No.378677

ハーフ・ボイルド・リトル・ウルフ 2

cpfizzさん

さくらちゃんのおたおめ企画~! と言う割には内容は全然ラブイチャでもなんでもありません。ゴメンなさい。 以前に掲載した物の続きです。▼2012/02/15:作品を公開するアカウントを変更しました。

2012-02-16 01:09:22 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2108   閲覧ユーザー数:2108

 銃声に続き、夜の闇に響いたのは男の震える声だった。

「なぁ、にを!」

 男は目を見開き、目の前の少年をまじまじと見つめた。

 確かにトリガーを引いたはずなのに、銃弾は発射されていない。少年の額には風穴所か、傷一つ増えていなかった。

 代わりに傷が増えたのは男の右手。皮膚がずたずたに引き裂かれ、内側の筋肉が覗き見える。巨大な四十四口径の銃を支えるだけで精一杯の力しか加える事が出来ない。その傷は腕にまで散乱しており、銃のグリップを伝い大量の血が滴り落ちている。

 一体何があったのか? 男は激痛の余り思考が回らず、ただただ使い物にならなくなった右手で銃を取り落とさないよう、力を込めているだけだ。

「お前……! 何をした!?」 

 問いただす声が垣間見せる感情は、驚きと悲痛だけであり、恐怖はまだ感じ取れない。状況がまだしっかりと飲み込めていないというのが、男の率直な感想なのかもしれない。

「さくらの名前が出た以上、手加減は、しない」

 少年は突き付けられた銃身を握り締め、力を込める。小さな火花が弾け、暗闇の中に少年の顔が一瞬、まるで幽霊か何かのように浮かび上がって見えた。いつの間にか銃身を伝ってきた赤い鮮で、額を濡らした顔は亡霊か怨霊の類にも見える。

「!!」

 男はこの稼業に転じて、初めて心の底から恐怖を感じた。足下の地面が全て崩れ落ち、深い闇の中へどこまでも落ちていくような感覚。全身の血液は全て凍り付いたように冷たくなり、右手の痛みも消え失せてしまった。生きながらにして死を味わったような、純粋な恐怖が男の意識を鷲掴みにしていた。

「……喜べ。お前はこの技で死ぬ、最初の人間だ」

 唇の端を歪ませ、冷笑をはらんだ少年の顔が、青白い光に照らされ浮かび上がる。

 死に神がそこにいた――。

「…………ゃめっ!」

 男が叫ぶより早く、少年は銃を握る左手へ、懐から取り出した札を添える。

「雷帝招来……」

 囁き声のように静かに、そして厳かな声を札へそっと吹きかける。

 己の血で紅く濡れていた札から光が弾ける。血液を取り込んだその閃光は紅く、黄昏よりも暗く、不気味な輝きを放つ。

 電撃が迸る凄まじいスパーク音が聞こえるはずのその技は、何の響(とよ)めきも見せず輝きを拡散している。あるいは許容量を超えた爆音に鼓膜が全ての情報を遮断したのかもしれない。全身を震わせる振動を男は確かに感じ取っていたのだから。

 刹那――。

 二人のシルエットは、札を中心とした眩い光の球体へ飲み込まれた。

 大地が断末魔の悲鳴を上げる。家屋を楽々と吹き飛ばしてしまうような爆発音が轟いた。

 爆風は周囲の廃れたビル群のガラスを全て吹き飛ばす。

 弾け飛んだ石や金属片が有りと有らゆる場所へめり込み、小さなクレーターを形作る。

 とても人間が己の技だけで引き越せるような爆発ではなかった――。

 

 数分後――。

 まるでその爆発が嘘であったかのように、周囲は静まりかえっていた。

 既に開発からは見放された土地のためか、様子を覗きに来る野次馬や警察車両のサイレンも近づいてこない。

 爆心地の中心では、爆発の起こる前と変わらない姿のまま、二人のシルエットがその場に佇んでいた。

 少年は膝をついたまま男の右手に両手を添えている。男は少年へ向かって右手の銃を構えたまま固まっていた。

 二人の表情をうかがい知る事は出来ない。一言も発せず、微動だにせず、その場に人形のように固着している。生きているのかどうかさえ妖しい状況の中、闇夜のそよ風が、二人の髪を揺らした。

 そして。

 男の身体がまるでスローモーションのように、重力に任せるまま後ろへ崩れ落ちていった。足下に生まれたクレーターの縁へ沿うよう身体を預け、また動かなくなる。死んでしまったのだろうか。

 一方、少年は男が倒れるのを待っていたかのようにゆっくり立ち上がり。立ち上がる事が出来ずそのまま前へ倒れ臥してしまった。

「…………」

 少年の目は虚ろなまま、地面を見つめている。反射的に顔を背けたお陰で、腹ばいに倒れながら顔面が地面へ激突する事は避けられた。

 血と砂の混じり合った味が口内を満たす。心地良いものではない。瞬きをするのさえ億劫な疲労感が全身を覆っている。否(いな)、然(さ)に非(あら)ず。全身を束縛しているのは疲労感ではなく、己の手で相手の命を絡め取ってしまった罪悪感なのかもしれない。

 彼女の名前が男の口に上った瞬間から、少年の意識は冷静さを失っていた。決して人の命を殺めないと誓ったのに、彼女の命が狙われると知った瞬間に全ての理性が、命に対する倫理が吹き飛んでいた。まさにあの爆発のように。

 裏の世界では人の命に価値を見出す事が如何に己の足枷となるか、少年は良く理解していた。味方であろうと身内であろうと、己の利にそぐわなければあっさり見限れる。そう言う認識と覚悟がなければ、裏の世界では生きていけない事を少年は心の底から思い知らされていた。

 けれど、そんな狂気の世界においても彼の優しさは失われることなく、今までギリギリの境地を脱してこられたのは、偏に彼の惜しみない努力があればこそ。李家の次期当主としての重荷が、彼の精神を常人では達成の難しい領域にまで押し上げていたのだ。

 その張り詰めていた糸が切れてしまった。踏み越えてはならない一線を踏み越えてしまった。彼女の命が危険に晒されるという、たった一つの事実で……。

 少年の心を去来するものは後悔でも悲しみでもない。ただ虚しさがあるだけ。

 ――大切なものと引き替えに、大切なものを失ってしまったような、矛盾にも似た虚しさ。

 少年の意識が彼の命と共に遠のいていく。

「…………っ」

 その時、すぐ近くで何かの気配を彼は感じ取った。

 薄れ行く意識の中で、それは瓦礫か何かが崩れ落ちたのかと思ったが。

「…………ぅ」

 本当に微細な響きであったがそれは確かに人の声だった。息を吐き出す呼吸音。命の証し。

(……そうか。俺はまだ……)

 少年の心を覆っていた重苦しい気持ちが影をひそめていく。代わりに湧き上がってきたのは生きる事への渇望。隣りに倒れている男を死なせたくはないという信念。

「くっ!」

 両手の爪を黒い大地へ突き立て、渾身の力を込めて上半身を持ち上げる。己の背中に覆い被さった夜の気配を、高く冷たい空の全てを持ち上げるように。悲鳴を上げる十本の指を無理矢理律し、指先から少しずつ腕の中へ鉛を溜め込んでいく。

 血の代償を払って生み出した死の臭いを己の命で払拭してみせる。

 少年はその一心で自分の身体に鞭を打ち、何とか上体を起こした。身体を捻り膝を上へ向かせる。

 下半身を引きずりつつどうにか倒れている男の隣へ腰を据えると、彼の呼吸を確認する。虫の息ではあるがまだ生きている。

(…………無事か)

 これなら助けられる。胸を撫で下ろし、少年は即座に懐から数枚の札を取り出して、男の身体の上へ並べた。手持ちの札では傷を回復させる事は出来ない――恐らく男の右手はもう使い物にならないだろう――が、それ以上容態を悪化させないよう留める事は出来る。札一枚一枚の上で印を結び、札を発動。蛍のように淡い光が男の全身を包み込んだ。

「しかし……」

 あれだけの魔力をぶつけたのになぜこの男は生きていたのだろうか? いや、下手をすれば自分もあの爆発によって死んでいたかもしれないのに――。

 少年が使った術は、純粋な魔力を持ち性質の異なる互いの血液を雷撃の中でぶつけて対消滅(ついしょうめつ)させるというもの。その魔力エネルギーはこの街そのものを消し飛ばしてもおかしくないほどである。だが、周囲を見渡してもビルが倒れると言った被害は出ていない。最も深刻なもので、少年と男をすっぽりと覆っているクレーターぐらいだ。残りの魔力はどこへ分散されてしまったのか。

「…………ん?」

 ふと少年は自分の胸元が温かい事に気が付いた。

 襟元から強引に手を突っ込み、熱の源を探り当てる。それを取り出した少年は驚き、唖然と目を見開いてから、優しい微笑みを口元に零す。

「お守り、か……」

 それは日本からこの祖国へ飛び立つ前に、彼女が渡してくれた物。桜色の布で作られた小さな巾着袋。その中に何が入っているかは教えてくれなかったが、直感的に察していたのかもしれない。中から出てきた小さな紙片には「魔」を退ける物ともう一つ、「魔」を拡散させる術式が描き込まれていた。つまり、あの莫大な魔力は全てこのお守りによって爆散させられたと言う事。彼女ほどの魔力の持ち主なら、あれほどの魔力をコントロールするのは容易いはず。

「……お前はいつもピンチになると現れるな」

 苦笑しながら少年は手の中の、さくら色のお守りに呟いた。

 少年は空港での別れ際に交わした言葉を思い出す。

 互いの小指を絡ませ、

 

「「絶対、大丈夫だ」よ」

 

 彼女が使う無敵の呪文は、いつも少年を守ってくれているのかもしれない。

「…………さくら」

 小狼はお守りへ囁きかけるよう言葉を紡ぐ。

 そして、桜色の小さな紙片を元のように袋の中へ収め、胸元へと仕舞った。

(すぐ帰るぞ…………)

 お守りに誓い、彼は即座に懐から新たな札を取り出した。小さく口の中で何事かを呟くと札が仄かに輝く。

 先程の爆発で携帯電話が使えなくなっていた事は既に分かりきっている。彼は緊急手段として一方方向の伝達となるが、魔力を使い言霊を近くに待機している従者へ送った。

「偉。こっちは片が付いた。すぐに――」


 
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