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穏やかで暖かく、麗かな春のひだまりを思わせる午後のダイニング。
テーブルの上にはお気に入りの紅茶と、同じ店で買った茶葉入りのクッキー。いつもはストレートで頂く紅茶だけれど、今日は新鮮なミルクが手に入ったので、ミルクティーにしてみた。ロイヤルミルクティーに仕立て上げようかと悩んだけれど、なんとなく普通に飲みたかったのでそのままにした。
こじんまりとした小さなこの家に一人で暮らしていた水(すい)だが、二ヶ月ほど前から同居人が増えた。
はす向かいの椅子に座っているのは、クルセイダーの依皇(いお)。だが今は聖騎士の鎧を外し冒険者らしからぬ格好で、すっかりリラックスした表情を浮かべてティーカップへミルクを垂らしている。
ほんのり紫がかった黒髪がさらりと流れ、切れ長の瞳が映す視界を邪魔したのか、指で梳くようにかきあげた。壮年期に差し掛かる年齢を感じさせない端整な顔立ちだが、落ち着き払った様子からは年相応の貫禄が醸し出されている。
彼が居るようになってから、このどこか優雅な空気のアフタヌーンティは日課になった。大体陽差しがダイニングに差し込んでいる時間を見計らってお湯を沸かし、ひだまりの中でお茶を飲む。それまでも水は一人でティータイムを楽しんでいたけれど、一人だとなんとなく飲みたいと思ったときに飲む、という感じだったので、こんな風にしっかり時間を決めたりセッティングをしたりしてはいなかった。
「水。どうかしたのかな、ぼうっとして」
「いえ、なんでもありません。そんなにぼうっとして見えました?」
「ああ。知恵の女神を思わせる毅然とした壮麗な横顔も眼福に思うけれど、今はなんだか天使がまどろんでいるようで、そのまま天へ還ってしまいそうに見えて、少し焦ってしまったよ。それとも何か考えていたのかな」
「……いえ、本当にたいしたことじゃありませんから」
「そう言われるとかえって気になるな。ねえ水、教えてくれないか?」
「紅茶が美味しくて、クッキーもさくさくで、お陽様も暖かくて。なんか、こういうのって幸せだなあって思ってただけです」
「俺も幸せだな。水のように見目麗しく、天上人が指で爪弾いた琴の音を思わせるほどに耳心地好い声の持ち主と、お茶を共に出来るのだから。いや、それを言ってしまったら、常に幸せだよ」
ぶふ、と口に含んだ紅茶を吹き出しそうになったのを辛うじて堪えた水は、こほんと軽く喉を鳴らして呼吸を整える。そんな水の様子を見て「大丈夫かい?」と尋ねてくる依皇に首肯だけで返答した。
だが依皇の言葉は更に続く。
「そうだね……今、俺が特に幸せと感じるのは、このアフタヌーンティで幸せを感じている水の姿をこの瞳に映すことが出来て、そんな俺の姿が水の瞳に――職人が粋を凝らして作成した王室への献上品のように壮麗な瞳に映っているからなんだろうね」
「……ええ」
途中から依皇の話を半分ほど聞き流していたのは、大仰としか思えない美辞麗句を聞いていられなかったからだけではない。依皇が決して冗談で言っているのではなく、ましてやからかっているわけでもなく、心から本気でそう思っていると知っているからだ。
以前、あまりそういうことを言われると照れるのでと、依皇をたしなめたことがあった。冗談を言ってからかわないで下さい、と。
だが依皇の反応は水の予想に反していて、哀愁に満ちた悲しい目をされてしまったのだ。依皇曰く、冗句でも冷やかしているのでもなく、真実の気持ちをそのまま述べているのだと真剣に諭されてしまった。
――本気だからこそタチが悪いとも言うが。
この目の前で気障な台詞を吐いている人が、かつては聖騎士団きっての実力者で人望もあり、ストイックな性格から次期団長と目されていたらしいと言われても、にわかには信じがたい。
その話をしてくれたのは信頼の置ける人物なので嘘ということはないのだろうが、一緒に暮らして居る水としては、こういう面を山ほど見てしまったからか、やはりどうにもいまいち信憑性に欠けるのだ。
いや、と水は思い直す。少なくとも剣技の実力があるのはこの身をもって知っている。
もしもあの時依皇が正気を取り戻さずに戦いを続けていたら――水は命の灯を消され、グラストヘイムの地で露と成り果てていただろう。
――約二ヶ月前。大聖堂の使いを仰せつかり、水はプロンテラから南西の都市、モロクへと赴いた。立ち並ぶ露店の主に勧められるまま立ち寄った酒場で、穏やかではない話を聞いた。
それは古城グラストヘイムにまつわる怪談。深淵の騎士とは異なる、まるでドッペルゲンガーのよう出で立ちの、漆黒の闇を纏った騎士が現れるという。
怪談とはいうものの、姿の見えない亡霊話の類いではなく、実際被害に遭った冒険者が後を絶たないという話だった。
その性質は特異で、一定距離をとっていれば襲ってこない・敵対行動さえとらなければこちらを認識していない風に見える・但し一旦こちらを敵と認識したが最後、尋常ではない速度でいつまでも追ってくる。その剣技は素晴らしく、まともに戦って勝てる相手ではない・瞬間的にその場を脱出できる手段がない限り負傷は必至、最悪死が待っている等々。
あくまで酒場で聞いた情報ということもあって、水は大聖堂の中でも信頼の置ける人物であり枢機卿の地位も持つシスターマレーネにのみ噂の概要を報告をした。
そして水は単身グラストヘイムへ出奔する希望を伝えた。もしそれが人ならざる存在ならば浄化すべきだと考えたのだ。マレーネは終始苦い顔をしていたが、その理由を水は後に知ることになる。
結局、許可をくれたマレーネと、知り合いのクルセイダーの椎奈(しいな)に餞別を色々貰い、準備万端でグラストヘイムへと出発した。
廃墟の古城、その修道院内で出遭ったのは、噂に違わず闇を纏った騎士――だがその身につけていたのは、聖職者である水にとって身近な様式の鎧、つまり国より正式にクルセイダーと認められた者のみが着ることを許される鎧だった。
主神に仕える聖騎士の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、集めた情報を元に、何とか彼に声が届かないかと水は必死に呼びかけ続けた。
俊敏性を鍛えていたおかげで直撃は免れたが、幾度も剣を振り下ろされ、都度すんでのところで交わす、を繰り返していた。ホーリーライトで衝撃を与えようとしても、相手が身につけているのは聖鎧のようでダメージが一切通らない。
半ば絶望していた水を助けたのは、椎奈から預かったロザリーだった。
眼前に掲げられたロザリーの鈍い光に反応し、苦悶の呻きをあげた聖騎士らしき者が口の端に上らせたのは、伝説の闇王、ダークロードの名前だった。
そのとき、二人の前にダークロードの分身と言われているダークイリュージョンが姿を現した。
彼を傀儡に仕立てていたらしき原因がこの場、そしてダークロードにあるならば、彼が僅かでも正気を取り戻した今が好機――そう判断した水は懐からブルージェムストーンを取り出しポータルを開いて、苦しそうに人語と思えぬ唸りをあげる彼を連れ、急ぎプロンテラへと戻った。
もしも彼が攻撃性を取り戻していたら、水の体は真二つに割れていただろう。だが水は賭に勝ち、無事に帰還することが出来た。
その後、水はシスターマレーネに報告するその前に、憔悴し衰弱しきった彼を救う為、知り合いのアルケミストの白狼(はくろう)に協力を仰いで、特殊な回復薬を作って貰う為材料集めに奔走した。
尽力した甲斐あって、薬を飲んだ彼はみるみるうちに回復した。
だが無事に目覚めた彼は記憶が欠落していた。彼は自分の名すら覚えていないかった。
闇色に汚れた鎧を磨いていたときに見つけた冒険者証を兼ねる聖騎士証は腐食が激しく、辛うじて読み取れた「イ」と「オ」から、便宜上水は彼を「依皇」と名付けたのだ。
彼がある程度回復した後、水は一人でマレーネの元へ報告へ行く。
そこで依皇の本当の名――イオタと、彼はかつて聖騎士団に所属し次期聖騎士団長と目される優秀な聖騎士であったこと。古城探索を命じられ、彼が選出を一任された一団は全滅の憂き目に遭ったこと。遺骸の回収すら不可能なほどの何かがあったらしいと後の捜査で判ったこと、マレーネも後の捜査に関わっていたこと。一連の事件は内密に処理されたこと等を知らされた。
水の話を全て聞いたマレーネは上層部に――といってもマレーネ自身も上層部の一人なのだが、依皇に関する一切の報告をしなかった。
もしも今後必要な事態が起きたならば報告はするが、今は彼が「依皇」として生きていけるようにと――。
もし依皇の記憶が戻ったらどうなるのだろうと、この二ヶ月の間考えたことが無いわけでは無い。聖騎士団長候補としてのイオタ――それは水の知らない人物だ。いざそうなった時に自分は果たしてどんな反応をするのだろうか。
少しだけ考えたが、やっぱりなにも変わらないか、と水はいつもの答えに落ち着く。
依皇もイオタも同じ人物なのだ。ましてや記憶がいつ戻るかも判らないのものを、今考えても仕方ない。それよりも今日を幸せに過ごして、美味しいご飯を食べて、湯船に浸かってほこほこに体を温めて、お日様の香りいっぱいのベッドへ滑り込む。その為に、毎日を頑張って生きることの方が水にとって大事で、今はそこに「依皇と共に」というフレーズが入るのだ。
「水?」
「あ、いえ。依皇さん、お茶のおかわりいかがですか」
「ああ。じゃあ貰おうかな」
怒った表情を一度も見たことのない穏やかな笑顔と共に差し出された空のティーカップを受け取り、水は保温の効いたティーポットから琥珀色の紅茶を注ぎ入れる。
「まだ幸せを実感中だったのかな、陽だまりの天使は」
「……ええ、そんなところです」
「いくらでも幸せを感じていて構わないけれど、お願いだから翼は失ったままでいて欲しいな。天使を地上に縫い止めておくのは罪深いけれど、この罪科なら背負っても良いと思ってしまうのは水の可憐さが成せる業かもしれないね」
いけない子だと言いながら、つん、と額を指先で軽く突かれた水は、呆れ半分諦め半分のため息を吐いた。
美辞麗句も聞きすぎるとお腹いっぱいになるものである。褒められることに慣れていない水は、当初こそ恥ずかしいやら照れるやらで紅くなっていたが、流石に二ヶ月近くこれを毎日聞いていればそれなりに慣れてしまった。
それでも中低音の耳心地好い声でごく自然に言われるので、そこまで悪い気がしないのが、はっきり嫌だと言えない要因だろう。
聞く度に肌がぞわぞわっとペコペコ肌になるのは相変わらずだが。
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