「あのですね。少し、相談事があるんですけど」
そういって、彼女の弟は口を開く。
久しぶり、という言葉さえも省いて、本題を切り出してきた。
[ 言えない言葉 ]
ドアが開く。その奥に、彼女が笑顔で立っていた。その表情は思っていたより明るい。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「よ、久しぶり。差し入れ持って来たぜ」
「本当。ありがとう」
入って、と彼女は俺を招き入れる。
警戒心の欠片もない。まぁ、それが幼馴染ってもんか。妙な納得をして、彼女の申し出を受けた。
一歩足を踏み入れると、よく知った彼女の家の匂いがした。
リビングへと通される。沢山のダンボール箱や荷物で散乱している。ただでさえ小さなマンションの一室が更に小さく感じた。
「散らかっててごめんなさい」
「いや。俺の部屋の方が汚ねーぞ」
俺は笑う。
だが正直、驚いた。彼女の家が、こんなに散らかっていたのを初めて見た。俺の知る限り几帳面な彼女の家は何時も片付いていた。
姉弟揃って綺麗好きだから、散らからないの。彼女はかつてそういった。
そいつは羨ましい。俺んちにも一人欲しいぐらいだ。確か俺はそんなことを口にしていたはずだ。その思い出は、もう過去のことなのだと実感させたられた気がした。
「はい」
「おぉサンキュ」
キッチンから戻って来た彼女に、コーヒーを差し出される。少し口をつけようとする。が、熱くてまだ飲めそうになかった。
俺はフローリングに座り込む。彼女はその横のソファへと座った。ここが俺らの定位置だった。横にマグカップを置いた。反対に彼女は、息を吹きかけながら格闘していた。
テレビがピカピカと光る。なにか見ていたらしい。視線を移した瞬間、CMへと変わった。車のCMで、エコを前面にアピールしていた。
「そういえば、車の免許は取ったんですか?前に取るとかいってましたよね」
「あー、金ねぇから止めた」
「どうして? ご両親に出して貰うんじゃなかったんですか?」
「何時までもそんな訳にはいかねーだろ」
俺はワザと音をたててコーヒーを啜った。まだ少し熱い。舌を少し火傷した。
後で、彼女がすぅっと、息を吸う。
「意外ですね。貴方がそんな大人びたこというなんて」
「これでも俺もう直ぐ二十になるんだけど………そういや、誕生日までもう一ヵ月きったんだよな」
「えっ嘘。もうそんな時期なんですか?じゃぁ私も後少し、か」
鑑賞深く彼女が指を折る。だがまだ十本指では足りない。
「そーゆこと。つか、誕生日忘れてる奴とか初めてみた。さすがは天然記念物」
「……その名前で呼ばないで下さい」
「突拍子もない事するから天然記念物、なんだっけ?」
「その口縫いつけてやりましょうか。それにそれ、小学校の話じゃないですか」
後ろから彼女に足蹴りにされた。無防備だった俺は、簡単に姿勢を崩す。コーヒーが零れそうになるのを、つい手で押さえてしまった。
「うお、あちっ……おい!コーヒーが手にかかったぞ」
「銀さんが怒らせる事いうからでしょ」
そういって彼女は口を尖らせる。全く、何時もは大人っぽいのに変な所ばかり子どもで困る。すぐ笑ったり、怒ったり、感情の向きがころころ変わる。わかりやすい奴。ずっとそう思っていた。
でも、本当の彼女は違うのだ。ついこないだそれを教えられた。そう俺はそのことを、自分でなく、人づてに知った。
俺の声に、脅えが混じる。
「なぁ、そういや。新八は…いないのか?」
「ん、バイト。いいっていってるのに、最近またバイト増やしたみたいで」
後ろから彼女はため息が聞こえる。彼女がどんな顔をしているのか、俺は怖くて振り向けない。
「そっか。………なんか、大変…だったみたいだな」
「うん?そうですね。忙しかった、かしら」
「忙しかったってお前」
軽く笑う彼女に、対し俺は声を荒げる。しかし直ぐに言葉を濁した。
「あー、……その、バイト先にまで来たんだろ?借金取り」
「あぁ、はいまぁ。でも結局大したことにはならなかったんですよ。店長がいい人で、借金の一部を肩代わりしてくれたから、あの人たちもすぐ帰ったわ」
「らしいな」
「ねぇ、それ…誰から聞いたんですか?新ちゃん?」
後ろからコーヒーをすする音がする。俺は首を小さく傾ける。
そう、と彼女がいう。
CMが終わる。バラエティー番組の下世話な笑い声が聞こえてくる。
「あのさ」っと俺は口を開く。
「……確かに俺は頼りないけど。少しくらい頼れよ」
「え?何を」
聞こえなかったのか、彼女が訊き返した。
「だから、相談しろってこと」
俺は彼女の方を向いて言う。彼女は眼をパチクリと何回も瞬きしていた。その瞳からは疑問の色が窺える。
「俺のいってる意味わかるか?」
「わからない、です」
「何でだよ」
どこが、ではなくついそんな言葉で詰問してしまう。
「だって。相談…って、そんな大したことじゃないし、一人でも大丈夫ですから」
「だから、相談もしないし、頼りもしないっていうのか」
「ええ。頼る必要がないもの」
彼女は当然でしょ、といったように平然とした顔をする。
悲しいとか辛いとか助けてとか、その表情の裏に少しでも隠れた感情を知ることができたら、俺は彼女の殻を破り捨てる努力をしただろう。それこそ何がなんでも。
だけど彼女は平然としていた。俺の方が情けなく慌てふためいてしまう。そんな顔を彼女に見せたくなくて、俺はテレビ画面を見つめる。
「……誰かに頼った方が楽だろ。時間も短縮できるし」
「一人でも時間をかければできるわ」
「………」
「それに、誰かの時間を奪ってまで頼るなんて嫌よ。頼る時には相互に利益が発生しなくちゃ」
「…………」
不適切な言葉が出かかった。が、のどもとで止まる。飲み込んだ言葉が気持ち悪くて、のど元をさすった。言葉がのど元を這い出てくるんじゃないかと思ったが、俺にはそんな勇気はなかった。
俺は押し黙る。彼女にいうべき言葉が見つからない。
「……私、変なこといいました?」
「自覚ないのは厄介だな」
「…………そう」
彼女はそっけなく呟いた。直す気はないようだった。
「思えば高校の辞めた時も、誰にも相談せずにとっとと辞めたよな」
「ちゃんといったじゃない」
「事後報告だったけどな」
学校辞めたの。今までありがとう。
それだけいうと、彼女は俺の元から去ってしまった。悲しむ時間も別れを惜しむ時間もくれなかった。残された俺は呆然と立ちすくむことしか出来なかった。
「俺は、ちゃんと辞める前に相談して欲しかった。役には立たなかっただろうけど」
「……ごめんなさい。迷惑かけたくなかったから」
「迷惑じゃねーよ」
「……ごめんなさい」
過去のことをぐちぐち論う俺に、彼女は素直に謝った。だけど違う。そんな言葉を、俺は欲しかった訳じゃない。
「なぁ、お前には人に、頼るっていう選択肢がないのか?」
「そう思います?」と彼女が訊ねる。
「そうだろ」俺が断言した。
彼女はコーヒーを啜った。まだ熱いはずなのに、そんな素振りは全く見せない。俺もコーヒーを啜る。熱さで皮がべろんっとなった。
「そうね、多分きっとそう。頼りかたがわからないの」
「普通でいいだろ」
「普通、っていうのがわからないもの」
彼女はいう。
「ごめんなさい。だから無理よ。頼れないわ」
あぁ、何かいわなくちゃいけないのに、舌がひりひりして痛い。
舌ものども。なにもかも。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
昔の作品6.
現代もの。
これを再構成しなおしたものが、【http://www.tinami.com/view/388232 】です。他ジャンル注意。ギルエリです。