<9話 五里霧の中に差す光明 (上) >
・事件収束の数場面・
・Why are you to be Alone? ~A~
子供が発見されたことによって捜索は終了と相成り、一同はぞろぞろと山を下っていっていた。 一刀と愛紗に鈴々の三人は集団の中ほどに位置しながらの行進である。
今回の一件の中心人物の少年は未だに気を失っていて、今は彼を小さい頃から知っている男性の背に負われている。 特に外傷は見受けられないが、早々に山から出て診てもらうのが先決だろう。丁度腕のいい医者が二人、帰りを待っているわけであるし。
「…、そうだ。 探す前に聞いた狼の群れってやつだけど、もしかして見たりはした?」
帰路の道すがら、一刀によって三人の中にそんな話が出た。
「いえ、私達は一度も… ではやはり、御主人様も狼を見てはいないのですか。」
「、 …あぁ。群れが居るって話だけど見てない。 …もっと奥のほうに住んでるのかもしれないな。」
薮蛇になりかけたがどうにか一刀は軌道修正した。 危険が無かったことを確認したかったのだが、そのせいでさっき見た巨大な狼のことをあやうくつまびらかにするところである。
そう、一刀は先程の狼と、 …例の華蝶仮面のことは話していない。 肩までの高さが140センチもある狼なんてのはそれこそ化け物、確実に警戒すべき存在なのではあるが、不思議と一刀には、あの狼は大丈夫だと確信していた。 あの時、一人と一頭で対峙したあの時に意思の疎通が出来たなどとは思っていないが、人に害を為す存在では無いとの確信があったからだった。
そして華蝶仮面の二人に関しては、 …まぁ、それこそ言わなくても大丈夫と思ったのだろう。相も変わらず『変なの』というイメージは不変ではあるが、害を為す賊だとかではないであろうし、思い返せばどうやら一刀を助けようとしていた節もセリフに読み取れる。
ってな理由から、一刀は皆には話していない。 少なくとも今のこの状況では、どの道不安を煽ることはしないに限るというものだろう。 …因みにこの場合、不安の性質の差は、凶悪犯と変質者、の対比を例に挙げればおおよそ合っているだろう。
「じゃあお兄ちゃん、 変な獣は見た?」
「…、え?」
薮蛇を回避できて一安心なところに、今度は鈴々が逆に聞いてきた。 何も含むところの無い無垢な声が一刀の心臓に突き刺さった。 ドスリコ、と。
「まったく… 鈴々、じゃあも何も噂の通りの獣など居るはずがないだろう。 御主人様も呆れているぞ。」
「むぅ~ だってみんな居るって言ってるのだ。」
一瞬ギクリと動きが止まったが、別段鈴々は一刀が巨大な狼に会ったことを隠しているのを知っていてカマをかけたわけでなく、愛紗達視点の際に出た噂の獣に関してを単純に聞いただけである。 一刀は噂の件は未だ知らないが、それでも自分の知らない話が展開しているらしいということとカマかけでないことは理解。 あからさまな反応をしてしまったが、それもどうやら『変な獣』なる単語に呆れたものと思われたらしく僥倖だった。
「あー…と 愛紗? その 噂の獣って、なに?」
気を取り直して一刀、噂の獣とやらについて聞いてみた。 もしもあの巨大な狼がその獣で周知の事実なら、遭遇したことを公表する必要が出てくるからだ。
「はい、私達も先程聞いた話ではあるのですが… なんでもこの山には狼の群れとは別に妙な獣が居るという話です。 ですがどうにも信じられない話で、なんでも…」
で、愛紗によってその獣についての説明がなされた、 のだが。
「…というものです。 私はどうにも信じにくいのですが…」
「…、 はぁ。」
この気の抜けたような呆れたような声の一刀の反応然り、 …なんというか、あまりにもあんまりであれだった。 今はこのあたりで終わっておくことにする。
「むぅ、お兄ちゃんも信じてないのだ?」
「あー… まぁ、ちょっと ね…」
「聞いてすぐに信じるほうが… いや、桃香様も信じるだろうか…」
噂はともかく。 頬を膨らませてねめつけてくる鈴々、それを制しつつ真っ先に噂を信じるであろうもう一人を思い浮かべる愛紗。 この二人の無事な姿でのやり取りを眺めて一刀は改めて思う。 そしてその旨を口に出す。
「でも二人が危ない目に遭わなくて良かった。 あ いや、当然他の人達もだけど。」
これに愛紗が鈴々との会話が終わったところで反応した。
「、 …御主人様、お聞きしたいことがあるのですが。」
「ん、なに?」
「…御主人様は、どうして私達を残して先に一人で先行したのですか? 私達も相応の武を振るう者です。御主人様のあの体術を再現は出来ませんが、決して見てわかる程度の実力ではないと自負があります。」
「! そうなのだお兄ちゃん、鈴々たち、狼なんかに後れを取ったりなんかしたりしないのだ。」
より早く動くことが出来る者が先に奥まで行くほうが探す上で効率がいいというのは分かる。 普通の民を多く擁する側にもしものための戦力を残しておく必要性もまた然り。 それでも、それでも武を振るう者としては納得できかねるもの。
「…御主人様は、 私達の力量を信じてはいないのですか?」
少し躊躇われるが、どうしても訊いておきたいことである以上愛紗は一刀を見据えて訊いた。
すると。 返って来た答えは、愛紗が全く予想すらもしていなかったものだった。
「…信じてないとかじゃなくて、ただ俺は 女の子を危ない目に遭わせたくないだけなんだよ。」
この発言で、愛紗の中の思考の連続に一瞬空白が出来た。 そしてその一瞬の後に顔にサッと朱が差す。
「女、の… っ、 ご、御主人様またそのようなことをっ… ど 道中にも言いましたがこの国で名を挙げるのはまず女であって、私も女である以前に武人で貴方に就く者です! 桃香様や朱里達ならともかくそのように気を使う必要など不要であって…!」
どう返したものかと手をわたわたさせながら、その影響で手の長大な長物が物干し竿とかでもあるかのように穂先があっちに行ったりこっちに行ったりとしているこの反応からも分かるように愛紗、己を武人としているので女の子扱いされることには耐性が無い。
愛紗が言うように村からの道中、一刀はこの国…というか世界において、愛紗が関羽 雲長であり朱里が諸葛亮 孔明であること然り、武将や軍師として名を挙げるのは多くが女性であることを聞いていた。 だからこそ愛紗も『女である以上に自分は武人』だと常に意識していて、人前でも武人として振舞っている。 しかしやはり女であることも心理のなかには存在していて、一刀の言葉はその女の部分の琴線に触れたらしかったが、それは武人であることと相反する心理だからこその今の反応であった。
「愛紗。 俺は愛紗や鈴々がかなりの腕前だってことは分かってるつもりだ。 それでもどんなに強くても俺にとっては二人とも女の子なんだよ。 俺は女の子が怪我したり、危ない目に遭ったりってのは嫌だ。 …まぁついて来られないだろうからってのも理由ではあるけど、 とにかく俺が先に一人で行ったのはそういう理由だからだよ。」
わたつく愛紗に一刀は真面目な目をもって言う。
「力を誇る人からすれば、愛紗達からすれば俺のやったことは侮辱にあたるのかもしれない。 でも女の子を危ない目に遭わせないってところは譲れない。 愛紗達が戦う腕前を誇るなら、俺の誇りは今は愛紗達を守ること、だな。」
「っ、 あ、 あぅ…」
真面目とはしても射抜くように見つめているのではなく、あくまで優しい表情と目なのだが。 その優しさが水のように、石を穿つのではなく木々を潤す水のように心に沁みる。
それも、根源的な性格で毅然と言っているから、なのだろう。
「…ぁ、 でも勝手なことしたせいでそう思われたんだったら、悪いのはやっぱり俺になる、のか… ごめん、悪かった。」
しかし毅然とした様子から一変、今度は心根の優しさが分かりやすいぐらいに分かる申し訳無さそうな表情で謝られたから、愛紗としては主である存在に謝らせてしまったことや一刀の優しさを意識したことで心がなにやら妙な具合になってたりでもうどうやってどう反応したらいいのか分からなくてオーバーヒート寸前までに。
「あぅぁ… だでですから私は謝られなくてもそんなでも」
「?、どーしたのだ愛紗、 顔赤いのだ? 」
今まで見たことのない様子を見せる愛紗に鈴々が「うん?」といった表情で下から顔を覗き込む。 なんというかあれだ、真っ赤に染まった顔の頭から灰色の煙がもうもうと立ち昇ってる様子が私(作者)には見えます。
「! か 顔…っ ふんっ!!」
気合の一声の後、バチコン! と乾いた音が鳴る。 鈴々のセリフでようやく自分の顔が熱すら持っていることを自覚した愛紗、顔と体をあさっての木々のほうに向けて、両手で両頬を叩くことで冷静さを取り戻した。ついでに頭から昇っていたような煙も雲散霧消。
「愛、紗? 顔が赤いって… それに」
「しょ、少々疲れでも出たのでしょう、気にされることはありません。 と、とにかく御主人様にはこの後にでも一度やはり手合わせしていただき、我々の力量を見せあう必要が」
…まぁ冷静になったとはしてもまだかなり動揺は残っているらしく。 ぷい と顔をそむけてつらつらと言う愛紗に鈴々が頬を膨らませて物申す。
「む、愛紗、鈴々がさっきお兄ちゃんと手合わせするって言ったら怒ったのに。」
「ぅあうっ! そそそうだから明日、今日は体を休めて明日にでも一度手合わせを!」
再び両手をわたわたさせる愛紗であるが、 その原因を作ったあんちくしょうこと一刀は、『? どう、したんだろ…』なんて考えてる次第であった。
因みにこのやり取りを横目に見ていた人々の反応はというと。
「ん? あの嬢ちゃんどうしたんだ?」
と、朴念仁どもは頭に疑問符を浮かべていて、
「いやおめぇ、ありゃ まぁ…」
多少気の利く輩は一刀に呆れつつも言わないで居た。 ちょっとした心境を抱きつつ。
まぁ要するにいわゆる一つの、 (はい、皆さんご一緒に、)
爆発しろっ!!!
…ってな心境であった。
・『噂』というのは魚に似て
「…む、 帰って来たぞ。 」
探索組を待つ人々の中から、木々の奥に複数の人の動きを見た華陀の声が上がった。
「! どこですか!?」「…?、あの、誰も見えません…」「ワタシも右に同じですね。」「どこ…?」
桃香、朱里、寧、雛里と森を見回す四人に慈霊が説明。
「皆さん、華陀の目は良過ぎるくらいなので。 ですが見えたというのであればそれは確かなのでしょう。」
どこだ無事かとざわつく内に、斜面を覆う枝葉の下から兵士が降りてくるのが視認できた。
今度は帰って来たことでのざわつきが渡り、一般の人が見えたときには多くが捜索組へと寄って行っていて、当然華陀や桃香達も視認した一刀達三人に駆け寄った。
「よかった帰ってきてくれて、 大丈夫だったっ!?」
「と 桃香様苦しいです、無事ですから!」「桃香お姉ちゃ、息できにゃ むぐぅっ」
愁眉と笑顔を足して二で割ったような表情で桃香、愛紗、鈴々の順で二人を正面から抱きよせた。 しかしなにぶん身長差があるだけに体勢に無理が生じて、愛紗は鈴々にあわせて膝を折っていた。 鈴々なんかは桃香の胸に顔がしっかり埋まったりしているから苦しそうにしているのだが、無事を喜ぶ桃香の耳にはあまり入っていない。
「一刀殿も無事だったか。 うむ、心身ともに健全であるのならなによりだなっ!」
「あ うん、そっちも何もなk いっ 痛い、痛いって華陀!」
一方一刀はまず喜色満面の華陀に背中をばしばし叩かれていた。 ところでこうして無事が、特に一刀個人の無事が若干多めに嬉しく思えるのは不思議なことなのだが、今の華陀はそれを意識してはいない。 まぁ後に分かることであるから今は置いておく。
「痛がってますからもう止めなさい華陀~?「痛ででで慈霊耳を引っ張るなっ!」それと一刀さん、ご無事で何よりでしたわ。」
そんな背中の痛みを止めてくれたのは慈霊だった。
「あぁ慈霊さん、 …ありがとう、って言うべきなのかなこの場合? 嫌ってわけじゃなかったけど。」
「いえいえ、華陀のお馬鹿を止めるのも仕事のようなものですので。」
慈霊に耳を引っ張りながら引き離された、もしくは強制送還された華陀と交代の如くに朱里、雛里、寧も寄ってきた。
「大丈夫とは思ってましたが。昨日の今日でさようならってなことにならなくてよかったですよ?」
「ね 寧さんそんな言い方したらダメですよぅ… でも、皆さん大丈夫みたいで、よかったです。」
思ったことをそのまま言う寧を朱里が咎めつつ、
「え ぇと、 お、お帰りなさいませ、ご主人さま…?」
雛里が一刀にそう言った。 なんだか今更のような丁寧さだが、ちゃんと会話すべくとの意気込みが今という変なところで発現してしまい、勢いならぬ意気込み余ってこんなおかしな言い回しになった次第である。
もといた現代ではすでに一般的(?)になった言い回しではあるが、まさか実際に自分に対して言われるとは一刀も思ってはいなかったから妙な心境である。
「あぇ…? う ん、ただいま。 っと、そっちは何も無かった?」
華陀のせいで中断した確認を振るとそれに朱里が応じた。
「はい、私達のほうはなに、も… ?、 あの、もしかしてあそこの子が迷子になったっていう…?」
朱里の言葉で桃香達には何事も無かったことが分かったが、同時に未だ意識の戻らず背に負われている少年のことが思い出された。 離れたところではその少年の両親が青い顔で、負われた少年に寄っているのが見える。 因みに少年の父親は足を痛めているせいで捜索に加われなかったことは帰還の道すがらに聞いていた事である。
「! そうだ、華陀、慈霊さん、あの子が本当に平気なのか診てくれないか? 一応バイタル…じゃなくて脈と呼吸は取れたけど、詳しいことは俺じゃあ…」
つい言いやすくて時たま使っていた現代の医療用語が口から出たが、言い直したことで伝わって、
「む、よし任せろ! 慈霊!」
「えぇ。 というわけなので、他にもどこか怪我をされた方がいらしたら私達に申し付けくださいな~。」
華陀が少年を診るのを受理すると同時に、慈霊はその意思を察してすかさず周囲に治療の旨を言い渡す。 ろくに言い合いの無い会話ともできないような短い示し合わせではあったが、これも長年の仲でこそ成せる阿吽の呼吸である。
言い渡った慈霊の言葉に数人が応じて歩み寄る中、
「ご主人様っ、愛紗ちゃんから先に一人で行っちゃったって聞いたけど、ほんとに何も無かったのっ?」
小走りで桃香が近づいて不安げに聞いた。 するとそれを耳にした寧が
「おやご主人サマ、今朝に徹夜の無茶を桃香さんに謝ってた気がしますが。」
なかなかの皮肉にも取れる、しかし実際は文面通りの思い出しを口にした。
「それはそう、だけど… 場合が場合だったから仕方なかったんだよ。」
その『場合』は早くに探さないと手遅れになりかねなかった今回の状況であって、それを理由として皆に説明したらなんとか理解を得られた。
「とにかく俺達も他の人も、そんなに心配するようなことは無かったから。」
例の狼のことも頭の中にはあったが、やはり言って不安にさせることもないなとして優しく言う。 しかし、
「で、でも、」
桃香の懸念は未だ話題に上がっておらず、それが桃香の不安要素の大半であった。
「口は人を丸呑みできるぐらい大っきくて四つもある目は金色に光ってて、毛は真っ白だけど口の周りはいつも血で真っ赤になってる馬よりも大っきな体の熊と虎と合わせたみたいな獣がいる って噂があったから…」
…その不安要素が、これだった。
「………なに、それ…?」
真剣な様子で身振り手振りを交えて説明してくれた桃香だが、それを聞いた一刀の反応はまぁこんなもんであった。 それってどこのモンハンの狩猟対象(ボツ案)?
あっけにとられた表情でぽかんとしているのは当然その話が色々と『無い』からだが、
「?、桃香お姉ちゃん、 特別に大っきな熊が細くなったみたいなので、手と足は長くて耳がビロビロしてて、鋭い剣みたいな角が頭から二本生えてて猪みたいな牙が口からにょ~って伸びてる真っ黒な獣 じゃないのだ?」
愛紗と鈴々から聞かされた『噂の獣』と全く違うからでもあった。 後者のほうがまだ現実味のある内容であるが、結局信じるほうがどうなのといった内容なのは変わらない。
「なにはともあれ。どの道ありえない話ではありますね? ご主人サマも反応からしてどっちの話も信じてないみたいですし。」
「………まぁ、ね。」
この話題にとどめを差すかの如くなのは寧の声。 振られた一刀の頭には例によって巨大な狼に遇ったことが思い浮かんでいて、ありえない存在に遇った以上馬鹿にもできないが反面話すわけにもいかないでどうしたらいいのか微妙な心境だった。
「…桃香様、」
「だ、だって、そんなのが居るって聞いて心配になったんだもん…」
この人はやはり信じていたのか、と予想通りであり脱力した愛紗の心情をなんとなく察したのか、さらには一刀にも呆れられていると思ったらしく桃香は
「…、噂に尾ひれが付いてて一人歩きしちゃってるんでしょうか…?」
「朱里ちゃん、その場合は一人泳ぎとしたほうが適切かもしれませんよ?」
寧の言葉遊び的つっこみはさておき。実際のところ朱里の言う通り、獣の噂は信じてない輩が適当なことを言っているうちにおかしなことになっていて、二場面でそれぞれ全く違う話がなされたのは各々のソースが違っていたのが理由であった。
タイミング良く出来上がっていた考察と同じ内容を朱里が振ってくれたことで、一刀としても落ち着く心持ちだった。
「…たぶん。 ありがとう朱里、なんか朱里の言葉で落ち着いた。」
素直に何気なく言ったセリフだったが、そのセリフで朱里の顔がボッと赤くなって「はわっ!? ぁ、りがとう、ごりゃいましゅ…」の小さな言葉とともにうつむいていったのに一刀は気づかなかったのは仕様です。
実際にあの巨大な狼をチラとでも見た者は居るのかもしれない。それが元で紆余曲折のあっちいったりこっちいったりを経てありえない噂が立ったとも考えられる。
そしてその実体の無い噂が出回っていて事実があやふやになっているというなら。
「……、 ま、いっか。」
本当のことを言う必要はないだろう。怖がってるなら無闇に入ることももう無いだろうし。
そう結論付けて、のほほんとした雰囲気に身を任せることにした一刀だった。 思考放棄では無い。 ……たぶん。
・昼食風景 其の壱・
・日本語でおK …とはいかないこの渡世
先の場面から時間は少し経過。今一刀達は街中において一番の席数を持つ食事処に皆で居た。
「それじゃ注文決まったら呼んでくれ、遠慮せず好きなだけ言ってくれよ!」
威勢のいい声を残して奥へと戻るのは料理主任であり店の主にあたる男性。 聞くと彼は一刀達が助けた村の住人の一人の古い友人らしく、事情や捜索の際の一刀の単身先行を聞いたところ、義侠心に感じ入ったのと古馴染みを助けてくれた礼をということで食事を無料で馳走になることになった次第だった。
席順は右に一刀左に華陀と座った一辺を基準にすると、机の角をはさんで一刀の隣に鈴々とその奥に愛紗、華陀の側には慈霊、奥には雛里と朱里、対面は桃香は一刀と、寧は華陀と向き合う形である。
「ぅあ~おなか空いたのだ! 早く早く!」
いち早く品書きを手にした鈴々だったが、愛紗はそれを見咎めて品書きをぱっと取り上げる。
「こら鈴々っ 御主人様が先だ!「むぅ~っ」まったく… 御主人様、お先に品書きをどうぞ。」「はわっ… ぁぅぅ…」
ねめつけるような視線を無視しつつ、愛紗は机の角をはさんで鈴々の隣に居る一刀に品書きを渡そうとした。 同時に朱里も差し出そうとしていたがその手は差し出しきる前に引っ込む。 人数が人数であるから同じメニューを二つ貰っていて、内一つは先の通り鈴々が持っていて、もう一つは朱里と雛里が一緒に読もうとしていたのだが。愛紗と鈴々のやり取りを見て一刀が先だと思い直しつつ渡そうとして、でも先に愛紗が差し出したから朱里は手を引っ込めるに留まったわけである。
愛紗の申し出だったが一刀はそれを辞した。
「あぁいや、俺は後でいい。 ほらもう一つのメニュ…じゃ無くて…品書き? も先に見てていいから。 どの道誰が先でも、注文するのは皆決まってからだろ?」
「おぉ、お兄ちゃん太っ腹、てのなのだ!」
「それって奢ってくれる人に言うことじゃないか?」
そんなやり取りがあったことを先に記しておく。
あと大方の読者が忘れていることだろうから、一刀の服装は下は白い制服を穿いていて、上は半そでの黒いスポーツインナーであることも一応記しておく。
制服の上着は今現在、座っている椅子の背に引っ掛けてある黒いデイパックの中に突っ込んである。 下はともかくとして、妙な光沢を持つ上着は着ていて目立つからだ。
「でもあの子も何も怪我とか無くてよかったね。 他の人達も、平気だったんですよね。」
「えぇ、あっても捻挫程度でしたから。 固定して安静にしておけばどうということのないものですわ。」
机の同じ面に座っている寧と共にメニューに目を通しながら桃香は一刀に言い、同時に慈霊にも聞いた。 読んでいるのはいち早く注文内容を決めた鈴々と愛紗から受け取ったメニューだが、鈴々に対して愛紗はいささか不本意気味だった。 主従を意識すると、いかんせん一刀より先に見るのが躊躇われるらしい。
「でも目を覚まさなかったのは気がかりだけどな… 脳震盪ってことだから大丈夫だとは思うけど、ね。」
一刀の言うように、少年は華陀が大丈夫だと太鼓判を押してからも目を閉じたままだったのは事実である。
「あぁ、擦り傷はまぁ見られたが大事は無い。 心拍や呼吸、脳内の波も正常だったからな。」
このときの華陀のある単語に一刀が反応した。 慣れている単語が口を付いて出た結果であって、相手がそれを知っているか否かは度外視であった単語である。
「……、脳内の波って、 それって脳波じゃ …何でそんなの分かるんだ?」
脳波とは知っての通り脳内で発生する電気的な各種活動を波形によって記すものだが、そんなのは1800年代後半になってようやく発見されたものである。一刀が発見された年代まで知ることは流石に無いが、脳波というものが今存在する世界において誰かが知っているのはありえないことであることは分かる。
「ん、脳波…というのか。 いやなに、脳に集中して氣を同調すると脳の活動が そう、波と拍動のように感じられてな。その差異で脳に異常が無いかどうかが分かる。 あの少年は心配することは無い。 ところでさっき『ばいたる』と言っていたが、ばいたるとはどういう意味なんだ?」
「え あぁ、 バイタルってのは… 生きてる証拠、かな。 正式にはバイタルサインって言って、脈拍や呼吸の有る無しのこと だったな。」
脳波を概念として持っていることが凄いことも華陀には当然らしく。 興味津々な様子で一刀に質問を投げかける。
それに慈霊も乗りかかる。
「成程、私達は華陀が命名した呼び方で『生命兆候』としていますが。 なら心拍と呼吸の強弱や数、体温に瞳の散大の有無もそれに含むのでは?」
「! そこまで知ってるのか。 いやそもそも『生命兆候』って…そのまま『バイタルサイン』の訳…、だな。」
何気なく話しているようではあるが、とても千年以上もの年月を隔てた人間同士の会話では無い。 特に華陀なんかは、『まるで現代の人間かのような』、博識という段階ではない知識・概念レベルである(笑)。 …ただ、
「む、慈霊っ、それはオレが聞こうとしていたことだぞっ!」
「ふふっ、私も気になるのですわ~。」
慈霊の横入りに、割と本気で子供のように食って掛かるその様は凄みを若干薄れさせているような気がする。
「ぬぅ、 ん、では一刀殿、『さいん』は『兆候』の意味があるのか?」
「それもあるし、 …あーっと『合図』とか、転じて『署名』とかの意味もあるな。」
そうやってに並んで座って話す様を、なぜか慈霊は嬉しそうに微笑みながら眺めていた。
そうこうする内に朱里と雛里の注文内容の品定めが終わり、
「あの ご主人さま、これ はい…」
雛里がおずおずとメニューを差し出してきた。 「あ うん。 ありがとう。」と一刀に言われたことで反射的に帽子のつばを下げようとしたが、店内なので椅子の背に引っ掛けていて頭上に存在しないことを忘れていたらしく、手は何も無い額の前の空を掴むだけでわたわたしたのはご愛嬌だ。
「さってと、華陀もほら、見る?」
「いや、丁度こっちも品書きを貰ったからな。」
かくして一刀は雛里から、華陀は桃香から鈴々を経由してメニューを得たわけだが。
「なに頼もう、 …か ………な?」
パラリと表紙をめくって中の文が目に入った途端、メニューを開いた体勢で一刀が軽くフリーズした。
「? ご主人サマ、どうかしました?」
隣の桃香と話をしていた寧が一刀の様子の変化に気付くのと同時に一刀は思い至る。 そりゃそうだ、と。
「…や、その、 ……なんて書いてあるか、全然分からない…」
「…はい?」
目を丸くした愛紗の疑問符を皮切りに一同が『??』ってな表情になるがどうもこうも無い。漢文の白文みたいな、しかも妙に画数の多い字が使われていたり、おそらく値段だと思われるところもアラビア数字など無く漢字だった。
思えば今までこの世界での文章を見て無かったのだが、漢代というなら日本語が使われている道理なんかあるわけが無い。 完全に失念していた。
「え、 字が分からないん、ですか…?」
「昨日の話の限りでは読み書き計算は一通り出来るものと思ってましたが?」
朱里と寧が疑問符付きのセリフを向ける一刀は頭に手を当てて まいったなぁ、である。
「いや、そりゃできるけど、…俺のいたところとは言葉が違うっていうか、なんていうか…」
「? でもご主人様と私達、お話できてるよね?」
桃香の言う通り今まで然り、言葉はこうして分かっているのだが何故か文字は漢字オンリー。しかも読めないときたもんだ。
「…そう、だよなぁ… どうなってるんだ…?」
逆に考えれば言葉が通じるだけでも万々歳なものだが、そんなポジティブシンキングは今現在の現状況には不要である。
第一、なんで言葉は通じて文も字は読めないのかと考えたところで答えは得られる筈は無い。 ってなわけで、
「うん…? しかしそれを問答しても仕方がありませんね。 ですのでとりあえず注文を優先しませんか?」
慈霊が事態の脱却を促した。
「…それもそう、か。 でも俺は読めないし…」
「それはそれ、読める私達が代わりに読みましょう。 どうしましょう? 私が読みましょうか、それとも他の方がいいですか?」
慈霊がそう言ったとき、
桃香だったら「あ、じゃあ私が教えてあげる!」 愛紗としては「それでは私が。」鈴々も「なら鈴々が読んであげるのだ!」
雛里は流石に言えないが、朱里だっておずおずと「あの、 私でよかったら」 寧だと「ってことでワタシがしますね?」
と、各自各々がほぼ同時に名乗ろうと思い至ったのだが。
「うむ、よし。分からんというならとりあえずオレが内容を教えてやろうっ」
…その中の誰より一瞬早く華陀が名乗ったことで、全員の言葉が口から出ることは無かった。
「じゃあ、頼めるかな。」
出足のタイミングを完全に失した一同を置いて一刀は隣の華陀とメニューを共有する。
「なに構わん。一刀殿には色々と教わったからな。持ちつ持たれつだ。」
言いつつ自分の持っていたメニューをパタンと閉じて、一刀に椅子ごと近寄った。 もう華陀が代訳をすることは確定であった。
そこへ、
「……華~陀~?」
呆れたような、いや事実若干の非難を含めた声音と笑顔の慈霊の声。 周囲では桃香達もそれぞれ差異はあっても微妙な表情をしていた。
「む、どうした慈霊 って何故後ろの玻璃扇に手を掛けようとするっ!?」
「…いえ、もういいですわ。 さ、早く一刀さんに読んで差し上げてください。」
「?、 驚かせるなまったく。 では一刀殿、何か食いたいものはあるか?」
そのまま「何か…鳥の足とか、大きめの肉使ったのってないかな?」「ならこれだな。骨付きの鳥の足を焼いたものだ。」 と、内容の訳を進める男二人。
いやそこは誰か女の子とだろう、との意見は全面的に肯定せざるを得ないし私(作者)としてもそうしたかったのですがそこはそれ、考えあってのことだからあえて無視しますね。 あえて。
「じゃぁ …ん、華陀これって?」
「それは米を具材と炒めたもので」
「あぁチャーハンってのは分かるんだけど、その前に付いてる『燴燴』って?」
「これはとろみをつけたあんを掛けた、という意味だな。 読みは『ホイ』で、二つ並べてあるから」
「あ ちょ、分かったから待って言わなくていい。 なんかなんとなく聞くのまずい気がする。」
そんな二人を見つつ女性陣。
慈霊としては他のメンバーに気を利かせたつもりだったのだがその結果がこれだよ。 華陀に一発入れたくなるのも無理は無い。
「…でも男の人も、あぁやって一緒のお品書き見たりするんですね。」
桃香としても世話になりっぱなし故、今の機会に教えてあげようと考えていたのだが。 それでも一刀に訳すことは結果的にできているからしょうがないかな と考えつつなんとなく気になったから言ってみた。
「いえ、普通は無いでしょう。 ですが華陀はそういったことをするのに抵抗を見せるほど繊細ではありませんから。一刀さんの場合は… いらした所では普通なのでしょうか。」
成程この漢字はそういう意味が と興味深げに見入っている一刀と華陀には女性陣の声は意識の外である。
「ですがご主人サマと華陀さんだったら気色悪いとは感じませんね? むしろそういう趣」
「ねねね寧しゃんそれ以上は!」
何事かを言わんとした寧を朱里が身を乗り出さんとするかの勢いで制止。 流石に「? どうかした?」と一刀が目を向けると「なななでもないましぇんっ!」で返した。
まぁいっか と一刀が目をメニューに戻したところで、朱里からすれば困る先程の話題が舞い戻る。
「ところでさっき寧ちゃんが言いかけた趣味ってなんのこと?」
桃香の含みの無い疑問が朱里に ザクリコ、と突き刺さる。
「はわっ!? あぅえ いえそのそれはそのぇっと…「それはですね、」寧さんは言ったらだめですぅっ!」
傍らでは雛里も顔を赤くして目立たないようにしているこの反応からも分かるとおりこの三人、なりは小さいが色々と知っている。 そもそもの知るきっかけ…もとい原因であり元凶は寧であり、後は芋づる式に朱里雛里にも『ヘテロ結合』や『その逆の結合』を知る趣味が連鎖的反応だった。 …寧、あんたって人は…
目をぐるぐるにしてわたわたする朱里に慈霊が助け舟。 因みに慈霊、全部察している。
「ふふっ。 いわゆる 仲がいいことは男女の別無くいいこと、ということですわ。」
「! そ、そうですね そういう言い方がありました…」
「ん、 他にどういう言い方がある?」
朱里の独白が耳に入った愛紗が聞く。 無論愛紗とて知識が無いわけではないが、そーいった方面に速攻で考えが行くことはない。基本へテロのみである。
「はわぅっ… ぇぅぅですからぁ…」
再びはわはわする朱里に今度は寧が。
「まぁ要するにしゅど」「だから寧さん要したらだめですぅっ!」
…寧、助けるならとどめを刺してあげる以外の手を使いなさい。
・
ところで一方、ようやく目を覚ました例の少年だが。
「このっ バカっ あれほどっ だめだってっ 言ってたっ のにっ!!」
「ごめんなさいぃぃぃぃぃぃ~!!」
医家にて、母親に思いっきりおしおきをされていた。べしこべしことの乾いた音は母親の平手が少年の尻を叩く音である。
いつの世も尻叩きはおしおきの基本らしい。 まぁ実際に臀部というのは脳から遠く、故にある程度殴打したところで痛いだけで顕著な弊害は出ないという利点(?)があり、頭部を叩くよりもよほど健康的(??)なおしおきとすることができるだろう。 …いや分かってるよ、作者も言葉選びが
妙だってことは。
「ま、まぁまぁ、もう済んだことじゃし。」
「でも先生よ、大勢に迷惑掛けたのは反省させねえと。 ったく、被害が鉈だけでよかったぜ…」
確かに鉈は山の中で永眠するだろう。 でも物と命は天秤に掛けられないことを知っているあたり、この夫婦はいい親である。
・あとがき・
信じられるか…? これ、 まだ9話なんだぜ…?
いいかげんにしろぉぉぉぉぉぉ! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! こんだけ投稿しときながら伏線張りまくって蜘蛛の巣城みたいになってて投稿数は20超えておきながら話数はまだ一桁とかどういうことなのぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! しかも『彼女』なんかまだまともに出演してないんだぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
とまぁ、一回こういうのやってみたかった華狼です。
あぁ、私は上記の『彼女』に関しては 普通、です。
いやほんとに。 特別に好きでなければ、当然嫌いでも無いです。 でも嫌いじゃ無いってことは好きとカテゴライズしてもいいのかな?
待てよむしろ普通ってことにコンプレックス持ってて、時々ベッドにうつ伏せで寝転んで枕に顔うずめて悶々としているところなんか考えると、 …あ、なんかいいかも。
ってことで好きなのかもしれません。普通に。 結局普通なのか。 だって最初に言ったじゃない。普通だ、って。
さて。 なんかおかしな伏線みたいなのが出ましたね。
そういえばプロローグ2のコメントで 華陀TSルートか、ってのがありましたが。
あながち間違ってなかった のかもしれない気がするたぶん。
あぁ、改めてコメントありがとうございました黒乃真白さん。 引用しましたので再度御礼申し上げる次第。
…え? どういうことなの? つまり要はそーいうことですか? 期待してもいいんですか? 誰得って朱里寧雛里その他紳士淑女漢女得ですか? 一刀だけに鞘は【二次元が初恋じゃだめ】ですか? とか思った人がいたなら、(【】は かぶせの音と思え)
『その場面』に『至った』ときに答えを返しましょう。 あえて今ここで言及はやめておきます。あえて。 はっはっは。(…だから何故笑う?)
では。 次回は、ついに『彼女』が表舞台に立つ9話の(下)です。
PS、 今までからも分かるとおり、私は『うたわれるもの』も好きです。
更にPS、 アマテラスはかっこいいんじゃなかった。 かっこいい上に可愛いのでした。
Tweet |
|
|
8
|
0
|
追加するフォルダを選択
なんか投稿が一ヵ月ごとになってきた。 こんなので終わりに到達できるのでしょうか。
今回は場面を一気にやるので長いです。 って思ってたのですが。むしろ長くなりすぎたのでまたもや上下二分割です。 どうも長く寝かせていると、同時に内容の再考が頭でなされて内容の形がはっきりしてきて、すると整理も出来るし後から色々詰め込める隙間に気付くのですよ。
でも気付いたが最後、詰め込みすぎで容量オーバー。結果二分割と相成ります毎回の如く。 でも一ヶ月も開けておいて短かったら やる気あんの、ねぇ? って話ですが。
9話は山での一件の収束と、その後の場面ですね。詰め込みます色々と。袋を「ちょ、もう無理無理僕破れる!」ってな限界まで伸ばしてしかもパズルの様に緻密に野菜を詰めていく詰め放題の達人のおばちゃんの如くに詰め込みます。 いや そこまで凄くないか。
続きを表示