重ねられた想いも、刻も。全て僕は知る事が出来なくて。
結局薄っぺらい言葉に精一杯の、乗せられるだけ載せた想いを贈る。
君はそれでも笑ってくれる。嬉しいと喜んでくれる。僕はそれを知っている。
君が僕の言葉で喜ばないという事だって、全部。
そんな僕を知ったら、君はどう思うんだろう?
こんな僕だって嫌われたく無い、なんてずるい思いは常にあるから、そこから先は口に出来ないけど。
ねえ、君は。
「雪さん、明日誕生日だよね?」
二人だけの夕食中、僕は会話が途切れるのを待ってから、尋ねようと思っていた事を尋ねた。雪さんはどちらかと言えば物静かな方だから大丈夫だとは思うけど、会話が途切れた時に訪れる静寂に何か余計な気でも使ってるんじゃないか、と勝手に思っている僕は、雪さんと二人で話している時は話題をこうして途切れるまで出さないでいる。
計算高いと言えば聞こえは悪いけど、奥ゆかしいと言えば途端に耳触りが良くなるから、日本語って難しい反面便利だとも思う。
「え? 透矢さん、覚えていてくださったんですか?」
そしてそんな僕の言葉にわりと予想通りに喜びを浮かべて返事をしたのは、メイド服に身を包んだ同い年の少女にして同居人、そして見た目通りにメイドさんをしているという雪さん。しかも僕専属のメイドらしい。漫画やゲームの世界の話っぽいけど、現実に存在している。
「いや、みんなに教えてもらったんだ。透矢、どうせ忘れてただろ?ってね。あはは、その通りなのが情けないな」
そして僕には選択肢が二つ訪れたわけなんだけど、一応正直者で通っているらしい僕は、自分の頭の中に真っ先に思い浮かんだ言葉…素直に事の次第を口にした。
…一応もう一つの選択肢で「覚えていたよ」とドラマチックな台詞の方がより喜ばれるかもしれないけど、記憶喪失の人間がそんな見え見えの嘘をつくのはどうなんだと思ったし、何より察しのいい雪さんはそんな嘘をつこうとした僕の意図まで見透かして気をつかってくれそうで、二人ともいたたまれなくなると思った。
「いえ、そんな事はありませんよ。嬉しいです、ちゃんとこうしてまた覚えていただけるなんて」
当然と言えばそうなんだけど、雪さんにとって僕に関わる事はそんなに簡単に処理されないのか、本当に嬉しそうに笑ってくれた。
…ああ、本当にこうして色々思って考えて、そしてようやく見れる事が出来るなんてどうなんだと思うけど、そうした努力も無駄じゃないって思える程度には、雪さんの笑顔は眩しい。どんな顔をしていたって、生まれ持った美貌をもってすれば美しいんだけど、やっぱり笑顔っていうのは中でも特別に可愛い。普段穏やかな大人びたこの人が本当に嬉しそうにすると、年齢相応に見えるなんて、ずるい。
「うん、今度は忘れないようにするから…それでさ、雪さん。欲しい物とか、無いかな」
ちょっとだけ笑顔の余韻でドキドキしている僕は、出来るだけ平静を装って本題を率直に尋ねた。記憶を無くしていたって男だ。雪さんみたいに可愛い女の子に笑われたら、ドキドキするのは仕方ない。
聞いておきながら、僕は目覚めた時からの短い付き合いの中で、この人の返答をどことなく予想していた。
僕は、そんな自分が好きになりきれない。どこか彼女を見透かしていて、簡単に思っている自分。傲慢だとも思ってしまう。
「透矢さんのお気持ちだけで十分幸せですよ。本当に、雪は幸せ者です」
雪さんは嘘なんてついていない。今の言葉も笑顔も、心からのものを僕に向けてくれている。
だけど、それが一番嬉しいかどうかだと、また話は違うと思う。僕が浅ましいからそうなのかもしれないけど、気持ちを形にした方が、誰だってもっと嬉しくなるはずなんだ。
…少なくともこの時は、そう信じて疑わなかった僕はそのまま口にする。
「そんな事言わないでさ、何でも遠慮せずに言ってよ。雪さんにはお世話になってるし、僕はそのお礼の気持ちを少しでも形にしたいだけであって…」
そう言うと雪さんは少し、本当に少しだけ、寂しそうに顔に陰りを作った。僕はその時はその顔の意味なんて分かりもしなかったけど、後から思い出す時にでも鮮明に浮かぶのは、よっぽど印象に残ったんだろう。
次の瞬間にはいつもの、ご主人様である僕を気遣う微笑みを浮かべた雪さんになっていた。
「うふふ、でしたら遠慮しなくていいんですか? 雪、透矢さんにそんな事言われたら何をお願いするか分かりませんよ?」
「あ、うん…その、僕に出来る事なら、だけど」
「でしたら、デートしていただけますか? 透矢さんにしかお願い出来ない事ですから」
…もしかしたら、気遣ってるなんて考えすぎだったのかな?
そう思ってしまうくらい雪さんは嬉しそうに、そして楽しそうに笑っていた。そして、僕も。
「…えっと、それでいいなら、僕は…」
結局、この時から僕は随分と単純な人間だったんだろう。
嬉しそうな雪さん。僕は困った風に言いながらも、その笑顔が嬉しくて、その年の雪さんの誕生日は、無邪気な彼女に大いに翻弄された。
例え薄っぺらくても、重ねられた言葉は確かに重みを増して、やがて想いに変わっていく。
僕は君に恋をしていた。想いを贈って募ったのは、僕の恋心の方だった。
君が笑顔を見せるたびに、僕の心は弾んでちょっとの痛みを訴える。
その痛みは何だろう? 僕は今日も迷走をする。
「雪さん」
今年もこの時がやって来た。
毎年毎年の事かもしれないけど、今年のは僕にとって少し特別…にしたいなどと考えていた。
「何ですか、透矢さん?」
くるり、洗い物を一段落した雪さんが振り返る。振り返り美人、なんて言葉を聞いた事があるけど、いつも美人の雪さんは何て呼べばいいんだろう、とつまらない脱線を一瞬だけ行い、僕は率直に尋ねた。
「えっと…明日の誕生日、なんだけど…」
正直なところ、雪さんが断るなんて思えない。思い上がりみたいでいい気はしないにせよ、僕はそれでも少し言葉にするのを躊躇ってしまう。
「あ、そう言えばもうそんな時期でしたね。うふふ、毎年透矢さんにお祝いしてもらえるなんて、本当に嬉しいです」
顔だけで無く体も僕に向けて、雪さんは言葉通りの笑顔を僕に浮かべる。
そう、本当なら…この時点で、僕は本当に雪さんが欲しい物に気付くべきだったんだけど。
僕は結局いつものまま、雪さんにお決まり文句を言ってしまう。
「だからさ、また欲しい物を教えて欲しいんだけど」
ずきん。
まただ。僕は、本当は喜んでもらいたいだけなのに。
どうしていつも、同じ顔を見ているんだろう?
「そうですね、でしたら今年も…」
ああ、まただ。雪さんが笑っている。
なのに、どうして僕は…こんなにも、胸が痛い?
いや、もしかしたら、と思っている事はある。でもそれをしないのは…どうしてだろう?
恥ずかしいから? 記憶が無くなってしまったから?
どれが一番近いのか分からないけど、それでも確かな事はある。全部、僕の弱さだ。僕の弱さが僕自身の願いを否定している。
「雪さん」
そう思うと急に僕の中に苛立ちが生まれ、そしてそれは僕の中の抑圧された衝動を解放した。
「は、はいっ」
雪さんが続きを言う前に僕はそれを遮るように肩を掴んだ。ふわり、と雪さんの軽い体は僕にあっさりと寄せられ、清潔感のある甘い香りが僕に届く。
「…」
そして見つめ合う沈黙の中、僕はちょっとだけ気まずくなっていた。
困った。衝動的にいつもと同じが嫌だから遮ってしまったけど、続きの言葉を考えて無かった…。
「と、透矢さん?」
僕にいきなり肩を掴まれた雪さんは驚きから回復しつつあり、未だに言葉を発しない僕をきょとんと見ていた。
「…ぼ、僕とデートして欲しいんだ!」
そして僕は結局、雪さんが言おうとしていた(であろう)言葉をそっくりそのまま言うだけだった。
「え?」
雪さんは再びきょとんと僕を見る。それもそうだろうけど。
「僕、雪さんが好きだから! だから誕生日プレゼントじゃなくて、僕がデートしたいんだ! それでプレゼント、一緒に探しに行こう!」
特別な一日にしたい。つまりは、そういう事なんだ。
…だからって、こんなにもロマンが無い告白、するつもりじゃなかったんだけど…。
雪さんを見ていると不安だけが大きくなってしまい、直前まで同じ誕生日を繰り返そうかどうか悩んでいた優柔不断な僕は、結局勢いに任せて心の奥底にあった雪さんへの想いをぶつけただけだった。
ああ、僕ってどっちに転んでもダメな奴だな…自分に嫌気がさしていたら、僕の腕から雪さんの肩が離れた。さすがに雪さんにも呆れられたのだろうか、と不安になっていた次の瞬間、僕の胸元に飛び込んできた柔らかな衝撃。
雪さんが、僕の胸に飛び込んで、両腕を背中に回して抱き付いてきたのだ。
「あ、え? 雪さん」
僕は突然の抱擁にどうする事も出来ず、彼女の柔らかい感触だけを享受していた。
雪さんの髪から甘い匂いがするけど、さすがに突然の状況ともなるとドキドキしてもいられず、どうするか考えるのも難しかった。
「ご、ごめんね。僕、変な事言ったかな?」
「…好きって」
それは本当に儚くて、田舎の静かな一軒家でも無いと聞こえなかったかもしれない、雪さんの呟き。
でも、僕はきっとどんなに騒がしくても、それを聞き逃さなかった気がした。
それはあの日、雪さんが見せた翳りから続いていた、抑圧された雪さんの本音。僕はその正体に気付けなかったけど、でもずっと残り続けていて、忘れる事なんて出来なかった。今だって鮮明に思い出しては後悔していた。
「透矢さんが、雪の事、好きって…」
「う、うん…ごめんね、こんな形になっちゃって。でも、雪さんとデートしたいのは本当だし、好きなのも本音だから。だから、ええっと…どう言えばいいんだろう…」
雪さんに改めて確認されると、僕の顔は急速に熱を帯びて耳まで真っ赤になってしまった。言葉もしどろもどろになり「どうしてあそこまで言えたんだろう」と今さら自分の事を不思議に思ってしまう。
そんな情けない僕の胸に顔を埋めていた雪さんが顔を上げて、僕と目が合う。
雪さんの瞳の端には光る一滴が浮かんでいたけど、その顔は笑顔に彩られていて。
そして何より、凄く軽そうに笑っていた。翳りが産む重さから解き放たれたような、幸せそうな雪さん。
僕まで幸せにしてくれそうな、そんな顔だった―。
「いいんです。その言葉だけで雪は、本当に嬉しいんですから…ね、透矢さん…デートの前にプレゼント、いただいてもよろしいですか?」
「え…あ…」
雪さんはそう言うと、今度は目を閉じて僕の方に向けてわずかに口を尖らせる。
その真意に気付かないわけじゃない。雪さんの好意だって知らなかったわけじゃない。
でも、ここで重ねるという事は、雪さんにプレゼントを渡すという事。そして何より、僕たちが保ち続けていた微妙な関係の終わりを意味している。長い迷走も、全てが終わる。
「…」
僕はゆっくりと顔を近づけ、雪さんには失礼だけど最後まで迷いながら唇を重ねる。
でも、重ねた瞬間に、答えが出たような気がした。
僕が大好きな雪さん。雪さんが大好きな僕。
雪さんはプレゼントが欲しかったわけじゃなかったんだ―。
気付いた瞬間から溶けるのは簡単で。
僕は雪さんの全てを求めて、雪さんは僕の全てを受け入れてくれた。
それが本当に雪さんの欲しかった物で、僕は遠回りしてしまっていただけなんだって、そう思う。
でも、遠回りしなくて、早々に欲しかった物を手に入れていたら、どうなっていたんだろう?
考えても仕方の無い事だけど。結果論だけなんだろうけど。
僕は遠回りして苦労して、それで手に入れた今だからこそ、尊いんだって思うんだ。
「寒くなってきたね」
「ええ。早く帰りませんと」
僕は手袋を付けた雪さんの手を握りながら、自宅へと続く雪道を歩く。サクサクと踏みしめ、降りしきる世界に僕たちの存在を残す。
「でもさ、それで良かったの? せっかくの誕生日なんだから、外で食べたり出来合いを買っても…」
「透矢さんは雪のお料理とお外のご飯、どっちがいいですか?」
雪さんは片手に握った今晩のおかずの材料が入った袋を持ち上げて、僕に余裕たっぷりに笑う。自信とかそんなんじゃなくて、完璧に僕を熟知している雪さんならではの余裕だ。
「そりゃまあ、雪さんのご飯が一番おいしいけど」
「でしたら雪が作ります。雪の誕生日なんですから、雪の大好きな透矢さんの為に何かさせて下さいよ」
「…いつもと変わらない気がするなぁ」
なんだか矛盾したような事を言われても、僕は笑っていた。
だって、これがあの時からの誕生日の決まり事みたいなものだから。
「雪さん」
「はい」
あえて僕はおでこにキスを送ってみる。何となくの行為だったけど、彼女は嬉しそうに微笑んで、今度は僕の頬にキスを返してくれた。
あの時から僕たちは、誕生日だからってそこまで特別な事はしなくなった。
だって普段から僕たちは、嬉しい事があったら二人で祝うし、悲しい事があれば互いに寄り添って支えあう。
この関係に特別なんて欲しくない。常に普通で在りたかった。
「ちょっと遠回り、しちゃったね」
「そうですか? 寄り道はあんまりしてないはずですけど」
僕の独り言にも律儀に反応してくれる雪さんが可愛くて、今度こそ唇にキスを送った。誰も居ない田舎道とはいえ往来でのキスに、雪さんはちょっとだけはにかんだ。
喜ばす為に遠回りをして、結果近道こそが一番喜んでもらえる方法だったと気付く。
なるほど、僕らしい遠回りだった。要領が悪い代わりに、思い込んだら一直線と評される僕らしい終着点。
「遅くなってごめんね、雪さん」
「大丈夫ですよ透矢さん。雪、急いでご飯の支度を済ませますから」
今度は雪さんが遠回りをしているようにも感じて、僕は笑ってしまった。
僕たちは似たもの夫婦、ってやつになれるのかもしれないな。もっとも、雪さんは僕以上に思い込みが激しそうだけど。
「雪さん、プレゼント、何が欲しい?」
すでに田舎の店は多くが店じまいをしている頃合に、僕はあの時と同じように尋ねてみた。
もしもあの時僕が気付いていれば? 雪さんがもっと率直に言ってくれてれば?
すでにその直後にはこんな関係になっていたのかもしれないけど。
でも、結果があって今があるなら、僕はこれが一番いい気がした。
迷った分色んな、悲しそうな雪さんだって知る事が出来た。悲しみは無いに越した事は無い。
でも、僕はこの人の全てが見たいから。
「透矢さん」
この人に求められる僕でありたいから。
だから僕はもうちょっとだけ遠回りをしても、いい気がした。
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ここでは遅れましたが某所に誕生日に投下した雪さんのお祝い小説です。
水月が発売して10年、こうして自分が発売当初から好きだった作品の大好きなキャラのお祝いが出来るというのは感慨深いです。内容的には去年のものとちょっと似てますが、それでも自分なりに特別じゃないけどかけがえの無い日常を書いてました。