No.373538

恋姫異聞録133  -点睛編ー

絶影さん

今回のイメージ曲は
LINKIN PARKのWhat I've Doneです
http://www.youtube.com/watch?v=3_nzyi_5oJA

俺が自ら後悔を招いたから

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2012-02-05 20:59:04 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:8004   閲覧ユーザー数:6050

 

 

厳顔に手を引かれ、部屋に戻った魏延は、一人顔を俯かせ、寝台に腰を掛けていた

頭に巡るのは先程の韓遂の言葉。主君の名を落としている自分の行動、そして軍師から信頼を得て居ないどころか

裏切るとまで思われていると言う事実が、魏延の心に突き刺さる

 

「・・・うぅ」

 

己の不甲斐なさに唇を噛み締める。いったい今まで厳顔の何を見てきたのだろう

幾ら心から敬愛する主君の事であろうとも、あの場で厳顔の様に落ち着いて、事態を静観し

相応しい行動を取ることが出来ていれば、そう何度も心の中で呟く

 

「おい、表に出ろ」

 

「なっ!?いきなりなんだ!」

 

部屋の扉が急に開けられ、入ってきたのは槍を持つ馬超の姿

魏延は慌てて目元を拭い、ずかずかと部屋に入ってきた馬超を睨みつけた

 

「叔父様が、お前と手合わせをしてこいって。あたしは嫌だったんだけど、叔父様の言いつけなら仕方がない。ほら、早くしろよ」

 

「嫌なら従わなきゃ良い、今はそんな気分じゃないんだ。さっさと出て行け」

 

「叔父様は何か考えがあって、あたしに行けっていたんだ。だから従う。意味なくあたしに強要したりしないからな」

 

「叔父様、叔父様とうるさい奴だ。韓遂が居なければ何も出来無いのか?」

 

先ほど打ちのめされたばかりの魏延は、韓遂の言葉に従う馬超に苛つき、眼は鋭く馬超を睨みつける

馬超もまた、韓遂の言いつけに不満があるようだが、言われたことを実行しなければ、後々面倒になると

溜息を一つ、そして槍の穂先を魏延の鼻先へと向けて

 

「うわっ!な、何をするっ!!」

 

「うるさいな、ゴチャゴチャ考えるのは苦手なんだよあたしは」

 

風切り音と共に、魏延が先ほどまで居た場所に槍の切っ先が突き出されていた

 

「この、本当に韓遂と共にきたヤツなのか?」

 

「いいからさっさと表に出ろ、部屋をぐちゃぐちゃにされたくなかったらな」

 

「ちぃっ!此処で暴れたら桔梗様に叱られてしまう。仕方がない、表へ出てやる」

 

ようやくヤル気になったかと、槍を下ろせば、頭上から振り下ろされる魏延の巨大な金棒

 

「うぐっ・・・部屋を出るんじゃなかったのか」

 

「出てやるさ、お前を殴りながらな」

 

「上等っ!」

 

鍔迫り合いのような状態から、魏延の勢いに押されるまま部屋を飛び出し、器用に通路の柱や床石に当たらぬよう

だが、馬超には強烈な攻撃が襲いかかるように、金棒を短く持ち、振り回して行く

 

馬超も、後方に飛び退きながら、刺し貫く突きの構え、中程に槍を構えて金棒を迎撃し

もつれるようにして二人は中庭へと移動し、同時に武器を何時もの形に持ち替えると激しく打ち合い始めた

 

庭から聞こえてくる激しい剣戟音に耳を傾けながら、韓遂は、部屋で注がれた茶に口を付ける

小さな漆喰の壁の客室は、窓に栗色に塗られた木枠がはめ込まれ、床板や食台も同じ色が施され

統一感と清潔感の漂う一室

 

静かに茶を口に運ぶ韓遂の目の前には、首に小さな鈴を付けた可愛らしい少女、諸葛亮

 

「良い音だ。やはりあの娘は良い将になる」

 

「・・・わざとですか?私に、焔耶さんを認めさせるために」

 

「どう捉えるかは、軍師殿次第であろう。俺には資質がある将に見えたというだけだ」

 

口元に微かな笑を見せる韓遂に、諸葛亮は少しだけ眉根を寄せて顔を俯かせる

自分の気持を、裏切るかも知れないと主君に進言した事が知れてしまった

これから、魏延とどう接すれば良いのかと

 

「きっと、焔耶さんは自身の行動を改めるはず。私が認めざる得ないほどに」

 

「かもしれぬな」

 

「翠さんと手合わせするように言ったのは、お互いを刺激しあうように、そして、蜀になじむようにするため」

 

「クックック」

 

諸葛亮の言葉を肯定するかのように、庭からは、剣戟の音が止み

よく知る者の声。張飛と厳顔、そして趙雲の声が聞こえてくる

耳に届くのは、お互いの武を認め合う言葉、そして次は自分と手合わせをしてくれと

 

笑い声が聞こえたと思えば、今度は激しい剣戟音が再度庭に響き渡る

 

「翠さんは素直です。だから直ぐに馴染む。それに、武を誇るものならば手合わせをするのが一番」

 

「軍師殿では、武官と心を通わせるのは難しいか?」

 

「はい。それに、私じゃ上手く導いてあげることは出来ませんから」

 

「小胆だな」

 

「・・・はぃ」

 

真正面に座る諸葛亮は、小胆という言葉に視線を落とし、唇を噛み締める

そうなのだ、諸葛亮は臆病すぎる程に臆病なのだ。頭はまわる、蜀の誰よりも。下手をすれば、共に居る

親友の鳳統よりもずっと。だが、それは臆病だから

 

誰よりも臆病で、怖がりだから、頭を使うのだ。最悪の事を常に念頭に置いて、物事を考える

怖いから、必ず勝てる勝負でなければしようとはしない。だからこそ魏を、寝込みを襲うかのようにして攻撃をした

それですら、劉備に進言したのは自分であるくせに、まるで武王を演じた劉備に引きずられるようにして起こしたモノだと

勘違いさせている。まるで自分には責任がないように

 

「見ぬかれてますか?」

 

「何の事かな?」

 

「魏との戦を」

 

「あれは隙を突いた良い作戦。戦であるなら、弱みを見せるほうが悪い。弱点を突くのは当たり前であろう」

 

韓遂の意外な言葉に、諸葛亮は顔を上げれば目の前の韓遂は覇気を纏った瞳で諸葛亮を見詰めていた

 

「と、でも言うと思ったか?」

 

「あ・・・いえ」

 

「慰めの言葉がもらいたいならば、相手が違うな。俺の感想ならば、先の戦、本来はもう少し蜀が押していたはずだ」

 

急に、ふと瞳の輝きが弱くなり、視線を逸らさず、顎に蓄えた短い髭をなぞると、諸葛亮は眼を丸くしていた

 

「諸葛亮殿の考え方、魏との戦い方を見れば解る。劉備殿に関係しているのだろう、南を攻略するのが早すぎたと思っているだろう」

 

「はい、せめてもう少し、南蛮と戦うことが出来ていれば」

 

「ふむ、富国強兵が出来ていたか。ならば、もう少し、魏を削ることが出来ていたはずだ」

 

諸葛亮の考えとはこうだ、南蛮は明らかに蜀よりも力が弱い。確実に勝つことが出来る相手

他国が大きく力を付けている時に、自分達に取って此れほど都合の良い相手は居ない

 

何故南蛮が都合が良いかと言えば、逃げてきた蜀には新たに集めた練度の低い兵しか居らず

劉璋から土地を奪ったとは言え、手に入れたばかりの土地では資金など無い。逃げてきたのだから余計だ

 

そんな蜀が、いかに兵を強く鍛え上げ、国の資金を増やすかといえば、一番手っ取り早いのが戦だ

戦をすれば、武器が必要になる。武器を作るには何が必要か、鉄だ。次に鉄を鍛える職人、そして武器を売る商人

更に、長い日数で戦をするなら糧食が必要。なら戦を嗅ぎつけた糧食を売る商人が蜀へと足を運び

商人は、糧食を売り、戦が続くとわかれば幾らでも蜀に足を運ぶ。そのたびに税が蜀に落ちる

 

戦をすれば商人が集まり、関税で金を落とし、何かを購入して更に金を落とす

必ず勝てる、南蛮に攻め込めば兵は鍛えられ、ついでに敵から金、糧食を奪うことが出来

ソレを元手に更に商人を蜀に呼んで、金を次々に回していく。国が肥えれば今度は人が集まりだす。蜀に住み着く者が増え

兵が増える。更に言えば、蜀の劉備は風評が良い。人を集める求心力のある王が収める場所。放おって置いても人は増え続ける

負けること無く、少しずつ搾取し、自国の力をつけるためには都合が良すぎるほどの相手

 

戦争とは、需要が大きく膨れ上がり、商人が集い、金が回り続ける。破壊と創造が同時に行われる

大きな金儲けの機会でもあるのだ

 

「出来るならば、七度は戦を繰り返したかった」

 

「いかにも軍師らしい考えだな。やはり敵兵を駒と、戦を金儲けと考えていたか。俺は、どちらかと言えば劉備殿の行動に

好感がある。無駄な戦を減らし、敵の弱点を躊躇いなく突く、武王のような考え方がな」

 

「・・・」

 

「沈黙でしか返せまい。俺はわかりやすく責めている」

 

「理由は、桃香さまに隠し事をしていたからですか?それとも、戦を繰り返し、美以ちゃんを逃し続けても

桃香さまの風評は上がるだけだと、心優しき王であるとなるだけだ、などと浅ましい考えをしているからですか?」

 

諸葛亮の言葉に、韓遂は頷くこともせず、茶を口に含む

韓遂の表情の機微が解らず、正直に自分の考えを、自責の言葉を呟く諸葛亮は

自分の考えと違っていることに直ぐに思いついたのか、再び視線を下に落としてしまう

 

「馬良ちゃんのこと・・・ですか」

 

「あれは俺に度々文をよこす。ちょっかいを出して居るようだな。あれが欲しいか?」

 

「正直に言います。欲しいです。馬騰さんを欺き、羌族を利用して長城の外から馬を移動させた手腕。それに、聞く所によれば

彼女の保有する大量の竹簡には、魏の機密情報から、魏の将、全ての趣味趣向などが書きこまれていると」

 

「だろうな、手に入れば魏の内情から将の動きまで全てを手にできる」

 

茶器を食台に置き、韓遂の鋭い眼は語る。馬良を駒のように、軍師の言葉で穢すならば貴様の首を切り落とすと

鋭い目線で睨まれた諸葛亮は、身体をカタカタと小刻みに震わせ、顔を青くする

 

「わ、私は、どれだけ酷い目にあっても構いません。桃香さまの理想が現実のものとなるなら。私が泥だらけになっても構わない」

 

「・・・逃げ出したい程に怖いのだろう。だが、それでも逃げぬと言うことは覚悟があるということ。其れほどの主君か?」

 

「はい、軍師は現実を見るのが仕事です。だから、桃香さまの理想は眩しかった。それに、もし其れが現実のものとなるなら

命を賭けるだけの価値はあると思います。皆が笑顔で、楽しく過ごせる世界、争いが無く、助けあう事の出来る世界」

 

震えながら、顔は韓遂の覇気で既に恐怖で蒼白になっていたが、諸葛亮は気丈にも引きつる顔で笑顔を返して見せた

軍師らしく、卑怯者で、泥を幾らでも被る覚悟を決めた諸葛亮は、恐ろしさで頬を伝う涙を拭わず

塞ぎそうになる瞳を無理矢理に開けて、韓遂を見返していた

 

「そうか、ならば期待させてもらおう。既に、劉備殿の望む物は手渡したのだろう?」

 

「はい。桃香さまは、現実に眼を向けられた。演じることを捨て、ご自分の道を探しだした」

 

「翠が頂くに相応しい王になるかどうか、楽しみだ」

 

ふっと表情を緩める韓遂に、諸葛亮は安堵したのか、懐から小さな手ぬぐいを取り出し、頬を伝った涙を

失礼しますと一言ことわり、ぬぐっていた

 

「そう言えば、何故、桃香さまが演じていると解ったんですか?確かに劉焉さんと考えは同じでしたけど、途中で曹操さんに」

 

諸葛亮の疑問に韓遂は喉の奥でくつくつと笑うと「自分で考え、見つけるのも重要だ」と、再び茶に口をつける

 

簡単な事だ、俺からすれば劉備殿は鉄心の息子、夏侯昭に似ている。奴は古き知識を好むのだろう

戦場での舞、あれは昭王を表し、将兵、民には呉越を。場面場面で演じている姿はなんとも劉備殿そっくりだ

一番の違いは、鉄心の息子は目標を持っている。具体的に守るものを持ち、現実と照らしあわせた

自分の理想を持っているということだ。そして其れは、魏王の元で叶うと信じている

 

「最も、あれが演技ではなく生来の気質であるということは、会ってみて解ったがな」

 

「えっ?」

 

呟く韓遂の言葉に諸葛亮は再び首を傾げた。だが、韓遂は「気にするな」と一言

 

「俺は此のまま客将でいる。そのほうが自由が効く。数日後、翠は辛抱ができなくなるだろう」

 

「馬超さんが、ならば狙うとすれば、涼州に兵を集中しているし、本拠地には兵を多く置く。手薄なのは・・・定軍山」

 

「流石だな、西涼を完全に統治する為、無理に侵略することは無くなるはずだ」

 

「将が一人、もしくは二人の時を狙い、少しでも怨みを晴らすつもりですか・・・」

 

「成功する可能性は高い。だが、俺は動く事はない」

 

「えっ!」

 

「いや、正確には、劉備殿の動きを見てだな。劉備殿の変化によっては、俺は翠を放おっておく」

 

意外な言葉に諸葛亮は、口元に手を寄せて考えを巡らせた

馬超を放おっておく?何故?いくら確率が高いと言っても、失敗すれば捕らえられるか、最悪は命を落とす

成功させるには、韓遂が共に行ったほうがより確実であるはずだ。だが、当の韓遂は、劉備の変化によってだと言っている

 

つまりは?つまりはどういうことだ?韓遂は頑なに客将で居ることを望んでいる。理由は先ほど行った言葉のとおりだろう

自由がきくと言うこと。蜀に居ながら、中立な将で居るということ。中立であるということは、何時でもこの場所から

居なくなることが出来るということ

 

「あっ!」

 

「そうだ、劉備殿の変化によって、俺は此処から出ていく。無論、馬家の娘を連れてだ」

 

「そ、そんなっ!翠さん達は、もう蜀の将に」

 

「確かに。だが、仕えるべき王が取るに足らぬ人物であるならば、俺は翠と蒲公英の首を掴んでもここから出ていく」

 

飛び上がるように立ち上がった諸葛亮は、目の前で佇む韓遂を睨みつけていた。握る拳は固く握りしめられ、唇を再び噛み締めて

此のままでは、最悪の場合、韓遂は馬超と馬岱、そして涼州兵を連れて蜀から出て行ってしまう

 

いっそ、今の内に殺してしまうべきか、馬超や馬岱に気付かれぬよう。だが、韓遂ほどの人物をどうやって殺す?

寝首をかくにしても、これ程の将を殺すことが出来るだろうか。などと、諸葛亮の頭の中では臆病な心が警鐘を鳴らし続ける

 

「定軍山で、命を落とすとは思わないんですか?」

 

「敵将一人二人に獲られるようならばその程度。馬家を継ぐに値しない。捕らえられたならば、俺は遠慮なく魏へ降る」

 

「っ!!だから客将のままでっ!一度仕えた王を、裏切りをさせるんですか?翠さんたちにっ!!」

 

「俺が裏切るわけではない、そして言ったように取るに足らぬ王であるならば、裏切りと言うよりも見限ったという方が適切だ」

 

「桃香さまは、桃香さまは取るに足らない王なんかじゃない。それにっ!翠さんは馬騰さんの敵を討つために」

 

「ならば呉でも構わん。蜀でなければな」

 

平然と、蜀から出ていく事を話す韓遂に絶句する諸葛亮

敵である魏に降る事すら頭に入れている。其れも馬家を残し、西涼を馬家の手で治めるということを目的としているのだ

その為ならば、友を殺めた人物の軍門に下る事すら厭わない。寧ろ、韓遂は、友を討った魏王、曹操を高く評価している

 

理解した諸葛亮は、その場にぺたんと腰を落とす。何を言っても無駄だ、この人の考えを変えることなんか出来無い

信じるしか無い、自分の王を、桃香さまの見出した道を。最後まで、命を賭けて仕え、信じるんだと言い聞かせていた

 

「どう転ぶかは劉備殿次第だ。ククッ、楽しみだ」

 

韓遂の楽しみだと言う言葉は、諸葛亮にはあらゆる意味に聞こえてしまう

自分の企みも、蜀から出ていく事も、蜀で戦う事も、全てが楽しみだと言っている様に

 

「あ、扱いきれる人じゃなかった・・・」

 

蜀に引き込んだのは、英雄と言う名の猛将ではなく、悪鬼のように馬家と涼州に執着する人間だったのだと

諸葛亮は後悔し、自身の胸を小さな手で握りしめていた

 

 

 

 

 

 

庭の剣戟の音が止み、辺は暗く、闇が支配する夜へと時は過ぎ

城壁の中の家々は明かりが消え、城の中でさえも寝静まり、警備の兵が城壁や城門で見回りをする程度

 

「良いのですか?本当に、護衛をつけずとも」

 

「うん、一人じゃなきゃ意味が無いの。それに、護衛なら愛紗ちゃんがいるし」

 

城壁の外で馬をひき、旅装束に身を包むのは劉備と関羽。諸葛亮より手渡された竹簡の記す邑へ行くことは

皆に知れ渡っている。だからこそ、皆が寝静まった夜更けに出ることを選んだ劉備は、関羽にだけ

深夜に城を出ることを告げていた

 

言えば皆はついてくるだろう。ついてこない者など居ない。だが、それでは意味が無い

皆がいれば頼ってしまう、甘えてしまう。甘えてしまえばまた自分は道を見失う、見失えば今度はきっと

捨ててしまった大切なものを拾うことができない

 

「警備の者には事情を話、納得してもらいました。ここからは私達ふたりだけです」

 

「有難う。きっと、なくしたものを、置いてきちゃったものを拾い集めてみせる」

 

顔はやつれ、体はやせ細り、体力が無い事を感じさせる劉備の体

だが、瞳は今までに無い程に強く光り輝く

 

【フフッ、解ったつもりになってる?勢いだけじゃないの?直ぐに戻りたくなるよ。だって、辛いのは嫌だから】

 

【今、現実を見たら耐えられないよ。王様になって楽しいことばかり、幸せなことばかり見てきたから】

 

【ご飯だって何時でも食べられる。劉焉の真似をしてれば何時でも幸せ。自分だけ幸せでもいいじゃない】

 

【・・・ねぇ、聞いてる?聞いてないの?それとも聞こえないフリ?】

 

【返事してよ。私から眼を逸らすの?】

 

劉備は心の奥で叫ぶ声を其のままに、顔を真っ直ぐ前へ向け、向かうべき邑へと馬の頭を手綱を引いて振り向かせる

 

「姉者ー」

 

劉備に従い、隣へ馬を寄せれば城壁の上から聞こえる聞きなれた声

視線を向ければ、特徴のある武器、蛇のように海練をもった穂先の長い矛を振り回す末妹の姿

 

「鈴々、何故此処に」

 

「おっちゃんから聞いたのだ!大事なものを取りに行くって、だから少しの間、この城を守るのは鈴々の仕事だって」

 

顔を見合わせる劉備と関羽は驚いていた。何時もであれば、必ず張飛はついてくると言い出すはず

だが、張飛は着いて行くことをせず、姉たちが不在の城を守ると言っているのだ

 

「鈴々には難しい事は解らないのだ。でも、姉者たちを信じているから、帰ってくるまで鈴々はおっちゃんから

色々教えてもらって、朱里みたいに賢くなってるのだ」

 

更に飛び出す意外な言葉に劉備は驚き、関羽は少しだけ眼を見開くが、劉備に対し、様々な意味を込めて言った韓遂の言葉を

思い出し、納得して力強く頷く。互いに強く、成長しようと

 

「なるべく早く帰る。それまで頼んだぞ」

 

「任せるのだーっ!」

 

皆に気付かれぬよう、声を抑えて叫ぶと、張飛は二人の姿が見えなくなるまで蛇矛を振り回していた

二人は、目指す村へと向けて馬を走らせる。振り向かず、必ず道を見つけると

 

 

 

 

 

「さて、蒲公英よ。戦場において弱者が勝つためにはどうしたら良いと思う?」

 

一夜開け、劉備と関羽が城を出た事が知れ渡り、慌ただしく将が動き回る中、韓遂は馬岱を部屋に呼び寄せ自分の知識を授けていた

だが、蒲公英は、茶を出され、兵法書が机に並べられ、韓遂の前で腰を下ろしていたが、騒ぎが大きくなる城の将兵に

不安な表情を浮かべていた

 

「ねえ叔父様、蒲公英たち、此処でじっとしていて良いのかな?」

 

「心配か?」

 

「うん、一応、蜀で仕える事になったんだし」

 

「違うだろう、お前は劉備殿が心配なだけだ。優しい奴め」

 

座る蒲公英の頭を少々乱暴に、グシグシと撫でると蒲公英は照れ笑いを浮かべて頬を掻いていた

 

「だが、今は騒いでも仕方があるまい。出来ることをするべきだ。例えばお前に力を与えること等だ」

 

「でも、なんで蒲公英なの?お姉様じゃなくて」

 

「お前は聡い。翠を支えるならば、普通の人物では駄目だ。聡明で、己の弱さを知っている者でなくては」

 

「そ、そんなことないってば」

 

急に褒められ、蒲公英はますます顔を赤くしていた。韓遂が褒める事などそうそう無い

余程の事がなければ、褒められるどころか、評価されることすら無いのだから

 

「さぁ、続きだ。弱き者が、力持つ者に勝つためにはどうしたら良い?」

 

「う~ん、弱点を突くとか、罠を使うとか。でもあんまり卑怯な手を使うのはダメだよね」

 

「卑怯か、具体的に卑怯とは、どの様な事を言う?」

 

「毒を盛ったり、寝込みを襲ったり・・・後は背後から襲うとか」

 

「クックック、では卑怯では無い、罠と弱点を狙う行為とは?」

 

「えっ!?えっと・・・」

 

卑怯では無い、具体的な行為と言われ、思い浮かべるが、蒲公英は思いつかなくなる

当然だ、罠も弱点を突く事も、結局は卑怯な振る舞いなのだから

そう考えると、弱いものが強者に勝つためには卑怯な手を使わなければならないということになってくる

 

「でも、卑怯な行いをすれば、仕えている王も良い印象は持たれないよね」

 

「確かに。だが、そこにある要素が加われば、卑怯な行為は一変し、賢い賢者の処業となる」

 

「ある要素?」

 

「そうだ、例えば、乱暴者で名が通った者に、親を殺された子供が罠を使って敵を討った。此れを卑怯者と言うか?」

 

「・・・言わない。だって子供だし、頭を使わないと。それに、敵討ち」

 

敵討ちとまで言って蒲公英は気がつく。その子供が卑怯者と言われない理由が

 

「気がついたか、そうだ、大義名分があれば、いかに卑怯な振る舞いで有ろうとも情状酌量で打ち消され

 

さらには弱者ということで、頭を使った賢者と持て囃される」

 

「うん。きっとその子は賢くて、親の仇を討った勇気ある者として皆に讃えられる」

 

「つまり、俺が言いたいことはどういう事かわかるか?」

 

蒲公英は頷き、韓遂の瞳を真っ直ぐ見返せば、韓遂は嬉しそうに柔らかい笑みを見せた

 

「数が少なく、敵を罠にはめ、弱点を突くのは当たり前で、もし王に仕えているならば、王の風評が悪くならないように何かしら大義を掲げる必要がある。それも、敵討ちの様な大きな大義を」

 

「そうだ、大義の元ならばある程度の事は許される。それに、大軍を、強者を相手に罠も張らず、少数で迎え撃つことを

賢いとは言わぬ」

 

「軍どうしの戦いなら罠を張り、弱点を突くのが当たり前。でも、個人であるなら明確な大義を掲げ、自分の正当性を掲げる」

 

「その通りだ。だが、軍どうしならば詰まるところお互いの侵略戦。余程でなければ大義はぼやけてしまうのだ」

 

「うーん、でも蒲公英達は、大義を掲げて戦ってるよね。特に蜀は、この国は漢帝国の復興でしょ?

皆もソレでついてきてるはずだし」

 

「合っているが少し違う。そこら辺の民に聞いてみれば良い、天子様を守り、漢帝国の復興の為、大義を掲げて大陸半分を攻めるとな」

 

蒲公英は首を振る。言っても無理だと。大体、あったこともない、見たこともない天子様を守るというのに首を傾げる

 

大陸半分と言われても、田畑を耕す民にはどの程度の大きさで、何が起こるのか予想がつかない

 

「っていうことは、この蜀という国は、王の理想、王の人柄によって集まって出来ている国と言うこと?」

 

「そうだ、確かに漢帝国の復興に共感した者も居るだろうが、正確には劉備殿の掲げる理想に共感した者が集まっているに過ぎん」

 

韓遂の言葉に蒲公英は首をひねる。それでは他国と違い無いじゃないか、結局の所、天子様がどうとか関係がない

下手すれば、軍師や文官の中から劉備が新たな皇帝になるべきだと唱えるものが出てくるはずだ

 

「フフッ、考えていることは解る。だが、それは誰が王になっても、誰が大陸を制して同じだ」

 

「・・・だよね。もしかしてさ、曹操が皇帝にならないのって」

 

「クックックッ、此方に明確な大義を与えぬが為、と言ってもいいな。だが、曹操自体はそんな事は考えぬ

考えているとすれば、ひたすら牙を研ぎ続ける軍師ぐらいだ」

 

つまりは此方を、劉備を過小評価していないということか、と蒲公英は口元に手を当てて一人頷く

後々、この蜀を治める時の事も考えているのだろう。唯の侵略者、略奪者ならば、民は王のためではなくとも

自分達の為にも剣を取る。しかも、天子様を引きずりおろし、自らを皇帝と名乗る傲慢な者にならば

臆病な民は己を守るために幾らでも反抗するだろうし、敵国内からも離反者や、反逆者が出るはずだ

 

「さて、少し話を戻そう。大義についてだが、民は理解できぬ。ソレも大きな大義で有るほどだ。だが、自分の正当性を声高く語る

事が出来ねば、蒲公英の考えているようになるな」

 

自分の考えを見透かされた蒲公英は、息が詰まる様に少し驚き、韓遂はそんな蒲公英をみて笑を見せる

 

「えっと、目的が大きすぎて想像がつかない、大義がぼやけるって事?それは・・・ダメだよね」

 

「ではそうせぬ為にはどうしたらいい?どうすれば、民の全てがひとつの理想に、一つの大義に向かい剣を持つ」

 

「・・・えーっと」

 

頭にある経験や、書から学んだ事を思い出し、目の前で既に冷めてしまった茶を見つめながら

蒲公英は組み立てていく。だが、幾ら頭の引き出しを開けてみても答えに辿り着かない

 

ーーー?

そういえば蒲公英は、なんで槍を持ったんだろう。今は勿論、叔父様の敵を討つためだよね

でも最初は違う。最初は、自分達の住む場所を守るため。それから、叔父様たちの、鉄心叔父様と銅心叔父様の考えを知って

自分ができることが有るはずだって・・・

 

「・・・間違っても怒らない?」

 

「ふむ。怒る、という事を蒲公英にしたことがあったか」

 

「涼州に居た時はしょっちゅうだよー。落とし穴を掘ったら、掘った事に怒るんじゃなくて、此れじゃ浅すぎて役に立たん!

やり直しだ、今度はもっと深く、そして底には何かしら敵を負傷させるものを設けるのだー!って」

 

目の前で韓遂の真似をする蒲公英に大笑いをする韓遂。なるほど、確かにおかしな事で叱っていたような気がすると

韓遂は自身の顎の髭をなぞり、楽しそうに頷く

 

「皆に教える、皆に知ってもらう、皆に考えてもらうのが必要なんだと思う。知らなきゃ分からないし、知ってれば

自分が剣を持つことに意味を、誇りを持てる」

 

「そうだな。だからこそ、解りやすい劉備殿の理想に民は着いて行く。知恵があり、世情に明るいものならば

曹操の理想は尊く感じられる事だろう。だが、我等は曹操と戦わねばならぬ。ならばどうすれば良い?」

 

「皆に知識を付けて、自分達の理想を・・・」

 

「どうした?」

 

「これって・・・黄巾党と変わらないよね。都合のいいことを教えて、洗脳っていうのかな」

 

蒲公英の洗脳という言葉に韓遂は眼を見開き、心底嬉しそうに笑をこぼすと蒲公英の頭を撫でた

訳も解らず、蒲公英は唯、グリグリと撫でられるままに、首を傾げる

 

「同じだ、変わらんよ。宗教も、国も。違うのは、考えさせ、強制しない、離反も自由ということか」

 

「やっぱり、そうなんだ。でも、大事な事だよね。皆が自分の戦う意味を知って、ソレを大義として掲げることは」

 

「ああ、昔、劉焉という男がソレをしたのだ。民に知恵を与え、大陸で一体何が起きているのか、何をせねばならぬのか

考えさせ、漢帝国を支えようと考えた。だが、愚鈍な息子共に・・・いや、宦官に腐らされた餓鬼共に潰された」

 

「いまは、曹操の所で義兄さまがしてるのかな」

 

「あれは語らぬだろう、言うなれば背で語る男だ。あれの姿を見ていれば、民は何の為に戦い、何の為に剣を持つのか理解出来る」

 

「そっかー。でも、蒲公英達は皆に教えなきゃダメだよね。王の理想は知ってるはず。だから、教えることは、曹操の危うさ

覇道を行く者の所業を、力に依る者は、力によって滅ぼされる事を」

 

「蜀ならば、徳を以て天下を治める者、王道を行く王者であると民に教える必要がある」

 

「そうすれば、少数の軍で罠をはったり奇襲をしても、先刻の子供みたいに賢者として扱われるってことか」

 

頷く韓遂は、次に白紙の竹簡を差し出す。始めは意味が解らず、眉根を寄せていた蒲公英だが

直ぐに気がついたのか、筆を持つ

 

「知恵を付けてあげないと、軍どうしの戦は勝ったほうが都合よく正義を語れるって事?」

 

「フフッ、やはり聡いな。その通りだ、だから勝ったものが大法螺を吹くのだよ、我等が正義だと、だから負けたのだと

すると民は騙される。小さな嘘に民は騙されぬが、想像のつかぬ嘘には容易く騙されるのだ」

 

「それが戦の真実なんだね。なら、しっかりと戦いの意味を、誇りをもたせてあげないと」

 

「うむ、弱いものは頭を使い、罠を張り弱点を突く。だが、それも後々のことを考えて行動するのだ。軍での戦ならば

民に知恵をつけた後、戦うための大義は軍師が勝手に考える。我等は敵の弱みを握り、つぶし、噛み砕く。

卑怯者などと、死んだものからは言われぬのだ」

 

頷く蒲公英。翠がこのことを聞けば、敵の弱みを握ることも、罠をはることも嫌だと言うだろう

だが、己の弱さを知っている蒲公英は素直に頷く。力がなく、頭を使わねば敵に勝てぬから

そして、頭を使う者でなければ、馬超を支えるとは出来無いのだから

「・・・ねぇ叔父様?」

 

「なんだ」

 

「急に、蒲公英にこんな事を教える気になったのはなんで?」

 

茶器を両手で包み込むように持ち、口元へ持っていく蒲公英に韓遂はニコリと笑うと

立ち上がり、戸棚から茶菓子を取り出して蒲公英に差し出す

 

「やはり、蒲公英を選んで良かったようだ。扁風には無理だ、あれは自由に吹く柔らかき風」

 

「へ?きゅ、急に何?」

 

「何でもない」とまた、蒲公英の頭をグシグシと撫でると、蒲公英は「もーっ」と不満気に乱れた髪を手ぐしで直すが

顔は相変わらず照れ笑いを浮かべていた

 

劉備殿の変化が、俺の望むものであるならば、俺は命を賭けねばなるまい

その時、翠を支えるのは蒲公英だ。俺の意志を継ぎ、金煌を受け継ぐのはこの娘しか居ない

恐らく、蜀の軍師達は呉との交渉をする準備をしているはずだ。俺の命を賭す時まで、蒲公英に俺の全てを伝えねば

 

「さぁ続きだ、次は敵を知り己を知らば百戦危うからず。孫子だが、最も基本で最も重要な事だ」

 

「うん」

 

兵法書を手に取り、講釈を始める韓遂に蒲公英は素直に頷いて真剣に耳を傾ける

騒がしい城内で、此処だけはゆっくりとした静かな時間が流れ、韓遂は心の中で呟いていた

 

・・・もう少し、早く教えてやるべきだった。そうすれば、こんなに楽しい時間をもっと多く過ごすことが出来た、と

 

 

 

 

 

 

城を出て三日、荒れた道を進む劉備と関羽は、邑へと急いでいた

理由は簡単。早くしなければ、己一人で邑の状況を、現実を見ることができない。きっと追いかけてくるはずだと考えていた

 

「桃香さま、これだけ離れていれば直ぐには追いつけないでしょう」

 

関羽の言葉に劉備は後ろを軽く振り向くけば、山林が瞳に映る。ずいぶんと遠くへきたようだと一目で理解できた

 

「速度を落としましょう、馬も潰れてしまいます」

 

劉備は一つ頷くと、馬の速度を落とし、関羽から差し出される携帯食を無理矢理に口に押し込んでいた

何度も嗚咽と同時に吐き出しそうになるが、今倒れば全てが台無しになると、噛み砕き、水で流し込んでいた

 

「・・・桃香さま、劉焉さまとはどんな方なのですか?」

 

窶れ、心も削られた劉備の気分を少しでも変えようと、思いついた事を口にして問う関羽

今は二人しか居ない、劉備も話しやすいであろうし、関羽自身も劉焉と言う人物を知りたかった

 

「劉焉さまは、素晴らしい人だよ。皆に優しくて、ご飯も自分は食べなくても皆に分け与えて

文字も読めない人が多いから、沢山人を集めて皆の前で教えたり」

 

食料を飲み込んだ劉備は、水で流し込み濡れた口を拭い、懐かしい記憶を呼び起こすように、眼を細める

 

「では、桃香さまは劉焉さまから教えを?」

 

「ううん、劉焉さまは、ご子息が天子様に仕えていて、洛陽に様子を見に行くついでに、辺地で諍いが絶えない涿県に

自分に出来ることは無いかって、様子を見に来たの」

 

「その時に?」

 

「たまたま休憩を取りたいっていって、目の前にあったのは私の家でね、その時にこの剣を見て、貴女は中山靖王劉勝の末裔だって」

 

寂しい笑を浮かべ、腰に携えた剣を撫でる劉備を見て、関羽は顔が曇りそうになるが

キュっと唇を噛み締めると、柔らかい笑みを向けて続きを促した

 

「文字も教えてもらったし、たくさん遊んでくれた。帰る時に、盧植先生を紹介してくれた。

白蓮ちゃんとはその時、友達になったんだ」

 

「交流はその時だけですか?」

 

「実際に会えたのはその時だけ。後は、ずっと盧植先生にお願いして文でお話をしていたの。だから、私の理想は

劉焉さまの影響が強いと思う。強すぎて、いつの間にか真似になっていたんだけどね」

 

劉備が言うには、劉焉は正式に認められた劉余の末裔。劉焉がしてきたことは、どうしようもなくなった政治の腐敗により

地方の治安が悪化し、民が苦しみ始めた事を変えようと、清廉な人物を地方へ刺史や太守として送る事を考えたらしい

更に、送るだけではなく、地方での人材の育成。出来ることならば、地方の人間から天子を、洛陽を変えられる

人物を輩出することが目的であったということだ

 

「では、その中の一人が桃香さま」

 

「フフッ、そうなのかな?劉焉さまはハッキリとしたことは言わないの。流れと言うのものを大事にしていたから」

 

「黙っていても頭角を表すと言うことなのでしょうか」

 

「かも知れない。私が劉焉さまから学んだのは寛容と恩恵。それがあれば民は着いてくる。後は、万人に好かれる人であるな」

 

「万人に好かれるな?」

 

「そう、論語の一つだよね。善人に好かれる人間になれ、悪人に嫌われる人間になれって」

 

関羽は関心したように頷く。確かにそうだ、全ての人に好かれると言うことは、悪人にまで好かれると言うこと

となれば、腹黒い部分をもった、八方美人の事だ。そんな人間になど王はふさわしくなど無い

 

「少しだけど、私が進むべき道は多分、お兄さんと似てるの」

 

「昭殿ですか?」

 

「うん、寛容と恩恵をもって悪人すら受け入れる。ただ、受け入れた悪人を変える事のできる道」

 

関羽は思い出す。魏の国内を通過した時に見たあの邑を。あれこそが理想郷

怨みと苦しみに満ち、道を誤った人間も居ただろう。だが、きっと彼は変えてきたはずだ

全ての感情を受け入れ、抱きしめ、苦痛を理解し、寛容と恩恵をもってあの邑を作ったはずだ

 

「でも、そのままじゃお兄さんの真似。それに、将であるから出来ること。王である私は、お兄さんを越えなきゃならない」

 

「曹操殿の加護の下、自由に動ける人間であるから出来る事、ですね。王であるなら、昭殿と同じような事は出来無い」

 

「そんな事をしていたら、王としていることはできないよね。民と同じ王なんて、王とは言えないから」

 

威厳も、王としての尊厳も無くなる。そんな事をする王など居ない。もしそれをすれば、野心のある者から

簡単に狙われるはずだ。民もまた、王を王として見ることはない。何故ならば、みなと同じ目線で同じ足並みで歩く者であるから

 

「見つけましょう。きっと見つける事が出来るはずです」

 

「うん、大丈夫。たぶん、それは私が劉焉さまと会う前から持っていたものだから」

 

意味深な事を言う劉備に関羽は驚き、言葉の意味を問おうとすると、劉備は顔を強張らせて馬を止めた

何事かと、劉備の目線の先を見れば、荒れた土地に崩れかけた建物が立ち並び、皮と骨だけになった人々が

建物に体をもたれかけている姿

 

「・・・なっ」

 

まるで疫病が蔓延したかの様に、壊滅状態と言っても過言では無いほどの邑

ボロボロの服を身を纏う人々は、表情に生気がなく、動いていると言うよりは蠢いているという言葉が当てはまる

 

手には木の根であろうか、細い棒のようなモノを握り、若者はであろうその男は、老人の様にシワだらけの頬を動かし

奥歯で噛み締め、腹を満たしていた

 

自分達が居るというのに、誰一人目線を向けること無く、ただ、死の時を静かに待っている

 

辺りを見回し、建物の影を見れば、何者かの骨が落ちており、関羽の想像をかきたてた

 

あの骨はなんだ?近くにある牛刀はなんだ?薪の後は?この匂いは?何をした?何を・・・

 

「うげぇっ・・・」

 

考えついた関羽は、地面に手を着いて胃の中のモノを吐き出しそうになっていた

こみ上げる吐き気に耐えながら、眼から溢れる涙を拭い、邑から漂う悪臭に手で鼻を覆う

 

そんな中、劉備は、真っ直ぐ足を進め、軒下で強い日差しを避ける様にして命を落とした、女性の腕に抱かれる赤子を見る

死を察知した虫が、女性の回りを飛び回り、顔や開いたままの瞳にへばりつく

 

赤子は、必死に生きようと、出ることがない母の乳を口に含み、吸っていた

か細く息をし、力ない小さな小さな手で、母の胸を握り、自分はまだ生きたい、生きていたいと訴える

 

【どうするつもりだ、こんな所へ来て。私には関係がない、私は居心地の良い場所を手に入れたんだ】

 

小さな瞳から、伝う一粒の涙を見た劉備は、身を屈め、赤子へと手を伸ばす

 

【やめろ、もう忘れたはずだ。捨てたんだ。そんな辛い現実は要らない、要らないのっ!】

 

伸ばした手は振るえ、劉備の歯はガチガチと音を立て始める。顔は蒼白に、目の前の現実を拒否しろと身体が叫ぶ

 

【その子を手に取ったら戻れないっ!もう、綺麗な理想は見ることは出来無いっ!】

 

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

後方で見ていた関羽の眼に映るのは、雄叫びを上げて赤子を抱きしめる劉備の姿

何かを振り切るように、何かを黙らせ、抑えつけるかのように、獅子の様な声を上げて【現実】を掴みとる姿

 

「はぁっ、はぁっ・・・うう、ううぅ・・・」

 

赤子を抱きしめると、劉備は何かを探すように自身の身体をまさぐり、革袋の水筒を手に取ると水を赤子に与えようとするが

先ほど、自分で食事を流し込んだため、水は一滴も残っていない

 

気づいた劉備は、赤子を抱いたまま身体を引きずるように関羽の元へ、四つん這いで近寄り、関羽の水筒を腰から外すが

そこにも水は残っていない

 

「ふぐぅ、ううう」

 

嗚咽のように声を漏らすと、劉備は辺りを見回し、次に息を小さく早く吐き出しながら

己の小指を見て、意を決したかのように自身の小指に歯を立てて噛み付いた

 

「んんんんっ・・・はぁっ、はぁっ・・・」

 

眼からは涙を溢れさせ、それでも己の小指から歯を放さず、ギリギリと噛み締め続ける

関羽は、劉備の姿に、ただ見ていることしか出来なかった

 

身体を震わせ、痛みなど感じぬとばかりに歯に力を入れ、小指から流れだす血液

歯形の残る小指からは、ダラダラと血が流れ出し、劉備は震える小指を腕に抱いた赤子の口へと優しく添えれば

赤子は必死に劉備から流れだす血を飲み込んでいた

 

「はぁっ、はぁっ・・・死なせない、絶対に、絶対に死なせない。誰一人死なせるもんか、誰一人、死なせるもんかっ」

 

まるで自分に言い聞かせるかのように、何度も何度も呟く劉備に関羽は言葉を無くす

 

捨てた現実を拾い、甘い夢を捨てさり、理想と現実を手につかむ

 

大地にもう一匹の龍、劉備玄徳が産み落とされた瞬間であった

 

 

 

 


 
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