No.383931

探偵少女、月城こよいの怪奇事件簿

依頼No.1 始まりのキャスト

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2012-02-27 09:26:49 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:406   閲覧ユーザー数:406

 

 月城探偵事務所に一つの依頼が届く。

 大富豪の家に生まれ育った四十代の女性によるもの。

 祖父が亡くなった事で遺言状が一週間後に開封される事になったそんな折、一枚の脅迫状が届く。

「遺産相続を辞退せよ、さもなくば命は無い」

 遺言状の開封は親族一同を集め、孤島の別荘で行なわれる。月城探偵事務所の四人は依頼人の身の安全を守る為、同行する事となった。

 空に暗雲が立ち込めるその屋敷に、嵐が来ようとしていた――

 

 

 が、特に被害も無く事件は解決した。

 誰一人殺される事も無く、犯人はそれぞれが乗ってきた船に爆弾を仕掛けようとしたところを取り押さえられた。

 停電と、暖炉の中の隠し通路を使ったトリックも力技で解決。

「理不尽にもほどがある」

 呟くのは、昨年のクリスマス・イヴに“さた”を奪われた元青年の現少女、キャロル。

 月城探偵事務所の黒いソファに座り、ココアを飲んでいる。

「いいじゃないですか。みんな無事だったのです。良い事でしょう?」

 執事服の男が笑う。

「その通り。いやまったくもってその通りだ。でもな――」

 僕の真似しないでください、という相手の言葉を無視し、言葉を続けた。

「セルセさんが建物の内部構造を検索し終わっていて完全に把握。

 それを元にアリスさんが監視。屋敷の内外、孤島内のあらゆる場所は他の人達に一切気付かれずに見張ってた。暗闇でもおかまいなし。

 犯人の……誰だったか忘れたけど、とにかく犯人にしてみればその状況は理不尽過ぎるだろ」

「いやあ、暗闇の中で落ちてきたシャンデリアはその小さい身体で一人で受け止め。隠し通路を通って近道した犯人に通常ルートで追い付いて取り押さえ、あげく危険物を遠い海に投げて対処した御人は言う事が違いますね。

 特にシャンデリアの件。誰も被害者がいないのに次はお前だなんて書いてあるカードが残っていた時は笑いを抑えるのに苦労しました」

「あれはシュールだった。――しかし俺も、まさか女の、しかも子供の身体になるどころかこんな身体能力まで持つ事になるとはなあ」

 カップを持っていない左手をブラブラさせ、次いで伸ばす。

 肘を上に曲げ、アリスに向けてダーツを投げるかのように真っすぐと前へ再び伸ばす。ただそれだけの、高速の動作。

 それだけで風が巻き起こる。テーブルの向かい、もう一つのソファ。対角線上に座っていたアリスの髪が揺れる。

「二度ある事は三度ある。――次はビームでも出せるようになるかもしれませんね」

「勘弁してくれ。若干ありえそうだから困る。それを持ちネタにしてるのがもういるわけだしな」

 一度、誰もいないキッチンの方を見て視線を戻す。

「なんにしろ、です。あれは少々僕にとって都合が良すぎた。狭い一定の範囲での出来事、脅迫状によって、何かが起こるのがほぼ確定。暗闇。

 そもそも怪奇も関わっていない事件で、苦戦する道理もない」

「いっそ、アリスさんが普通の探偵やってればとさえ思うよ。解決しない事件なんてなさそうだ」

 それを聞くとアリスは、数度首を横に振る。

「まさかまさか。我が主が望むからこそ、私は力を貸しているだけのこと。そうでもなければ――人の生活や命など、どうでもいい」

「ふぅん、本当にお姉ちゃんの事が好きなんだな」

「……染まりましたよね、貴方も。気付けば素直にお姉ちゃん呼びになっていますよ。前はよく、お嬢ちゃん呼びで何度もたしなめられていましたものでしたが」

 気付いていなかったのかキャロルはげ、と言わんばかりの顔をする。

「なんにしろ、ええ。私は主の事は好きですよ。結婚式を挙げたいと思うくらいには」

「それはまたよっぽどだ。……結婚したい、とか普通言うよな。結婚式を挙げたいじゃなくてさ」

「ええ、若干ニュアンスが違うのですよ。僕の場合。ヴァージン・ロードって知ってます?」

 これはまずいな、と青髪幼女は思う。しかし、男は止まらない。

「ヴァージン・ロードをゆっくりと歩いてくる我が主をですね、走り寄って犯したい。できたらバックで。感動の結婚式ですからね、撮影は貴方に是非お願いしたい。しっかりと綺麗に撮ってくださいね? 高画質で」

「誰が撮るか!」

「つまり、参加したいと。まあ……今の貴方の容姿なら。それもいいでしょう」

 キャロルはテーブルの上で山になっていた一升枡の中身を鷲掴みにする。

「誰もそんな事、言って、無い!」

 その小さな手から放たれるのは無数の豆。それが目の前の鬼畜に勢い良くぶつけられる。

 クリスマス・イヴから一カ月と少し。今日は二月四日。――節分だった。

 

 

依頼No.1 始まりのキャスト

 

 

 事務所の扉が開くのと豆粒がアリスを襲う瞬間はほぼ同時。

 豆を投げつけるその様は現行犯。

 月城こよいとセルセの二人は、帰宅するなり床に散らばる豆を見た。

 無言でアリスの隣に座る少女の表情は相も変わらず前髪に隠れ、窺い知る事は出来ない。

 メイド服の女が箒に触れようとした所で、こよいは言葉を発した。

「セルセさん、掃除は大丈夫。二人がちゃんとやってくれるから。――地面に這いつくばって、一つ一つ食べてくれるって」

「我が主が、御望みとあらば」

 肯定的な言葉を口にはするが、実際に豆を口にするわけではない。

 あくまで冗談である事を彼は理解している。月城こよいの発する、少々サディスティックさの激しい発言は基本的にジョークに過ぎない事を。

 手招きされ、こよいの膝に座らされる幼女。その頭を撫で、耳元で囁く。

「いい? 食べ物は粗末にしちゃ駄目だよ? お姉ちゃんとの、約束」

 外見相応の扱い。それは内面が成人男性のものであるキャロルにしてみれば恥ずかしい事この上無い。

 何より恥ずかしいのが背中に触れる感覚。しっかりと彼女の上に座らされるとそこには見かけによらず豊満な胸の感触と、熱が伝わってしまう。

「悪かった。一つ言い訳をさせて貰うなら、この身体になってから少し心の歯止めが効かなくなってるというか」

「そっか。それじゃあ仕方ないのかな。でもやりすぎるようなら……」

 両腕でキャロルの幼い腰を優しく抱き、一瞬の間を置いて。

「首輪、つけさせてもらおうかな」

「こわっ! こわぁぁぁ!」

 わずかな拘束を振り払い、こよいの膝の上から脱出。

「いや本当、なんかたまに本気で怖くなるんだよ! 冗談!? 本当に冗談なんだよな!?」

 ソファから、正確にはこよいから二歩、三歩と距離を取る。

「……行こっか」

 立ち上がり、こよいが発した言葉に主語は無く。

「どこにだ!? 首輪か、首輪を買いに行くのか!」

「ううん、通り魔事件について調査しに。首輪、そんなにしたいの?」

「そんなわけあるか! ……通り魔ってあれだよな。今日だけで何件も発生してる。例の」

 探偵少女の後ろから、一つのファイルが差し出される。

 メイド服の女性、セルセ・オンブラマイフによるものだ。

「今朝方より発生しました連続通り魔事件。被害に遭っているのは全員女性。婦女暴行に類します」

「僕も調べにいってきましたが、被害状況はキス止まりのようですね。それ以上の事はされていない」

 こよいはセルセからファイルを受け取り、中の書類に目を通す。

「犯人の目撃情報。茶髪で髪にウェープのかかった女性……」

 ソファの背もたれ部分に飛び乗ってキャロルも詳細を確認する。

「よっ、と。あー、本当だ。そう書いてある。女が女にキスして、しかもしっかり口同士か。

 陸上部の女子も部活中に外を走ってるところを狙われて逃げ切れず。なんてのもあるのか。よっぽどの体力自慢だな」

「今朝方から発生して、件数は三十を超える。とんでもないね、単純計算でも三十分に一人以上のペースで犠牲者が出てる事になる。行こう、これ以上の犠牲者を出さない為に」

 探偵事務所の主の言葉に、三人が頷く。

 執事服の男、アリスは自らの影が真後ろに来るように向きを変える。そしてそのまま後ろに倒れ込み、自身の影に呑まれた。

 メイド服の女、セルセは身につけていた大きめのヘアバンドをこよいに渡すと僅かな稼働音を内部から響かせ、その形を変える。頭、腕、脚。五体がボディへと収納され、一つの長方形が出来上がる。上部にこよいがヘアバンドを差し込めば、それは一つのトランクケースとなっていた。

 そのトランクケースをキャロルが持ち、こよいは事務所の電気を消した。

 窓から差し込む夕日。探偵少女の影は蠢き、床に散らばる豆を綺麗に飲み込んでいく。

 

 

 街の中を歩くこよいとキャロル。

 しっかりとした足取りは、目的地が定まっている事を表している。

 向かった先は喫茶店マテマータ。

 窓際の四人席が三つ、カウンター席の数は十三ほど。こじんまりとして、人の入りも少ない喫茶店。

 そんな店の一番奥、四人がけの席に並んで座る銀髪の少女が二人。

 窓側の席に座る緑色の眼をした白いドレスの少女は両サイドにそれぞれ一本ずつ箒を置いていた。

 店内側の席に座る黒いドレスを纏う少女はその左目に眼帯を付け、その赤の隻眼で膝の上の熊のぬいぐるみに視線を注いでいる。

 そのぬいぐるみは腹の部分が何度も縫い直されているようで、元の色が分からなくなるほどに糸が巻き付けられている。

 両腕を持たれ、ぶらぶらと上げ下げされている様子は腹部の様子と合わさり痛々しさを感じずにはいられない。

 テーブルの上にはコップが二つ。それぞれに入っているのはトマトジュースとクリームソーダ。

 その向かいに、二人は座った。こよいは窓側に、キャロルは店内側に。そして通路にトランクケースを置いた。

 四者の間に会話は無く、しばらくするとお盆に水の入ったコップを二つと皮袋を乗せている人物が近付いてくる。

 それもまた少女で、髪の色は桃色。背は低く、キャロルよりは若干高い程度。

 コップの水をこよいとキャロルの前に置くと彼女は話を始める。

「こよいさんは先程ぶり、キャロルさんと飛田月美さん、星奈さんはお久しぶりです。

 ――こちらは貴方たち姉妹二人への報酬です。ご確認を」

 皮の袋を銀髪の二人の間へと置く。窓側の席に座っていた少女はそれに視線を移すと、手に取り紐を解き中身を数個ほど取り出す。

 それは無数の三角錐。黒に染まり、白で一から四の数字の刻まれた正四面体。それらの中から一つ手に取り、品定めを始める。

「なあ、それ。なんなんだ?」

 キャロルの問いに答えたのは、赤い眼の少女。

「サイコロよ、サイコロ。知らないの?」

 いかにも面倒だと言わんばかりの調子で語る。

「それは双六とかで使う、あれだよな。あれは六面あるじゃないか。それは、四面しかない」

 呆れたように肩をすくめ、ぬいぐるみにやれやれと手を挙げるポーズを取らせる。

「そういうのもあるの。八面とか、十面。それに百面のものだって」

「百って……そりゃまた、使ったら凄い双六ができそうだ。やりたいとも思えないが」

「どうでもいいわ、そんなの。……ねえ、お姉様。それ、どう?」

 姉を呼ぶその声は、キャロルと話していた時とはまるで違う。はしゃぐような、心から楽しそうな声。

「……“カースファクト”。普通の、呪われた道具」

「もう、お姉様ってば。そんな事はあたりまえじゃない。そうじゃなくて、使えそう?」

「……充分。数を確認して、いきましょう」

「はーい。それじゃあ私も数えるのを手伝いますわ」

 袋の中身をテーブルの上に広げる。同じような黒のサイコロはざっと見ても軽く二、三十個を超えるように見える。

 銀髪の二人が四面ダイスを数え始めると、桃色の髪の少女は視線を探偵事務所の二人に向けた。

「“神社”経由でこよいさんに正式な依頼が届きました。内容は――鬼退治」

「鬼退治、だって?」

 鸚鵡返しに問うキャロルに、しかし少女は首を横に振る。

「失礼。少々語弊がありましたね。探し出して頂ければ充分、捕獲まで出来れば御の字との事です」

「連続キス通り魔事件の犯人は鬼、それの行方を捜査。それであってるかな?」

「問題ありません。報酬に関しましてはうちを経由して渡しますので解決後、連絡します」

「うん、それじゃまた明日学校でね。御子ちゃん」

 御子と呼ばれた少女は、再び首を横に振った。

「こよいさん、ここでは私の事はマスターと、そうお呼びください。この喫茶店の主は私です」

「それなら私は所長って呼んで貰う事になるのかな」

「いいですね。マスター、所長で呼び合う仲。かっこいいです」

 誰に言うでもなく、そりゃ何よりだとキャロルは呟くと目の前に出されていた水を半分ほど一気に飲む。

「それじゃ、さっさといこうお姉ちゃん」

 トランクケースを持ち、立ち上がる青髪の少女。

「待って」

 釣られて立ち上がるこよいを制したのはダイスを数えていた緑眼の少女。

「これを。よかったら」

 二人の前にそれぞれ一つ。数を数える為に並べられていたダイスが置かれる。

「いらなかったら、捨てていい」

「お姉様の厚意を無下にするようなら……」

 熊のぬいぐるみの腹部、大量の糸の中心から一本の刃が突き出る。

「ね」

 傾げられる首、隻眼の赤眼からは狂気に近いものを感じずにはいられない。

 二人はお礼もそこそこに、喫茶店を後にした。

 

 受け取ったダイスを夕日にかざしながら、先程の出来事を思い出しキャロルは身震いする。

「怖い。あれ本当に怖い。妹の方。星奈さんだっけか、やばい怖い」

「お姉さんの事がちょっと好きすぎるから、しかたないよ」

「あれをちょっとで済ませるお姉ちゃんも怖い。超怖い」

 近くの自動販売機でジュースを一本購入したこよいは、販売機の当たり、もう一本との言葉を聞いた。

「……ここらで一杯?」

「お茶が怖い。……じゃなくて。まあ、いいか。しかし、なんで通り魔と鬼が結びついたんだ? 犯人の目撃証言だってあった筈だ、茶髪の女性だって」

 こよいは足を止め、キャロルに缶のお茶を渡すと説明を始める。

「今日の朝のホームルームで一人早退した人がいるの。双月藺草(いぐさ)ちゃん。朝から元気に百合な漫画を周囲に布教してたんだけど、電話が来たと思ったら帰っちゃった」

「……それと、どんな関係が?」

「彼女、“神社”の人だから。きっとお仕事なんだろうなって。それで朝からアリスさんに事件が無かったか調べて貰ったの。それで、朝からあった事件っていうのが」

「連続キス通り魔事件ってわけだ。……いやあ、朝から自分の影に向かって呟いてるアリスさんは気持ち悪かったなあ」

 こよいの足元から、その場にいない筈の存在の声がする。

「陰口は影の無いところでお願いします。普通に聞こえてますからね?」

「聞かせてるんだよ。今日だって平然とした顔で変態話しやがって。影口通してずっとお姉ちゃんも聞いてるってのに、よくあんな事言えたもんだ」

「その通り。いやまったくもってその通りです。ですが、大きな勘違いをしていますよ。それこそまさに、聞かせてるんです」

「……こいつ、本気でどうしようもねえ!」

 二人が他愛も無い会話をしていると、こよいは反対側の通りに目を向けたかと思うと再び歩を進める。

 近くの横断歩道橋を渡り、近寄るのは一台のパトカー。

 そこからは丁度、一人の男が車のドアを開け、降りる所だった。

 中年に一歩足を踏み入れたかという年の男はこよいを見るやいなや、眉を潜める。

「お、おー……探偵の。娘が学校で世話になってるみたいで。うん」

「こんにちは、正堂さん。お仕事ご苦労様です。通り魔事件についての調査ですね。何か分かった事はありますか?」

 ああ、とも溜め息ともつかない音を口から出してから言葉を紡ぐ。

「やっぱ知ってたか……。ついでに調べてやがったか。なら分かるだろう、若い女が狙われてるんだ。探偵のもあぶねえんだから、ほら帰った帰った」

 しかし詳細は噤まれる。警察という立場からすればそれは当然の事だった。

「……ったく。――」

 去り際の独り言を、しかしこよいは聞きとる事が出来なかった。そのまま男の背は遠ざかっていく。

「昨日は殺人、今日は通り魔。一体何が起こってるんだかね、この街に。……だってさ」

 しかしそれを、キャロルは聞き逃さなかった。

 本来、人に聞こえるように呟いていなかったそれを聞きとる事が出来たのは、あくまでキャロルの才によるもの。

「殺人……? 普通の事件だから、こっちに回ってこなかったのかな。でも……」

 思考に没頭しようとするこよいに、伸ばされる腕。

 ふと、しっかりと前を見れば。ウェーブのかかった、茶髪の女性。

「あっ……」

 身体を引こうとするが、肩を掴まれてしまいそれよりも下がる事が出来ない。

 が、その腕は跳ね上がるように上へ伸びる。

 青い長髪が宙を舞う。

 キャロルの飛び蹴りが女の腕を振り払ったのだ。

 着地し、さらに追撃の蹴りを入れようとしたところで。

「人が多すぎる、か……」

 車が通り、人が行き来する街の一角。暴れるには、少々目立ちすぎる。

「これにお任せを」

 トランクケースから勢い良く空気が抜けるような音。そして煙が噴き出し始める。

 周囲は煙で包まれ、道往く人はパニックに陥っていく。

「……おい! 思いっきり大事になってるじゃないか!」

 持っていたトランクケースに話しかける怪しい姿ではあるが、煙と騒ぎの中では誰にも気付かれない。

「身体に害の無い成分を利用しております。それなのにここまで騒ぎ立てるとは。これには理解できませんね」

「理解しろ! ああ、どうするんだこれ……」

「セルセさんをこっちに!」

 声はこよいのもの。周囲のパニックに掻き消されないように、大声で叫ぶ。

「了――解!」

 こよいの足元に、元セルセ・オンブラマイフであったトランクケースを投げ置く。

 取っ手を掴み引き倒し、そのまま取っ手を外す。元々はセルセの身に着けていた大きなヘアバンド。

 耳を軸にし、一度顔の下まで落とす。髪を掻き揚げるように持ちあげると目の位置でそれを固定した。

 ヘアバンドがまるで眼鏡のように装着され、こよいの眼を完全に覆い隠す。

「投影モード、開始」

 右手を左肩の位置から平行に右にずらすと空中にキーボードが展開される。

 その中の一つのキーに触れると一つのウィンドウがキーボードの上に浮かび上がった。

 そこに映るのは中心部分から離れていく一つの点。

 倒れたトランクケースの上に乗ると、さらにキーボード操作を行なう。

 それが終わるとトランクケースと、それに乗る月城こよいの姿が周囲の色に同化しその姿を隠していく。

 次に行なわれたのは風の操作。煙がトランクケースの内部へと吸い込まれている。

 しかしそれがトランクケースの中にしまわれたのだと気付く者はいない。透明化しているためだ。

 ただ、吸い込んだ位置だけは認識できる。それを利用して、キャロルはこよいの位置を確認する。

 その近くに寄ったところで、反応した五感は聴覚。

 エンジンの稼働音が響く。

 そしてその音はキャロルからどんどんと離れている。

 置いていかれたとそう考えるよりも早く、聴力に全力を注ぐ。

 駆け出す。その速度は平穏を取り戻し再び走り始めた車群よりも速かった。

 

 

 トランクケースに乗り、誰よりも速く移動する透明少女。

 足元のそれは、後ろに二つのブースターを付け加速し続ける。

 障害物は影を立体化させ作った波によって身体を浮かせて回避した。

 少女の右手側には宙に浮くキーボードと、ウィンドウが二つ。

 一つは先程の、どんどんと離れていく点の映ったウィンドウ。しかしそれは今、先程とは逆にどんどんと点が中心に近付いている。その点が中心に重なり合ったその時。

 茶髪の女性、先程肩を掴んだその人。正確にはその鬼の背中を見つける。

 まだそれが鬼と断じるには早いかと思えば、そのような事は無かった。

 人のものを超えた身体能力だけでいうならば、この場にはいないキャロルもまた鬼としての疑いをかけることさえ出来る。

 しかし、それとはまったく違う。鬼としての特性。それは。

「ひぃぃぃぃ――!」

 豆を投げ付けられると、それを恐れ逃げる事だった。

 煙幕をセルセが張ったその時も、家を出る時に影の中に片付けた豆を取り出し試しに投げてみた。

 結果、正解。取り付けた発信機は凄い勢いで自身から離れていくのを確認する事が出来た。

 宙に浮くウィンドウのもう一つ、それはこの街の地図。

 それを見ながら右側から左側から、影を通して豆を投げていく。

 そうして、とある一点に鬼を誘い込む事に成功した。

 その時点で鬼に先回りし、透明化を終了。眼を覆っていたヘアバンドをゆっくりと外し、トランクケースから降りてヘアバンドを取っ手に戻してハンカチでトランクケースのボディを拭く。

 河川敷、橋の下。

 人のいないその場所で、鬼を待つ。

 必死に逃げるその鬼は橋の下の影に入った所で目の前の人間を認識した。

「お前……さっきの」

「お待ちしておりました、連続キス通り魔事件の犯人さん」

 影が浮かび上がり、その両足を拘束する。

「これは、あれかな。どうにも偶然、蛇に手を出してしまったみたいだ」

 犯人が髪を掻き上げると、そこには小さな二本角が。

「やれやれ、こりゃ押し通るしかないようだね」

 容易く、影による拘束を解く。影は鬼のただ前へ脚を進めるその動作を止めることさえ出来なかった。

「この、力……これが、鬼の」

 その猛進で、こよいに特攻。右手を伸ばしきればそれは鬼の距離。

 伸ばしたその手が掴んだものは。幼い手。

 正確には、掴まれたのは鬼の手の方だった。

 そのまま鬼の手は引き寄せられ、引き寄せた側は鬼に背中を向け、そちら側から空中で縦に一回転。鬼の顎に踵を叩きこみ、手を突いてしゃがみ込むように着地。

 続いて横に一回転し、脛に向けてローキックを放ち、立ち上がって大きく溜息を吐いた。

「……本っ気で疲れた! どれだけ走らせるんだよちくしょう!」

 スタントのようなアクションを見せた青い長髪の幼女は、誰に言うでもなく叫ぶ。

「くっ、は……また君か。いやはや小さな騎士様はまったくもって頼もしいようじゃないか」

「げ、今の食らってまだ立てるのか。正直疲れて限界なんだが」

「最近の子は根性が無いな。まったく、楽しませてくれると思ったんだが」

「どれだけ走ったと思ってやがる……あー、ちくしょ。しんどい」

 そう言うとキャロルはその場に座り込んでしまう。

 ごつごつとした岩の感触は心地よいものとは言えないが、それでも立っているよりはマシだった。

「それでは、ここからは僕がお相手しましょう。鬼同士、楽しもうではないですか」

 地面からゆっくりと現れたのは執事服の男、アリス。

「君みたいな優男が鬼だって? 冗談だろう。鬼らしさの欠片も無い」

「その通り。いやまったく持ってその通りです。――ふむ、鬼の下着は本当に虎柄なのですね」

「な……!」

 鬼の服は三本の爪の形に引き裂かれ、ブラが見えてしまっている。

 アリスの人差し指には服の切れ端。それが、男の仕業であるという証拠。

「なかなかどうして、侮れないようだ。……どれ」

 地面を思いきり殴りつける。大地が揺れ、その腕は地面を抉る。

 引き抜いたその手には、一本の金棒。

「鬼に金棒。ここからが、本番というわけさ」

 接近し、アリスに向けてその金棒の一撃を叩きつける。

 しかしそれをあっさりと一歩横に避けてかわす。石の破片が飛び散り、アリスを襲う。

 無作為なそれが偶然にも眼を狙う。それを避けようとした瞬間。

 金棒による横薙ぎの一撃。

 腹部に入ったその強烈過ぎる一打は、アリスの上半身と下半身を二つに分ける。

 その中間から出るおびただしい量のそれは赤い液体ではなく、闇。

 それは蝙蝠へと形を変え、鬼の目を襲う。

「な、ぐぉ……がぁっ……!」

 必死に振り払おうとする鬼の姿を笑うのはアリスの、宙に浮かぶ上半身。

「僕が鬼らしくないというのは当然ですよ。鬼と呼ばれているのはあくまでこの国で、ですので。

 正確には、悪魔。――吸血鬼、ヴァンパイア。それが僕です」

 無数の蝙蝠はアリスの元へと戻り、本来の形であるアリスの腹部と服になる。

「くっ……西洋かぶれの鬼め……」

 目を閉じたまま、金棒を杖にして鬼は悪態をつく。

「西洋かぶれ、というよりは西洋そのものなのですけどね。さて、それでは――」

 月城こよいに向けて、恭しく一礼を行ない言葉を続ける。

「ここからが、探偵のお時間です」

 

 

 気付けばトランクケースはセルセへと形を戻している。その為に、オーディエンスは四人。

 キャロル、アリス、セルセ。そして今回の事件の犯人である、鬼。

「今回の事件が起こった理由はとても簡単です。鬼さんにかけられていた封印が解かれてしまったから。鍵は節分の掛け声。鬼は外、と人々は口にする。その言霊を原因で封印は破壊されてしまった」

「ちょっと待ってくれ。そんな事で一々解かれるような封印なら毎年のように抜け出されるじゃないか」

「今日一日の、というわけではありません。今までの数十年、数百年の積み重ねによるものです。一滴の水滴がいずれ巨石を破壊するような、そんな気の長い話と同じです」

「最後の一押しが今日の今朝方だったってわけか」

 キャロルが納得するように頷いていると、鬼が声をかける。

「ただ守られているだけの娘かと思えばなかなかどうして頭の回る。そんな理由があったとは、私も知らなかったよ。いやはや、嫌っていた節分に助けられるとは皮肉なものだ」

「その嫌いな節分に対するあてつけが、キス……接吻というわけですか」

「そうさ。人間が節分をやるように、私は接吻をする事にした。人間が歳の数だけ豆を食べるように、私は歳の数だけ接吻を行なおうと思ったわけだ。

 人間の肉体を傷つける、なんてのは鬼の力があればいくらでも出来る。だからこそ、あえて精神を狙う事にした。純情な娘達の精神を傷つける、人の身体ではなく心を食らうという選択だね」

 手の中にある調査ファイルを覗き、こよいは問う。

「かなりの人数を手に掛けたようですが、しかし、もし……復活が節分で無かったとしたら。鬼さん、あなたはどうしていましたか?」

「殺していたさ。普通にね。選り好みする必要もないんだ、今回の接吻よりも早く、多くの人間を潰していたろうよ」

 沈黙。そして。

「それでは、身柄を引き渡させてもらいますが、その格好ではどのような処遇を受けるにしても不便でしょう」

「ん? ああ、確かにそうだ」

 アリスの爪による一撃によって、虎柄の下着が見えている状態だ。

「せっかくですので着替えて貰った方がいいですね。

 ――代えのふくはうちにあります、おにさんはそこで待っていてください」

「……始まりが節分なら、終わりもまた節分か。参ったね、これは」

 男物のワイシャツをアリスが持ってくると、目の見えない鬼の代わりにセルセが着せた。

 しばらくすると緑の髪をした巫女服の少女が現れ、眼鏡を一度軽く持ちあげると鬼に符を貼り始める。一段落したところで、探偵少女へと声をかける。

「や、こよいちゃん。今朝ぶりだね」

「そうだね藺草ちゃん。それじゃあ、あとはよろしくね」

「りょーかい。……うち、腕自慢ばっかりで頭の方がちょっとあれなもんで。迷惑かけるねえ」

「いいよいいよ、お仕事だから」

「そう言って貰えると助かるよ。またお世話になると思うから、その時はよろしくね。……それじゃ、あんまりゆっくりしてると怒られちゃうからまたねー」

 符をあちこちに貼られた鬼を連れながら振りむいて手を振る巫女服の少女に、探偵少女もまた手を振り返す。

 そうして橋の下に残されたのは、探偵事務所の四人だけだった。

 

 

 月城探偵事務所のテーブルの上に、一枚の紙と四つのコマが並べられている。

 三マス進む、一回休み。様々な指示の書かれたそれは紛れもなく双六。

 使用されているコマは黒塗りの四面ダイスが二つ。

「……しっかし、今回は運がよかった部分が多かったんじゃないか? お、四と四ではー、ち、ま、す、す、す、む、と。マスも効果無しで順調順調」

 一番リードしているキャロルが、こよいに問いかける。

「鬼とすぐに出会えた事? それなら、確かにそうかもね。一、三で一、二、三、四。一位以外は二マス進む、だって」

「おや、これはありがたい」

「進めましょう」

「げ。……だよな、なんたって、どこにいるかも分からない状態だったし、あの辺は人が多くていると分かってても探すのは大変だったはずなのにわざわざお姉ちゃんを狙ってきた。運が良すぎるくらいだ」

 サイコロをアリスに渡そうとしていたこよいの手が止まり、キャロルに見せる。

「どっちかと言うと、呪いかな」

「それって、もしかして」

「うん。このダイスにかかっている呪いは、少しの間だけ色んなものに好かれやすくなるもの。一ならそのままだけど、二以降ならその数倍されるね」

 ふと思い返してキャロルはハッとする。

「……自動販売機の当たりもそれか! 幸運の女神に好かれた! あ、ついでにあの警部も心配してたのか。すっごい分かり辛いけど!」

「そういうこと。だから、ある程度近付けば向こうから寄ってくる確証はあったかな」

「知らないうちにそんな危険な真似を……。でも、なんでサイコロで好かれ具合が変わるんだ? ダイスの気分だけに“ダイス気”、つまり“大好き”になるからか?」

 沈黙。冷えた空気と視線が痛い。

 そっとキャロルの頭を撫でるこよい。

「……大丈夫、お姉ちゃんは何があっても味方するからね」

「え、今の駄目だったのか!? いつもやってる言葉遊びとそんなに変わらないじゃないか! というか今のは本気でそう思って……ああもう、こうなったら!」

 接近しているこよいから四面ダイスを受け取り、気合いを込めて振る。

「これで値がよければ今のも絶賛される、はず!」

 出目は一。故に、何も変わらない。

 始まりのキャスト。今日一日で多くの人と出会い、賽は投げられた。

 例え進める距離が一歩だとしても、それは確実に前へ進んでいる。

 

 

依頼No.1 始まりのキャスト  ――解決。

 

 
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