に、影が交叉する。
「ここまで来たらいいかな」
そう言うなり、彼女は私と五、六歩距離をとって向かい合った。じっと目を見据え胸に手を当てる。
「去年聞けなかった答え、今年はもらうわよ。あらためてお願いするわ。うちの……いえ、私の専属写真家になってちょうだい」
やはり彼女の考えは変わっていなかった。
一年前、この町で出会ったときに世界を旅して写真を撮っていることを教えたのが事の始まりだ。彼女はとても気に入ったようでいろんな撮影にまつわるエピソードをねだられ、しまいには自分のために撮影して回ってほしいと言い出したのだ。
いまと同じように祭りに乗じて乞われたとき、その気概に圧されて回答をためらった。それは彼女の本音であり、本気だったからだ。
彼女は考慮する猶予を一年間与えてくれた。
しかし、実は一年前から私の答えはすでに決まっていた。
私も同じように胸に手を当て、口を開く。
「ごめん。その願いはきけない」
故郷に残してきた人のために、私は世界を回っている。どんな理由があろうが、どれだけ金を積まれようが私の意志は揺るがない。
彼女は少し落胆したような表情を浮かべた。
「そう。駄目……か。じゃあ、仕方ない。わざわざ今年も来てくれてありがとう。それに、正直に答えてくれて……ありがとう」
彼女は胸から手を離すと握手を求めてきた。細く色白の手はほんのりと温かかった。
「やっぱり生身の人間のほうがいいわね。影の姿になるなんて死や不吉の象徴みたいで気味が悪いじゃない」
「……ちょっと前、『死の作家』と呼ばれる人の遺した手記を読む機会があった。そこには『死は生の補色のようなものである』って書かれていてなるほどと思ったよ」
「どういうこと?」
「さあ。どういうことだろうね」
意味ありげに「ふふふ」と笑うと彼女が話の続きを求めてきた。ならば今年も、彼女にいろいろと聞かせてあげることにしようか。
そういえば、手記にはこうも書かれていた。
――死は遠ざからず、ただ近づくのみ。すぐそばにその気配を感じたときにはすでに手遅れである、と。
生きている以上いつ死ぬかわからない。ならば「いつも」「いつでも」と油断せず、「いま」本音を言い合い、影を合わせて互いを理解しあうのも悪いことじゃないはずだ。
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2012年3月11日作。影あわせ=造語。偽らざる物語。