「久しぶりだな」
ハールが視線を向けると翡翠色の髪の美しい女性がふっと笑う。
「こちらのセリフです。
ハールったらシエネまで来てもちっとも顔を見せに来てくれないんですもの」
台詞だけ見れば拗ねているようなのに声音はむしろ楽しそうな様子だった。
それが居心地悪いのか男は出された紅茶を一気に飲み干し音を立ててカップを置いた。
「おかわり飲みます?」
「いや、いい。
それより、今日は何か用があるんだろう?シグルーン」
「もう……もう少しゆっくりなさってからにすればいいのに」
言いながら、しょうがない人とでも言うように小さな入れ物を取りだした。
「今、シエネで流行っているものなんだけれどある人に届けて欲しいの」
この時期のダルレカは未だ深い雪に閉ざされていた。
今年は特に雪が多く、皆一様に冬の終わりと春の到来を念願し灰色の空を見上げるのだった。
ジルもダルレカ領主の館でペンを動かす傍ら時折空を見上げた。
しかし、それは春の兆しを探すためだけでなくもっと他に待ち遠しい存在がいたからに他ならない。
今日はもう彼は帰ってこないだろうか。
ジルはそう思い小さくため息をついた。
その日は多少曇ってはいるものの暖かく空を飛ぶのには良い陽気だ。
帰って来るならば、こんな日が良い。
もう今日は諦めて仕事に集中しようと彼女がペンを握り直した瞬間何か聞こえたような気がしてもう一度窓に目を向けた。
「あ」
無理に立ちあがったのでガタリと椅子が音を立てる。
しかしそんなことにかまってはいられなかった。
灰色の向こうに黒い影が微かに、けれどはっきりと見えていたからである。
ジルはいそいそと机の上を片付けるとこれから帰って来るだろう彼のために部屋を暖め始めた。
「おかえりなさい!ハールさん。
今回は早かったですね」
上着を受けとってコートかけにひっかける。
多少暖かいとは言ってもやはりまだ冬、彼の手は自分のソレと比べてずっと冷たかった。
「ああ、ちょうどこっちに仕事が入ってな。
……お前の手ぬくいな」
「ずっと中にいましたから。
さっき暖炉に火を入れたんで少し待っていて下さいね」
ハールが帰ってきたことが嬉しいと書いてある顔でそう言う彼女に思わず彼が苦笑いすると、
ジルは少し不思議そうな表情をして上目遣いにその顔を覗き込んだ。
「どうかしましたか?」
「ん?ちょっと留守にしたくらいじゃお前は変わらんなと思ってな」
「なんですかそれは」
少しだけ唇を尖らせたジルに男はそっと愛しげにその髪を手で梳く。
「そのまんまの意味だ」
そして、ジルの頭を軽く数回ぽんと叩いてやった。
その夜はいつもと違い、二人ともすぐには寝所に向かわず暖炉の前で言葉少なに静かに過ごしていた。
会話が少ないと言っても空気が重くなることはなく、ごく自然に互いの存在を感じることができた。
ちろちろと燃える火を見つめていると何処か遠い記憶を掘り起こされているような気がする。
そうしてジルがじっと熾き火を見つめていると不意に白いマグを差し出された。
見上げるとそれはハールで珍しいこともあるものだとおずおずとそれを受けとった。
「今、シエネで流行っているホットチョコレートだそうだ」
「へぇ……」
感心して思わず声を上げた。
手に持つマグカップの中ではトロリとした茶色い液体が湯気を立てていて周囲を甘い香りで包んでいる。
それをジルは躊躇いがちに、ゆっくりとマグに口付ると若干の苦みと甘みとが舌に絡みつく。
体の内側からじんわりと伝わる暖かさを味わうように少しずつ大切に飲んだ。
「元はフェニキス、キルヴァス原産らしくてな。最近になって広まった飲みものらしい」
「これまでは交易とかありませんでしたものね……美味しい」
ジルの喜ぶ様に思わず男の頬も緩み、自分の分のマグカップに口を付ける。
「元は苦いらしいな」
「じゃあ、眠気覚ましにぴったりですね」
笑いながらジルが言うと男はホットチョコレートを飲みながらふと口を開いた。
「そういや媚薬効果があるとも言ってたな」
「え」
思わずジルの動きが止まると、しゃがみ込んだハールが耳元で囁く。
「試しに今晩は寝かさないでいてやろうか?」
「え、ちょ」
男は一気にホットチョコレートを飲み干すとそれをそっとテーブルの上に置いた。
ろくに寝てないとこうなるよという例ですね\(^o^)/
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
バレンタインネタ。寝不足の頭が若干湧いてます。