夕暮れ時の田舎道。高校生の俺たちが使う、いつもの帰り道。日が落ちるのが早く、秋風がひんやり冷たく感じる。
帰宅部の俺たちは、いつものように自分の家へ帰るために、ただこの道を歩いている。
「“なみだのいみ”って何だと思う?」
唐突に、隣にいる女――家がお隣の、桜庭美鈴――が、そう質問してきた。
「はぁ?」
「あたし、急に分かったんだよ。なみだのいみ」
いつもの明るいトーンで、美鈴はそう告白した。
「はぁ」
その、意図の分からない質問に困った俺は、ただ短い言葉を単発するだけだった。
「それってさ、いわゆる“サイン”だと思うわけ。心の“サイン”」
「ふ~ん」
明らかに困った表情とその雰囲気を醸し出している俺を措いて、美鈴は自分の仮説を語り続ける。
俺は、はぶられている感じが気に食わなかったので、適当にそれを受け流すことにした。
もちろん、その仮設を話しているあいつの顔など、見てもいなかった。
「すぐに感じ取ることの出来ない感覚を、ヒトへ伝えることの出来るもの……どう? それっぽくない!?」
「え? あぁ、そうだな。流石だな、美鈴は」
「あっはは~♪ そうでしょそうでしょ~」
適当に聞いてたのでよく理解できなかったが、とりあえず力説していたのは分かっていたので、俺は率直に褒める。その反応に、あいつも満足そうな感じで笑顔だった。
それから先は、いつもの屈託のない話で盛り上がり、気がついたら家の前だった。
そして、何気ない日常が数週間したある日のこと――。
俺は、驚かされる目に遭う。
「美鈴、お前転校するんだってな」
「え? あぁ、うん。するよ、転校」
俺は、風の噂で聞いた『転校話』を、直接本人に問いただしてみた。そしたら、あっけらかんとした態度で、あいつはそれを肯定した。
家が隣だから、いち早く知ることの出来る情報を、俺は一番遠回りなルートから仕入れていた。なんで親しい間柄にまず教えないんだ、という美鈴の無礼を責める意味を込めて、俺はあえて本人に事実の確認をしたのだ。
だが、そんな裏の意味を全く察しないような、美鈴のあっけらかんとした態度。その態度に、俺は拍子抜けしてしまった。本人に問いただす前までは、あんなにいらついていたのに。
呆けている俺を見て、美鈴は言葉を続けた。
「でも、あれじゃない? 今や、時代はグローバルなんだよ? 携帯もあれば、インターネットもある。離れていたって、近くにいるようなもんじゃない。そう思わない?」
「……まぁ、そう、だな」
俺とは対照的に、美鈴は明るく、それでいて何とも思っていないような素振りだった。そんな美鈴を見ていると、俺も離れ離れになるということが、別にどうでもいいことのように思えてきた。
「寂しくなったら、いつでもメールなり、電話なりしてよ。忙しくなかったら、応えてあげるから♪」
「あほ、そんな女々しいこと、俺が出来るかよ」
「そ~お? そ~だよねぇ、何たってハードボイルド系だもんね~」
「なんじゃそれ」
「あっはは~♪」
まるで転校なんて嘘のような、これから先もいつもと同じ日常が続いていくような、そんな感じで話す俺たち。二人で居ることが当たり前、周りから茶化されようが、善き隣人であり、善き親友だった。
これから先、続く予定“だった”日常。だけれども、数日後――美鈴は、驚くほどあっさりと俺の横から去っていた。そのとき不意に見せた、あいつの暗い表情はなんだったのか、俺は知る由がなかった。
美鈴が去ってから数週間が経つ。俺は、いつものように、朝目覚め、一人で登校路を歩き、一人で下校路を歩く、そんな毎日を送っていた。特に、なんてことはない。あいつが居ないだけで、俺の日常は概ね良好だった。
『良好だった』のだが、“あいつの居なくなった”いつもの日常を淡々と過ごす中で、俺は何かに引っかかっていた。なんというか、上手く言えないが、空白的な何かを感じているようだった。
悶々とする心中に、俺は悩まされていた。
この感覚を、どうにか取り除けないかと色々と試した。仲の良い悪友と遊び耽ったり、クラスの女子と休み時間に馬鹿騒ぎしたり、勉強に只管取り組んでみたり。
それでも、この感覚は俺の中から去ることはなかった。
いつものように学校から帰宅して、自分の部屋の机へと座る。
ギギっ……と、俺の体重で鉄製の支柱が軋む。
制服のまま、ぼけっと学習机を眺める。さっき付けた、部屋の蛍光管の明かりで、そこに収まっている本の背表紙がぼんやりと目に入った。
勉強の教科書なりが並んでいる中で、一角に『MEMORIES』と書かれたハードカバーの本があった。
それは、俺が生まれてから中学校までの写真がたくさん貼ってあるアルバムだ。学習机に似合わぬそれらの本は、おかんが勝手に収めていったものだ。そのことを抗議したこともあったが、「あんたのものはあんたが管理するのが基本でしょ」と言いくるめられ、今のその場所に収められたままだった。
俺は、何の考えもなく、そのハードカバーの本を手に取った。そして、それを机の上で広げていく。ベリベリ……と、フィルムが剥がれるような音がしつつ、ページをめくっていった。
『“はやと”誕生、3,380g 可愛い寝顔』
写真と一緒に、こんな感じにコメントが添えられていて、凝った作りの内容だった。
一枚、一枚、『俺のこれまで』を辿るように、淡々とページをめくっていく。
淡々とそうしていたら、全3冊を見終わろうというところまで、俺はページをめくっていた。
壁に掛けられた時計を見れば、結構な時間が経過している。
そして、いよいよ中学の卒業式のページに来た。もう、残りのページはわずか。そこで、俺は自分の“異変”に気付いた。
「あれ……?」
アルバムのフィルムを見てみると、何故か水滴がついていた。
その水滴の源を探ると、自分の目から流れていた――つまりは、涙だった。
なんで?
まず始めに思ったのは、疑問だった。
おかんの、あまりにも作り込んであるアルバムに感動したわけでもないし、過去を振り返って泣くほどの人生を過ごしていたわけでもない。
では、何故か。
「あ……そうか」
改めて、アルバムの写真を見てみる。そこには、いつも俺の横にいた、美鈴の姿があった。俺とほぼ一緒の人生を過ごしてきた、言わば“パートナー”。
そして気付く、あいつの言った『なみだのいみ』を。
美鈴が何故、あのタイミングでこの話をしていたのかを。
美鈴は、俺のことが好きであることを、転校の話題がきっかけで気付いた。だから、あんな話を俺に持ちかけ、自分の心中を、言葉の裏で曝け出していたんだ。
まぁ、俺の思いこみ出なければ、だが。
同じように、俺も気付いた。あいつがいつも傍にいて、互いが互いを相互補完していたことを。あいつを……好きでいたことを。
俺は、すぐさま携帯を開く。
別れたあの日から、全く連絡を取ることのなかった番号を呼び出し、メール画面を開いた。
そして、本文に『なみだのいみって知ってるか?』と打ち込んで、送信した。
あいつと同じで、あまりにも唐突すぎる物言いだが、あいつはきっとすぐに理解するだろう。その文面の意味を。
『なみだのいみ』
それは、サイン……心が教えてくれる、みちしるべ。
――――それから彼と彼女がどうなったかは、彼らだけの秘密。
~Fin~
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「"なみだのいみ"って何だと思う?」
そう唐突に、隣にいる女――家がお隣の、桜庭美鈴――が問いかけてきた。
――その、何気ない問いから始まる、彼と彼女の物語。
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