冬になると感じる感覚のほとんど俺の場合”寒い”という感覚である。
どんなに厚着をして眠りについても、早朝には寒さで目が覚めるのだ。
そう話してやると目の前の男--銀はキセルを蒸かして笑った。
「そいつぁ旦那の寝相が悪いんですよ」
「何をいう、俺の何処が寝相が悪いというのだ」
「はあ、嫌ですね。旦那は。
旦那の寝ている様を目にしたわけじゃぁないんですから、
あっしにわかるわけがございませんよ」
そんなにおかしいのか、銀は笑い転げている。
それを見ていると苛立ちがつのる。
何より、所詮この男は元々狐。
人間の俺の事情などわかるはずもない。
俺の考えていることを察したのか、銀は楽しげに目を細めて顔をちかづけた。
「旦那はあっしが人の様に眠るとは思っていないようですがね、
こうみえてちゃんと横になって眠ってるんですよ」
「嘘をつけ、お前に住む家などあるものか」
「これは酷なことを仰る。あっしはね、これでも沼の外れにある荒れ寺の管理をしてるんです。
もちろん、訪れる者はいないもんですからね。もう、あっしの家になっちまいやした」
「あの寺か。確か何年も前だったな。住職が死んだのは」
「ええ、ええ。もうずうっと前の話です。
住職が居なかったらあっしなんか今頃猟師に狐鍋にされて喰われちまってたことでしょうよ」
思い出しただけでも寒気がすると言わんばかりに肩を震わせてみせる。
わざとらしい奴だと鼻で笑い飛ばしてやれば、
話をすり替えるかの如く切り出した。
「そういやぁ・・・旦那は所帯持ちで?」
「な、なんだ藪から棒に」
「いえね、あっしは散々旦那、旦那と呼んできましたが、
もしも旦那が独り身だった時の胸の痛みを思うと申し訳ないんでさぁ」
「この狐め。俺はそのように女々しくはないわ」
「はは、こいつは失敬失敬。それで、旦那は独り身なんですかい?」
まるで女にでも聞いているつもりなのだろうか。
俺の顎先をキセルで持ち上げながら にやついた薄ら笑いを浮かべている。
俺はこの面が好きではない。
何を考えているのかはわからないが、
何やら幼少の時代の思い出したくもない記憶を呼び起こされるような笑みだ。
キセルを退かして、鼻を鳴らす。
「ふん、独り身だがそれがどうかしたのか」
「いやいや、旦那って細かい面倒見がいいんでてっきり所帯持ちかと思っちまいやしたんですよ。
ほら、この間もあっしの耳掃除なんかしてもらって」
「あれはお前の耳が人間と同じなのか観察ついでだ」
「着物が汚れたときも洗ってくれたでしょう」
「あれは、あまりにも汚くて見るに見かねただけだ」
「それに、あっしが何者かに切りつけられた傷の面倒をみてくれた…」
「それは…人として当たり前のことだろう」
そういうと銀は何か呟いて目を伏せた。
何を呟いたのかは俺には聞こえなかったが、
どうせ下らないことでも言ったのだろう。
「皆が皆、旦那のようであればいいんですがねぇ」
「む、何がいいたいのだ」
「あの日、旦那はあっしに誰がやったかと聞きましたよね」
「ああ、それでお前は知らぬと答えたな」
「実はね、あっしを切りつけたのは人間なんでさぁ。
旦那は、町であっしが何て呼ばれてるかご存じで?」
キセルを蒸かす。
先端から立ち上る煙が俺の前でゆわゆわと広がる。
この狐が何と呼ばれているか。
それぐらい世間に鈍い俺の耳にもはいる。
「―――荒れ寺の狐。そのまんまじゃないか」
「ええ、そうです。あっしは狐。それでも旦那は”人として”と言いましたね」
「あ、ああ、言ったが」
「それがあっしにはとんでもなく嬉しいんでさぁ…。
こんな狐が人間の真似して暮らしていても旦那は同じ人間のように接してくれる」
心底嬉しそうに笑い、俺の隣に腰を降ろす。
こいつの煙管はいつも独特のニオイがする。
「旦那、旦那がこの荒れ寺にこれる身体で居る間はどうか…
この庭や…あの月を見に来てくださいよ」
「ふん、そんな回りくどく言わずとも素直にお前に会いに来てやるわ」
「ははっ、こりゃ失敬あっしが素直になると何時も旦那が照れるもんで」
「馬鹿、照れてなどない」
「照れてるじゃぁないですか」
「ふん」
ずっしりと寄りかかる銀は悔しい事に俺よりも背が高い。
しかし、ここでそれを口に出せば銀はありとあらゆる言動で俺を小馬鹿にするだろう。
「また機嫌を損ねちまいましたか」
「五月蝿い奴め」
「ねぇ、旦那…あっしが名前で呼ぶ事を許してくれませんか?」
「何を藪から棒に言っているんだ。呼びたいなら呼べばいい」
「いえね、あっしら妖怪は相手の了承を得て何かをするんですよ。
それが古来の掟ってやつなんですがね、近頃の若造は掟なんか古臭いって
所構わず人様に迷惑をかけて…嗚呼、嘆かわしい」
「若造…おい、お前は一体いくつなんだ」
あまりに爺臭い言葉に思わず振り向くと、俺の顎を掴む。
冗談めかして俺の唇を煙管でつつく。
悪い冗談は止めろと言って銀を押しのけようとするが、
この狐優男な顔立ちに似合わず力は強い。
「おい、こら止めないか」
「松吉さんも煙管吸ってみたらどうですかい?」
「やらん、俺は――…!」
言いながら煙管を咥えていた銀の奴が俺の口を塞ぎこみ、
何とも形容しがたい煙を流し込む。
敢えて言うのなら花の香にも似た甘い香り、そして苦い。
兎にも角にも苦いのだ。
けろりとした顔で俺から離れた銀は少しばかり寂しそうに目を細める。
「あっしはね、旦那を見ているとどうにも…こういう風に接したくなるんでさぁ。
やれば嫌われる、旦那がもう此処には来てくれなくなる…そうは思うんですが、
どうにも我慢が足りなくていけねぇ」
「…」
「旦那、後生なんでこれからも変わらずここに…あっしの所に来てはくれないですかい?」
「…」
「もう、旦那に無理強いはしない。それに…」
「松吉だ」
「は?」
「…お前が言い出したのだろう。松吉と呼びたい、と。
独り身の俺に気を使うのならそっちで呼べ」
拒もうとは思えなかった。
かといって真っ向から受け入れることは俺には出来ない。
しかし、銀は目を見開いて固まっていた。
暫くそうしていると、徐々に嬉しさが尻尾に現れてくる。
まるで猫のそれのようにゆっくりと、揺れ始めたのだ。
「だ…松吉さん、そいつぁこれからもあっしのところに来てくれるってことなんで?」
「こ、こんな人気のないところ町にはないからな」
「人気のない…それはあっしとの逢引に」
「馬鹿か。俺が人間嫌いなだけだ。
お前は狐だから例外だがな」
「…あっしは……旦那以外は何もいらないなぁ。
あっしか旦那のどちらかが息耐えるまで、お傍に居させてくれりゃぁそれで十二分」
「縁起でもない。
お前、天命尽きる前に退治されるんじゃないぞ」
「はは、松吉さんこそあっしの仲間と間違えられて斬られないでくださいよ?」
「ふん、俺を斬れる者がいるか。万一それで死んだら化けて出てやる」
互いに笑いながら月を見上げた。
「い~い月ですねぇ、松吉さん」
「ああ、そうだな。お前の尻尾が邪魔臭いのを除けば」
「嬉しいんですよ、あっしは人間好きの妖怪ですから」
「俺は人間嫌いの人間だがな」
「捻くれてますね、旦那」
Fin...
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「あっしが何て呼ばれてるかご存知で――…?」
銀×松吉/狐×人間/和風/腐向け/
∟人鬼本編の獅子丸と鍵荒はこの”銀”が原型だったりします^^